Nさんの幼少時代と家庭環境

 とくに裕福でもない、普通な家庭でした。 両親は2人とも会社員で工業系の技術職をやっていました。 幼稚園時代は自分勝手で自由きままなヤツでした。 あと、場の空気を読まない迷惑なやつだったと思います。 唯一の長所は、人見知りしないで誰にでも話しかけられるところでした。


Nさんの小学校時代

 小学校に入学すると同時にいなかへ引越しをしました。

  小さな学校で、各学年一クラスしかないところです。 そこは、地元の人同士の結びつきが強い反面、 余所者に対して排他的な態度をとるような雰囲気がありました。 私は余所者であり、そのうえ地元グループのリーダー格の子とそりが合わず、 仲間がなかなかできず、孤立してしまいました

 後になってなんとか仲間は出来ました。 ただ、このことがきっかけで、私は初対面の人に対して声をかけるのが怖くなってしまいました。 それと同時に、人間不信にもなりました。自分に自信が持てなかったのです。

 オタクになったのも小学生の時でした。 小学三年生のときに、親がファミコンを出して遊んでいたのがきっかけでした。 それ以来、友達の誘いを断ってまでファミコンで遊ぶようになります。 今思うとホントにもったいないことしたなぁと思います。

 また、ちょうどこの頃に二次創作をするようになります。 やってたのは、マリオの話ですね。 内容は、ただの冒険もので、「やおい」「カップリング」というものは一切ありませんでした。 ただ物語を作っていくのが楽しかったんです。萌えには興味を持ちませんでした。

 クラスメートにこの二次創作のマンガを読んでもらううちに、マンガを描くのが好きになっていきます。 そして、いつしかマンガ家になりたいと思い始めます。

 Nさんの中学生時代

 あいかわらず各学年一クラスしかない小さな学校でした。 しかし、中学校には他の学区の小学校から来た人もいます。 私は、小学校のときに排他的な態度をとられたことがトラウマとなり、 自分に自信が持てなかったため、新しくクラスメートとなった子達に話しかけれず、 なかなかなじめませんでした。 小学生の時に中が良かった子も、部活などの関係で違うグループに行ってしまい、 私は一人になってしまいました。

 中学校に入ってからは小学校の時と比べてとても忙しくて、 ゲームや二次創作をやる時間が自然と減ってきました。 しかし、マンガを描くのが嫌いになったわけではありません。 暇をみつけてはよく描いていました。 休みの日は、部活もなければ遊ぶ友達がいなかったため、 ゲームやマンガに費やすことも簡単なことでした。 あいかわらず、マンガ家になりたいという夢は変わりません。

 また、小さい学校で部活が少なかったので、高校に入ったら美術部に入りたいと思っていました。 もちろん目的は絵を上達させることでした。 しかしこれが、大きな過ちだと気がつくのはかなり後になってからのことでした。

Nさんの高校生時代(脱オタに至るまで)

 私はあいかわらずオタクであり、二次創作をしていました。 高校は4クラスあり、小・中よりも大きなところに行きました。 私は、あいかわらず初対面の人と話せないままでした。 クラスではどこか浮いた存在となります。

 そして、美術部に入部しました。

 ところが、入ってからすばらしく後悔しました。 絵を上達させたいと思っていたのは私だけでした。 他のメンバーはただ同人の交流を深めるために来ていました。 私はこの時、初めて同人というものが何なのかを知ります。 しかし、私は同人というものが好きになれませんでした。 周りは同人の話で盛り上がっているのに、自分だけは話に入れず・・・ 私はクラスでも部活でも孤独だったのです

 一応グループには所属していました。それは同じ部活で同じクラスの子達です。 私以外の子は、教室内で、人目をはばからず「やおい」「カップリング」などについて盛り上がっていました。 甲高い奇声を発して「萌えー!」とも叫んでいました

 そんな同じグループの子達を見ているうちに、私はあろうことか気持ち悪いと思い始めます。 また、そんなグループの様子を見ているクラスメートから冷たい視線を浴びるようになります。 そのグループと一緒にいるというだけで、その視線は私にも容赦なく突き刺さりました。 そして、一部の生徒から私はバカにされるようになります。 こうして、同人にのめり込むあまりに周りを見失った人たちをみて私はこう思ったのでした。

私、こうなりたくない!しかし私もオタクの一人であることは確かだ。こうなる前に、オタクをやめよう。 そして、自分のことをバカにしてきた連中を見返してやりたい・・・普通にクラスになじんで普通の生活を楽しみたい・・・」と。

これをきっかけに、私は脱オタをスタートします。

シロクマ注:

 Nさんは女性ですし、年齢的にもかなり若いわけですが、ある種、脱オタに至らざるを得なかった今日日のオタクさん達に典型的な経過をたどっている、と言うことができそうです。すなわち、

1.思春期突入までにオタク化していく背景としてのコミュニケーション上の問題やトラブルがあり、
2.思春期突入後にオタク界隈に漬かったなかで、自分や仲間が侮蔑されている境遇に気づく

 という流れです。Nさんの場合、小学校時代に片田舎の地方に引っ越してきて、そこでクラス内のコミュニケーションに追随することが出来なかったところから、問題が顕在化していきます。小学生が、まったく異なるルールのコミュニティに溶け込むには、かなりの負担がかかることでしょう。ここでNさんの処世を糾弾しても仕方ないでしょう。一人の小学生にとって、転校への適応は必ずしも容易なことではありません。

 そのようなNさんにとって大きな娯楽となったのが、ファミコンから入っていったオタク趣味界隈だった、ということなのでしょう。友達の誘いを断ってまでファミコンをやるというから、かなりの熱中っぷりです。マリオの同人誌、ということですが、小学校〜中学校ぐらいの男女の好む二次創作の場合(やおいやエロ同人などの)セクシャルな二次創作であるとは限りません。むしろ、ほのぼのとした作品が地方の同人誌即売会などでは散見されます。Nさんのオタ人生がやおいとは無縁の形でスタートしたことも、決して珍しいものではないと思います。中学校時代も人間関係が比較的希薄だったNさんは、ほぼ独力で、オタクコンテンツを消費しながら、高校時代を迎えます。

 高校時代の文科系部活動の幾つかが、しばしばオタク女子の巣窟となることは既に皆さんもご存知かと思いますが、Nさんの入った美術部にも、おおくの腐女子が生息していたようですね。ここでNさんは、初めてオタクとしての自分の有り様に疑問を感じ、それが脱オタへの決定的な動機付けとなることになります。周囲の目を気にしないオタク達の有様をみて、同属嫌悪なり何なりを感じ取って脱オタに舵を切った人というのはそれほど珍しくありません。また、同属嫌悪なり何なりを感じ取るにあたって、自分自身がオタクグループの成員になりきっていない、という引っ掛かりを持っていたというのも非常にわかります。もし、Nさんがオタクグループの成員にどっぷりと溶け込むことに成功していたら、ストーリーは異なるものになっていたかもしれません。美術部に入ったNさんが、美術部というオタクコミュニティの内部において、ある種の近しい関係に溶け込むことが出来なかったのか、溶け込むことをしなかったのかは、定かではありません。また、溶け込むことが望ましかったのかも定かではありません。しかし、Nさんは斯くして脱オタへと舵を切っていきます。

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 ※本報告は、Nさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Nさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。