生きててよかった 第1部 「生きててよかった」
Episode-10 【優しさは、残酷の中に】








“イヤ‥‥”





     ―――そのとき、シンジが私の首を絞めた。




     強く、とても強く。

     なすがままで、弱虫で、ご機嫌取りのバカシンジが。

     あのシンジが私の首を絞めたのよ。




     あのシンジが、なんで私の首なんか絞めるんだろ?

     そっか、私が拒んだからよね。

     でも、なんで私が拒んだら首を絞めるの?


     私みたいな要らない人間を。

     シンジのオカズにしかならない、代わりの効く私なのに。

     そんな私なのに‥‥。




     でも、絞めた‥‥。

     あの、逆らう事を知らない、おとなしいだけが取り柄のバカが!?




>
     “アスカじゃなきゃダメなんだ!”






     こいつ、これでも本気だったのかもしれない‥。

     あまりに不器用で臆病で‥‥だけど、

     本気で私を求めていたのかもしれない。

     ミサトでもファーストでもなく、こんな私を‥。




     シンジは‥私の事が‥‥‥。






     私、『アスカじゃなくっちゃ』を信じてあげられなかった‥‥。








     でも、それって、不器用よ、意気地なしよ。

     第一、シンジはいつもファーストとかミサトのほうも向いてたし。

     私一人だけを、ずっと見てくれたわけじゃないし。




     ‥わかってあげなかった私も‥‥意気地なしだけど。

     だけどね、私だって辛かったし、私も人と付き合うのは

     不器用なんだから!




     それで、不器用なこいつを信じるなんて、絶対ムリよ!








     それでも傷つけて拒んだ私は‥‥やっぱりバカな意気地なしには違いない。


     ひょっとしたら本気で好いてくれたかもしれない人‥


     一番欲しかったものがすぐ側にあったかもしれないのに‥‥。





     ほら、心がこんなに痛い。









         『愛してるって言わないと 殺すわよ』


   『あんたが全部私のものにならないなら、私、何にも要らない。』





       自分しか見てなかったから、こうなるのね‥‥。

       シンジの事を散々に言ったけど、私も、ダメな人間。










   手をあてられた首の周りが、熱く感じられる。


   でも、私もシンジも死んでいるせいか、息は不思議と苦しくない。


   逆らう気はしなかった。

   このまま無に還れたらと願った。




  “それでも誰かに大事にしてもらいたい。シンジの、誰かの一番になりたい。

   無に帰るなんて、イヤ。誰もいないところでは幸せになれないもん。”




   寂しいまま、ひとりぼっちはもうイヤ。

   疲れたわ。

   沢山の人に囲まれながら、それでも一人で生きる事に。




  “誰かが愛してくれるなら、きっと平気なの。だから、死んではいけない。

   まだ若いんだから、これからそういう人が見つかるかもしれないよ。”




  注目されて気を紛らわす事にも疲れた。

  誰も私を見てくれないもの。


  だから、無に還りたい。還るしかない。




 “違う!!私、生きたいの!!みんなが私を大事にしてくれる世界で、

  幸せに暮らしたいの!!いじけて逃げ出したのは‥注目されたかったから!

  ミサトにもシンジにも見て貰いたかったからよ!”




  もう遅いわよ。


  あの時は誰も見てくれなかったし‥今だって、シンジの気持ちを踏みにじって。


  そう、せっかく見てくれる人が現れても、私はその人を傷つけること

  しかできないのよ。





 『優しさは、残酷の中に』。




  私もシンジも、互いに身を寄せ合おうとしても、

  互いを傷つける事しかできなかった。


  不器用な私達、心の底で惹かれ合っていても、

  きっと愛し合う事なんてできない。


  できっこない。どんなに寂しくても。




  だから、いつまでたっても私は一人。

  ただ一人まともに見てくれたシンジと愛し合えないから、最後まで一人。


  だからこんなのは嫌。

  消えてしまいたい。


  死んでしまえば、きっと静かになれる‥こんなに心が辛くなくなる‥。






 アンビバレントな私の世界は、なおも続いていた。

 交錯する知のデストルドーと、心のリビドー、どちらが本物なのだろう。


 両方ともかもしれないわね。





‥‥ううん、間違いない、本当は生きたいんだ。

 助けて欲しいんだ。

 一人が嫌なんだ。




 欲しいのは、接触と承認。

 恐いのは、拒絶。


 ただ、それだけの事なのよ、きっと。






 頭では死ぬのが一番マシな道だと思っていても、私の心は「生」を叫んでいる。


 人の温もりなんて、私、経験したことがないように思えるのに。


 でも、心はそれを求めている。

 その暖かさを、私はどこかで知っている。


 “じゃあ、私は、結局何を願うのかな?”




 “このままシンジに殺されたいの?”

 “シンジと仲良くなりたいの?”






       「どっちもイヤ。生き残って、加持さんやヒカリに大事にされたい!!」


       「シンジなんてイヤ。こんな、不器用で自分本位な奴はイヤよ!

        加持さんがいい!!きっと、大事にしてくれる!!」











              『それって貴女、我侭よ』





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 シンジを拒み、ほかの人を願ったときにファーストの声がして‥

 眼前のシンジは消えた。




 ひりひりする首を押さえながらぼやけた目をこすり、

 私は新たに広がる不思議な世界を見渡した。





 “街?それとも、家?”


 “違う。人間が、ぎゅうぎゅう詰めになってるだけなんだ‥‥”




 雑踏という言葉がかろうじて適切かもしれない、

 不思議な人だらけの世界が広がっている。


 それはオレンジ色を基調とした、とりどりの極彩色に揺れる曖昧な場所だった。

 周囲にいる一人一人の姿をはっきりと見ることもできない。


 でも、右も左も、ううん、私を取り囲む全ての方向に、

 確かな人の気配を感じる事ができた。





 “‥‥どこにいるの‥‥”




 たくさんの人達にもみくちゃにされながら、いつしか私は

 誰かを捜し始めていた。


 誰を捜しているのかは、自分でもわからなかった。


 でも、絶対に探さなければならないという事だけが、

 不思議な事に、はっきりと判っていた。





 人波に紛れてもみくちゃにされるたびに、たくさんの人のイメージが

 頭の中に流れ込んでくる。


 私を知っている人、知らない人達、ごちゃまぜに。

 勿論、クラスメートも、ネルフの人たちも、加持さんも、ヒカリも。

 ‥‥シンジもいると思う。


 ‥‥それだけじゃない、他人の心の中の私自身も、混じっているような気がした。




 今までで一番ひどい状態だったかもしれない。

 人間の、生の感情、生の欲望、生の心の中を、覗きあったようなものだから。


 三回くらい、私は吐いたような気がする。





 「嫌い。アンタのこと、好きになるわけないでしょ。」「しつこいわね。ヨリを戻すつもりは更々ないの。」「やっぱり友達以上におもえへんなぁ。」「バイバイ、もうさっさと死んじゃえばぁ?」「誰?この子、知らない子ね」「はっきり言って迷惑なの。余計なお世話よ」「正直、一番苦手なタイプなんだよ、お前って。」「ま、俺の人生には関係ないかな。」「いい加減にして!!」





 隠し事のできない世界は、見ているのも辛い。



 てんでバラバラに、みんなが自分勝手に自分の言いたいことをぶつけ合う世界。


 覗けば覗くほど、互いにののしりあい、傷つけあう姿ばかりが目に留まる。







 ミサトが私を毛嫌いしているのがわかった。


 私は、そんなミサトの心に蹴りを入れてやった。

“一人で寝るのが怖い?”って言ってやったら、

 ミサトはヒステリーを起こした挙げ句に泣き出した。

 いいザマね。







                   加持さんが、私を鬱陶しいと言った時、ショックだった。


                   “私は大人よ大人よ大人よ、だから私を見て!!”


                    私が叫んでも、加持さんは何も答えてくれなくて。

                    その代わり、私が泣かしたミサトの所に行って、

                    彼女を慰めはじめた。


                    今度は、私が泣かされる番だった。

                    ミサトが泣き崩れた私の方を向いて、ニヤリと笑った。







 リツコさんが薄い笑みを浮かべながら私に告げる。


 ネルフの計画によれば、エヴァ弐号機は使い捨ての

 量産機で、そのパイロットの私は、ゼーレの量産機と戦って、

 時間を稼いで死ぬために生かされていたんだって。


「あなたは、どれだけ優秀になっても、

 シンジ君やレイの役にはなれないの。

 あなたにはあなたの役目があるの。

 それが、あそこで親子で死ぬことなのよ。」


 私は、自分が一生懸命していた事が、ああやって

 なぶり殺しにされる為だったと知って激怒した。





                  シンジだけじゃない。

                  たくさんのクラスメートが、私をモノとして扱っていた。

                  みんなの心の中の私が慰めの道具にされている様を見て、

                  私は何人も殴ってやった。







 ヒカリは‥あ、鈴原と‥‥。

 何が『不潔』よ。

 カマトトぶってても、やっぱりそうなんじゃない。

 汚らわしい!イヤらしい!!


「だって、こうして二人きりでいると‥‥幸せなんだもん」


 そ、そんなの信じないもん!!

 イヤらしい!ただ、慰め合ってるだけよ!

 そんなの、上辺だけの幸せよ!!!表面だけの、見せかけよ!






 でも、時間が経つにつれて、だんだん雑踏の雰囲気が変わってきている事に

 気づく。


 ううん、気づかされた。


 気づきたくないのにね。



 口喧嘩したり争ったりしていた人たちも、

 次第にみんな仲良くなり始めてきたのよ。


 ほら‥‥。





 『鈴原、クン‥‥』

 『いままでお前の気持ち、わかってやれんで、わるかったな』

 『いいのよ、ね。もういいのよ。だから、今はこうして抱いて。』

 『ああ‥‥でもな、ウチの妹も、大事にしてやってな』

 『うん。』




 ますます仲が良さそうでいいな、あの二人。




 加持さんとミサトも、またなんか始めているし。


 ほかにも‥‥友達同士で仲良さそうにしている人や、

 ベタベタの恋人同士の姿ばかりが

 やたらと私の目に付くようになってきた。


 お酒を飲んで楽しそうなおじさん達に、子供と一緒に戯れる母親。

 みんな、幸せそうだった。


 青葉さんは‥困った顔をしながらマヤさんの頭を撫でている。


 ミサトに散々に言われてしょげていた日向さんも‥‥オペレーター仲間と

 今は宴会やってるし‥‥。











                   でも、私は‥‥‥。

            こんなにたくさんの人がいるっていうのに、私は‥‥。











 「ねえ、ボクと遊ぼうよ」

 「かわいいね、なんて名前?」



 “どっか行ってよ!!!あっち行ってよ!!来ないで!!!”




 ナンパしようとするような奴はいても、

 大事な友達も、恋人も、私にはいない‥‥。


 この体を見てくれる人はいても、この心を見てくれる人がいない‥‥。

 こんな時に凭れる事のできる相手がいない‥‥。


 どこもかしこもホントに上っ面だけなのね、私の価値って‥‥。





“何さ、もたれあって、偽善者ぶって、それで満足なの?それが愛なの?”


 強がりを口にしてみても、もう空しいだけ。



 楽しそうな、幸せそうな周りの人たちのイメージが、ただただ妬ましかった。





 “ママも、そう思わない?”





 “ママ‥‥ね‥‥”




 “助けてママ‥‥”


 “助けて‥助けて‥誰か、助けて‥ママ‥‥”



 “たすけて・・・わたしを・・わたしをたすけて・・”





 楽しげな人達の中、寂しさを堪えきれず、いつしか私は泣き出していた。

 まるで、迷子の子供みたいに。


 人々の声の渦、その中心で小さく震える事しかできない自分自身が悔しく、

 それと同じくらいに周りの人達が憎らしかった。





 ‥みんな楽しいことに夢中で、私のほうを振り返る人なんて一人もいない。


 肩をたたいてくれる人も、抱きしめてくれる人も、誰も‥‥。




 “‥誰か‥わたしをみて‥‥”





 「うぇえええん・・うぇええん‥‥」


 半ば幼児に退行したひとりぼっちの私。

 勿論、あやしてくれるママなんて現れない。


 かわりに、どこからか、自分以外の誰かの泣き声が聞こえて来た。



 あの声‥‥たぶんシンジだ。



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 『ボクを助けて』

 『ボクを見て』

 という、魂の悲痛な叫び。


 間違いない、やっぱりシンジだ。

 これは、シンジの声だ。



 『ミサトさーん、綾波ー、アスカー、リツコさーん、

  ボクは、ボクはどうしたらいいの?』



 続く言葉を聞いて、なぜか無性に頭に来た。



 自分が泣いていた事も、寂しかった事も、フッと頭から消え失せた。

 涙を拭き、声のする方向にむかって、大股で歩いた。


 自分が何故怒ったのかは、よくわからない。






 程なく私は、涙と鼻水で顔をべとべとにしたシンジを見つけ‥‥。




「誰でもいいのね、あんた!この、最低男!」

「あんたさえ、いなけりゃいいのに」


 心の赴くまま、あらん限りの罵声を浴びせていた。

 ためらう事なく、シンジの心を傷つけようとした。




「アスカ?僕の事好きになってよ、僕に優しくしてよ」




「嫌い。あんたの事好きになるハズないじゃない」



「私としたいんならお願いしなさいよ!この○×△野郎!!」





 シンジが言われて嫌がるような言葉をしつこく浴びせ続ける私。

 勿論、寂しさも何もかも忘れている。


 ただ、目の前の男が憎らしくて、傷つけたいという衝動だけが、

 その時の私の全てだったの。






「バぁ〜カ、ほんとにやってんじゃないわよ、このバカ!」


「ひょっとしてその気になってた?身の程、考えなさいよ」



 でも、シンジは何も抵抗しないまま、ただ、私に手を伸ばして

 『アスカ、ボクを助けて』『ボクを愛して』と繰り返すだけ。




 「このっ!このっ!!」


 「いくじなしっ!」



 その後、どれほどシンジを虐めてもいびっても、心は晴れなかった。





 やがて、疲れと空しさからか、哀しみを思い出したのか――涙が戻ってきた。


 体中、あざだらけになったままのシンジと一緒に、私も泣いた。









 たくさんの幸せそうな人達の中、二人並んで泣き続ける私とシンジ。


 だけど、誰も、私たちを振り向いてはくれない。

 やっぱり誰も、私たちに手をさしのべてくれない。


 なんて不条理な世界。







 “ママ‥‥”



 “父さん、母さん、どこ行ったんだよぉ‥‥カヲル君でもいい‥助けて‥”




 “助けて、助けてアスカ”


 “抱きしめて、誰か私の心を‥‥暖めて‥‥”



 “誰か、僕にかまってよ!”

 “誰か、私にかまってよ!”







     *          *          *









 どういう事だったんだろう。

 どうしてこんな事してるんだろ?



 “あったかい‥‥”

 “アスカ‥‥”



 泣いていたハズの私たちが、いつの間にか身を寄せあっているなんて。




 きっかけは、確か目と目が偶然に会った、ただそれだけだったと思う。




 暖かさに、私も、シンジも、たぶん飢えていたのね。


 そうじゃなかったら、誰がこんな奴と。

 こんな、私を裏切ることしか知らない、私を思いやることを知らない奴と。



 でも、止まらなかった。


 私、狂っていた。

 もしかしたら、シンジもかな。


 着ている服を脱ぎ捨て、破り捨て‥‥

 私たちは体を暖めあっていた。


 震える二匹の子猫のように、何も言わず、ただ、お互いの

 ぬくもりだけを愛し合った。

>


 男の体なんて見たこともないのに。

 不思議とイメージはリアル。


 ミサト達をこき下ろした事も、今は頭の中から消し飛んでいる。


 安っぽい事だと思おうとしたけど‥‥‥でも、暖かさ、嬉しさには勝てなくて。

 私は何も考えないまま、細いシンジの体を両手で精一杯に抱きしめていた。


 直に伝わる人肌の暖かみは、14年間の私の記憶にある中で、

 一番気持ちが良かった‥‥。





 「あんたなんか‥‥嫌いだもん‥」

 「でも、暖かい‥」



 「だれが‥あんたなんか‥‥」

 「でも、あったかいの‥」



 「あんたなんか、嫌いだもん‥」

 「好きなの。前から、シンジを見ていた‥」



 「あんたとだけは‥‥しんでも‥‥」

 「これが私の幸せなの‥‥かな?」




 自分がしがみついている目の前の男が、私をオカズにするような奴で、

 誰でもいいようないい加減な奴で、それでみんなに捨てられた最低男だという

 事を頭が繰り返し警告しているのに。


“この温もりは、偽物よ”と。



 でも、酷いことを言おうとしてもちゃんとした言葉が出てこなかったし、

 ぴったりとくっつけた体を男から離す事もできなかった。



 怖かったのよ。

 また、一人で泣かなきゃいけなくなるのが。



 「だって‥‥シンジは‥」




 でも、言わないと。

 シンジは‥‥この男は‥‥。


 ホントに私を大事にしてくれるって、全部信じられないから。



 「愛してるって言わないモン‥‥」








 ‥‥!?

 そうよ!



 これって、ミサトと同じじゃん。

 寂しい私と寂しいこいつで、慰めあっているだけよね。



 「‥ず‥るいよ‥‥」



 どうしよ。

 心地いいけど‥‥こんなの、いけない、本物じゃない。



 でも、魔法が解けてしまうのも、怖い‥‥。



 優しさに包まれながらも、揺れ始めた心。




 「だけど‥」



 なれ合いはイヤ。


 だけど、また一人になるのもイヤ。





 「だけど‥あなたとだけは‥」




 でも‥‥。


 いわなきゃ。





 「あなたとだけは‥‥」




 私、シンジとひとつには、まだなりたくない。なれない。絶対なれっこないよ。





 「死んでもイヤ。」





 「うわぁああああああああああああああああああああああああああああ!!」





                          →to be continued








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