生きててよかった 外伝6 「KENSUKE」 (2018. 8/10〜2020. 4/25)
Episode-01 【熱き夏の日】
【2018. 8/10】[熱き夏の日]
カタカタッ ピッ
“ふぅ〜終わったぁ!”
マイコン同好会のホームページ更新を終え、通信回線を切断する。
アプリケーションのを終了を選ぶと、スピーカーから短い効果音が鳴り響いた。
ようやく俺が自由時間を手に入れた証拠だ。
まずは椅子に座ったまま両手を高く挙げ、俺は大きくのびをした。
つまらない作業に費やした時間は、約一時間ぐらいだろうか。
今日は、随分手間取ったもんだ。
この同好会の救世主だとか期待の新人だとか、先輩方の上手い台詞で部長に
まつりあげられて早一ヶ月。
週に一度のこの作業は、今じゃ単なるルーチンワークみたいなもんだ。結構情熱を
注いでやっていた時期もあったけど、それも過去の話。
まったく、ウチの部員は不熱心な奴ばかりだから、最近は更新の
ネタ探しにも骨が折れる始末。もううんざりだ。
「さてと、次は俺のページでも‥‥と。」
部室に独り言を微かに響かせてはみたが、もちろん耳を傾ける奴なんていない。
夏休みとはいえ、広い部室でパソコンを起動させているのは今日も俺一人なのだ。
エアコンの効いた自宅に篭りたがる非社交的で怠け者な連中のせいで、
この夏休みに入ってからというもの、掃除や整理整頓も備品管理もみんな
俺一人でやっているような気がする。まったく迷惑な話だが、誰かがやらなければ
ならない以上、俺がやるしかない。
心の中であれこれと愚痴を並べながら、俺はマウスの左ボタンを軽くクリックした‥‥‥。
ピッヒ
“昨日は120人か‥‥”
自分のホームページ、『AIDAショップ』のトップページを開く。
カウンターを見れば、いつもと変わらず今日も大入りだ。僅かにほくそ笑んでしまう。
ホームページに関しては、高校生が管理人だと絶対に思われないような
高いクオリティを自負している。
ミリタリーのレポートやスケールモデルに関する情報、それから
エヴァ・使徒の目撃情報を取り扱った個人ホームページとしては、
たぶん割と大手の部類に入るだろう。
“おっ、beraberaさんとこも更新したのか‥チェック入れないと。”
“この人にも気に入ってもらえたみたいだな”
“今日もとても賑わっているな。結構な事だ。”
掲示板のチェックなどをひととおり済ませ、今日も俺は満足のうちに
デスクトップの電源を落とす事ができた。
さあ、家に帰ったら、もうひと仕事だ。
何とかして今日中に、タミヤ1979年製Mig−23・1/76スケールを
完成させてしまわないと‥。
* * *
ミンミンゼミの大合唱を耳にしながら、炎天下の道を今日も一人で帰った。
部活動からの帰り道は、いつもとりわけ熱さが厳しく感じられる。
クーラーの効いた部室でパソコンをいじった後なのだから、
それは仕方がないと諦めなければならないとは思うが、
額からタラタラ流れ出る汗には、やっぱり辟易させられる。
「あ〜ダメダメ。休も。」
学校を出てまだ10分も歩いていないにも関わらず、
俺は道端の木陰に腰を下ろした。
「我ながら、情けない体になっちまったもんだ。」
額の汗をハンカチで拭いて、一休みだ。
第三新東京と違ってこの街は湿度が低いせいか、陰に入ると随分涼しいのが有り難い。
それにしても、まったく情けない!
サードインパクトの前はサバイバルゲームとか戦艦の追っかけとかを
やっていたお陰で結構タフだったのに、パソコンいじりを本格的に
始めてからはそういう機会が減って‥‥今じゃ、すっかり貧弱男だ。
こんな事ではいけないという自覚はあっても、あれこれやっている身には
体を鍛える暇も無し‥‥。
「さてと。ぐずぐずしてても埒があかないし‥よっこらせっと。」
そろそろ出発しようと思い、陽炎の立つ地面から立ち上がる。
ズボンについた乾いた砂をパンパン払いながら辺りを見渡していたとき、
ふと、こっちに向かって走りってくる人影に俺は気づいた。
手を振ってこっちに走り寄ってくる制服姿の女の子‥‥俺の名前を呼んでいる。
誰だ?
ああ、あのオレンジ色の髪は‥‥アスカだ。間違いない。
「ケンスケ〜!」
「なんだ、アスカじゃないか。」
* * *
予定変更。
喫茶店『あずさ』の窓際の二人席を占領して、
アスカは大きなパフェ、俺はアイスコーヒーで一服だ。
というわけで、目の前には今、ガラスのテーブルを挟んでクォーターの少女が
座っている。
この『あずさ』という喫茶店は、仮設住宅に住む俺達松本深志高校の生徒に
とって通学路の途中にある唯一の飲食店で、値段も手頃で味もそこそこ
旨いという有り難いお店なのだ。
だからだろう、甘い物好きのシンジとアスカが二人でパフェを食べている
光景をしょっちゅうここで見たことがある。
「‥じゃあ、アスカは、ダイエットなんてしたことないんだ。」
「しないしない!食べたいものを、食べたいだけ食べる、それが
私のポリシーよ。」
大きなオレンジシャーベットの塊を口に運び、パクッと一口で食べてしまうアスカ。
彼女の言葉通り、いつも食べたいものを好きなだけ食べているような気がする。
でも、すらりとした体のお陰で夏服もよく似合うんだから‥‥大したもんだ。
「ほかの娘が聞いたら、腹立つだろうなぁ、それって。
いつもそんなにパクパク食べて、それでそのスタイルだろ?理解できないよ。」
「だぁって、食べても食べても太らないもん。自分でも恐いくらい。」
「あの、嫌だったら答えなくていいけど、今、何キロだったっけ?」
「47。精神崩壊起こしてた頃に比べたら勿論増えたけど、
ここ一年はずっとおんなじだから、心配してないわ。」
「すごいな‥‥。」
「それにしても、乙女に体重訊くなんて、まったく遠慮がないわね。」
「あ。相手がアスカじゃね。遠慮も作法も、あったもんじゃないよ。」
「へぇ〜、言ってくれるじゃないの。まあ、あんた達3バカは特別だから
私も気にしてないけどね。
うーん‥‥今日のブルーベリーシロップ、なんか味が変ね。別の種類ね、たぶん。」
「はぁ‥‥そうですか‥‥」
そこで会話が途切れたので、俺は残っていたアイスコーヒーを喉に通しながら
パフェと格闘を続けるアスカをじっと見つめてみた。
無邪気な顔でアイスクリームを頬張る彼女は、昔ながらの赤いヘッドセットで今日も
横髪を束ねている。そのせいもあってか、女子高生になったと言っても、
それほど見た目は“あの頃”と変わらないと思う。違うのは制服くらいかな。
まあ、アスカから見れば俺だってあんまり大人になったって気はしないんだろうけど。
アスカは、俺の友達・碇シンジの恋人でもある。
二人が付き合い始めて、もう二年になるだろうか。
サードインパクト直後、シンジとアスカに再会した
芦ノ湖湖畔での出来事は、今でもはっきり思い出すことができる。
インパクトの前後に何があったのか、仲がいいのか悪いのか判らなかった筈の
二人は、その時には完全に“できあがって”いたんだ。
トウジ達と一緒に初々しい二人の“門出”を祝福してやった。
少し、手荒だったかな?アスカもシンジも、真っ赤になってたもんな。
いずれにしても、本当に良いことだと思った。
それからは、楽しい時間を二人が重ねていく様を、友人としての
距離を保ちながらもずっと眺め続けていた。
心のままに互いを見つめあう二人の姿を見ていると、なんとなく心洗われるようで、
不思議と俺も幸せな気分になれる。
だからこそ、(委員長やトウジも同じ事を言っているけど)俺も一人の友人として、
これからも二人の支えになりたいものだ。
昔は強気だったアスカも本当は弱い心の持主だって事を、俺は知っている。
シンジにしたって、鋼のような心の持ち主ってわけじゃない。
だからこそ、力になってやりたいんだ。二人の友人として。
こんな事を指摘するのは間違っているかもしれないけど、俺やトウジと
比べて、どこか変に子供っぽくて不安定な所があるように思えるんだ、
あの二人は。
互いを真摯に愛している、それ自体には、疑いを挟む余地は無いんだけどね‥‥。
「ねえケンスケ、何ボーッとしてるの?」
「え?い、いや、別に。」
突然声をかけられて、彷徨っていた俺の意識が目の前のアスカに戻ってきた。
テーブルの上に目を落とすと、いつの間にか、パフェグラスの中がすっからかんに
なっている。
さっきアスカと喋っていた時は半分くらい残っていた事を思うと、俺は余程長いこと
ボーッとしていた事になる。
「男って、わかんないわね〜。シンジも、よくそうやって私を見たまま
ボケーッとしてる事があるのよ。変なの〜!」
「へぇ〜、シンジがねぇ。そういえば、今日はシンジが一緒じゃないな。
もしかして‥また喧嘩でもやらかしたのか?」
「違うわよぉ!あいつったらさぁ、夏風邪引いて、家で寝込んじゃってるのよ。」
弾けるような笑顔で否定するアスカを見て、内心ホッとする。
喧嘩だなんて‥いくら気心が知れている仲とはいえ、危ない質問をしたもんだ。
年に一度くらい、大喧嘩をしている時の二人を思いだし、俺は心の中で
冷たい汗を流した。
「そっか、夏風邪かぁ。お大事に。あいつ、相変わらず体弱いなぁ。」
「ええ。でも、私達も風邪には気をつけないとね。」
「それじゃ、こんなクーラーのガンガンに効いた所でアイスなんか食ってる
場合じゃないよな。ほら、もう帰ろうぜ。」
「そ、そうね。嫌な事言うわね、ケンスケ。じゃ、出ましょ。」
微かにひきつった笑みを浮かべたアスカに噴き出しそうになるのを堪えながら、
俺はレジに向かった。
数歩後ろには、白い夏服のアスカ。
少し古めのデザインのセーラー服でも、美人の彼女にはよく似合うと思う。
「すいませ〜ん、お会計、別々でお願いします。」
俺達は割り勘でお金を払い終え、さっさと喫茶店の外に出た。
「うわぁ〜!熱い!!」
「そうね、もう、やってらんないわ〜!」
喫茶店の自動ドアを抜けると、やかましい蝉の鳴き声と強烈な熱風に出迎えられる。
容赦のない猛暑の中を、俺とアスカは並んで再び歩き始めた。
日は少し傾いた筈なのに、喫茶店に入る前よりも熱くなった気がする。
やはり冷たい所にいた所産だろうなと思いながら、汗を拭くために
ポケットからハンカチを取り出した。
青い空には真っ白な入道雲と、眩しい太陽。
まだ体の黄色いトンボが、俺達の目の前を横切っていく。
熱い‥‥少しは夏に手加減をお願いしたい気分だ。
「ふぅ‥‥汗、止まんない‥」
隣では、アスカが制服の胸元をさも熱そうにパタつかせていた。
目の置き所に苦労する‥‥とか言いながら、やっぱり見てしまう自分と、
それを気にも留めないアスカ。
胸元にチラリと水色のものが見えたときには、さすがに自己嫌悪を感じた。
“アスカは、友達だろ?”
“それに、シンジの彼女だし。”
“だけどなぁ‥‥”
その日の俺は、余程熱さで参ってしまっていたのだろう。
アスファルトの上で揺れる陽炎と、隣のアスカを交互に見ながら、
帰り道、俺はそんな事ばかりをぼんやりと考え続けていた。
→to be continued
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