生きててよかった 外伝6 「KENSUKE」
Episode-06 【苦悩】








 【2019.9/21】[苦悩]


 果たして、俺はどこまで墜ちていくのだろう。


 中学時代、小遣い稼ぎの目的で撮ったアスカの写真を押入から引っぱり出し、
 自分の部屋で密かに眺める事が習慣になりつつある。

 反対に、学校ではアスカの事を妙に意識してしまい、彼女に口を利く事は
 最近は週に一度あるかないかまで減ってしまった。
 シンジとも、顔を合わせるのが妙に辛い。


 どうしてアスカなんか好きになっちまったんだ、俺は。
 誰も悪い訳じゃない。
 敢えて言えば、惚れた俺が一番悪いか。



 恋心。

 この得体の知れない感情が、親友達との心の距離を作っていく。



 ‥いっそ、打ち明けてしまおうか。そうすれば‥。



 『ごめんね、ケンスケ、やっぱり私、シンジが好きだモン‥‥』
 『私が誰と付き合ってるのか、あんた充分知ってるでしょ?
  それなのに‥‥最低!!見損なったわ!』

 『ケンスケ、僕は、今日までずっとケンスケの事、信じてたのに‥』
 『よくも裏切ったな!!アスカが僕にとって一番大切な人って知ってるくせに、
  よくも奪おうとしたな!』

 だけど、結果はきっとこんな感じだ。

 俺は、生まれて初めて好きになった一人の女性と、二人の親友を永久に失うだろう。
 それだけじゃない。もし、これがトウジや学校の仲間にバレてしまえば、
 俺は全てを失う事になる。

 どうすればいいんだ?
 本当に、俺は、どうすればいいんだ?


 アスカ‥シンジ‥‥頼む、俺を、この苦しみから助けてくれ‥‥。





  


 【2019. 11/22】[暴露]


 「こんにちわ、ケンスケ、いる?」

 「うわっ!ア、アスカ!?」




 その日、例によって誰もいない部室でキーを叩いていた俺の所に、
 突然彼女は現れた。

 一週間以上ろくに会ってなかった彼女との、予想外の再会。

 また、ふたりきりの空間。


 それは、あの夜の出来事を脳裏に蘇らせ、大きな悩みと僅かな悦びの
 クレバスへと俺を誘う。
 その谷間で、今日も俺はどこまでも苦しまなければならないのだ。


 「ああ〜、サークルのホームページづくりね、やってるやってる。」

 何気ないアスカの言葉さえ、今は違って聞こえる。
 友達という名のポーカーフェイスが、俺には悲しかった。


 「ああ、そうさ。あれ?シンジは?今日はいないじゃないか。」

 「補習よ補習、確率統計の。あと30分くらいかかるみたいだから、
  ちょっとお邪魔したの。」


 “30分‥‥アスカ、俺の側にいる”
 “部室に、俺とアスカで二人きり。”

 自覚が、俺の脳をたちまち麻薬漬けにして、ジワッとした恍惚が襲ってくる。

 もちろん、後ろめたさと理性が必死のブレーキを掛けて、行動を抑制する。


 だが、俺は恐ろしくてならない。
 この、心の悶え、心のパトスは、日一日と膨らんでいる。
 そして、それらはいつか理性をうち負かして、全てをメチャメチャに
 するかもしれない。
 それは一月後かもしれないし、一週間後かもしれないし‥‥今なのかもしれない。
 それが、恐くて恐くて仕方がない‥。



 「‥‥ねえ、またそんなに俯いちゃって。元気出して、ケンスケ。」

 「俺、そんなに元気ないか?」

 「そうよ!ここ半年くらい、絶対変よケンスケ。まるで、昔のシンジみたい。
  ねえ、早く元に戻ってよぉ!」

 「あ‥う‥。」


 いつの間にか俺のすぐ横の席に、ちょこんとアスカが座っていた。
 俺のすぐ傍らの制服姿のアスカ。
 この世の何より、愛らしい。



 触れれば届く距離に‥。
 今は二人きりだ、シンジもいない。

 耳の奥に、いつの間にか好きでたまらなくなってしまった、
 アスカの元気で可愛い声がリピートしている‥。


 「実は‥‥好きなヤツが‥」

 「えっ?」

 “バカか俺は!”

 アスカの驚く顔を見てから、俺は迂闊に口を滑らせてしまった事を後悔した。
 居慣れた部室にいたせいで、心が油断していたのだろうか?

 好奇と祝福の入り混じったアスカの青い瞳に見つめられながら、
 俺は頬が熱くなるのを自覚した。


 「半年くらい前から。好きじゃない、好きになってないって
  思おうとしたんだけど、出来なかった。」

 「そっかぁ、それで元気無いように見えたのね。でも、好きになったって
  認めないって、苦しいだけでいい事ないわよ。私も、シンジの事を
  なかなか素直に認めなかったせいで、随分辛い思いをしたわ。
  人を好きになるのって、とっても幸せな事だと思うわよ、私は。」

 「そ、そうか‥」

 「で、相手は誰?」

 急に声を殺し、俺に顔を近づけてアスカが尋ねる。

 アスカに会ったのが久しぶりだった事もあってか、
 目の前に迫った端正な顔に、俺は壊れつつある。

 17歳の透き通った肌、薄い桜色の唇、宝石のような青い瞳に、
 眼が釘付けになったまま動けない。


 あまりに、愛しい。
 本当は、手に入れたい。
 全てを失っても。


              ヒト
 「‥‥アスカがよく知ってる女性だよ。」

 アスカが好きだという言葉をデッドラインぎりぎりで打ち負かし、
 俺は何とかそれを口にする。

 この二人きりの状況下、心の扉が、ものすごい勢いで開こうとしているのが判る。
 心に鍵をかける為に、非常な努力をしなければならなかった。

 目の前のアスカを気にせず、ひたすら自分自身の心に意識を集中させる。

 “気を許してはいけない。暴走をひき留めなければならない。”


 「私が、良く知ってる娘?誰かなぁ?」

 「だけど、俺には好きだって言えないんだ。だって、その人には、
  仲の良い恋人がいるから‥‥。」

 「‥‥!?」

 「その人は、俺にとって大事な友達でもあるから、見ている事しか出来ない。」

 「‥‥。」

 「俺は、その娘を好きになっちゃいけないんだ。」

 「‥‥。」

 「見守ってやらなきゃいけないんだ。俺は、その娘が好きだけど、
  今付き合ってる人とずっと幸せに付き合って欲しいって願ってるんだ。
  だから‥‥。」


 「‥‥。」

 「だから、最近は、こうしてアスカとはちょっと距離を置いて、
  会わないようにするしかない。」

 「‥‥。」


 “こうしてアスカとは!?しまった!”

 己の迂闊さに気づいたのは、口にしてしまってからだった。


 だが、まずいと思って顔を挙げた時には、もう、アスカはそこにいなかった。


 「アスカ‥‥!?」

 胃を鷲掴みにされるような感覚に打ちのめされながら、再び
 ただっ広い部室に彼女の姿を求めた。


 「まさか、俺‥‥」


 部室の出入り口のドアが、開け放たれたままになっている。

 誰が開けっ放しにしていったのか‥。

 アスカ以外に、該当者はいなかった。


 「俺、何喋ってたんだ!?」

 少し前の記憶を引き出そうと躍起になり、そして数秒後‥‥




 「‥‥俺は、もう、終わりだ‥‥‥」



 何が起こったのか、何をしてしまったのかを、俺は悟った。




 誰にも会わないで済むように、部室に鍵をかける。

 今の俺に出来る事は、ただそれだけだから。





                          →to be continued








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