生きててよかった 第1部 「生きててよかった」
Episode-22 【私を抱いて】








 この世界にやってきて、5日目の夜。
 昨日から絶えず聞こえていた雨音も、今はずいぶん静かになった。

 シンジと二人きり。

 足が痛いけどそれには注意してもらって、私はシンジと再び抱き合っていた。



 「あったかい‥」
 「うん。」


 シンジが私の背中に両手を回している。
 私もシンジの胸に両手をあてている。

 今日も横向きに並んで。
 私のお布団の中に、シンジが遊びに来てるの。


 「キス。」
 「いっぱいしすぎって、良くないよ。」

 「どういう意味?」
 「だって‥‥」


 そして今夜の私には‥‥ひとつの決意があるの。
 シンジを決して失わないように、私、がんばる。


 “それを、今日やってみせる。”

 “早ければ早いほどいい。”


 “もう、二人きりの世界じゃないのなら、急がないといけない。”


 言葉の続きをなかなか言えないシンジを見つめながら、
 何度も同じ台詞を胸に刻み込む。

 決して、逃げないように、必ずやるように、と心の中で唱え続ける。
 がんばるのよ、アスカ。


 「だっての続きは?」
 「‥‥い、言えないよ、そんなこと。」



 一番欲しかった人――それは、私だけを真剣に見てくれる人。

 目の前にいる人は――この世で唯一人、私を守ってくれる、大事にしてくれる人。


 シンジだけが、今の私の全て。
 だから、絶対に失うわけにはいかない。

 大人達にとられるわけにいかない。
 他の女にも、友達にも。



 「なんで言えないの?」
 「だって‥‥良くないものは良くないもん。」


 シンジは、私だけを、私一人を真剣に見ていればいいのよ。

 そうじゃないと、私は‥‥また一人になるから。




 「なんでそんな事言うのかわかってるけど、それでもいいのよ、私は。」

 「えっ?ど、どういう意味??」

 「こんな事、二度と言えるわけないじゃない。」

 「‥‥アスカ‥!?」

 目を合わせるのが恐くなって、思わずシンジの胸に顔を埋めた。
 パジャマごしに、シンジの鼓動が聞こえてくる。

 耳元に響く早鐘。
 それにつられるように、私のドキドキも早くなっていく。

 シンジの緊張と、私の緊張、どこまでもボルテージがあがっていく。



 「あんた‥‥」

 何故かその時、私は“シンジ”と名前を呼べなかった。



 「あんた‥‥私の事、本当に好き‥‥だよね。」
 「うん」



       『ごくっ』



 そんなイヤらしい唾の音、たてないでよ。



 「絶対に、私だけのあんたよね?」

 「うん」

 「雰囲気で頷いてるんじゃ、ないよね。」
 「うん」
 「“うん”じゃわからないわよ。」

 「ア、アスカが好きなんだ、好き。好きなんだ。」

 私の背中に回された手に、急に力が入ったような気がする。
 それにつられて私の体が、キュッとシンジの胸にくっついた。

 僅かに嫌いな汗の匂いがしたけど、気にならない。
 火照って熱い心、今はそれどころじゃない。


 “もうすぐやらなきゃ。”

 やらなきゃ、やらなきゃ。



 「どう好きなの?」

 「好きだよ。友達としては勿論、その‥‥アスカを‥」

 「わたしを?」



 「こっ‥‥」


 “続きを言って‥‥お願い!!逃げないで!!”
 “昔みたいに、逃げないで!!”


 藍色の世界の中、私は祈るような気持ちでシンジの目を見つめ続けた。



 「こい‥びと‥‥でいいの?僕‥?」
 「‥‥」
 「そう思って、本当に、いいんだよね?」


 シンジは、もう逃げないんだね。
 私を、私を‥‥見つめてくれるんだね。大事にしてくれるんだね。


 “もう、あんたを離さない‥‥。”

 口では何も言わないで、態度で示す。
 心をこめて、もう一度キスをした。


 シンジの手が私の首筋に触れる。
 柔らかな感触。

 もう私、心が壊れそう。


 「あんたは全部私のもの。 私は全部あんたのもの。」


 「うん。」
 「私も好き。あんたが、シンジが、世界中の誰より、好き。」
 「だから、絶対離れないで。」


 「浮気なんてしないよね。」
 「アスカだって、しないよね。」


 私は、沢山の人に利用され、騙され、今日まで生きてきた。
 シンジも、何度も人に裏切られたと感じながら、生きてきた。

 だから裏切られる辛さは、お互い、よくわかっていると思う。
 そして、シンジのほうも今をとっても大切にしたいと思ってくれてるはず‥。



 これまでにも、何度も何度もシンジに問いかけ、言葉で確認した台詞。



 “だけど‥‥‥。”

 「だけど‥‥‥」


 “言葉だけじゃダメ。”

 「言葉だけじゃダメ。」


 “ダメなのよ。”

 「ダメなのよ。」


 必ず言わなければならないと思っていた台詞を、
 どこか喘ぎながらも、何とか私は紡ぎだせた。

 “いよいよね。”

 暖かい抱擁の最中なのに、私は自分の体が震え始めている事に気づく。


 “恐い。”
 自分が今からやろうとしていることが、恐かった。


 「どうしたの?」

 私の変化に気づいたシンジが怪訝そうに私を見ている。



 「あのね。」

 「あんたに、私、絶対に捨てられたくない。
  今が、こんなに気持ちいいから。」


 「ホントにどうしたの?声、震えてるよ」

 「気のせいよ、気のせいだから。」

 答える自分の声が、がたがたと震えている。

 何て事なの、腹立たしい。
 しっかりしなさいよ、アスカ。


 “逃げてはダメ。怖がってはダメ。”
 “幸せをくれる人は、もう二度と逃がすわけにはいかない。”

 “そう、これは、未来への保険なのよ。”


 男に抱かれる事も、自分が女になる事も、私には恐い。
 だけど‥‥。

 こうしなければ、今の嬉しい自分が維持できない、そんな気がするから。
 だから‥‥。




         “我慢しなくちゃいけないのよ!!!”




 「だから‥‥」

 “恐い!!”

 「何?アスカ?」



 「だから‥‥」

 “恐いよ!!”

 「?」


 「だから‥‥」

 “だけど!!!”



 「私を、だいて。」







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 「私を、だいて。」


 声になってなかったけど、僕にはそれがちゃんと聞こえた。
 青い闇の中に、表情を凍り付かせたアスカの顔がぼんやり見える。

 今も体ががたがた震えてる。
 絶対、恐いんだ、アスカ。


 「だから、もう離れないで」

 「私、あんたの言うこと何でも聞くから、
  だから、今のシンジをやめないで」



 「す‥‥すきにしたいんでしょ?ほら。」
 「ア、アスカ!?」


 アスカが僕の手を掴み、無理矢理パジャマの襟の間に滑り込ませた。

 柔らかい胸の感触に、一瞬理性が揺らぐ。


 だけど、声も体も震えているアスカを前に、男としての欲望は萎えてくれた。


 僕を見つめる目も、怯えきっているんだから。

 こんな顔のアスカを見るのも、初めてだと思う。


 こういうのを保護欲っていうのかな?
 見ていると何かしてあげたくなる、そんな顔だ。



 「わ、わたしとひとつになりたいでしょ?」

 「ほんとうは、私をおもちゃにしたいんでしょ?」



 「ほら、グズグズしないで!」


 眼をぎゅっと瞑って、体をこわばらせるアスカ。
 震えながら僕を待っている。


 僕の手を握るアスカの手、じっとりと汗ばんでる。



“アスカ‥‥”




 僕だって、アスカとひとつになりたい。
 今すぐパジャマを脱がしてしまったら、僕はもう歯止めを失ってしまうだろう。


 そしてATフィールドの内側を覗きあったアスカは――その事も知ってる。

 僕がアスカをオカズにしてた事も、忘れてない筈だし。



 それでもアスカが僕にここまで言ってくれるって、すごく嬉しい、
 喜んだほうがいいことなんだと思う。

 だけど‥‥。





 「やめてよ。」
 「もうやめてよ、アスカ。」


 「えっ?」


 僕は胸に触れていた手を抜き取って、アスカの髪を撫でた。


 大きく眼を開けるアスカ。
 どこか子供っぽい表情で僕を見つめている。



 “そうだよ。”

 “僕はアスカが好きだよ。だけど‥‥”

 「こんなの違うよ。」
 「こんなにアスカが震えているのに、続きなんてできないよ。」

 「‥‥‥。」



 「そんなに恐がってるのに。」

 「わ、わたしは大人よ。」
 「ちゃんと覚悟はできてるんだから。」



 「ほら、声、震えてるよ。」

 「‥‥。」



 「そんなに無理しないでよ。僕、ちゃんとアスカ好きだよ、だから。」
 「ホント?」


 「うん。だから、そんな泣きそうな顔もしないでよ。」

 「だってさ‥‥。」


 何をしてあげたらアスカが安心するのか僕にはよくわからなかった。
 けど、そんなアスカがかわいかったから、僕はアスカを静かに抱いた。


 アスカは、喜んでくれてるみたいだ。
 体の震えも今は止まってるや。


 どうすればいいのかわからなかった不安も、少しづつ嬉しさに変わっていく。







 「ねえシンジ」

 「何?」

 「私、あんたの言うこと何でも聞くから。だから、シンジ、私を捨てないでね。」

 「何でも?そんな大げさな‥」


 「本気よ、私。
  あんたが私の体が欲しいっていうなら、いつでもいいから。」

 「他にも気に入らない事があったら、何でも言って。
  私、シンジにもっと好かれるかわいい女になる。」


 「アスカ‥‥」

 「だから、絶対に恋人をやめないで。」


 それらの言葉に思わず覗き込んだアスカの瞳。

 闇の中、僅かに光るそれが何故か殺気だって見えたので、
 何も考えぬまま強引にキスをして、僕はアスカの目を閉じさせた。


 「ン‥‥。」



 「じゃあ、そんなに恐い顔しないで。」
 「僕を信じてよ。僕、ちゃんとアスカが好きだから。」


 「信じる?シンジを?  ‥‥うん‥そう‥‥‥そうね。信じる。
  私、シンジを信じる。」





                          →to be continued








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