生きててよかった 第1部 「生きててよかった」
Episode-17 【二人だけの時間】








「ねえ、こっちも何ともないわよ〜!ちょっと、ガスコンロのほうの火、
 つけてみてくれる〜」

 
 チチチチチチ‥‥


 ぼっ



「凄い!上手くついたよ!!」

「ほ〜らね〜!!私の言ったとおりでしょ?
 ガス漏れもしてないから、安心していいわよ〜!」

 アスカの得意そうな声が、家の外から聞こえてきた。

 ほんとにアスカの言うとおりだったんだ。
 お風呂だけじゃなくて、コンロも使えるんだね、この家。
 さすがに電気と水道は止まったままだけど‥。


「じゃ、次は何をする?」

 息を弾ませ、アスカが台所に入ってきた。

 朝からとても元気そうに振る舞っている。

 嬉しいな。

 昨夜までの弱々しくよそよそしい姿が嘘のようだ。


 「ねえ、あんまり無理しないでよ、まだ病み上がりなんだから。」

 “わかってるわよ”なんて言いながら、アスカが僕の側までスタスタ歩いてきた。
 やせ顔だけど、動作や表情は病人のものじゃない。

  お鍋の前から動けない僕の手を引っ張り、アスカは“外行きたいからついてきてよ〜”と言い始めた。

 手を引っ張られ、おろおろしている僕。

 目の前で、カセットコンロにかけたお鍋の蓋がコトコトと僕達を笑っていた。



 「待ってよアスカ、お昼御飯を食べてからにしようよ、せっかく作ったんだからさ。
  あ、悪いけどもう一個のお鍋、火、つけといてくれる?」

 「え?こ、このお味噌汁のこと?」

 「そうだよ。マッチあるでしょ、すぐ横に。」

 「‥‥う。」


 火をつけてないもう一つのカセットコンロを前にして、アスカは
 手にしたマッチ箱をいつまでも手の中で弄んでいる。


 「‥‥‥うう‥‥」


 なんでアスカが火をつけないのか。 答えはなんとなくわかるような気がする。

 僕はそんな彼女の所に駆け寄り、“慎重に”声をかけた。


 「あ、やっぱり僕が火、つけるよ。アスカはテーブルの上を拭いてくれる?」

 「そ、そ、そ、そうね。何もこんな事、この私がわざわざやることないもんね〜。
  シンジがやりなさいよ」


 やっぱり思った通り。

 無理に笑みを浮かべながらも微妙に視線を逸らす仕草も、なんだか理不尽な言い訳も、
 僕のよく知っているアスカのアスカらしいところ。

 笑いを堪えながら、僕はアスカの手からマッチ箱を受け取った。

 
 シュッ



 マッチを擦る時、アスカは僕の手元をじっと観察していた。

“ライターと全然違うのね”という小さな呟きが聞こえたような気がしたけど、
 僕はこれも聞こえなかったふりをしてあげる事にする。



  








 少し早めの昼食を終え、アスカとシンジははまず家の正面を流れる河に向かった。


 「さて、洗わなきゃ。すぐそこが河だよ。」


 「そうなんだ。わぁ!すっごい綺麗な水!!」


 陽光を浴びてきらめく透き通った水を前に、アスカの青い目が微かに見開かれる。

 河まで走って駆け寄り、彼女は乾いた岸辺にしゃがみ込むと、さっそく
 冷えた清水に手を浸した。


 「うわっ!つめたいっ!」

 「本当に冷たいでしょ、ここの水。
  だけど、慣れてくると気持ちよくなるよ。」

 驚くアスカに答えながら、ちょっと遅れてきたシンジもアスカの隣へと腰を下ろした。


 「こんなに外は熱いのにね。ちょっと不思議ね。近くに泉でもあるのかなぁ。」

 「う〜ん‥‥どうなんだろ。
  それよりもさ、これから僕は洗いものをやらなきゃいけないんだけど、
  アスカはその間どうしてる?」

 「んと、私もできる?」

 「じゃ、お皿だけでもやってみてよ。はい。これが洗剤とスポンジ。」

 「‥‥う‥」


 ――どうやって使うんだったっけ?

 渡された皿を見つめたまま、アスカの動きが止まる。
 動きが止まった理由は‥‥言うまでもなく、彼女が家事に疎いためである。


 シンジは、アスカの心の中の声を聞いたような気がして、また笑いを堪えながら
 こう言った。



 「スポンジにこれをちょっとつけて‥‥ごしごしやるんだよ。」

 「そ、それくらいわかってるわよ!私も!!」

 「ぷっ‥‥‥」
 「な、何を笑ってるのよ〜〜!!」


 図星を指されてムキになるアスカの姿に、つい吹き出しかけたシンジに、
 泡だらけのスポンジを振り上げるアスカ。

 痩せていても元気な姿が、揺れる水面に映っている。

 頭上では、物言わぬ眩しい太陽が、次第に熱さを増しながら
 二人だけの為に金色の光を振りまいていた。




 じゃぶじゃぶじゃぶ。

 アスカの皿洗いが始まり、洗剤の白い泡が浮き沈みしながら下流に向かって流れ始めた。

 今まではシンジに押しつけてばかりだった家事。

 気持ちの良い音とモコモコと沸き立つ泡、それに水の冷たさのせいもあるのだろうか。
 初めての体験にアスカは結構嬉しそうな表情である。

 そんな彼女の表情を盗み見たシンジは密かに胸をなで下ろす。
 今のシンジにとって、ようやく掴みかけたアスカの笑顔は何よりも貴重なものなのだ。

 こんな感じがずっと続けばいいのにな――そう思いながら、彼自身も、靴下と
 カッターシャツの洗濯を始めた。




 「アスカ、お皿はそんなに一生懸命こすらなくてもいいよ」

 「じゃ、もうおしまいね。お皿については一通りはやってあるわ。」

 「どれどれ‥うん、どれも丁寧に洗ってあるね。」

 「ふふ〜んだ。」




 ばしゃばしゃばしゃ。


 「‥へぇ〜、そうやって汚れた所を洗濯するんだ。
  それが手洗いって奴ね?」

 「そうだよ。手間がかかるけど、洗濯機よりも綺麗に汚れが落ちるんだよ。」

 「なんだかすごく慣れた手つきね、シンジは。」

 「うん。一人暮らしが長かったからね。先生の所にいた頃から、
  こんな事もしてたんだ。家事が得意なのも、そのせい。」

 「そっか。心を覗きあったって言っても、
  まだまだ知らない事のほうがずっと多いもんね、よく考えたら。」


 靴下をギュッと絞って竹籠に放り込み、シンジは別の籠から
 手近にあった洗濯物を取り出した。


 「あっ!それは私が洗う!!あんたは見ちゃダメ!!!」

 突然、アスカが横から飛び出して、シンジの手にあったものを奪い取り、素早く
 隠す。

 耳たぶを真っ赤にして背を向けるアスカにシンジはびっくりしたが、それその筈。

 シンジが偶然に取り出したのは、朝に着替えるまでアスカが身につけていた、
 ベージュ色の下着だったのだ。


 「でっ、でも、あの頃から洗濯もみんな僕が‥」

 「なっ何いってんのよ!手洗いよ、手洗い!!冗談じゃないわよ!!」

 「わっ!」


 シンジをぐいっと押しのけ、アスカは下着を洗い始めた。

 押されたシンジは河に転げ落ちそうになったものの、ぎりぎりの所で
 踏ん張ることができた。


 「あ、危なかった〜。」

 「あ、あんたがこんなものを洗おうとするからよ!!わわわわたしは悪くないわ。」

 目を合わせると“こっち見ちゃダメ!”と俯くアスカ。

 シンジが洗っていた手つきを思い出しながら、見よう見まねでごしごしやっている。




 「まだ洗ってるの?」

 「ダメっ!」







 「‥‥お、おわったわよ」

 「じゃ、あとはやっとくから、先にアスカの分の洗濯物、乾しといてよ。」
 「わかったわ。それじゃ、先に行って物干しに掛けとくね」

 「ちゃんとよく絞って、よく叩くんだよ」
 「そ、それくらいわかってるわよ、失礼ね!」


 自分の衣類を抱え、アスカが走り去っていく。
 シンジは、柔らかな表情でそれを見送った。




  







 シンジが二人分の洗濯物を干し終えた後(結局アスカは殆ど何も出来なかったのである)、
 彼らは何か役に立ちそうなものがないかと、周囲を散策し始めた。


 まず最初に彼らが目を付けたのは、コンビニの隣に立っていた本屋である。
 『片桐書店』と書かれた看板も古めかしい、二階が家屋になっている小さな店舗に
 入り、二人は何か役に立ちそうなものを探し回った。


 「うっわ〜ひどく散らかってる‥」
 「まあ、本が残っているだけでもマシだと思わないと。」

 陽の入らぬ薄暗い店内に踏み込むと、床いっぱいに本が散らばった
 文字通り“足の踏み場もない”光景が二人を待っていた。


 「サバイバルの本とか、家庭医学の本とかは、要るわよね?」

 「あんまり役に立たないような気がするけど‥‥じゃ、
  そういうのだけ持っていこうかな?」

 「うん。」


 本屋で何冊か使えそうな本を見つけた後、さらに二人は隣家や近くの瓦礫の類を
 何時間もかけて丁寧に見て回り‥‥
 食料品や衣類、ラジオなど、これからの生活に役に立ちそうなものを沢山発見した。
 別の民家のガレージの中では、殆ど無傷のRV車を見つける事もできた。

 「車を運転できたらいいのに。これ、適当にやってみようか?」

 「でも、今は後回しね。中のガソリンとかバッテリーだって、
  別の事に使えるかもしれないし。第一、道路もめちゃめちゃになってるから
  走れないわよ。」

 「‥‥そうだね。」


 「ねえ、それよりも、拾ったラジオ、つけてみようよ。」
 「うん。」
 
 ザザッ  ザーー‥‥‥

 シンジが周波数を丁寧に変えていくと、やがてノイズに混じって
 僅かな声が聞こえてきた。

 「繰り返し‥‥‥県‥‥‥‥本部です。このラジオを‥‥‥‥なった‥は
  ‥‥‥最寄りのシェルターま‥‥‥下さい。セカンドインパ‥‥
  ‥‥‥教訓を‥‥、‥‥‥な対応を‥」


 「人だ!」

 「生きているんだ!」


 「って事は、遠くの方の街はやっぱり無事で‥」

 「人ももう戻り始めているって事ね。」


 思わず二人が同時見上げた西の空には、LCLの光条が素知らぬ顔で
 輝き続けている。


 「いつか、助けがくるよね、きっと」

 「うん。それまで、何とか粘れるようにしよう!」


 「うん!うんうん!!」


 「助かったんだね、僕ら‥」

 「でも‥油断は禁物よ。あんたも歴史で習ったでしょ?
  もしセカンドインパクトみたいになってたら、これからが大変なのよ。」

 「そっか‥‥。」

 アスカの口から発せられた言葉に、シンジは黙り込んだ。

 セカンドインパクトにおける死亡者の半数以上が、その後の混乱によるものである事、
 力の弱い年寄りや女子供が多く犠牲になった事を、彼も思いだしたのだ。




“僕もアスカも子供だ‥‥まして、アスカは女の子‥”

“自分の身を大人から守ることなんて、このままじゃできっこない。”

“でも、まもらなきゃ‥‥僕も、アスカも。”




 「ねえシンジ」


 ろくに聞きとれない災害放送を繰り返すラジオの電源を切って、

 “明日、湖まで行って銃とか取ってこようよ、護身用に。いっぱい転がってるからさ。”

 アスカはそう切り出した。



 「でも、銃なんて‥」

 「甘いこと言ってると、あんたも私も殺されるかもしれないのよ。」

 「う、うん‥そうだね。明日、行こう。」

 凶器を持つ事に対する抵抗を感じるシンジだったが、アスカの表情が真剣だったので
 思わず頷いてしまう。

 彼のためらう態度が、アスカには、ほんの少しだけ気に入らない。



  






 お鍋のご飯が炊けた。

 後は、帆立の貝柱をスープに入れて‥‥と。


 「アスカ〜!ご飯できたよ〜!!」

 僕の呼び声に数秒遅れて、遠くの方から“いま行くから〜”という小さな返事が帰ってきた。


 僕がご飯の用意をしてる間、アスカはお風呂の用意をしてたんだ。
 それも、全部一人で。

 アスカにしか出来ないガス漏れのチェックとかをやっただけじゃなくて、
 水を河から汲んでくるのも全部やってくれたんだからびっくりだ。

 あの、雑用はみんな僕に押しつけていたアスカが‥‥お昼の皿洗いもそうだけど、
 ちょっと信じられない。 もちろん、僕は嬉しいと思ってるけどね。



 お皿の上にご飯とカレーを盛りつけはじめた頃、アスカが帰ってきた。


 「お腹減っちゃった〜〜!!」

 「もう全部できてるからね。」


 今夜のご飯も、真空パックやレトルト中心のメニューだ。
 食べられるだけマシだと思わないといけないんだろうけど、もっとおいしいものを
 作ってあげたい。


 「うわ〜!これ、いい匂いね‥ホタテかな?」

 「当たり。缶詰を組み合わせて作ったスープなんだけど、
  これが一番美味しそうだね。」


 帰ってきたアスカの体を見ると、汗だくになっている。

 民家で見つけた青色のTシャツが、べったりと首や体にくっついている事に気づき、
 僕は慌てて視線を逸らした。


 「今、じろじろ体、見てなかった!?
  いやらしい事考えたんじゃないでしょうね。」

 「ごっ!ごめん!そんなつもりじゃないんだ。ただ、頑張ってくれたんだねって。
  僕、嬉しいよ。」

 「う‥‥た、大した事してないわよ。私が頑張るなんて。
  ただ、自分がお風呂に入りたいからやっただけ。何も、あんたの為にやったって
  訳じゃないわよ。」

 プイっと僕から視線を逸らし、アスカはどもった調子で答えた。

 言ってる事についてあれこれ思う以上に、『らしい態度』が嬉しかった。
 僕がよく知ってた、僕が好きなアスカが、ここにも戻ってきてる。


 「わかってるよ、そんな事。ほら、それより冷めないうちに、ね。」

 「わかったわ。じゃ、いただきま〜す。」


 天井に吊した明るいランプのもと、二人きりの晩御飯が始まった。

 ランプは隣家から持ってきたサビだらけの骨董品なんだけど、
 暖かい光で僕らを照らしてくれている。


 揺れる灯火の中、スプーンを口に運びながらの僕とアスカの会話が始まった。

 「このカレー、やけにおいしいわね〜。」

 「これ、ただのレトルトなんだよ。手抜きで悪いけど。」

 「だって、ミサトの作ったやつは、もっともっとまずかったでしょ?」

 「ああ、あんなの、人の食べるものじゃないよ。」

 「フフッ、そっか。言われてみればそうかもね。
  ペンペンもひっくり返ってたしさ〜。」


 他愛もない言葉のやりとりだけど、それさえも貴重なもののような気がする。

 僕もアスカも、こういうの随分ながいこと無かったから、そんな事を思うのかもしれない。



 「スープのほうも、予想通りの味よ。グーね。」

 「ハハ‥‥これも手抜き料理のつもりだったんだけど‥」


 「手抜きでこれ?こんど私も習おうかな‥‥っていうよりさ、今度は手の込んだのを
  作ってみてよ。」

 「うーん‥‥材料が足りないよ。」

 「つまんないの〜。ま、これでも充分だけどね。」

 ぜんぜん手抜きな食事だけど、それでもアスカは美味しそうに食べてくれている。

 食欲あるのはいいことだと思う。

 たくさん食べて、もっともっと元気になって欲しい。

 いっぱい食べて、いっぱい笑って。




 「ねえアスカ、お風呂のほうはどうなの?」

 ふと思いだし、話題を変えた。


 「さっき種火をつけたから、ご飯食べ終わった頃には沸き上がるわ。」

 ジャガイモを口に運びながら答えるアスカは得意そうな表情。
 頬さえこけてなければ、昔のアスカそのまんまだと思う。


 「嬉しいね、久しぶりのお風呂。」

 「でも、私が先に入るのよ。こーゆーのって、やっぱレディーファーストでしょ?」

 「うん。いいよ。アスカがやってくれたんだもの。先に入って。」

 「あんたに言われなくても先入るわよ。」

 「う‥‥」

 まあ、アスカがやってくれたんだから、もちろんそれでいいと思うけどね。


 「あ、あと10分くらいでお風呂、わき上がりそうよ。」

 コンビニの安物腕時計で時間を確認しながら、アスカが答える。
 

 「それじゃアスカ、先お風呂に入ってて。僕は、食器を洗ってるから。」

 「りょーかい。じゃ、悪いけどお先に。」

 「あっ!‥‥でも、食後すぐは体に悪いんだったっけ?」

 「そうね。でも、今日は我慢できないから入っちゃおうっと!」

 「いいの?」

 「いいと言ったらいいのよっ!!」

 アスカ、嬉しそうだ。
 ホントにお風呂が好きだったもんな。




    *         *         *



 「あちっ!!あちちっ!!!!」

 “な、なんだ!?”

 風呂場のほうから声が聞こえたような気がする‥。


 「あっつ〜〜〜い!!!!」

 「熱い熱い熱い!!!シンジ〜!水!!水!水!!」



 「あ〜あ〜」

 バケツに水を汲んでお風呂場に飛んでいくと、シャツで体を隠したアスカが
 小さなランプの真下にうずくまっていた。
 真っ白な湯気の上がるバスタブのほうを指さしながら、落ち着かない表情で
 僕のほうを見ている。

 「お湯、めちゃめちゃ熱かったのよ〜!こら!こっち見ちゃ、ダメ!!」
 「ご、ごめん!」


 あられもない姿のアスカが、一瞬目に入った。
 とってもかわいい‥。


 「ほら、ボーッとしてないで、水、水!!」
 「あ、うん」

 「あ ん た〜〜!!私に見とれてたわね〜!」

 
 ゲシッ


 バスタオルの隙間から飛び出した白い足が、僕のふくらはぎを直撃!


 「いっ、痛い!!!」

 「おしおきよ!」
 「そんな〜!」


 アスカに怒られながらもバケツの水を入れ、バスタブのお湯をかき回すと、
 なるほど、確かにむちゃくちゃ熱い。

 熱いお湯が苦手なアスカはもちろん、僕でもこれじゃ入れないな。

 「ちょっと待ってて、まだ熱いから、もう一杯水を持ってくるよ。」

 「う、うん‥‥急いでね。」




  






       ‥ふふふんふふ〜んふ ふふふんふっ! ♪




 お風呂場から、気持ちの良さそうなアスカの鼻唄が聞こえてくる。

 食器を洗い終えた後、僕はお風呂場の入り口でずっとそれを聞いていた。
 嬉しそうな彼女の声を聞くのはホントに久しぶりだ。随分長いこと、元気な
 アスカを見てなかったような気がする。

 聞いていると、何故かとても気分が良かった。




 不思議だ。
 こんな気持ち、今までに一度も経験した事がない。

 支え合っているって気がするのかな?
 この感じ、よくわかんないけど、嬉しいし、気持ちいい。いつまでも続いて欲しい心の状態。


 『――でも、ぼくはもう一度会いたいと思った。
    その時の気持ちは本当だと、思うから。』


 アスカに会えて、よかった。
 もう一度生まれてきて、本当によかった。


‥‥僕は、間違っていなかった。
 大事なことを思い出させてくれたカヲル君と綾波に、僕は感謝している。


 今は二人しかいない世界。
 誰もいない、街も何もかも吹き飛んだ、地獄みたいな世界。

 絶望したっておかしくないっていうのに、なのにこんなに楽しいなんて。
 こんなに楽しくて幸せで‥‥充実した時間は初めてだと思う。


 『幸せ』。
 それとも、本当の喜び?
 上手く、言えないや。


 なんにしても。
 僕はアスカの為になる事をしてあげられているんだ、きっと。


 この世界では、アスカは、僕なしじゃ生きていけない。そんな気がする。
 僕も、アスカなしじゃ生きていけない。そんな気もする。


 他の人達が戻ってきても――元の生活に戻っても――僕達は今の関係を
 続ける事ができるのかな?




    『あんたが全部私のものにならないなら、私、何にも要らない』


 今、僕は全部アスカのものになっているのかな?
 ううん、今でも僕は僕だ。
 全部アスカのものになるわけじゃない。
 みんなが帰ってきたら、アスカ一人といつまでも一緒にいるわけにはいかないし。



    『だったら僕に優しくしてよ』



 逆に、アスカは僕を大事にしてくれてるかな?
 そうじゃないかもしれない。
 ただ、僕しかここにいないから、僕が助けたからかもしれない。
 他の人達がいるのなら、僕が要らなくなってしまうかもしれない。


 今も、お互いわかりあってるなんて言えないし、きっとまた喧嘩すると思う。
 ひょっとしたら、夢の中みたいにいつか殺しあう事になるかも‥‥
 そうならないって保証はどこにもないんだ。

 忘れたわけじゃない。僕とアスカは、まだ仮の友達なんだ。
 それにしてはアスカが親しくしてくれてるとは思うけど、まだ仮の友達でしかないんだ‥‥。



 「ねえ、シンジ〜!今からお風呂あがるから、こっち見ちゃダメよ〜!」

 突然、アスカの声がした。

 「わ、わかってるよ」

 考え事をしてたせいで、返事をする声が慌ててしまう。


 「バスタオル、用意してある?」

 「出してあるから心配しないでいいよ。」



‥まったく。

 ちょっと一人になると、すぐに考え込むんだから、僕ったら。
 人を信じる事に、どうしてこんなに臆病で疑い深いんだろう、僕は。

 何故?自分が裏切られてばかりだといつも感じていたからかな‥‥。



 だけどさ。

 ほら、アスカは昨日はすごく警戒してたけど、
 今は大丈夫じゃないか。
 昔みたいに、僕をこき使ったり頭ごなしにバカにしたりする事もないし。

 とにかく、やってみるんだ。
 考えるのは、行き詰まってからでもいい。

 今は、目の前の女の子を――たった一人の友達を――見つめよう、精いっぱい。


 そうだよ。
 こんなに不安定だけど‥‥この、何ていうか、幸せな気持ちというか、
 ふわふわしたこの気持ちだけは間違いないよ‥‥絶対に。

 
ガラガラ



 「あ〜さっぱりしたぁ〜、次、シンジね。
  あったかくて気持ちよかったわよ、お風呂。」


 突然風呂場の引き戸が開き、湯気をあげるアスカが出てきた。
 頭に白い手拭いを巻いているから、ちょっと変な感じがする。

 「うん。あ、アスカがおばさんみたいな格好してる。」


 「う、うるさいわね〜!!さ、さっさと入ってよ!」
 「じゃ、入るね。」


 「バスタオル、後でここにおいとくからね。」

 「わかったよ。」



 湯上がりのアスカの側を通りがかったとき、シャンプーとボディソープのいい匂いが
 僕の鼻先をを通り過ぎていった。



      *        *        *




 お風呂の暖かさとシャンプーの匂い、さっきのアスカの姿が僕を麻痺させていく。
 助かったという安堵感、アスカと仲直りできたという喜びが、
 僕の中の安全装置を切ってしまったのかもしれない。


 「ほらバカシンジ、わたしとひとつになりたくない?
  心も体も一つになりたくない?それはとてもとても心地よいことなんだからさぁ」

 そんな幻を耳に聞きながら、湯煙ののぼるバスタブに足だけを浸していた。


 沢山のアスカの姿だけが頭の中をぐるぐると回り続けている。

 裸のアスカ、
 僕を駄目にしていく。






 “うっ‥‥”


 そして‥‥‥最後に、嫌悪感だけが残った。




“こうしなければ、勢い余ってアスカにひどい事をしてしまうかもしれない”

 ずるい言い訳だ。
 ホントの事かもしれないけど、それでもやっぱり言い訳だ、こんなのって。
 事実かどうかなんて、関係ないよ。



 アスカがこれを知ったら、もう二度と許してくれないと思う。
 だけど、僕はこんな腐った人間をやめられるのかな?


 ‥‥‥たぶん、無理だ。


 だから、せめてその分、本物のアスカはいろんな意味で大切にしてあげないと。
 仮に、死ぬまで二人きりの世界だったとしても、そうでなかったとしても。



 アスカを見殺しにしてきた罪滅ぼしっていう意味もある。

 綾波や母さんとの約束もあるし。

 この、新鮮な今日の僕自身の気持ちを守るためにも、アスカの笑顔の為にも。





                          →to be continued








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