このテキストは、こちらの続きです(症例15、Oさん)。


 Oさんの高校時代

 高校には無事入れましたが、周りはヤンキーっぽい人ばかりで正直恐かったが偶然後ろの席の男子がゲーム好きで『ファイアーエムブレム』や『ゼルダの伝説』などが好きな人でした。その男子の友達が、少年サンデーのファンであり、アニメもそこそこ見ている人で面白く、3人で楽しい日々を送っていました。
 
 部活に『アニメ部』があり、入部し、自己紹介でゲームが好き、という事で『メタルギアソリッド2』、アニメは『頭文字D』を挙げると部員は喜んで迎えてくれました。初めて、自分を認めてくれたという嬉しさはありました。部員は自他共に認めるオタクで秋葉原が聖地と言い、様々なアニメを語っていました。ここでオタクを初めて知り、少し興味を持ちました。クラスの方はオタク寄りのグループでクラスの中では外れていました。

 ですが、アニメ部の部員とは話をしくなかで、イマイチ話があわず、僕の話は消され、彼らの話題(セーラムーンとかガンダムのマイナーな話題)になっていました。彼らのリュックの中には、『ときめきメモリアル』(だっけ?)とか、マイナーなアニメグッズや資料とかが入っていました。彼らをみて初めて正直『恥ずかしい』『気持ち悪い』と思い初めました。文化祭でアニメ部はガンプラやセル画の展示でした。彼らはかなり張り切ってました。『俺はアニメが生き甲斐だ〜』みたいな感じです。僕らは『そこまでは真似できないなー』でした。

 彼らは卒業して仕方なく僕が部長をやりました。活動は後輩に任せ僕らは一般なアニメを流しトランプやUNOをしてました。マイナーなアニメや秋葉原には興味がありませんでした。文化祭は僕らと後輩で何とかしましたが、客?やアニメ部のOBは秋葉常連のオタクばっかりでアニメ部OBには正直、ムカつきました。その時からオタクにはなりたくないなと意識しました。
 
 ただその時点ではまだ『依存しなければいいや』としか思っていませんのでそのまま就職活動の時期になりました。面接分のコミュニケーションだけは何とかハローワークに教えてもらって、就職には成功しました。








 Oさんの就職後

 就職1・2ヵ月目の給料はほとんどゲームを買ってました。
 
 ただ半年ほど仕事していくとやっぱりコミュニケーションが下手くそで『自分もオタクだった』という事を思い知らされ自分もアニメ部の連中と(趣味のこだわりに関係せず)変わらないと思い、自分の生き甲斐に疑問を感じました。だんだんゲームはやらず給料はJ-POPのCDを買い始め、初めて(ゲーム以外の)音楽が好きになりました。J-POPのアーティストを見ているとカッコイイと感じ、自分もかっこよくなりたいと思い、頭髪・服装を見直しました。どこか出かけるかも知れない、いずれ車を運転するかも知れない、とも思い、イメチェン開始です。頭は茶髪にして、父には言われましたが、最初だけでした。服装はファッション雑誌を参考にしてユニクロなどで練習?して試行錯誤の繰り返しで別メーカーにも挑戦し、普通にはなりました。体型は痩せていたのでやりやすかったです。

 外見が良くなり自分に自信を持ち、少しずつコミュニケーションも良くなりました。

 ある日、ふとした事でリサイクルショップでフロントギア3段、リアギア7段、計21段ギア装備のシティサイクルをみてしばらく考えました。外見を変えたし、と言う事で1週間後、購入しました。乗りやすく、高校時代にママチャリで毎日片道7キロ走っていたこともあり、すぐに馴染めました。J-POPの楽曲をMDに入れて、思い切り遠くへサイクリング、休みたいときに休み、食いたいときに食い、ショッピングも交えて・・・優雅で健康的で最高です。バーチャルと違って、制限などなく、行ったら行った分だけある、やっぱりゲームは現実には敵わないなあと思いました。
 
 走行距離もだんだん長くなり、一日最高80キロまで走るようになりました。会社の先輩はとにかく驚いていました。これでサイクリング(兼J-POP鑑賞)が趣味として確立しました。ゲームはたまーにやりますがあまり長続きしません。結局一部売りました。

 こうしているうちにもう1年半たって今に至ります。これからも頑張って生きて行こうと思います。






 Oさん、貴重な体験談ありがとうございました。

 シロクマ注:

 さて、Oさんは進学校では無いとおぼしき高校に進学します。おそらく、そういった環境におけるオタク趣味・アニメ部の立ち位置というのは、クラス内カーストにおいて非常に厳しいポジションにあったかと思います。そういった環境だからこそ、オタクコミュニティの内側や、仲の良いグループを大事にしようという気持ちも強まるというものなのですが。

 ところがここで、Oさんはアニメ部の先輩や、文化祭で来訪したオタク達と歩調を合わせることがなく、嫌悪の目で眺めやることとなります。これはまさに同族嫌悪の類でしょう。オタクかオタクでないかを他人様が決める際の基準は、どんなオタクコンテンツを消費しているのかでもなければ、どれほど趣味分野に深い造詣があるのか、でもありません。実際に「キモいキモくない」かは、コミュニケーション可能性がどれだけあるのか・コミュニケーションしたいと思える対象か否か、に関する印象によって決められます。文章を読む限り、Oさんがこの問題に着手したのは就職後なわけですから、おそらく高校時代のOさんは、他人に「キモオタ」と呼ばれやすい状況だったのでしょう。このような状況下においては、どうしても自分は他のオタクとは違う、という心境を持ったほうが心安く、故に、同族嫌悪に陥って“自分よりもマイナーなオタクジャンルなど”を消費する人達を嫌悪のまなざしで眺めることが少なくありません。理想論を書くなら、マイノリティ同士として仲良くすれば新しい可能性が生まれる…と言いたいところですが、心的ホメオスタシスを保つためならば、本来近しい筈の文化圏の人々ともいがみ合い嫌悪しあうこともある、という状況がオタク界隈ではありがちです。この辺りの事情は、『ヨイコノミライ』などに詳しいと思います。

 なお、この文化祭でOBオタク達に嫌悪感を呈した理由について後日Oさんに詳しく質問してみたところ、
 トラブルになった一つ年上のOBは、卒業するまえはぎくしゃくしながらもよく話していました。マジギレすることは一回もありませんでした。高校最後の文化祭、秋葉原常連ではない僕らはとりあえず、アニメ部っぽい感じはしました。ところが秋葉原常連なアニメ部OBにとっては気に入らない様子でマジギレしてました。何が気に入らないかはOBの話が専門的過ぎてわからなかったです。ただ自分の理想だけ言ってくるので。いきなり、しかも初めてマジギレして来ましたのでびっくりしました。『何が悪いのか言わずに自分の理想だけ言ってきたOB』にムカつきました。

 との事でした。

 それはともあれ、この同族嫌悪がOさんの就職後の振る舞いに影響を与えていきます。Oさんなりに服飾や頭髪など、様々の点にエネルギーを用いていきます。この時点で、外からの目線からすれば、オタク趣味の有無や浅い深いなど関係ない、という事にお気づきになたのは大きいです。ここを気づかないでいると、自分はオタクじゃないと思ってオタクをやめても、全くコミュニケーション上の問題を解決せず、むしろ娯楽をすり減らしただけで終わってしまうわけですから。Oさんはそこで道を誤ることはなかったようで、周囲の人の反応も悪くは無かったようです。こうした諸々が現在のOさんを駆動しているわけですが、まだまだ若い年齢ですし、コミュニケーションや社会との接点を知っていくのはむしろこれからでしょう。正直、Oさんのここまでの話をみる限り、オタク趣味をやめたかやめないかに関わらず、コミュニケーションのノウハウの蓄積は、むしろこれからが本番といったところだとお見受けしました。しかしもし、もっと人とのコミュニケーションが闊達に出来る日が来るとすれば、かつて同族嫌悪を感じたオタク達や、そしてオタク趣味分野全般に対する複雑な心境と和解する日が来るのではないか、と期待したいところです。


※本報告は、Oさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Nさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。