☆情緒制御(3)忍耐や我慢に関して(2004 Nov.)

  我慢は人間間の互助的関係において広く必要とされる素養であり、様々な局面で
 その有無が適応に影響する。恋愛においても同様で、極端に我慢が出来ない場合
 には対象異性に愛想を尽かされる可能性は高い。実際、そのような我が侭な相手を
 パートナーに選ぶことは、対象異性にとって非適応的な選択なわけで、適度に我慢を
 やめる事を知っている対象異性ならば、早々に関係を整理しにかかるだろう。

  とはいえ、我が侭という性質と“自由奔放”“孤独を愛する人”などといった好ましい
 イメージは隣り合わせの部分もあるため、これらの区別がつかない間抜けな異性は
 必ずといっていいほど存在する。我慢が効かない我が侭な人は、こういったカモ異性を
 捕まえて精一杯我が侭をぶつけるのも良いかもしれない。この場合、忍耐や我慢を
 わざわざ身につけなくても異性との交際が可能になるわけだ(我が侭のツケは、きっと
 どこかで廻ってくるでしょうけど)。 しかし、こういった搾取の対象とはなり得ないような
 大抵の異性は、あなたが我が侭さをプレゼントしてしまった時に評価は下げてしまう
 のは避けられず、積もり積もれば大きな問題になる可能性がある。

  また、対象異性に対する我慢の問題だけでなく、恋愛特有の感情(前述の不安
 後述の願望なども含む)に対する我慢が効かない場合も、問題になることがある。
 例えば、我慢することや待つこと・ブレーキをかけることが恋愛の帰趨に良い成果を
 もたらすような状況でも、我慢しきれずに先走ってしまう可能性、などである。引くべき
 時に引けないという事や、耐えるべき局面で耐えずに行動してしまうことは、恋愛戦略
 の遂行に大きな妨げとなるだろう。頭で合理的判断が可能であっても、感情で我慢が
 利かずに願望の独走を許してしまえば、対象異性との関係に様々な影響を与えること
 は避けられない。尤も、なにも異性間のプライベートな交際に限らず、我慢が出来ない
 というのは人間関係構築の上で一種の悲劇であり、孤立し嫌われる為の近道と言える。
 我慢が効かないというのは、恋愛だけでなくあらゆる適応において恐ろしい結果を招く
 だろう。にも関わらず、我慢について学ぶべき場所が乏しい若者が存在するのは、
 随分と気の毒な話である。然るべき機会を与えられてさえいれば、大抵の男女は
 ある程度の我慢やブレーキを身につけることが出来るのもなのだが…。

  ちなみに我慢も過ぎたるは及ばざるが如しで、過度の我慢は別の問題を惹起する。
 交際したくもない、交際する価値もないような異性との交際を強要され、受け入れ、
 搾取され、捨てられるまでひたすら我慢をし続けるのは、あまり効率的とはいえない。
 少なくとも、そのような一方的な忍従が自分自身の適応に良い影響を与えるとは
 思えないし、自分自身にとってポジティブな体験としての恋愛や交際になるとも思えない。
 だが、世の中にはこのような過度の我慢を実行してしまって、奴隷のようなろくでなし
 に仕えている男性・女性が沢山いる。この場合、我慢を制限したり我慢をやめるという
 ことが求められるのだが、(我慢できない人に我慢をさせるのと同様)、過度の我慢は
 なかなかやめられないようである。どうやら、我慢やブレーキというものは、効きすぎて
 いても効かなすぎてもいけないものらしい。また、このような例だけでなく、恋愛に
 直接は関与しないが間接的に関与する諸々の事項でも、ある程度の自己主張や
 我慢放棄がなければ差し支える事が多く、色々と困ったことになりやすいかもしれない。

  この、我慢や忍耐の多寡は、すぐに改善したり身につけたり出来るものではない為、
 不安耐性失敗耐性と同様に、いやそれ以上にスキルと呼ぶのが困難である。
 身について離れ難いもの・変更しにくいものなので、『スキル』と表現したものの、
 『素養』と呼んだ方がむしろ適切なのではないかとさえ思えてくる。事実、我慢や忍耐
 に関する一般的なコーピングは歳をとってから形成される部分よりも、大人になるまで
 の人間関係によって形成される部分が大きい(また、遺伝的に決定される気質も
 勿論関係してくる)。つまり、大人になってから我慢や忍耐を身につけようと思うと、
 相当なことだと思われる。我慢しなければ生きていけない/困るような状況に飛び
 込むことが処方箋となるのだろうか?私には分からない。

  ただ確かな事は、我慢や忍耐を必要としない環境にずっと曝された子供は、我慢や
 忍耐を基礎的なコーピングとしてマスターしない・出来ない可能性が高いということだ。
 もちろん、大人だって我慢や忍耐を必要としない環境にずっといれば、我慢や忍耐を
 衰えさせる可能性はある。よって、忍耐や我慢に関する限り、それを必要としない環境
 に長期間いることが忍耐や我慢の育成を最も阻害するとは結論づけられる。となると、
 忍耐や我慢を育成したいと思うなら、幾らか我慢や忍耐が必要な環境に曝されている
 必要があると思われる。それも、対人関係上の我慢が必要な環境に曝されている
 必要がある。残念ながら、それ以上のことは今の私にはこの場所で書くことは
 出来ない※3


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 【※3この場所で書くことは出来ない】

  精神科の治療技法の中には、行動療法、というものが存在する。最近では認知療法
 としばしばセットになって、認知行動療法とか、行動認知療法とか格好良い名前で
 呼ばれていることもある。行動療法…これについてここで書くには日が浅すぎる。
 第一、我慢や忍耐と直接の関係にある治療技法と考えていいものか怪しいところも
 ある。仮に記述が可能だったとしても、一般的な適応技術の改善技法として応用可能
 なのか、まだ分からない。

  行動療法は有効で、興味深い治療技法で精神科ではバシバシ使っているが
 私のレベルではそれを一般化したうえで記述するのはとても怖いことなのだ。
 またまだ、私のレベルでは勉強が足りない。特に、こういう場所で一般的な問題に
 援用する形で記載することには強い抵抗がある。仮に表現方法を和らげて、学術的
 な擁護を一切使わないとしてもだ。

 →日本行動療法学会

 →行動療法のひとことリンク(このサイトトのちょこっと心理学は、かなり慎重な姿勢が
 みられて好感が持てる。わからないことや、やう゛ぁい事は敢えて伏せる姿勢が気に入ったので紹介。
 まだ学生さんらしいので臨床の荒波にはまだ揉まれていないようだけど、今後の飛躍に期待)