・Jさんの家族背景と幼少期

 私は地方都市に生まれる。物心ついた時には、両親のケンカしているところを見て育った。主に金銭的な理由からではあるが、時に私に話題が移り、私の事でもケンカになった。当然、私もとばっちりを受けた。両親は私を可愛がってくれたが、私にかける期待は相当のものだったのか、スパルタ的な教育に変わっていた様に思う。いつしか私は両親の顔色を見るようになっていた。機嫌のいい日は和気藹々とした雰囲気だが、どちらかの機嫌が悪いととばっちりを受けるからであった。

 保育園時代は幼馴染の友達と遊んでいた。
遊ぶのは好きだった。しかし、ケンカがとてつもなく弱かった私は、自分より弱い相手に意見を言い出せなかった。暴力をふるわれるのが嫌で、クラスの人気がある男の子(足が速くてカッコ良かった)に従っていた。

 この頃には、『他人の顔色を伺う』という行動をとっていた。




小学校入学後

 小学校に入学する。宿題が出ても授業に集中出来ずに、ドコが宿題か分からなくなり、親に酷く叱られることが多かった。自業自得ではあるが、この頃から両親が本格的に恐怖の対象になっていった。成績は最低を維持したまま6年生へと進級していった。小学生時代は、足が遅い、体育の時間の着替えが遅い、奇声を上げて校内を走り回る等の行動により、女子生徒からトコトン嫌われていた

 小学6年生になったある日、クラスメイトと話した時に「うゎ!お前の口、くせぇ!!歯ぁ磨いてんのかよ!!!」と言われ、更にその事を授業中に担任に話されてしまい、担任からも「異常な臭い」と言われてしまった。この事がきっかけで、他人との会話が怖くなってしまった。歯はしっかり磨いていたが、そう言われた事によってものすごく「臭い」という言葉に過敏に反応するようになっていった。






 シロクマ注:

 オタク趣味に没入していく以前のJさんの日常が浮かび上がってくる、鬼気迫る文章です。まともに受容され得ない幼少期を過ごしたJさんの人格形成と処世術の原型形成は、おそらく極めて“不利”なものになってしまっていると推定されます。こんな状況下で、自分自身の感情表出がマスター出来るでしょうか。他人の顔色よりも自分の快感を素直に肯定出来る子になっていけるでしょうか。

 小学校以降の友人関係のなかで、そういった肯定的体験や理想的な友人関係を手に入れれば、心的状況を挽回できたかもしれませんが、そうは問屋が卸しませんでした。周囲の人達に褒めて貰うにあたってのリソース(足の速さとか、そういうものです)もなく、円滑なコミュニケーションも行えずにびくびくしたJさんは、むしろ追いつめられていきます。奇声をあげて校内を走り回る行動も、そんな中で自分を誰かに受け止めて貰いたいが為の必死のメッセージだったのかもしれません。

 思春期自己臭恐怖症の出現も、外からの中傷がトリガーとなったとはいえ、受け容れがたい自己像を防衛する為のよりしろとしての適応的役割を果たしていたのかもしれません。そうやって、受け容れられない自分を自己臭のせいにでもして防衛しなければ、心的ホメオスタシスを保つことが困難だったのではないかと思います。このように、Jさんは前途多難な滑り出しを迎えています。






・Jさんの中学時代と、運命のラジオ番組

 中学1年生になった私はCD・MDラジカセを買ってもらった。色々なラジオ番組を聞いては自分の世界に浸っていた私だったが、友人の家で読んだ少年漫画雑誌で声優のラジオ番組(林原めぐみの東京ブギーナイト)内で、その雑誌で連載しているコミック(ワイルドハーフ)のラジオドラマをやるという告知がされていたのでした。早速、その番組をやる日に夜中まで起きて聞きました。その声優の名前はテロップでチラッと見たことがあったため、すぐにその番組の虜になってしまった。

 翌朝、友達みんなにその番組を聴くように言ったのでした。結果的にみんながその番組にハマり、私自身も、「声優」という新しいジャンルの開拓が出来たのでした。それからと言うもの、みんなで「声優」に敏感に反応するようになり、少ない小遣いで声優さんのCDを買うようになりました。中学生と言えば、服に気を使い始めても良い頃なのですが、その頃の私は、服なんて着れれば何でも良かったのです。

 とにかく、声優。
そこから派生して「アニメ」。そのアニメの原作が見たくなって「マニアックな漫画」。と、深みにはまっていました。私は剣道部に所属しており、毎日の練習で疲れ、汗をかくにもかかわらず怠け癖もちょうど良い具合に出て、体と頭を1週間に1〜2回しか洗わないという生活リズムも完成したのでした。しばらくして私はクラス内の女子生徒達から「臭い」と言われ出しました。しかし男子生徒達は普通に接してくれていたので気付くことはありませんでした。

 中学3年生になり、思春期真っ盛りの年頃、「付き合う」という行動を一部の生徒達は始めるのですが、私には興味のないことでした。というか、誰かが告白してきて付き合えるという考えを持っていたので自分はオタク道をひたすら走っていました。結局、言い寄ってくる女子がいるどころか、話しかけてすら貰えなかったですが・・・。進路は簡単に入れる私立の高校を選び、合格し、入学前の春休みはアニメとゲーム三昧の日々を送りました。

 そしていよいよ高校生活が始まった。



高校入学→高校デビュー

 高校一年生、同じ中学から入った友達とは別のクラスになってしまったけれど、何とか友達が出来て一安心の私は、高校生活を満喫していた。このころ、色々とふざけたりしていて、周りから面白いやつだと思われていたらしく、男子からも女子からも話しかけられて「お前って何でそんなに面白い奴なの?」とか言われたりしていた。丁度、携帯電話を皆が買う頃で、アドレスを聞かれまくったりしたし、クラスの可愛い女の子にもアドレスを聞かれるくらいになっていた。

 私は携帯を買ってもらってなかったので、アドレスを教えることは出来なかったけれど、とても嬉しかったことは記憶している。夏休みに家に「皆で海行くから行こうよ」と、電話が来たりして、私は最高の気分でいた。

 だが、夏休みが終わると、ある程度クラス内の派閥が出来上がっていて、私はアニメやゲームが好きな友達のいるグループに入った。皆、慣れて来ると、陰口が飛び交うようになり、私への陰口も飛び交っていた。私は偶然にもそれを聞いてしまい、愕然とした。中学時代に言われた、「臭い」という内容の陰口だった。私は、気分転換に、学校が終わった後でバイトを始めた。当時、発売したプレイステーション2を買うためにお金が欲しかったし、貯金もしてみたかったから。スーパーマーケットのバイトに合格した私は、そこで高校卒業までバイトすることになる。

 陰口はエスカレートし、表面化しだした。私以外にも言われている子はたくさんいた。ストレスが溜まった私は、貯金を使って無駄遣いをしてストレス解消をするようになっていた。

 高校2年に進級し、クラスが変わり、陰口はなくなったが、下手に出て、他人を刺激しないように務めた。新しいクラスで新しい友達が出来、毎日が充実していた。たまたま隣の席になった男は私と同じオタクだった。意気投合し、とにかく語りまくった。自分の持っている知識を出し尽くして激論した。そんなことを毎日のように繰り返していた。そんなある日、彼はエロゲーに開眼し、私もその後に続いた。もう負けられなかった。何が何でもこのクラスのオタク度NO・1は私だと思っていた。ただ、彼と私には違うところがあった。私には羞恥心が湧き出していた。高校3年生時の進路調査で彼は「アニメ・声優養成学校」と書いたのだが、私は恥ずかしくてそのようには書けなかった

その時に自分の中で何かが変わった。音を立てて崩れたような感じだった。
その時私は、自分で心底自分自身を否定し、「気持ち悪い」と思った。

このまま嫌われたくない。
恋愛だってしたい。
格好よくなりたい。
では、どうすればよいか?
「身の回りを清潔にして、服装を変えてみよう。」
考えに考えて出た対処法はそれだった。




 シロクマ注:

 自分自身のメンタリティを補強してくれるツールとしても、友達と繋がったり共通の話題・価値観を持つにしても、Jさんにはおそらくオタク趣味しか残っていなかったのでしょう。もちろん、Jさんには流行のJ-POPを聞いてみる権利もありますし、部活動で認めてもらう権利もあったでしょう。ですが、そういったクラス内マジョリティが既にパイを確保している状況下でJさんが頑張ってみたところで、“ヒエラルキーのなかの奴隷”的ポジションを免れることが出来ません。もし、Jさんが十分なリソースを持っていてクラス内で受け容れられていたなら、果たしてオタク趣味に足を染めていたのでしょうか?オタクグループに入っていったのでしょうか?このJさんの生育歴をみる限り、暴れ始めた思春期心性をなだめる方法はオタクコンテンツ以外にはほぼあり得なかったのではないかと思います。オタク趣味界隈はしばしば去勢集団と揶揄されますし、事実その通りなわけですが、どんなにスペックが低くてもどんなにリソースが乏しかろうと(思春期男子特有の)ヒエラルキーにあまり目くじらを立てず受け容れてくれるのがオタク界隈です。自意識の傷つきに喘ぐJさんが、我を忘れてコンテンツにむしゃぶりつく姿が目に浮かぶようです。

 ですが、高校に進学してJさんはオタクグループ叩きに遭遇することになります。一学期にクラス内に受け容れられていたのは、実はJさん自身に何らかのコミュニケーション上のリソースがあったからかもしれませんし、「誰が王様で誰が騎士で誰が奴隷なのか」を探り合う、まだ比較的フラットな状況だったからかもしれません。夏休みが明けた時、Jさんは「オタクグループ」というレッテルを貼り付けられ、彼自身も「臭い」と宣告されてしまったわけです。中学時代の記載から察するに、身だしなみや服装などにも問題があったに違いなく、「単にオタクグループだったから陰口を言われただけ」とは限らないでしょう。

 転機は、痛いオタクの姿で訪れたようですね。
 めきめきオタク界隈にのめり込んでいったJさんですが、「アニメ・声優養成学校」と進路調査に書いちゃうような痛いオタクに出会うことで目を醒まします。おそらく同族嫌悪が働いたからこそ、目覚めやすかったのでしょう。現実検討識を喪失するほどオタクコンテンツに依存した、重度のオタクに出会ったのは、Jさんにとって大変幸運なことだったと思います。そしてJさんは脱オタ道へと突き進んでいくことになるのです。


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