生きててよかった
【プロローグ】








《西暦2004年12月26日 ドイツ・ゲヒルン第三支部》






 「フラウ、心の準備はどうですか?」
 「はい。一応は、できていると思います‥‥。」
 「殆どの人が知らないみたいですけど、あなたの仮説が現実のものになるなら、
 帰って来れないんですよね‥‥」



 「実験を提案したのは私です。こんな目に会うのも、自業自得だと思ってます。」




 「お子さん‥‥確か、アスカちゃんでしたっけ?どうなさるつもりですか?
 旦那さんが引き取ると言っても、継母が来るんでは娘さんも苦労するでしょう」



 「‥‥‥‥。」
 「それに仮定が正しいなら、あの娘が弐号機のパイロットに選ばれるでしょう?
 それが、どういう意味かを考えると‥」



 「そんな事をしつこく言わないで下さいよ!!
 どうしようもないじゃないですか!
 私も人の子です、自分はどうなっても構わないけど、
 うちの子だけは辛い目に会わせたくないわよ!
 でも、そんなのどうしようもないじゃないですか!!
 私が知らないと思ってるんですか!?
 脱走したら、すぐに殺されるって事を!!」



 「無思慮な発言でした。お許し下さい。」



 「許すも何も無いわよ!もうっ!!」





  コンコン 「まま〜、はいるよ〜」



 「あ、お子さんがいらしたようなので、私はこれで‥‥」
 愚かな技官が退出するのと入れ替わりに、ドアを開けて部屋に入ってきたのは、
 頭に白いリボンをつけた可愛い女の子であった。



 3歳になったばかりの少女、アスカ。



 綺麗なオレンジ色の髪と無邪気な表情、そして指しゃぶり。



 汚れなど微塵も感じられない、誰が見てもかわいい子供だった。
 「まま〜、おしごとたいへん?」



 女の子は母の姿を認めるや、トコトコと走り寄った。



 「アスカ‥‥」
 「ねえ、まま、どぉしてないてるの?」




 「‥‥」
 「‥‥まま?」



 「ごめんね、アスカ。わるいお母さんだね」
 「ままはなんにもわるくないよぉ。」




 「ううん‥‥‥なんでもないのよ」
 「まま〜、ままのろぼっとみたいからだっこして〜。」




 娘の小さな願いを叶えるために、母は身をかがめた。



 同じ高さにまで顔を降ろすと、娘の青い瞳がよく見える。
 いたいけな子供の瞳は、天井の明かりをうけてキラキラと輝いていた。




 飾ることを知らない美しさが、キョウコには痛かった。





 「よいしょ」
 母は娘を抱き上げた。




 「あら、重い。ちょっと会わないうちに、またおっきくなったね。」
 「あたし、すききらいしないもん」



 「そうね、アスカは昔からなんでも食べる子だったもんね」
 「うん!!」





 それにしても、コロコロとよく笑う少女だ。




 「これからも、しっかり大きくなるのよ。」
 「うん!」





 『惣流さん、すいませんが、そろそろ時間です。』




 「はい、今行きます‥」



 「まま、おしごとがんばってきてね」





 「‥‥アスカ」
 「なに」




 「風邪引いちゃだめよ、元気でいるのよ‥‥」



 「だいじょうぶ!」



 「じゃあね、またいつか、必ず、会おうね。」



 「うん、だからまま、もうなかないで」




 娘は言葉に込められた意味を理解する事もなく、
 ただ、涙するキョウコの頭を一生懸命撫で続けていた。




 「惣流さん、もう‥‥」
 「はい、わかってます。 アスカ、元気でね」





 「うん!!」




 男達に連れられる母親の後ろ姿が、少しづつ小さくなっていく。




 何度も振り返る母。



 一緒に部屋を出た娘が、長い廊下を歩いていく母に、
 いつまでも手を振り続けている。








 それが少女にとって、最後の“暖かな母の記憶”となる事は、
 既に周知の通りである‥‥。








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