生きててよかった 第1部 「生きててよかった」
Episode-15 【再会――待ち受ける困難と苦しみ――そして、愛へ】
――眩しい。
新しい一日の始まりを、僕はコンビニの堅い床の上で迎えた。
店の壁に掛けられた時計を見ると針はきっかり8時を指している。
空にはもう、朝の白みは残っていない。
黄色い元気な太陽が体を起こした僕の顔を照らしている。
「‥う‥‥ん‥‥」
まだ眠い目をこすりながらトイレに行った後、
朝食代わりにカロリーメイトを一箱食べた。
当然水道は使えないから、表の河に出て顔を洗う。
朝の冷たい水は、煤けた僕の顔から汚れと眠気を洗い落としてくれた。
“今日は何をしよう?”
独り、考える。
学校に行く必要もないし、ネルフ本部もエヴァも消えてしまった。
友達も周りにいた大人達も、誰もいない。
そう――僕は自由だ。
誰もいない、なにもない世界‥‥完全な自由。
でも、不安な自由。
これから何をすればいいんだろう?でも、しなきゃいけない事もしたい事も
何もない。 だって、ここには僕しかいないから。
生きていく為に、これからは畑でも耕すのか?
‥‥バカバカしい。
この僕一人に、何が出来るっていうんだ。
第一、僕一人生きていたって‥‥
“でも、とりあえず、整理でもしておこう‥”
結局、する事が思い浮かばなかったからということで僕は店内の整理を始める
事にした。やっておいて損をするって訳じゃないし、体を動かして
完全に眠気を追い払いたいと思ったからだ。
まずは、冷蔵の切れた棚から生暖かくなったヨーグルトやプリンを取り出し、
それらをまとめてゴミ袋に放り込んで‥と。
賞味期限の過ぎたコンビニ弁当やおにぎりなんかも、勿体ないけど
捨てるしかない。別に臭うわけじゃないから食べて食べれない事はないと
思うけど、万が一お腹を壊したら大変だと思って諦める事にした。
次に、残った食べ物を賞味期限の順に並べていく。
みんなが戻ってくるような事を綾波と母さんが言っていたけど、
本当にそうなるっていう保証もないし、もし戻ってくるとしても
それがいつなのか全然判らないから、色々やっておかないと。
そうなんだよな。
他の人達が戻ってくるまでは、僕はここで生きていくしかないんだ‥‥。
“もし、誰も戻って来なかったら‥”
“僕とアスカの二人きりの世界だとしたら‥”
それについて考えるは、今はよそう。
倉庫からも食料品の在庫を引っぱり出して、それらも一緒に並べ、賞味期限の
遅い順に倉庫の奥に再収納していく。真新しい段ボールを抱え、僕は十数
メートルの距離を行列の蟻のように往復した。
「これだけあれば、2、3ヶ月は保つかな‥‥」
体を動かしているうちに、作業にハリが出てくるから不思議だ。
ついでに他の事をやってしまおうという欲が出てくる。
結局、小休止を挟んだ後、僕はホウキとチリトリで割れた窓ガラスを取り除き‥
それが終わると靴下や下着、トイレットペーパーとかの整頓に手を着けていた。
倉庫の分も併せると、それら日用品も数ヶ月は一人で生きていけるだけの量が
あるような気がした。
「なんだか、いっぱいあって大変だな」
洗剤とかも置いてあったから、しばらくはこれでも充分やっていけそうだ。
* * *
「終わった!‥‥」
お昼近くには店の中は見違えるように綺麗になっていた。
割れたガラスや瓦礫の処分は一通り終わり、食べ物や日用品も倉庫に全て収めた。
次は、住むところをどうするかだよな‥‥やっぱり隣の民家を使おうか‥それがいいだろうな‥‥。
それにしても、ひと仕事終えるとホントに気持ちがいい。
ピカピカとは言えないけど、何とか暮らしていけそうな『住まい』に
僕は軽い満足すら覚えていた。
“店内は終わったし‥”
一息ついてコンビニの近所を見渡すと、倒れずに残っている建物が近くにちらほらと見える。
後で、回ってみようか。
たぶん、どれも歩いて30分くらいで行ける範囲だと思うし。
そうだ、隣の本屋や民家を早く調べてみないと。
焼け残ったって事は、この店みたいに何か役にたつものがあるかもしれないし、
住みかとして使えるようだったら、向こうに移ればいいからね。
いろいろやってみよう、とりあえず。
でも、食べ物も見つかったことだし、まずはアスカを‥。
「アスカ‥‥そっか、アスカ、どうしよう‥‥」
その言葉に、急に寂しさを思い出す僕。
大事な事を忘れていた。
「‥‥アスカにここ、教えてあげないと‥」
アスカという名前。
それは、一瞬にして僕の心の中から好奇心を拭い去り、
その代わりに言い知れぬ寂しさと不安を植え付けた。
なんで今まで忘れていたのか不思議なくらいに、気になり始めた。
アスカの事が気になって仕方がない。
“今頃、彼女はどうしているかな?”
きのう歩いてきた方角を見ると、キラキラ光る湖が随分小さく見える。
湖までは、相当距離があると思う‥‥。
「ちゃんと元気にしてるかな?」
独り言を発したとき、僕は当たり前の事に気づかされた。
“もし、アスカがいなくなったら‥アスカが死んでしまったら‥‥”
「ひょっとして、死ぬまで独りかも‥」
「そんなのイヤだ!!!!」
確かに僕は、本当の孤独を望んでいた時期もあった。
でも、誤った願いだって事を、それではいつまでも僕は幸せになれない
という事をそれを綾波やカヲル君、アスカと溶けあった事で僕は知った
ばかりじゃないか!
今までの生活‥‥そして本当の孤独。
僕は、大切な事を忘れていた事に気づく。
アスカは、僕が選んだ最初の他人。
一番、一緒にいたかった、力になりたかった‥‥‥‥でも、なれなかった女の子
。
だからこの世界に戻ってきたとき、僕の隣にはアスカがいた。
アスカの事で心がむずむずする僕の脳裏を、昔読んだ無人島で死んでいく
水夫の物語が通り過ぎていく。
確か、船の姿を見る度に必死になって助けを求め続け、でも結局
死ぬまで独りだったという話だったと思う。形ばかりはハッピーエンドに
なっていたけど、幼い僕はとても恐くて泣いてしまった事を覚えている。
今の僕が同じようにならないなんて、言い切る事はできない。
アスカが死んだりいなくなったりしたら、僕はずっと独りで
過ごさなければならないかもしれないんだ。
みんなが楽しく溶けあっているLCLの河を見上げながら、
飢えて死んでいく瞬間まで!
「イヤだ、そんなのイヤだ!!」
さっきまで自分の事しか考えてなかった事が嘘のようだ。
今は、一人でいることに途方もない恐怖を感じる。
いてもたってもいられなくなった。
僕は、店の奥にあった大きな鞄に、食べ物や飲み物を詰め込み始めた。
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燦々と輝き続ける太陽の下、砂浜にうずくまったままの少女は動かない。
全裸の彼女のすぐ脇には、無造作に脱ぎ捨てられたプラグスーツと、
一丁の拳銃が転がっていた。
穏やかな波の音に耳を傾け、静かに眠っているようにも見えるその姿。
だが実際は――アスカは熱射と脱水のせいで体を壊し、動けなくなっていたのだ‥。
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いくら熱いからって、スーツ着たまま湖に浸かったのがまずかったわね。
まさか、あちこちに穴が開いててそこから海水が入ってくるなんて‥‥‥頭に来る。
そのせいで濡れた体、だけど体を拭くタオルもなかったから
寒い思いをしたのがそもそもの始まりかな。
お陰でこの有様。
無様ね、私。
おまけに今度はカンカン照りなんて‥‥日陰、ないかなぁ。
そっか、あったとしても歩けないんじゃね‥。
熱い‥‥。
さっきから、体が燃えるように熱い‥‥。
足も痛い‥‥。歩くと、右足の親指のあたりがズキズキする。
いったい、いつの間に挫いたんだろ?
「私、ここのまま死んじゃうの?」
何を他人事みたいに言ってるのよ‥アスカ。
ファーストに、がんばるって約束した筈なのに。
これじゃ、何のために生き返ったのかわからないよ。
‥そうだ。
せめてシンジを赦しとけば良かったわね。
そしたら、最期くらい、寂しい思いをしなくてよかったかもしれないのに。
あの時シンジ、泣いていたもん、きっと、赦していれば‥‥あんな奴でも
少しは慰めになったかもしれない。
あいつは勿論だけど、私も結局の所はバカね。生き返っても、
なんにも変わってない。
あいつの気持ちを考えてあげない私だから。
互いの悪いところを許せなかった私は‥‥。
怒ってはいけないところで怒った私は‥‥シンジと同じで、自分しかあの時、
見てなかったと思う。だから今、独りでこんな目に‥。
もし、もう一回チャンスがあったら、
もし、もう一度シンジと会うことができるなら‥。
でも、もう来ないわよね。
第一、来ても私、やっぱり赦してあげる自信なんてない。
一人で考えている間は、ファーストと約束したせいもあってか、
結構シンジの事を考えてあげられるけど、あの自信の無い顔を見たら、
きっとその気持ちも吹き飛んでしまうからね。
私とシンジは、結局永遠にいがみあう運命だったのかもしれないわね‥‥‥。
それにしても、ホントに体が焼けるように熱い‥。
この先、どうしても体が苦しくて仕方ないようになったら、
この銃を使って楽になろう‥。
シンジも今頃、同じようにどこかで死にかけているわね、きっと。
私もシンジも、やっぱり生まれてこなければよかったのかもしれない‥‥。
「アツイ‥‥」
口の中が、カラカラ。
一口でいいから、水、飲みたい。
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コンビニの安物腕時計が、きっかり1時を指しているから。
そろそろ休憩はおしまいにして、また歩こう。
湖までは、がんばらないと。
早くいかなきゃ。
アスカ、ちゃんといるのかな。
もしいなかったら‥‥。
アスカがいなくなったら!
いなくなってしまったら!!
僕は‥僕は‥‥僕は!!
落ち着け、今は落ち着くんだ。
…とにかく、着いたら一生懸命探そう。
プラグスーツの足跡は砂浜にはよく残るだろうし、赤い色は砂浜に映えて
遠くからも見えるだろうし‥‥今は、とにかく見つかると信じよう。
そうは言っても彼女の事を考えると、どうしても気持ちがはやった。
『もし会えなかったら』という不安に抗らう事は、今の僕には難しい。
照りつける太陽を見上げては、僕は不安を募らせた。
“でも、アスカに会えたら、まずなんて言おうか‥‥。”
それと、会うことに対する微かな迷い。
アスカに、最初なんて言えば普通なんだろう?
『ごめん』はまたアスカを怒らせるだろうから絶対ダメだろうし‥
『やあ』っていうのも変だし。
あの時にアスカの心を見てしまった事、アスカを傷つけた事、
そして、せっかく生き返ったアスカの首を絞めた事‥‥。
僕は、またアスカに酷いことしてしまったんだ。だから、よく考えないと。
『元気にしてた?』って聞くのもおかしいよな。
『食べ物を見つけたよ』は?
間抜けか、これ。
どうしよう。
アスカも僕も一番傷つかない、一番親しくなれる方法、なんなんだろう?
わからない。どうしたらいいのか、わからない。
失敗するのが怖い。アスカに‥‥絶対に、絶対に拒まれたくない。
今までずっと、他人なんてどうでもいいって思っていたからかな?
僕がこんなにわからないのは。いつの間に、僕はこんな僕になってしまったんだろう。
アスカにまた嫌われたら‥‥そう思うとゾッとするけど、でも、会わなきゃ
どうにもならない。
今、絶対に逃げちゃ駄目だ。
一人の世界に閉じこもっちゃ駄目だ。
それじゃ昔の僕と何にも変わらないから。
僕が独りぼっちのままだから。
拒まれる事を恐れないで、僕は、アスカに会いにいかなきゃならない。
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ダメ!
もう我マンできない!!!
・・・・・・・・
アア!辛い!!ダメ!
この湖の水じゃ、ダメ!!!
死ぬ!!
ワタシ、もう死んじゃう‥‥!
もう、死ヌノネ‥‥。
死にたくナい‥‥。
アツイ‥苦しい‥‥。
もう、こんなに苦しいのはイヤ‥やめたい。
もう、使ッテしまおう。
私がこんな苦しい思いしなきゃならないリユウなんて、もうどこにもないわよ。
ドウセ、誰も私の事、やっぱリ見てくれないんだもん。
結局、シンジモ来ない‥。まあ、自業自得か。
そうよ、銃ヲ使えば‥‥使えば、モウ、苦しまなくてもいい。
体が苦しいノモ、一人デ寂しいのも、なくなるもん。
死にたくナイけど‥一人はイヤだもん。
ジュウヨ。
確か、すぐ側にあったはず‥。
‥‥ああ、あった。
うっ‥‥手を伸ばすノモきつい‥‥。
銃って、コンナニオモカッタっけ?
ああ、そうね。
ワタシが弱ッテるからね、たぶん。
どこ撃ったら楽になるかな?
そうだ。
口にくわえれば、寝コロンダままでもいいかもしんない‥‥。
ちゃんと延髄ニ当タレバ、あんまり苦しくないヨネ‥‥。
寂しい‥‥。
ごめん、ファースト。
私、もう、あなたとの約束、守れそうにない‥‥。
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「‥水、また飲みたくなったら言ってね。」
やっぱりアスカは何にも答えてくれない。
それどころか、今度は目も開けてくれなかった。
でも、小さくコクリと頷いたような気がした。
僕がそう思いたいだけなのかもしれないけど、そう自分に言い聞かせた。
「悪いけど‥‥またおんぶするからもう少し我慢して。
あと2時間くらいしたら、食べ物とかのある所に着くから。」
「‥‥。」
アスカは、何も答えてくれない。
それと、さっきより少し弱っているような気がする。
早く、休ませてあげないと。
「よいしょっと。」
僕のカッターシャツを無造作に羽織ったアスカを背中におぶって、
再び荒れ地を歩き始めた。
僕の裸の背中にお尻を支える掌にと、熱い体温が伝わってくる。
でも、水を飲んだせいだろう、
アスカは少しだけ、汗をかきはじめているような気がした。
それにしても、まさか一日半でこんな事になってるなんて――。
:
:
:
:
:
遠くの方に象牙色の砂浜が見えてはじめてすぐ、
僕はアスカのプラグスーツを紅い点として認めることができたんだ。
思い起こせば不思議な事に、そのとき僕はアスカを恐れていなかった。
ただ、アスカがそこにいると知ったとき、駆け寄りたい衝動だけが沸き上がった。
それから暫くの事は、とぎれとぎれにしか覚えていない。
脱ぎ捨てられたプラグスーツの側に、裸になっていたアスカを見つけて‥‥様子が変だと思ってじっと見てたら‥‥
アスカが自殺しようとしてて‥‥それをすんでのところで止めたんだ。
『やめろ〜〜!!!』
声を限りに叫んで僕は駆け寄り、アスカの口にくわえられた銃を
奪い取った。
カラカラにひび割れたアスカの唇から発せられた
最初の一言が何だったかは、僕の記憶には残っていない。
けど、その一言を聞いて僕が泣きだしたのは間違いなかったと思う。
『死んじゃダメだよ!!もう、死んじゃダメだよ!!』
『死なないでよ、アスカが死んだら、もう、おしまいだよ!』
『もう二度と、僕の前からいなくならないでよ!』
本当に必死だった、夢中だった。
瞬間、アスカだけが僕の全て。
またも変わり果てたアスカの体を、声をあげて泣きながら抱き寄せた。
『アスカがいてくれなきゃ駄目なんだ!』
その後の事は、割と意識に残っている。
コンビニから持ってきていたミネラルウォーターのペットボトル、
その最後の一本をアスカに持たせてあげて。
‥砂浜に寝そべったままのアスカは、ボトルのキャップを自分で開けようとしたけど、
弱り切っていたから、それさえ出来なかったんだ。
僕に開けて貰おうとはせずに、ただ視線を逸らしたまま
一人でがんばるアスカを見るのはとても辛い事だった。
蓋を開けてあげるためにアスカからペットボトルを取ろうとすると、
必死にそれを離すまいとするアスカ。弱々しい力で男の僕に抗らおうとする。
それで僕は、また泣いた。
『今、開けてあげるから。』
『‥‥‥‥‥。』
ボトルを取り上げられたアスカは、僕に目を合わせないように、
その時も顔を背けたまま。冷たい顔をしている事が、顔を見なくても
僕には解っていた。
『‥‥はい、開けたよ。とにかく飲んで。』
すぐに蓋をあけて返してあげたけど、寝そべったまま起きられないのか、
それとも疲れ切っているせいか‥‥アスカは上手に飲むことができない。
たちまち顔づたいに水が勢いよくこぼれ始め、茶色いまだら模様が
砂の上に広がった。
「ああっ!!」
急いで駆け寄ったお陰で、半分くらいは中身が残っていた。
「よかった、はい、半分くらいこぼれちゃったけど。」
僕はアスカの側に座って、自分の膝を枕にしてアスカに水を飲ませてあげた。
『さあ、こっち向いて口開けて』
手で無理矢理こっちを向かせた顔に、怒りや拒絶はないと思った。
もちろん、喜びや期待も無かったけど。
ただ、とても疲れて、悲しげな表情だった。
アスカはいつもすぐに視線を逸らすから‥‥あんなに悲しそうな表情を
直接見たのも始めてだった。
昔はとてもきれいな顔立ちだったのに、やつれ、汚れ‥‥なにより、
出会った頃みたいな弾ける生気が全然感じられない。
無言のアスカは、くたびれた人形みたいな表情をしていた。
壊れ始めた頃のアスカが、僕を避け始め頃のアスカが
こういう顔をしていたのかと思うと、胸が痛い。
アスカが悲しんでいても、何も気づいてあげられなかった、あげようと
していなかった自分を思い出してしまう。
サードインパクトの最中、アスカと溶け合うその時まで僕が何も知らなかった
彼女の苦悩・彼女の願い。
僕でも力になれたかもしれないものだった。
それだけじゃない。僕自身がアスカの心を痛めつけていた。
自分がとてもバカな男だった事、一歩を踏み出さない事が一番だと
思っていた事が一番アスカを傷つけていた事を、あの時僕は知った。
『さあ、飲んで』
『‥‥‥。』
動きのない唇の間に、慌てずにゆっくりと水を注いだ。
本当に喉が乾いていたんだろう。
無表情だったアスカだけど、すぐに必死になって水を飲み始めた。
最初は僕の手で飲ませてあげたけど、アスカは途中からは体を起こし、
自分の手で飲みはじめた。
『ごほごほっ』
『ああ、いそいじゃダメだよ。ゆっくり飲まないと。』
蒸せる彼女の背中をさすった時に、
僕はアスカが全裸だという事に再び気がついた。
裸体に目が走ったけど、特にイヤらしい事を考える事もなかった。
何もかも見えていたはずなんだけど、気にする余裕はない。
哺乳瓶をくわえた赤ん坊を連想させるアスカの姿、それを横目に見ながら、
僕は彼女の為にカッターシャツを脱ぎ‥‥それを痩せた白い肩にかけてあげた。
「ふう‥‥‥」
ちょうどその時、水を飲み終ったアスカが大きな溜息をついた。
「アスカ、大丈夫?」
「‥‥」
僕の汚れたカッターシャツを羽織ったアスカが、
無言のままこっちを見つめていた。
砂に汚れた熱っぽい顔は、何も答えてくれない。
ただ、蒼い二つの瞳が僕を真っ直ぐに見据えている。
「あの‥‥」
「‥‥」
「あの‥‥一緒に‥‥行こう」
アスカは何も言わなかったし、笑顔を見せたわけじゃない。
だけど、だけどアスカは、僕のほうに這ってきた。
「歩けないの?」
何も答えないのは、きっと歩けないという事だと僕は理解した。
「じゃ、おんぶしていくよ。ちょっと遠いんだ、食べ物がある所まで。」
:
:
:
:
:
:
そうして歩き始めて、かれこれ3時間。
一人で歩いているのとは違うから、どうしても途中で休まないと体が保たない。
幸か不幸か、アスカの体重はとても軽く感じられた。
顔も痩せているけど、熱があるためかピンク色で腫れぼったい感じがする。
早く寝かせてあげないと。
「夕日、綺麗だね」
返事の代わりに、アスカの熱っぽい吐息だけが耳元に返ってくる。
いびきは聞こえなくなったけど、まだ眠っているみたいだ。
「着いたら、何食べさせてあげようか‥‥」
―――綾波、母さん、カヲル君、みんな。
これでいいよね。
僕は、これでいいと思って、やれることをやったつもりだよ。
今、僕がアスカにしてあげられることをする。
僕、がんばってみる。
あの世界でみんなが教えてくれたこと‥‥僕は、信じてる。
僕は‥‥‥逃げない。
僕は、どんなに恐くても‥どんなに不確かでも‥もう、この娘から
目を逸らなさいから。
→to be continued
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