生きててよかった 第1部 「生きててよかった」
Episode-12 【the end of EVANGELION】
ここはどこ?
扉の外、前と全然雰囲気が違うよ、こんなのじゃなかった。
また水の中みたい。 LCLに似てるわね、この感じは。
――それにしてもでっかいお月様。
『‥‥。』
「ファースト‥‥。」
ねえ、ファースト、なんであんたがここにいるの?
あれだけ人がいたのに、誰もいないし。
「ねえ、ここは、どこ?」
『ここはLCLの海。生命の源の海の中。』
『ATフィールドを失った、自分の形を失った世界。他人と自分の境界のない、
曖昧で脆弱な世界。』
『あなたは、それでもATフィールドの内側に籠もろうとした。』
『あの劇場がそう。
あなたは、この世界でも心を閉ざそうとした。』
『人と触れあうことでできる自分の傷、人と触れあうことで作ってしまう
他人の傷、それらが恐くて、あなたはこの楽園からさえ、逃げようとした』
「私の心の内側があの劇場?だから、出口があったりなかったりするの?」
『そう。あの時、あなたは傷つけられることを恐れて、心を閉ざした。
だから、出口も無くなった。』
『そして今度は孤独に耐えられなくなって、甘える相手を捜してここに来た。
ほんの少しだけ心を開いて、今は凭れる相手を求めている。』
「‥‥そう‥そうね‥‥。」
酷いことを言われたのかもしれないけど、不思議と怒る気がしなかった。
人形と呼んでいつも憎んでいたファーストだけど、
何故か今はそんな感じがしない。 なんでだろう?
人間以上に、人間ぽい感じがする。
あったかい。
一緒にいたい‥‥。
「ねえ、聞いていい?」
『なに?』
「私以外の人達も死んでるの?」
『いいえ。全てが一つになっているだけ。あなたも‥生きているわ。』
「でも、私、あの時エヴァに殺されて死んだじゃない!」
『そうよ。だけど、“夢の時間”が始まったから、
あなたはみんなと一つになれた。
生きる事ができたのよ。』
「私、生きてるんだ‥‥あの‥‥“夢の時間?”って?」
『補完計画。本当に沢山の人が、それで命を救われたわ。』
「これが?この、変な世界も、あの人混みみたいなものも?」
『そうよ。でも、もうおしまい。
夢は終わったの。私も‥‥役目が終わって、消えるときが近づいてきた‥。』
「よく‥わからない。」
『また、世界は元に戻るわ。
私は消えるけど、世界は元に戻る。碇君が、望んだから。』
「じゃあ、もしかして私、もう一回生きていけるの?」
『自らの力で自分自身をイメージできれば、あなたも人の形に戻れるわ』
「自分自身のイメージ?」
『ええ。』
「私のイメージ‥‥よくわかんないけど、私、生きたい。生きたいのよ。
生きて、ヒカリとか加持さんとか‥‥‥‥‥‥‥シンジとか‥‥‥‥。
もう一度会って‥みんなに大事にされたい‥。」
『それで充分よ。』
「そうなの?」
『そうよ。心配ない。』
「そうだ。
ねえ、ママは一緒に帰れないの?」
『‥‥ごめんなさい。助けて、あげられなかった。』
「そう‥‥」
たぶん落ち込んでいる私に手を伸ばし、レイは頬を撫でてくれた。
大理石の彫刻を思わせる綺麗な手だけど、
触れてみるととても柔らかく、暖かみのある手。
『もう一回生きるのは、嬉しい?』
「うん。嬉しいに決まってるじゃない。」
『自分に価値を認められないあなたでも、嬉しい?』
「‥‥そう言われたら、わからない。
私には、価値がないんだもの。」
『それで、もう一回生きて、本当に大丈夫?』
「そう言われても、わからない。
もう、辛いのは嫌。
でもね‥‥。
ここにいても、私は幸せになれないもん。
嘘でもいいから、一緒にいてくれる人が、また欲しい。」
『そんなに辛かったの?』
「‥‥うん‥だって!」
『そう‥‥今も、ママに会いたい?』
「会いたい」
『なら、碇君には?』
「あんまり会いたくないかもしれない。よくわかんない。でも、
あの人波の中で一人でいるよりは、バカシンジと一緒にいたほうが絶対よかった。
ひとりぼっちよりはあいつと二人のほうがいい、今はそれがわかる。」
『もとの世界には今、碇君しかいないわよ。
他の人は、まだ帰ってこないの。
ずっと遠く――月まで飛んでいったLCLの河を、今も漂い続けている。』
「じゃあ、私が今生き返っても、シンジしかいないの!?」
『そういう事ね。』
「加持さんとかヒカリとかいたじゃない、みんなはどうなるの?」
『碇君が、それとあなたが望むなら、みんな帰ると思うわ。
洞木さんも、加持さんも、他の人も。』
「‥‥ひょっとして、帰らないなんて?」
『そうかもしれないわね。全ては、碇君とあなた次第よ。』
「シンジと私‥‥‥なぜ、私なの?」
『あなただからよ。あなたを、碇君は選んだのよ。
世界で最初の他人として‥‥一番側にいて欲しい人として』
「シンジが、私を‥‥‥一番‥‥」
「あいつと私が、全てを決める‥‥」
『ええ。』
「ファーストは、これからどうするの?」
『‥‥私がどうなるのかは、私もわからない‥‥。』
「‥‥‥‥」
『あなた、どうするの? 暫くしてから、また来た方がいい?』
「ううん。 私、もう行く。」
『辛いことも、いっぱいあるのよ』
「わかってる」
『ATフィールドはあなたを守るだけじゃないわ。
あなたを、他人をひどく傷つける事もあるのよ。わかってる?』
「今は知ってるわ。
だけどね、私、ATフィールドなしじゃ生きていけないもん。
みんな、私を好きじゃないもん。」
『そうやって、あなたは何度も“劇場”に籠もるのね。
他人との間に作った垣根の内側に、これからも逃げ続けるの?』
「‥‥‥。」
『本当に心を委ねる事をしないで、また一人で立とうとするの?』
「‥‥‥。」
『でも、それだと、本当に寂しさを忘れることができる、
そんな瞬間も無くなるのよ。』
『あなたが碇君と抱き合っていた時に感じていたものも、無くなるのよ。』
「‥‥だから、私‥‥本当に大事な友達とか、側にいる人とか‥‥
私を本当に見てくれる人に‥‥。」
『今、あなたが心の中で思ったこと、本当にできるの?』
「うん。やってみる。」
『心を裏切られても?』
「‥‥私‥‥それでも‥一人は‥‥」
『そう、良かった。』
「うん。がんばる。」
『じゃ、行くわよ』
ファーストが、私を抱いた。
まじまじとファーストの顔を覗くのは、これが初めてだった。
いつも見るのとは違って、とても生き生きとしていて、
何というか、その、素敵だと思った。
嫌いだったから気づかなかった、それとも認めたくなかったのかな。
ファーストって、実は綺麗だったんだね。
ひょっとしたら、私なんかよりずっと美人かもしれない。
ちょっと悔しい。
あ、胸のリボン、取れてる。
「ちょっと待って。胸のリボン。」
『!?』
「えっと‥‥あった。」
何故かそれは、私の左手の中に納まっていた。
「忘れ物よ。ほら、結んであげる。」
『ありがとう‥。』
「じゃ、みんなに宜しくね。私、待ってるって」
『ええ‥‥』
「あの‥くどいようだけど、‥ファーストは、これからどうなるの?」
その言葉にレイは私から目を逸らすと、寂しげにコクリと小さく頷いた。
死ぬ前の私だったら、きっとそれを意外に思っていたかもしれないけど、
今の私には、寂しげなその仕草がむしろ当然のもののように思える。
「そっか‥元気でね。バイバイ。」
『うん』
ファーストが私をもう一度抱きしめる。
今度は‥強く私の体を束縛した。
意識が再び薄れ始める。
これで終わりなのね。
ファーストをもう一度だけ見ようとしたけど、力が抜けて首が動かせなかった。
「ありがとう、レイ‥‥」
『あなたを待っている人がいるわ‥‥‥』
黒く霞み、消えていく私の意識の中、ファーストの声が微かに響いた。
私はその言葉を胸に、心の旅の終着駅へと向かってゆく。
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夢を見ていた。
私がママと一緒にいる夢。
ママと一緒にいるとき、
私はよく笑った。
私はよく泣いた。
楽しい夢だった。
見上げるママは、とってもおっきく見えた。
キッチンのテーブルのお菓子を取る時、
ママにだっこしてもらった。
チョコレートは、すごくおいしかった。
ベトベトの手をママが拭いてくれた時に、夢は醒め始めた。
ママと別れなきゃいけないと知って、私は泣いた。
‥‥その夢が醒めた後、笑うことも泣くこともできなくなっていた自分に気づいた。
これからは‥‥私はちゃんと泣いたり笑ったりできるんだろうか。
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ママがいない‥‥
ファーストがママなの?
違う‥‥誰?
‘生きていこうと思えば、どこだって天国になるわよ。
だって‥生きているんですもの‥’
私、でも、ひとりはイヤよ。
あそこにいたときは、辛いことしかなかったわ。
毎日が、生きることが地獄だった。
あんなの、絶対天国じゃない。
‘大丈夫よ。これからは大丈夫だから。’
ほんとに?ほんとのほんとに?
私、自信なんてない。
‘恐いのね。でも、あなたは、ひとりじゃないわ。
たくさんの人が、あなたを見ている。’
ホント?
みんな、私を見てくれるの?一緒にいられるの?
嘘じゃないよね?
みんな、来てくれるよね?
‘心配ないわよ、全ての生命には復元しようとする力がある。
生きていこうとする心がある。だから、心配しなくてもいいわよ。’
‥‥‥よかった‥‥。
‘惣流さん’
え?
‘シンジと仲良くしてやってね’
こんな私だけど‥‥。
‘ありがとう‥’
もういっちゃうの?
‘ええ。あなたのお母さんと一緒よ。’
そっか、そうなんだ。
――さようなら、シンジのママ。
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『体も目も治しておいたから。』
ありがとう、ファースト。
私のもう一人のママになってくれるんだ。
でも、もうお別れね。
せっかく会えたのに。
私が生き返っても、どちらのママもいないのね。
私は一人。
家族がいない中を、生きていく。
それでも生きていけるのかな。
ファーストにはああ言ったけど‥‥やっぱり恐いね。
今、ここには本当にシンジしかいないんでしょ?
二人きりで生きていくなんて、私、自信ない。
シンジ、私の事を許してくれるかな?
ひどいことしたからね。
私を見ようとしてたのに、暖かいその気持ちを踏みにじったから‥。
それに私、シンジを赦せるのかな?
ひどいことされたからね。
冷え切った私の気持ちも知らずに、私を傷つけ続けたから‥。
いくら互いの心に垣根があるって言っても、あんなに‥。
* * *
“クルシイ‥‥”
ふたつの手が私に伸びているのがわかった。
私の首を絞めている。
目を開いている筈なのに、何も見えない。真っ暗‥。
苦しい‥‥ああ‥‥死ぬ‥死ぬのは嫌‥‥
シンジなの?
きっとそうよ。
私を‥‥殺したいの?
もしかしたら一人になるのに?
本当は、シンジも私もお互い、一緒にいたいのに?
生きて一緒にいたいって、本当は思ってるのに?
シンジ、こんなに頬、あったかいのに?
やっぱり私、赦して貰えなかった‥‥
泣いてる?
シンジ!!
涙だ‥‥。
いっぱい。
なまぬるい‥‥。
まだ私、生きてるけど‥‥。
頭、くらくらする‥‥真っ暗ね‥‥。
「‥気持ち悪い‥‥」
→to be continued
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