生きててよかった 第2部 「pitiable passion」
Episode-02 【stray sheep/迷える子羊達】
大学の合格発表も卒業式も終わった三月下旬。
別離を前にしたシンジとアスカは、前にも増して親密さを深めていた。
サークルの仲間やクラスメートとの集まりにおいても、
目に見えて二人だけの時間と空間を作り出してしまう彼らの姿に、
『なんて奴等だ』『仕方がないさ』と、周囲の意見は
まっぷたつに割れる。
だが、そんな周囲の視線など気にもせずに、アスカとシンジは
お互いだけをただ見つめ続ける。
彼らに残された時間は、あと僅かなのだから。
その日も、二人は仲睦まじく、手を繋いで第二新東京の街を歩く‥。
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あっ!アスカと碇君!
「アスカぁ〜!」
「‥‥‥なのよ。それでね、新しい‥‥」
「アスカ!」
「‥‥どうしたらいいと思う?」
「自然なままでいいと思うよ、僕は。」
後ろから私が声を掛けている事にも気づかずに、身振り手振りを交えながら
碇君とおしゃべりを続けるアスカに、ちょっとムカっと来ちゃう。
歩行者天国の人熱れの中でも、今日も腕組んで歩くベタベタぶり。
もちろん、わざと私を無視してるわけじゃないんだろうけど‥‥。
「ア〜ス〜カ!!!」
「え、あ?ヒカリ‥‥いたんだ」
「こ、こんにちは、洞木さん。」
周囲の人がびっくりするような大きな声で、ようやく反応があった。
殆ど同時に二人が振り向く。
「『いたんだ』じゃないわよ!何回呼んでも振り向かないんだから!」
「ご、ごめん。」
「ごめんね。」
「はぁ〜、仕方ないわね。
端から見てらんないわよ、あなた達。
もう少し、大人の慎みっていうか、周りに遠慮したほうがいいわよ。」
そうよ、私は事情を知ってるから、仕方ないとは思ってるけど、
事情を知らない人が見たら、絶対変だと思われるわよ。
実際、最近の二人を快く思ってない人もいるみたいだし‥‥。
「‥‥‥。」
「‥‥。」
黙り込むアスカと碇君‥‥もしかして反省してるの?
でも、俯いてる時も、手は握りっぱなし。
「二人とも、返事は?」
試しに、少し偉そうに返事を促してみた。
だけど‥‥。
「やだ‥‥」
「僕も、イヤだ‥‥‥」
「はぁ〜‥‥‥あんた達、ほとんどビョウキね‥‥」
なんか、無理して声をかけた自分がバカみたい。
目の前のカップルは、ビョウキと言われて笑顔で“そうかもね”なんて言っている。
もう、なりふり構わずね、二人とも‥。
「あの、ごめん、洞木さん、映画まで、時間ないから‥‥」
「あっ!ホントだ!『バトルガレッガ』始まっちゃう!!
じゃ、バイバイ、ヒカリ!!」
ああ、ろくにお喋りもしてくれないまま、二人が手繋いで走り去っていく。
仲が良いなんてレベルじゃない。
私だって、トウジとはうまくやってるつもりだけど、あれは違う。
絶対に、二人とも頭がおかしくなってるよ。
「でも仕方ないか‥‥もうすぐ、お別れだもんね‥」
大学の合格発表の日、志望校に合格したのに嬉しそうじゃなかった
あの二人の姿を私は思いだしていた。
きっと、ホントは辛いんだろうな。
五年間も一緒に住んできて、とうとうお別れ。
少しは、多めに見てあげないといけないか‥‥。
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「加持さん!」
不意に自分を呼ぶ声を聞き、加持は振り返った。
長い廊下の向こう、見知った長髪の男が手招きしている。
「なんだ、彼か‥‥」
可聴域ぎりぎりの声で独り毒づきながら、加持は青葉のほうに歩きはじめた。
「やけに不機嫌そうな顔してますね」
「いや、レディのお呼びじゃなかったからね。」
「ハハハ、そりゃすいません」
「で、俺なんかに何の御用かな?」
「ああ、実はですね‥」
急に真顔になった青葉が、声を落として耳打ちした。
「加持さんは葛城さんから聞いているかもしれませんが‥‥」
「何だ、言って見ろ?」
「最近、ウチの簡易MAGIがハッキングを受ける件数が、異様に多いんですよ。
‥‥一晩で100件を越える日もあって、俺達、死にそうです。」
「以前もあった事じゃないか。それに、俺に話すような事じゃないと思うが。」
無人の長い廊下に、低い声が響く。
誰かに聞かれぬようにと、二人の男が顔を寄せて話し合う姿は、
一種異様である。
「それが、様子が変なんですよ。連中、そろいも揃ってサードインパクトの
データバンクだけを狙って‥‥」
「何だと?」
「ええ、ハッカーの殆ど全てがデータバンクだけを、それも補完計画と
エヴァのブロックだけを集中的に狙ってきてるんです。
二三日前に来た奴なんか、本当にヤバかったっすよ。
プロ中のプロが相手か、さもなくば同じ簡易MAGIクラスが敵だと思います。
頼りにならない司令に報告する前に、一応加持さんにも、と思って‥‥」
「逆算は?」
「素人ならともかく、手強い相手に対しては成功例は殆どありませんね。
手強いです。」
「わかった、ありがとう。渉外部のほうからも、その件については
アプローチしてみる。また何か気づいたら、連絡してくれ。」
「はい、じゃ、俺はこれで。」
旧ネルフにいた頃と何も変わらぬロングヘアの後ろ姿を見つめながら、
加持は呟いた。
「まさかとは思うが‥‥」
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「まさかこのような事になるとは‥‥」
ほぼ同時刻‥地球の裏側・アマゾン奥地の某所にて。
「まさかじゃないよ、キール君。私達が、そして君がここにいる事が、
計画の失敗を何よりも雄弁に語っているんじゃないのかね?」
「むう‥‥‥」
鼻の長い小男の指摘に、白髪の男の顔が僅かに歪む。
サードインパクト後初めての、ゼーレ再動を記念する筈の会議は、
暗い密室の中、かつてと何も変わらぬの陰惨な雰囲気のうちに幕を開けた。
座長格のキール・ローレンツをはじめとする、旧人類保管委員会の面々
――各国政府を牛耳る『御老公』方がその正体なのだが――
がこうして顔を揃えるのは、実に4年ぶりの事である。
時の流れに取り残されたかのようなカビ臭い声が、
先ほどから暗い室内に木霊している‥‥。
「完全な単体への人工進化も‥‥」
「母なるエデンで永遠の快楽を得る事も‥‥」
「後一歩の所で叶わなかった‥‥」
「そして我々は、一人残らず楽園を追い立てられ‥‥不要な体に魂を宿す」
「そうとも、皆の指摘通り、計画は失敗した。
認めたくはないが、認めざるを得まい。」
老人達の不満を総括するように、キールが言い放った。
とりわけ、『失敗』の所を強調して。
「全て四海文書のままに‥否、我らの描いたシナリオ通りに事は
運ばれたのではなかったのか?」
「だが、我々人類は再び群体として蘇り‥」
「愚かさを忘れることなく、自らの滅亡に向かって再び歩を進める‥」
「キールよ、破綻したシナリオを、これから一体どうするつもりだ?」
「‥‥その事について説明するために、皆を招いたのだ。」
辟易した声にならぬよう努力しながら、キールは周囲の老人達を宥めた。
“不平を言うことしか知らぬ、無能者共が‥‥”
「確かに、我々の望む人類補完計画は、完全に失敗した。」
「碇の息子が‥‥道を誤ったのが全ての元凶だ。
或いは、碇によって歪められたリリスの導きかもしれぬが‥‥。」
ウツシヨ
「とにかく、神の子たる初号機パイロットは、自らの意志で現世に還る事を望み、
曖昧な世界を蘇らせた。これは事実だ。」
『神の子』という言葉に対して、つかさず憤慨の声が噴き上がる。
たっぷり20秒間、怒りと不満を噴き出させた後、
議長は狙い通りの言葉を口にした。
「だが、諦めてはいけない。」
「諸君、諦める必要はないのだ。」
「アダム――即ち、碇の息子の所在は、明らかになっている。」
「サードインパクトによってS2理論の完成を見た今、
最早エヴァンゲリオンも莫大な投資も必要ない事を思い出し給え。
そして、アダムは、いつでも我々の手の届くところにある。
失敗はしたが、やはりあと一歩の所まで我々は来ている‥‥」
周囲に言質を与える暇を与えずに、キールは傍らのパネルに手を触れた。
ピッ
「おお‥‥」
亡霊の囁きを思わせる声が、真っ暗な室内に響いた。
「見給え。」
殊更に重々しい声と仕草でディスプレイを指し示す。
キールは、無能なパトロン達の前で道化を演じる自分を苦々しく思っていた。
「アダムと‥‥リリスではない‥‥イブだろう。
約束の日の後、最初に生まれたであろう男女だ。」
「諸君、準備を整え、その日に備え給え。
リリスは存在しないが、問題はない。イブを『調整』さえすれば、
アダムを用いて奇跡を起こす事は決して不可能ではない。」
真っ暗な部屋の中、ぽつんと灯る液晶ディスプレイには、
街を歩く幸せそうなカップルが大きく映し出されていた。
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映画を見た後は、喫茶店でお休みしてパルコでお買い物して‥‥
夕方になっても、家には帰りたくない。
シンジの引っ越しまで、あと3日。
一日一日を、思いっきり使いたい。
「ねえアスカ、これからどうしようか?」
「う〜ん‥‥今日は加持さんもミサトも早く帰るらしいから‥」
街路灯の灯り始めた駅前広場のベンチに座り、私達はこれからどうするのかを
かれこれ10分は話し合っている。
もっとシンジと楽しい事がしたい。
なんか、いいアイデアないかなぁ。
でも、早く決めないと。お日様が沈んで、もう大分経つ‥。
「四人で一緒に過ごすっていうのは‥やっぱりイヤだよね?」
「うん‥ごめんね。やっぱり、その‥‥」
「そっか‥」
「じゃ、とりあえず晩御飯にしない?‥‥僕、お腹減ってきたから。」
「うん。」
帰りが遅くなると家の留守電にメッセージを送り、私達は夕刻の街を歩き始めた。
ネオンやヘッドライトの灯りがつき始めた大都市の景色が、ゆっくりと流れていく。
見慣れた街、見知らぬ人々、だんだん暗くなっていく空‥‥。
自分が少しセンチな気持ちになっている事に、私は気づいていた。
「ここでいい?」
「うん。」
駅前大通りから狭い道に入ってすぐ、
馴染みのパスタ専門店でシンジが足を止めた。
街に遊びに来たときにはいつも来ているお店、『ブーノ』ね。
黒くくすんだ感じのドアがかわいい、クリームパスタの有名な
イタリアンレストラン。
昼間は灯っていない装飾の小さなランプが、柔らかな光で私達を迎えていた。
カランカラン
『いらっしゃいませ。』
この店に夕方に入るのは初めてかな。
どれどれ、グループがふたつにカウンターに3人‥‥
昼間はいつも混雑している広い店内は、夕食時だというのに何故か空席が目立つ。
シンジがお気に入りだと言っていた窓際の二人席を選んで、私達は腰を下ろした。
『ご注文のほうは?』
「今日は‥‥パストカーレを。」
「私はカルボナーラ。」
『お飲物は如何なさいます?』
「どうする、アスカ?」
「シュバルツカッツェを、グラスでふたつ。」
『かしこまりました。』
「アスカ、お酒!?」
「高校卒業したんだし‥‥まあ、お酒くらいいいじゃん。」
アルバイターと思われる不慣れなウエイトレスの後ろ姿を見送りながら、
私はつまらない一般論を口にした。
「そうだけどさ‥‥」
「飲みたかったのよ。あの時のワイン、おいしかったでしょ?」
「‥‥‥!?」
シンジが不思議そうな顔で私を見ている。
ええ、私自身でも不思議。
特においしかったと思わないワインを頼むなんて、
自分でも何を考えているのかわからない。
ただ、なんとなく‥‥頼んだとしか言いようがない‥。
「それよりシンジ、外見てよ。」
「ん?」
「すっかり暗くなっちゃったね。」
「うん。」
春分の日は過ぎたとは言っても、山に囲まれたこの街の夜は早い。
表の往来の様子が全く見えないまでに外は暗くなっていた。
ガラスの窓には、自分達の姿だけがはっきりと写っている。
暗闇をバックに浮かび上がる自分とシンジは、
どこか落ち着かない、楽しくなさそうな顔をしているような気がする。
:
:
『お待たせしました。パストカーレとカルボナーラ、
それと、シュバルツカッツェになります』
湯気の昇るパスタに手をつける前に、私達は白ワインで乾杯した。
今日もワインは慣れない大人の味がする。
あんまりおいしくないと思うけど、全部飲んで‥‥
少しでも楽な気分になれるのなら、それでいいや。
「アスカ、ワインおいしい?」
「おいしいわよ。さすがドイツワインね。」
「うん、ミサトさんがくれたのと違って、けっこう飲みやすいね。何て銘柄?」
「シュバルツカッツェって言って、ドイツじゃ結構有名よ。
あ、パスタおいしい。」
「いつ来てもいいよね、『ブーノ』のパスタ。やっぱり、来てよかった。」
「うん、おいしい。」
シンジの笑顔につられて、私も頬がほころんだ。
さすがは名店『ブーノ』。ワインはあんまり口に合わないけど、カルボナーラは
いつもと同じ最高の味で私を楽しませてくれる。
僅かに甘いクリームソース、カリカリに焼けたぶつ切りベーコン‥
少しアレンジされた定番メニューを、私はぱくぱく食べ始めた。
「うー‥‥このベーコン、なかなか取れない‥‥」
「ハハ‥‥がんばって、アスカ。」
パスタの味に惹かれるうちに、次第にワインなんかどうでも良くなってくる。
ああ、やっぱりまだまだ子供の私とシンジ。
半分以上中身の残ったワイングラスはそのままに、
私達は店自慢の味に酔いしれた。
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お腹をいっぱいにした後は、ソニープラザでおいしいお菓子を買って、
カラオケやって‥‥すっかり遅くなっちゃった。
自宅の玄関の前に着いたのは、午後の11時。
テレビを見ていた大人達と少しだけ話をして、それからシャワーを交代で浴びて‥
私とシンジは、自分達の部屋に戻った‥。
* * *
ふたつ繋げた布団の中は、広くて暖かくて気持ちいい。
私は、おふとんから首を半分だけ出して、シンジの腕に抱きついた。
殺風景な部屋の真ん中での、甘い一時。
引っ越し業者に引き渡すために梱包された荷物ばかりの部屋だけど、
そんなの全然気にならない。
「アスカ、もう寝よっか?」
「うん‥‥」
ピッ
リモコンで電気を消して、もう一度シンジに抱きつく。
目が慣れないせいか、なんだか真っ暗‥‥。
「アスカ、だっこしていい?」
「うん‥‥でも、今日は大人がいるから。」
“わかってるよ”とシンジが軽く笑った。
「キスならいいよね?」
「うん。」
私の体に覆い被さるようにシンジが抱きついて、いつもの口づけを交わした。
舌を絡めあう長いキスは、いつまでも続く‥。
体も重くない。
シンジが膝とか肘とかで体重を支えてくれるからね。
それは、鼻で息をしなきゃいけないような、長い長いキスだった。
「‥‥あと、二日になっちゃったね。」
「うん。」
「明後日には、お別れか‥‥」
お別れ‥‥嫌な言葉ね。
私とシンジが、別々に暮らすという事。
シンジが合格したのは金沢大学‥‥リニアで2時間はかかる、遙か遠いところ‥。
だけど、その日は目の前まで来ている。
「アスカ、明日は何やろうか?」
「‥‥なんでもいいわ。」
「映画はみんな見たし、近くのテーマパークも水族館も大体は‥」
「シンジがいればいいのよ、私は。
もう、それだけよ、私が望むのは‥。」
「アスカ‥‥」
リビングから漏れる僅かな灯り。
暗闇の中、私の正面にシンジの心配そうな顔が浮かび上がっている。
自分は今、きっと子供の顔をしている。
シンジに出会って5年‥‥まさか自分がこんな弱い女になるなんて‥‥。
「明日も、二人っきりでいてくれる?」
「うん。」
「約束よ。」
「うん。」
明日一緒にいたとしても明後日には別れの時がやってくる、わかってる。
だけど約束せずにはいられない。
一緒にいれば、辛さを忘れる事ができる、そう思う。
‥‥思いこんでいるだけか。
やっぱり、何をやっても、一緒にいても、辛い。
ずっと一緒にいたいのに、片時も離れたくないのに‥。
「明日、加持さん達が仕事に出たら‥‥」
「シンジ‥‥‥‥‥うん‥」
私は、もう一度長い長いキスをシンジに求めた。
→to be continued
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