生きててよかった 第1部 「生きててよかった」
Episode-11 【終わる世界】








 「うわぁああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」




 私の一言が、全てを壊した。

 一瞬の空白――そして何が起こったのかを知ったとき、
 私の胸の中には後悔と涙だけが残された。




 そういえば、何とかって名前の日本の童話にもあったわね。

 ネズミの嫌いな猫の鳴き真似を口にしたせいで、
 真っ暗闇に置き去りにされた意地悪じいさん。

 今の私は、まさにそれね。

 小声で呟いたその一言で、結局魔法は解けてしまったのよ。

 暖かな彼のイメージが‥‥消えてしまった。

 耳に残るシンジの絶叫は次第次第に小さくなり、
 やがて周囲の喧騒に綺麗に溶け込んでしまう。

 人々の楽しそうな声のただ中、私はまたひとりぼっちになった。



 「あ、惣流、あのボケにも嫌われたのかぁ。哀れな慰め合いはおしまいか?」

 「仕方ないわよ、あの娘、ナマだしわがままだしさ。
  前から気に入らなかったのよね〜、なんていうか、ムカつくっていうかさ。
  いいザマよ。」

 「そうそう、ルックスに性格は反映されないからね。
  顔はかわいいけど、大嫌いだよ、あの性格。」

 「一人になって当然かな。せいぜい泣いてもっと後悔するがいいさ。」

 「ハハハ、ダメなヤーツ!ざまーないね。」


 いつの間にか、私の周囲に人が集まっていた。

 一人になった私を、あまり仲の良くなかったクラスメート達が
 さも可笑しそうに見ているのよ。

 勿論、誰も手をさしのべてはくれない。

 ただ、笑うだけだった。
 私を、こんな私を笑うだけ。



 「ちょ〜っと頭が良くて顔が綺麗だからって威張っちゃってさ。
  でも、こうなったら哀れなものね。」

 「なあ、こいつ、さっき碇と何やってたか知ってるか?」

 「ええ。信じられないわねぇ、ホント。裸で抱き合うなんて、不潔よ。」

 「マジで幻滅。」

 「サイテー!!」

 「ねえ、あんなのほっといて、向こう行きましょうよ、向こう」

 「うん!いこいこっ!!」


 ひとりぼっちの私を。
 こんな私を自業自得だと笑うだけ笑うと、その人達はどこかに消えた。




 涙でぼやけた視界で、もう一度周りを見渡すと。

 知っている人自体、確かにいっぱいいる。
 ミサトも、加持さんも、ヒカリも、ネルフの人達も。
 だけど、一人として私を見てくれない。

 そして、さっきまで抱き合っていたシンジは‥‥
 どれだけ探しても見つからなかった。


 「ねえっ!加持さんっ!」
 「ヒカリ!!!」

 「青葉さん!」

 「マヤさん!」


 「シンジ‥‥」


 「加持‥‥何、言おうとしてたの?」「だったら、俺の心を読めばいいだろ?」「青葉ぁあ!!伊吹さんと一緒にこっち来いよ!!」「どうするの?」「ほら、マティーニ好きだったろ?さ、いつまでも拗ねてないでまずは飲めよ」「やっぱり、好きになって良かった」「ありがとな、妹もこんなに喜んで」「お兄ちゃん、ヒカリさんて、お料理、すごく上手だね。」


 “誰も私の事なんて構ってくれない‥‥”

 “ねえっ!私のほうも向いて!!”

 “私に構ってよ!!”

 “‥‥私も仲間に入れてよ!!”



 「ケンスケはどこ行った?」「今ね、ノゾミと一緒にサナエさんとこに行ってるわ」「お、親父!」「トウジ!その娘、嫁さん候補か!」「何をアホゆうとるんや!」「センパイも、ほら。」「‥‥ありがとう、マヤ。」「あああああっ!!」「おい、青葉のヤツ、マヤさん取られてすねてるよ」「かわいいとこあるじゃん」「あんたの口から聞きたいのよ」「そうか、じゃ‥」


 “みんな、私に気づかないの?”
 “それとも‥やっぱり無視してるの?”



 “ごめんねシンジ‥‥ごめんね‥‥‥”

 “だから帰ってきて‥‥”

 “‥‥‥”



 “加持さん!ヒカリ!みんなっ!こっち向いてよ!”

 “誰でもいいから誰か、助けて‥‥”


 “誰か助けて!!”

 “私を見て!!”








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 “イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!”



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 “またここにいる。”

 ぼんやりとした意識の中、真っ暗な観客席に佇む自分を見つけた。

 いつのまにか、私は元の小劇場に戻ってきていた。


 それにしても、ほんとにいつの間に戻ってきたんだろう?
 さっき、絶叫した感じが今も喉元に残っている。

 視力と意識がだんだん元に戻ってきている事を実感しながら、
 私はまだヒリヒリする首を撫でた。


 “そっか、みんなに相手にして貰えなくて‥‥一人になりたくなったんだ”


 “何さ、みんな私の事わかってくれないで。”


 “‥‥でも、私、やっぱり価値がないって事ね。”
 “こんな見向きもされない自分なんて‥もう嫌。”



 舞台の上を見ると、相変わらず一脚のパイプ椅子が佇んでいる。
 誰も座っていない。
 弱く、ほのかな照明に照らされて、錆だらけのフレームが鈍く光っていた。


『もう一人の私』がそこに座っていない事を今一度確認して、席を立つ。
 あそこに絶対に行かなければならないという、不思議な衝動に囚われていた。



 “なんであそこに行くんだろう?”

 “なんか、気になるのよね‥”

 “でも、ちょっとイヤな感じもする”


 その反対に、舞台に近づくことを恐れる私もいるっていうのに。


 “外は?”

 振り返って非常口を探したけど、なぜか見あたらない。

 暗闇に向かっていくら目を凝らしても、不思議なことに
 それらしい構造物を見つけることはできなかった。


 “そういえばあの蛍光灯、消えかかっていたもんね‥‥”

 “‥これからどうしよ?”





 “あれ?なんで止まんないのよ‥‥”

 迷う私の心を客席に残したまま、明るさを求めるかのように足が前に進む。



 “イヤよ‥‥”

 舞台脇の階段を上る私の足と、それとは反対に、出口を求め続ける私の目。


 次第に、恐怖が好奇心を押しつぶす。
 慣れ親しんだ自分の靴音も、今は恐ろしく聞こえる。

 “イヤ‥‥イヤよ‥‥”
 “絶対、あの椅子には近づきたくない”

 “この‥!‥この‥!‥”


 汗をかきながら踏ん張っても、自分の足が止まらない。

 椅子に向かう歩みを何とかしようと、私は躍起になっていた。
 でも、止まるように念じても体を堅くしても、無情に椅子との距離は縮んでゆく。
 磁石に吸い寄せられるように、勝手に近づいていく。
 一歩、また一歩と。
 まさに、悪夢のような状況ね。
 ううん、ひょっとしたら、これは私の病んだ心が生んだ、
 悪夢そのものなのかもしれない。


 “座っちゃいけない、あそこに座ったら何もかもお終いよ”
 微動だにしない椅子が、怯える私を笑っているような気がする。


 脇の下を、冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。


 “あと5メートル、あと2メートル!!”

 “もうダメ!”

 「ああっ!」



 ガシャッ

 意に反して私が椅子に座ってしまった瞬間、眩しい光で視界が漂白された。

 思わず一瞬目を閉じるくらいの光。


 突然、スポットライトが灯されたのよ。
 真っ白なライトが、何本も私めがけて浴びせられている!


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 “あう‥‥眩しい‥”

 容赦のない光と熱の責め苦に耐えられなくなって、
 私は立ち上がろうとした、だけど‥‥。

 “な、何よこれ!!”
 外れて欲しかった予感は、不幸にも的中していた。

 二本の足は、やっぱり動かす事ができない。ううん、足だけじゃないのよ。
 腰も同じ。
 上半身――膝の前で組まれた手も、いつの間にか利かなくなっている。

 どんなに頑張ってみても、白い手足は私の意志に応える事なく、沈黙を守り続けた。



 “動かない‥‥!!なんでっ!!”

 動けない体と、この異様な世界が醸し出す恐怖感で、
 パニックになりかけている。

 私が踏ん張るたびに、頼んでもいないのに
 椅子だけがギシギシと嫌なきしみ声をあげた。


 もがいた挙げ句に、首だけがなんとか動くことを私は知った。


 でも、それは私の心に別の恐怖をもたらした。
 右に思いっきり首を向けたとき、嫌なものを見てしまったからだ。

 動けない私を、誰かが見ているのが。
 舞台袖の、暗がりの中に誰かがいるのが。


 「クスクス‥‥クスクス‥‥」

 女の笑い声が聞こえてくる。
 この声、どこかで聞き覚えがあるような気がする。

 「クスクス‥クスクス‥‥」


 「ファ、ファースト‥‥!!」
 私の声に反応してか、その人影は、動けない私のほうに向かって歩き始めた。

 コツ、コツ、という足音。
 少し甲高い音は、私の心の中にも大きく響きわたる。


 「な、何笑ってるの?」

 制服姿のファーストが、そんな私の気持ちなどお見通しといった
 薄ら笑みを浮かべながら、少しづつ近づいてくる。


 「わ、私をバカにしているの?」

 「クスクス‥‥」
 「あんたっ、ナメてんじゃないわよ!な、なんとかいいなさいよ!!」

 うわずった私の声など、聞いてないみたいね。
 ただ、さも可笑しそうにファーストは笑い続けるばかり。

 「こ、こっち来ないでよ!何よ!」

 ライトの熱のせいもあるのか、額に汗をかいている。

 怯える私の心情などお構いなしに、ファーストは椅子の正面に回り込むと、
 顔の高さを私に合わせるために前屈みになった。
 私の顔をじっと見据える赤くて暗い目は、心の中の何もかもを
 見抜いているような気がする。


 そんな彼女の態度に言いようのない怖さを感じた私は、
 板張りの床に視線を逸らしながら、声を荒げる。

 「な、なにじっと見てんのよ!気持ち悪いわね!」

 「何様のつもりなの?人が動けないのを笑ってるなんて最低!」

 視線を逸らしても、逆に視線を合わせても、ファーストは表情ひとつ変えなかった。

 「これもあんたの仕業でしょう!動けるようになったらただじゃ済まないからね!」

 「何をねがうの?」


 「え?」

 「何をねがうの?」

 意外な言葉が、もう一度繰り返される。

 スポットライトライトの逆光で灰色になった顔を、私は思わず覗き込んだ。


 「あんた、何言ってるの?」


 「あなたは、何を願うの?」


 「何もこうもないでしょ!私、動けないのよ!!とりあえず
  動けるように手伝ってよ!」
 「わかったわ」


 ファーストがそう言った瞬間、体に力が戻るのが判った。
 素早く立ち上がり、目の前の不愉快な彼女の胸元を掴み、力を込める。

 制服の赤いリボンが、その勢いで解けて床に落ちたけど、
 それを気にかける状況ではないし、それを気にかける相手でもないと感じた。

 「さっきはよくも‥バカにしてくれたわね‥人形の分際で」

 「バカになんてしてないわ」

 「うるさい!私を動けなくしたのも、みんなあんたの仕業でしょ!
  あんたなんか、顔も見たくないわ、ホント‥」
 「わかったわ。いなくなればいいのね。」
 「え?」

 制服の胸元を掴んでいた手が、カクンと宙を舞う。

 勢い余って、私の体が前にのけぞった。


 私の言葉通り、ファーストは、文字通り消えた。

 消えてしまった。


 さっきまで彼女が立っていた床に、目を落とした。

 床の上に無造作に落ちている赤いリボンが、
 目の前にいたファーストが幻では無かった事を教えてくれる。


 「ホントにいなくなった‥」

 自分の声が、生々しく響く、静寂の世界。
 誰もいないのに、何故か落ち着かない空間。

 時間さえも止まっていると思えてくる。


 「これから、どうしよ?」

 自分が望んだこととはいえ、また一人になったことに不安を感じている。



 「‥‥なんか‥なんなのかな‥この、後味の悪さは?」

 自分が次第にイライラし始めている事にも気づく。

 誰もいないよりはファーストがいた方が良かったかもしれないと
 さえ思えてくる事が不思議でならない。



 「‥‥なんで出口、ないの?」

 また外に出たくなったのか、知らず知らず出口を求める私。

 薄暗いステージの袖に回って、ドアや通路を執拗に探し回る。
 でも、それらしいものはどこにも見つからない。

 それでも諦めきれず、スイッチを押したり壁を叩いて回ったりしたけど、
 私が満足するような変化をもたらすものは、何も見つからない。


 あまり乗り気じゃなかったけど、もういちど客席のほうに回った。

 「‥‥ない。」

 あの重い扉があったハズの場所にたどり着いても、そこには何も無かった。

 「‥‥確か、ここだったわよね。」

 頭上を見上げると、蛍光灯の切れた『非常口』のランプが確かにある。

 間違いない、ここにドアがあったハズ。


 でも。
 おかしい。


 「なんで壁になっているの!?」
 「もうっ!なんなのこれ!!どうして出口がなくなっちゃうのよ!!」


 外に出たい気持ちに負けて、やがて私は壁に耳を当ててしまう。

 でも、壁越しに聞こえてきた声は、もっと大きな悲しみと絶望を
 私にもたらした。


 『日向〜!!何やってんだよ!』
 『マヤは俺と二人きりは嫌いなのかい?』『そんなこと、ないわ』
 『それにしても、惣流と碇、ホントにどこ行っちゃったんだろ?』
 『そうね。おっかしいわね。これだけ探してもいないなんて。』

 「!!」
 「ケンスケ!ヒカリ!」

 この曖昧な世界にやって来て初めての、私に対する他人の呼び声。

 「ここよ、私はここよ!!!!」
 「出して、出してよ、私ならここにいるわ!」
 「ケンスケ、ここから、出して〜〜!!」


 『仕方ない、パーティー、あの二人抜きで始めるか。』
 『そうね、そうするしかないわね。そうそう、ミサトさんは?』
 『加持さんと寝てるよ、いびきかいて。後で起こそう。』
 『うん。』

 だけど‥‥。

 「なんで無視するのよ!!!!」


 叫んでも何をしても、壁の向こうの人たちは私に気づいてくれないみたいだった。


 それでも諦めきれなくて、私は何度も叫び、壁に体当たりを繰り返す。

 無駄だと言うことは既に解り始めていたけど、そうしなければ、気が済まなかった。

 「誰か、気づいてよ」
 「ここから出してよ」


 手の皮が破れても肩が壊れるような痛みに襲われても、止める事はできなかった。
 外の人達に会いたいという衝動に、私の心と体は苛まれる。


 「誰か、私を助け‥て!」



 「開いて」
 「お願い、開けてよ!!!!!!」

 「うう‥‥あけてよお‥‥」


 喉が涸れ、精も根も尽き果てるまで壁を叩き続けた末‥‥
 私はその場にヘナヘナと崩れ落ちた。


 例えようもない絶望感が、私に再び死を意識させる。
 エヴァに乗れなくなった時のように。

 死んで楽になりたい。

 でも、私は死んだ筈。
 ここで無に帰る事もできずに、ずっと一人で過ごすしかないのかもしれない。



 「ひとりぼっち‥」



 目から、感情が溢れだし‥‥止まりそうもない。
 暗い劇場の床の上にうずくまったまま、血塗れの私はメソメソと泣きはじめた。


 誰も見ていない事が僅かに嬉しくもあり、悲しくもあった。

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‥いったいどれくらい泣いていたのだろう。


 再び我にかえったとき、劇場の様子がまたも変化していた。

 青一色、というか、青白い世界が広がっていた。
 この感じは‥そう、満月の夜や、明け方のあの感じに近い。

 熱気に満ちた白色光を放っていたスポットライトも、今は消えている。


 “空!?”

 頭上を見あげて、答えが判る。


 その劇場には何故か天井が無かった。
 思えば、どうして一度も頭の上を見ようともしなかったのか、不思議。

 それとも‥‥今になって天井がなくなったのかもしれない。


 “ま、どっちでも同じね。”


 “それにしても‥綺麗な月‥‥。”


 見たこともないくらい大きくて白い満月が、濃い空色をバックに
 私をじっと見下ろしている。

 明け方は近いみたいだけど、まだ沢山の星がチカチカと瞬いているのも見える。


 我も忘れて、私はその天空の美に暫し見とれた。



 “朝、近い‥”
 “でも、外に出ることができないから、私‥”


 ステージの上に登って、出口がないかどうか、もう一度周囲を見渡した‥。
 すると‥‥。

 “あ‥‥”
 “ついてる‥‥”


 いつの間についていたんだろう。
 消えていた筈の非常口のランプが、壁際で綺麗な緑色の光を放っていた。

 何より嬉しい事に、灯りの下に、両開きの大きな扉も見える!

 “出口だ!!!”
 “外に出れる!!”

 出口が消えたり現れたりする不思議なんて、どうでもよかった。
 私は扉の方に駆け出した。


 みんなに会える、一人じゃなくなるという思いが、私の胸を満たしている。
 嬉しくてたまらない。


 “会いたい!!みんなと一緒にいたい!”

 偽りの無いこの気持ち。
 でも‥‥。



 “みんなに嫌われたら、どうしよう”
 “ひとりぼっちにされたら、どうしよう?”

‥‥また私は嫌われて、無視されるかもしれない。

 それが、恐いのも事実。


 扉の取っ手に手をかけた時、そんな不安が私の手を引き留める。


 みんなに会いたい、会うために扉を開けたいという気持ちと、
 自分がまた相手にされないんじゃないかという気持ち、
 その二つがぶつかり合って、私の心にまたも嵐を呼ぶ。

 苦悩の波間で、私の心が揺れ続けている‥‥。


 “一人ぼっちはイヤ”
 “でも、みんなに嫌われてみんなといるのは、もっとイヤ。”

 扉に耳を当てても、今度は何も聞こえない。


 “でも、ここにずっといたって、どうにもならない”

 “みんなの中で一人って、一番辛いのも事実‥”



 それでも何とか意を決した私は、力を込めて扉の取っ手を引いた。

 その瞬間、世界が真っ白になって‥‥意識が遠くなりはじめ‥‥。


 “あれ?前と違う感じがする”

 “ファースト?”





                          →to be continued








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