生きててよかった 外伝8
【あなたの寝てる間に】
「あ・・・・終電行っちゃったよ・・・参ったなぁ」
駆け込んだホームから、無情にも吐き出される最終電車。
その割には焦りを感じられないのんびりとした声。
顔と同じように繊細そうな声音だ。
「あーのーねぇ・・・もう少し危機感持ちなさいよ!!危機感!!
アンタ、どうすんのよ!!持ち合わせがないってーのに・・・」
一方の連れはその声音にいらだちを隠せない。
それもそのはず、今夜の行き場所には全くアテがないのだから。
彼女の親友と、彼の親友。
その二人が婚約をしたというので開かれたパーティーの帰り道。
ついつい話し込んでしまって、気がつけば終電間際の時間帯だった。
まだ間に合う。そんな期待を裏切るかのように遠のいていく電車の音。
タクシーを使うにも遠すぎるし、徒歩でなどもってのほかだ。
彼女でなくとも怒鳴り声を出したくなるだろう。
「とにかく、始発の時間まで後・・・四時間ちょいか。なんとか安く済ませる
方法ないかしら・・・」
給料日前の今、出ていく金は出来るだけ抑えたい。
「うーん・・・あ、そうだ。あそこだったら大丈夫かも知れない」
「何々?アテあるの?そーゆーことは早く言いなさい!!」
「ハイハイ、いいから行きますよ」
「ちょっと!!人の話を聞きなさい!!」
「聞いてますってば、ちゃーんとね」
同居生活を経ての長いつき合い。
彼女のあしらいにも手慣れたものだ。
矢継ぎ早に口から出される文句を受け流しつつ、歩を進める。
「っと、あった。ココだココ。」
彼が止まったのは一件のバー。
階段を降り、扉を開けると、狭いながらも居心地の良さそうな空間が
広がっていた。
「へえーアンタがこんないいお店知ってるとはねー。
ちょっとと言うか、かなり意外だわ。」
「前に一度加持さんに連れてって貰ったんだよ。あの時はミサトさんのグチを
聞かされて大変だったけどね」
そう言って苦笑いを浮かべながら、入り口近くのテーブルに腰掛ける。
「加持さん、ね。やっぱりアンタじゃムリかぁ〜。」
「悪かったね、縁がなくて。遊びに出ようとしてもアスカが・・・」
「アタシが何?なんかした?」
「いえ・・・何でもありません。まあここならグラス二杯で一晩明かせられるから。
とりあえずなんか頼んでおこうか」
「話そらしやがったな・・・ま、いっか。じゃあねぇ〜・・・・」
少し前までは元気にしゃべっていた向かいの女性が、今は寝息を立てている。
グラスの中に残されてるウイスキーをちびちびやりながら彼はその姿を見ていた。
酒が入ってるせいか妙に感傷的になってしまう。
話し相手が沈んでしまった今、物思いに耽ってしまうのはしょうがない。
過去の自分、過去のアスカ。
今までは思い出すまいと封印していたのだが、最近よくそのことを思う。
そしてふと彼女を見ると、妙な既視感。
心身共にボロボロになり、リビングのテーブルにうつぶせになってるアスカの姿
を見かけたことがある。
あの後だ、彼女が奇妙な家族生活の舞台であったあの家から出ていったのは。
そのアスカとなぜだか重なって見える。
得も言われぬ恐怖感が背筋を襲い、心臓を素手で捕まれたような心地悪さが
広がっていく。
居ても立っても居られず、彼女を起こそうと手を伸ばす。
彼女の名前を口に出さなかったのが不思議なくらいだった。
また彼女が消えてしまう。
なぜだかそれが現実味を持っていた。
このまま彼女は帰ってこない。
その恐怖が今の彼を支配していた。
そして、手が肩に触れようとしたその時。
「シン・・ジ・・・」
彼女の寝言。顔は見えないが安心しきった声音。
彼女が自分の名前をつぶやいた。
それがどんなに彼の心をなごませたか。
それがどんなに彼自身を救ったことか。
当の本人はそんなことを知る由もなく、幸せそうな寝息を立て続けている。
そう、今は違うんだ。彼女が居て、僕が居る。
無性に彼女の顔を見たかった。
その頬に触れたかった。
目の前の女性が愛おしくてたまらなかった。
この日、彼、碇シンジは人生における最も重大な決断を下した。
―――数時間後
「こぉのバカ!!なんで起こさないのよ!!ヒトの寝てる姿じっと見てるなんて
悪趣味にも程があるわ!!」
本気で怒ってる彼女の顔。怒りをぶつけられてる本人はと言えば、
「一度寝ちゃったらちょっとやそっとじゃ起きないじゃないか!!
自分で勝手に寝ておいて僕に文句言うなよな。」
「・・・・アンタ、アイマスク常備しなさい」
「はあ!?」
「アタシの寝姿は高くつくわよ。タダじゃ見せられないわ。
と言うワケで、今回はアンタ持ち。いいわね?」
「な、なんだよそれぇ〜!!僕だって見たくて見たワケじゃ・・・」
そこでふとあの寝言を思い出す。
「あ、今返答に詰まったわね?ほーら図星じゃない!!言い訳無用!!
今後は忠告通りアイマスクを携帯すること。それしかないわね。」
「冗談じゃない!!なんでそこまでしなけりゃならないのさ!!」
「んじゃあこれからアンタ、こーゆーシチュエーションに遭遇した時は常に
払ってくれるのね?気前のいいことで。」
「なんでそーゆー結論に達するんだよ・・・大体アスカが・・・」
バーの中で繰り広げられる夫婦喧嘩。
当たり前のことが当たり前にできること。
非日常の中で生きてきた彼らには今でもそれがかけがえのないモノとして
写るのだろうか。
何年経っても、何十年経とうとも、彼らはこの他愛もないやりとりを続けて
いるだろう。
たとえ何かを見失ったとしても、その何かを取り戻すために。
おしまい
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抜ける .