生きててよかった 第2部 「pitiable passion」
Episode-04 【loneliness in the crowd/一人じゃない寂しさ】








 ゴミゴミしたこの大学の敷地内で、いったい何度私は声をかけられただろうか。

 見渡す限り、人の群!
 大学生協前の広場は、声を張り上げる運動部員や、おごって貰う事ばっかり
 考えているスーツ姿の新入生でごった返して、異様な熱気に包まれている。

 知り合いなんて勿論いないんだけど、沢山の人が私に話しかけてくる。
 とは言っても、私に寄ってくるのは鼻の下の長い男共に、わけのわからない
 サークルの勧誘ばっかりで‥ああ、もううんざり。

 素肌大好きのシンジがいないからって、ちょっと気合いを入れてお化粧した事、
 今は思いっきり後悔してるわ、私。
 自分が人並み以上のルックスだって事は、今までの経験で判ってるけど、
 まさかこんなに男が寄ってくるなんて。

 大学の男共って、そんなに飢えきってるのかしら。
 入学式用に選んだグレーのスーツには、色気なんて全然ないと思うけど‥‥。



 「ねえ、君、ロックに興味ない?ウチのサークルはさ、
  君みたいな女性ボーカルを‥」
 「全っ然興味ありません。 失礼します。」

 「そ、そう言わずに、ちょっとボックスまで寄ってって‥」
 「うるさいわねっ!さっさと消えないとぶつわよ!」

 しつこい長髪男を一喝。
 慌てて逃げていく情けない後ろ姿に、唾を吐きたい気持ちをぐっと堪えた。


 改めて自分の周りを見渡しても、やっぱりどこにも知っている人なんていない。
 色々なサークルの立て看板や横断幕ばかりが、やたらと目に入ってくる。


 “シンジさえ一緒にいてくれたらなぁ‥こんな目に逢わずに済むのに。”

 だけど、この大学には、彼はいない。
 だからこそ、どこかのサークルに入ったり、クラス会とかで友達増やしたいけど‥‥
 こんなのばっかりじゃ、もう嫌になっちゃう。


 大学初日の今日は、どこを見学してみようかな?
 管弦楽とか交響楽を見てみる?それとも、それ以外?

 だけど、体育系みたいな、シンジに会いに行く時間がなくなりそうな所は勘弁ね。


 “うーん、どうしようか”

 近くにあったベンチに腰掛け、私は藁半紙でできた
 サークルガイダンスの冊子をめくり始めた。ちょうどその時‥‥。


 「おお‥‥惣流!?」
 「えっ誰?」

 自分の名を呼ぶ太い男の声に顔を起こすと、やはり一年生だろう、
 スーツ姿の長身の男が立っていた。

 左隣には、真っ黒な髪のポニーテールの女の子が寄り添うように佇んでいる。

 一体誰だろう‥。


 「ほら、やっぱりアスカだった!うわぁ!すごい綺麗!」


 あっ!この声!誰だと思ったら!

 「なぁんだ、ヒカリと鈴原かぁ〜!」


 二人とも、高校の頃のイメージを吹き飛ばすかのような、大人っぽい
 服装と表情だったから、すぐにわからなかったわけね。

 特に、高校が私達と別々だった鈴原は、会う機会が限られていた事もあってか、
 すっかり別人のように思える。ピシッとスーツを着こなした彼からは、
 中学の頃のダサいイメージは全然想像できない。

 ヒカリはヒカリで、ストレートからポニーに髪型変えちゃってるし。


 「私達も、本当にアスカかどうか、声かけるまで自信なかったわよ。
  もぉ、アスカったら、お化粧なんてしなくても充分美人なのに‥」

 「ヒカリだって、かわいいポニーちゃんになっちゃって!
  人の事言えないわよ!」

 「お互い、慣れん格好しとるなぁ、ワイら。」

 あ、見た目は変わっても、こいつの関西弁だけは相変わらずね。



 「ええ、お陰で男がウジャウジャ寄ってきて、まったくいい迷惑よ。
  それにしても、いいわね〜二人とも。大学、一緒で。」

 「う、うん‥」
 「ま、まあな。」

 「ほら、照れない照れない!心底羨ましいわよ、あんた達の事。
  私、虫除けシンジがいないから、やたらめったら
  声かけられて、全くたまったもんじゃないわよ。」

 「アスカ、ホントに大変そうね‥‥。さっきも誰かを怒鳴ってたみたいだし。」

 「ゲッ!!み、見てたの?」

 汚い言葉遣いで男を追い払った事を思い出し、私は顔が熱くなった。


 「え、ま、まあ、その、長髪の男を追い払うところだけ‥‥」


 「そ、そう、ハハハ。だ、だって私、他の男には興味ないからさ〜。
  シンジもそう思ってくれてるみたいだし、そんな私に声をかけてくるのが
  どだい間違いなのよ。」

 「ああ、あいつは大丈夫や。ワイが保証する。」

 「そうよね、碇君は、とってもいい人だから、大丈夫よ。」


 「はぁ〜‥‥それはわかってるんだけどね‥やっぱキツいなぁ‥」

 ああ、溜息が出ちゃった。

 引っ越す直前までベタベタくっついていた反動もあってか、
 ここ二三日というもの、彼の事を思い出すと、すぐにブルーになってしまう。

 人前では明るく振る舞うようにしてるけど、この二人の前では
 心が油断するのか、表情を隠す事が出来ない。


 「キツかったら、ちゃんと毎日電話せえって言うんやで。」
 「あと、何か相談事とかあったら、昔みたいに溜めちゃダメよ。」

 「わかってるわよ、二人とも。だけど‥」

 「ほらアスカ、そんな暗い顔しないっ!
  男が寄って来るのは、そんな、『私は失恋したてです』って
  顔してるからかもしれないわよ。」

 「そやそや。」


 「あ、それもそうね。」

 にっこり笑ってみる。
 頷くヒカリと鈴原。

 だけど、その遙か後ろで、知らない男達が興奮した素振りでこちらを
 指さしているのが見えたとき、私はもう一度「はぁ〜」と溜息をついた。


 「とにかく、元気出すのよ、アスカ、わかってる?」

 「うん、わかってる。」

 「じゃ、私達、用事あるから帰るね。」
 「そな、また今度〜!!」

 「バイバイ、ヒカリ!!」



 二人に手を振った後、ベンチを立って辺りを見渡した。

 とたんに私のほうに向かってくる、何人もの男達に私は気づく。
 どいつもこいつも、下心のありそうなイヤ〜な目つきに見えてならない。

 “もう、サークル見るの、明日からにしよっと‥‥”


 心底うんざりした私は、スーツ姿だけど、家まで走って帰る事にした。



   *          *           *



 アパートに帰ってシャワーを浴び終え、ホッとしながらバスタオルで
 体を拭く。一人暮らしっていうのは、こういう時は楽ね〜なんて思いながら、
 洗面所の大きな鏡に写る湯上がりの自分の顔を眺めると、うん、我ながら、
 まあまあの美人顔。


 クラス委員を名乗る小堺という女からの電話は、そんな小さな幸せを
 ぶちこわすような絶妙のタイミングでかかってきた。



 ピリリリリ・・・ ピリリリリ・・・

 “まったく‥‥うるさいわね‥”

 ピッ


 「はい、惣流です。」

 「はい。」

 「まあ、一応暇ですけど‥‥」

 「はあ‥‥」

 「え?まあ、いいですけど。」

 「わかりました。で、場所は?」

 「はい、はい。じゃ、また後で‥。」

 ピッ



 “‥‥シャワー浴びたばっかりなのに‥”

 電話の内容は、クラスの交歓行事の誘いだった。
 一時間後に、学校のすぐ近くの洋風居酒屋に集合だとか。


 “あんまり行きたくないなぁ‥。”

 堅苦しいスーツと履き慣れないヒールのせいで、ただでさえ疲れてるって
 いうのに‥‥また外出着に着替えるのが鬱陶しい。

 お化粧もやり直しだし、まだ明るいうちに外に出たら、
 男共が寄ってくるのは目に見えてる‥。


 「んもう〜!!どうしてこうなのよぉ〜!!」

 罪のない携帯電話を思いっきり床に投げ捨てて、私はバスタオルで
 頭をクシャクシャとかきまわした。
 当然だけど、そんな事をすれば鏡には髪ボサボサのお化けみたいな自分がうつる。


 それで私は、ますます不機嫌になってしまう。
 まさに、泥沼、泣きっ面に蜂‥‥。

 あ〜あ、行くの面倒くさいなぁ‥‥。



------------------------------------------------------------------------------







 約束の時間に5分遅れで居酒屋に到着。
 受付で待っていてくれた女の子に案内されるままに、私は“RESERVED”の札が
 かかった個室に通された。


 「あれ?なんで男がこんなにいるの?」

 明るい部屋の中に入った私の第一声が、それだった。

 予想に反した男達の熱心な視線に晒され、逃げ出したくなる。
 おかしいな‥‥入学式に見た感じだと、私とヒカリの入った人文学部の
 第一クラスは、確か女子が7割だったはず‥。
 だけど、目の前には、やたらと大きいのやムサいのやら‥いろんなタイプの
 男共が現にごろごろしている。ざっと数えて、半分くらいは男かな。


 「おお‥‥‥」

 男共の溜息が、耳に微かに届いた。


 “やれやれ。”

 私の口からも、全然違うタイプの溜息が漏れる。
 まったく、何で私がこんな集まりに!男になんて、興味ないっていうのに。

 「あれれ、もしかして浮かない顔してない?
  惣流さんには言ってなかったっけ?
  今日のクラス会は、工学部の第4クラスと一緒だって。」

 私の胸の内を知ってか知らずか、受付で待っていてくれた幹事役を務めている
 ショートカットの女の子が、やたらと元気のいい声で私に話しかけてきた。
 そして、有無を言わさず私の手にマイクを握らせる。


 「あの、これ、どうするんですか?」

 「あ、自己紹介。」

 パチパチパチパチパチ

 「あっ、あの‥‥」

 拍手と幹事の女の子に押される形で、みんなの前に出た。
 自分を巻き込む早いテンポに、銀色のマイクを持ったままオロオロしてしまう。


 「早く早く〜!」

 「名前とか、趣味とか‥」


 見知らぬ男共の、食い入るような目線がイヤで仕方がない。
 クラスメートの女の子達は女の子達で、なんだか面白くなさそうな顔で
 こっちを見てるし。


“ああ、早く帰りたい‥こんなんだったら、最初から居留守を使えば良かった‥。”

 「えっと、惣流 アスカです。人文学部ドイツ文学科一年、趣味は‥音楽を少々、
  そ、そんな所です。」

 だから、そこまで一気に喋ってしまって急いで着席。

 まばらな拍手と落胆の声、未練がましい視線を振り切るために、
 他の女の子達の座るソファに逃げ込んだ。

 もう私は関係ないわよという顔をするために、コップに注がれたビールを
 ぐっと飲んで、テーブルの上のつまみに手を伸ばす。
 どれもまずそうだけど、この際贅沢は言ってられない。


 と、ちょうどその時、幹事の子の大きな声が響いた。

 「さあ、みんなそろって自己紹介も終わった事ですし、
  さっさと『ご歓談』のほうにうつりましょう‥。」



   *          *           *



 しつこい男共を振り切るのに小一時間を要して、ようやく
 私は幹事役の小堺さんの所にたどり着くことができた。

 こんな嫌な目に逢うのは、みんなこいつが電話を寄こしたからだ。
 それも、シャワー上がりの一番気分のいい時間帯に‥。
 思いっきり問いつめてやろう。そんな事を考えながら、
 私はショートカットの彼女に話しかけた。


 「ねえちょっと!合コンだなんて、ぜんっぜん聞いてないわよ!」

 「いや、その、エヘ。」

 『エヘ』と笑う小堺さんの顔は、お酒で既に真っ赤になっている。
 目もどこかドロンとしているし。
 いわゆる、できあがっちゃってるって奴ね。

 「ただのクラス会だと思ってたら‥そういえば、ヒカ‥洞木さんは
  どうして来てないの?」

 「洞木さん?ああ、もちろん電話したんだけど、ケータイの電源
  切っちゃってるみたいでさぁ。」

 “さてはヒカリったら、鈴原と‥‥”
 私がこんなにひどい目にあってるっていうのに、ヒカリったら‥。


 「ヒ‥洞木さんの事はいいとして、なんで男がいるのよ。
  私、女の子同士で仲良くしようできると思ったから来たのに。」



 「な〜に〜よ〜、惣流さんだってホントは嬉しいクセに〜!」

 「えっ?」
 予想もしなかった言葉に私はぎょっとする私の耳元に、彼女は小さな声で
 ささやき始めた。


 「惣流さんみたいな美人だったらよりどりみどりじゃん。
  まあ、あんまりいい男はいないからアレだけどね。」

 「???」

 「鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔しちゃって!もう〜!
  そっか!
  あなたって、奥手なふりするのが得意なんだ!
  かわいい顔して、悪女ね〜!」

 「そ、そう?ア、ハハハハ‥」

 とりあえず相槌をうちながら、目の前の女の顔をもう一度眺める。

 無邪気に笑う彼女の顔からは、後ろめたさも悲しさも感じられない。
 むしろ、素直な子供と変わらぬ素振りでニコニコしていると言っていいくらい。
 イヤらしい女というイメージも、あまり沸いてこなかった。

 ただ、今の自分とは随分違う、今まで自分が付き合ってきた
 どのタイプとも違う。それだけは、はっきりしていると思う。

 私は好奇心を抱きながら、彼女との会話を続けた。


 「‥‥で、よくいるじゃん、やたらとベタベタくっついて何年も
  離れない不細工同志のカップル。あれって、なんだかね〜!」

 「え、ええ。」

 「あいつら、絶対に一人になるのが寂しくて仕方ないのよ、
  だから、お互い不良品だって解ってても離れないんだろうな〜。
  いったん別れたら、次の相手見つけるのにぜーったい時間かかりそうだし、
  他の男とかと遊んでいないうちに、どんどん不器用になっちゃうし。」


 「そ、そうね。」

 「まあ、惣流さん‥あ、アスカって呼んでいい?そう!よかった。
  アスカは、絶対そんなのとは無縁って感じだからいいけどさ、
  私も昔はそういう女だったの。髪をショートにする前はね。」


 “この女‥‥何を考えてるんだろ‥さっきから自分の思ってる事ばっかり、
  腹の立つことばっかり‥”

 「わ、私は‥‥」

 「でも、せっかく苦労して大学来たんだから、やっぱりパーッと遊ばないとね。
  男を引っかけて、海外行って‥ああ、私もアスカみたいに綺麗だったらな〜。」

 「え、ええ。私も、大学入ったんだから、あれこれやるつもりよ。」


 胸の前で手を組んで、どこか夢見るような目つきで私を眺めている彼女。

 さっきから自分とシンジが小馬鹿にされているみたいな気がして、
 私は何かガツンと言ってやるタイミングを伺っていた。

 だけど、私に『いい女』の幻を重ねている彼女に、微かな同情のようなものを
 感じてしまったせいか、私は怒りの言葉を発することができなかった。


 “私が男にチヤホヤされて喜んでいるって思っている‥この女は。”

 “沢山の人にチヤホヤされる‥‥。”

 “私には、もうそういう生き方は絶対に出来ない‥‥。”




 やがて、小堺さんは『お手洗い』の一言を残し、私のもとから離れていった。

 久しぶりに一人になった私は、先ほどの会話を思い出しながら、
 ぐるりと辺りを見渡す。


 大して広くもないテーブルを囲んで、今もあちこちで話の輪が咲いている。
 男と女、入り交じって、お酒を飲みながらくだらない会話にうつつを抜かす
 私と同年代の人達の群れ。

 自分がお酒に酔っているせいか、それらの人混みを見ていた私は、
 何だかとても汚いものを見ているような感触に襲われ、
 思わず目の前の料理に視線を逸らした。

 もちろん、そんな私のリアクションに気づく人なんてここにはいない。



 「‥‥それってマジ?凄いね〜。」

 「中古だけど、一応GTRだよ。ゴールデンウィーク前には届くって。」


 「料理が趣味?」

 「うん。高校時代の友達がね、やたらとそういうのに凝っててさぁ〜、それで‥」


 別においしくもないつまみを口に運びながら、人々の会話に耳を傾けていると、
 自分を売り込む言葉や相槌、夜のお誘いなんかも聞こえてくる。
 聞きたくない、と思えば思うほど、よく聞こえてしまう。

 私の側にいた小堺とかいう女なんかがまさにぴったりなタイプだけど、
 みんな、チヤホヤされたがって、自分を売り込んで‥‥。
 ここにいる人達は、多かれ少なかれ、みんな同じ。


 どれも、私自身思い当たるフシがあるから、聞いていてとても気分が悪くなる。
 そう、まるでシンジと向き合う前の私みたいで。

 沢山の人に認められる為に、自分の才能を世に示す為に戦っていた
 愚かな時代を思いだす‥‥。




 底の底まで話し合い、理解し合う事――それは、私とシンジが今も続けている
 事だと信じているし、ヒカリ達ともそうありたいと願っている――を放棄して、
 大して強くもない絆を数ばかり追い続けているこの人達は、根本的には
 あの頃の私と変わらないように思える。

 もちろん、程度の差って奴はあるし、これがこの人達の全てではないだろうけど。

 でも、仮に、私にとってのシンジみたいな人がいるんだとしたら、
 だったらこんな所で異性を漁る事に夢中になるのはおかしいから、
 やっぱり、この人達は私とは違う人種なんだと思う。



 それにしても、そんなので寂しくないのかな?この人達は。

 そう、中学時代のまで自分は、能力とか容姿とかで沢山の人達を惹きつけて、
 結局誰の一番にもなれなかった事が元で破綻したのだから、やはり私には
 きっと無理だろう。もう二度と、あんな空しい思いはしたくない。
 少ない人数の人達だけしかいなくてもいい、絶対に裏切られない関係を作りたい。

 この人達は、本当にこんなのが平気なのかな?
 それとも、それが大人の付き合いって奴?
 インパクトの時の加持さんとミサトそのままか、もっとひどい。

 不潔で、不毛で、意味がないわよ、こんなの‥‥。
 私のやり方に比べたら、全然ダメじゃん‥‥。



 「あ、惣流さん、何してるの?」

 「え?あ、は、はい!」


 いつの間にか隣りに来ていたのだろうか、いかにも体育系って感じの
 男が、驚く私を見てニコリと笑った。

 この席にいる男にしては、爽やかな雰囲気をしている。
 だけど‥‥。


 “仕方ないわね‥‥”


 さっき独りで考えていた事が、今も頭の中を渦巻いているせいか、
 どうも、男の相手をするのがイヤでイヤで仕方がない。

 それでも私は自分自身にハッパをかけて、多少は
 彼と喋ってあげようと決意するのだった。


----------------------------------------------------------------------------






 夜も11時をまわって、ようやく会は解散した。

 お酒を飲んだ後の独りの帰り道は、開放感でいっぱいだ。

 自分の吐く熱い息も、ぽつぽつと続く街路灯の明かりも、嫌いじゃない。


 それにしても、店を出る時は大変だったなぁ‥‥。

 二次会には行かないって私が言いだしたら、いっぺんに6人も
 声をかけてくるんだから。女の子の夜の一人歩きは危ないからって言葉には
 惹かれるものがあったけど、知らない男(彼女無し)に家まで
送ってもらうのはもっと危ない気がして、どれも丁寧にお断りした。

 そういえば小堺さん、あの時も羨ましそうな顔で私を見てたわね‥。



 徐々に酔いが醒めてきたせいか、店の中にいた時ほど刺々しい気持ちには
 なっていない。
 クラスメート達を心の中でどこか見下していた自分を、
 振り返って反省するだけの余裕が生まれていた。


「あれはあれで、一つの生き方なのかもしれない。」

 冷静に考えると、そう思えない事もないのよね。
 不機嫌だった私の傲慢な思いこみっていうのも、差し引かないといけないし。

 友達をつくるにしても、男をつくるにしても、ある一線を越えない
 範囲で、デジタルな関係をたくさん構築すること――そうすれば、
 お互いに不必要に傷つけ会うこともないし、お互いに時間に束縛される事も
 少なくて済む。何より、関係が破綻したり裏切られても、心が痛いのは短い期間で
 済むし、代用品の人間なんていくらでも見つかるし。

 私は寂しがりやだって事を自分自身で自覚しているから、絶対にそんな
 真似は出来ないけど、だけど、寂しさを感じる事の少ない人にとっては、
 私とシンジ、私とヒカリみたいな関係を一生懸命作るよりも、
 そういうコンビニエントで縦割り的な関係をたくさん作ったほうが、
 居心地は良いのかもしれない。

 まさに、大人の付き合いね。
 こんな、大都会の夜にぴったりの付き合い方。
 ある意味、とても器用な生き方だと思う。

 一緒にお酒を飲んでいたあの人達は、或いはそういう大人の人種なのかもしれない。
 お互いに甘えあう事なんて全然欲しがらなくても平気な、私よりずっと
 成熟した人間なのかもしれない。

 私には、それが出来ない、出来ないからこそ、そんな世界を嫌悪する事で
 自己正当化しているだけのなのかもしれない。純真な子供を装う事で。
 それどころか、私やシンジが未だに子供の世界から脱皮できていなくて、
 あの人達のほうがずっと進んでいるっていう事も考えられる‥‥”



 家に帰り着くまでの間、夜道を一人で歩きながら、
 私はこんな事ばかりをグルグルと考え続けていた。

 自分の今の生き方を半ば否定するかのような、決して楽しいとは言えない筈の
 心理作業なのに、お酒が抜けきっていないせいだろうか、どこか
 愉しむような気持ちで私はそれを続ける。

 その思考の渦を断ち切ったのは、帰宅後、留守電に入っていたメッセージ。



 『4 月 9 日 二件 です』 ピーッ


 『4月9日午後10時10分 一件です 』

 『ミサトです。あの、今日、加持と正式に婚約しました。他の人には秘密だけど、
  やっぱり、アスカとシンジ君には報告しとかないと、と思って電話したけど、
  留守で残念です。アスカ、ちゃんと元気してる?夜遊びもいいけど、シンジ君を
  悲しませるような事は、するんじゃないわよ。じゃ。』

 でも、これじゃないわよ。次の奴。



 『4月9日午後10時58分 二件です 』

 『碇です。アスカ、留守みたいなんで、また12時までに電話します。じゃ。』


 『再生が終わりました』


 「12時までに電話かぁ‥‥」

 留守電のスピーカーから聞こえてきたあの声に心が躍る。

 とっても短い、何の変哲もないメッセージだったけど‥うれしい。


 仮の保護者の婚約発表を忘却のダストシュートに放り込んで、
 私はベッドの枕元の時計に目をやった。

 「11時30分。まだ、起きてるわよね。」

 大丈夫、今電話しても迷惑じゃない。
 スケジュール帳を取り出しシンジの新しい電話番号を
 調べて、速攻でダイヤルした。


 プルルルル・・プルルルル・・

 『もしもし、碇です』

 「シンジ?」

 『あ、アスカ!』


 電話は、2コール目きっかりに繋がった。
 耳元からは間違えようのない、自分の一番好きな声が聞こえてくる。


 「さっき、電話かけてくれたんでしょ?ありがとう!」

 『ありがとうだなんて、そんなの当たり前だよ。
  やっぱり顔が見れないと、アスカの事、気になってしかたないからね。』

 「気になる?私が!?わあい!」


 よほど嬉しかったのだろう。
 その夜は、二時間近くもシンジとおしゃべりを続けてしまった。

 シンジのいつもの声が耳元に聞こえてくる時間は、過ぎるのが早い。

 電話を切ったのは、時計が一時を回った頃。

 あくびをかみ殺しながら布団に入り、眠りにつく。

 今日の学校や居酒屋での情景を思い出しながらも、“でもやっぱり私は
 これでいいや”と思ったのが、長い一日の最後の記憶となった。





                          →to be continued








戻る   抜ける   進む