生きててよかった 外伝4
【淀み】 (2016. 10/7&10/8)








 リツコを見つけたという加持からの報告を聞いた後、
 実際に私がリツコに出会ったのはその10日後の事だった。




 「‥ミサト、元気にしてた?」

 諜報一課による一回目の聴取を終え、再会した友人の最初の一声。
 何気ない一言の裏に秘められた意味を、私は感じた。



 「‥‥何を言うのよ‥‥」

 だが、憔悴しきった彼女を前にしたとき、予め用意していた再会を祝する言葉や
 励ましの言葉は、私の脳裏から綺麗に消し飛んでいた。


 その日私達が交わした言葉は、結局それだけだった。





 そして、その3日後、
 情報一課にて、重大な決定が下される。

 捜査に対して全く非協力的なリツコに対し、強力な自白剤の使用が決定されたのだ。
 使用が国際条約で禁止されている、薬理作用の極めて強力な薬だ。



 諜報一課はリツコは知りうる全てを『吐かせる』事に成功した。

 結果、薬は彼女の肝臓と腎臓に大きな副作用をもたらし、
 補完計画に関する数々の証言は、彼女の運命を決定づけた。


 私は、それをただ見ている事しか、出来なかった。


------------------------------------------------------------------------------




 「面会は、7時までです。そこの所、よろしくお願いします。」
 「ええ、わかっています。」



 あの再会の日から、一ヶ月が経った。

 どうせ何も出来ない事を知りつつも、今日も私は病室のドアをノックする。
 ドアの向こうにいる友人の姿が目に浮かぶ。

 私は静かにノブを回した。




 614号室に入り、ベッドの上のリツコに“リツコ、元気?”と声をかける。

 ベッドの中で、彼女は沈みゆく夕日を眺めていた。
 夕日を見て、リツコは何を思うのだろうか。


 「今日は、来るの早かったわね。」
 「ええ。シンジ君達のほうの仕事、今日は全然でね。」

 「二人とも、変わらずに元気?」
 「今は順調そのものよ。新しい中学校にも、ずいぶん馴染んだみたい。」

 「まだまだ若いものね、あの二人は‥‥」


 適当な言葉を幾つか交わしながら、ベッドの周囲に私は目をやった。

 何枚ものMOやDVDが机の上に散乱し、床には分厚い専門書が
 山積みになっていて、ここが病室だとはとても思えない惨状だ。

 肝臓を痛めた患者は無気力になると聞いたことがあるが、まるで正反対ね。
 この前片づけてあげた時より、また二割ほど物が増えている事に、
 すぐに私は気がついた。

 別の机の上には、冷えた夕食が手つかずのままにされている。


 「食べなきゃダメじゃない。どうしたの?」

 「ありがとう。でも、最近何故か食が進まないのよ。
  また先生に点滴をお願いしようかしら。」

 「それと、またいっぱい散らかして。」


 「病人の癖に部屋を散らかして、くだらないソフトの開発に精を出してる私を、
  一体何やってんだかって、思ってるでしょ。」
 
  とリツコ。

 私の端々の態度から、私の心を読み取ったのだろうか、
 彼女は少し怖い顔をしていたかもしれない。



 「そんな事ない‥‥いいえ、そんな事を考えていたかも‥‥
  ええ、そうかもしれないわね。
  私が知っているリツコとは、あまりに違う感じがするもの。」


 「あなたが知っている私?」

 「そうよ。昔は、もっとアダルトで真面目で、何事にもきちんとした性格だったわ。
  良くも悪くもね。自分で自分の面倒を見る、そんな人だった、あなたは。」



 「アダルト‥大人‥。」
 その時、リツコはフッと寂しそうに笑い、

 「そうね。そうかもしれないわね。」
 静かに目を伏せた。




 「ごめん、ミサト。
  ちょっと気分が悪いから、今日はもう、帰って貰える?」


 これ以上は何も話をしたそうにない彼女の雰囲気を悟り、
 私は明日再び来る事を約束して、病室を後にした。



--------------------------------------------------------------------------


 待ち合わせの時間に少し遅れた事を気にしながら、
 加持が指定した場所に急ぐ。

 「地図では確かこの辺‥‥あった、あれね。」

 大きな雑居ビルの看板の中に、探す名前を見つけて、密かにに胸をなで下ろす。

 『Silver Moon』という名前の見知らぬバーが、今夜のランデブーポイント。





 「いらっしゃいませ」

 私を出迎えてくれたのは、まだ40にも達しないような若いマスターだ。

 白と黒で統一された色調と、控えめな照明、所々に掛けられた、淡い水彩画‥‥。
 カウンターと窓際のテーブル席の間には、グランドピアノも置かれている。

 センス自体は決して悪くはないが、加持が選ぶにしては珍しく、
 少し気障な店だと思った。
 




 「‥‥葛城か。遅かったな」

 カウンターに加持の姿を見つけ、隣の席に腰をかけた。

 空になりかけのロックグラスとスモークチーズが目に入った。
 まずはギムレットを注文した後、私は時間に遅れたことを素直に侘びた。


 「また、リッちゃんの病院?」

 「ええ‥。」

 「元気だったか?」

 「相変わらずよ。リツコらしくない事、甚だしいけど。
  薬のお陰か、受け答えも良好よ。そっちはどう?」

 「芳しくないな。既に、書類はジュネーブに到着した。
  後はリッちゃんの退院を待つだけみたいだ。」

 「その情報が間違いである可能性は?」

 「こいつは議長から直に聞いた話だからな。」

 「‥‥‥。」



 会話の隙間を縫うように、カクテルグラスが私の前に差し出された。

 淡い緑色のそれに口をつけ、ふう、と溜息をつく。
 甘さ強さの微妙な組み合わせが心地良い。


 マスターは、いい腕をしているようだ。



 「それより‥‥この店の感想を聞きたいな。」

 「いつの間に、こんないいお店見つけたの?」

 「酒に妥協はしたくないからね。努力してマメに探した成果だよ。」



 「どうだか。私の知らないところで、若い子連れて来てるんじゃないの?」

 思わずマスターに視線を送ってしまう自分に少し照れながら、
 冗談半分に私は聞いてみた。


 「さあな。」
 久しぶりに外で会う加持の受け答えも、相変わらずだ。

 思わず顔がほころぶ。


 「そっちの渉外部の仕事って、今が一番忙しいんでしょ?
  飲み屋探してる余裕なんて無いと思うんだけど。」

 「葛城だって、暫くはオレやリッちゃんどころじゃないんじゃないのか?」

 「いじわる。」

 「お互いな。」





 「今日は、お酒がおいしいわ。」

 「お前は、いつも旨いんじゃないのか?」

 「今日は、とりわけよ。」

 「ほぉ。」


 「マスター、ジンをお願い。プリマスは、勿論あるわよね?」

 『かしこまりました。』


 「おいおい‥‥」

 「まあ、たまの密会だから、いいじゃない。」


 マスターが冷蔵庫からホワイトスピリッツの瓶を取り出している。

 さあ、よく冷えた一杯を、楽しみするとにしよう。


----------------------------------------------------------------------------






 いつの間にか、私は眠っていた。

 夢を、見ていた。
 子供の私が、今は亡き母と朝食を食べている、
 懐かしく、暖かく、悲しい夢だった。



 つかの間の休息、二人だけの時間。
 今夜も私達は‥‥9年前まで時を遡り‥‥何度も炎となってぶつかり合った。


 家にはシンジ君とアスカがいるのだから、
 外での密会でしか、こういう事はできない。

 家にいる時は母でなければならないフラストレーションを、
 こうして晴らす私達は、いけない大人なのだろうか。

 そうであったとしても、これが、私達だと思う。



 「今日は、やけにはしゃいでいたな。」
 「そうかしら?」

 「俺が言うんだから、間違いないさ。」
 「そうね‥‥そうかもね。」

 煙をフーッと口から吐き出し、安物の灰皿に煙草を置いた。

 露わになった互いの上半身を、もちろん私も加持も気に留めたりはしない。

 加持と私という男と女は、そういう男と女なのだ。


 「シンジ君とアスカも、いつかはこうなるのかしら?」

 「俺達みたいな、野良犬にならないように育ててやりたいな、いろんな意味で。」

 「大丈夫よ。友達はみんないい子だし、まだまだ二人とも純真だし。」

 「知ったような事を言って。」

 「父兄に対する進路説明会っていうのがあって、その時に先生にそう言われたわ。
  心配なさらなくても、普通の子達同じ、優しい良い子達に育っていますって。」

 「俺達も、ちゃんと相手してやらないとな。」

 「だけど、私達が家にいても、煙たがれるだけよ。」

 「‥‥そうか?」


 加持は、知っているのだろうか。
 知らぬわけはあるまい。

 アスカとシンジ君の部屋に、諜報部の盗聴器が仕掛けられている事や、
 その他の私の仕事の数々を。

 そして、アスカが私達を今も憎み続けている事も。


 それでも、加持は、彼らを守る己の仕事に意欲と生きがいを感じるという。
 たまの休日に、あの子達と話す事が、とても楽しみだという。

 そんな彼の心情は、私には理解できない。


 「邪魔なのよ、あの子達にとって私は。」
 「そんな事はないさ。いつか、お前の事もわかってくれる。そう信じろよ。」

 「‥信じる?‥‥‥じゃ、8年前に言えなかった言葉を教えてくれたら、
  アスカの事も信じていいわ。」


 「ずるいな、葛城は。」

 受け答えとともに、加持が笑った。

 「ずるくて悪かったわね。」




 「‥‥悪いが、そろそろ、時間みたいだ。すまん。」

 「もう‥今度は何?」
                           
 「明日の朝一番の便で、ロスまで飛ぶよ。
  悪いが、デスクに戻ってやる事が残ってるから、家には帰らない。」

 「もうしばらくはダメ?」

 出さないようにしようと思いながらも、どこか、甘えた声を出していたに違いない。
 だが、加持は、私の言葉を振り切るように、急いで服を着始めた。



 「ちょ、ちょっと待ってよ!!」

 慌てる私を見て、加持が、また笑った。

-----------------------------------------------------------------------------


 ホテルを出て、街灯の下で加持に別れを告げた。
 勿論、いつものチップの交換は忘れていない。

 タクシーで約30分。
 我が家にたどり着いたのは午前をちょうど回った頃だった。
 シンジ君達の部屋の灯りは、まだ消えていない。


 「ただいま〜〜」


 「おかえり。遅かったわね。」

 「仕事仕事で嫌になっちゃうわ、もう。」

 「お疲れさま。晩御飯の残りものならあるけど、食べる?」

 居間で私を迎えたのは、意外な事に、アスカだった。
 作り物の笑顔を浮かべ、私の顔を、じっと見つめている。

 「もう食べたから要らないわ。シンジ君は?」

 「今は、部屋でゲームやってるの。
  そうだ、私も早く戻らなきゃ。」

 アスカはそれ以上は何も言わずにキッチンの戸棚を物色しはじめた。
 やがて、かっぱえびせんを見つけた彼女は、自室のほうに消えていった。


 「ゲーム、ねぇ‥‥。」

 隣の部屋からは、シンジ君とアスカの笑い声が聞こえてくる。
 今日も、上手くやっているようだ。


 昔の事が嘘のように喧嘩しない、アツアツの二人。
 肉体関係はもちろんの事、それらしい進展もろくに無い二人だが、
 互いを真摯に見つめていると思う。きっと、長続きするだろう。



 そんな事より、もう一時、寝ないといけない時間だ。

 我ながら歳をとった。
 早く寝ないと、朝が辛くて仕方がないなんて、中年のおばさんと
 変わらないではないか。


 ああ、加持からチップ貰ったんだった‥‥。
 明日も‥‥早起き‥‥しないと‥‥。


------------------------------------------------------------------------------


 朝5時に、私は目を覚ました。
 勿論、シンジ君達は、まだ眠っている。

 寝る前に側に置いておいたノートパソコンを掴み、
 チップを挿して電源を入れる。


 ピッ



         ログイン名:MISATO
         パスワード:******






 数秒後、ディスプレイに表示されたシンプルテキストに、
 私は眠い目を凝らした。


 「ふぅん‥‥。」

 「流石ね。」

 今回の加持からのチップにも、エヴァやゼーレを巡る各国の動きが
 事細かに記載されていた。


 「ゼーレの幹部を仏国が拘束?またガセじゃないのかしら?」

 「アスカとシンジ君を巡る動き‥‥。
  まだまだ楽観はできない、という事ね‥‥。」



 「あの二人を見捨てる事ができるなら、こんな事はしなくてもいいのにね。」
 無論、私はこの作業を投げ出すつもりはないが。


 ピッ

 ノートの電源を落とした後は、チップを軽く指で砕いた。

 あの二人が大人のエゴの犠牲にならぬようにしたい。

 私を慕ってくれるシンジ君を、守りたい。
 私を今も恨み続けるアスカに、許して貰いたい。

 諜報四課という職場は、そんな私の希望を叶えるのに、やはり最適な職場だと思う。



 ガラガラ・・

 “時間か‥”


 台所の方から、戸を開ける音が小さく聞こえた。

 時計を見ると、いつの間にか6時を回っている。
 そろそろシンジ君が朝食の準備を始める時間だ。

 急いで目覚ましをセットして、寝たふりをしないと‥‥。


----------------------------------------------------------------------------



 午前八時半‥登庁時間ぎりぎりに、私は職場に着いた。

 目覚ましをセットした後、本当に眠ってしまうという失態を
 やらかしたのが原因だ。まあ、昔と違って、この程度の事で
 司令に睨まれる事もないのだから、それでも構わないのだが。


 部署に着いた私は、まず当直班のデスクに足を運んだ。

 「おはようございます、葛城課長。記録、今日はどうしますか?」

 「ええ、今日はちょっとだけ見る。
  生の声って、報告書じゃ判らない事もわかるからね。」

 疲れた顔の当直の係官から、音声ファイルの入ったDVDディスクを受け取り、
 私はその場の椅子に腰を下ろした。

 素早く端末にDVDをセットし、録音内容を再生する。

 ピッ‥‥ザ゙ッ‥‥‥なのよぉ。まったく、何考えてるのかしら。いい歳して
信じられないわ。 だけど、加持さんとミサトさんって、婚約してるんでしょ?
 なーに言ってんのよ、そんなの聞いたこともないし、一応私達はあいつらの
戸籍上の養子なんだから、もし婚約してるならすぐに言う筈よ。 まあ、そう
だけどさ 第一、不潔よ、不潔。不潔な大人のつき合い。インパクトの時、
シンジも見たでしょ、あれ。 うん‥‥。 結婚もしないで、いい歳して遊ん
 ピッ そんなわけで、シンジもあんな ピッ アスカ、大人になりたいって
言ってたじゃん。 あれは昔の事。今は私、子供のままでいたい。大人になるって
言っても、あいつらみたいなのって、ただ、ずるいだけよ。結局自分の事しか
 考えていないんだから、ガキと同じか、性質が悪いわ。 うーん、でも、僕たちを
 こうやって養ってくれてるし、ネルフでも僕たちを守ってくれてるみたいだし。
責任感はあると思うけど‥ そうかしら。ただ、罪の意識を帳消しにしたくて、
嫌々私達を飼っているって可能性は?          ほらね。やっぱりピッ




 「‥‥金山君、もういいわ、ありがとう。
  これ、今日はお昼までに報告書を出しとけばいいから。」

 「は、はい。」

 努めて冷静を装ったつもりだったが、どうだっただろう。

 だが、隣に座っていた部下は、明らかに私の顔色を気にしていた。


 「さあ、仕事!仕事!ぐずぐずしてると、司令に減棒されるわよ。」

 「し、失礼しましたっ。」

 部下が、不自然な熱心さで仕事を再開した。


 ああ、私はどうしてこうなんだろう。

 誰も見ていない事を確認した上で、小さく溜息をついた。


------------------------------------------------------------------------------







 今日も仕事が終わり、リツコの病院に私は向かう。

 私は、リツコに会うことを楽しみとしているのか?
 それとも義務感から彼女に顔を見せるのか?




 ‥‥何をくだらない事を考えているんだ、私は。

 盗聴テープを聴いた後は、いつもこうだ。
 何もかも、自分の意志の裏に嫌なモノを見てしまう。





 ガチャ

 「あら、ミサト、いつも悪いわね。」

 リツコの言葉が、いつもより皮肉めいて聞こえた。

 昔はともかく、今の彼女に私を冷笑する事はないと思うから、
 たぶん‥‥これも私がそういう気分なのがいけないのだ。


 「もう、全然大丈夫じゃない、体。」

 「ええ。薬がよく効いているって。先生も、明後日には
  退院できるって言ってたわ。」

 「おめでとう、リツコ。」

 「ありがとう。」



 「明日は、花束でも買ってこようかしら。」

 「あなたがそんな事言うなんて、明日は雨ね。」

 「まぁたぁそんな事を言ちゃって。やーね。」

 リツコの口から出る久しぶりの憎まれ口に、私は少しだけ笑った。

 つられるようにリツコも笑った。

 「やっと顔が崩れたわね。
  澄まし顔や暗い顔より、そういう笑顔のほうが、あなたらしいわ。
  いっとくけど、これは誉めているつもりだから。」

 「そう?」

 「そうよ。本当のあなたは、笑顔の似合う女性だと、私は思ってるわよ。」

 笑顔の似合う女性、か‥‥。
 リツコの知る、私の笑顔‥‥私の願う、私の笑顔。

 私は、本当に笑顔の似合う女性なのだろうか。



-----------------------------------------------------------------------------


 リツコの言葉が当たったのか、次の日は朝から雨が降っていた。

 私は彼女との約束を守るために、仕事を早く切り上げ
 街のフラワーショップに足を運んだ。
 真っ赤なポインセチアの鉢植えが妙に気に入ったので、それを買い、
 はやる気持ちを抑えながら病院に向かった。




 「リツコ‥いない!どこ行ったのよ!!」

 だが、いつもの病室で私を待っていたのは、無人の白いベッドだった。
 あれだけ散らかっていた事が嘘のように、何も無い、ただ白色と灰色ばかりの
 世界が私の目の前に広がっていた。



 病室を後にしてナースセンターに向かった私は、そこでリツコの主治医から
 真実を聞きだす事ができた。


 リツコは、今朝早くに退院し、そのまま東京留置所に連行されたそうだ。

 退院の日取りについてもその後の運命についても、
 かなり前から彼女は知っていたのという。

 その上で、私にだけは全てを隠し続けていたのだ。




 「せっかく会えたのに‥‥元にもどれるかもしれなかったのに‥‥」



 ポインセチアの花言葉は、たしか『祝福』。
 皮肉なものだ。




 リツコは、全て知っていたのだ。

 今日この日に病院を追い出され、暗い留置所に連れて行かれる事を。
 昨日が私と話せる最後の機会かもしれない事を。

 結局、私達は、もう昔に帰れない事を。



 リツコは、全て、知っていたのだ。



 「雨は降ったけど、約束は守ったわよ、リツコ。」



 落胆した私は無人の病室に戻り、もはや要らなくなった
 鉢植えをベッド脇のテーブルの上に置いた。
 そのまま、私は部屋を後にした。



 私が二度と開けることのないドアを閉めるとき、
 赤い色が視界を僅かに掠め、消えていった。





                                 おしまい








  戻る   抜ける   外伝5へ