生きててよかった 第3部 「信仰」
Episode-08 【永遠の楽園】








 帰るかどうか、自分で決めろって言われても‥‥。



 迷う私はシンジの心を覗いてみた。

 シンジはどうも帰りたいらしいけど、私のほうが大切だからって
 思っているようね。


 彼の為に、帰ってあげたほうがいいのかな‥‥

 でも、帰るのが怖いっていうのが私の本音ね。


 「アスカ‥迷ってるんだね」

 うん。
 どうすればいいのか、わからない。


 「そっか‥じゃあ、思い出してよ、インパクトの後にあったいろんな事を。
  その上で、ここにいるのと向こうで暮らすの、どっちがいいか
  決めてもいいんじゃない?」

 そうね‥‥うん。
 そうする。

 それで、考えてみる。

 辛かった事、楽しかった事‥‥色々あるんだろうな。








 ///最初の優しさ///


 「‥‥‥もう‥死にたい」

 喉が焼ける。

 裸だというのに体も熱い。

 新芦ノ湖の湖畔の熱い砂浜で、私は脱水症状の苦しみを味わっていた。



 「‥‥誰も私の事見てくれない‥‥」

 「‥‥もう、消えてしまおう‥‥」


 一挺の拳銃を両手に握りしめ、冷たい銃口をゆっくりと
 口に運ぶ。

 忘れかけていた、辛い記憶だった。
 当時の自分が味わっていた絶望感がひしひしと伝わってきた。

 確か‥‥楽に死ぬために延髄を狙ったのよね、この時。


 カチリ

 銃のロックを外す音が、真昼の砂浜にやけに大きな音で響いた。
 でも、私は結局トリガーを引かなかったのよ。



 「やめろ〜〜!!」
 「ダメだ!しんじゃダメだ!!」

 ほら、シンジがやってきた。

 泣きべそをかいたシンジが。


 「バカ!しんじゃなんにもならないじゃないか!」

 私から拳銃を奪い、彼は湖の中にそれを投げ込んだ。
 そして、私の肩を抱いて顔をのぞき込む。


 私が口を動かした。

 「あんたなんかあっち行って‥‥‥」

 乾いた唇から漏れたのは、そんな言葉だった。



 今にして思えば、なんてバカだったんだろう、私は。

 次の瞬間、シンジの目からは涙がどっと溢れた。




 “懐かしい‥‥私がシンジに助けて貰った時ね。”
 “うん‥‥‥あの時、アスカを助けて本当によかったって思うよ”

 “なんで?”
 “そんなの、決まってるだろ?”

 “それって、私の事?”
 “そうだよ。”


 私とシンジの会話を余所に、思い出の中のシンジが
 思い出の中の私に水を飲ませ始めた。


      ***************************************************


 ///私を愛した男の過去///



 シンジが、ファーストとひとつになっていた。
 時間が止まったかのような穏やかな時間が、流れている。

 今ではLCLのせいだと判るオレンジ色の世界の中に、大きな満月が浮かんでいた‥



 「――アヤナミ?
  ――ここは?」

 「ここはLCLの海。生命の源の海の中。
  ATフィールドを失った、自分の形を失った世界。
  どこまでが自分でどこまでが他人なのかわからない世界。
  どこまでも自分で、どこにも自分が居なくなっている世界。」

 「――僕は死んだの?」

 「いいえ。全てがひとつになっているだけ。」

 「これがあなたの望んだ世界……そのものよ」


 “今の私達みたいね、これ‥‥オレンジ色の世界‥”
 “アスカはあの時、どうしてたの?”

 “私の心、見えるでしょ?”
 “‥‥うん。そっか‥‥かわいそうに、ひとりぼっちだったんだ‥”

 “私が一人で泣いている間、ファーストとこんな事してたのね‥許せない”
 “そういうんじゃ無かったんだ‥ほら‥‥”

 “!?”


 「でも、これは違う」
 「違うと思う」


 「他人の存在を今一度望めば、再び心の壁が、全ての人々を引き離すわ」
 「また、他人の恐怖が始まるのよ」

 「いいんだ‥‥‥‥‥ありがとう。」



 “ねえ、これがどうしたっていうのよ?”

 “‥‥なんとなく、見て欲しかったんだ。僕の気持ち‥‥わかって欲しい。”

 “‥‥。”

 “僕は、永遠にアヤナミやみんなとひとつになっているより、
  互いに傷つけあう事があっても、元の世界を望んだ‥‥そして、
  沢山辛い思いもした。けど、辛い思いと引き換えに、
  アスカと一緒になれた‥‥。”


 シンジの言葉。
 私に、決意を促しているような気がする。
 シンジと永遠にひとつになっている事より、元の世界を選ぶようにって。

 でも、だからってね‥‥。




 「‥‥私達は希望なのよ。
  ヒトは互いに分かり会えるかもしれない、という事の。」
 「好きだという言葉と共にね」

 「だけどそれは見せかけなんだ。  自分勝手な思い込みなんだ。
  祈りみたいなものなんだ。    ずっと続くはずないんだ。
  いつか裏切られるんだ。     僕を見捨てるんだ。」



      「――でも僕はもう一度会いたいと思った。
       その気持ちは本当だと、思うから」



 “‥‥それで、私が生まれたの?”
 “うん。”


 “僕は一番アスカがわからなかった。
  一番わかりたかったけど、最後までわからなかったのがアスカだった。
  一番近くて一番遠かった。僕は、見ている事しかできなかった。”

 “でも、あの時、砂浜で寝そべる僕の隣にいたのは、確かにアスカだった。”

 “首を絞めたり、色々あったけど‥‥”

 “でも、今は、そのどれもが必然だったって思えるんだ”


 “ねえシンジ、それって‥‥……って事?”
 “うん‥‥たぶん、そういう事だと思う。”


 “弐号機がバラバラにされているのを見たとき、僕は絶叫したよ。
  夢の世界でアスカに拒絶された時も、抱き合っていたときに『あなたとだけは
  絶対にイヤ』って言われた時も。”

 “きっと、溶け合う前から意識してたんだと思うよ、アスカの事。
  それに気づかぬふりをしていた僕は、馬鹿だった。”


 “シンジ‥‥あの頃‥‥‥本当に‥‥ごめんなさい。”


***********************************************



///はじめてのデート///


 山の中の景色だった。

 まだ幼さの残る私が、シンジから白と緑のネックレスを手渡されていた。
 それを首にかけ、ワンピース姿がくすぐったそうに首をすくめている。

 にっこりと笑った彼女は、“幸運のおまじないかぁ‥‥。ホントに
 幸運になったらいいなぁ。”と呟いていた。



 「僕は‥‥幸運だと思うけどな。」

 「えっ?どういう事?」

 「好きだったアスカと一緒にまた暮らせるんだよ、僕。
  ミサトさんも加持さんも、トウジ達も戻ってきたし。
  僕、どれももうダメかと思ってたから、充分幸運だよ‥‥。」

 シンジの頬が、ほんの少しだけ赤みを増したような気がする。
 二人きりだからか、私の頬も少し火照ってきたと思う。


 “アスカはこの時の事、覚えてる?”
 “初めてのデートでしょ?
  ほら、お互い、まだ初々しさが残ってる。
  思えば‥この頃はシンジとエッチしなくても全然不安じゃなかったわね‥”

 “何が僕達を変えたのかな‥‥”

 “私が弱いのがいけなかったのよ。
  ATフィールドのある世界で人を信じられないのがいちばんいけなかったのよ。”

 “僕も同じだよ。ううん、誰だって同じなのかもしれない、それって。
  でも、その中でみんな最善を選んで必死に生きている。
  そして僕は、たとえ間違いを繰り返していてもいつも一生懸命なアスカが‥‥
  大好きだよ。”



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“次はどうするの?”
“ねえ、僕がいない時のアスカの世界、僕も見ていい?”

“見ていいも何も、丸見えじゃん。”
“ハハ、そうだね。嬉しいな、僕の知らないアスカか‥‥”

“でも、いいものばっかりってわけじゃないわよ。
 特に、ミサトと一緒の時の事とか‥‥。”



 ///好き きらい 好き 好き 好き///



 沢山の高校生が、カラオケボックスの一部屋を占拠していた。
 今見ると、なんだか若々しく見える過去の私。

 私は、涙を流す綺麗な女の人のそばでおろおろしていた。

 「アスカ、フルートパートは一人になっちゃうけどしっかりね。
  もう、充分上手くなったから、心配しなくてもいいと思うけど‥。」

 「うん。
  先輩、泣かないでよ。
  せっかくの美人が台無しじゃないですか。」

 「あ、うん。でも、もうお終いだと思ったらね。
  3年間が、こんなに短いと思わなかった。」


 “これって‥‥管弦楽同好会にいた頃‥‥まだ若いなぁ、アスカが”
 “う、うるさいわね〜。な、なんか恥ずかしいかなぁ、こうやって見られるの”

 “でも、いいなぁ、不器用そうだけど一生懸命に先輩励ましてる姿。”

 “‥‥‥やめてよ、恥ずかしいじゃない。”
 “だけど、僕以外に対しても人並みには優しいって事、よくわかったよ”


 “でも、こういうのだけが私ってわけじゃないのよ‥‥”



     *        *        *


 ミサトと私。
 私とミサト。

 長いつき合いね‥‥ドイツの時からずっと顔合わせてたもん。
 もつれ合っていびつな螺旋模様を描く私とミサトの十年を、
 シンジに見せた。


 ドイツで会った時、生き方わざとらしい人だと思って心に壁を作っていた事。

 加持さんが好きだった頃、シンジ達の知らないところでいつもいがみ合っていた事。

 ミサトが嫌いだと思いながらも、心のどこかで彼女やシンジが入ってくるのを
 待ち続けていた、散らかった部屋で泣く私。


 そして‥‥


 「あんた、私がどんな目に会ってたか知ってて言ってるの?」

 「八つ裂きにされるってのがどんな気分か、あんた、わかってるの!!」

 「保護者とか言って、あんたが私をどんな目で見ていたか、
  私が知らないと思ってるんじゃないでしょうね!!」

 「一生謝り続けたって、とうてい許せないわ!!」



 湖畔での再会以来、長い長い憎悪の歴史が始まった。
 以来四年間、私はミサトに対して心を決して許さなかった。

 いつも心に壁を作り、面従背反を続けていた。
 シンジや他の人とミサトが話しているのを見るのが嫌だった。


 “今も、ミサトさんの事、こんなに嫌いなんだ。”
 “うん‥‥でもね‥‥”


 ミサトとの最後の思い出は、でも違った。
 シンジが驚きの声があげる。
 違うかな。悲鳴、のほうが正しいかもしれない。


 “こ、これは‥‥ミサトさん!ミサトさんが!!!”
 “‥‥‥。”


 「さあ、いきなさい、アスカ。」
 「あの階段を登ってすぐ右に曲がれば、そこに加持達が待っているから。」

 「‥‥イヤ‥‥」

 真っ赤な血を流し続けるミサトと、泣く事しかできない無力な私がいた。
 今見ても、何故か辛い。

 私は、恨み以外の感情が芽生えつつある事に戸惑いを覚えながら、
 血塗れになっているミサトを見つめ続けていた。


 「ぐずぐずしないで!時間が無いわ。私には構わずに走りなさい!」
 「あなたには、まだやる事があるでしょ!
  まだ、あなたは死ねないでしょ!ぐずぐずしないで!!」

 「‥‥‥いきなさい、アス‥カ‥‥」
 「‥‥にげないために、いまはにげなさい‥‥」


 どさり


 「ミサト!?」

 「ミサト!!!!!」


 倒れたミサトの体を抱きながら、私は声をあげて泣いていた。
 私もミサトも、血の赤に染まっていた。


 “私、バカだったのかもしれない。”
 “アスカ‥‥ミサトさんを‥‥ミサトさんを‥”


 “言わないで!だけど、これも事実なのよ。
  バカなのよ‥‥恨む事しか知らなかった私が、バカだったのよ!”

 “‥‥‥そんな事、ない。”

 “ううん、ダメよ、ほら、私はやっぱりこんな人間なのよ‥”

 “‥‥でも、ここでミサトさんの言葉を果たさなかったら、もっとダメだよ。”

 “!?”

 “帰ろう、アスカ。
  ミサトさんは生きているかどうかはわからないけど‥‥アスカが今の自分を
  ダメって思うのなら、生きて帰らなきゃいけない。逃げちゃ、ダメだよ。”


     *        *        *


 ///ありがとう///


 それからも沢山の事を私達は回想し続けた。


 シンジが他の男の子達と一緒にいる時の事や、
 私が他の女の子達と一緒にいる時の事。


 高3のクリスマス、ケンスケからかかってきた電話の事も
 シンジにバレてしまった。


 “な、なんだよこれ‥‥ケ、ケンスケがアスカを!?”
 “‥‥言わなかった事、怒ってるの?”

 “ううん、違うんだ。”
 “じゃあ、何?”
                    ヒト
 “僕は、本当にいい友達と、本当にいい女性を好きになったんだなって。”





 楽しい事、辛い事、嬉しい事、悲しい事‥‥。

 いい事ばかりじゃなかったし、落ち込んでいる事もあった。


 けれど、私もシンジもよく笑っていた。

 たくさん笑っている分、たくさん泣いてもいたけどね。





 でも、泣いた後には必ず笑顔があった。

 雨上がりの空みたいな、ピカピカの私の笑顔。
 シンジの視点を通して、自分で見てもかわいいと思えるような自分の顔を
 見ることができた。



 そんな時にはいつも傍らにはシンジがいて、沢山の友達が私を見ていた。

 一四歳の時と違って、悩んだり困ったりしている時には、
 いつも誰かが手を差し伸べてくれていた。

 シンジの心を覗いて判ったんだけど、自分の目の届かないところにも
 そういう人がいっぱいいた――そう、ミサトや加持さんも含めて。


 見ていて、どんな気持ちになればいいのかわからないわね。
 笑いたい、泣きたい、複雑な気分。






 ただ、これだけは間違いないわ。

 私‥‥バカな事ばっかりしてて、いつも迷惑ばっかりかけてたけど‥
 いつも自分の事しか考えていない自分だったけど‥‥。

 砂浜で死のうとしていた所をシンジに拾われて以来、
 私はずっと幸せだったのね。


 偽りでも何でもない。


 私が過ごした四年間が本当に幸せなものだったって事を、私は知った。




    *         *          *




 “アスカ、もういいの?”
 “うん‥‥”

 “戻るの?それとも‥‥ここに残るの?”
 “みんなの所に帰る。もう一度、みんなに会いたいから。それと‥‥。”


 “私、もっと、優しくなりたい。”
 “ど、どういう事?”


 “‥‥上手く言えないけど、もっと、自分を磨きたい。
  もう少しわがままじゃない人間になりたい。”

 “‥‥今までと同じでもいいと思うけど、そう思うんなら、がんばってね。”


 “じゃあ、行こう。自分のイメージを思い浮かべれば、きっと元に戻れるよ”
 “なんでわかるの?”

 “綾波がそう言ってたんだ”
 “あ、そうだったわね”







 “ねえ、私達、また幸せになれるのかな‥‥今までみたいに”

 “お互いそう信じて一緒にやっていけば、きっと大丈夫だよ。
  心配しないで、アスカ。”

 “うん”





                          →to be continued








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