生きててよかった 外伝6 「KENSUKE」
Episode-03 【始まり1】








今日も前日と変わらぬ、穏やかな下校。
 暖かくも寒くもない春の夜の空気が、肌に気持ちいい。

 霞のかかった月を時折見上げながらの一人の帰り道、俺は
 いつもの日課通りに帰宅後のスケジュールを頭の中に思い描く。


 『まずはコンビニで晩飯を調達して、それから8時頃には家に到着。
  それから、親父の観葉植物に水をやって、風呂に入って‥遅くても9時には
  自分の時間を持つ事が出来るだろう。そしたら、少しだけ勉強して、
  その後は目玉商品の最終仕上げ‥‥。

  いつも通りの、効率的なプログラムだ。
  さあ、一刻も早く家に帰る事で、時間を有効利用しないと。』

 いかにも俺らしい判断に基づいて、夜道を歩くテンポを少しあげる。
 理詰めで最も確からしい未来予想図に対する答え。
 今夜も、これでオーケーだと思っていた。




 だが、その夜、俺の計画はものの見事に外れる事となる。

 突然の出来事が、俺の心の奥底に眠っていたものを突如目覚めさせたのだ。

 それが、俺にとっての全ての始まりだった。





             【2019. 4/21】[始まり]




 苦手な古文の勉強を途中で投げ出し、俺はさっさとパソコンいじりを
 始める事にした。

 ブツン ピコッ


 BEEP音に続いて、見慣れた画面がディスプレイに点灯し、さっそく作業を開始する。
 殆ど日課になっているから、何時間続けていても疲れは来ない。
 それに、人に誉められた時の喜びを思えば、疲れなんて吹き飛んでしまう。

 暗い青春だと言うかもしれないが、そんな気持ちは毛頭ない。
 自分にできて他の人には出来ないものを創造し、沢山の人に見て貰い、
 そして評価を受けるという作業の繰り返しは、色々な意味で良い刺激に
 なっていると俺は信じている。


 カウンターの数字は正直だ。

 没我的になっていては数字が稼げない事を、俺は知っている。
 人を集めるには、余所には無くて新鮮で、人に見せて恥ずかしくない
 クオリティを常に用意する必要がある。それから、
 “ヨコの繋がり”にも、常に気を配る事を忘れてはならない。

 そうする事で、ホームページ『AIDAショップ』は繁盛してきたんだ。


 今度のホームページ更新の目玉にしようと思っている『絵で見る
 ソビエト攻撃機の推移』も、もうすぐ完成だ。こいつはウケる確信がある。
 後は、画像の方の最終チェックをやって‥と‥。
 おっと、その前に、保存しとかないと。

 保存、と書かれた文字をクリックし、HDDがゴロゴロ言う音を聞きながら
 ホッと一息ついた時、携帯電話独特の電子音がトルコ行進曲をやりはじめた。


 「あれ?携帯、どこにいったんだろ‥どうせ親父からだろうけど。」


 ディスプレイの横に置いておいた筈の携帯電話が見つからず、ちょっと焦る。
 散らかった部屋の中を捜索し、座っていた座布団の上に
 ようやくそれを見つけてスイッチを押したのは、10秒近く経ってからだった。


 「もしもし、相田です。」

 『あ、もしもし、ケンスケ?碇だけど。』

 「シンジか?こんな時間に珍しいな、何か用か?」


 電話はなんと、シンジからだった。
 てっきり父親からの電話だと思っていた俺は、少し高めの
 その声に微かに驚いた。

 しかし、こんな時間に、何故シンジが?


 『あの、実はさっき、アスカと喧嘩したんだ、それで‥』

 「ああ、またかぁ、だけど、それならいつもの事じゃないか。」


 『それでアスカ、怒って家を出ていったんだけど、
  たぶん今日はケンスケの家に向かうと思うから、その‥‥』

 「はぁ?今、何て言った?」

 『だ、だからケンスケの家に‥‥たぶん泊まりに‥』


 予想すらしていなかった展開に、さすがの俺も言葉を失った。

 まさか、この俺の家にアスカが泊まりに?
 そもそも、何故に、俺の家!?


 「それ、ホ、ホントなのか?嘘だろ?」

 何故だかわからないが、胸が高鳴っていた。
 喋っている間、自分の鼓動が電話向こうのシンジに聞こえているんじゃないかと、
 無用の心配をしてしまう程に。


 “だが、今は落ちつかないと。
  一体これがどういう事か正確に把握し、分析する必要がある。”


 疑問を晴らすべく、俺はシンジの話にさらに耳を傾けた。


 『うん、実はね‥‥』





‥シンジの話によると、こういうひどい喧嘩の時は普通、アスカが洞木邸に
 一晩泊まって頭を冷やし、次の日の朝にシンジが迎えに行って一件落着
 めでたしめでたし‥‥というのが最近の二人の黄金パターンなのだという。
 だが不幸にして、その『逃亡先』の洞木邸が留守だったので、それで、
 ひょっとして俺の家に行ってないか、という話なのだが‥‥。



 「だけどいくら何でも、野郎の家に泊まりに来るほど
  アスカだって子供じゃないだろ?」

 『あの、アスカはいつも言ってるんだ、“もしヒカリが留守の時には、
  きっとケンスケん家あたりに逃げ込んでるから、必ず迎えに
  来るのよ。”って。』

 「おいおい、それってマジかよ‥‥」

 嘘のような話を真剣に話すシンジの声を聞きながら、俺はちらりと時計を見た。
 時刻は既に午後11時を回っている。


 『そういうわけで、もしアスカが行ったら、よろしく。』

 「え、おい、勘弁してくれよな、シンジ!」

 『あの、上手いこと頭冷やしてあげてね。じゃ。』


 プツッ
 「おいっシンジっ!」


 プーッ プーッ プーッ


 「切れた‥‥。」

 あまりに急な、あまりに突飛な出来事に、俺は携帯を手にしたまま、
 暫くは放心状態が解けなかった。

 が‥‥

 「アスカがもし来るとしたら‥‥」

 「こんな部屋、間違っても見せられない!!緊急事態だ!」

 すぐに我に返り、俺はプラスチックやら塗料やらで
 盛大に散らかった部屋を大急ぎで掃除し始めた。




              :
              :
 「まず、トウジから借りたビデオテープを隠して‥‥」

 「戦車のプラモも、全部押入に隠そう。ああ、ホームページも
  畳んでおかないとまずいかな。」

 「そうだ!来客用の布団と枕、どこにしまってあったっけ‥‥」

 「ああっ!時間がない、時間が!!時間よ、止まれぇえ!!!」
              :
              :






 ピンポーン

 「ひっ!ほ、ホントにき、き、来た!!!」




    *         *         *



 どんより顔のアスカが玄関に現れたのは、どうにか部屋の片づけが
 応急処置の段階を終えたのと、ほぼ同時刻だった。

 「こ、こんばんは‥‥」

 「あ、アスカ、ホントに来たんだ‥ま、待ってたよ。」


 目の前に、アスカが本当に立っている。幻じゃない。ホントに来たんだ。
 思えば、俺の家に女の子が来るなんて、初めてじゃないのか?

 だけど、相手が相手、事情が事情だから単純に喜んでいる場合じゃない。


 「その言いっぷりだと、もしかして、シンジから電話貰ってない?」

 「あ、ああ。ついさっきな。」

 “まずい事言っちゃったかな‥‥”

 心の中で舌打ちする俺を後目に、アスカは深い溜息に続いて
 『あいつ、また‥‥』とボソリと呟いた。
 その意味は、俺にはよく解らない。


 「‥‥ま、まあ、入って。せっかくだから、お茶でも出すよ。」

 「‥‥あの、ケンスケ‥」


 「何だよ‥」

 「悪いけど、今夜だけ泊まってって、いい?
  確か、ケンスケのお父さん、単身赴任中でしょ?」


 〈ごくり〉


 今、俺は、確かに唾を飲み込んだ。

 俺は、何か勘違いしてやいないか?
 そう言い聞かせてみたが、体は正直だ。


「あ、べ、別にいいけど。そん時は、俺、居間のソファで寝るから」

 微かに震える声でそう答える自分が、少し情けない。


 「ありがとう、じゃ、ホント悪いけど、お邪魔します。」


 アスカはそんな俺など全く気にも留めない様子で、靴を脱ぎ始めた。





                          →to be continued








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