・昨今のテレビ報道の扇情的態度
昨今のテレビ報道を視ていて、感情に訴えかける内容のものが増えたと感じている人も多いのではないだろうか。例えばこちらに書かれているテキストに指摘されているように、メディアは法律の適切な運営よりも感情論的に“いかにも正しくみえる”主旨の報道を行うことに余念が無い。子どもが犠牲になるような事件を報道するにあたっては、メディアは視聴者の感情的・情動的判断に一定以上の配慮を行っているようにみえるし、おそらくは視聴率獲得や番組の支持獲得という観点からみればそれは正しい選択なのだろう。悲壮感漂う音楽・コメンテーターの深刻な表情などと協同した一連のアンサンブルは、視聴者の情動的判断を揺さぶり、視聴者をテレビの前に惹きつけて離さない。こうした、メディアの“視聴者感情に配慮した(または媚びた)報道ストラテジー”は、子どもが犠牲になる事件をはじめ、視聴者の情動が揺さぶられそうなあらゆる報道に適用されているようにみえる。即ち、セックス・バイオレンス・生死に関連した報道においてである。
のみならず、報道する内容の選定の面においても情動への配慮が為されているかもしれない。つまり、視聴者の情動に強く訴える番組編成が為されている可能性がある。国内のセックス・暴力・子育て・生死などに関連した問題に重きを置いて報道する傾向は、確かに視聴者の情動に訴えかけやすいかもしれないが、例えば2006年夏のイスラエル軍によるレバノン侵攻作戦のような、視聴者の情動には“遠い国の出来事”と映りがちだけれども実はハイリスクな問題についての報道がおざなりになってしまう可能性を孕んでいる(欧州に比べて2006年レバノン紛争の報道が圧倒的に少ないという指摘は、どこかのブログで拝見しましたが、どこのブログなのか思い出せません。誰か教えてください)。この傾向は、民放各社のワイドショー的ニュース番組だけでなく、NHKのニュースにすら見受けられるものであり、国内のメディア全体が視聴者の感情に訴えかけるプログラムを選択しているとしか思えてならない今日この頃である。
しかし、このような報道の偏りをひとりメディアの責任に負わせるのはおそらく適切な分析ではないだろう。メディア側が視聴率やらスポンサーやらを気にせざるを得ない以上、メディア側が尻尾を振らなければならない視聴者の側の責についても検討すべきだろう。また、ニュースを視るにあたっての視聴者が、そこまで情動的に判断するに至った背景についても考えを巡らせるべきだろう。このテキストは、扇情的なメディアに食いつく視聴者が情動的判断に依らざるを得ない現状について、再度注意を喚起することを目的としている。