生きててよかった 外伝5 「管弦楽同好会」 (2017. 4/18〜2020. 1/20)
Episode-01 【第一楽章:ラルゲット】
「ねえ、アスカは部活動しないの?」
県立深想高校に入学して、ちょうど10日目、部活動の紹介があった日。
いつもと同じ二人きりの夕食のテーブルで、突然シンジがそう切り出した。
「するわけないでしょ、そんな面倒なもの。」
だけど、私の答えは簡単明瞭。
箸も留めずに、素直に本心を答えた。
「面倒?‥‥かな?」
「そうよ、お買い物とか行く時間も無くなっちゃうし。
まさかシンジ‥‥なんかやる気なの?」
「この学校、室内管弦楽のクラブがあるからさ。
明日、見学に行ってみようと思ってるんだけどね。」
「ふぅ〜ん‥‥。がんばってね。」
私の素っ気ない返事に、シンジが少し悲しそうな顔をしている。
「アスカは、本当にどこにも入らないの?」
「ええ、そうよ。」
「そっか‥‥アスカは何をやっても様になると思うし、
上手になると思うけどなぁ。」
「いいのよ。私、シンジとかヒカリとか、あと、学校の友達がいれば、
それで充分すぎるくらい、楽しいよ。」
そうそう。
部活なんて、そんな一昔前の学生っぽい事しなくても、
学校生活は充分楽しいわよ、きっと‥‥。
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キーンコーンカーンコーン
まだどこか耳慣れない終業のベルを聞いた、午後4時きっかり、
授業を終えた私はシンジのいる1年6組に向かって廊下を歩く。
「また、明日ね。」
「それじゃ、また。」
どこかぎこちない別れの挨拶が何度も聞こえる。
始業式から間もない一年生のクラスの廊下は、
まだ、どこか余所余所しい雰囲気が漂ってる。
まあ、無理もないと思うけどね。
私を振り向く男共も、知らない奴ばっかり。
どいつもこいつもみんな同じようなうっとおしい目つきで、うんざりね。
私、シンジ以外の男には魅力を感じないし、男の友達っていうなら、
鈴原とケンスケがいればもう充分だし‥‥迷惑以外の何者でもない。
それより、シンジさがなさきゃ。シンジ、シンジと‥‥。
6組の教室の扉の前に来たけど、人が多くて探すのが大変ね。
知ってる人もいないし‥‥困ったな‥‥。
あっ!いたっ!
「シンジ、お待たせっ!」
「あ、アスカ!」
教室を出ようとするシンジをようやく見つけ、声をかけた。
緑のネクタイに白いカッターシャツを着た姿が、
少し不自然に思えてしまうシンジ。
まだ、シンジの新しい制服姿に、私が慣れていないのか
シンジ自身が馴染んでいないのか‥‥両方、かな?
だけど、私に微笑む顔はなんにも変わらない。
「さ、一緒に帰ろっ!」
「ごめん、今日、管弦楽同好会ってとこ、見に行きたいから‥。」
「えっ?そ、そういえば昨日の夜、そんな事言ってたわね‥‥うう。」
「ゴメン。」
「気にしなくていいから。いってらっしゃい。」
すまなそうなシンジの肩をぽん、と叩き、私はシンジにそう言った。
努めて明るく。
すぐに私の事ばっかりのシンジが気持ちよく行けるように、笑顔を見せて。
ささやかな努力が実ったのか、シンジは嬉しそうな顔してる。
“ごめんね”だってさ。
前も言ったけど、そんな小さい事で謝らなくてもいいのに。
「じゃ、悪いけど、先帰ってて。」
「う、うん。わかった。晩御飯、用意しとくから。」
ああ、シンジが行っちゃう。
自分で行けって言ったんだけど、だけど、やっぱり寂しい。
仕方ないか‥部活動、部活動ねぇ‥‥。
ヒカリはテニスやるって言ってたし、ケンスケもパソコン系のクラブに
入っちゃったし‥‥。
「部活動って、そんなにいいものかなぁ。」
制服姿で混雑する廊下をゆっくり歩きながら、何度も私はそう呟いた。
勿論、それに答えてくれる人なんていないけど。
* * *
帰り道、校門の前で久しぶりにケンスケに会ったので、家まで一緒に帰る。
高校に入ってからは、ケンスケともクラスが別になっちゃったから、
なかなか会う機会が無かった。
こうやって二人きりで話すのは、たぶん、高校になってから初めての事だと思う。
そうそう‥‥中2の頃から比べると、ケンスケはかなり格好良くなったわよ。
勿論、今でもミリタリーとかが大好きなオタク君だけど、シンジや鈴原より
ずっとお洒落になって、女の子の好きな話題にも、元三バカトリオの中では
一番ついきてくれる。
かと言って、そんなにナンパな感じはしないから、私は結構好きかな。
話していても、一緒にいても、一番いい気持ちでいられる友達。
それが私にとっての彼。
「よう、碇はどうしたんだよ。」
「部活の見学よ。あいつ、チェロやってたでしょ?
だから、管弦楽のサークルを、見て来るって」
「なんだ‥‥なるほどね。お前が碇と一緒じゃないって珍しいから、
また喧嘩じゃないかと思ってたら、そうじゃないのか。」
「ああ、心配ご無用。何ともないわよ。」
「そりゃ、よかった。」
ケンスケは、いかにも安心したという素振りで、大きく息を吐いた。
「そういうあんたはどうすんの?やっぱりパソコン系に決めちゃったとか?」
「オレ?ああ、一応候補の筆頭はそうだけど、
洞木の入ったテニス部も悪くないかなって。あそこ、結構第三新東京からの
仲間がたくさん入りそうな感じだし。」
「でも、とにかくなんかやろうって思ってるわけね?」
「まあね。他の中学からの人と、もっと仲良くなりたいし、
俺って、何かホビーがないとやってらんない人間だし。
アスカはどうするんだよ?」
「どこも入らないつもりだったんだけど、そんな風に言われると
ちょっと考えちゃうかな‥‥」
「どうせ、シンジについていこうか迷い始めたって所だろ?」
ぎくっ。
「え、あ‥‥うん。
ずけずけとそんな事言わないでよ。」
はぐらかそうと一瞬思ったけど、それはやめて素直に認めた。
どうせこの手の気持ちを隠そうとしたって、ケンスケ相手じゃ
きっとバレちゃうもん。
「いや〜ホント、アスカって素直になったな。」
「いけない?」
「いけなくないさ。
おかげで、かわいくなったような気がする。振る舞いとかもね。」
「フフッ、ありがと。
あんた、いつの間にお世辞を言うようになったの?」
「を、言われてみればそうだな。すげえな、俺。」
「なーに言ってんだか!」
隣を歩くケンスケの横顔をちょっとだけ覗いた。
涼しげな表情の彼。
これからも、ずっといい友達でいて欲しい。
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その日、夜になるまでシンジは帰らなかった。
ミサトと加持さんも、もちろんネルフでお仕事。こちらは朝まで帰ってこない。
一人で待つこと3時間。シンジが家に帰ってきたときは、本当に嬉しかった。
生まれて初めて用意した夕御飯を、二人で食べた。
ぐちゃぐちゃになっちゃった野菜炒めも、ちゃんと全部食べてくれた。
お風呂に入った後、だからシンジの膝の上で私はいっぱいゴロゴロ。
今日はやけに甘えんぼさんだね、と、シンジが言った。
その通りね。
今日の私は、とってもあまえんぼ。
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確か、規定では今日までが仮入部の期日だったはず。
どうしよう。
放課後まで、もう時間がない。
やっぱり‥入った方がいいのかな‥‥。
お昼休み、ヒカリと一緒のごはんの間も、考えてばかり。
せっかくのシンジお手製のお弁当を、味も確かめないで食べ続けた‥。
「‥‥‥じゃあ、アスカはもう部活動、決めたのね?
あんなにやらないって言ってたのに、急にやるって言い出すなんて、
なんか変ね。」
「そ、そう?」
「それはともかく、決まったのね、アスカ。」
「え?ええ、ま、まあね。」
ヒカリにきつく突っ込まれ、しどろもどろ。
どこに入るのって訊かれたら、なんて答えようか。
「それで、どこに入部するの?」
げっ!!
「ん〜、ひ、秘密。」
「秘密?秘密って言うからには、碇君の入った管弦楽同好会じゃないわよね〜、
もちろん。」
いつの間にか、ヒカリが私の顔をじぃ〜っと見つめている事に私は気づいた。
茶色い二つの瞳が、クスクスと笑っている。
ヤバい。
このまま見つめられたら、たぶんダメね。バレちゃう。
かと言って、目を逸らしたら、それでもバレちゃうし‥‥。
私の事を何でもわかってくれる友達がいるって嬉しい事なんだろうけど、
こんな時は、ちょっと遠慮して、わからないフリをして欲しい。
仕方ないわね、もうっ。
「‥‥そうよ、そこに入るのよ!」
「アスカって確か、楽器は全然やったことなかったわよね〜。」
ふてくされた私の態度も気にしないで、笑顔のヒカリが言葉を繋ぐ。
もうっ!いつの間にこんなに意地悪になったの!?
「きょ、興味があるからに決まってるじゃん。」
「アスカ、嘘つき。」
「なっ!嘘じゃないわよぉ!」
「ほらほら、御飯食べたまま口開かない!」
「うっ、うるさいっ!」
一足先にお弁当を食べ終わったヒカリは“アスカも進歩がないね”と
軽く言い残し、席を立った。
憎らしいまでの余裕の表情。
私がシンジ目当てで部活動を選ぼうとしているって完全に見抜いた上で、
私をからかうんだから、もうっ!
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ずっと前にシンジから場所を聞いていた、管弦楽同好会の部室‥
第二音楽室の扉の前に、私は立っていた。
シンジは一緒じゃないのかって?
私だって、ホントはシンジに連れてって貰うつもりだったけど、
シンジは今日はいない。
新しい環境に馴染みきっていないせいか、
季節外れの風邪をひいて学校を休んだの。
“ここでシンジがチェロをひいてる‥‥どんな所なんだろ‥‥‥”
コンコン
「失礼します‥‥」
ドアを開けると‥ああ、やってるやってる‥‥オレンジ色の西陽の差し込む
音楽室に、沢山の制服姿が見えた。
みんな、手に手にいろんな楽器を持って、弾いたり吹いたり。
頭の中で想像してた通りの光景が広がっている。
「あの‥そこの君、新入生?もしかして。」
「え?あ、はいっ!」
突然、一番近くでバイオリンを弾いていた男の人に
声をかけられ、私はびっくりして振り向いた。
バイオリンを手にした、三年生の襟章の人が私を見ている。
やや面長な顔に銀縁メガネをかけているんだけど、
不思議とそれがお洒落に決まっている、なんだか凄い人。
今まで一度も見たことないタイプね。
「キミ、ウチに入りたいとか?」
「え、あの‥‥初心者だけど、いいんですか?」
「勿論だよ。ウチはもともと初心者が多いから、心配しなくていいよ。
弦楽器なんて普通の人は触らないし、管楽器の経験者は
みんなブラスバンドに流れちゃうし。で、希望の楽器とかあるの?」
「えっと‥‥」
「やりたい事があったら、言ってごらん?
今は、だいたいどの楽器もスペアが余っているから、何でも大丈夫だと思うよ。」
「あのう‥‥」
目の前の先輩が返事を待っている事に気づいて、
私は答えを探すために部室を見渡した。
まず、チェロみたいなでっかい弦楽器を弾いている人が目に入った。
身長の伸びた今のシンジにはぴったりだと思うけど、私にはちょっと無理ね。
窓際には、ビオラかな?
バイオリンより一回り大きな奴を弾いているショートヘアの女の人。
ピアノを弾いている人もいる‥ピアノか‥でも無理よね、
ピアノは上達に時間がかかるって言うし、指導者が要るって言うし。
トランペット吹きもいる‥‥でも、私はラッパ吹きってキャラクターじゃないと
思うし‥‥。
どれにしよう。他にも色々あってわからないけど‥‥。
「ハハハ、迷ってるね。まあ、初心者だから無理もないか‥‥」
「あ‥」
「どうしたんだい?」
思わず、私は指を指していた。
「あれなんか、いいなぁって思います。」
瞬間、私は音楽室の奥に、すごく綺麗な女の人を私は見つけたのよ。
その、長い黒髪の女の人は、銀色の横笛を吹いていた。
あれは‥確か、フルート。
「そうか、フルートか、いいかもしんないね。上達も割と早い楽器だし。
そうそう、俺、この同好会の部長やってる真田っていうんだ。
よろしく。」
「わ、私、アスカ。惣流 アスカっていいます。
よろしくお願いします、真田さん。」
こうして、シンジ目当てという不純な動機を胸に、
私はさっさと入部を決めてしまった。
本当に軽い気持ちで選んだ音楽の世界と、このサークル。
単にシンジと一緒に過ごせる以外にも本当に沢山のものを
この同好会で得るなんて、この時私は夢にも思っていなかった。
→to be continued
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