生きててよかった 第2部 「pitiable passion」
Episode-11 【foetal movement/胎動】
「すまないな、葛城君。そういうわけで、君の部長としての任を今日付けで解く。」
「はい、データをハッキングされた事は確かですから、当然の措置と考えます。」
「降格先の部署は、既に内定している。」
「どちらへ?」
「渉外部所属、保安特課だ。来週にも、正式に辞令を届ける。」
「保安特課?そんな部署、聞いた事ありませんよ?」
「新設だからな。加持君のグループの活躍のお陰で、予算が急増しただろう?
それを受けて、対ゼーレ戦に備えた独自の戦闘集団を新設する。」
「‥‥。」
「人員は、戦略自衛隊を中心に各方面のプロを集める。
装備には、今の所は制限は設けない。君が、その初代課長だ。」
「ありがとうございます。お心遣い、感謝します。」
「いや、適材適所というものを考えれば、むしろ当然の措置とも言えると、
私は考えているつもりだが。」
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:
目の前に並ぶ屈強な部下達を見ながら、10日前の時田司令との会話を
私は思い出した。
適材適所、か‥‥。
第二新東京大学を出た後、軍事的な知識と手技の修練を
重ねてきた私にとって、この手の仕事はうってつけと言える。
情報部にいた頃とは違って、型に囚われる事なく私だけのやり方で、
強力な部隊を作る事ができると思う。
「特務機関ネルフへ、皆さんようこそ。
渉外部治安特課、総責任者の葛城ミサトです。以後、よろしく。」
「「「よろしくお願いします!」」」
直立不動のまま敬礼を返し、はっきりとした声で返答する新しい部下達に、
私は満足していた。
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“う〜ん‥‥これ、何だろう?”
テストが始まって、はや30分。
なかなか筆が進まない。
3回しか講義に出たことのない『アジアの歴史』の答案用紙を
前に、私は途方にくれていた。
これまでに受けた前期試験のテストは、計10回。
そのうち6つは確実に通りそうな出来で、3つは何とかなりそう、
後の一つは‥駄目だった。
で、今度のテストは『アジアの歴史』、ねぇ‥。
この授業、友達とかも全然出てないから、ノートすら回って来なかったもんね。
シャープペンをくるくると回しながら、真っ白な答案用紙を眺めるけど、
大したアイデアは何も思いつかない。
『東南アジアにおける植民地支配の移り変わりについて、
地政学的見地に基づいた特徴を簡単に述べ、さらに、
自己の考えを書き加えよ』というのが問題の題目。
いくらドイツで英才教育受けたって言っても、さすがに
東南アジアの事まではわかりっこないわよ。
もちろん授業の事なんてろくに覚えてないし。
どうしよっかな‥‥。
半ば回答を諦め、周囲で懸命に鉛筆を走らせる他の学生を眺めていた時‥
“!!”
それは、突然やってきた。
手を挙げて試験の監視官を急いで呼んで事情を説明し、私は教室を出た。
何かがこみ上げてくるのを必死に我慢して、化粧室に急ぐ。
“もう、保たない!”
「うっ!」
朝の掃除の終わったばかりの綺麗な洗面台に、吐物が広がった。
「‥‥。」
「当たるようなものは、食べた覚えはないわよね‥」
胸が少し落ちつき、口元を拭き終わった後、目の前の大きな鏡で
私は自分の顔を覗いた。
嘔吐の気持ち悪さで顔色が悪いのは、予想通り。
そして、今にも泣きそうな顔をして微かに震えていたのも、予想通りだった。
* * *
ふたつの絶望に胸ぐらを捕まれたまま試験を終え、私はドラッグストアに
立ち寄った。
“あった‥たぶん、これだ‥”
手に取る事さえ恐ろしいソレを手にして、早歩きでレジに向かう。
無表情な女性店員からおつりを受け取るまでの間、こんなものを
買いに行かなければならない自分に対する恥ずかしさと、
誰かに見られてはいないかという恐ろしさで、生きた心地がしなかった。
ありがとうございましたという声も耳に入らぬまま
店を出て、急いでハンドバッグに買った品物を隠した。
後は、とにかく家に向かってまっすぐに歩いた。
幸運にも、数分後には誰にも会う事もなく自宅に到着した。
「はぁ‥‥着いた‥‥」
玄関を上がってすぐ、ハンドバッグを開けた。
ドラッグストアの紙袋をビリビリと破いて、中からチェックワンと書かれた
プラスチック製のパック――酵素免疫測定法式妊娠診断試薬と隣に
小さく表記されていた――を私は引っぱり出した。
買ったばかりの試薬を見ていると、情けなさと恐ろしさがこみ上げてくる。
今更後悔しても遅いのに、数週間前までシンジと過ごしていた日々の事が、
思い出される。
検査をして陽性だったら、どうすればいいんだろう。
わからない。
ちゃんと、避妊してたつもりなのに。
なんで、なんでこんな事に‥。
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「既に、『補完』に必要な準備は、8割方成功した‥」
「アダムとイブに関するシンクロデータの収集も、既に満足のいくレベルにある。
後は、本人達の到着を待つのみ。」
「拉致の手段についてはどうか?」
「例のものは、既に3機が完成した。問題は無かろう。」
「ところで、08はどうした?姿が見えぬが?」
「ネルフの襲撃に会い、死亡した。」
「何と言うことだ!我々ゼーレのメンバーに、死者が出るなど!」
「我らの正体が暴かれる日は、最早遠くないということだ。
キール君、計画を急がせたまえ。」
「案ずるな。
あと一月。一月もあれば、全ては達成される‥‥。」
ピッ
キールが手元のスイッチを入れると共に、暗闇に浮かぶモノリス板が消え、
三次元ディスプレイが彼の眼前に浮かび上がる。
「ふん、くだらない連中が」
侮蔑の言葉だけを残し、キールはVIP用の通信室を出た。
この半年間に実行してきた計画について繰り返し自問自答しながら、
暗い廊下をゆっくり歩く。
ときおり警備兵達の敬礼に応えながら歩くこと数分、
厳重に電子ロックされた分厚い扉の前で、彼は足を止めた。
IDカードをスリットに差し込み、指紋のチェックを済ませ、扉をくぐる。
扉の向こうは、巨大な格納庫であった。
エヴァ輸送機や装甲車、他にも雑多な種類の兵器が無造作に並べられ、
蟻のように見える整備兵達が、それらの表面にへばりついている。
「これは議長、お待ちしておりました。例のものを、ご覧になりますか?」
「ああ、君か。ちょうどいい、そのつもりでいたんだ。」
技術部の将校に案内されるまま、彼は格納庫を歩いた。
小さく見えた整備兵達を間近で見ながら、キールは満足そうに何度も頷いた。
「皆、よく働いてくれているようだな。」
「ええ。もうすぐ補完が始まるという議長の言葉を、誰もが信じています。
あ、これです。」
将校が足を止め、一つの物体を指し示す。
それを見て、キールは驚きの声をあげた。
「これは‥‥エヴァ!?」
「いいえ、見た目は似ていますが、れっきとした機械です。
S2機関を搭載しているお陰で、何とか実用化できました。」
彼らの目の前、ややいびつな人型をした巨人が、片膝をつくような
格好で鎮座していた。肩には二門の巨大なキャノン砲が、背中には
翼らしきものと何基ものバーニアが見える。
「武装は?」
「S2機関からエネルギーを供給されるタイプの陽電子砲を肩に2門、
胴体部にレーザー砲を4門と、30mm機関砲を4門。さらに、
左右のマニピュレーターとパイロンには、ショットガンや
シールドなどの追加武装が可能です。議長の懸案だった、ATフィールド
展開についても、限定的ながらも可能になりました。」
「しかし、随分と重武装だな‥‥飛べるのかね?」
心配そうに見上げながら問いかける老人に、将校は胸を張って答えた。
「御安心下さい。既に、フル装備の状態での飛行試験にも成功しておりますし、
パイロットのシュミレーションも進んでいます。後は、余所の部署の
皆さん次第です。」
そうか、それについては安心したまえ。
力強い言葉だけを残してキールは踵を返し、彼は格納庫を後にした。
「さて、切り札の一枚目はこれで良し、と‥」
独り言を漏らした彼が次に向かっているのは、情報部の第一電算室である。
そこに、彼のもう一枚の切り札が存在するのである。
「彼女は、今日も上手く動いているだろうか?」
かつて脱色で髪を金髪にしていた女性の、現在のやつれた姿を思い出しながら、
彼は暗い廊下を歩き続けた。
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検査は、何度繰り返しても陽性だった。
手法や手順に誤りがないかを何度もチェックしたけど、全て正しかった。
あれから、無為に一週間が過ぎていった。
上の空で勉強も手に着かなかった私は、さらに幾つかの試験を
不本意な結果に終わらせた。まあ、そんなもの、この悩みに比べたら
全然だけど。
決意した私は、昨日、産婦人科を受診した。
「ええ、おめでたです。妊娠二ヶ月くらいです。」
おめでたという医師の言葉に、そのとき絶望は頂点に達した。
この世の全てが真っ暗になり、数秒後に私は失神した。
目を覚ました後、中絶について私は尋ねた。
別に訊きたくもない法律上の問題については覚えていないけど、
あと2ヶ月までなら後戻りができる事、中絶には幾らかの危険と十数万新円の
お金がかかるという事じゃしっかりと私の記憶に刻まれた。
「家族や『その子の父親』とよく相談した上で、また来てください。」
医師はそう言って、私を返した。
ああ、家族、シンジ!
誰に相談しろっていうの?
シンジに?
シンジに相談するしかないの?
ミサトや加持さんは、絶対イヤ。こういう時は、大人はあんまり信用できない。
特にミサトは。
他には‥‥ヒカリ‥‥でも、潔癖性のあの娘には、言いづらものがある。
ケンスケは、事情があるから今は無理だし‥。
シンジの子供‥私に‥産めるのかな‥‥。
この私が、母親なんて‥。
医者の話では、決断までの期限はあと二ヶ月。
「どうしよう‥‥どうすればいいの?」
誰にも頼れない、誰にも知られたくない。
だけど‥‥自分独りじゃ何も出来ない事を、私は知っている。
やっぱり、誰かに言わなきゃ‥‥‥そうね‥‥
結局私には、シンジしかいないのね‥。
→to be continued
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