生きててよかった 第3部 「信仰」
Episode-12 【再び巡り始めた季節】








 夏が終われば、秋が来る。

 長かった夏休みが終わる頃には私達に対するマスコミ攻勢も一段落し、
 少しは落ちついた生活を取り戻す事ができた。


 10月1日に学校が始まってからはシンジは金沢に帰った後、
 私は‥‥第二新東京に残って大学に通う事に。


 学校を休んでばかりだった私を、ヒカリやトウジが支えてくれた。

 でも、世の中そんなに甘くはないものね。
 その何十倍もの冷たい視線が私を待っていた。



 「あ、あら、惣流さん、お久しぶり。」

 クラスメートの大半‥‥特に女の子達の多くは、私にとてもよそよそしいの。

 ヒカリから聞いたんだけど、ときどき影で私の事を
 あれこれ言っている事もあるらしい。

 だから私は、多くの授業のノートを自分一人でとらなければならなくなった。

 一学期、たくさん欠席した授業の多い私にとって、それは馬鹿にならない負担に
 なったけど‥‥必死に頑張ったおかげか、留年は何とか避ける事ができた。


 キャンパスですれ違う人々の中にも、敵対的な人達は少なくない。

 自分のテレビ番組での発言を非難する張り紙を見かけるのはしょっちゅうね。
 ‥‥それどころか、見知らぬ人に声をかけられ、有無を言わずに冷たい言葉を
 浴びせられる事もたびたびだった。



 でも何より私にとって辛かったのは、私宛に届けられる沢山のメールや手紙。
 どこで知ったのか知らないけど、全国各地‥いいえ、世界中から届けられた。


 私を救出しようとして戦死した兵士の子供が、汚い字で必死に思いを訴えてくる。

 それから、日々病魔に苦しめられている人達や辛い境遇の人達からの手紙。


 真剣で、悲痛で、私を恨むようなそれらのメッセージから、私もシンジも
 目を背ける事が出来なかった。

 返答は、いつも何を書けばいいのか判らない。
 けど、自分が今思っている事を素直に書くようにしている。
 ごくたまにだけど、私の気持ちが通じて、“ありがとう”という返事を
 貰う時もあった。たまらなく嬉しかったわ。



 苦労しつつも何とか大学一年目を乗り切った頃、二つの大きな
 出来事があった。


 まずね、ミサトが妊娠したのよ。
 既に妊娠3か月‥‥出産は秋頃なんだって。

 今は、お医者さんにお酒を止められていてとても辛そう。
 毎日エビチビールの缶を眺めながら溜息ばかりついてる。


 「ねえ、そんなに辛いんなら少しくらい飲んだら?」

 「でも、飲んだら子供に悪いのよ。特に、私は高齢出産だし。
  ちゃんと我慢しないとね。」

 大きくなったお腹をさすりながらそう言うミサトが、ちょっと立派に見えた。



 もう一つの大きな出来事っていうのは‥‥ネルフの解体ね。

 特務機関ネルフ‥‥インパクトの後始末と、ゼーレ撲滅の為の組織。
 私達の誘拐事件の後、全世界のゼーレ組織が暴かれ、エヴァとかの知識とかも
 永久凍結される事になったから、もう存在する理由が無いからだって。

 私達と鈴原には賠償金が払われ、ついていた監視も解除された。

 加持さんは内務省に再就職し、ミサトは家事に専念したいと言って仕事を諦めた。
 ミサトが家事‥‥うーん、ちょっと想像がつかないけど、今は私とシンジで
 一生懸命教えてあげている所よ。
 びっくりするほど出来の悪い“教え子”を前に、私もシンジも必死なの。

 ゼーレは徹底的に潰されて、組織としての機能を停止したらしい。
 めでたしめでたしね。あいつらだけは、ちょっと許せないからね。



 平和が戻った後の時の流れは、とても早い。

 笑ったり泣いたりしながらも、それでも幸せな生活が二年、三年と
 続いていく‥‥。


 大学での管弦楽の再開・研究室への配属・それから就職活動‥‥忙しい暮らしの中、
 大学の友達がようやく増え始めたのとは反比例して、シンジと会う時間は
 減ったけど‥‥。


 それでも、私はもう大丈夫。
 シンジはもちろん大丈夫。

 電話だけが繋ぐ遠距離恋愛でも、体を今も許せない私でも、私は彼を信じている。
 彼もきっと、私の事を信じている。




 いつ裏切られるものなのか、誰にもわからない。

 実際シンジが向こうで浮気してても確かめる方法なんて存在しない。


 それでも、私は彼の気持ちを信じている。

 言いようによっては、何ひとつ人の心が信じられない世界‥‥でも、信じる。

 シンジやヒカリ、ミサトの事を信じてあげなくて、何を信じるっていうのよ。


 もちろん誰彼かまわず信じるわけにはいかない。外の世界の人達とは心の
 壁を作らなきゃやっていけない事もある。だけど、誰かを信じられなければ、
 私は幸せになれない事を、今の私は知っている。

 沢山の可能性の中から、私はミサトを、ヒカリ達を‥‥誰よりシンジを選んだ。
 信じる対象として。
 ううん、もう、シンジ達に対する気持ちは、単に信じるって言うより、
 信仰と呼んでもいいようなレベルかもね。

 でも、そのおかげで幸せになった。
 誰にも負けないくらいに。




 さらに月日は流れ‥‥

 22回目のシンジの誕生日がやってきた時‥‥‥私は再び決心した。


 誕生日プレゼントの時計を手渡した後、シンジに抱きついた。
 細い彼の首に手を回し、耳を噛む。


 「なっ!何するんだよ!!」

 「ねえシンジ」


 「ど、どうしたの?そんな真剣な顔して‥‥」



 「今日まで、ずっとありがとう。でもね‥‥」

 「まさか、これで別れるとか‥」

 「違うの。そうじゃなくて‥我慢してくれた事。
  もう、今夜は我慢しなくていいから。」


 「‥‥アス‥カ‥‥そ、それって、そ、その‥‥。」

 「うん。その、それ。」

 シンジから体を離し、私は側にあったベッドにちょこんと腰掛けた。



 「で、でも‥‥いいの?」

 「私は‥‥私自身の覚悟っていうか‥‥そういうのはもう出来てると思うの。
  ううん、シンジなら、むしろ望んでそうしたい。
  でも、ひとつだけお願いがあるの。」

 「な、なに?」


 「そんな事はもう二度とないと思うけど、もし‥その‥‥
  またできちゃった時は‥必ず責任取ろうね。」
 「少ないけど、賠償金の蓄えがあるし‥‥来年には私もシンジも
  第二新東京に就職するんだから、お金は心配ないわよね。」
 「お願い‥‥もう、二度とあんな思いしたくないの。
  生まれてくる子供には罪はないから‥‥その時は‥祝福してあげたいの。」


 「うん‥‥‥約束する。」

 「私、シンジのその言葉、信じてるわよ。」

 シンジは、何も答えずに私にキスをした。



    *          *          *





 あんなに嫌だったはずだったのに‥あんなに怖かったはずなのに‥‥


 夢のような時間‥‥いえ、これは夢なんかじゃない‥‥

 数年ぶりに味わう快楽‥‥快楽?
 でも、快楽という言葉で片づけるにはあまりに幸せすぎる。


 「シンジ‥‥‥シンジ‥‥」


 掠れた声が漏れる――愛情を込めて、彼の名を呼ぶ。

 シンジと私‥‥もう、ずっと離れたくない。



 前に抱かれた時は、体はひとつになっていても私の心はいつもどこか醒めていた。

 でも今は違うの。


 心も体もひとつ。

 互いを想う気持ちと互いを欲しいと思う気持ち‥‥‥体の気持ち良さと
 一緒になって、私達を溶かしていく。


 後ろめたさも罪の意識も今日は感じない。

 絶対にイヤらしい事なんかじゃない。

 こんなに‥‥こんなに好きなシンジと一緒だもん‥‥神様だって
 きっと許してくれる。




 「もう‥‥離さないよ、アスカ」

 「シンジ‥‥大好き‥」


 幸せ‥‥

 こんなに幸せになれるなんて‥‥



 「大好き‥‥‥」

 「大好きだよ‥‥‥」










 その夜、私とシンジは夜更けまで愛し合った。

 一生分の幸せをかき集めたかのような、幸福で暖かな夜だった。





                          →to be continued








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