生きててよかった 第1部 「生きててよかった」
Episode-21 【雨、降り止まず】








 深夜の新芦ノ湖湖畔――。



 雨がその激しさを減じる事なく、なお激しく降り続いている。

 無力な人間達は湖畔に点在する廃墟に数十人程のグループに固まって、
 暗く恐ろしい夜を越えようとしていた。



 「きゃっ!!」

 「マヤ、恐いのか?」
 「うん」


 「そうか、大丈夫さ。それより、加持さん達、無事かなぁ。」
 「きっと、大丈夫よ、きっと‥‥」



 大人も子供も、誰一人眠っている者などいなかった。

 自然の猛威に対する純粋な恐怖、狭い空間、気になり始めた空腹‥‥。
 眠りにつくにはあまりに過酷な条件が揃いすぎている。



 “戻ってくるなり、死んじまうのか?”
  低い声が暗い空間に響いた。

 それに対して、“大丈夫だ”“そうかもしれない”という、二通りの返答が、
 あちこちから力無く聞こえてくる。


 皆、再生直後の思わぬ災難に、疲れ果てていた。




 だが、その時‥‥。

 「船だ‥‥船だぞ!!」

 誰かの叫び声が響き、皆、我先にと外を見つめる。


 暗い湖の白波の中、微かに見える赤色の灯りの群を、彼らは見逃さなかった。


 「助かった、助かったんだ!!」
 「助かったぞ!!」


 喜びの声が狭い廃墟の中で爆発し、彼らは雨の中に飛び出していった。


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〈第一のキャラクター 葛城ミサト 彼女の場合〉



 浅い眠りの中、私は何度も嫌な夢を見た。

 暗い舞台の真ん中に座った私を、沢山の人が責め続ける夢。

 子供の頃、両親が夫婦喧嘩をしていて、私がそれに巻き込まれる夢。

 加持との情事をシンジ君達に見られ、散々に罵倒される内容のものも
 あったと思う。


 そして、最後に見たものを――私は最も鮮烈に覚えている。

 泣き叫ぶアスカを、私がナイフで滅多切りにする夢だった。

 慌てて起きた時に、思わず自分の手が紅に染まっていない事を
 確認してしまうくらい、それはリアルで恐ろしかった。



 口で二人の母親代わりになると言っても、いまだに私は心の中で
 アスカを毛嫌いしているのかもしれない。
 それが夢の形をとって現出してきたものなのか?

 それとも、単に昨日の鮮烈な出来事が、私の無意識の領域に恐ろしいイメージ
 を植え付けたとでもいうの?


 ‥‥どちらにしても、まあ、関係ないか。




 私はあの娘と顔を合わせたくない、ただそれだけが本当の気持ちだと解る。
 母親になるつもりで再生への道を踏み出したが、やはり今は無理だと思う。

 アスカに会ったとしても、私はあの娘を傷つけることこそあれ、
 何かをしてやる事、何かを分かり合う事など到底できそうにない。
 自信がない。


「言い訳かしら?」


 そうね。やはり、私はアスカを今も嫌っている。少なくとも、苦手としている。


 このままでは再びシンジ君ばかりに自ずと目が向いて‥‥そして、
 二人に危機が迫ったとき、私はアスカを見捨ててしまうだろう。




「まだ、降ってるわね」

 空は白んできたが、外は今も荒れているようだ。
 窓枠に貼られた剥がれかけのビニールシートが、パタパタと風になびいている。


 日向君や青葉君達が湖の畔にいると加持が言っていたが、
 果たして大丈夫だろうか。

 少し不安だ。


 そもそも、私達はいつまでここにいなければならないの?
 向こうで打ち合わせた通りに、湖に救援隊は到着するの?


 次々に沸き上がる疑問や不安。際限がないわね‥‥。




 「おはようございます、ミサトさん」


 「あ、お、おはよう」

 考え事が、知覚を鈍くしていたらしい。

 私の傍らに、いつの間にかシンジ君が立っていた事に、私は気づいていなかった。



 「アスカは?
  独りにしといて大丈夫なの?」

 「ええ、今はよく眠っています。そこの加持さんと同じくらいに。」
 「ホント、加持も呆れるくらいよく眠ってるわね。」

 俯せになって眠る加持を指さすシンジ君に、私は自然な苦笑を返すことができた。

 そんな些細な事にも私はホッとしている。



 それにしても‥‥。


 最初に訊ねた事がアスカの身上の事だったのは、私の過剰反応かしら。
 嫌っている事をシンジ君に悟られまいとする為の。

 或いは償いと言う名の防御機制?
 少なくとも、心の底からシンジ君やアスカの事を考えての言葉ではないのだろう。

 私は、そういう人間だから。


 不必要なまでに冴えた朝の頭脳が、そう告げていた。



 「シンジ君、もっと寝なくていいの?目にクマ、できてるわよ」

 「いいんです。今頑張らないと、何にもならないんですから。
  今、アスカの為に僕がやらないと、だめなんですよ。」

 「‥‥‥」

 「ミサトさんだって、言ってたじゃないですか、『今行かないと、取り返しの
  つかない事になる』って。そう思うから。」


 「あ‥‥そ、そうね。」


 「もう、絶対に手放したくないんです。この気持ち。」

 「‥‥。」


 積極的にアスカの事を話すシンジ君に、私は絶句しかかっていたと思う。

 いや、圧倒されていたと言うべきか。


 15歳年下の彼が自分の年齢を追い抜いてしまったような、
 何か奇妙な錯覚。

 だけど、それは錯覚ではなく、案外事実なのかもしれない。


 「今のアスカ、シンジ君だけは信じているみたいだからね。」



 油断すると、自分が思考の迷路に埋没したがるらしいわね。


“今からコンビニ行くんですが、ビール持ってきますか?”という
 シンジ君の問いかけにも、そんな私は適当に首を縦に事しかできなかった。


 「それじゃ、行って来ます。朝御飯は、7時くらいに。」

 「わかったわ。気を付けてね。」





 「積極的‥‥。」

 「どうしたっての?」

 「そんなにアスカが大事なの?シンジ君、いったい何が起こったのかしら?」


 アスカとシンジ君との間に生まれつつある“絆”が全てを変えたのだろうか。


 人を好きになるという感情のポジティブな指向には、
 これほどまでに大きな心の変化をもたらす力があると、私も信じたいんだけど。



 “なら、私の加持に対する気持ちは、何を生んだの?”

 急に湧き出た疑問。


 「私は加持に、何もしていない。」

 自然に漏れた呟きは、全てを物語っていた。



 昨日の夜、加持に“だだっ子”と私は言われた。
 全くその通りなのかもしれない。

 ひょっとしてアスカを憎むのは、おなじだだっ子だから?
 俗な言葉で言うなら、“近親憎悪”?

 私には、わからない。




 「だけど‥‥私が望まなければ、加持には二度と会えなかった‥」
 「私が強く願ったから‥加持は戻ってきたのよ‥きっと。」

 そう思ってみる事だけが、私の小さな慰め。


 この考えに根拠なんて何もない。
 それでも、こう考える以外には何も救いがないから、
 私はそう思い続けることに決めた。



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〈第二のキャラクター 碇 シンジ 彼の場合〉


 僕が布団から出ようとするや、アスカが「ねえ、どこ行くのよ?」と
 僕のパジャマの袖を強く引っ張る。

 これで何度目だろうか、アスカが僕を引き留めるのは。


 「だから、着替えに行くだけって言ってるじゃないかぁ。
  もう10時だよ、アスカは怪我してるからいいけど、
  元気な僕は、いい加減、着替えないと。」

 「雨降ってるから、外なんて出ないでしょ!」
 「だからといって、ずっとパジャマなんてダメだよ。コンビニにも行けないし。」


 アスカ、ずっと側にいたと思ってるや。
 早朝にこっそり僕が着替えてコンビニに行ったこと、
 ホントに気づいてないみたいだ。


 「私がいいって言ってんだから、いいのっ!!」

 頬を膨らますアスカ。

 かわいいから、思わずそれを両手で素早く押さえた。
 もちろん、ビンタにならないように、力を加減してだけど。

 〈ぶっ〉


 「バカぁ!なにすんのよ〜!」

 アスカ、真っ赤になってるや。


 「アハハッ!じゃ、すぐ戻るから。」
 「ぶう〜!ダメ!もっと一緒に寝る!!」


 「すぐに戻ってこなかったら、ダダこねてやるからね〜!」


 部屋を出ていこうとする僕の背中に、威勢はいいけどどこか不安げな声。

 振り返ると、落ち着きのない顔をしたアスカが、じっと僕を見つめている。

“餌を待っている時のペンペンの目に似てるな”という不謹慎な事を、
 一瞬僕は思ってしまった。



 「すぐ戻るから。」

 「ホントにすぐ、戻るよ。」

 「だから、そんな顔しないでよ。」

 「僕、急いで着替えてくるから。」


 同じ意味の言葉を、自然と繰り返していた。


 そんな僕から顔を逸らすためか、アスカは急に布団の中に潜り込んだ。



 *           *           *


 部屋の外に出てすぐ、僕は加持さんとミサトさんに呼び止められた。

 小声であれやこれやとアスカの事を聞き始める二人の大人達。
 素早く普段着に着替えながらも、僕はそれらの質問に答え続けた。


 「‥‥足のほうは、割と平気そうか?」
 「そうですね。加持さんの言うみたいに、真っ赤に膨れてるとか、そんな様子は
  ないですよ。湿布、とても気持ちいいって言ってました。」

 「そいつは何よりだ。」
 「で、今もシンジ君とべったりなの?」


 「はい‥‥。こんなんじゃ、いけないと思うんだけど‥
  一度、ミサトさんの名前を出したら、それだけで睨まれました。」
 「だから、もうしばらく二人でいてみるつもりです。」

 「そうか‥‥」

 「本当に、絶対会いたくないそうです。特に、ミサトさんには。」


 僕のひとつひとつの言葉に、ミサトさんの表情がたちまち曇っていくのが、
 見ていて辛い。


 だけど、ミサトさんは
 「いいのよ。今は、シンジ君がいいと思うようにやって。」
 と言って、僕に無理に微笑むんだ。


 僕なんかにも分かるくらいに痛い笑顔。

 だけど、アスカがミサトさんを嫌う気持ちも、僕にはわかる。

 自分がそんな風にされたとしたら‥昔はともかく、今の僕も、やっぱり
 許せるか自信がないから。


‥こんなアスカとミサトさんを仲直りさせるために、
 僕にも何かできるんだろうか?
 どっちの気持ちも何となくわかる立場の僕は‥。


 「アスカの事、どうしたらいいんでしょうか?」
 「シンジ君はどう思うんだ?」

 そう聞かれても判らない‥。
 僕は、どうするのがベストなんだろう?

 加持さんは、僕を見つめたまま、何も話さない。



 「それでも、一緒にいたら僕も嬉しいから、今は一緒にいようと‥‥
  僕には、それぐらいしか思いつきません。
  とにかく、できる事をやるだけです。」


 「そんなに一生懸命に、シンジ君はなってるんだな?」




 「うん‥‥。そうだと思う。」


 「一緒にいて、イヤじゃないよな?」
 「こんなに人といるのが嬉しいって、僕、初めてわかったような気がするんです。」



 「そうか、何よりだ。さ、そろそろ時間じゃないのか?」
 「はい、じゃ、僕はこれで‥‥」


 朝御飯の時と同じように、加持さんの笑顔に見送られて、
 僕はアスカの眠る部屋へと急いだ。

 どんより顔のミサトさんの事が気になるけど、それは加持さんが
 何とかしてくれると信じる事にして。


 “大丈夫さ。ミサトさんは、加持さんがいれば大丈夫なんだよ。”



 だけど。

 “アスカは‥今のアスカを救えるのは‥‥僕だけなんだ。”
 “僕がしっかりしないと、また、アスカが壊れちゃうんだ‥‥。”

 もうたくさんだ。
 もう誰も、僕は失いたくないんだ。


 せっかく好きといってくれたアスカを、僕は絶対に手放さない。

 その為だったら‥僕は‥きっとがんばれると思う。



  *          *          *



 「シンジ‥‥どこ行っちゃったのよ‥」

 部屋に戻る途中、床を這うアスカを見た。
 「どこいってたの?」と言う不安げな彼女の顔に、
 迷子の子供を連想する僕。


 「ごめんね、遅くなって。」
 「着替えにしては長すぎるわよ。一人にしないで。」
 「うん。」


 部屋に戻るために、僕はアスカの体を抱き上げた。
 今ではすっかり慣れている。だけど、お尻は触らないようにしないと。

 「よいしょ」

 体を持ち上げると、僕の首にアスカが両手を回してくる。
 僕の顔を、青い瞳でじいっと見ているから、嬉しいけど恥ずかしくなってくる。


 「僕の顔、じっと見て‥‥どうしたの?」
 「こうやって、だっこされてると、嬉しいの。」

 もう、泣きそうな顔じゃない。
 ちょっと安心。


 「ホントに?アスカにそう言って貰えると、僕も‥」
 「それっ!」


 「な、何するんだ‥‥う‥‥」
 いきなりアスカ、何するんだよ!


 「む‥‥‥」

 アスカが僕にとびついてきた!
 いきなりキスするなんて。

 併せた唇が、暖かい。
 アスカの、甘い匂いがする。

 “僕、もうダメだよ‥‥”

 僕も、目を瞑ってキスに夢中になることにした。

 気持ちいい。
 ただ、二人で唇あわせてるだけなのに、こんなに幸せな気分になれるなんて‥‥。

 一四歳だから、こんなのってちょっと早いかも‥。


 「‥‥」
 「アスカ、もっと、いい?」

 「‥‥うん‥」

 自分にとってアスカが特別だって事、アスカにとって自分が特別だって事、
 胸一杯に感じてる僕。

 両手で抱きしめたくなったから、
 アスカの体を床の上に下ろした‥。


 「イタいっ!!イタタタタ‥‥バカ!私、足痛いのよ!そっと下ろしてよ!!」

 右足を押さえて、飛び上がって痛がるアスカ。


 「ごめんごめん、大丈夫?アスカ‥‥」
 「シンジのバカぁ!足、じんじんするじゃない!!」

 もうキスどころじゃない。
 アスカが怪我してるって、すっかり忘れてたや。

 「部屋、戻って続き、する?」
 「もうダメ〜〜!!」

 「‥‥うう。」

 アスカの体をもう一度だっこして、僕は部屋のほうへと急いだ。

 途中、窓から外の景色を見てみた。
 だけど、雨は、まだ降り続いていた。



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 お昼ご飯を食べた後、こんどは並んでお昼寝だ。


 僕はあんまり眠くなんかないんだけど。
 ただ、アスカが僕の腕をしっかり掴んだまま眠ったから‥おつきあい。


 だけど、腕をしっかり固定されてたら、どうやっても眠れっこないよ。


 「ん‥‥」

 アスカの寝言が小さく聞こえた。

 首だけを起こして顔を見てみると、よだれが思いっきり垂れてる。

 気づかれないように、拭いてあげないと。


 「‥‥う‥ん‥‥」

 僕の腕を抱きしめるようにして、恋人は今も幸せそうに眠っている。

 ハンカチで涎を拭きとっても、全然気づく様子がない。

 今なら腕を取っても‥大丈夫かな?




 「‥‥だめ‥‥‥‥」


 僕の耳元に、眠そうな声が聞こえた。

 半分だけ開いた瞼が、ちょっと潤んでいる。

 眠そうな顔のアスカは僕の手をさらに強く握り、念を押すように
 もう一度“だめ”と繰り返した。


 「でも‥‥腕、痛いから」


 「ごめん‥」


 すぐに謝って、アスカは腕を放してくれた。
 やがて、とろんとした目を閉じて、ふたたび眠りに落ちていく。


 “アスカはもう、僕には我が儘しないんだ‥‥。”


 “こんなにアスカがかわいく見えるなんて‥‥”



 他の人にはわがままいっぱいなのに。

 加持さんを嫌い、ミサトさんに至っては名前を出されただけでも
 睨み付けるアスカ。まるで別人みたいだ。

 そういえば、少し前までは、アスカ、僕に対しても同じだったんだよな。






‥その後、アスカが寝ている間に、僕は加持さんとミサトさんのいる部屋に
 足を運んだ。


 二人とも、笑顔で僕を歓迎してくれた。
 “せっかくだから”って勧められたビールとサキイカは勿論断って、
 二人の側に僕は腰を下ろした。


 「アスカ、今はぐっすり寝ています。でも、30分くらいで戻りますね。」

 「ええ。ホントに頑張ってるわね、シンジ君。」


 「そ、そうですね‥‥。」

 「そうやって、他人のために夢中になれるって、とても素晴らしい事なのよ。」


 「今は‥僕もそれが判ります。アスカが教えてくれました。」



 話は自然、これまでの事やアスカの事になっていった。

 やっぱり加持さんが殺されていた事や、あの後ミサトさんが
 爆死していた事を僕は知った。ネルフ、ゼーレの『計画』も、
 手短にだけど加持さんが説明してくれた。


 「じゃあ、まさに僕たちはヨリシロ‥‥ううん、生け贄だったって事ですか?」

 「ストレートに言えば、そういうことだな。ネルフのシナリオでもゼーレの
  シナリオでも、アスカは殺されただろうし、シンジ君もああなるしかなかった
  ようだ。」

 「なんてひどい‥‥。」


 その話が一段落して‥‥今度は僕が話を求められた。

 弐号機がエヴァ量産機によって八つ裂きにされた事、アスカが死んでいく時、
 何もできずに絶叫を聞いている事しか出来なかった事なんかを、
 淡々と話す。

 話す僕も聞いている二人も、ずっと不快だったと思う。


 ミサトさんは最初は僕の目を見て話を聞いていたけど、やがて顔を逸らし、
 その後は二度と僕に視線を合わせる事はなかった。



 だから最後のほうは、殆ど加持さんと僕だけのやりとり。

 浜辺でのアスカとの再会や死にかけていたアスカを助けたこと、それから
 少しづつアスカが変わっていった事を聞きながら、加持さんは何度も頷いていた。



 「‥‥こんな感じなんです。じゃあ、続きはまた夕食の準備の時にでも。」


 「ああ、またな。とりあえず、シンジ君、がんばれよ。」


 「あの‥‥シンジ君‥‥」

 「え?」

 「葛城‥‥」

 時間になったので部屋を出ようとしたとき、突然ミサトさんが僕の肩を掴み、
 僕を呼び止めた。

 今度は、ちゃんと僕の顔を見て。


 けど、今にも倒れそうな病人の顔をしているじゃないか。

 俯いた目も、一文字に結ばれた唇も、僕の知っているミサトさんでも、
 恐かった頃のミサトさんとも違う感じがする。


 “ミサトさん、大丈夫かな?”

 あんまり鏡を見ない僕は、知らない。
 このときのミサトさんの表情が、“あの頃”の自分の表情とうり二つだって事を。




 「シンジ君‥‥」
 「なんですか?」

 「晩御飯の後ね」

 「私、アスカに会いに行くから。」

 「‥‥‥」

 「シンジ君は、私をなんにも弁護したりしないで。
  ただ、見ているだけでいいから。」



 思い詰めたその表情に、僕は“困ります”と断ることが、どうしてもできなかった。



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 〈本SSのヒロイン  惣流 アスカ ラングレー 彼女の場合〉



 夕食後、薄暗いランプの灯りの下でくつろいでいたとき、
 その不快な出来事は起こった。


 「アスカ、いる?」


 見ているだけでムカつく女。


 声に気づくと、ミサトが私を見下ろしていた。
 ランプの灯りの加減もあってか、とても陰気で、嫌な顔に見える。

 私が嫌い抜いていた頃のシンジに、よく似た目つきだとも感じた。


 「今更何しに来たわけ?」
 「私からシンジを奪いに来たのね!!」


 「大丈夫だよアスカ。ミサトさん、そんな事しないから。
  僕は、いつも側にいるから、ね。」

 「シンジは関係ないわよ。」




 「今すぐ出ていって!!二度と私の前に現れないで!!」

 「この嘘つき!卑怯者!偽善者!!」


 シンジの言葉にも何ら心を落ち着かせる事なく、ミサトに対して
 私は生の感情を吹き付ける。

 対して広くもない和室に、私の怒鳴り声が響いた。



 だってさ‥‥。



 なんでミサトが来るのよ!
 今更何しに来たって言うのよ!!


 この女は、どうせ私には何もしてくれない!!
 何も欲しいものは与えてくれない!


 いつも私から奪うだけ!
 加持さんも、私のレゾンデートルも、シンジも、それどころか、私の命さえも!!!



 「‥‥謝りに、来たの。ごめんなさい、アスカ。」

 「ごめん?ごめんですって!?」


 「あんた、私がどんな目に会ってたか知ってて言ってるの?」

 「八つ裂きにされるってのがどんな気分か、あんた、わかってるの!!」

 「‥‥。」


 「保護者とか言って、あんたが私をどんな目で見ていたか、
  私が知らないと思ってるんじゃないでしょうね!!」

 「一生謝り続けたって、とうてい許せないわ!!」


 「アスカ!ミサトさんは‥‥」
 「うるさいっ!!」

 シンジに怒鳴りつけてから、ふと自分の過ちに気づいて、小さく『ごめんねシンジ』
 と私は呟いた。

 だけど、謝ったのはシンジに対してだけね。


 心の底から沸いてくる、怒りと恨みは決して消えはしない。

 私は、ミサトを断罪する事に対しては、なんの良心の呵責も躊躇いも
 覚えていなかった。



 許せなかったのよ‥‥。



 「私がどうなるのかもなんで悩んでいるのかも、一番わかる立場なのに
  何一つしてくれなかったじゃない!!
  いつも、シンジだけ!!シンジだけ!!!」


 「仕方なかったのよ‥‥私には何もできなかったし、そうしなければ
  みんな殺されて‥」
 「何さっ!!」

 バシャッ

 怒りのあまり、持っていた湯呑みを投げつける。
 熱いお茶がミサトの服にべっとりとしみを作り、乾いた音をたてて
 畳の上に湯呑みが転がった。


 ミサトは、それでも何も言わない。

 私も荒く息を整えながら、ミサトの肩から上る湯気をじっと見つめる。


 私の隣で、やりとりを黙って見ているシンジ。
 シンジには、こんな所、見せたくないのに。


 それでも、心の奥底から沸き上がるものに、再び私の感情が高ぶっていく。
 どうにも抑える事ができない。


 そして呼吸が落ち着いたとき、
 言葉の形をとったナイフが再び私の口から飛び出し、
 目の前の無力な女に襲いかかった。


 「あんた‥私だけ殺して、みんなが助かるなら、私の命なんて安いもんだって
  言うわけね!」

 「違うわ、そんなんじゃ‥‥」


 「どこが違うって言うのよ。」
 「保護者面してても、、やっぱりネルフの大人と同じじゃない!!」

 「みんなの為なら私一人殺したって全然構わないって、今でも思っているでしょ!」

 「私の命を値踏みできるでしょ!安いもんだと思ってるでしょ!!
  ううん、シンジや鈴原もかもね!」


 「そんな‥‥」

 「アスカ一人で済むならならって気持ちで、いつも私を見ているでしょ!
  何が家族よ!逆に、他の人を犠牲にしても助けるってもんでしょ!!」



 「はぁ〜あ、こんな奴を保護者にして暮らしてたのね、私もシンジも。
  そりゃ、ダメになるわよ。あんた達の家畜だったって事だからね、これじゃ。」


 「ごめんなさい‥‥」


 「何がゴメンよ。何を謝ってるのよ。」
 「‥‥‥。」


 「‥‥あんた、謝りに来たとか言って、自分が何をどうして謝るのか、
  わかってないんじゃないの?」

 「っ‥‥」




 「もしかして図星!?最っ低!!!」

 「上っ面だけ謝るなんて、昔のシンジと同じじゃない!!!
  人間じゃないわ!!ヘドが出るわ!!」

 早口で、思うがままに次々にまくしたてる。
 もし、眼光で人が殺せるのなら、とっくに私はミサトを射殺していたと思えるほど、
 強く睨みながら。


 上辺だけしか私の事を理解してないこいつに、表面だけ謝っているこいつに
 私と同じ苦しみを味会わせてやりたい、そんな気持ちでいっぱいだった。


 「さっさと出ていって!今すぐこの部屋から出ていって!」
 「私、あんたの事が、世界で一番嫌いだから!」


 「グズグズしないでさっさと行け!!」



 逃げるように部屋を出ていくミサトを睨み付ける私。
 きっと、鬼のような顔を私はしている。

 それでもいい。
 私は、ミサトを許せないし、一生許すつもりもない。


 私にしてきた事は、償って貰う。
 それが当たり前であって、私が彼女を許す必要なんて、どこにもないのよ。


 あいつは私から、何もかも奪ったんだから。
 そのくせ、何一つ私にしてくれる事がないんだから。





                          →to be continued








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