生きててよかった 第3部 「信仰」
Episode-03 【激しい痛み】








 『まさか、ロンギヌスの槍!?』


 『ぎゃぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
  !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』



 『ああああああっ!!!!!!!!』
 『あああああああっ!!!!!!!』
 『あああああああっ!!!!!!!』



 『!!‥‥‥!‥‥ぁああ‥‥!!』



 『あ‥‥あああ‥‥‥う‥ううう‥』


 『‥‥うっ‥ううっ‥』


 『殺してやる‥‥殺してやる‥殺してやる!!』



 『殺してやる‥殺してやる‥殺してやる‥殺してやる‥殺してやる‥』


 『殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる‥‥』



『殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる‥‥







 「うわぁあああああああああ!!!」

 「‥‥‥夢、か‥‥」


 目が覚めてはじめて、それが夢だったという事を知った。

 生きながら解剖されていくという過去の再生は、いつもリアルすぎる。

 体がどこかで痛みを覚えているのかな、いつも痛みを伴った夢なのよ。
 だから、醒めてみるまではいつも夢だと気づく事ができない。

 シンジの家を出てから着っぱなしの服が、これまたいつものように
 びっしょりと寝汗で濡れていた。


 「痛い‥‥」

 「変ね‥」

 でも、今日の場合は少し違った。

 すぐに私は異変に気づく。
 夢が醒めたはずなのに、まだお腹の痛みが取れないのよ。

 不思議に思いながらも耐えていると、痛みはじきに引いていき‥‥
 でも、また暫くすると強くなってきた。


 「なんなのよ、これ‥‥」

 痛みが増強するたびに、ベッドの上で体を丸くしてじっと耐えた。

 痛い。

 あの時に経験したほどじゃないけど、汗が止まらないくらいには痛い。


 「シンジ、助けて‥‥」

 呼んでも来ぬ人の名を呼んでみる。
 でも、痛みは、それでも和らぐ事はなかった。


 「‥う‥‥‥ぐ‥‥」








 時計がないからわからないけど、悪夢で目が覚めてから随分経ったと思う。



 「‥‥うぁあああああああ!!!」

 「助けて!誰か、助けて!!!!」


 最初は何とか我慢できた痛みも、もう耐えられない!

 痛みはだんだん強くなるいっぽうだし、
 痛みが襲ってくる周期も、短くなってきてる。


 「‥‥もうダメ‥‥痛い‥‥痛い‥‥」


 激しい動悸。

 血管の拍動が耳をうつ。

 堅く冷たいベッドの上で、いつしか私は体をよじらせるようになっていた。




 「うっ!!」


 「おぅ‥‥‥‥ぐ‥‥‥」

 これで何度目になるのかわからない嘔吐。


 「はぁ‥‥はぁ‥‥はぁ‥‥」

 酸っぱくて苦い味が口の中に広がり、胃壁がヒクつく。

 躊躇する事なく、私は唾をぺっと吐き出した。



 「はぁ‥‥はぁ‥‥‥はあ‥‥‥ふう。」


 吐いたせいだろうか、少し痛みが引いたような気がしたので、
 私は壁にもたれかかって体の力を抜いた。

 既にいくつも床の上にできた水たまりの発する嫌な匂いが、
 微かに鼻を刺激する。



 「なんで私がこんな目に‥‥。」


 もう嫌‥‥この青い部屋から出たい。

 それと、お腹を何とかして欲しい。

 何より、シンジに会いたい。


 こんな辛い時こそ、彼にいて貰いたい。




 「!!!」

 まただ!
 また痛くなりはじめた!

 「イヤアアアアアア!!!」

 痛い!


 「あうっ!!」

 「う‥‥‥う‥‥うう‥‥」


 今度のは、今までで一番ひどい!!
 このままじゃ、死んじゃう!!おかしくなっちゃう!!


 「あ‥‥ああ‥あ‥‥」

 「あ‥‥い‥た‥い‥‥」


 歯を食いしばって我慢するうちに失禁でもしたのだろうか、
 スカートの中が生暖かいもので濡れるのがわかった。


 「やだ‥‥」


 でも、それは失禁なんかじゃなかった。


 「う‥‥ううう‥しんじぃい!!!」



 続いて、ドロッとした感触とともに、何かが体の中から出てきた。



 「はあ‥‥‥はあ‥‥はあ‥‥」


 痛みが少し軽くなった後、履いていたスカートと下着を脱いで確かめた。


 「なによ‥‥これ‥‥」


 ぼとり。


 嫌な音を立てて床の上に落ちたそれが何であるかのか。


 私にはすぐに解った。


 独房の青紫の照明に照らされた、赤黒い物体。

 “それ”が自分をじっと見つめているような、錯覚。

 私は目を背けた。




 「‥‥‥私とシンジの‥‥‥」


 何故か、涙が出てきた。

 涙、止まらない。

 おかしいなぁ‥。




 「どうせ子供なんて要らないから、いいじゃん。」

 「病院行く手間が省けて、良かったじゃない。」


 本心だと思っていた呟きも、どれも空しく私を素通りしていく。

 お腹の痛みも、今は気にならない。



 「‥‥‥うう‥‥」


 要らないって思っていた子供だけど‥‥
 イヤらしい事の産物に過ぎないって思っていたけど‥‥


 「‥‥そっか‥そうなんだ‥」


 手や服が血塗れになるのも構わず、私は血塊を両手で掬って胸元へと運ぶ。
 まだ、人の暖かみの残っている胎児から、鼻を突く罪の臭いがした。



 「‥‥ごめんね‥‥ごめんね‥‥」


 私は、自分が大切なものを失った事に気づいた。

 失って初めて、要らないと思っていたものの掛け替えの無さ。




 かろうじて人の形をしているだけのものだけど‥‥‥

 小さな命の存在を、私は知った。




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 でも、悲しみに暮れる私を、奴らは放ってはおかなかった。



 「返して!!私の子供を返して!」

 「人殺し!!あの薬のせいなんでしょ!!この、人殺し!!」


 既に微かに人の形をしていた“私の子供”を、白衣の悪魔達に取り上げられ‥‥


 「何すんのよ!!イヤ!!イヤァ!!!!」


 私は無理矢理服を脱がされた上で、流産に対する処置を施された。
 点滴を手始めに、あれこれと。


 恥じらいでは無く、憎しみ。
 それが私の全てだった。


 「あんた達、いったい何を私に飲ませたの?」
 「どんなに苦しかったか、わかってんの?それに私の子供‥」


 「おとなしくしてるんだ!殴られたくなければな。」


 「‥‥‥。」

 「なんだぁ貴様、その顔は。」

 「お前らなんか、人間じゃないわ!」


 男共によって自由を拘束され、下半身を暴露されたままでも、
 私は躊躇わずに抵抗を続けた。

 足で男の腹を蹴り、口で噛みつき、体を左右に振ることで拒絶の意志を
 明確にした。


 「痛っ!こいつ、噛みつきやがって!!!」

 「このアマ!!下手に出れば!!!」

 そんな事をすれば、当然男達に殴られたり、蹴られたりするけど‥‥
 痛くても辛くても、怒りと悲しみが打算や恐怖を上回った。

 自分がどうなってもいい。
 許す事が出来なかった。


 「お前らなんか‥‥」


 「まだ口答えするか!」

 「畜生!議長の絶対命令さえなければ、貴様を拷問にかけるものを!」

 「おい、誰か鎮静剤を持ってこい!!殴るだけではダメだ!」


 「お前らなんか‥‥人じゃないよ‥‥鬼だよ‥‥」


 「まだ言うか!人が折角出血の処置をしてやってるっていうのに!!」

 「あぐっ!!」


 何度目になるのかわからない殴打に、頭に電気が走った。

 目の前が真っ暗になる。

 口が切れて血の味が口の中に広がったけど、構わない。

 なおも私は、抵抗を続けた。


 「しつこいガキだな!」
 「こうなったら、気絶させるまでだ!やれ!」



 がつん

 「あうっ!!」

 突然、耳の後ろから嫌な音が聞こえ、再び頭の中を電気が駆け抜けた。
 そして、目の前が真っ暗に。


 「ちくしょう‥‥ちくしょう‥ちく‥しょう‥‥」

 意識が薄れていく事を、どうする事もできない。


 また涙を自分が流しているのを自覚しながら、私は無意識の底へと沈んでいった。


 今度は、悔し涙。

 ううん‥‥失ったものに対する涙だったかもしれない。



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 金沢から約40分の空の旅を終えた僕は、
 第二新東京市のネルフ本部の屋上へリポートに降り立った。


 不自然なまでに言葉遣いの丁寧な係官が、僕を出迎えにやってきた。



 「こちらが、あなたが滞在する事になる部屋です。
  本来はVIP用の歓待室ですから、居心地に問題は無いと思います。」


 ガチャ


 ヘリを降りて歩くこと数分、僕はビルの最上階のにある“特別室”という
 部屋に通された。


 ドアの向こうに広がっているのは、アイボリー色のソファに、
 壁面すべてを覆うような広い窓、観葉植物‥‥そういうもの。

 テレビで見たことのあるスイートルームによく似ていると思った。


 「日常生活のあらゆる要求に対処した設備がこの部屋には取り揃えて
  ありますし、外部からの面会についても、可能な限り対処させて
  いただきます。
  しかし、あなたは許可無くこの部屋を出ることはできません。
  すいませんが、そこの点だけは、よろしく御理解下さい。」


 「はい、わかりました。」

 「では、失礼します。何かありましたら、内線の408番までお願いします」

 慇懃な感じのする係官が立ち去って、一人になった。



 やけに丈の高い絨毯の上に荷物をどさりと置き、
 係官がつけたばかりの室内灯を消す。
 少しだけ目を閉じた後、僕は暗い窓の外が見た。

 午後八時の夏の空。

 空を見ているつもりなのに。瞬き始めたばかりの星達も
 赤や青の人工の灯りも僕の目には写らない。

 ただ、好きな人の微笑みばかりが、暮色の半球を背景にして僕に迫る。

 網膜の奥で描くアスカは、誰よりもかわいい顔をしていた。


 「アスカ‥‥なんで‥‥」


 「僕って、病気なのかな‥‥」

 明けても暮れてもアスカの事ばかりを考え続ける自分に対して、
 そう呟いてみた。


 うん、これが病気と言うのなら病気には違いない。

 現に、自分の腕には、昨日まで打たれ続けた点滴の後が赤黒く残っている。
 見舞いに来てくれたケンスケの話では、僕が投与されていたのは
 確か精神安定剤のたぐいだったらしい。


 客観的に考えれば、今の僕は、アスカを失った事で心病んでいるのだろう。


 「でも、アスカは‥‥」

 「アスカのことだから、もっと‥‥」


 僕がアスカを好きなのと同じくらい、ううん、ひょっとしたらそれ以上に
 アスカは僕の事が好きだ。

 そして、僕がアスカに依存する以上に、アスカは僕に頼っている。


 今頃、アスカがどうしているのかを考えると‥‥。

 僕がいない間、きっと怖い目に遭って、泣いていると思う。
 昔と違って、悲しみや恐れを素直に出すようになったアスカだから。



 「あっ!!」

 突然、一筋の流れ星が空を横切るのが見えた。


 「お願い、出来なかったや‥‥」



 願いをかける事が、今の僕にできる精一杯だと僕は知っている。

 結局、アスカも僕も、ゼーレとかいう大人達に
 翻弄されるばかりだなんて‥。



 「ふう‥‥」


 この数日で何度目になるのかわからない溜息をついた。

 息が不規則に震えるのを感じて、僕は涙を予感した。



 「畜生‥‥」


 駄目だ、また僕は泣くのか。

 恋人を助けられず、悶々と泣き続けるしかないのか。

 仕方ないんだ、自分にはどうする事も出来ないんだと、泣き続けるしかないのか!

 これじゃ、昔と変わらないじゃないか!




 「アスカは、必ず僕が‥‥」



 目が滲むのを自覚する。

 声も、つぶれている。

 「僕は‥‥僕は‥‥」


 発作的に室内灯を再びつけて、僕はバッグの中から
 アスカと自分のアルバムを取り出した。


 理由?

 勿論、思いっきり泣いてしまう為に決まっている。
 止まらない涙を、涸らしてしまう為に。


 アスカの笑顔に溺れたまま、思いっきり泣いてしまおう、今はそれでもいい。

 もう、泣かないで済むくらいに泣こう。
 弱い自分を、納得いくまで曝してしまおう。



 そして‥‥それからさ。
 僕はもう、エヴァには乗れないけど‥‥
 あの頃よりは自分が強くなったと、男になったと、僕は信じている。


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 殴打による気絶から回復したとき、私は真っ暗闇の中にいた。

 光が全く差し込んでこないから、最初はまだ自分が目覚めていないと思ったけど、
 顎や頬の痛みから覚醒を知る事ができた。

 痛みだけじゃない。触覚も。

 ロープのような何かが、再び私を縛り付けているのがわかる。
 それと、また腕に点滴を打たれている事も、心電図の電極みたいなものを
 体中に張り付けられている事もすぐに気づいた。


 「動けない‥‥」


 手探りでもいいから自分の位置を確かめたかったけど、首一つ動けないほどに
 体を固定されている。

 いったい、何を私にさせようというんだろう?

 でも、ひとつだけはっきりしている事がある。

 これから私の身に起こる事が、ろくな事じゃないって事だけは。



 束縛と闇に怯え、身を堅くしていると、
 突然、目の前に真っ赤な文字が浮かび上がり、声がした。




 『おはよう、惣流 アスカ 君』




 《SEELE01 SOUND ONLY》と書かれた文字板のようなものが
 中空に浮かび上がっていて、そこから声が響いてきた。


 「何者!?」という私の問いを無視して、文字板は続けた。



 『一度、君とゆっくり話がしたかったんだ。
  悪いが、つき合って貰うよ。』

 「イヤよ!誰があんたなんかと!!」



 『つれない返事だな。
  まあいい。威勢がいいのも、今のうちだ。』


 「‥‥‥。」



 『これから、君にいいものを見せてあげよう。
  じきに、君は本当の君を知る事になる。』

 『真実、というものを見せてあげよう‥‥』


 その声とともに、文字板がフッと目の前から消え、
 突然私の視界が光に覆われた。







 「!!」


 「イヤ!」


 「イヤアアアアアア!!!私の中に入ってこないで!!」



 その光には、私は身に覚えがあった。

 七色の光。

 でも、ただの光じゃない。私を汚した使徒の光。あれによく似ていた。





           “おねえちゃん、だれ?”

           “おねえちゃん、だれ?”




 そして、恐ろしい声が頭の中に直接響きはじめた!

 あの時と同じ!!なんにも変わらない!


 「助けて!誰か助けて!!!」



 シンジやヒカリの顔を思い浮かべながら、私は絶叫した。

 たとえ誰も助けに来てくれないとしても、それで心を蹂躙される事を
 防げるような、そんな可能性にすがってみたかったの。


 でも、そんな事で何かが変わるはずもなく‥‥‥

 私の意識は、私でない何者かによって、
 悪夢と混濁の世界へと連れ去られようとしていた。





                          →to be continued








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