生きててよかった 第3部 「信仰」
Episode-04 【追い詰められるアスカ】








 コンコン


 「シンジ君、私よ。
  入るわよ。」

 「どうぞ。
  わっ!ミサトさんに加持さん‥‥ど、どうしたんですか?」

 ネルフ本部で迎えた初めての朝、僕のもとを二人の訪問者が訪れた。
 ドアを開けた僕は、思わず驚きの声をあげた。
 だって、二人が身に纏っているのは、見慣れたネルフの制服でも私服でもなく、
 迷彩色の軍服だったから。


 「ああ、この格好か?
  これからいよいよ出発するんだ。
  その前に、シンジ君に挨拶をしておこうと思ってな。」


 「出発?」

 驚く僕と、澄まし顔の加持さんとミサトさん。


 「決まってるじゃない。
  もちろん、アスカを助ける為よ。」


 “アスカを、助けるため、か‥‥。”

 ミサトさんのその言葉を、胸の中で反芻してみる。

 “よし‥‥”

 “この時を待っていたんだ‥‥”



 僕が心の底で、ずっと暖めていたある意志が目覚めつつあった。



 「ゼーレと戦うって事ですか?」

 「そうよ、ゼーレの本拠地がわかったのよ、その軍事規模とかもね。
  私達ネルフの力だけでも充分潰せそうだから、早速アスカを助けに行くわ。」


 「で、でも、アスカを人質にされたら?まさか、そんなの無視して‥‥」

 「それはないわ。
  ゼーレの目的は、あなたとアスカを使って補完計画を起こすのが目的だもの。
  シンジ君とアスカを殺したりは絶対にしないから、安心して。」

 「ミサトの言った通りだ。シンジ君は、何も心配することはない。」




 「そ、そうですか‥‥」


 だからって、心配するなと言われても‥‥やっぱり無理なんだよな。

 それ以上に、僕は‥‥何もしないでここに軟禁されているのはもうイヤなんだ。

 アスカが苦しんでいる事を知っていながら、何もできないからって
 大人達に守られたまま安穏と過ごすのは、耐えられそうにない。



 やっぱり‥‥言おう。

 僕は、ここにはいたくないって。



 「でも、加持さんとミサトさんだって、これから戦うんだったら‥‥」

 「それこそ、心配しなくてもいいわよ。この歳で死ぬ気は全然無いわよ、
  ね、加持。」

 「ああ。ピクニックみたいなもんだ。そもそも、戦力差が圧倒的さ。」





 「あの、じゃあ、お願いがあります。」

 「何かい?」


 僕は、拳をぎゅと握り、義父と義母に正対し、思い切って口を開いた。

 心臓が音を立て始める。



 「僕も、連れていってください。
  何も出来ない、何もしないなんて、もう、イヤなんです。」


 「シンジ君!?」
 「そ、それは‥‥」


 “やっぱりダメかな”


 僕の目の前の大人達は、当惑という言葉がぴったりの表情で
 互いの顔を見つめ合っていた。

 だけど、僕はそれには構わず、心に浮かぶものを心のままに続ける。

 「僕が行っても危ないだけで、何も出来ない、足を引っ張る事しかできないのは、
  わかっているんです。」

 「このお願いが、我が侭って奴だって事も、知っています。」


 「でも、自分には何もできない、何一つする事ができないと思って
  何もしないのは、イヤなんです。僕も、戦いたいんです。」


 連れていって貰える可能性なんて、殆どゼロってわかっている。

 だけど、言っておきたい。言っておかなければならないような気がする。



 僕はもう、昔の僕じゃない。

 アスカの為なら、僕は‥‥自分なんてどうなってもいいんだ。





 「実際には何もできないかもしれなくても、それでも何かをしようと
  必死にならなきゃいけない事がある、何かを守るためにやらなきゃ
  ならない事があるって、今は思うんです。」


 加持さん達に喋る事がどの程度の意味を持つのかは考えず、
 僕は思っている事を素直に吐き出すことにした。


 「‥‥。」

 「エヴァに乗っていた頃、僕は、何もできないからと言って
  ミサトさんにも綾波にも――アスカにも何もしなかった。
  でも、そんな僕にはいつも後悔と懺悔しか残ってなかったし、
  本当の喜びを得る事も無かった。」

 「そして、そんな生き方が、アスカの弱い心をひどく傷つけていた。」




 「僕にはもう、そんな生き方はできません。
  お願いします、僕を一緒に連れていってください。」


 一気にそこまで喋り、僕は拳に入れていた力をフッと抜く。


 緊張を解いた瞬間、額から頬を伝って汗が流れ落ちた。



-------------------------------------------------------------------------








 僕の予想通り、加持さんとミサトさんは、驚いたような困ったような表情で
 僕の目を覗き込んだり視線を逸らしたりを繰り返している。


 無茶なお願いだと解っていた。

 けど、言わずにはどうしてもいられない事だって思うから、
 二人を困らせているという自覚はあまり無かった。




 「シンジ君」

 数秒経って、ようやく加持さんが口を開いた。



 加持さんは僕から視線を逸らさないけど、怒った素振りは見せていなかった。

 その加持さんの表情にデジャヴーを感じるのは、何故なんだろう‥‥。


 「シンジ君のその気持ちは、とても貴重なものだと感じる。
  そして、同じ事を俺達も思っている。」


 いつの間にか、ミサトさんも真顔で僕を見ていた。

 ミサトさんも加持さんと同じ気持ちなんだろうと、僕は理解した。


 再び拳を固め、次の言葉をじっと待った。



 「でも、君にはその力が無い。君がついて来たとしても、足手まといになって
  アスカを救い出す確率を減らすだけだ。それも、事実だ。」


 「くっ‥‥」


 事実という言葉が重い。


 「俺達には奴らを潰してアスカを奪い返すだけの力があるし、現にそうしつつある。
  でも、それは今の君には無理なんだ。」

 「だが代わりに、君には君にしかできない、君にならできる事がある。
  それが何か、解るか?」


 僕は“わかりません”と答えた。

 ホテル並みに乾燥した空調のせいだろう、口の中が妙に乾いていた。



 「アスカを救い出したとき、仮に俺やミサトがいなくなっていても
  アスカは生きていける。だけど、もし君が戦いの最中、
  何かの間違いで命を落としたとき、アスカはどうなるんだ?」

 「‥‥‥。」


 「何もできなくてもアスカを守る為に戦いたいという
  シンジ君の気持ちはよくわかるし、立派だと思う。
  だが、君にはもう一つの選択もある。」

 「それが‥‥ここに残る事なんですね。」




 「そうさ。」

 加持さんは大きく頷き、そして続けた。




 「自分が卑怯だという思いと戦いながら、ここでアスカの帰りを待つ事だ。」


 「アスカは、君を必要としている。」


 「後悔に怯えながらそれでも生き残る事も、この場合は一つの立派な選択だ。
  銃を持ってゼーレから彼女を奪い返す事が出来る人間なんて幾らでもいるが、
  まだ子供の彼女の心を救えるのは、君だけしかいないんだからな。」


 「どうだい?シンジ君。」

 「‥‥‥。」

 俯く僕。
 真顔の加持さんとミサトさん。

 僕は、心の中で答えが既に出てはいたけど、敢えて何も言わなかった。



 「俺達は、君がそれでも戦場についてきたいというなら、無理には止めないし、
  その時は精一杯君を守るつもりだ。」


 「だが、これは忘れないで欲しい。」


 「たとえアスカを救い出せても、君が死んだり傷ついたりしたなら、
  それはアスカを助けた事にはならないって事を。それは、負けと同じだ。」


 「アスカにとって、君は、決して死ねない人間なんだという事を。」


 “僕は、決して死ねない‥‥”



 「シンジ君、私達は一時間後に上のヘリポートから出発するわ。
  もし、それでも着いてくるんだったら、ヘリの所まで来なさい。
  シンジ君の監視員には、話をつけてあるから。」


 「‥‥‥。」

 「じゃ。行って来るわ。
  必ず元気なアスカを連れて帰るから。」

 「あの‥‥」



 僕の返事を待とうとはしないで、僕とアスカの“両親”は部屋を出ていった。

 僕に背を向け、廊下を歩く二人分の迷彩服。


 「加持さん!ミサトさん!!」

 名前を呼んでも、二人は振り向かない。




   “たとえアスカを救い出せても、君が死んだり傷ついたりするなら、
    それは助けた事にはならない。”

   “今、君が一番しなくてはならない事が何なのかを。
    アスカにとって、君は、決して死ねない人間なんだという事を。”

   “後悔に怯えながら、生き残る事だ。
    まだ子供の彼女の心を救えるのは、君だけしかいないんだ。”






 僕は、ヘリポートに続く階段を登る二人に声をかぎりに叫んだ。
 「アスカを、お願いします!!」と。


 ほんの一瞬だけど、階段を登る二人が歩みを止めるのが見えた。
 それで僕は、少しだけ安心する事ができた。


-----------------------------------------------------------------------------


 「いよいよね‥‥これで良かったのかしら。」

 「さあな。全ては終わってみなければわからない。
  誰にも未来なんてわからないからな。」

 「まあ、そうだけどね。
  でも、シンジ君の反応には驚いたわ。
  まさか、連れていけって言うなんて。」

 「そうか?俺は、結構予想してたんだけどな。」

 「そう?」

 「ああ。
  今のシンジ君らしい振る舞いだと思う。」

 「そっか。そうかもね。」



 『葛城一佐、加持部長、まもなく離陸です!急いでください!』


 「ああ、わかった!!今すぐ行く!」

 「加持君。」

 「なんだ?」

 「私達も、必ず、生きて帰りましょ。」

 「ああ。」




-----------------------------------------------------------------------------








 私は、不思議な光の中をふわふわと漂っていた。
 遠い昔にもここに来た事があるような気がするけど、思い出せない。

 だからといって、懐かしい感じはしない。
 真っ白に漂白された何も無い・何も見えない世界に、何故か無性に怯えていた。



 ん? 何?

 何かが来る!
 ザワザワする!!

 誰かが、私の中に入ってくる!!
 目に見えない、真っ白な何かが!!

 シンジ?

 ファースト?

 違う!


 あんた、誰なの!?



 イヤ!私の中に入ってこないで!!

 やめて!!

 入って来ないで!!!




  *         *         *



 何かが私の中に入って来るように思えた直後、白一色だった世界に変化が訪れた。



 「こんにちは、おねえちゃん」

 「何?あんた、誰なの?」


 何処から沸いてきたのか、私と同じ髪の色の少女が目の前に現れた。

 少女は、茶色いものを両手で抱えている。
 それが可愛いげのないサルのぬいぐるみだと、私はすぐに気がついた。



 でも、誰なんだろう?
 見覚えはあるんだけど‥‥。


 「おねえちゃんは私。 私はおねえちゃんよ。」

 「私のこと、忘れたわけじゃないでしょ?」

 女の子がニッと口元を歪めたとき、その正体に気づく。


 ああ、これは私自身ね‥‥ずっと昔の、ママを一番恋しがっていた頃の私‥‥
 5歳くらいの頃の私だ‥‥。

 どんな顔をしてるんだろう。
 そう思って顔を覗き込もうとしたけど、だらんと垂れた前髪が邪魔で、
 見る事ができない。

 好奇と不安に落ち着かない私。


 女の子は、そんな不安がる私を無視して、口元に笑みを浮かべたまま
 不可解な事を言い始めた。


 「なんで、わたしを殺そうとしたの?」
 「ねえ、おねえちゃん、なんでわたしを殺そうとしたの?」
 と。


 「何を言うの?私があなたを殺す?」

 首を傾げる。

 自分が、自分を殺す‥‥意味が、わからない。


 「殺そうとしたじゃない。私のことを。」
 「あなたのママとおんなじなのよ。」


 「ママと一緒?わからないわ。」

 わからないんだけど、でも、どこか引っかかるものがある。
 何か、大切な事を忘れているような気がする。



 「だれにもいらないって思ったら、殺すのよ。」

 「あんたの言っている意味が、わからないわ。わからない!」


 「ほら、おねえちゃん、思い出して。」
 「ほら‥‥見せてあげる‥‥」



         “やめてママ!ママをやめるのはやめて!”

       “イヤ!私を殺さないで!
        私はママの人形じゃない!自分で考え、自分で生きるの!”



         『仕方ないわね‥‥堕ろすしかないわよ。』

        『子供なんて、絶対に要らない。そんなの、
         私とシンジが汚い事をやった結果に過ぎないもの。』



 「何が言いたいのよ!わからないわ!
  私には、あんたが何を言いたいのか、何を見せたいのかわからないわ!」

 急に、自分の周りの温度が急降下したような気がした。
 それが何なのか解らないまま、私は少女をキッと睨み付けた。



 「まだ気づかないの?」
 「ううん、本当は、わかってるくせに。」
 「本当は、しっているけど、みたくないから、みないだけ。」
 「あなたが、あなたでいられなくなるから、目をそらしているだけ。」

 「おしえてあげようか‥‥」

 「あなたは、じぶんのこどもが要らないのよ。」
 「ずるいおとなとおなじで、要らないのよ。」
 「うまれたこどもも、自分のつごうで殺しちゃうのよ。」


 「違う! 私は恐いママじゃない!!パパや継母とも違う!!」
 「私は私よ!!あんな汚い大人じゃないわ!!」


 「このクソガキっ!」

 逆上した私は、殴ってやろうと女の子に手を伸ばした。
 でも、勇んだ右手は、彼女の体を素通り。

 『五歳の私』はその事に驚いた素振りも見せる事無く、
 口元を笑みで歪めたまま、言葉を続けた。


 「ほんとうにそう思うの?おねえちゃん。」
 「ほんとうに、そう思うの?」

 「ちがうわよ。」

 「あなたは、あのひとたちとおなじ。」
 「あなたにとって、子供のことなんてどうでもいいのよ。」


 「違う!
  私は、あいつらとは違う!
  同じになんか、絶対ならない!!」

 自分に半ば言い聞かせるように叫んだ。

 ええ、無責任に私をゲヒルンに押しつけて、性欲と愛憎の虜になった
 あいつらとは違うはずよ。


 「でも、殺しちゃったじゃない。こどもなんて要らないんじゃない。」

 「殺すんじゃない!
  まだ、生きてないもの!まだ人じゃないもの!人の形をしていないもの!
  だから、降ろしてしまったのよ!心が生まれる前に!!」


 「うそばっかり。じゃ、あなたの両手にあるのは、それはなに?」


 「え?」

 声に従って、私は自分の両手を覗き込んだ。


 「何?
  血塗れ!?」


 自分の両手は、赤黒い血の色に染まっていた。
 そして‥‥


 「ひいっ!」


 自分が産み落とした血塊がそこにはあった。

 胎児を包む汚らしい血塊‥‥まだ人間の暖かみが残っていた。

 もちろん、それが私に何かを話しかけてくるなんて事は無い。

 でも、生臭い血の臭いは、私を強く弾劾してやまない。



 「ほら、おんなじ人間なのよ」

 匂いに、少女の声がダブる。

 “うるさい!”と連呼しながら、血塗れの物体を胸に抱きしめた。


 ‥‥そして、泣いた。


 「ほら、おねえちゃんはないてる」

 「ほら、おねえちゃんはこうかいしてる」

 「ほら、おねえちゃんはしっている」


 「やっぱり、自分のつごうで殺したこと、わかってるのね」
 「子供ができちゃったけど、いらないからって殺しちゃうのよ」
 「やっぱり自分がきもちのいいことしか、考えてないのよ」


 「‥‥違う‥‥違うもん‥‥‥」
 「子供は要らないけど‥‥でも‥‥殺すだなんてなんて思ってなかったもん!」
 「それに、あいつらが勝手に堕ろしちゃったんじゃない!!
  ゼーレの奴らがみんな悪いのよ!」


 「うそばっかり!」
 「じぶんから病院にいこうとしていたくせに。」


 「イヤァアアア!!!」


 「あなたは、あなたのきらいな大人たちと、なにも違わないのよ。」
 「ただの嘘つきなのよ。」
 「嘘ばっかりついてる大人と、なんにもおねえちゃんはかわらないのよ。」


 「違う!違う!違う!!!!」



--------------------------------------------------------------------------








 『嘘吐き』と名付けられたマスタード心の傷に擦り込まれる辛い時間は、
やがて少女が光の中に消えていく事で終わりを告げた。




 でもホッとする余裕は、私には与えられなかった。

 目の前に、また別のものが現れつつあったのよ。


 「こ、今度はなに?」


 それは、一つのヴィジョン、それと、一人の人間。
 見覚えのある光景‥‥そして、赤い色が良く似合う中学生。

 私は、すぐに怯え始めた。



 『何よ‥これ‥‥汚らわしい‥‥』

 呟きを漏らしたのは、またしても私でない別の私。

 今となっては懐かしい、真っ赤なプラグスーツを着た14歳の私が、
 眉を歪めて何かを見つめていた。


 視線の先には、ひとつのヴィジョン‥‥‥私とシンジの一場面。
 見覚えのある部屋の見覚えのあるシーンが、私の羞恥心をあざ笑うように
 デカデカと映し出されていた。


 《僕も、アスカとこうしてるのは好きだけど‥でも‥》
 《好きなら、いくらでもいいのよ、お互い、愛し合ってるんだから。》


 《でも‥‥》
 《私と一つになりたいんでしょ?心も体もひとつになりたいんでしょ?》



 「イヤだ!見たくない!!」


 聞き覚えのある私とシンジのやり取りに、思わず叫び、目を背けた。

 そこいるのは、私が妊娠する前の、今にしてみれば堕落の極みにあった私とシンジ。

 私の体に溺れきったシンジと、体を求められる事で安堵感を得ていた私が、
 決して他人に見られたくないような醜態を曝していた。



 『何よ‥‥これ‥‥これが、私なの?
  私、バカシンジとこんな事するようになるの?』

 もちろん、14歳の少女は目を逸らしてはいなかった。

 私とシンジが今まさにディープキスを交わそうとしている瞬間を、
 怒りに肩を震わせながら彼女は凝視していた。


 《でも‥‥》

 《いいのよっ!前にも言ったでしょ?昔よりは、これでもずっとマシだって。
  これは確か、シンジの言葉の引用よ。》

 《う、うん‥‥そうだけど‥それは確かだと思うけど‥》

 《それなら、いいでしょ?
  あんたが私の体がいっぱい欲しいって事、ちゃんと知ってるのよ。》

 《もちろん僕も嫌いじゃないけど‥‥もっといろんな事をしないと、
  せっかく二人でいるのに勿体ないよ。外に出かけたり‥》

 《問答無用!》



 「もうやめて!見ないで!!ねえ!見ないで!」

 『あんたは黙ってて!!』

 制止しようとして、私は『私』に怒鳴られた。



 《でも、今日こそちゃんと避妊しないといけないよ。》

 《大丈夫、心配しないで。まだ、大丈夫なんだから。》


 シンジが、私のノースリーブに手をかける。


 《こらっ!シンジのスケベ!》

 《今更わかりきった事言わないでよ。》


 口では抵抗しつつも、シンジに抱かれたままの私は
 おとなしく服を脱がされている。

 「ねえ、やめて!もう、やめて!!見ないで!!」
 『黙ってなさい!!』

 羞恥に震える私を、プラグスーツの私が睨んでいる。


 『あんた‥‥こんな事してたの?最低!!』

 『このシンジもあんたも、ミサトや加持さんとなんにも変わらないじゃない!!』


 「違う!!あんな奴らとは違う!!
  私は、シンジを愛していたからこうしたのよ!」


 『バッカみたい!ただ寂しい大人が慰め合っているだけじゃないの!』

 14歳の『もう一人の私』は、私を糾弾してやまない。

 対する私は、“違う!違う!”と叫び続けるだけの機械人形。


 『これが愛?あんたバカ?
  寂しくって仕方がない所に、バカシンジが振り向いてくれたからって
  有頂天になってるだけじゃない!!』

 「違う!」


 『自分の体を売って、ううん、自分の性格も何もかもバカシンジに好かれる
  ように切り売りして、それで優しくして貰ってるだけじゃない!』

 「違う!違う!!」

 『そのくせ、ミサトや加持さんを大人の付き合いだなんて言って
  幻滅とか言っちゃって!はん!
  自分の悪いのを棚に上げて普段はいい子ぶって、その癖これ?
  まさに最っ低の人間ね!』

 「違う!!違う!!」


 『知ってるのよ‥‥私は。 あんた、この頃気持ちよかったんでしょ!』

 「そんなの、嘘よ!」

 『嘘じゃないわ!じゃあ、これは何?』

 真っ赤なスーツが指をさした先には‥‥




 《ねえアスカ、気持ちいい?》

 《‥‥わかんない‥‥》

 《じゃあ、なんでそんなかわいい声出すの?》

 《‥いじわる‥‥》

 シンジに馬乗りにされたまま、熱い息を吐く自分がいた。
 目を細め、眉を寄せ、快楽に耐える自分がいた。



 『嫌らしい!汚らわしい!これのどこが純愛なのよ!
  反吐が出るわ!』

 「違う!!!!」

 『違わないわよ!
  この、ダメ女!』


 「何よ!誰も好きになったことないあんたなんかに、言われたかないわよ!」


 『じゃあ、バカシンジが好きなの?』

 「好きよ!好きだから、抱かれたのよ!」

 『本当に、このオカズ野郎が好きなの?』


 「ええ、本当よ!!大好きよ‥‥‥‥だって、シンジは優しかったもん!」




 《‥‥ねえアスカ、もう一回‥‥》
 《‥‥いいわよ‥‥》


 『フン!これのどこが、あんたの軽蔑する不潔な大人と違うっていうの?』


 『あんた、優しくしてくれるなら、大事にしてくれるなら、
  誰だっていいんでしょ?』


 『自分を大事にしてくれる“御主人様”の為なら、妊娠だって恐れないんでしょ。』


 『その為なら、ヒカリや周りの人に迷惑をかける事なんて、
  何とも思っていないんでしょ。』


 『人から、シンジから幸せを与えられようと、いつも藻掻いているだけなのよ!
  偽りの幸せを!!』



 「違う!!違う!!違う!!違う!!!」


 拒絶する私と、弾劾する『私』。



 その傍らのスクリーンの中、シンジに抱かれた大学生の私が、
 痴呆老人にも似た恍惚の表情を浮かべていた。



-------------------------------------------------------------------------------







          『おねえちゃん、しあわせなの?』

     『こんな汚い事やってて、自分を偽ってかわいく見せてて、
      それでもあんた幸せなの?』


             「私は、幸せなの。」



      『おねえちゃん、シンジおにいちゃんのこと、すき?』

     『自分を押し殺して、バカシンジみたいなダメ男に尻を振って、
      それで大事にされようとする生き方が、純愛なの?』


           「私は、シンジを愛している。」



             『ほんとうに?』
       『ふぅ〜ん‥‥じゃあ、彼の事、信じてるの?』


          「私は、シンジの事を信じている。」



       『じゃあ、なんでいつもそんなにつらそうなの?』
      『その割には、泣いたり我慢したりばっかりじゃないの!!
       本当に信じているんなら、いつもエッチばっかり
       してなくても平気でしょ?』


        「私は、幸せよ!!シンジも信じている!!」




    「‥‥‥‥‥‥。」



    「違う!こんなの、幸せなんかじゃない!」

    「そう思いこんでるだけなの!!」




    「シンジに愛されている私も、シンジに見せている私も、
     認められようとしている自分であって、本当の自分じゃない!」

    「シンジの事、ホントは今も信じられない!だから、優しい振りして、
     嫌な事も我慢して、妊娠までしちゃって‥‥」

    「いつも、寂しいのが怖いのよ!また一人になるのが怖いのよ!!
     私を孤独から救ってくれた男性がいなくなるのが、イヤなのよ!!」

    「だからって、何がいけないのよ〜〜!!!」





          『なぁんだ、うそついてたんだ』




    「イヤ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」





     *          *          *




 『こんな事が待っているなんて‥‥‥』     『アスカ、なにか言った?』


          『あのね‥‥‥‥私‥‥生きててよかった。』


          私、生きててよかった‥‥そうよね?

            生きててよかったのよね、私は。

      男に愛されて大事にして貰って‥‥それって、あの頃いつも
      心の底で待っていたものよね。だから私、幸せなはずよね?





              【でも、心が辛い】


       そう、それなのに私はいつも心の中で泣いているの。
         あの時と、何も変わっていないの。

     シンジと一緒にいる時でさえ、いつも何かに怯えているの。



            【嘘で塗り固められた私】


        そう、みんな偽りの、かりそめのものなのよ。


    せっかく、自分が立派になった、寂しくなくなったって思ってたけど、嘘。

      私の正体‥‥私、まだあの頃と変わらないんだね、本質的には。

     ううん、違うか‥‥大人の汚さを身につけた分、もっとダメか。



     シンジに大切にされて、何かが変わった、心が寂しく無くなったって
     信じていたけど‥‥本当の私は‥‥。

     みんなに認められようとしない代わりに、シンジ一人に
     認められようとしている。

     そして、それで幸せを与えられようとしている。偽りの幸せを。



                 【分離不安】


                 弱虫なのよ。
            一人に戻る事に、ただ怯えているのよ。


                  【依存】


        他人の中に、自分を求める事しかできないのよ。
      他人を利用して、自分一人が心地良い思いをしたいだけなのよ。

           自分の事しか考えられない子供なのよ。
            あいつらと、何も変わらないのよ。



------------------------------------------------------------------------------



 混沌から醒めた時、既に七色の光は消えていた。


 「汚されちゃった‥‥‥」
 「汚されちゃった‥‥」

 真っ暗になった闇の中、私はただそう繰り返すことしか出来なかった。



 自分のもろさを思い知らされた。

 心を覆っていた優しさと暖かさのヴェールは全てはぎ取られ、
 むき出しになった古傷から、汚い膿があふれ出す。


 ゼーレの男達が現れ、再び独房に放り込まれるまでの間も、私は
 自分を取り戻す事が出来なかった。

 ましてや、抵抗や脱走なんて、考える事すら無かった。



     *         *         *



 初めて七色の光に心を犯されてから、何日経ったのかな。

 地底の独房に閉じこめられているせいか、それとも何度も注射された薬のせいか、
 私は時間の感覚が完全に麻痺している。

 毎回同じものが出てくる食事、浅い眠り、自己嫌悪、そしてゼーレによる
 責め苦‥‥何度繰り返されたか、わからない。


 まず、食事。
 私の意志に関係なく、男達の手によって無理矢理食べさせられた。

 食事が終わると私はすぐに眠りの世界に引き込まれる。
 食事の中に睡眠薬でも入っているんじゃないかな?
 囚われの身という緊張の為なのか薬のせいなのか、いつも眠りは浅く、
 目が覚めても気分が良かったためしはなかかったけど。

 深くもない睡眠はまた、沢山の悪夢を描き出す。
 夢の中、私は幾度と無く酷い目に会っては、絶望に沈んだ。

 そして、眠りが覚めて暫くすると、決まってゼーレの白服共がやってきては
 精神的にも私を苦しめるのよ。

 まるで、悪夢の続きみたいに思えるほど、私には辛いものだった。


 「さあて、今日はこれでも聞いて貰おうかな‥‥2017年10月9日、
  碇シンジの記録、ってファイルだ。例によって、君の義母が作ったものだ。」


 《アスカ‥‥‥》
 《はあっ‥はあっ‥‥はあっ‥‥》

 《うっ‥‥》
 《アスカにこれがバレたら、僕は許して貰えないんだろうな‥‥でも、
  こうしなきゃ僕は‥‥きっとアスカに手を出しちゃう‥》


 「嘘‥‥」

 「嘘じゃない。これが、君の知らないシンジ君だ。
  君が無邪気に信じていたシンジ君の正体だよ。」

 約束を破り、私の名を呼びながら自慰に耽るシンジの声を聞かされたり。


 《アスカったら、いっつも嫌がって大変だよ。》
 《はぁ‥‥センセも大変やなぁ》

 《それだけじゃないんだ。最近は、一緒にいたいばっかりで困ってる。
  いくら恋人だからって、僕だって一人でいたい事もあるからね。》
 《とにかくいつも一緒か‥‥中途半端な同棲なんぞ、するもんやないのぉ。》

 鈴原とシンジの電話の内容を聞かされたり。



 《アスカは、僕の事、好き?》
 《好きだから、こんな事してるんじゃない!》

 《そっか、よかった。》
 《ねえ、今日は朝までね。》


 「友人の前では純真無垢な愛を信じていると言う癖に、これかね?
  とんだカマトトぶりだな。」

 「‥‥違うもん‥‥」

 「違わないって事を、この前知ったばかりじゃないのかな?」

 私とシンジの重ねてきたイヤらしい行為の数々を聞かされた事もあった。



 ‥‥とにかく、こうやって自分や周囲の人達の一番見たくないものばかりを、
 繰り返し繰り返し聞かされた。


 次第に私は他人が、そして自分が判らなくなってきた。

 ミサト達が信じられないのは勿論として、ヒカリやケンスケも信じられない。
 シンジが、あんなに私を裏切らないと思っていたシンジが信じられない。

 何より、私自身の、シンジや友達が好きっていう気持ちがわからない。


 苦しさや寂しさ、裏切られた悔しさだけが、悲しいけど私の真実?そうかもね。

 あの頃と同じ。
 期待しても、裏切られるのよ、私は。
 それが、結論なのかもしれない。


 シンジまで‥‥私がいない所では、私をオカズにしていたり、友人と
 イヤらしい話をしていたり。

 シンジすら信じられないようになった私。

 シンジに頼りすぎたが故に、彼に対する自分の信頼が崩れた時、
 私にはもう、何ひとつ心の拠り所は残っていなかった。


 もう‥‥何も、私は信じられない。
 他人も、自分も。





                          →to be continued








戻る   抜ける   進む