【恋愛や男女の交際に要する『技術』というと?】(2004. 10/24)

 ・恋愛や男女交際の技術について、関連した記事をみつけて

  恋愛に関する面白い記事や話題が、リンク先の諸サイトさんからザクザク
 掘り出されて興味が尽きない。このなかでも特に当サイトの主旨に関連があり、
 強い興味を抱かずにはいられなかったのは、こちら『恋愛には技術が必要
 (2004-10-24)』である。当サイトは汎用適応技術研究という名前のとおり、
 生活のあらゆる分野における適応を左右する技術とその汎用性に関心を
 持っている。男女の交際あるいはコミュニケーションに関わる『技術』や
 『ノウハウ』に関しても、私は様々なコミュニケーションスキルの巨大
 複合体として捉えており、記述は極めて困難ながらもなんとかやってみたい
 と思っていたりしている。

  そこで、今回はSimpleさんの記述を引き合いに出しながら、恋愛や男女の
 交際を上手に進めるための『なにか』を、技術という表現に託して当サイトっぽく
 考えてみようと思う。※1 そして無駄なあがきながら、一分類法を用いて、恋愛
 技術に含まれる要素群を抽出してみたい。

  彼の記事のなかでSimple主催者・Yasさんは、『恋愛を行い、そしてモテる
 (つまり交際が望んだように進む、ということだろう)ためには、恋愛や交際に
 関する技術が必要だろう』という主旨のことを書いている。リアル世界であれ、
 ネットを媒介とした恋愛の進め方であれ、種類は違えど何らかのスキルが
 必要だと認識していらっしゃるようだ。(誤読だったらごめんね→Yasさん)
 彼は柳田國男のコメントも引用し、恋愛を遂行するのに必要なもろもろの
 手管や形式や知識などを、技術として捉える視点を呈示している。

  興味深いことに、この記事は「恋愛技術の消長」という柳田國男の表現を
 引用して、恋愛技術は変化しやすい技術である点にも触れている。ここでいう
 恋愛技術、つまり異性との交際を望んだ方向に持っていくための諸々の
 ノウハウは、時代や地方や環境によって変化し、その時々によってベストや
 ベターが異なってしまうとされている。もちろんこういう移ろいやすい技術は、
 伝統芸能などとは違って世代間伝達はあまり期待できないだろう――若者の
 文化風俗の流行り廃りが早い昨今は尚更だ。そのうえ恋愛技術なるものが
 「人生の最も精確に学ぶべきもの」「疑惑の特に多いのもまたこれ」といった、
 重要だけれど記述することさえ難しい代物だとしたら、同じ世代同士であって
 さえも簡単に伝授・伝達できるものではない。いや、伝達は出来るかもしれない
 が、その妙味と微妙なさじ加減(最早技術というより名人芸と呼びたくなるような、
 僅かな目の動き等も含めた総合技術)を誰かに伝授してマスターさせるなんて
 大変だ。先天的に異性との交際が得意な人はともかく、そうでない大多数は
 この技術(あるいはノウハウ、と表現するのが適切か?)自分流にマスター
 していくしかないのだろう、柳田國雄のおっしゃる通りである。
 いや、別にマスターしなくても生きてはいけるが、その場合は恋愛(男女交際)
 を求める際にどうすれば良いのか分からなくて苦労するかもしれない。
 厄介なことである。


 ・恋愛技術は、恋愛という名の航海に必要な航海技術や航海具


  上記のように、恋愛技術なるものは曖昧模糊としていて、達人と下手クソとの
 差が激しく、状況や時代や相手によって変化がみられるものらしい。技術、とは
 言うものの、技術というよりは名人芸※2とむしろ表現したくなるような
 きわどい代物だということがお解り頂けるだろう。文章でこれを誰かに伝えて、
 誰かを達人にするなんて事は不可能だ。少なくとも私には不可能だ。
 だが、恋愛や男女交際に際して必要とされるスキルや要素に着目し、これを
 技術のように分類・分析を行うことには意味があるかもしれない。もしかすれば
 その作業を通して、自分の恋愛技術で足りないと思う点を把握し、弱点を
 補ったり他の長所でカバーしようと試みることが可能かもしれない。彼の
 サイトには、

 今も昔も恋愛には技術が必要であり、学ぶべきものである。

 という一言が文末に記載されている。恋愛技術を学ぶ事が出来るのか、そもそも
 何をどう学ぶことが恋愛技術に寄与するのかはともかくとして、恋愛に関する
 ノウハウやスキルが、恋愛や男女交際を進めるには必要だという考えだろう。
 もちろん私はこの意見に賛成である。
 恋愛技術は、恋愛や男女交際を出来るだけ自分の意に沿うようにするうえで
 極めて重要だと思う。あるいは、対象異性に出来る限りのことをしてあげようと
 思った時にも、円滑なコミュニケーションが可能なだけの技術が必要だろう。
 それらのスキルが全き乏しい状態で恋愛や男女交際に乗り出すのは、航海具の
 使いかたも知らずに遠洋航海に乗り出すのに似て、ことを運ぶのが非常に難しく
 なるだろうし、ちょっと先の予測すらつかないのではないか。船出はしないとか、
 沈没前提で出発ということであれば、別段技術を意識する必要は無い。
 だが、もしも何らかの目的地に向かって漕ぎ出すのであれば、出来る限り使い
 やすくて便利な航海道具を揃え、それらの使い方に精通しておくことが望ましい
 はずである。そしてその際に必要となる『航海具』は、自分と対象異性とを
 橋渡しするようなコミュニケーションスキル群が中核を担うものと思われる。


  以下の文章では、恋愛技術と表現されるべき、恋愛や男女交際に関連した
 コミュニケーションスキル群・要素群を、一つの方法で分類してみる。
 要素群・スキル群のなかには、マスターが非常に難しいまさに名人芸的なもの
 もあれば、資本投下や経験の積み重ねによって比較的誰でも変化させやすい、
 技術と呼ぶのがぴったりのものまであると思われる。今回の分類と考察では、
 恋愛技術を

 1.対象異性に対して直接働きかける恋愛技術群

 2.自分自身の制御に影響し、対象異性に間接的に働きかける恋愛技術群

 3.スキルでは無いが恋愛の帰趨に影響を与える諸因子

 に分けて考えてみようと思う※3。もちろん、恋愛技術と呼び得る諸ノウハウを
 分類して考える方法は、この分類法だけではない。以下に挙げてみた幾つかの
 例に関しても、1.と2.の両者の要素をある程度は併せ持っており、どちらか
 一方だけに働きかけるという性質のものは存在しない。この分け方は、あくまで
 便宜上のものとご理解いただきたい。


  なお、今回の試みではあくまで恋愛技術と呼び得る曖昧模糊としたもの
 から幾つかのモジュールっぽいものを引っこ抜いてみるところまでは
 チャレンジするが、それを改善させる為の方法論についてはあまり触れない
 正直に言うならば、触れられない。なぜなら、幾つかの恋愛技術モジュールは、
 後天的に何とか出来ないものか、出来るとしても記述がきわめてだからである。


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 【※1当サイト的に考えてみようと思う】

  本当は、当サイト的には恋愛や男女の交際にあたる技術複合体については、
 ・対人交流スキル(5)異性との交流に関する特記事項 で取り扱う予定だった。
 しかし、これを本論のほうで大真面目に長々と記述するにはまだまだ日が浅い。
 そこで、いい機会だからとりあえず2004年現在のスタンスを概略してみようと
 思い立ったわけである。




 【※2技術というよりは名人芸】

  例えば精神医学の世界でも、技術というよりもむしろ名人芸と呼ばれるもの
 がある。多くのカウンセリング、特に精神分析などがこれに該当する。
 教科書は、ある。
 ただし、教科書どおりにやればうまくいくというものではないし、教科書どおりに
 ことを運ぶこと自体がそもそも困難で、修行を積んで妙味を体得した達人ほど
 それなりの治療成績をあげることが出来る、というわけなのだ。

  逆に、技術としてある程度確立していて、誰がやっても教科書どおりの成果を
 挙げられるものの代表としては、薬物療法が挙げられる。これは、治療ガイド
 ラインに則って症状や病気に合致した処方を行えば、最低限の成果は得る事が
 出来る。初心者がやっても上級者がやっても似たような結果を生み出せるという
 意味で、『技術』と呼ぶに最も相応しい。

  こういう『技術』と『名人芸』の区別の仕方をするならば、恋愛技術なるものは
 どちらかといえば『名人芸』に近い領域だとはいえる。教科書通りにいかない
 点とか、熟練の度合いが重要とか、ベテランすら上手くいかない所もあるとか、
 自分自身の内面的問題が成果に影響を与えるところとか、なんかそっくりだ。
 とはいうものの、精神分析の手法やそのほか様々のカウンセリングの手法が
 技術と呼ばれ得るであるのと同様、この名人芸に近いものも、技術として
 考察する事は可能だろうし、全く無意味でもないだろう。

  ちなみに、技術として考察する以外にも色々な視点で『恋愛のノウハウ』を
 記述することは可能だ。技術、という切り口以外の視点で観たり感じたりする
 のも、それはそれで趣深い。



 【※3に分けて考えてみようと思う】

  今回は、便宜上このような分け方だけを呈示するに留めた。本家の適応技術
 研究では、コミュニケーションスキル或いは適応に関連した諸スキル・要素に
 対して複数の分類法を呈示し、そのうえで多軸的にそれぞれの要素について
 各論をぶちたいと願っているが、果たしてそんなことが私に可能なのだろうか。
 (とっても無理っぽい気がする。もうアホかと)
 どちらにせよ、この分類の仕方はあくまで一つの分け方に過ぎない。多面的な
 事柄は一方から眺めるだけではなく、複数の方向から様々に眺めたほうが
 実体に近い像が捉えられると、私は信じている。

 天才なら一元的にズバッと歯切れの良い体系化も出来るんでしょうけどね。