生きててよかった 第1部 「生きててよかった」
Episode-08 【悲しき門出】
私の体を走り抜けた激痛はすぐに消え、その瞬間に視野が真っ暗になり‥
‥再び明るくなった。
エントリープラグの中じゃない。
でも、海の中を連想させるゆっくりとした揺らぎが、私を取り巻いていた。
穏やかに揺れる液体の中、宙に浮いているような不思議な感触に戸惑いを覚える。
自分の体が経験したことのない、よくわからない感じがする。
この浮遊感は一体何?
私の体に目を移すと‥。
自分の手、自分の足が半透明になっている事に気づいて、とても驚いた。
手で足や体を触れようとしても、曖昧な感覚しか得られなくてイライラが募る。
そのせいか、自分が何を着ているのかさえも把握できない。
プラグスーツ?それとも制服?
ひょっとしたら、裸なのかもしれない。
なんだか、何もかもが夢の中みたいな感じ。
これって、一体どういう事なんだろう?
“どこだろ、ここ?”
今度は落ちついて、改めて辺りを見回してみた。
どれも、見覚えのある景色だ。
周囲の山や建物の風景から、ここが第三新東京市、それも、
ジオフロントの上空だとわかる。
私の頭上には、なぜかオレンジ色の空をバックに御日様が輝いている。
その得体の知れない色をした快晴の空が、何故か私には嫌みに感じられた。
眼下を見おろすと‥。
“ママ‥‥”
白いウジムシのような量産機に貪られる、弐号機の無惨な姿が私の目に留まった。
ママの宿る弐号機を、奴等がバラバラにしていく‥。
“そんなのイヤ‥‥”
それを見たとき、不思議なことに直感的に分かった、ううん、感じることができた。
もう、二度と私はママには会えないんだって事を。
『まだ、死んではダメよ』
『アスカ‥ごめん‥ね‥』
エヴァの中からいつも私を見てくれたママ。
私に生きろと言ったママ。
でも、もう二度と会えないのね。
折角会えたっていうのに、もうお別れなんて‥‥また、私は一人‥。
そうは言っても、それも私には関係ないのかな。
だって、私だって‥‥死んじゃったみたいだし。
だんだん意識がまた遠くなりだした。
なんだろ、この感じ?
あ、ファーストだ‥‥ファーストも浮いている‥‥何よ‥
来ないでよ、あっち行って‥よ‥‥‥‥え?シンジ!?
な‥‥何よ‥‥キスしていい‥なんて‥‥誰も言ってな
----------------------------------------------------------------------------------------
‥‥何?
なんなんだろ、これ?
ここはどこ?
ここは‥‥。
再び意識が戻った時、私は古めかしい劇場の舞台袖に立っていた。
あまり広くない板張りの舞台の中央、ポツンと一つだけ、
パイプ椅子が意味ありげに置かれていた。
スポットライトを浴びて、その錆だらけの痩せた姿が異様に浮かび上がっている。
“誰が座るんだろ?”
絶対に誰かが座っていなければおかしい。
そんな気がしてならない。
“なんで私、あれをずぅっと見ているんだろ?”
もっとよく見ようと、何故か目をこすっている。
自分がそうした理由も、よくわからない。
“あれっ?いつの間にか人が腰掛けてる。でも、いつの間に‥?”
そして、気がつくと、そこに人が座っていた。
視線を逸らした覚えなんてないのに‥。
瞬きしているうちに出てきたのかな。
そんな筈は無いと思うけど、そうとしか思えない。
でも、いつの間にかその椅子に人が座っている事だけは間違いない事実。
腰掛けているのは黄色のワンピース姿の女だ。
一体どういう事なんだろう?
“何、これ? ‥あ、私だ‥。”
よく見ると、それは自分と全く同じ姿をしていた。
鏡で見たような瓜二つの姿に、驚いた。
その、『もう一人の自分』は私が見つめていることなど気にもかけずに、
うつむき加減のまま、微動だにしない‥。
“何だか、気味悪い‥”
そうは思っても、ますます気になって彼女の暗い顔を注視している私。
“何、これ?
頭に入って、くる‥‥”
“変な、感じ‥‥”
じっと見つめているうちに変な気分になって‥‥。
「アスカ、明日は3歳の誕生日ね。プレゼントは何がいい?」
“あたし、おさるさんのぬいぐるみ、ほしー”
“うぇーん、うぇーん”
「あらあら、泥だらけになっちゃって。
さあ、ママと一緒にお風呂に入りましょ。」
イメージが頭の中に流れ込んできた。
どれもこれも、私の過去、私の思い出ばかり。
視覚、聴覚、触覚、あらゆる感覚に訴えてくる
それら情景の数々は、記憶の断片という言葉で片づけてしまうには
あまりに生々しい。
“ママーッ!ママッ!私、えらばれたの!じんるいを守る
エリートパイロットなのよ!せかい一なのよ!”
“だから見て!!私を見て!ねぇっ!ママッ!!!”
「偉いわね、アスカちゃん。我慢しなくてもいいのよ」
“私は泣かない。私は自分で考えるの”
「史上4番目の若さでの卒業だよ、アスカちゃんってホント、才女だね」
“ええ〜っ?そんなことないですよ、運が良かっただけです。
何より、皆さんのお陰ですし”
『ねえっ!私を見て!!ほら、頭、いいでしょ?全部、私が頑張ったからなの!』
“Aufviedersehen!! Guten nacht!!”
『パパを寝取った癖に‥‥すっかり母親面ね‥イヤな女!』
“この間まで一ヶ月もエヴァに溶けこんでいた癖に。
何よ、すっかり元の鞘におさまっちゃってさ。”
『キスまでしてあげたっていうのに!なんで人形を選んで私を選ばないのよ!!』
ママが死んでからの事なんて、ろくな思い出なんてないのに。
その時々の私の出来事、私の言動、私の思いが
凄い勢いで頭の中を流れていく、このイヤな感じ‥‥
いつだったか、使徒に心の底まで覗かれた時も同じね。
辛い‥。
いつまでこんなの‥‥続くんだろ?
“どうせ私は負けたわよ。 あんたなんかに‥‥。”
『エヴァにも乗れない、あいつも私を見つめてくれない‥。』
“私の生きてく、理由もないわ”
『だから私を見て!』
「アスカは何のためにエヴァに乗ってるの?」
“自分の才能を世の中に示すためよ”
『才能があれば私をみんなが見てくれるの!大事にしてくれるの!
チヤホヤされたら、とっても幸せな気分になれるわ!』
「あなたは、人に誉められるためにエヴァに乗っているの?」
“違うわ、自分で自分を誉めてあげたいからよ”
『誉められて、注目されて、寂しさを紛らわせたいのよ!
誉められて、人に注目される事が大事なの!!それが、
私がエヴァに乗る理由なの!』
どれもこれも、自分の言動の裏に潜むモノが見え隠れしているから、
いずれのシーンにも吐き捨てたくなるような不快感を覚えた。
どれも、直視するのが辛くて、恐くて、いつも忘れていた、
本当の自分の気持ちだから。
心の中のイヤらしい気持ち、私の正体。
気分は最悪。
いつの間にか、私はそれらの『本音』を憎みはじめていたかもしれない。
『さびしいの?』――――――――――“違う!側に来ないで!私は一人で生きるの!”
『ねえ、私の事、好き?』――――――“誰にも頼らない!一人で生きるの!”
『本当に、私の事、好き?』―――――“一人で生きていけるもん!”
『ウソばっかり!!』
“イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!”
“ウソついて生きて、何が悪いのよ!!”
“いいじゃない!!”
“そのお陰でママがいなくても生きていけたのよ、何とかやってこれたのよ!!”
“自分を騙して生き続けないと、一人で生きていけなかったのよぉお!!!!”
立て前と本音。
本音と立て前。
忌まわしい過去の記憶、そこにいるホントの自分‥。
弱虫じゃないように頑張ってたけど、実は弱虫だった、私の心‥。
交錯する表と裏の自分の合間で、私は苦悩し続けた。
“何がいけないのよぉおおおおお!!!!!!!!!!”
それら灰色の追憶を掻き消そうとする手段は、叫ぶ事しか思いつかなかった。
だから私は、自分と『自分』の2人きりの舞台の上で、わめき続けた。
“誰も私を守って、見て、愛してくれなかったもん!!”
“寂しかったのよ‥‥一人がイヤだったのよ!辛かったのよ!”
“みんなが見てくれるように、みんなに認められるようにがんばるしか、
‥‥そうするしか寂しくなくなる方法、なかったもん!”
“家族もいない、友達も、恋人も、誰もいない私がそうして、何が悪いのよ!!
こうするしか無かったもん!”
“加持さんだって、ミサトだって、シンジだって!!!!”
“誰も私を見ても守ってもくれないんだもん!!!”
“あれ?‥‥私、何を叫んでたんだろ?”
我に返ったとき、スポットライトの中心には誰もいなかった。
さっきの私の叫びに対して応える者も、勿論どこにもいない。
もう一度辺りを見渡したけど、人なんてどこにもいない。
何故叫んでいたのか、自分でもわからなくなってきた。
静寂が、舞台の上に、私の胸に、じわじわと戻ってきた‥‥。
“そういえばここって‥”
“出口、ないかな‥‥”
なぜ今まで舞台の中心ばかり見つめていたのか不思議に感じながら、
暗い客席の壁際に目を凝らす。
“あ‥‥”
それは、すぐに見つかった。
広くて暗い観客席の向こうに、非常口を示す緑のランプが目に留まる。
“外、どんな感じなんだろう‥‥外に誰かがいるのかな‥‥”
ここは暗くて、寂しい。
違う所に行きたい。
“だけど‥なんか‥‥恐いな‥‥”
“そういえば、一人でいたいんじゃなかったっけ?私?”
でも、暗い客席シートの間をゆっくり進むうちに、それを
妨げるような反対の気持ちも沸いてくる。
“寂しい?
でも、怖い。
扉の向こうが、怖い。”
次第に、足取りが重くなる。
乗り気じゃなくなってくる。
かといって、もう一度あの舞台のほうを振り返る勇気も無い。
“あの扉の向こうに、いろんな人たちがいるかもしれない。
いたら、どうしよう。
恐い、けど、会いたい‥。”
足下が非常灯の明かりで緑に染まる距離まで来た。
目の前、重くて大きな劇場のドアが、私をじっと待っている。
“開けて、いいのかな?”
“‥‥‥”
チカチカと明滅する頭上のランプが、なんだか寂しげね‥‥。
《非常口》
‥‥避難のための出口。
“外、どんなのだろ?”
“なんで、不安なんだろ?”
“この私がどうしてそんな事を、いちいち不安に思うの!?”
そっか、そうじゃなくて、この私だからなんだ。
“そうよね。悔しいけど、私はそうだもんね。”
自分の心に潜む感情をかいま見た今、私にはそれが解る。
外に出て誰かを探したいという気持ちも、外に出たくないという気持ちも、
紛れもない本当の私の気持ちなんだ。
「‥‥‥ヒトリハイヤ‥」
“何?”
何か、イヤなものが聞こえたような‥。
「‥‥ワタシ、ママニスカレルイイコニナル!!」
後ろから、声が聞こえてくる。
“嫌なものがいる‥”
怖々と振り向いた舞台の上には‥‥。
『だからママと死にましょう』
「うん、死ぬわ、だからママをやめないで!!」
そこには、ママに首を絞められ、恍惚とする『自分』の姿があった。
“イヤァアアアアアア!!!”
“もうイヤ!もうイヤ!もうイヤ!!!”
気が動転した私は、ドアに体当たりしてそれを開け、
何も考えずに外の世界に飛び出した。
→to be continued
戻る
抜ける
進む