生きててよかった 第2部 「pitiable passion」
Episode-10 【the past, present, and future/過去、現在、未来】








 自分が何をすべきなのか、私には解らない。
 解らないまま、金沢まで来てしまった。

 やる事はわからなくても、目的だけははっきりしている。

 いつまでも続く、シンジ君とアスカのどうしようもない関係、
 それを何とかする事。 それだけは最低限達成しなければならない。


 この不安定な状況下、休暇は貴重なものだから次にここにやって来れるのは
 いつになるのか判らない。

 判らない以上は、今日のうちに何とかしなければならない。


 駅からタクシーに乗って、シンジ君のワンルームマンションに向かう。
 胸中にわだかまるものを捨てきれぬまま、十数分後には後部座席を降りていた。


 「ここがシンジ君の家‥‥」

 コンクリート製の真新しい建物は、夕陽に照らされてオレンジ一色に染まっていた。

 101号室と書かれたドアの前、ここで間違いない事を地図で確かめたうえで、
 私は思い切ってインターホンを押してみたた。



 ピンポーン

 「シンジ君‥‥」


 アスカはもちろんの事、シンジ君は出てこない。
 留守?
 アポはちゃんと取ってあるから、それはあり得ない。
 私や加持と違って、シンジ君はこういう事には几帳面だから。


 ピンポーン

 「アスカもいるんでしょ〜、私よ〜、はやく開けてよ〜」

 もう一度インターホンを押しても、ドアは開かない。
 ドンドンとドアを叩き、出てくるのを待っていると‥‥。



 「「はぁ〜い」」


 「ほらっ、急いで!」
 「何やってるんだよ!片づけて片づけて」
 ガシャン
 「バカ!何やってんのよ!」
 「アスカが押すから‥」
 「なんですってぇ!」



 「はぁ‥‥あの子達、いったい何やってるのよ‥‥」


   *         *         *


 「お、おまたせ、ミサト」
 「遅くなって、すいません‥‥」


 実際に玄関を開けて貰ったのは、家の前にたどり着いて数分後の事だった。

 僅かな怒りを押し殺しながら、“気にしなくていいのよ”と微笑んで
 家に入る。
 久しぶりに見るシンジ君もアスカも、少しやつれた顔をしているような気がする。


 なぜ二人がやつれているのか、私は知っている。
 諜報部の盗聴データを思い出すと‥‥ああ、吐き気がする。
 私も大学時代、色々とバカはやったけど、今の二人に比べれば‥。


 「‥‥‥。」


 「ミ、ミサトさん、どうしたの?僕らをじっと見つめて。」
 「な、なんかゴミでもついてる?」

 「い、いえ、なんでもないわ。」

 慌てて片づけたとしか思えない居間に通されて、私はベージュ色の
 カーペットの上に腰を下ろす。

 子供達に気づかれぬようにちらりとダストシュートのほうを覗くと、
 予想通りのものがそこにはあった。

 “やっぱり‥‥ね‥”

 鼻をつく妙な匂い。その原因を突き止めた私は、さっそく二人の
 説得を始める。



 「あの、二人とも、私がどうしてここまで来たか、わかってるわよね。
  ちょっと、そこに座って。」

 「‥‥。」
 「‥‥。」


 黙り込む子供達を交互に見やる。

 テーブル越しに座るシンジ君は、随分と反省しているような気がするけど、
 その隣のアスカは私を睨み付けるような目つき。



 「あなた達、いったいここで暮らして、どれくらいになるの?」

 「‥‥。」
 「‥‥。」

 「洞木さんから聞いたわ。アスカ、先々週の水曜日から、
  ずっと学校行ってないそうね。」

 ビクリ、と体を震わせたアスカだけど、やはり何も答えない。


 「二人とも、いい歳してるんだから、こんな無茶な同棲がいけないって事ぐらい、
  判るでしょ?」

 「う、うん‥。」
 「それぐらいわかってるわよ!うるさいわね!」


 「そう、じゃあ、夕御飯を食べたら、アスカ、一緒に帰りましょ。
  洞木さんも、心配してるし、期末試験も近いでしょ?」

 アスカの親友の心配顔を思い出しながら、私はそう言ってみた。


 「イヤよ。」
 「あ、アスカ‥‥」


 「シンジは黙ってて。これは、私が決めたことだもん。
  ミサト、私、あんたの言うことなんて、絶対きかないからね。」

 キッと睨みつけるや、アスカが私に背を向けた。

 相変わらずの冷たい態度に、私は言葉を失いかけたが、これぐらいは予測範囲だと
 自分に言い聞かせて何とか踏み留まる。

 荒れかけた雰囲気が落ち着くのを待って、重い口を、再び開いた。


 「アスカ、いくらあなたが要領良いからって、あんまり
  サボりすぎると日本の大学じゃ単位は取れないわよ。
  それに、まだ18の女の子が男の所に通い染めっていうのも、問題よ。
  あなたがシンジ君を好きなのは知っているけど、節度ってものを
  守らないと、後々ひどい目に会うわよ。」

 「でも、好きな人と一緒にいるっていうのは良い事でしょ?
  それに、単位のほうは自信あるから。私を誰だと思ってるの?」


 「じゃあ、一緒にいるだけが、キスしたりデートしたりするだけが
  アスカの恋愛にとって良い事なの?」

 「‥‥う‥」


 「少し距離を置いて女を磨いたり、遠くからシンジ君を信頼したり
  するのも、ステキじゃない?」

 「‥‥。」

 「離れてないとわからない事、見えてこない事も、あるんじゃなくて?
  これは、あなた達より長生きしている人間としての忠告よ」

 「‥‥。」

 考え込むアスカを見ながら、私は心の中でほくそ笑む。

 前々から用意していた台詞が予想以上の効果を生みだした事に、
 私は軽い満足を覚えていた。


 “案外、上手くいくかも‥‥”




 シンジ君もアスカも、私のほうを見たまま思案中。

 あと一押し。
 そう判断し、さらに言葉を続けた。


 「それにアスカもシンジ君も、もうすぐ夏休みじゃない。
  ほんの少し辛抱すれば、二ヶ月半の夏休みが待ってるわよ。」

 「‥‥。」

 「どうしてもって言うなら、毎週土日に行き来してもいいから。
  あなた達がその気なら、電車代は別に振り込んでおくから、
  二人とも平日に学校を休むのはやめなさい。」




 「‥‥判ったわよ。テストもそろそろ近づいてきたから、いったん帰るわ。」

 長い沈黙の後、しぶしぶながらアスカは頷いてくれた。



 “これで、親としての仕事は成功ね。後は‥‥”

 とりあえず、アスカをシンジ君の元から離す事、それが
 今回の訪問の最大の目的だから、一安心ね。

 意外にあっさりとアスカが言うことを聞いてくれた事に、
 私は胸をなで下ろした。



 他にも、シンジ君とアスカ、アスカと私の間には
 沢山の問題が横たわっているけど‥今は贅沢を言うまい。



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 第二新東京行きの特急リニア、その最終便は、
 私の予想に反して空席が目立った。

 ビジネス客の姿を疎らに見かけるだけの自由席の一角に、
 アスカと隣合わせに私は座った。


 「アスカ、シンジ君はきっと待っててくれるから、心配しないで。」

 「わかってるわよ、心配なんてしてない。」

 「そう‥‥」

 「‥‥。」


 “こんな応答ばっかり。”

 何度目かの気まずい沈黙に、針の筵に座るような思いを味わう。

 私の話しかけかたにも問題があるのかもしれないが、窓側のシートに
 腰掛けたアスカは、流れる闇の世界に目を向けたまま、
 いつになってもこちらを向いてはくれない。


 “アスカは、今も私の事が‥‥”

 これが、私達家族の現状。
 これが、親子の現状。

 昼間は割とおとなしく言うことを聞いてくれて、
 こうして一緒に帰る事になったけど‥

 やはりアスカが心を赦してくれない事を、私は改めて思い知らされた。


 償いは、これでもしているつもりだ。
 だが赦しは、今も得られない。


 “生まれ変わる前、私はアスカから何もかも奪ったのだから‥‥”

 私の心の中では数年前から通用している決まり文句が、罪の意識を高める。


 私に背を向けたまま、黙して語らぬアスカ。

 暗い窓には、彼女の端正で無表情な顔がぼんやりと映っていた。


 “一生、私はこんな目に‥‥”

 “無理もないか‥‥偽りの家族とはいえ、私は‥‥”

 “どれだけこの娘が憎く思えても、それ以上にこの娘は私のせいで‥‥”



 「ねえアスカ」


 半ば無意識のうちに、少女の名を呼んだ。


 「なによ」

 振り向こうともせず、アスカが生返事だけ返す。

 でも、今はそのまま振り向かなくてもいい。
 そう念じつつ、私は憂鬱な頭脳が思い描く台詞を
 アスカに投げかけてみた。



 「ねえ‥‥私の事、今でも嫌いなの?」

 私は、一体何を言っているのだろう。
 アスカと二人きりになったのはこれが初めてでは無かったが、
 こんな狂おしい質問を口にしたのは、今回が初めてであった。

 何をバカな質問を。

 嫌いに決まっている。
 アスカは、私の事が大嫌いなのだ。



 「‥‥。」

 「憎んでるんでしょ?本当は。
  そして、復讐の機会さえも窺っている。」

 黙り込んでいるアスカに構わずに、私はさらに続けてみた。

 彼女の肩が、僅かに震えているような気がした。



 「さあ、答えて。
  私は、何を言われても仕方のない事を、あなたにしてきたんだから。
  正直に答えてもいいのよ。」

 「‥‥。」


 「さあ、答えてアスカ。」

 自分達の席の周囲に人影が無いことを確認し、アスカに返答を促した。



 「‥‥‥。」



 リニアの静かな駆動音ばかりが聞こえてくる。

 どれだけ待っても‥‥‥結局、アスカの返答は無かった。

 彼女は窓の外の虚空を見つめたまま、
 私のほうを振り向こうともしなかったのだ。


 それの意味するものが何であるか。

 自分自身の経験と哲学に照らし合わせて出てきた結論は、
 口でハッキリと『憎い』と言われたほうが遙かにマシだったというもの。

 今更ながらに、怨恨の深さを思い知らされた。




 『長らくお待たせしました。まもなく、終点、第二新東京、第二新東京に
  到着いたします。お出口は、向かいまして右側、8番線になります。
  第二新東京からのお乗り換えのご案内をします。旧東京・甲府・諏訪方面‥』


 「アスカ、もう降りる時間よ。」
 「うん。」

 「家まで、ちゃんと一人で帰れる?」
 「心配しないで。まだバスが出てるから。」

 「そ、そうね‥‥」


 こんな会話しかしてくれないのか。

 あまりに、悲しい。

 共に暮らしはじめて、早5年。
 償いの為に、時間もお金もかけている筈なのに‥。

 私より2,3歩先を歩く彼女の後ろ姿。
 栗毛のストレートヘアーを見ているうちに、ふと、恐ろしい衝動さえ沸いてくる。


 “私とアスカは‥‥やっぱり‥‥”

 だが、無論そんな事は出来ない。

 悪いのは、彼女ではないのだ。
 精神に破綻を来したのも、八つ裂きにされて殺されたのも、私ではなく
 彼女なのだから。

 何があっても、私達は償いを続けるしかない立場にある。仕方がないのだ。
 アスカを憎もうとする自分に、そう何度も言い聞かせるしかなかった。
 分からず屋の子供を宥めるように。



 「ねえミサト?」

 「な、なに?」

 突然、アスカが振り向いた。
 ビクッとした後に慌てて笑顔を取り繕う自分が、情けない。


“今日初めてアスカから話し掛けてきた‥”

 一縷の期待を胸に、私はアスカの言葉を待った。



 「ミサトは、確か、正面口から出るでしょ?家は駅の西側だから。」
 「そ、そうだけど‥」

 「私、旧市街のほうに今は住んでるから、東口からね。
  だから、ここでお別れ。じゃ、おやすみ。」

 「あ、アスカ!」

 “アスカ‥‥‥”


 私には後ろ姿だけを見せて、少女は人混みの中に消えていく。


 追いかけようという気力は、淡い希望を砕かれた私には残っていなかった。


 “そもそも、追いかけてどうするというの?”

 ええ、追いかけてみたところで、彼女にかけられる言葉など何もない。

 だから、激しく人の行き交うホームで立ちつくしたまま、
 私はアスカの後ろ姿を見えなくなるまで見送る事しかできないのだ。


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 「よし、準備はいいな。」
 「はい。配置、完了しております。」




 秩父山中、その、遙か奥‥‥。

 ブナの原生林に囲まれた高台に、場違いなまでに巨大な日本邸宅が立っていた。

 街の明かりの届かぬ漆黒の世界に、ぽつんと浮かび上がる人工の灯。
 遠くから見ると人魂と見間違わんばかりのそれは、
 日本邸宅の、森に面した和室から漏れてくるものであった。

 ぼんやりとした光の中、薄い障子越しに二つの人影が浮かび上がり、
 ひそひそと話し声が聞こえてくる。


 「それについては、問題ない。首相と財務省の連中には圧力をかけてある。」
 「頼もしい限りです。議長も、お喜びになるでしょう。」

 「9月までにさらに一兆新円、追加できるだろう。」
 「一兆、ですか。工作には、随分と苦労したことでしょう」

 「いやなんの、サードインパクトの時に比べればこのくらい。あの時は、
  これの何倍もの金額を動かしては、議長のもとに送ったものだよ。」

  続いて沸き起こった笑い声は、
  だが突然の轟音と銃声によって掻き消された。


 「何事だ!」
 「バカな!この場所を知る者など、この国にも数えるほどしかおらん筈だ!」

 ガガガガガ
 ドーン

 空しい叫び声も、彼らの固定観念が誤りであった事を告げる
 凄まじい轟音によって掻き消される。


 「警備員は!」
 「既に応戦しているようだ。」

 銃声は止むこと無く続き、爆発音が時折それに重なる。
 そして数分後には、音と殺戮の嵐は彼らの部屋にもやってきた。




 「‥‥‥ネルフの手の者か?」

 かつて、日本国首相も呼ばれたこともあるその男は、
 額から血を流す同志や自分を取り囲む兵士達に動じる素振りも見せず、
 少なくとも表面上は平静を装っていた。


 「いかにも。ネルフ諜報部の者です。蔵城元首相、
  あなたを拘束させていただく。」

 「イヤだと言ったら?」

 「その時は、死んでいただきます。」

 「‥‥私は、死ぬのは怖くない。」

 「‥‥!?」

 「約束の日は、すぐそこまで来ているのだからな。肉体の死など、
  取るに足らぬ事だ。」

 「狂信者め!」

 「さらばだ、諸君。」

 ニヤリと不気味に男が笑った時、兵士の一人が「射殺しろ!」と叫んだが、
 既に手遅れだった。

 熱と光が急速に膨張し、邸宅は炎に包まれた。

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 加持のデスクに電話が入ったのは、その約30分後の事だった。


 『日向です。蔵城元首相の秩父別荘を襲撃しました。
  作戦は成功したものの、蔵城氏とゼーレ関係者とおぼしき人物は、
  建物を爆破して自害しました。』

 「ゼーレ!やはりゼーレが後ろにいたか!」

 珍しく興奮を隠し切れず、加持は受話器に対して大きな声を張り上げた。
 いったい何事かと、部下の何人かが振り向いていたが、気にも留めない。


 『は、はい!それから、会話を一部録音できたので、これから送信します。
  詳しくは、後ほど。』

 「ああ、楽しみにしている。」


 『それで、お目当てのほうなんですが‥‥』

 「焼失か。」

 『は、はい。MOを数枚とDVDを一枚、それ以上は手に入りませんでした。
  現在、情報部の人間に解析をさせてます。』

 「いや、ゼーレ相手にそれだけ手には入っただけでも充分だ。
  では、後の事を宜しく頼む。」

 『はい、では失礼します。』


 チン



 「さて、遂に尻尾を捕まえたぞ‥‥。」

 渉外部長の椅子に座って腕を組んだまま、男が笑みを漏らす。


 セカンドインパクト、人類補完計画、そしてサードインパクト‥‥。
 アダムやエヴァに関係した数々の計画を立案し、
 それを影で操っていた組織・ゼーレ。
 自分自身を含め、彼に関わる多くの人間を苦しめてきた、正体不明の敵。

 そのゼーレに対して防戦一方だったネルフにとって
 最初の攻勢が成功した事に、加持は満足を憶えていた。


 だが、これは手強いぞ。
 心の中でそう呟く。

 日本国の実力者にさえゼーレの息がかかっていた事が事実であったとは‥
 ゼーレという組織がそれほど弱体化していないという証なのではないか。

 高い部隊の損耗率、証拠物件の焼失などはあったものの、作戦が
 成功を収めたのは、むしろ僥倖と言って良いのではないのか。




 「これからが勝負だな‥‥」

 明日までに時田司令に提出すべき報告書を書き始めながら、加持はそう呟いた。





                          →to be continued








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