【読書についての分類A――有用性と有用性の賞味期限に関して】2003.11/24
読書のカテゴライズの方法など何通りだってあるし、人によって様々だ。
この『読書についての分類A』では、その読書が提供してくれる知識・知恵が
どれだけ有用なものなのかと、どれだけ長期間有用であり続けるのかに
着目した分類を私なりに試みてみた。
ここでは、読書や書籍を以下の四つのカテゴリーに分類し、それらに対して
どのような読書の姿勢が望ましいのかについて言及している。
【1.最新の有益な情報を提供してくれるもの】
これには新聞やテレビのニュース、秀逸な週刊誌、自分が趣味・職業
としている分野の専門書が含まれる。これらは楽しみやリラクゼーションを
提供したり、周囲の人間の関心がどこに集中しがちなのかを把握させたり、
社会情勢や仕事・趣味で最新であり続ける事を保証してくれる。
いずれも今現在の自分自身にとって有益かつ必要なものであり、これらが
不足すると『世捨て人』状態となったり、読書が常にエネルギーを消耗する
ものとなったりしてしまう危険がある。全般に読みやすく理解しやすく、
しかも周囲の人間との話題づくりにも役立つことが多い。欠点としては、
情報や知識の価値が時間が経つと急速に減少してしまう事だろうか。
これらの情報は新鮮であること・今現在の自分に速効性の有効効果を
与える点に旨味があるわけで、古くなったり読み飽きたりすればそれまで
という側面を持つ。ゆえに、この分類の読書ばかりを続けていると、
「10年前には色々本や雑誌を読んだけど、今役立つものってあんまりないね」
という事になってしまうのが問題点である。しかし、その時代の流行文化(文学・
映画・漫画・アニメも含む)を身につけることができると、同世代の人間と
コミュニケーションを行う際に話題を共有する事ができ、その点では何年
経っても失われないコミュニケーション支援ツール(ただし異なる世代には通じない)
という効果は残る。ゆえに、このジャンルの読書を重ねることは周囲の同世代との
人間関係を容易にする話題提供の効果だけは死ぬまで残存するので、社会適応に
対して長期的な効果も若干併せ持っている事を付記しておく。
・例
週刊誌(リラクゼーション、ファッション、流行、娯楽、同世代文化の共有)
専門書や論文(趣味や職業分野で最新最強であり続ける為の吸収)
各種娯楽小説・漫画(リラクゼーション、同世代文化の共有、娯楽)
なお、稀にこのようなものの中に何百年に渡って価値を残す大作が紛れ込んで
いる事がある。例えば現在出版されている現代小説の95%は、おそらく100年後
には省みられることのないクズ本と化しているが、僅かに不変の価値観と衝撃を
後世に残すような時代精神を代表する本や、人間性や人間の智慧の深淵に触れた
書物が僅かに混入している。このようなユニークブックは、むしろ次の3に分類
されて然るべきものだが、困ったことにこれらの本は最初から殿堂入りしている
わけではないので識別が非常に困難である。最新の書籍からこのような希有の
作品を峻別することは、鼻の利かない私のような読書音痴には無理なので、
普遍的な人間知や時代精神を獲得したい人間は3の分類の本を最初から選択する
ことが無難である。
【2.最新だが有害な情報を提供してくれるもの】
何も書籍に限らず、インターネット・テレビ・ラジオの情報は全てが
正確とは限らないし、啓蒙書のすべてが適切なアドバイスを書いているとは
限らない。また例えば、「筆者が知っている事の全リストは見せてくれるが
筆者を知っている知恵を読者に授けてくれるわけではない」といった性格の
酷い本も混じっていたりするわけで、これらの有害な書籍から身を守らなければ
読書を通じてむしろ迷信を深めたり愚かになったりするリスクがある。
或いは、広い視野ではなく原理的ドグマを執拗に進めて視野狭窄を狙った本や、
読者に対して政治的/営利的目的をもって販売している本(資本主義社会では
特に営利的な部分については致し方ない)は、読者にとって実りある書籍となるか
どうかよりも、出版社や執筆者にとって実りある書籍となるかどうかを重視
しているわけで、そんなものに踊らされてはたまったものではない。
執筆者や出版社が儲けてはいけないわけではないが、読者がどうなってもいい
から売れればいい本だとか、政治的意図を広める為の扇動に利用される本など、
読む側から見ればはっきり言って迷惑以外の何者でもない。
図書館や本屋、インターネット上には情報や書籍が溢れかえっているが、
その中にはこのような毒を含んだものが大量に混じっている。これらの多くは
その有害性や無益性などの為に淘汰されていくのが常だが、いやだからこそ、
最新の書籍欄を中心に様々な有害無益な書物が存在する。そして無防備で
インノセント(悪い意味で)な読者を食い物にしていく。
※尤も、有害な書物も結局読者が「こいつは有害だな」と注意しながら
読めばそれはそれで何か有益な結果を生むことはあるのですけどね。
・例
センセーショナルなだけの粗悪な科学本(売れればいい、科学の名のもとに
迷信を売りつけたり、エビデンスの固まってない仮説をあたかも不変法則の
ように紹介する本)
つまらない漫画・娯楽小説(楽しくなければ時間の無駄・売れないから同世代との
コミュニケーションを助けることも無い)
扇動的意図が明らか過ぎる政治・宗教の本(こういう本こそ、少々小難しくても
いいから真摯で慎重な議論が大切。読者をただ扇動するなんてもってのほか)
【3.時代に影響を受けない普遍的に有益な情報を提供してくれるもの】
世の中には、何十年何百年経っても全く価値が衰えない書物というものが
存在する。時間による風化を堪え忍ぶ事ができたこれらの本は、大抵の
場合、いついかなる時代の人間にとっても普遍的な情報を包含している
事が常であり、だからこそ時代がいかに変遷しようとも生き残ってきた書物
と言える。これらの本は時代が異なるために読みにくかったり、現在の即効性の
ある有益な情報をもたらしてくれる事は無いが、その代わり二十年後も三十年後も
自分にとって糧となる可能性の高い普遍的な情報を含んでいる事が殆どである。
評論も既に確立されたこれらの書物から何も得られないとするなら、おそらく
書物の側に問題があるのではなく、読者の側に問題がある(嗜好・読解力など)
と考えるのが自然で、もし何も得られないと思ったとて十数年経って読み返して
みたら凄まじいインパクトを与えたなんていう事はザラである。何十年にも
渡って風化に曝されも輝き続けているだけあって、悪書の多くは殆ど淘汰されている
と考えて間違いない。
このような特徴を持っているため、古典を中心にした読書は非常に堅実で、
はずれが少なく、長い年余に渡って役立つ情報や知恵を提供してくれる。
その代わり、新鮮な情報や知識の獲得には全く不向きであり、古典に偏り過ぎた
読書は『浮世離れ』した人間への偏重を促し、現在のコミュニケーションに
若干の障害を生じる可能性がある事には留意すべきだろう。ついでに、これらの
本は大抵読みづらく、凄まじい衝撃や描写を前にへとへとになってしまいがち
だったりするので、リラクゼーションには全く不向きである。リラックスする
為の娯楽を別途用意しなければかなり面倒な事になると推測される。
※尤も、有益な書物も結局読者の側に吸収する能力や意図が無ければ、
何の役にも立たないのは言うまでもありませんし、古典名作を耽読している
事を鼻にかける事を主目的として読んでいて、内容から強烈なの衝撃・智慧・
驚きが得られていないんなら、たぶん読んだところで無駄でしょう。
・例
古典
クラシック・演劇・・ジャズ(読書ではないし、リラックスも可能なものもアリ)
長い歴史を有した宗教の本(三大宗教の代表的書籍など)
哲学書(新しいやつはどうだか知りません。ごめん)
【4.長い年余を経ても生き残っている、有害かもしれないもの】
著者が著名人であるとかそういう理由で、あまり有益ではなくても本が
生き残る事があるという事は十分にあり得る。また、一方で、あらゆる古典作品・
哲学書などにもそれらなりに欠点や問題点も包含されているわけで、そのような
邪魔な部分を差し引きながら読まなければ、良書とされている本であっても
悪い所ばかり吸収してしまって肝心な所を見失うリスクはある。
しかし、そうは言っても明らかに本から智慧を得るよりも本から宜しくない
智慧を与えられるような本は存在するだろう。そのような本はそれを鵜呑みに
するのではなく、反面教師として利用するのが妥当ではないだろうか。
以上、有用性と有用性の賞味期限に焦点を絞って読書を分類してみた。
基本的に2と4は避けるべきで、1と3を選択することが望ましいのは
言うまでもないが、総ての書物は1〜4の性質を多少なりとも併せ持って
いる――ただし、このいずれかに著しく偏っている事が殆どである――事は
忘れてはいけない。絶対的に白黒つけられる代物ではないのだ。
このため、書物を紐解く時には結局どのような書物であっても
「賞味期限の短い速効性の情報」「賞味期限の長い遅効性の情報」を
ほじくり出す事に注意を払う一方で、誤った情報や扇動性の強い情報に警戒
する必要があるだろう。
ちなみに、私は現在、3に重点を置き、必要な部分だけは1を選択する
ことにしている。読書・インターネット・テレビなどの情報収集は
啓蒙目的や情報収集目的に応じて1と3になるべく特化した選択を行い、
思いっきりリラクゼーションを求めたり、逆にドストエフスキーや
ニーチェに体当たりしたりするように二極化を推進している。難しい事だとは
思うし気をつけてもきりがないが、それでも努力は惜しまない。
折角エネルギーや資本を使って本やメディアに触れるのだ、できるだけ
効率的にやりたいと思うのは当然ではないか。この方法論を私は完全に
履行できているわけではないが、幾らかは読書や情報収集を効率化できた
ように思えるのだ。