このサイトのnerd studyに所属するhtml群では、侮蔑されるオタクがコミュニケーションスキル/スペックを向上させる方法論や、コミュニケーションスキル/スペックが無い事によって被る可能性などを主な論題としている。しかし、絶対にコミュニケーションの技術を向上させるべきであるとは一言も言っていないし、今後も言うつもりはないだろう。あくまで「あなた次第」が基本姿勢である。

 そこで、ここでは「コミュニケーションスキル向上を選ばない・諦める」という、思い切った選択肢について考えてみる※1



【諦める、という事】

 諦めるという言葉からは敗者を連想する人もいるかもしれないが、この問題に関して、一方的にそう決めつけるのは早合点ではないかと思っている。自らのコミュニケーションスキルが最早いかなる挽回をも許さない状況にあり、かつ今後死ぬまでの間にコミュニケーションスキル不足に伴う不利益を甘受してもそれに勝るメリットがあるというのなら、むしろ積極的に諦めるというのが理性的な展開だろう。そうでないとしても、コミュニケーションスキルを獲得する必要がそれほど無く、人付き合いの限られた生活がずっと続いても別に構わないなら、わざわざ人付き合いに達者になる必要などない。

 諦めるか否かを検討する際におそらく判断材料となる要素について、ここで列挙し、それぞれについて考えてみようと思う。


・どれだけのコストをコミュニケーションスキル向上に要するか。そしてそれに耐えられるか

 経済的・時間的なものも含めた損失が大きすぎて、自らの生活を脅かすほどであれば、変革を躊躇するのは当然だろう。必ず期待通りのコミュニケーションスキルが手に入るという確証が無い以上、どこまでこのチャレンジに投資できるか見積もる事は、大切なプロセスである。(たとい背水の陣を敷く場合も)現時点で何か守るべきものがあって、しかも今の自分にはコミュニケーションスキル向上の見込みが絶望的に低いと判断する場合、現状維持を選択するのは決して非合理とは言いきれない。

 また友人関係でも、オタク脱出の為に様々な場所での知り合いを拡大し、エネルギーを投じるあまり、古くからの理解ある仲間を失うリスクがある。付き合いが悪くなる可能性に加えて、あなた自身が変質してしまって相手と話を合わせることが辛くなってくるかもしれない。これも立派な損失なわけで、これらの損失リスクに耐えられるかどうかや、耐える覚悟があるのかどうかは十分検討する必要があるだろう。さらに、その損失をどの程度回避できるのかも、併せて考察するのが適当と思われる。


・今後コミュニケーションスキル向上が自らの生活にどれだけ必要か

 どの程度コミュニケーションスキルを向上させたいかは人それぞれで、要する労力もそれぞれだろうが、いずれにせよ大変な試みなのは間違いない。そこまで大変な思いをして、得るモノはいったい何なのか。本当に自分に必要なのかを熟慮した結果、大して必要でもないと考える人もいるはずだ。

 例えばあなたがエロゲームの求道者であり、ディスプレイの中が全てだと断言するのならば、どんな服装だろうと友達がどうだろうと気にする必要はないだろう――あなたはゲームさえあれば何も要らない人なのだから――。

 このような場合、現状のコミュニケーションスキルに甘んじるのは合理的な選択である。ここまで極端な場合はいっそ稀だろうが、そうでなくともコミュニケーションの向上にこだわる必要性をあまり認めず、さらに今後も認めないであろう人間が多数存在する事は、十分予測される。


・逆に、コミュニケーションスキル向上に伴うデメリットはどれだけか

 コミュニケーションスキル向上に伴う人間関係の拡大は、逆に言えばこれまでのようなオタクコミュニティに全能力を費やす生活を不可能とする。顔が広くなった交友関係を維持しようとするなら、付き合いであちらこちらに己のパワーを分散されるからだ。

 また興味の幅を広くする事も、余程の能力の持ち主でない限りはこれまでメインにしていた趣味に対する情熱や時間を奪い去る事になる。これまた己のパワーを分散されるからだ。それはどうしても困るという人の場合は、コミュニケーションスキル向上は逆にデメリットとなる可能性がある。

 もちろん、スキルを獲得するだけ獲得して、また元の生活に戻るという場合はこの限りではないが、そういう人は、まだ見たことが無い。


・コミュニケーションスキル向上以外に自らの能力を充てた場合、メリットがとても大きい

 上記を繰り返す形になるが、もし同人誌制作であれ何であれ、自由時間と能力を今頑張っている特定の趣味に費やす事で、自分なりに得るところが大きいと判断するのなら、それを大事にしようと考えるのは至極当然だろう。特に、真にその道の向上に邁進したいと考える求道的な人達にとって、縁のないタイプのコミュニケーションスキルは無駄と感じられるかもしれない。コミュニケーションスキル向上に費やす時間や労力が惜しいと思う場合は、これを諦めるという判断に至る事もごく普通の思考の成り行きだと考える。

 余談だが、様々な視点から求道対象を俯瞰する事も重要だと考える、そういう求道者は、コミュニケーションスキルを身につけて外の世界も知っておき、現在ハマっている対象を少し相対的に評価してみようと試みるかもしれない。この場合は、コミュニケーションの技術をある程度維持しておいたほうが都合がいいだろう。


・自らの能力(知能や体力だけでなく、時間や根性・状況等も含む)の見積もり

 自分には無理だと思って諦める事もあるだろう。例えば仕事に追われて時間がない場合や、経済的に他の分野に進出する余力が一切ない場合。妻子を持っているならば、家族の為に自分を犠牲にしなければならない時もあるし。

 ただし、この判断を的確に行うのは相当に難しいと思われ、正直どこまで宛てに出来るのか不確かなので、案外無視してもいいのかもしれない。自分自身の限界設定がここまでと明確に規定するのは、非常に困難だ。近頃のオタクの中には、自らを甘やかす事や自己欺瞞が得意なオタクが多く、秋葉原を跳梁跋扈しているオタクの大半(もちろん全部ではない)は、辛い努力より楽で楽しい事を追いかける事に夢中な無頼漢である。

 秋葉原の或るエリアでは、自分では(侮蔑されるオタクをやめるのは能力的に)無理だと思っているが、実際は単に失敗するのが怖いだけの臆病者を観察する事が出来る。見ただけでは偏見に過ぎない場合が多々ある(これこそ見た目だけでは識別は極めて困難である!)ので、イロイロと深く調査してみると聞こえてくることがあるやもしれない。


 以上、今の私に考えられる要素について列挙してみた。これら諸々の要素を検討して、どう考えても今の生活を守ったほうが利益に叶っているというのなら、積極的に「放棄する」事が選択されるだろう。

 18歳未満はともかくそれ以上の年齢では、どのような生活をしてどのような生き方をするのかは法律上は自由である(触法行為や迷惑行為はダメだが)。或る個人の生き方は、誰かに強制されるものでも縛られるものでもない。むしろ、紋切り型の範疇的な価値体系に飲み込まれて生きる事に潜む危険にも留意すべきかもしれないし※2

 全て自らの能力と意志によって行動が決定される以上、たとい「汚いオタ」と呼ばれるリスクがあったとて、それが自らの意志で選んだものだというなら、それはそれで立派な決定であり、強制されて何かをやるより余程価値のある選択とも言える。周囲が何をいうかは別だが、本人にとってはこの上ない価値ある選択だ。もちろん、その後の事も自己責任として引き受ける用意があるなら、だが。コミュニケーションスキル獲得にをかかるコストを、他の事に費やしたいという意見は尊重されて然るべきと考える※3

 さて最後に付け加えておく。

 ここでは諦める事について書いたわけであるが、諦める事というのは即ち、これからもずっと侮蔑されるオタクとして生きていくという覚悟を意味する。あなたは30歳になっても多分オタクだし、40歳になってもオタクだろう。それも、周囲の同性異性から相手にされにくいような、そういうオタクである。単にオタク趣味が好きだとか、オタク趣味に造詣が深いという事はあまり関係ない。コミュニケーションの不得手なオタクである限り、いずれにせよあなたは外に侮蔑の視線を、内に自意識の葛藤を抱えることだろう。

 諦める以上は、これからもコミュニケーション能力の向上・回復は簡単には望めないばかりか、むしろさらなる衰退を招く可能性が高い。そして加齢に伴いその遅れを取り戻すだけの機会も、脳の可塑性も失われていく。だから完全に諦めるという事は事実上、オタクとして以外の生き方をせず、オタクでない人々との交際が一生制限されると覚悟はしたほうがいい。あなたが主体的に、一般人から侮蔑されるようなオタクをやっていて、何か求道するものを見いだしてライフワークにするのなら、こんな書き込みなど歯牙にもかけない事と思うが、そうでない柔弱者のオタクは、以下をよく読んでから、本当に諦める事を検討してください。

侮蔑されるオタクとして生きていく事を、神と悪魔に誓うと得られる数々の特典

・あなたは無限のオタク的愉しみやオタク趣味の邁進に全力を尽くす事が出来ます
・あなたは現実の異性との恋愛が出来ませんし、自分と同じ趣味以外の同性との交遊もますます困難になっていくでしょう。
・あなたがオタク狩りに出会う危険率が、たぶん高くなります。
・あなたは街の中で汚いものをみるかのような視線にさらされ続けます。


 強い意志のオタクはきっとこんな文章にはびびらないだろうし、むしろ自らの意志と展望が確固としている事を、この場で再認識するだろう。だが、単に意志薄弱でオタクをやめられない人は、上の文章を読んであまりいい気分にはならないと推測される(そしてこの文章を読んで反動形成的に心地よさをさえ装うかもしれない)。しかし、柔弱者のオタクは、諦められない反面、何か新しいものも始められないからこそ柔弱者というわけで、オタクだろうがそうでなかろうが、意志の弱い人間は結局のところは負け組になっていく、という仕組みだと捉えるべきなのだろうが‥‥。


 ※2006年補足:世渡りに占めるにコミュニケーションスキル/スペックの必要性は、当初私が思っていたよりも益々必須になりつつあるような気がします。やはり、諦めるからには不可逆の覚悟と大いなる代償が必要と考えるべきでしょう。よくよく考えて舵をきりましょう。






【※1思い切った選択肢について考えてみる。】

 ここでは「諦める・選ばない」と書いてあるが、これは選ぶ事に対する反意語という印象を与えかねない。より公平な表現を期するならば、「現在の生活を守る」「趣味に邁進する」等の否定語の入らない表現の
ほうが妥当だとの指摘も受けた。しかし、この否定語を入れない文章にすべてを切り替えるだけの語力が筆者に無いと思われる為、表現を変更する事は断念した。申し訳ない。





【※2留意すべきかもしれないし。】

 ごくごく一部の短絡的なオタクに対して、この場を借りて警告したい。オタク趣味を大切にする事で世間に背を向ける事こそが、紋切り型の範疇的価値体系に飲み込まれる事からの脱却だと思うのは、まだ早い。オタク趣味に没頭する人々の中にも、情けないほど世俗に飲み込まれ企業に踊らされ没個性的でチープな人々もいるし、オタク趣味とは全く無関係に、歯車だらけの世界の中で個性の灯火を大切に守り、発展させている人々なんていくらでもいる。

 もしも「オタクさえやっていれば世間のつまらない連中と自分は異なって、ユニークで個性的な存在でいられる」とだけ思っているなら、そしてそれを本気で思っているのなら、たいした識見だと言える。

 気の毒だが。





【※3尊重されて然るべきと考える。】

 しつこすぎて書いていてうんざりするが、このサイトはオタクの善悪・コミュニケーションスキルの善悪について論じる為の場所ではない。もしもあなたが自らの意志で「放棄する事を選んだ」のだとしたら、その決定は大事にして欲しいものだと祈念する。もちろん、その際に充分な省察を経る必要はあるわけで、どっちにしても安易に選択肢を狭めるのは危険だろう。既に諦める事を決意した勇者達が、己の道を完遂する事を、心から願う。