生きててよかった 第3部 「信仰」
Episode-07 【補完計画】








 『攻撃開始準備!』

 『陸軍部隊は0050より前進を開始、ゼーレ本部への侵入する。
  我々の任務は、奴らの機動兵器を引きつける事だ。
  無茶はせず、遠距離からミサイルで攻撃せよ。』

 『了解!』

 『全機、攻撃開始!』


 午前四時、アマゾン上空にジェット機の轟音が響きわたった。

 やがて、森の眠りを醒ますすさまじい爆発音。

 まだ漆黒に包まれたジャングルに、赤黒い炎が踊った。







 約二個師団に及ぶ各国の連合軍は、圧倒的な数の差に任せて
 たちまちセントラルドグマ上層部を制圧していく。

 ゼーレ側も必死の抵抗を示すが、戦力差を前には為す術がない。

 切り札とも言うべき三機の“ニケー”についても、空軍の苛烈な攻撃を
 前に防戦が精いっぱいであり、地上戦力の漸減には殆ど役立っていなかった。





 だが、ターミナルドグマに篭もるキールはあくまで冷静だった。

 冷静さの原因は、彼の目前に存在した。

 オレンジ色の液体が満たされた、大きなカプセル。


 大人が数人入れるくらいの大きさの円筒形のガラスの中に、目と口を開けたまま
 放心する少女と、彼女の肩をゆすり続ける少年が入っている。

 二人とも全裸であった。




 「よし、神経接続を開始せよ。」


 キールの声に呼応して、近くにいたリツコがカタカタと手をキーを叩く。

 すぐにカプセル内に変化が訪れた。



 彼の目の前で、少女がオレンジの液体の中に溶けていく。


 シンジが前にも増して悲痛な表情を浮かべる。

 (アスカ!アスカ!!!)

 遮音効果の高いカプセルの中、彼は恋人の名前を大声で繰り返していた。


 そしてその数秒後には、絶望の声をあげた彼自身もまたLCLの中に溶けていった。



 「よし‥‥S2機関は全て起動済みでLCL化も成功‥‥後は、
  イブが心の閉塞を願い、ATフィールドを反転させれば‥‥全ては叶う。」


 全ての入力を終え、操作卓の前に座っていた女性が立ち上がった。

 キールはそれを満足げに眺めながら、懐から黒い色の何かを取り出した。



 「何の真似かしら?」
 女は問う。

 「念には念を、というわけさ。」
 と老人。


 「君が薬物による統制を離れつつあり、葛城ミサトを尋問の名のもとに
  保護しているという事実‥‥私が知らぬとでも思ったのかな?」

 悠然とそう言い放ち、キールは拳銃のロックをカチリと起こした。


 「あなたに命令された作業は全てやったわ。
  だったら、今更私やミサトを殺してどうこうというものではないでしょ?」

 「確かにそうには違いないが、何か君が企んでいては困るからな。
  まあ、やがて補完されてエデンに蘇るのだ。一時の辛抱だよ。」

 「‥‥そう。そうはいかないと思うけど。」

 「!?」

 キールの顔に動揺が浮かび‥‥。



 ぱんぱん


 乾いた銃声は、ひとつではなかった。

 殺意を認識に変換するまでの一瞬の差が、彼らの運命を分けた。

 腹部を押さえて倒れ込んだのは、老人のほうだった。

 もちろんリツコも無傷であったわけではない。
 彼女も右腕を打ち抜かれ、白衣を朱に染めていた。



 「貴様‥‥死刑囚の身を‥‥ブッキョーにすがりながらも、
  なお死を呪っていた貴様を助けてやったというのに‥」

 「確かに‥‥‥あなた達の言いなりになって命欲しさにこんな事までやって‥
  撃たれると思ったらあなたを撃って‥‥私、なにやってるのかしらね。
  自分でも、判らないわ。」



 「だが‥‥既にアダムとイブの融合は果たされ‥‥地下のS2機関も動きだした‥
  ‥何ぴとたりとも、補完の時を止める術は無い‥のだ‥‥」

 地に伏したままそこまで口にして、キールが言葉を詰まらせた。
 ごふっという嫌な音と共に、激しく吐血する。
 動きの悪い手で口元を拭い、彼は続けた。


 「‥そうとも‥‥もう‥‥誰にも止められない‥地上の愚か者共が
  ここへやって来ても手遅れなのだ‥」

 「‥‥もはや誰もが‥‥幸福に‥‥永遠に‥‥フフフ‥‥誰も苦しまず‥
  ‥誰も悲しまず‥‥‥理想の世界がやってくる‥」

 痛む右腕を押さえたまま、リツコは老人の断末魔のもがきを凝視している。
 冷ややかな視線の中には、微かな憐憫の情が含まれていた。


 彼女が、口を開いた。


 「あなたは、何故サードインパクトが失敗に終わったのか、判ってないのよ」

 「私もわからなかった。でも、今は違うわ。ぼんやりとだけど、判りかけている。」

 「あなたの言うように、リリスがどうのというものじゃないという事も。」



 数秒の沈黙の後、老人は苦しそうに“私には判らない”と答えた。



 「ええ、わからないでしょうね。
  わからないからこそ、あなたは“補完”を望んでやまない‥
  穏やかだけど何もない世界を夢見ている‥‥」

 「でも、シンジ君はそれを望まなかった。
  辛く苦しいこの世界を願った。
  あなたの言う理想の世界を目の前にしながら、
  それでも生きる事を諦めなかったのよ」

 「正直、私が再びこの世界に蘇った時、あなた達同様、シンジ君達を呪ったものよ。
  でも今は私、その気持ちが少しだけわかるような気がするの‥‥」


 「あなたはこれで全て上手くいったと思っているようだけど‥‥」

 「きっとアスカもシンジ君もあなたと同じにはならない。同じように思っていない。
  今はそう確信してるわ。
  あの子達は、あなたの知らない事を知っているから。
  LCLにされても、あの子達はきっと一回り大きくなってまた戻ってくるわよ。」


 「私の‥‥知らない‥事?それは何だ?」

 「そして私も知らなかった事。いいえ、気づいていなかった事、
  感じていなかった事、と言うべきかしらね。」

 「口では上手く言えそうに無いけど、人が人である以上、
  一番大切な事だと思えるものよ。」


 「私には‥事物を多面的に理解する能力はあるつもりだ。
  だが、私には判らない。」

 老人の声に熱が篭もる。
 最後の力で振り絞り出された単語のひとつひとつから、抗議の匂いが漂っていた。

 だがそれも、リツコの低い声によって冷たく報いられた。



 「‥‥本当にかわいそうな‥人ね‥」


 「この‥‥私が‥かわいそう‥だと?」



 「ええ、そうよ。チルドレンの運命を背負って生きざるを得なかった
  あの子達よりも、ある意味ずっとね。」

 「‥‥大切な事を知らないが故に、あなた達は補完を望む。
  溶け合って心を補いあって、寂しさも辛さも忘れて幸せを願う‥‥
  不完全な群体としての人間も否定する‥‥」

 「確かにあなたはいつも正しいし、私もここに来て暫くはあなたの
  正しさを信じたわ。
  人はみな、弱く愚かで寂しがり屋な生き物‥‥それゆえに、過ちを繰り返す‥
  そして、セカンドインパクト以後の人類には過ちを繰り返すだけのゆとりもない」

 「だから補完計画なのね‥‥みんなでひとつになって永遠に生き延びる為に。」


 「‥‥‥。」


 「でも‥‥戦うミサトを監視モニターの映像で見て、シンジ君達の盗聴の記録に
  接して‥‥‥そういう彼らの愚かだけど必死な姿を見ていたら‥

 「間違いを繰り返しながらも必死に何かを掴もうとする人達を見たら‥‥


 「私も考え方が変わったのよ。
  いいえ、ずっと忘れていた何かを思い出したのよ。」


 「だから今は思うの。
  あなた達のやろうとしていた事は、人間への侮辱なんじゃないかって。
  安寧と引換えに、人間の一番人間らしい部分を取り除く事なんじゃないかって。」

 「たとえこのまま滅びに瀕する日が来るとしても」

 「たとえ私の、いいえ、みんなの生が苦悩に満ちていたとしても」

 「私はこれでいいんじゃないかって思うの。
  それでも私は、ミサトやミサトの周りの人達‥必死な彼らがとても好きだもの。」



 “随分くだらない事を喋ってしまったわね”


 大きな溜息の音が暗い空間に反響した。



 とりとめもない事を喋り続けてきた事を恥じて、リツコは独り目を瞑った。

 老人の力無い返答を待つ。



 どれだけ待っても反応は無かった。

 補完を望む老人は、既に魂の世界へと旅だっていた。



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 戦闘開始から僅か1時間足らずで、先鋒を務める戦略自衛隊の部隊は
 セントラルドグマ第4層に到達していた。

 もはや、ゼーレ側の組織的な抵抗は終わりを告げ、通路やダクトには
 散発的な銃声が聞こえるのみである。



 『ドグマ第三層より上部においては、降伏する者は戦闘員・非戦闘員を問わず、
  降伏を極力受理せよ。負傷者についても同様である。
  救護班に連絡し、後送の手続きを忘れないように。』

 通信回路を通して兵士達のもとに司令部の指示が届く。


 ドグマ第四層の閑散とした研究ブロックにおいても、
 兵士達は忠実にその命令を守り続けていた。


 「よし、ドアを開けるぞ。各員、配置につけ。」
 「配置完了。いつでもどうぞ!」


 バタン


 「手を挙げろ!
  さもなくば射殺する!」


 声と共に、迷彩服の兵士達が素早く狭い室内に展開した。

 教書に書かれた通りの模範的な対応。
 だが、そこには戦うべき敵も怯える非戦闘員も存在しなかった。


 「なんだ、また無人かよ‥‥これで7回連続だ」

 「ぼやくなぼやくな。敵さんに撃たれるよりはそれでもマシさ」



 「お、おい、これは‥‥」

 不平を口にしながらも彼らが室内を調査し始めようとしたとき、
 一人の兵士が驚きの声をあげた。

 「人だ‥‥人が寝ている、それも女だ‥。」


 部屋の隅、小さなベッドの中に横たわる影のほうを全員が振り向いた。

 駆けよる兵士達に、弱々しい女の声が聞こえた。


 「‥‥助けにきてくれたのね。待っていたわ。」

 「!?日本人?お前は‥‥」


 「私は‥‥ネルフ保安特課課長‥‥葛城一佐です。
  戦況は‥‥どうなっていますか?」


 「ネルフの葛城‥‥一佐‥?」


 葛城一佐という名前を聞いて兵士達は互いに顔を見合わせたが、
 目の前の女の正体を思い出し、慌てて彼らは敬礼した。



      *          *          *


 「なに?生きていた?葛城が!?」

 「あ、いや、その、葛城一佐は無事なんだな!?」

 「わかった、ありがとう。すぐに医療チームを派遣する。
  御苦労だった。」

 ピッ


 喜びを抑制しようと務めていた加持であったが、通信を切るや
 堪えきれずに笑顔を顔に浮かべた。

 「加持さん、良かったですね!」

 「おめでとうございます!」

 伊吹・青葉に祝福されて加持が頭をかき、喜びに顔をさらに緩ませる。

 近くにいた一佐の階級をつけた戦自士官に睨みつけられて
 すぐに表情を改める加持。

 彼は沸き上がる喜びを押さえる事に苦慮しなければならなかった。


 「伊吹二佐、その後の第四層の調査については?」

 「98.6%まで調査が完了しています。」

 「そうか。そろそろ潮時だな。」

 「はい。」

 「青葉君はどう思う?」

 「ええ、いけると思います。」


 仕事の会話を続ける事で、少しづつ自分を取り戻す加持。

 部下達に意見を聞き、予想通りの回答を得た彼は
 ネルフから派遣された人員の中では最高位の人間として、
 総司令に意見を具申した。


 「司令、我々ネルフの調査班にターミナルドグマへの侵入許可を
  お願いします。時間がありません。」



 「了解した。健闘を祈る。」

 口髭を生やした戦自将官の許可に、加持が短く敬礼を返した。



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 これは‥‥なに?

 あったかい‥‥なんだろ‥この感じ‥前にも一度あったみたい‥
 私の形が溶けていく‥‥自分が広がっていく‥‥どこまでも‥どこまでも‥

 思い出したわ。
 これ、死んじゃった時の感じよ‥エヴァの中で殺された時の直後‥
 ファーストが迎えに来たときの感じよ。
 そっか‥‥私シンジと一緒にLCLの中に放り込まれて‥‥
 死んだって記憶はないけど、死んじゃったのかな?



 「アスカ‥」


 誰?
 そこに誰がいるの?

 何も見えないオレンジ一色の世界‥‥誰もいないし何も見えない。

 だけど、気配だけは確かに感じる!


 「アスカ!僕だよ!!」


 目の前に、不意に現れたのはシンジだった。
 私の知っている沢山のシンジの姿が、くるくると変化する。


 「僕は‥僕は‥さっきのは違うんだ、アスカなら解ってくれるよね?」

 シンジ‥‥私の恋人‥いちばん大切にしてくれる人‥‥何かを弁解してる。

 どうしたって言うのよ?

 私にいけない事したっけ?


 「さっきのあれだよ。
  違うんだよ、あれは‥」


        『僕は‥‥こんな事したくないのに‥』
    『‥とか言って、とても気持ち良さそうじゃない?碇シンジ君。』
     『お前らの薬のせいだ!!僕は‥本当はアスカだけを‥』
   『こんなのをあの娘が見たら、きっとただじゃ済まないでしょうね』


 こ、これは‥‥私の頭に直接はいってくる!!
 これがシンジの本心?シンジの過去?

 見える。シンジの心の中で今動いているものが。

 後ろめたさを感じながらも、薬に抵抗しながらも女に抱かれるシンジ。

 それは、彼の口から出るものが何であれ、私には背徳行為にしか見えなかった。



 よくも‥よくも私の気持ちを裏切ったわね!!
 私をあんなに大切にしてくれたのに‥‥あんなに愛してるって口にしてたのに‥


 「ち、違うんだ!あれは違う!」
 「薬のせいなんだ!おかしくなってたんだ!!」




             『デモ、キモチイインダ』

               【それが、現実】


 ほら、嘘じゃない!!!
 私以外なのに!知らない相手なのに!あんた誰でもいいの?
 それじゃ、昔のあんたとなんにも変わらないじゃない!

 「違う!!僕は知ってたんだ‥アスカがどんな気持ちで抱かれたか‥」

 「だから‥‥僕は‥アスカだけを大切に‥」

 じゃあ何で我慢しなかったのよ!
 薬を使われてああなるって事は、結局心のどこかで
 私以外を求めてたって事でしょ?

 1を100倍すれば100になるけど、0を100倍しても0のままだもん。
 あんたのどこかにそういう気持ちが潜んでいたって事じゃないの?


「違う!
 僕は‥‥アスカが好きなんだ!アスカが、アスカだけが好きだ!」

 「他の女の人は誰も要らない、僕がアスカだけを‥」



       『アスカが目の前にいたから、優しかったから』


 「ア、アスカ!違うんだ!!」



      『アスカガメノマエニイタカラ、ヤサシカッタカラ』

               【偽りの優しさ】



         『アスカが僕を大切にしてくれたから』

                 【偽善】


         『僕を大事にしてくれる女の子とひとつになりたい』





 私は‥‥私は信じていたのに‥‥

 シンジを信じていたから、本当に好きだったから‥抱かれたのに‥

 私の気持ちを知ろうとしてくれた‥本当に好きだった‥‥

 ミサトも加持さんも信じられなくても、あんただけは本当に信じていたのよ!


 それなのによくも‥よくも‥よくも‥‥!!!



 「そんな‥‥でも、そういうもんだろ!?」


 「アスカはどうなんだよ!!」

 「そういうアスカはどうなんだよ!!」



         『だんだん、気持ちよくなってきたわね‥‥』

                【刹那の癒し】


 「ほら‥‥」
 「アスカだって嘘ついていたんじゃないか!!」
 「嘘つきだなんて言う資格無いよ!!」



 やめて!

 私の中を覗かないで!!
 はいってこないで!!

 やめてよシンジ!!



 「嫌だよ!
  それに、もう僕たちはLCLになっちゃったんだ‥心も体もひとつなんだ!!
  覗くなっていったって、無理だよ!!」


 やめて!
 見ないで!!

 恥ずかしい‥怖い‥お願い‥‥見ないで!!



        『恥ずかしい‥イヤらしい‥でも‥‥心地よい‥』

                『ココチヨイ』

                【不潔なワタシ】


 「‥‥‥。」


 やめて!
 そんな目で見ないで!!



           『白い湯気をあげるお粥が、あったかい』

     『シンジだけを私は信じるし、私はシンジだけを大事にしたい。』

   『お湯、めちゃめちゃ熱かったのよ〜!こら!こっち見ちゃ、ダメ!!』

         『こいつの優しさがいつまでも続くわけがない』

           『う、うん‥私、シンジを信じる‥』


              【でも、信じていない】



         『私、シンジに好かれるかわいい女になる』

    『それで、今の私のこと、好き?』 『本当に、私の事、好き?』


  『やっぱり、優しい女なら誰でもいいのね、で、私は用無しになったのね!
   私はもう、使い捨てなのね!!お払い箱なのね!!!』


                 【強迫観念】



           『私もシンジも、さびしいのが嫌い』

              『一人はイヤなの。辛いの。』

              『お願い。私を捨てないで』


                 【分離不安】


      『一緒にいなければいつかまた彼がいなくなってしまうかも
       しれない。だから、その為だったらどんな事でもしてみせる。
       シンジの為なら、どんな人間にだってなってみせる!』



 「‥‥。」

 な、なによシンジ‥‥そんな目で見ないでよ‥ねえ!


 「ほら、アスカだって同じなんだよ。」



 ‥あんたが優しかったからなのよ‥‥

 うれしかった‥生まれて初めて私を見てくれたじゃない‥‥

 だから失うのが怖かった‥‥。


 「僕は、そういうの寂しいけど‥‥わかってる。
  だから、僕の事も気にしないでよ。」

 「それは、いけない事なのか?」

 「それでいいじゃないか。
  それでも、僕とアスカはちゃんとつき合ってこれただろ?」


 だって‥‥でも、それって本当の愛じゃないじゃない。
 いけないわよ!

 私が寂しいだけでシンジに依存するのって、愛じゃないわよ!

 シンジが、私が目の前にいたからって私を大切にするのも違う!!

 どれも、自分の為にやってるだけじゃない!

 そんなの違う!


 「僕は‥‥そんなアスカでも‥‥やっぱり好きだよ」



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 「僕だって、僕自身の自己満足の為に、自分がうれしいからって
  気持ちの為にアスカを大切にしてきたって部分、確かにあると思う。」

 それは、今あんたの心を覗いたから知ってるわよ‥‥。
 知らない女に抱かれるなんて‥‥。


 「だけど、それで良かったと思う。
  何もしないよりはずっとね。
  何もできない・自分勝手で人を利用して傷つけるだけだって
  思い込んで‥‥それで殻に閉じ込もるのは昔の僕と同じだよ。」

 ‥‥‥。

 「そう、アスカが大嫌いだった頃の、中途半端なごまかしばかり考えていた
  あの頃の僕と、何も変わらないよ。」


 「偽善だ何だっていうのを自覚してても、それでも必死になって僕は
  アスカを追いかけた。アスカを守った。
  ‥‥それで、アスカは僕を許してくれた。
  それどころか、好きって言ってくれた。」

 「だから、思いつきとかじゃなくて、実際にどうするかが大切だって
  信じてるんだ。」


 ‥‥‥でも、それは違うわ。
 だって‥‥私みたいな人間はダメよ!

 実際にどうするかって‥‥確かに私はシンジに上辺は優しかったかもね。

 でも、シンジを愛するとか言って、いつも自分の事しか考えていないの。
 心も体もシンジの思い通りになる事や優しくする事と引換えに、私がシンジに
 優しくされる事・側にいてくれる事――そういうので自分の寂しさを紛らわせる事に
 夢中なだけなのよ。

 実際、自分が寂しいからって金沢に入り浸りになって、
 シンジに迷惑かけたりしたじゃない!


 「そ、そんな事ないよ!
  僕は、アスカがそうやって僕だけを見つめてくれるおかげで
  どれだけ嬉しかったか!

  アスカはときどき甘えすぎな所もあって、それで迷惑した事もあるよ。
  それでも、いつも僕だけを見つめてくれた!
  優しかった!
  それに価値がないはずがない!」

 「アスカの中にどういう思いがあったかは知らないけど、
  でも、そんなアスカのおかげで僕の心は救われたんだ!
  僕は、幸せになれたんだ!」

 ううん、そう言ってくれるのは嬉しいけど、私はまともな女じゃないよ。
 今まではシンジを喜ばせてきたけど、いつかきっと裏切っちゃうのよ!

 ほら、私の心が見えるならわかるでしょ?

 「‥‥。」

 きっと、本当は誰でも良かったのよ!

 パパも継母も怖かったから心の壁を作り‥‥
 ミサトも加持さんも怖いから本心は絶対に明かさないで‥
 それで、ただシンジに逃げているだけなのよ!

 優しくしてくれるって知ったから、それに溺れているだけなのよ!

 ええ、ミサト達には心の壁を作ってシンジばっかり!

 それがいちばん楽で傷つかないから‥‥シンジが人に好かれる事に必死だって事、
 きっと頭のどこかで知ってて利用しているだけなのよ!!


 「そんな事ないよ!だってアスカは‥‥」

 違う!!
 私はホントに他人を好きになった事ないのよ!

 そのくせ、ほら、その自分自身だって好きって感じた事無いのよ!
 自分しかいないのよ!自分の事しか考えてないのよ!


 昔、サードインパクトの時、キッチンで私はシンジを散々責めたわ。

 一人にしないでって言ったあなたを拒絶したわ!

 だけど、あの時のシンジと今の私はなんにも変わらない!

 哀れで腐っているのは私自身よ!!


 「アスカ‥‥そんな‥」


 ダメなのよ‥‥自分一人しかいない人間は‥こんな私は‥‥
 本当の思いやりのない人間なのよ‥。

 私、これじゃ私の継母とかパパとなんにも変わらない。
 シンジはどうだか知らないけど、私もきっとああなっちゃう!

 いつも寂しさを紛らわす事しか考えない勝手な大人になっちゃうのよ‥‥。


 「‥‥そんなに自分を責めないでよ‥。」


 シンジと私の赤ちゃんだって堕ろそうとしたのよ、私。


 ゼーレの男達に無理矢理堕胎させられて、わかったわ。

 生まれる途中で殺された子も、小さい頃の私とおんなじだって。
 中絶しようとした私は、勝手なパパ達となんにも変わらないって。

 生まれてきた子どもを殺そうとするのよ!罪の無い子供を!
 自分達の都合だけで、要らないって言って消そうとするのよ!

 私を要らないって言った無責任な大人達と、私の親達と何が違うのよ!
 何も違わない!

 私がいちばん嫌いな人間共と、何にも変わらないのよ!

 そんな酷い人間なんて、生きている資格ない!!

 今の私は、幼い頃の私みたいな犠牲者を作るだけの、
 人を傷つけるだけのろくでなしよ!



「‥‥‥ねえ、アスカ」

 なによ。


 「‥‥そんな事言ったら、みんな同じだよ。
  僕も、アスカも、みんな多かれ少なかれ同じだよ。」


 「僕は、何も出来ない自分だった。
  エヴァのパイロットとしてはともかく、それ以外には取り柄のない僕だった。
  僕がいてもいなくても同じ。
  ううん、いつも人を傷つけるだけの、むしろいないほうがいい僕だった。」

 「僕も、サードインパクトの時、だから僕なんて死んじゃえって思ったよ。
  だって、何もしない僕なんて、何のために生きているのかわからないもの。
  いつも他人の顔色ばかり伺って、優しくされる事ばかり考えているだけの
  僕なんて、アスカの言うのと同じで最低さ。」

 ‥‥そうね。
 今の私は、あの頃のシンジ並みに腐っている。

 本当は自分勝手で、本当は臆病で、本当は弱くて、本当は卑怯で‥‥


 「でもね、僕は生きている理由ができたんだ、エヴァ以外にもね。
  それが、何だかわかるかい?」


 ‥‥ううん。
 わからない。


 「アスカだよ。」

 えっ?


 「僕が生きている理由は、アスカなんだよ。」

 「アスカがそれだけ僕に頼っているなら、それでもいい。
  ううん、もっと頼っていいよ、僕に甘えてそれでアスカの心が満たされるなら、
  甘えていいよ。
  だって、そんな弱いアスカを支える事が、僕が今生きているうえで、
  いちばん大切な理由なんだ。」

 この私を‥‥‥‥こんな私を支える事がシンジのレゾンデートル――
 生きている理由なの?


 「僕が生きている理由の全部ってわけじゃない。
  けど、いちばん大切なものなんだ。」

 「アスカは自分勝手の為に僕を好いてくれてだけなのかもしれない。
  でも、そのそのおかげで僕は生き甲斐を見いだせたんだ。」

 「だって、こんなダメな僕の事を、アスカが慕ってくれるんだよ。
  色々あったけど‥こんな僕を、好きって言ってくれたんだよ!
  それも、こんな僕をいちばん大切って‥‥。」

 でも、それはきっと私自身が寂しくなくなる為に‥‥


 「でも、いいんだ。 僕は、アスカが好きだもん。
  なんで好きなのか‥‥ただ、優しくしてくれたからかもしれない。わからない。
  だけど、好きになる理由がどうであれ、アスカがそうやって辛い思いを
  しているのを見ているのは辛いんだ。その気持ちには間違いはないんだ。」

 「それで、その気持ちが僕にアスカを大切にさせるんだ。
  ううん、理由の一部は、アスカの身体目当てって所もあるかもしれない。
  でも、動機はともかく、僕が必死になればアスカは幸せそうな顔をしてくれた!
  14歳の頃は想像も出来ないような綺麗な表情をアスカは見せてくれた!」


 ええ、その気持ちなら私にもわかるわ。
 私も、自分自身がシンジに心を許すたびに、シンジが優しく、強くなっていくのを
 見る事ができたもんね。

 私が元気を出さないとシンジが落ちこんじゃうっていうのを、気にもしていた。

 だけど‥‥私は‥‥弱い女よ。
 自分勝手で、視野が狭くて‥‥。

 「アスカ‥‥」

 ん?


 「自分がダメってわかっていれば、
  自分自身の弱さがわかれば、もっと優しくなれるだろ?」

 ‥‥そ、そうかもしれない‥‥でも‥でも、私はこんな私なのよ。

 必死だったミサトをこないだまでずっと拒否してきた。
 赤ちゃんだって自分の都合で堕そうとした。
 シンジだって、本当に好きかどうかわからない‥‥。


 「でも、僕は‥‥そんなアスカが好きなんだよ。」
 「ミサトさんより洞木さんより‥‥‥綾波より‥‥アスカが好きなんだよ。」

 でも、それは認められようとしている私であって、
 本当の私じゃないんじゃないの?


 「僕は、弱虫なアスカも好きだよ。
  サードインパクトの後、僕に必死にすがりつく事しか知らなかったアスカも。」

 「そして、高校時代、部活動とかで見せてくれた責任感のある強いアスカも。」

 「どれが本物のアスカなのかなんて、僕には関係ないんだ。」

 「‥‥好きなんだ。」


 好き‥‥。

 そっか‥‥。

 こんな‥‥こんな‥私の事が、好き?


 「うん」


 本当に、私の事、好き?


 「うん」

 ‥‥あ、また自分の事しか考えてない。
 なんてダメな私。


 「だから、そんなに気にしなくていいんだよ。」

 ‥‥うん。


 「僕は、そんなアスカでも、大好きだから。」



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 シンジは、それでも私が好き‥‥。

 本当に、好きなんだね。

 ありのままの私を受け入れてくれる‥‥。


 「僕も、不完全で‥‥ダメな所もいっぱいある。
  今だから分かると思うけど‥アスカとの約束を破った事もあるんだ。
  アスカを‥‥オカズにした事とかもあるんだ。」

 「アスカの全てが好きってわけじゃない。探せば、
  きっとどこかに嫌いな所だってあると思う。」

 「そんな僕でもアスカ構わないのなら‥‥」

 「本当は臆病で寂しがりな僕を受け入れてくれるんなら‥‥」

 「ずっとこれからも一緒にいて欲しい。」


 うん。


 「薬づけとはいえ、あんな事をした事は謝るよ。
  アスカが許してくれるまで、償いはする。」

 そう‥‥じゃあ、約束ね。

 「約束?」


 私を、捨てないで。


 こんな私だけど‥心の中がこんなに弱いままの私だけど‥‥今までも、今も、
 これからも私を好きでいてね。

 ううん‥‥‥好きでいてください。



 「当たり前だよ、そんな約束。
  いつだったかも言ったけど‥僕はアスカのほうから裏切る事がない限り、
  ずっと裏切らないから。」

 よかった‥‥‥。

 「な、なに泣いてるんだよ、今更。」

 ん?変?
 当たり前かもしれない事に気づいただけなのにね。


 「さあ、アスカ、帰ろうよ、みんなの所に」

 で、でも‥‥


 「帰りたくないの?」


 帰るって、また、ATフィールドのある世界に戻るって事でしょ?
 シンジの心がまた見えなくなってしまう‥‥。

 私、シンジを信じられるか、自信がない。

 今は一緒になってるから平気よ。
 こんなにあったかいもん、シンジの心。

 でも、あの世界に戻ったらまたわかんなくなる‥キスしたり抱き合ったりしてる
 時しか安心できなくなるかもしれない。

 ううん、それに‥‥私の事、シンジ以外の人がどう思っているのか‥‥


 「大丈夫だよ、アスカ。
  そんなに他人の目を気にしなくてもいいんだよ。
  僕はもちろん‥‥洞木さんや学校の友達も…ミサトさんだって、
  アスカの事、全部嫌いなはずないよ。」

 ‥‥。


 「心配なの?」


 ‥‥怖い。

 みんながどう思っているのか、それと、またシンジに溺れ始める自分が‥
 それでシンジに、みんなに迷惑かけ始める自分が‥。

 ミサト達の気持ちに気づかず、優しさを踏みにじる自分が‥。


 「こんな僕でいいなら力になるから、ね」

 今までの繰り返しになるのが‥怖い。
 だって、私はダメな人間だもん。



 「そっか‥‥。
  僕は‥アスカが帰りたくないっていうなら、一緒に残るよ。
  元の世界に戻りたい、みんなにまた会いたいって気持ちもあるけど‥」


 「アスカを置いていくことなんて、できないもんな‥‥。」



 シンジはどうなの?

 どうしたいの?


 「僕は、アスカを裏切れない。
  約束したし、第一、僕はアスカの泣き顔が見たくない。」

 「僕がもしいなくなったら、アスカはどうなるの?
  ほら、そう思ったら、とてもじゃないけど裏切れないよ。
  裏切られる辛さ、捨てられる怖さは、僕も知っているつもりだよ。
  だから、そんなかわいそうな事、僕にはできっこないよ。」

 「だから、僕はいつまでもついていく。それだけだよ。」


 ‥‥。


 「どうしても帰るのが怖かったら、それでもいい。
  ここでずっと一緒に暮らそう。」

 ‥‥。


 「すべて、アスカに決めて欲しい。
  僕は、アスカが寂しくならないように、ずっとついていくよ。」





                          →to be continued








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