・はじめに

 私はこのサイトで“個人の適応”、とりわけ侮蔑されがちなオタク個人の社会適応を向上させるための方法について考え続けている。その視点は常に“個人の適応がどうであるか”というミクロな視点に集中しており、他人がどうなるかや、マクロのレベルで影響が出るか否かといった視点に関してはあまり考察を行ってこなかった。

 もし、このことをもって“シロクマは利己主義的だ”と指摘する人がいるとしても、それは間違ってはいない。私自身、極めて利己的な人間である事を十分自覚しており、自分の短期〜長期の適応を向上させる為の手段を選ばない。またこのサイトで議論されるべき適応向上の方法論は、あらゆる手段・経路を含むものであるべきだと思っている。さらに言えば、人間の行動遺伝学的特徴は自分自身の適応を常に最大化すべく調整されているに違いないと私は確信しており、利他行動や倫理的振る舞いも原則として当人の適応的意義を向上させる文脈に則って解釈可能なものだと信じている。

 だが、一言で“利己主義的”“当人の適応的意義を最大化”とは言っても、その様態は様々である。現に世の中の人達に目を向けると、他人に迷惑をかける事を厭わない自己中心性を発揮した挙げ句に孤立していく人から、家族や知人への恩義を忘れず強力な同盟関係を築いていく人まで、有り様は実に多彩である。このテキストでは、個人の適応を最大化するという“利己主義的”な人々の適応形態に関して、三つの単純化モデルを紹介してみる。そのうえで、それぞれの“利己主義的”モデルがどういった有効性を持っているのかや、どの程度の将来性を持っているのかについて検討し、今後の議論への一準備とする。



 ・モデル1:単純に、現在の自分の利益を最大化するように振る舞うプレイヤー

 まず、最も単純な“利己主義”として、その場その場の自分の利益なり願望なり(適応的意義)を最大化するような振る舞いを紹介してみる。

 モデル1は、その時点における自分自身の願望や要望と照らし合わせて最も望ましいと思う選択肢をひたすら選び続ける、極めて単純で融通の利かない適応形式である。世の中には、完全にモデル1に合致する人間はさすがにあまりいないものの、かなりの水準までモデル1に近い人間というのはやはり存在する。世間で言われるところの狭義の利己主義者は、おおむねこのモデル1に該当する。

 モデル1の利点は、まず何と言っても実行に際しての敷居が低いことであろう。我慢せず、自分が今欲するままに行動するにあたって、知性・悟性・節制は必要ない。心的スペック・知的スペック・他者に関する情報収集能力が最低クラスの人間であっても、モデル1に準じた振る舞いを実行することは十分に可能である。また、(暴力や威嚇などを通して)願望や要望を押しつけられる限りにおいては、その場の利益なり適応なりを最大化しやすいという点でも優れている。後々のことを度外視出来るなら、その場で最高の搾取と最高の適応をモノにすることが出来るかもしれない。極短期の個人の適応だけに注目するなら、搾取的な対人戦略は決して捨てたものではない。ゲーム理論で言うところの繰り返し囚人のジレンマに該当しない場面においては(つまり、完全なる一期一会が確定している状況においては)後顧の憂いも無く、従ってこの適応形式を選択するプレイヤーこそが個人の適応を最大化する可能性が高い

 しかし、会社や家庭といった繰り返し同じ人間と接するコミュニティにおいては、モデル1はあまり有効な適応戦略ではない。短期的には適応を最大化することこそあれ、殆どの場合、中期〜長期的には没落を余儀なくされてしまう。なぜなら、この単純な戦略を採用するプレイヤーは、周囲の人間の反発を買ってつまはじきにされてしまったり、搾取の対象を搾取し尽くしてダメにしてしまう可能性が高いからである。人間関係が交換可能なコミュニティでは相手に逃げられやすく、人間関係が交換不可能なコミュニティでは社会的に封殺されてしまう可能性の高いモデル1は、社会的状況のなかで孤立を余儀なくされるリスクを負うことになるし、事実そのようなプレイヤーは社会において孤立し、情緒的にも経済的にもたいていは惨めな生活を送っている。社会的集団を形成するホモ・サピエンスという生物種において、他のプレイヤーの協力が得られなくなっていくという事は、社会上/繁殖上/生存上相当に不利なことであり、そのリスクを引き受けつつも数十年にわたる安定した適応を維持する事は困難であろう。

 このように、モデル1に準じたプレイヤーは、短期的には個人の適応をきわめて有利なものにする可能性を秘めている一方で、中期的〜長期的に安定した適応を維持するには向いていない。ただし、一期一会の状況においてはモデル1は個人の適応を少ないリスクで最大化させる可能性が高い※1し、知的・心的スペックや他者に関する情報収集能力の低い個人でも採用可能な点には十分注目すべきである。確率論的には、おそらく、そうした知的・心的スペックに恵まれない個人で、なおかつ示威行為や腕力の素養に恵まれた個人は、望むと望まざるとに関わらず、モデル1に近い適応へと自動的に落ち着くと推定される。



・モデル2:相手の(言語・非言語による)要求を察知して譲歩・協力を呈示するプレイヤー。

 次に、もう少し複雑な“利己主義”を採用するモデルを呈示してみる。

 モデル2の“利己主義”なプレイヤーは、我が侭をごり押しするほど単純ではない。彼/彼女は、あからさまな搾取的関係のリスクを十分に心得ている。我利我利亡者である事を対象や第三者に認知されてしまった場合のリスクを避けるべく、モデル2のプレイヤーは(とりわけ繰り返し出会う事の多い他人に対しては)相手の要求をある程度考慮して行動する。言語・非言語コミュニケーションを通して対象人物の感情や意図を読み取り、自分の行動や判断にフィードバックさせる事によって、モデル1の人間が被るリスクを最小化するというわけである。ただし、対象からのネガティブな反応がない限りにおいては、彼/彼女はその時点における自分自身の利得なり適応なりを最大化させようと努める。これによって、遠慮のしすぎに伴う機会の損失をも防ぐことが出来る。

 モデル2の“利己主義者”の利点は、何といっても社会的関係の破綻を免れるという点であろう。モデル1のような利己主義プレイヤーは、コミュニティのなかで互恵的な関係を長期間維持することが出来ずに没落しがちだが、モデル2のプレイヤーは対象人物の利害や意図を想像したり、コミュニティの空気を読んだりするため、社会的に封殺される可能性が低い。このため、コミュニティ成員としての一個人は、幾らかなりともモデル2に準じた行動選択を採る。極短期的にはモデル1の人物に搾取されるリスクは負うにせよ、より安定した適応を長い期間にわたって確保できると期待される。

 しかし、このモデル2の“利己主義者”の適応戦略にも課題は残る。第一に、モデル1に比べると要求スペックが幾らか高くなる点に留意しなければならない。コミュニケーション対象の言語・非言語シグナルを的確に把握・分析するには、ある種のコミュニケーションスキル/スペックや知的判断力が要請されるし、対象の要求を呑むにあたって一定の我慢強さストレス耐性を求められることもあるだろう。これら要求スペックの高さゆえに、モデル2すら選択しきれない人物というのはやはり存在するだろう。

 第二に、モデル2は相手からの情報入力を察知したうえで(またはコミュニティの空気を読んだうえで)その場の行動を決定するわけだが、そのことを熟知した他プレイヤーの意図的かつ継続的な情報出力によって関係を規定されてしまうリスクを負っている、という事である。もうちょっと具体的に表現するなら、空気を読んだり顔色をうかがったりして行動決定しているモデル2プレイヤーに対し、十分に賢い他プレイヤーは“生かさず殺さず”のぎりぎりのラインを突いてみたり、少しづつ搾取のレートをあげていったり出来るかもしれない、となるだろうか。特に、相手からの情報入力に対してpassiveに判断するようなモデル2利己主義者は、“このひとはこういう人なんだ”という理解やら関係規定やら巧妙に押しつけるプレイヤーに対して脆く、個人の適応を維持・向上させることが困難になりやすい。

 第三に、モデル2のプレイヤーは、慎み深く他者配慮に富んだ人間に遭遇した際には、モデル1プレイヤーと同様に相手を食い尽くしてしまうであろう点にも着目しておく。モデル2プレイヤーは、(前述の通り)対象の要求を察知し、それに応えて譲歩するような適応形式なわけだが、世の中には自分自身が破綻するぎりぎりまでSOSを出さず、当人もそれが我慢だと気付かないでいるような人も存在する※2。この手の人物のなかには、長期にわたって安定した関係を構築するのにおあつらえ向きの、長期適応戦略にぴったりの人物も紛れ込んでいるが、モデル2のプレイヤーは相手のリアクションが無ければぎりぎりの所まで利己主義を貫き通すため、このような好適な人物と遭遇した場合にはいつの間にか搾取的な関係を形成してしまい、相手を食べ尽くしてしまう可能性が多い。これは、短期〜中期的な適応戦略としては間違っていないにしても、長期的には有益なパートナーを失ってしまう危険性は高い。

 この、気付かぬうちの搾取に限らず、相手のリアクションに対してパッシブな探知→反応を行うだけのモデル2プレイヤーでは、長期的な適応を期待するには心許ない部分があるといえるだろう。



・モデル3:今ではなく将来を前提に、相手との関係をアクティブに規定するプレイヤー

 最後に、このテキスト内では最も高度な“利己主義的”適応戦略を展開するモデル3を紹介する。

 モデル3を全面的/部分的に採用するプレイヤーは、これまで紹介したタイプの利己主義者達よりもさらに用心深く振る舞おうとする。彼/彼女はモデル2プレイヤーと同様、コミュニケーションの対象の利害や意図に敏感ではある。勿論、コミュニティを支配する空気(或いは政治的動向)にも目配りを利かせる。ただし、コミュニケーション対象に対して、
A.対象の利害や意図を知って反応する際、対象への配慮が自分との関係をどのように規定していくのかを考慮しながら反応する
B.対象の利害や意図が十分に呈示/察知されなかったとしても、自分の利己的選択の繰り返しによって対象の適応及び良好な関係が損なわれてしまわないか先回りして考える
という点で、より複雑な行動選択を行っている。

 まず、Aの特徴によって、モデル3プレイヤーはコミュニケーション対象と自分との関係が隷属的なものになってしまうリスクを回避する。少なくとも、回避しきれないにしても程度のマシなものに近づけることはできる。より単純なモデル2プレイヤーの場合、(涙のような)わかりやすいシグナルを最も狡猾に発信する人達によって操作されてしまったり、隷属的関係に甘んじたりする可能性が高い。例えば人前で女の子に泣かれた時、モデル2プレイヤーはその場の体裁なりを取り繕うべく、まずは泣いた女の子に対して手をさしのべてしまい、その事が自分と女の子との関係をどのようなものへと導いていくのかまでは予想しない。対してモデル3プレイヤーは、手をさしのべる行為が自分とその女の子との関係をどのように規定していくのか予測したうえで対応を決定する。例えば、もしそこで手を助けることが以後の女の子と自分との関係に少なからぬ禍根を残すとするなら、モデル3プレイヤーは一時の体裁の悪さをコストとして支払ってでも女の子の手を振り払うことだろう。極端な場合、よりアクティブに、女の子に対して「消えろ!」とさえ言い放つやもしれない。その場を取り繕うこと(=短期的な適応を向上させる)ことと引き替えに以後の関係性に影響が出る(=長期的な適応が阻害される)可能性が高いならば、モデル3プレイヤーは(passiveなモデル2プレイヤーと違って)先制攻撃すら含めたより大胆な手をうつ可能性がある。その場の適応への影響を算定するだけでなく、その後の適応への変化率をも考慮したうえで行動を選択するのがモデル3プレイヤーである。

 また、Bの特徴によって、モデル3プレイヤーは協力関係を結ぶに好適な人間を搾取しすぎないように配慮し、従ってそのような好ましい人間との好ましい関係を長期的に維持しようと努める。モデル2プレイヤーの場合、コミュニケーション対象からの不平不満が観測されない限りは無邪気に搾取的な関係を進めていく可能性が高く、結果として“伐採しすぎて山を台無しにしてしまう”危険を抱えるが、モデル3プレイヤーはそうしない。もし、コミュニケーション対象が不平不満を言わないお人好しだとしても、彼/彼女はコミュニケーション対象への要求を一定水準以下に抑えるだろう。なぜなら、十分に好ましい対象との関係であれば、それぐらいの配慮をしたとしても関係さえ維持出来れば長期的にはpayする可能性が高く、十分に聡いモデル3プレイヤーはその事に気付くだろうからである。多くの場合、“お人好しプレイヤー”達は嫌なことがあってもそう簡単にシグナルを発信してくれないので、SOSが出る頃には既に手遅れになっている事が多い。なので、不平不満を観測する前から予め配慮しておかなければ、気付かぬうちに相手を搾取し尽くしてしまう可能性があり、モデル1やモデル2のプレイヤーではこのリスクをまず回避出来ない。

 例えば、我慢強く何でもやってくれる恋人をみつけたモデル3プレイヤーは、相手の献身性に乗っかりすぎず、予め(比較的)均等な持ちつ持たれつの関係を模索する。そうすることで、長期化するだけでも十分有り難いような関係が潰れるリスクを回避し、関係をさらに盤石且つ長期的なものに育てようとするだろう。この戦術は、対象の献身性に依存せずに自分自身も積極的にお返しをしていくことによって、自分と対象との関係が主人−奴隷関係に堕ちてしまう事を防ぐことが出来るという点でも優れている。自分が対象にもたれかかり、対象が何でもやってくれるという関係が規定されていくという事は、確かに短期〜中期的には適応を最大化するし、世の中にはそういう献身的な人物がときどき転がっている。だが、これは長期的にみても安定しやすい関係と言えるだろうか?もし、モデル3プレイヤーが自分とコミュニケーション対象との関係性に十分敏感ならば、おそらく彼/彼女は長期的にも安定しやすい関係性の構築に意を用いる筈で、主人−奴隷関係を選択することはあり得ないだろう。コミュニケーション対象そのものor対象との関係が破綻した時のダメージを計算にいれるならば、主人−奴隷関係に近づくような関係構築は長期的に安定したな適応戦略には向いていなさすぎる。

 このように、モデル3のプレイヤーは、長期的に自分とコミュニケーション対象との関係がどのように形成されていくのかを先読みしながら行動選択する為、モデル1やモデル2プレイヤーに比べて長期的に安定した適応戦略を形成しやすいと考えられる。勿論、実際にはモデル1やモデル2にみられるような戦略と適時組み合わせて運用していくのが好ましい筈で、モデル3のとりわけB.のような戦略は相手を十分に選んだうえで実行すべきものと言えるだろう。ただし、モデル3を適切に遂行しようとすればするほど、莫大な能力が要求されることは言うまでもない。コミュニケーション対象の意図なり利害なりを把握する能力も、自分と対象との関係がどのように導かれるかに関する未来予測も、ついつい甘やかしてくれる相手であっても甘えすぎずに対象との関係なり距離なりを適切なレベルに調整することも、いずれも膨大なスペックなりスキルなりを要するものであり、ましてや完全な水準で達成するのはお釈迦様でもない限り不可能である。

 しかし私は、このモデル3のような関係性をも考慮に入れた長期的戦略こそが、人の世のなかで個人の適応を高水準で維持するうえで真に必要なものでないかと考えており、能力の及ぶ限り、モデル3のような先見性に基づいて適応戦略をマネジメントすることこそが結果として個人の適応を最大化し得ると主張してみたい。ここまで来るともう、世間一般で言う“利己主義”という言葉よりは“利他行動”“互恵的行動”という言葉さえ似合うかもしれないが、だとしても、長期に渡って己の適応を最大化しようとするプレイヤーは、自ずとモデル3的な――つまり対象との関係に十分留意し、好ましい相手とは好ましい関係を盤石のものにしていくような――戦略を採択すると推定される。



【まとめ:“利己主義者”が適応を向上させようと意図すればするほど、射程距離の長い視点が必要になる】

 もし、あなたがある程度以上の知的・心的スペックを保有している者なら、あなたのできうる限りにおいて自他の関係を長期的に予測し、アクティブに関係を構築することが望ましいだろう。出来る限りの遠い未来まで&出来る限り正確に、自分と他者との関係の未来を類推したうえで、これからどうなっていくことが望ましいのか、分析・予測し、それに則ってアクティブに二者関係(または自分とコミュニティとの関係)を規定していくように努めるのが適当だ。その場の利害だけに縛られるでもなく、その場の相手の反応だけに惑わされるでもなく、中期〜長期的にみていかに自分がコミュニケーション対象と適切な関係を築いていくのかに意を用いてはどうだろうか。

 今回、モデル1→モデル2→モデル3という単純なモデルを紹介したのも、“結局、より遠く&より正確に未来を予測しながら行動した者が適応巧者になり得る”“最も自己中心的な適応至上主義者が、ときに最も互恵的な関係を構築する”という点を強調したかったからである。モデル1〜3は現実の人間の適応としては単純すぎるものだが、洞察の射程距離の長短次第によって、個人の適応の長期的安定性が左右されやすい事を理解する参考にはなると思う。利他的な振る舞いと利己的な振る舞いのメリットやデメリットを踏まえつつ、モデル1〜モデル3のそれぞれの適応戦略を組み合わせた最良の適応を選択したい。










【※1個人の適応を少ないリスクで最大化させる可能性が高い】

 この事を端的にあらわしているのが、近年その傾向が著しい、public spaceにおけるDQN的適応の蔓延現象だと私は考えている。知人縁者に対してはある程度の譲歩を行いつつも、現代都市空間のpublic spaceにおいては徹底した搾取者として振る舞う戦略は、殆どリスクを負わずにその場におけるコストを最小化(またはメリットを最大化)することが可能である、少なくとも警察のご厄介にならない範囲においては。現代都市空間のpublic spaceにおけるコミュニケーションは一期一会に限りなく近いので、このようなDQN的メソッドが有効性を持ち得るようになってしまったのだろう(旧来の農村社会のpublic spaceではこうはいかない)

 知人縁者に対しては一定の譲歩カードを呈示しつつも、一期一会の状況では可能な限り威圧的に搾取的に振る舞うDQN達の“卑劣な戦略”を、私達は嫌悪感の故にしばしばバカにしてしまいがちだが、実は現代社会に適合した合理的な戦略として十分注目すべきではないかと、私は考えている。

→[参考]:DQNという個人の適応形態の再評価――public spaceにおける暴力の復権





 【※2何とか友達ぐらいはつくれるかもしれない】

 こうした、お人好しにもみえる人物は、いないようでいるところには確かに存在している。この手の人達は、(おそらくは幼少期に形成された処世術によってか、防衛機制によって)極めて献身的・他者配慮的な適応戦略を採用しており、様々な方面でありがたがられてはいるが、一方でモデル1に代表されるような搾取者に引っ掛かって奴隷奉公していることも少なくない。