たまたまここに来ちゃった人へ:はいはい、見ないで帰った帰った!見せ物じゃないよ!
わざわざ眺めても、狂ってるから読んでもしょーがないよ!!
業務連絡:両サイドからカキコせよ。
状態に関して:
維持継続する傾向のある状態は、すべて適応的意図か意義を有している。
適応的に優勢であるという判断或いは結果があるからこそ、その状態は適応的優勢を
維持する為に維持継続させる。
これは、通常の人間でも、神経症的症状でも言える事である。
(脳障害の症状の場合、それは維持継続されるのではなく、仕方なくそうである症状が
存在し、これは除外される。統合失調症症状や脳出血症状の原症状はこれに該当する。
それらの脳機能の異常は、ちょうど心疾患や癌が個人にとって別段適応的意図や意義を
持たないのと同様である。ただし、それらの脳障害を有する人が、障害された状態特有の
二次的な症状を呈する場合、それらが適応的意図か意義から発している場合はあって
然るべきである)
逆に、維持継続する傾向が無くなって変化しつつある状態は、より優勢な状態へと変化する
背景に何らかの適応的意図が存在する。そして、適応的意図が適切であった場合は、適応的
意義を獲得する。
適応的意図と、判断の関係:
適応的意図と適応的意義・適応的獲得がどこまで合致するかは、判断によって左右される
傾向にある。
より正確には「判断によって合致する確率が高くなる」。
本来これは「合致する」と書ききってしまいたいが、確率の絡むギャンブル的要素のある
試行の場合、どうしても確率的に有利という言葉以上の表現が適切でない為である。
判断がどれだけ高品質かによって、適応的意図が実際に適応的に役に立つかどうかが決定
されるのである。
なお、この判断は様々なfactorによって生成される。絶えず、生成され続けている。
色々と適応:
習慣・宗教・風習・癖・神経症症状はすべて適応的意義・意図を有する。
適応研究の限界と目的:
適応という視点は、これまでのいかなる学問的視点と同様、一視点に過ぎず、全てを説明
することは出来ない。隣接する神経学などの学問領域と連関して、智慧の環を形成する
(とこまで行けたら信じられない幸運!)。
適応という視点は、適応効率や、適応障害を研究する上で有用かもしれないが、逆に
言えばそこまでの視点でしかない。このため、精神医学や人間関係の調整に有効な技術と
して洗練させていく事は出来るかもしれないが、それ以上の事は...。
適応研究と生物学的研究成果:
適応研究は、つねに生物学的研究成果に隷属する。ただし、これは生物学的研究成果が
十分に適切である場合にのみ言える事であり、生物学的研究成果が十分に適切とは
言い切れないうちは、生物学的研究成果に必ずしも隷属する必要はない。
ただし、生物学的知見は、適応研究のうえで避けては通れない基盤にあたる部分である為、
十分に研究され事実である事が明らかな人間の生物学的要請/生物学的傾向 には
隷属し、これを前提とした上で展開しなければならない。そしていつか、生物学的研究が
適応研究上のすべてを生物学的見地から説明し尽くす日が来るのかもしれない。
よって、適応研究はつねに生物学的研究成果に注目する必要があり、その成果を
適応研究につねにフィードバック・修正していく必要がある。