生きててよかった 外伝6 「KENSUKE」
Episode-04 【始まり2】
アスカと二人きりの時間は、とても長く、短かった。
シャワーを浴びた後の、青いキャミソールと白のタンクトップという姿が、
眩しく、かわいらしかった。
同時に、親友の彼女で、自分自身の親友でもある女の姿に、眩しさを
感じている自分の危うさが、恐かった。
“アスカって、こんなに良かったっけ?”
湯上がりの彼女に、時折心奪われる俺。
なにをとち狂っているんだ?
アスカがいいという古くて新鮮な発見に、胸が変な感じがする。
良かった?
何がいいのか?
ルックス?スタイル?性格?
前々からそんなの解りきっている。
今のアスカがいろんな意味でいい女の子なのは、百も承知だ。
じゃあ、何が変わったのか?
俺の友人の、シンジの恋人の、何かが変わったとでも言うのか?
‥‥何も変わっちゃいない。今のアスカは、昨日のアスカと何も
変わらないはずさ。
『せっかくだから、ケンスケの作ってるプラモデルとかホームページとか
見てみていい?』
「わかったわかった。じゃあ、ちょっと待ってて。」
“自分の家に二人きり、今日は、アスカは俺の家に泊まっていく。”
“‥‥俺は‥‥何をバカな事を考えているんだ‥”
ただ、シンジとの痴話喧嘩の避難場所として、ここを選んだだけじゃないか。
友人として、頭を冷やす役を俺はシンジから任されているんじゃないか。
俺の中で、何かが変わり始めているとでもいうのか?
ああ、今夜の俺は、絶対どうかしてる、理性的じゃない。
何も変わってはいけない。変えてもいけないって言うのに。
変わる事、変える事は、誰の為にもならない。
必要なのは、今まで通りの暖かで穏やかな時間だ。
『うわぁ!すっごい!これ、本当にケンスケが作ったの?』
「ああ。小さいけど、よくできてるだろ?
このちっこい戦闘機作るだけで、2カ月使ったんだ。
ある意味、俺の一番の傑作かもね。」
『えっと‥あ‥‥すほーい21って言う名前なんだ、これ。』
「ソ連製の飛行機さ。市販されてる奴は、どれもガムのおまけみたいな
プラモデルだから、そいつは全部手作り。ハンドメイドって奴だよ。」
『へぇ‥‥もっと、非建設的な事ばっかりやってると思ってたけど、
見直しちゃった。ケンスケみたいな趣味の人を、よくオタッキーだとか
色々悪く言う人がいるけど、ここまで来たらもう職人かプロの世界ね‥』
「いんや、まだまだ。あれもしたい、これもやってみたいって
思ってるけど、高校生の台所事情じゃあね。
お金があればもっと色々試せるのになぁ。」
“俺の、こんな趣味を‥‥”
アスカは、昔のアスカじゃないんだ。
俺の心が傷つかないようにする、そんな思いやりも今の彼女は身につけている。
アスカは、昔とは違う、いわゆるいい女の子になったんだ。
だから、ぬか喜びはするんじゃない。
もう、やめるんだ、ケンスケ。
アスカは、この目の前でニコニコしているアスカは、お前にとっての何なんだ?
そうだろ?その答えは知っている筈だ、承知している筈だ。
今日のお前は、どうかしているだけなんだ。
たぶん、最近の寝不足でちょっと疲れてて、アスカの綺麗な顔見て
どこか勘違いしてるだけなんだよ‥‥。
『‥‥色々見せてくれてありがと。いい気分転換になったわ。』
「そいつは何よりさ。シンジに心配ばかりかけるんじゃないぞ。」
『‥‥う。』
「あのなぁ、俺だって、一応男なんだぜ。やっぱ俺が家まで送ってやるからさ。」
そうだ、これでいい。
俺は、これでいいんだ。
こうすれば、今まで通りで済むのなら‥‥。
『だって、シンジったら、そんなアスカなんてキライって言ったんだもん。
迎えに来るまでは絶対帰ってやんない!』
「はぁ?」
『前もケンスケに言ったと思うけど、私が素直にしてるのは、お互いに
ホントの姿で愛し合う為なのに、それなのに、それをキライだなんてひどいよ』
「なあアスカ、誰だって、全部相手の事を好きになれる筈がないんだ、
どんなに相性が良くったってな。俺、シンジもアスカも友達として
最高の奴等だと思うけど、それでも全部好きってわけじゃないし、
嫌いな所だってあるんだぜ。お互い、人間なんだからさ。」
『‥‥そんなのわかってるわよ。わかってるつもりだけど‥。』
「だからって、ホントにシンジがお前の事、全部嫌いになるはずが
ないだろ?俺の知る限りじゃ、アスカ達ほど互いを大事にしている
カップルはどこにもいないぞ?」
『‥‥。』
「シンジに嫌いって言われた数より、好きって言われた数の方が
ずっと多いだろ?だから、あいつを信じてやれよ。」
『なんだか、ヒカリみたいな事言うのね、ケンスケも。』
「って事は、やっぱり前科があるって事か?」
『やっぱりとは何よぉ!ま、まあそういう事。
前にも二、三度あったかな。これって、いけない?』
「シンジの気持ちを疑ってしまうのはいけないとは思わないさ、アスカだって
人間だもんな。だけど、こんなやり方は良くないぜ。
向こうも反省してるだろうし、何より、今のアスカは、友達や恋人に
余計な心配をかけてる。それは、いけない事だと思うよ。」
『う、うん‥ケンスケにも悪い事してるね、私。
‥だけど、シンジが迎えに来るまではやっぱり‥‥こっちからは言いづらいっていうか‥‥。
来てくれたら、反省して心配してくれてるって実感があるからいいけど。』
「じゃあ、シンジに迎えに来るように俺から電話で言うからさ。」
『‥‥。』
「俺だって、アスカみたいな美人と一つ屋根の下っていうのは、
その、やっぱりまずいわけよ、な。ダチって言っても、アスカだって
女としては無茶苦茶魅力的だからさ〜。」
“ひょっとして、これが俺の本心‥!?”
そういう仮定に、身が震える。
だとしたら俺は、何てやましい奴だ。
目の前にいるのは、誰だ?
アスカだ。
アスカが、どうして洞木の家のかわりに野郎の俺の家を選んだのか、考えてみろ。
友達として、そこまで信頼してるからだろ?
“だけど‥‥”
俺は、自分が目の前の心も体も美しい乙女に惹かれているという恐ろしい事実を
何とか否定しようと躍起になっているらしい。
だけど‥‥正直な心を覆い隠す事はできない。
必死に否定している、という自分自身に気づくたびに、
その作業の限界と絶望が見え隠れする。
そういった心の抵抗が全く無力である事を、思い知るのだ。
強固だと信じていた理性が敗北し、得体の知れないものが勝ち鬨をあげる。
それは、俺にとって、悲しく、不可解な事である以上に、恐怖であった。
『うーん、そこまで言うなら仕方ないわね。じゃ、電話、お願い。』
「ああ。」
ピッ
プルルルル・・・ 『シンジ、やっぱり怒ってるかな‥‥。』 プルルルル・・ピッ
「もしもし」
「ああ、俺だよ。」
「今、来てるよ。隣にいる。」
「そういう事。やっぱり、いくら友達でも、こりゃまずいと思ってな。」
「そうか?じゃ、今、代わるから。」
「アスカ、シンジが謝りたいって。」
『う‥ん‥』
『もしもし、私。』
『ううん、シンジだって人間だもんね。ごめんなさい、またバカ言っちゃって。』
『うん。すっかり忘れてたわ、あの頃の事。』
『うん。』
『じゃ、ホントに悪いけど、お願いね。また後で。』
ピッ
「シンジ、来るって?」
『今から走って来てくれるって。あいつらしいわ。
それよりケンスケ、今日は、すんごい迷惑かけちゃって、ゴメンね。』
「いや、いいさ。俺なんかでいいなら、いくらでも相談に乗るから。
それより、ちゃんとシンジと仲良くしろよ。あんないい男、今時珍しいぜ。」
『中学時代は、へっぽこ君だったけどね。』
「ハハハ、そんな事言えるなら、もう大丈夫かな?」
『ええ、大丈夫よ。』
‥‥そして数分後、照れくさそうに迎えに来たシンジと一緒に、
アスカは帰っていった。
手を繋いで帰っていく二人が暗い夜道に溶け込むまで、
俺は二階の窓から見送った。
友達を見送る習慣なんて、俺には無いにも関わらず、だ。
わかっていた。
今日の俺は、どうにかしている。
こういうのは、俺の柄じゃない。
何より、アスカはアスカだ。シンジの彼女だ。
眠りにつくために布団をひきながらも、そんな類を頭の中に木霊させる。
だが、説得力に満ちているはずのその言葉にも、今日の俺は
納得したくないらしかった。
“じゃあ、やっぱり‥‥”
“今日、俺は‥‥”
とたんに沸いてくる、一つの疑惑。
「やっぱり、俺は‥‥。」
それは、背徳に満ちた、だが、心の中に埋もれる何より正直なパトス。
「やっぱり、俺‥‥アスカ、気にしてるのかなぁ‥‥。」
この日を境に、俺は、慢性的な寝不足に悩まされる事となった。
→to be continued
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