このテキストは、こちらの続きです(症例13、Mさん)。



Mさんの高校時代

 学力の低さから(笑)偏差値最底辺の公立高校に入学しました。中学の友人達とは皆、離れ離れになりました。 ここに来て初めて、自分には高校生活を楽しむためのリソースが何も無い事に私は気づかされます(小太り、眼鏡、服装、髪型、どもり‥)

 自分の心は暗黒の底に沈むしかありませんでした。誰かにいじめられるとかは無かったのですが、しょっちゅう「自分を笑う声」が聞こえていました。 自分の(肉体的な)醜さが心底嫌で、何ひとつ行動を起こせませんでした。登下校時には楽しそうな同年代達がたくさんいる。でも自分には何も無い。何も成し遂げられはしないだろう、という思いに押しつぶされそうでした。

 いつからか、シャーペン等で自分の腕等に傷を付ける行為、ブロック塀等を殴る行為(拳が痛みで動かなくなるまでやったりした)をやるようになりました。やらずには居られませんでした。痛みを感じている時は「笑い声」も少しはまぎれてたような気がしたで‥。さらに「悪夢」をかなりの割合で見るようになった。だいたい、何かに追われ追い詰められ攻撃される。しかもこっちから反撃が出来ない、様な内容でした。悪夢を見た時は必ず絶叫して目が覚めました。まあ相当現実での事が堪えていたのでしょう。自分はきっと遠くない日に自殺するしかないんだろうな、という思いが日に日に募っていきました。 学校にはきちんと通っていましたが、その頃の心象風景は今で言うニート、引きこもりと大差無かったと思います。 数少ない楽しみとしては、オタク雑誌(ポプコム、ファンロード等)を購読する事と古本屋巡り、エロ漫画、洋楽を聴くことぐらいでした。

 洋楽はメタル系をきっかけにストレイキャッツやビリージョエル、EL&P等。邦楽はブランキージェットシティを好みました。当時の音楽シーンはグランジ勢の台頭〜ブリッドポップ前夜でしたが、ちょいDQNなグランジやオサレ系なブリッドポップは敬遠していました(笑)
 ‥音楽趣味を通じて僅かながらだがクラスにも話仲間が出来ました。でも当時の自分は彼らを少し遠ざけようとした傾向がありました。もう少し仲良くすれば良かったと今でも思います(かといって当時の自分には無理な話ですが‥)

 中学時代の仲間とはたまに遊んでいましたが、充実した(充実してるように見えた)彼らを見るのは辛く、寂しく、惨めな気分でした。その頃の自分の中の鬱々とした思いを彼らに打ち明けるのは もう少し後の事です。 またこの頃、自分への慰めのため、漫画のイラストを描き始めました‥と言っても描けたのは(描こうとしたのは)人物の顔だけ。首から下は描けませんでした(笑) 何の価値も無い自分でも、絵が描ければ価値を持つことが出来る。という極めて逃げ腰、独善的、かつ独り善がりな考えが根っこにあり、本当に絵描きとして必要な資質は何もありませんでしたから‥この無駄な試みはハタチくらいまで続けました。何かもう「ヨイコノミライ」の平松さん状態です。

Mさんによる高校時代の総括

 もう本当に酷い時代でした。続く社会人初期も酷いですが、「月々の収入がある」と言う点ではまだマシと言えます。「行動力の無さ」と言う点ではこれまでの人生最悪と言えるでしょう。 今現在、「髪形」「服装」「肥満」「思考」といった問題点は全て解決してますし、解決へのプロセス‥「具体的にどう行動すれば良いのか」も解ります。でもこの頃の自分にはそれらがまったく無い。それらに至る糸口もキッカケも無い。本当に悪夢としか言い様がありません。この状態から抜け出すのには長い長い(本当に長い‥)時間が必要になりました








 Mさんの社会人初期

 高校卒業と同時に某大手印刷会社に就職しました。しかし上記のような日々を過ごし、上記のような思考の自分は当然コミュ二ケーション能力が極めて低く、周りと上手くやる事など出来るはずがありません。もう必然的に職場でイジメを受ける事になります。 どんな内容だったかはホントに陰鬱な気分になると思うので(いや、語った自分では無く聞いてしまった人が)省略させて下さい‥。

 まあ、程なく私は「自分が居なくなった方がみんなの為。自分が死ねばみんなが喜ぶ」と思うようになります。高校時代と違うのは具体的な自殺の方法を検討し始めた事です。真剣に「死ぬ方法」を考え‥そして実行しました。

「これで死ねる‥お疲れさんでした」
‥とんでもなく間違ってるし、ちったあ残されるみんなの身にもなれ!と言いたいところですが、その時の自分にそんな余裕があったら「自殺」なんて行動に出るわけがありません。
‥病院のベッドの上で目が覚めました。周りの話では丸一日以上意識が無かったそうです。色々検査を受けましたが、大きな後遺症はありませんでした。数ヶ月の間(病気という事で)休職になりましたが、年明けより会社に復帰する事になります。


Mさんによる社会人一年目の総括

 まあ‥このような感じだった訳です。楽しみと言えば‥(友人達は皆、大学生、浪人生、夢追い人etcで収入があるのが私だけだったので)週末にみんなを誘って食事に行くことぐらいでしたね(焼肉、中華etc)この頃の金の使いっぷりは今でも皆の語り草になるほどです。‥でも、自分でも本当に必死でした。毎日が「自分を自殺に誘おうとする死神」との戦いでしたから。また、職場でのいじめ関しても、自分にも原因はあるとはいえ、あそこまでやられる謂れは無いと今でも強く思います。





 シロクマ注:
 いわゆる脱オタに至る人の、脱オタ前の経緯というのは様々ですが、Mさんのソレが凄まじいほうの部類に入るのは間違いないでしょう。高校時代と社会人初期、そして脱オタ時期に相当する時期の前半を含めれば数年間、黄昏の思春期をMさんは過ごさなければなりませんでした。どれほどの辛さがあったでしょうか!確かにMさんはオタクhobby以外にリソース投下をしてませんでしたし、ある種保護された中学生時代を過ごしていたかもしれません。だからと言って、Mさんがここまで追いつめられて良い筈もないわけですし、そのような状況は憎むべきなわけですが、しかし娑婆のあちこちにこうした「いじめ」の場所が生起するのも厳然たる事実です。この「いじめ」の対象がどのような経緯で選別され発生するのかを考えると、オタク趣味以外にリソースが乏しい男子はある種の環境下で大きなディスアドバンテージを持たざるを得ない、と思います。それに加えて体格にコンプレックスを持ち、自意識の藻掻きを含んでいたMさんは、尚更ハイリスクな位置にあったと推定出来るかもしれません。本来、趣味や意識や体格をもっていじめや差別があってはならないわけですが、(今の、或いは今に限らず)コミュニティはスケープゴートを選ぶのです。

 一方、高校時代のMさんの「笑われる体験」は、女子高生達の心ない態度によって生まれ、自意識の呻きによって拡大し、ついには自傷行為にまで至ってしまいました。自傷行為が、心的ホメオスタシスを維持する為に必要とさえされていたのかもしれません。オタクコンテンツをバッファにするだけでは保たないほど苦しかった、と解します(勿論Mさんの生来上・生育上のメンタリティの脆弱性のために自傷を必要とした、と解釈出来ないこともありませんが、だとしたらMさんは脱オタに至ることもなく墜落したままだったんじゃないかな、と思っています)。とにかく当人にとっては生き地獄に違い有りません。

 なお、Mさんの自殺関連行動に関しては、内容があまりにも生々しかったので、一部シロクマが割愛しました。ご了承下さい。






Mさんのその後の軌跡

 ‥色々ありましたが、どうにか会社に復帰。部署を異動再スタートとなりました。当然、いきなり仕事がデキる奴になれるわけがありませんが、先ずは極力周囲に自分を合わせるように努めました。

 ちなみにオタク趣味はさらにエスカレートし、声優、コミケ、エロ同人、エロゲー雑誌等にも手を出しました。買わなかったのはPC本体ぐらいです。当然、自分の部屋はカオスを極め、散らかり放題です。何故かは判りませんが、疲れた、色んなものを諦めた、周りから取り残された心には2次元が効く効く!効きまくるのです!この頃の楽しみといったら‥週末、たまの休みに私の部屋で友人とダベるぐらいでした。私の実家の部屋は玄関を通らず直接私の部屋に入れたので、友人達としては、入りやすく、出て行きやすい(気を使わなくて良い)雰囲気だったのでしょう。イメージとしては漫画「アフロ田中」のそれが近いと思います。 尚、仕事がハードだったせいか、段々体重が落ちてきました。でもまだまだ小太り体型で「成果」を出すのはまだずっとあとです。

 ところでこの時代(インターネット普及以前!)まだ「脱オタ」なんて言葉はありませんでした。でも私の中には「この劣等感、焦燥感、事故不全感、散々な過去‥をどうにかしたい!でもどうにも出来ない!という悪夢ループが続いていました。どうにかしなければ!どうにかしなければならない。少しずつ‥本当に少〜しずつ「自分の改善‥脱オタ」を実践していく事になります。まあ当時は「脱オタ」という意識は無く、試みが即「結果」になる訳でもないのですが‥。まずは眼鏡を止めてコンタクトにしてみました。‥でも、すぐに気持ちが切り替わるはずもありません。

 次に‥(友人が誘ってくれたので)初めて美容院で髪を切ってみました。これは結構「変われた感」がありました‥が、完全に納得できた訳では無く、髪型の試行錯誤はこの後かなり長い期間に渡って続く事になります。今では馴染みの店も見つけ、髪型の問題は何もありませんが‥。また、初めて美容院で髪を切った直後、そのまま友人達に連れられ服選びに行きました(チョイスのは当時の自分の体型を考慮して、ちょっとルーズな、ダボッとした感じのものだったと記憶しています)これも結構「変われた感」がありましたが、そこが試行錯誤の始まりでした。本当にファッションの感覚が身に付いたと実感できたのはまだまだ後の話です。以後、服に関しては(自分では何も分らないので)お店に出向き、店員さんに話してお勧めのものを購入したりしました。勤め先が横浜だったので、会社帰りにいろいろ服屋を回りました。横浜という「地の利」も大きかったと思います。

 次第に‥本当に少しずつですが‥改善は進んでいきました。しかしまだ「決定打」には欠けていました。

 そして、24も間近な23の春の事でしたが、ひょんなキッカケで「彼女」が出来ました。結果から言うと、ひと月程で振られてしまう訳ですが(笑)まあ、会社にバイトで来てた娘なんですが‥とある飲み会で話すキッカケがありTEL番をゲットし、思い切ってデートに誘いました。んでもって初デートでキスを。次のデートでホテルに行きました。

‥ こ れ は 効 き ま し た 

 また彼女は色々複雑な過去を持った人でした(具体的に言ってしまえば家族は離散状態だったり前の彼とは死別していたり‥昔の話とは言えプライバシーもあるので略させて下さい)。彼女に比べたら自分の過去なんざ只の独り善がりも同然でした。ここに来て初めて「自分の事はそっちのけで他人の事を考える」という思考をとったのです。まあしかしそれまでの「彼女いない暦の長さ」が災いして私は暴走気味になり、振られてしまいます。振られて暫くはショックでしたが、

「今まで不可能だと思っていた事は実は不可能じゃないのかもしれない‥ていうか自分の人生これからだろ!」 という思いと共に奮起しました。

 というわけで目線を変え、社内に気になる女の子を見つけ声を掛けました。何回か一緒に遊びに行き、クリスマスデートでプレゼント交換‥なんて事もありましたが年明け早々、付き合う事無く振られました(友達としてしか見る事が出来ない、と言う事で)

 彼女は去りましたが、代わりに‥といってはなんですが運転免許をゲットしました(その子と「ドライブとかいいね」などと話してたので)転んでも只では起きるものか、と。 これ以後友達に頼んだりして積極的に(全て撃沈しますが)合コンに参加します。まあ、勇み足で尚且つ、がっつき過ぎるので撃沈するのも無理はありません。この「がっつき具合」が改善されたのは結構最近の事です(笑) また、2000年頃、本格的にダイエットに挑み、成功します(80キロ→68キロ)これにより長年のコンプレックスの一つだった贅肉は全て消えました。因みにキッカケは友人との会話で、

友「俺最近太っちゃってさ」
私「そうか。俺ももうちょっと痩せたいぜ」
友「じゃあ賭けでもすっか(笑)」

‥みたいな感じでした。相手が体重を減らしたら1グラムに付き1円払う。但し落とした体重で相殺される。と言ったルールで(笑)私は「朝昼をしっかり食べて夜は抜く」という方法を取りました。結局痩せすぎて周囲から「死ぬからもう止めとけ」ということで終了。‥あれ程自分を苦しめたカラダに関する劣等感も気が付けば無くなっていました。 そして今度は筋肉を付ける為にスポーツジムに通い始めます。‥最初は全然でしたがトレーナーに付いてもらい指導を受け、今ではベンチプレス110キロまで挙がるようになりました。今やジム通いは自分の生活の一部として続けています。

 少し時が過ぎて‥27か28の頃だったと思いますが、(オタグッズその他で)散らかり放題の部屋の一掃をしました。まとめたゴミは相当な量になったのはいうまでもありません。一ヶ月は掛かったと思います。グッズ達の「お前大丈夫みたいだから、俺たちもう行くわ」という声が聞こえたような気がして(なんちて)それまで部屋を占拠していたフィギュア関係(スポーンやらウルトラマン、仮面ライダーのガチャポンやら)や、エロ本エロ同人etcその他諸々を全て捨て、部屋は空っぽに近い状態になりました。

 そんな折、ふと読んだ「BARレモンハート」という漫画を読み、その中で「まったく飲めないのならともかくそうでないなら1本くらい部屋に酒があってもいい」というセリフに触れました、それを切っ掛けに「酒」に興味を持ち始め‥そして現在、部屋のホームバー化を進行中です。

 その後は‥2005年の末エレキベースを購入して、レッスンを受けつつジャズバーのセッションに通ったりしています。ふと会社帰りの路上でジャズ演っているバンドを見て、ああ、いいなあと思ったのがきっかけでした。やっぱり難しいし、一朝一夕には出来ない!今師事してる方は1歳下ですがキビシイキビシイ!罵声飛ぶ飛ぶ!‥でもせっかく始めたものだし、もう少し頑張るつもりです

 そして、(年も年だし、自分で家事全般をこなせるようになりたいし、ということで)今年から一人暮らしを始めました。始めるにあたって不安もあったけど今では、始めて本当に良かったと思います。‥ついこの前女性に振られた(というかアタックする前に向こうに彼氏が出来た)りしましたが‥彼女とは友人としての関係が続いてますし、その他にも女友達と言える人がぽちぽち出来始めました。がっついてた頃からは考えられない事です。

 何かと遅咲きな私ですが、まだまだ頑張るつもりです。やはり人生は楽しむ為にこそ在るべきだと思いますし。







 Mさん、貴重な体験談ありがとうございました。

 シロクマ注:
 Mさんの人生は、二十代中盤ぐらいから少しづつ変化しはじめ、今は劇的な変化を遂げました。以前から音楽という趣味をオタクコンテンツとは別に持っていたということが、別の趣味の花を咲かせることもあるのかもしれません。Mさんが仰る通り、この開花はかなり遅咲きのほうだと思います。意地悪な読者の方のなかには、「アルコールへの目覚めとかが遅すぎる」という人もあるかもしれませんが、Mさんは全くそんな事を気にする必要は無いと思います。Mさんの時間はMさんのペースで、今確かに流れているのですから。そしてその流れは急激なもので、新奇なものをMさんに沢山提供しているのですから。

 では、Mさんの人生は何をきっかけに変化したのでしょうか?要因は多岐にわたるでしょうが、以下の幾つかが重要だったのは間違いないでしょう。

・服飾や美容面での改善やジム通い、などの外見に関する具体的なアプローチ:Mさんのコミュニケーション上のディスアドバンテージを幾らか軽減し、外見コンプレックスにも好影響を与えた。

・23歳における女性との出会い:「自分もまだまだ分からない」という気づきをもたらした。また、おそらく自分自身の劣等感に絶望することを救ってくれた。多分、男女交際に関するノウハウも幾らか提供した。他の脱オタ症例でも、女性との出会いが大きな分岐点になっていることが少なくありません。

・継続的な活動:時間を含めて色々かけなければ、二十代以降の脱オタは為しにくいことがこれまでのケースから知られています。Mさんも例外ではありませんでした。

 ここまでは誰にでもありがちな所ですが、Mさんの場合を特徴づけることとして、

・転んでもただでは起きない:転んでがっかりするだけでは、幾ら失敗しても無駄に終わってしまいがちです。しかし、失敗から教訓を学んだり、禍転じて福となす素養があるなら、転ぶたびに様々なことを身につけることが出来ます。

・友人関係:中学時代からの友人も含め、Mさんの人生に多くのものをプレゼントしてくれたのは友人達だったことを忘れるわけにはいきません。苦しい時に焼き肉をおごる相手がいたこと、自宅が友人のたまり場になったこと、ダイエットを競う相手がいたこと、服装や美容院に誘ってくれたこと。いずれも友人なくしては出来なかったことです。Mさんの脱オタの周囲には友人の姿が常にありますし、Mさんはそういう人だったのでしょう。友人は人生を豊かにするものだと私は思っています。これからも是非仲良くしてください。

 最終的にMさんの脱オタは、オタクグッズとも別れる形となりました。しかし、それらのオタクグッズすらMさんの心的ホメオスタシスを維持するうえで一定の機能を担っていたことを私は忘れることは出来ません。ですがMさんにとっての役割を終えたというのなら離れたっていいと思いますし、必要な時にはいつでも戻ったって良いとも思います。とにかく、Mさんは幾つものハードルを越えて越えてここまでたどり着きました。Mさんの人生はこれからも続きますし、これからいよいよなのです

※本報告は、Mさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Kさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。