生きててよかった 第1部 「生きててよかった」
Episode-09 【ATフィールドのない世界】
ゴソ‥‥
おずおずとしたシンジが、両手で私を抱こうとしている事に、気づく。
「アスカ‥‥」
私の両肩を掴みながらも、顔を逸らし続けるシンジ。
どこか気怠いその横顔を見たときに、頭の中に彼の幼い頃の記憶が流れ込んできた。
最初はなんなんだろう?と思ったけど、すぐにそうに違いない事を私は確信した‥‥
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「もうっ!アンタ見てると、イライラすんのよっ!!」
「自分みたいで?」
“私とこいつが同じ?こんな奴が?”
「ふざけないでよ!」
口には出さなかったけど、私自身もこんな惨めな子供時代だった事を記憶している。
母親に連れられる余所の子供が憎かった事も、よく覚えている。
小さい頃、誰にも大事にして貰えなかったのは、シンジと同じだからね。
公園で砂山を作ったかは覚えていないけど、
似たような寂しい経験はいっぱいだった。
小さい頃の学校でも、大学でも‥‥
日本に来てからも。
ミサトはもっぱらシンジのママしかやろうとしなかった。
ろくに私を見てくれなかったと思う。
いつもシンジばかりを心配して、私の事なんて‥‥。
加持さんもそう。
シンジにはいっぱいアドバイスしたのに、私の事は中途半端な
子供女としてしか扱わなかったし。
畜生、ちくしょう‥‥‥なんでっ!
なんでシンジはこうで私は‥‥!
「あんたとは絶対違うわ。それをわかってくれないあんたの事なんて、
だいっきらいよ!」
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///// 私を傷つけた男の妄想 /////
ハアッ
ハアッ
ハアッ
ハアッ
「アスカ‥‥」
「綾波‥‥」
「ミサトさん‥‥」
ハアッ
ハアッ
ウッ
「何してるんだ‥僕は」
まぎれもないそのシーン、それはシンジの心の中の出来事らしかった。
欲望剥き出しの世界をかいま見た私は、悪寒を覚えた。
シンジが私を、私のこの体を、玩具にしていたのよ。
ミサトやファーストも。
三人とも、弄ばれていた。
何故か、頬を涙が伝ったように感じた。
私が玩具にされていたからかな?
それとも‥‥。
両方かもしれない‥‥。
よく、わかんないや。
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///// 私には、こんなのわからない /////
今度は何?
‥‥ミサトと加持さん‥‥。
『ん――ねぇ、しよ‥‥』
『またかぁ、今日は学校で友達に会うんじゃなかったのか?』
『ん、ああ、リツコね。いいわよ、まだ時間あるし』
二人とも、私の知っている姿よりずっと若く見える。
こんなに若かったっけ?
それに、加持さん達がいる場所は、私のよく知っているアパートじゃなくて、
全然別の場所にしか見えない。
私の目に写るのは、とても汚い部屋だった。
部屋の真ん中の布団を取り囲むように、沢山の空き缶や本が
無造作に散らばっていた。
すぐ側では、古い扇風機がブーンという低い音をたてながら首を振っている。
‥やがて、これも私の願望でも空想でもない、過去の事実だって事が、
何故かありありとわかり始めてきた。
さっきのシンジの子供時代といい、これといい。
理由も根拠もないんだけど、どれも過去に起こった出来事よ、間違いない。
それだけは、はっきりとわかる。
『もう一週間だぞ、ここでゴロゴロし始めて』
『だんだんね、コツがつかめて来たのよ、だから、ネ。』
「バッカみたい!ただ寂しい大人が慰め合っているだけじゃないの!」
醜悪という言葉が良く似合うと思う。
踊るように互いの体をなで回す二人の姿。
舐めあう男と女、そしてユサユサと揺れる体。
これが加持さん?
これがミサト?
これが、このふたりの恋愛?
目を逸らしたくなる。
「嫌らしい!汚らわしい!!それが大人のつき合いだなんて、ヘドが出るわ!!」
そう叫ぶ事が、一番自然だと思った。
『これが、こんな事をしているのがミサトさん?』
「え?誰?」
声の方向に、人影があった。二人。
リツコさんとシンジが、この狂った男女を見ている事に気づいた。
リツコさんは冷たい目でミサト達を観察しているように、私には見えた。
シンジはというと――私をオカズにしていた癖に――憤りの表情を
顔に浮かべている。
‥‥なんて奴なの。
『ああ‥‥ああ‥‥』
狭い部屋の中に響くミサトの艶声は、とてもイヤらしく、
その癖、ぞっとするほど心地よさそうに聞こえた。
「あーあ、私も大人になったらミサトみたいなこと、するのかなぁ。」
耳を塞ぐかわりに、そんなことを口にしてみたりもした。
実は怖がっている自分自身に、とっくに気づいていた。
『ああ‥‥気持ちいい‥‥もっと‥』
私が生き続けていたら、いつか同じようにしてたのかな。
誰と?
加持さん?
バカシンジ?
どちらにしても、こんなイヤらしい事、私は絶対したくない。
第一‥‥男に体を赦すなんて、私には絶対にできない。
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///// 二人とも、心が貧しかった /////
慰め合う大人同士にうんざりしたから、それと、さっきの事を聞こうと思って、
すぐ側に立っていたシンジの肩を掴み、じっと彼の顔を見つめた。
そうして意識をシンジ一人に集中させるうちに――思った通り、
抱き合う大人達のイメージもリツコさんのイメージも消え失せて、
いつしか背景も真っ暗闇になっていった。
邪魔の入り得ない、二人だけの暗黒世界が生まれて、
私はシンジとじっと向かい合うことができた。
「さて、何から聞こうかな‥‥」
「な、何?」
「あれ?」
『あのバカ、模試だけ満点とってもしようがないじゃない!!』
『だから見て!私を見て!ねえっ!!ママッ!!』
『つまんない子。あんなのが選ばれたサードチルドレンだなんて、幻滅』
『誰も私のこと、見てくれないもの。』
『一人はイヤ!一人はイヤ!一人はイヤ!』
『ママ‥‥。』
「イヤ!」
「イヤァアアアアアアアアアアアア!!!!」
「なんで止まらないのよ!そんなの、シンジに見られたくない!」
「お願いだから、私の心を裸にしないで!!」
心の中を覗こうとした筈なのに、逆に心の中を覗かれてる気がする。
私の心に穴があいているかのように、過去の記憶がシンジの方へと流れていく。
それがわかる。気のせいじゃない、確かに見られている!!
誰にも見られたことのない、見られたくない事まで!
それを、シンジがじっと見ているのよ!
そうよ、絶対そうよ!
「僕だって、乗りたくて乗ってるわけじゃないのに」
「カ、カード、カード、届けて、くれ、っ、て」
「自分だって、子供の癖に」
「いいじゃないか!イヤなことから逃げ出して、何が悪いんだよ!」
「助けて、助けてよアスカ‥‥」
「最低だ、俺って」
「なに、これ!!」
「あんた、こんな奴だったの?」
少し遅れて、シンジの心の中のイメージも私の中に入ってきた。
イヤらしいもの、腐りきったものがいっぱいの、
淀んだ世界が私の中に広がった。
シンジという意気地なしで寂しがりな男の心の中は、
ヘドが出るほど汚れていた。
“やっぱりさっきのイメージ、本物なの?”
“このケダモノ!スケベ!”
“あんたなんか、あんたなんかあっち行ってよ!!”
誰でもいいのね、こいつ!
女なら、誰でもいいのね!
優しくしてくれるなら、その辺の下衆な女でもいいのよ、きっとこいつは!
私を、アスカっていう人間を、何だと思ってんのよ!!!
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///// それでもシンジは慰めを求めてきた /////
「助けて、助けてアスカ‥‥」
“なんにも私の事なんて判ってないクセに、こっちに来ないで!”
「‥‥判ってるよ」
“判ってないわよ、バカッ!”
“あんた、私のこと判ってるつもりなの?”
“救ってやれると思ってるの?”
“それこそ傲慢な思い上がりよ!わかるハズ無いわ!!”
私の事、なんにも知らなかった癖に。
私が傷ついていたことも、あんたを気にしてた事も、みんな知らなかった癖に。
心の中で私を弄ぶ事は知っていても、本物の私を抱きしめる勇気も、
私を守る勇気もない癖に。
「判るはずないよ!アスカは何にも言わないもの!
何も言わない、何も話さないくせに判ってくれなんて、無理だよ!」
話してくれなんて言ったこともないクセに、私だけを
見つめていたわけでもないのに、何を言ってんのよ、こいつ!
私の事、ろくに判ろうともしないで、接触を避けて逃げてばっかりで、
そんな奴が今更何を言うのよ!!
“バーカ!しってんのよ、あんたが私をどう見ているか、あんたが私を
どうしたのか。あんたはねぇ、私をオカズにしてたのよ、あんたは!”
「‥‥‥」
“いつもみたくやってみなさいよ。ここで見ててあげるから。”
「‥‥」
“あんたが全部私のものにならないなら、私、何にも要らない。”
そうよ。私を救いたかったら、笑った顔でごまかさないで。
死ぬ気になって私のことを見つめてよ!
曖昧なモノは、私を追いつめるだけなのよ、傷つけるだけなのよ。
このままじゃイヤなのよ!また私が要らなくなるかもしれないから!
だから、私を、私を全部知ってよ!全部私のものになってよ!!
奥底まで私を判ろうとしてみなさいよ!
“愛してるって言わないと、殺すわよ”
“イライラすんのよ!気持ち悪いのよ!”
“声を聞かせて!私を見て!!私を、大事にして!!!!”
「ザワザワするんだ、落ち着かないんだ。
声を聞かせてよ!僕の相手をしてよ!僕にかまってよ!!」
このっ!
なんであんたが同じ事を言うのよ!!
なんでシンジが!!
あんたみたいにみんなに大事にされる人間が!!!
‥‥なんにもあんた、私の事わかってくれないのね。
自分しか見てないのね。
私の気持ちなんて、どうでもいいのね。
加持さんにも、ミサトにも、みんなに大事にされてる《シンジ様》なのに。
私より、ずっとマシな《シンジ様》なのに。
それでももっと愛されたいばっかりで、私の気持ちなんて‥私の気持ちなんて!!
なんてひどい奴!!
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///// いちばん辛かった頃の事‥そして‥ /////
“これは!?”
“あの時と同じだ‥‥。私がテーブルに腰掛けてて、シンジがいて‥‥”
“あの時の記憶?”
“でも、そうじゃないような気もする。
少し、私もシンジも違う感じがするから。”
“私は‥‥。”
「何か役に立ちたいんだ、ずっと一緒にいたいんだ!」
何さ。自分のことばっかりの嫌な奴!
どうせ、寂しいから目の前の私にすり寄ってきただけなのに、
何が『ずっと一緒に』よ!
“じゃあ、何もしないで。もう側に来ないで。あんた私を傷つけるだけだもの。”
そんなあんたなんか、大っ嫌い。
嘘でごまかすあんたなんか‥本気でもないのに私に声をかけるあんたなんか‥。
「アスカ、助けてよ、ねぇ!アスカじゃなきゃダメなんだ」
私に救いを求めているのは何故なのよ。
私が特別だから?
私の事、一番好きだから?
“ウソね!”
そう思いたいけど、絶対違うわ。
ええ、違うって知ってるわよ。
こいつ、ただ私が一番相手にしやすいから私にこんな事言うのよ。
“あんた!誰でもいいんでしょ!”
“ミサトもファーストも怖いから”
“お父さんもお母さんも怖いから”
私を利用して自分を慰めたいだけなのよ。
私が傷ついてる事も知らないで、ただ私を慰めに使おうとする、そんな最低な奴。
ホントに私を好きなら、そりゃ嬉しいわよ。だけど違う。
ミサトもファーストも、お父さんもお母さんも恐くて‥‥そう、
私はどうせ、みんなの代用品なのよ。
シンジの一番じゃない。二番目、三番目、それ以下かも。
要らなくなったら、使い捨てにされるだけの女なのよ。
「アスカ‥‥」
“私に逃げてるだけじゃないの!”
「アスカ、助けてよ」
“それが一番楽で、キズつかないもの”
「ねえ、僕を助けてよ」
“ホントに他人を好きになった事ないのよ!”
“自分しかここにいないのよっ!”
ホントに私の事、好きになってくれたら、こんな事言わなくてもいいのに。
でもね、こいつ、自分しか見てないもん。自分の気持ちしか。
自分が心地よければ、それでいいって感じだもん。
他人の、何より私の気持ちなんて、何にも考えてくれないもん。
“その自分も好きだって感じたこと無いのよ!!”
“哀れね‥‥”
「助けてよ‥ねぇ‥誰か僕を‥‥お願いだから僕を助けて」
ほらね、尻尾を出した。
やっぱりこいつ誰でもいいのよ、助けてくれるなら。
「助けてよ‥助けてよ‥‥」
「僕を助けてよ!」
誰があんたみたいな奴!
「一人にしないで!」
「僕を見捨てないで!」
「僕を殺さないで!」
“‥‥‥イヤ”
→to be continued