生きててよかった 第2部 「pitiable passion」
Episode-01 【virginity/清純】








 あのインパクトから、もうすぐ4年‥‥。
 今日は、私の18歳の誕生日。




 お風呂上がりの自分の体から、湯気がさかんにたち昇っている。
 狭い脱衣場で吐く息も白い。

 今年の第二新東京はまだ12月だというのに、ドアも凍ってしまうような
 厳しい冷え込みがここ三日ほど続いている。
 地軸が19世紀の地球のものに戻ったせいとはいえ、
 まさかここまで寒くなるなんて。

 年々厳しくなる冬。
 来年は、どれくらい寒くなるんだろう‥‥。


 「うう‥‥さむぅ‥‥」

 急いで下着とパジャマを着ないと。

 暖房を使っていると言っても、所詮はインパクト後に作られた仮設住宅。
 いつになっても暖まらないからね。

 そんなわけで、さっさとパジャマになった後は少しは暖かいリビングに戻って、
 こたつの所で髪を乾かす。
 一昨年、さんざん風邪を引いた頃に覚えた方法だ。
 腰までおこたに入って、ドライヤーと鏡を洗面所から持ってくれば、
 どこもほかほか。

 まだこの国本来の季節に体が馴染んでいない私にとって、
 この手の寒さに対する工夫は、まともな生活をする上で
 欠かすことができないものとなっている。

 ああ、こたつの中は、あったかい。

 そろそろ、髪も乾かさないと‥‥。



 「アスカ、‥‥僕も入るね。」

 お風呂のほうからシンジの声がぼんやりと聞こえる。

 エコーがかかっていても、私には解る。
 予想通りの、僅かにひきつった、いつもより少し低い声ね。


 シンジ、もう、緊張してるんだ。

 まあ、そりゃそうよね、私だって、ホントはもっと緊張したって
 おかしくないのに‥‥いざとなって、度胸が出てきたのかな。


 ブオーーーーーーン

 タオルで髪の水分を吸い取り終えた私は、手元のドライヤーのスイッチを入れた。

 今日はいつも以上に丁寧に乾かそう。
 シンジほどふわふわじゃない髪だけど、精一杯ふわふわにしないとね。

 いっぱい、今夜は触ってもらうから‥‥。


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 今日は、アスカにとって18回目の誕生日。
 受験でみんな忙しそうだったから、今年は僕と二人きりでお祝いだ。


 アスカの好きなハンバーグとホワイトシチューを作ってあげて、
 小さなバースデーケーキを一緒に食べて‥‥
 誕生パーティーって言うにはささやかなもてなしだったけど、
 いつもの年と変わらない、アスカらしい笑顔を見れたから、僕は満足している。


 プレゼントのほうだけど、今年は、イルカを象った誕生石のネックレスだ。

 デザインとかに自信はなかったけど、ちゃんと喜んでくれてた。
 僕の期待通り、オーシャングリーンのターコイズは白い肌にびっくりするほど
 映えたし、選んだデザインもけっこう気に入ってもらえたみたいだ。




 “別々の大学に行っても、これ、ちゃんと使ってね。”
 “うん‥ありがと。”

 貰った時は有頂天だったアスカも、あの時は複雑な表情をしていたなぁ。



 アスカの気持ち、わからなくもないけど、こればっかりは仕方がない。
 僕だって、出来ることなら同じ大学についていきたいけど――。


  *        *        *




 僕も髪を乾かし終え‥‥冷蔵庫からワインを取ってきた。

 ミサトさんからの18歳祝いのプレゼントで、――サロージュって名前の
 イタリアワインだ。


 “お酒は二十歳になってから”という法律を無視した
 保護者からのプレゼントは、僅かに甘く、僅かに苦い味がした。
 しかも、喉を通るときの熱い感じが、僕を少し戸惑わせる。


 「大人って、こんなのをおいしそうに飲むのね。」
 「そうだね、ジュースとかお茶のほうがいいよね。」

 不思議そうな顔のアスカに、僕も相づちをうつ。

 ミサトさんは、どうしてこんな飲み物が好きなんだろう。


 「さ、もう一杯。」
 「ええ?アスカ、これ、平気なの?」

 何気ない顔で“ビールならしょっちゅう飲んでいたからね、ドイツで”と
 答えたアスカが、グラスの中の赤い液体を一気に飲み干した。

 僕も、なんとなくそれにつられて、ワインを一気に喉に押し込む。


 「うっ!キツいなぁ‥」

 「そう?私は平気よ。」

 「ホントに?」

 「ええ、ホント。」


 平気平気と言いながらワインを飲み続けるアスカだけど、顔は真っ赤になってる。
 目つきも違うかな。
 眠くて仕方ないときを思わせる、僅かに垂れ目がかったアスカが僕の目の前にいる。

 ‥‥ホントに大丈夫なのかな‥‥。


 「ふう、僕、次の一杯でやめとく。
  もう飲めそうにないや。」

 「そっか‥‥じゃ、私ももう要らない。」

 結局、ワイングラスに僕は2杯、アスカは3杯飲んだのかな。
 三分の一くらい中身の残ったボトルを冷蔵庫に片づけ、一緒に歯を磨き‥‥
 ヒーターの効いていない二人部屋に戻ってからは、いつものように
 二人分の布団を押入から引っぱり出す。


 “その時が来たら、ダブルベッドみたいに二つの布団を繋げようよ”

 アスカが昔言った言葉、それをそのまんま実行にした。

 なんだか恥ずかしい。


 「アスカ、飲み過ぎてない?大丈夫?」

 「‥‥‥。」

 アスカにそう訊いたけど、アスカは何も答えない。


 もちろん、飲み過ぎて気分が悪くなっているって感じじゃない。
 僕が本当に聞きたいのは‥‥。



 「アスカ‥‥」

 「何よ。」

 「‥‥無理しなくても、いいんだよ。本当にいいの?」

 「無理なんかしてないし、怖くもないわ。
  今日まで、シンジを待たせてたんだし。」

 薄い水色のパジャマのアスカ‥
 寝る前だって言うのに、今夜のアスカは頭に赤いリボンをつけていた。


 「リボン‥‥かわいいね。」




 無言だけどどこか落ち着かない様子の彼女を見ながら、
 本当に好きなのか、本当に、アスカだけを好きなのかをもう一度自問する僕。

“優しかったら誰でもいい。
 キスしてくれるなら、体を赦してくれるなら誰でもいい。
 そんな気持ちになってないか?”

“万が一‥‥そんな事はないと思うけど、万が一赤ちゃんができちゃった時‥
 僕は、責任をとれるのか‥‥?”

 世の中の男の人は、こんな事は深く考えないらしいけど、
 僕は、考えてしまう。



“アスカは、ただの彼女じゃない、勿論、僕の好きにしていいわけじゃない。”


“僕は、この女性ヒトのお陰で、今日までやってこれたんだ。”

“アスカが、あの時必死だった僕に応えてくれたから、
 僕は、今の僕でいられるんだ。それを、忘れてはいけない。”

“だから、僕の事で、アスカを悲しませる事なんて絶対にできない。”

“アスカがいなくなったら‥‥僕はおしまいだって事、忘れるわけにはいかない。”


 いつもと同じ結論。

 大丈夫。
 僕は、アスカがちゃんと好きだ。

 子供の事は‥‥絶対にそんな事にならないようにしなきゃいけないけど‥‥
 その時は、必ず何かの形で責任を取ろう。どんな事があっても、必ず‥‥。




 「アスカ、本当にいいの?」
 「うん‥‥‥いいよ。」


 「じゃ、いくよ。」
 「待って。
  蛍光灯、消してくれる?」

 「わかったよ。はい。」

 ピッ



 僕は、天井の電気を消し、布団の中に身を潜らせた。
 何も見えない視界の中、隣のアスカを怖がらせないように、そっと抱く。


 「これ以上続けたら、僕、もう我慢できなくなるよ。それでも、いいの?」
 アスカは何も言わず、僕の腰にまわした手にギュッと力を入れた。


 「アスカ、ごめんね。」

 何故謝ったんだろう。


 僕は、アスカのパジャマのズボンに、震える自分の手をかけた。


         

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 窓から差し込んでくる街路灯の僅かな光に照らされた、二人だけの世界。
 暗闇の中、目が慣れているせいで、お互いの姿がはっきり見える。

 一緒に暮らして長いけど、こんなに照れる夜は初めてね。



 生まれて初めて、私は男に抱かれた。

 相手はもちろんシンジ。私の最初で…きっと最後の恋人。

 怖くて恥ずかしくて――痛くてしかたがなかった。
 だけど、最後まで私は拒まなかったし、ちゃんと痛いのは我慢して泣かなかった。

 今夜は、シンジが幸せならそれでいい、
 今の私の気持ちをシンジは解ってくれるから、それでいい。

 そう思って、全てを受け入れた。




 事が済んだ後も、シンジは私を抱きしめたまま、じっとしていて動かない。
 私の体を強く束縛したまま、動かない。

 嫌じゃない。
 痛みや恥ずかしさを忘れさせるような、暖かな抱擁、シンジの匂い‥‥。





 「ねえ、私の事、好き?」

 「好きだから、抱いたんだよ。」


 耳元に短く囁いて、今度は私の肩を抱き包むシンジ。

 いつの間にか広くなった男の肩に、私のなで肩はすっぽりと包まれちゃう。

 それが気持ちいい。安心できる。

 甘えたい気分を抑えきれず、露になったシンジの胸に私は頬をこすりつけた。


 「私を、絶対に捨てないでね」

 「当たり前だよ。いつも言ってるけど、ずっとアスカを離さない。」


 「ずっと?」

 「うん。僕は、アスカじゃなくっちゃダメだし。
  それに‥‥嫌がってたアスカにこんな事させちゃったんだ、
  だから僕は、僕のほうからはアスカを絶対捨てないよ。たとえ、捨てられても。」

 「優しいね、シンジ‥‥。」


 耳元の言葉と人肌の暖かさ、怖さを忘れるために飲み過ぎた
 ワインの余韻が、私を眠りに誘う。

 もっともっと、おしゃべりしたいのに‥‥。


 「シンジ、大好き‥‥」

 私はその言葉を最後に、目を閉じ‥‥睡魔に身を任せた。



  *        *        *




 いつもの怖い夢に、私は目を覚ました。
 体中、冷や汗をかいている。

 もちろん、エヴァに乗って殺される、あの夢。
 夢と言うより、現実の再生と言ったほうがいいのかもしれない。


 “まだ、起きる時間じゃないわね”


 額の汗を拭き、枕元の目覚まし時計を見ると、まだ6時半。
 薄暗い部屋の中は、まだ朝の青い色調に支配されている。

 放射冷却現象が起こっているのか、布団から出している顔が
 寒いと言うより、痛い。

 我慢できなくなった私は、布団の中に顔まで潜り込んだ。
 少し息が苦しくなるけど、寒いよりはマシね。



 「‥‥‥最悪‥‥‥なんでこんな時に夢なんて見るのよ‥‥」

 あの夢を見た後は、もう眠れないわよね、きっと。
 そんな怖いこと、とても出来ない。

 かと言って、この時間にシンジを起こすのもかわいそうだし‥。


 「仕方ないや。おとなしくしてよっと。」

 布団の中から見える無防備な寝顔に、私はそう決意した。


 シンジに背を向けて、布団の中で丸くなった。
 絶対眠れっこないってわかっているけど、目を瞑る。





 “これで私、本当に良かったのかな?”


 ああ、やっぱり眠れそうにない。

 悪夢で冴えた頭が、昨夜の事を考え始める。

 もういいじゃん、一番好きな人にあげて、いいに決まっている。




『好きな人と愛し合う事』は幸せな事。
 いろんな人が言う事だし、私も信じている。
 信じているからこそ、シンジに抱かれた。

 シンジも、私を誰よりも好きだから、私を抱いた。

 ‥‥これで良かったに決まってる。うん、良かったに決まってる。



 だけど、これからも、愛の名のもとに、きっと同じ事が繰り返されるのね。

 今は痛いだけの私だけど、いつか、シンジみたいな気持ちの良さそうな顔を
 するようになって――裸で愛し合う事に慣れて――ミサトみたいに
 なってしまうのかもしれない。


 ミサト‥加持さん‥‥パパ‥‥継母‥‥。


 「汚らわしい。」

 暗い布団の中、ふと独り言が口から漏れた。
 シンジを起こしはしなかったかと焦ったけど、幸いにも、彼は眠り続けている。

 私は、再び思考の淵の中に身を沈めた‥‥。



 嫌いな大人達と変わらない女に、自分もなっちゃうのかな。
 今は優しくて私の気持ちばっかり考えてくれるシンジだけど、いつか
 我慢も思いやりも忘れた、そんな男になっていくのかな。

 そうやって私もシンジも‥‥あいつらみたいなどうしようもない人間に
 なって‥‥最後には快楽だけに溺れるようになって‥パパと継母みたいに‥。



 そんな事、ないわよ。
 だって、私はシンジがちゃんと好きだし、シンジは私がちゃんと好きだもん。

 お互い、愛し合っている。
 これは、愛の形、愛の具現化。

 快楽の追求とは、全然別のもの。
 そうよ、そうに決まっている‥。

 私もシンジも、散々そういうのは見ているから、大丈夫よ‥。




 「アスカ、どうしたの?布団の中に潜り込んで。」

 「えっ!?」


 ささやくような声が聞こえて、私は目を開いた。


 いつの間に起きていたのか、青色に染まる視界の真ん中に、
 心配顔のシンジがいる。

 さっきまで寝ていたと思ったのに‥。




 「ん?何でもない。寒いだけよ。」

 曖昧に答えて、シンジの手を求めた。
 柔らかくて暖かな掌を掴み、頬摺りを繰り返す。


 目の前の優しい恋人に、さっきまでの、冷静だけど楽しくない思考は、
 頭の中からたちまち消え失せていく。



 「そう?何だか考えてなかった?」

 「違うわ、あったかい布団の中で幸せをかみしめていただけよ。
  『ああ、この人で良かった』って。」


 「あっ‥‥僕達、裸なんだ‥。」
 思い出したようにシンジが言い、頬を赤らめた。

 何言ってんだか。
 昨日の夜、このまま裸で眠りたいって言ったの、シンジのほうなのに。



 「ねえシンジ、もうパジャマ着ていい?」

 「いいよ。じゃあレディファースト。」


 恥ずかしいから、シンジを布団の中に潜り込んでもらい、
 一人私はパジャマを探した。

 「あ、あった。」

 私とシンジのパジャマと下着が、布団の脇に散らかっている。

 しわだらけになっちゃって、折り重なるように、床の上で冷たくなっている
 それらが、妙にイヤらしい。


 「‥‥寒い寒い‥‥」


 急いでパジャマを着て、シンジと交代。
 暖かな布団の中に、私は急いで潜り込んだ。


 布団の中、微かに残るシンジと私の匂い。

 私は、息を詰まらせた。



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 夜を徹して12時間にも及ぶ、長く、疲れる会議だった。

 時田司令の提案する、平成32年度の改変プラン‥‥
 それは、いまだゼーレを捕捉しきれない現状を打開すべく、渉外部と諜報一課の
 人員・予算を大幅に増強するという、理に適ったものであり、それ自体
 反対すべき理由はどこにもない。

 だが、その、予算と人員の確保の手段が問題だ。

 戦略自衛隊や内務省、国連からの補充だけでは足りないとして、
 一部の部署から有能な人材を引き抜くという方策には、到底納得できない。


 諜報四課も、削減の対象となった。
 ただでさえ少ない人数で切り盛りで部下達にはいつも辛い思いをさせている
 というのに、さらに5人の削減だ。

 当初は11人が削減の対象となっていたものを、司令と人事部長への直談判で
 何とか二分の一に抑えたとはいえ、それでも大きな痛手には変わりない。


 確かに、これまでのチルドレンの監視・保護は何も生みはしなかった。
 だが、そうは言っても、万が一の可能性を考えれば、人員の削減など
 すべきではない筈だ。

 備え有れば、憂い無し。
 ゼーレの存在が未だ不透明な現在だからこそ、
 彼らの監視に力を維持すべきなのではないのか。




 「暗い顔してますね、葛城さん」

 「あ、ああ、おはよう、金山君。」

 「おはようございます。徹夜の会議、お疲れさまです。」

 眠い目をこすりながら帰宅の準備をする私に、部下の一人が声をかけてくれた。

 傍らで仕事を続ける、若くて有能な部下。

 だが彼もまた、情報管理能力の高さを買われて、
 今回の『引き抜き』の対象となっている‥‥。


 「絶対に好きになれそうにないわね、会議ってやつは。
  あ、後よろしく。私、帰るから。」

 「はい。」

 会議の内容については特に告げず、仕事部屋を出る。


 庁舎の玄関を出るときに、帰宅途中の加持に偶然出会ったので、
 私達は久しぶりに二人で家に帰ることにした。



  *         *         *

 「ただいま〜」
 「ただいま。」


 「「おかえりなさい。」」


 喫茶店で少し喋った事もあって、私達が我が家にたどり着いたのは、
 ずいぶん日も高く昇ってからの事だった。

 エプロン姿のシンジ君とアスカが、一緒に迎えてくれた。
 土曜日だというのに早起きでもしたのだろうか、
 二人ともあまり眠そうな顔はしていなかった。


 「あんた達が二人一緒に帰ってくるって、珍しいわね。」
 「会議でね。一緒に出席していたから、帰る時間も一緒ってわけだ。」

 「ふぅーん‥‥」

 加持の言葉にもさほど納得したようでもないアスカ。
 どうせ、不良夫婦の朝帰りぐらいに思っているのだろう。


 「加持さん達、朝御飯、まだですよね?」

 「ん?帰りに軽く食ったから、オレはいい。葛城もな。」
 「ええ。」


 「じゃ、僕たち朝御飯まだなんで‥‥。」

 キッチンに子供達が戻っていく。

 私達は彼らを追いかけずに居間に移動した。



 *          *           *


 「‥‥‥。」
 「‥‥‥。」


 居間に足を踏み入れたときに、それが判った。
 一言も喋ろうとしない様子から察するに、加持もどうやら気づいているようだ。

 確か、昨日がアスカの一八歳の誕生日だから‥‥。



 台所の二人が調理に夢中になっている事を確認し、
 私は“子供部屋”のドアをそっと開けた。
 おそらく、ここであったのだろうと思いながら。



 「おい、勝手に開けると怒られるぞ。」
 「え、ええ‥‥。」

 加持に促されてすぐにドアを閉じたが、それだけで充分だった。


 居間にも漂っていたあの雰囲気‥‥匂い。

 いわゆるフェロモンというものだろうか?

 口では言い表す事の出来ない、男と女のあの空気‥‥
 間違えようのないあの匂いが、二人の部屋から漂ってきた。


 「四年か‥ここまで来るのに、ずいぶんかかったな。」
 「ええ。近頃の若い子とは思えないわ。」


 「純愛って奴かな?」
 「一応、そう言っていいんじゃない?」

 台所まで届かぬよう、声を殺して話を続ける。


 「それはともかく、葛城‥‥」」

 「何よ」

 「二人を、頼んだぞ。」

 いつになく真面目な加持の顔に、私は何故か即答を躊躇った。



 「どうした?葛城?」
 「ん?そうね。私の仕事だものね。」

 そう答えてはみたものの、何か、胸につかえる何かは無くならない。

“ちゃんと避妊させなきゃ”という冗談も、どこか空回りに終わった。





                          →to be continued








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