Episode-04【雨の後に来るものは】


  7月5日の第二新東京市は、朝から雨が降り続いていた。
 湿った空気の中、冬月は第二新東京大学付属病院の正面玄関で傘を畳むと、
 沸きあがる拒絶を振り払い、義務感の甲冑をしっかりと身にまとって
 建物の中へと入っていった。

  まず、ロビーの花屋に立ち寄って適当な花束を見繕って貰うと、彼は
 最寄りのエレベーターの前に立ってボタンを押した。
 右手に花束を持ってドアが開くのを待つ冬月の背中は、以前よりも
 明らかに丸みを帯びている。一連の出来事は、冬月を大いに摩耗した。
 彼を詳しく知る人々は、急に老け込んだ彼の健康状態を密かに案じていたが、
 しかし、老け込むのも当然なのかもしれない。
  彼が全てを賭けたプロジェクト、それが終わった後、彼の心に残っていた
 のは歓喜でも高揚感でもなく、慟哭、そして贖罪の意識だけだった。
 多額の資金と最先端の技術、そして幾千の命を費やして‥幾多の悲劇を
 生み出して。それで結局は後に何も残らなかったのだから。


  そして、最後の“天使”。
 彼女はもう、この世にはいない。

  彼が、彼女の死刑執行書にサインしたのだ。



 チーン


  十秒も待たないうちに、エレベーターのドアは開いた。
 誰もいないエレベータに乗り、彼は9のスイッチを押した。
 ドアが閉じ、自分だけの空間に何故か安堵する。
 昇るスピードが妙に早く感じられるのは、何故だろうか。

 “今の彼女は、事実に耐えられるのだろうか。そして、私は…”


  エレベーターを降りると、冬月は最寄りのナースステーションを訪れた。
 その場にいた中年の看護婦から九〇一病室の場所を聞き出し、教えられた
 とおりに長い廊下を歩いた。

 それは九階の最も奥のフロアにある部屋だった。




   九〇一病室  惣流 アスカ ラングレー
   担当医:萩原 ヨウコ (第二内科−M0014D)
    


 冬月はプレートを二度確認し、軽くノックをしてドアを開けた。



「ああ、副司令、お待ちしておりました。」

  たいして広くない九〇一病室には、既に青葉一尉と伊吹一尉が着いていた。
 白いベッドの上に二人の女が座り、冬月と青葉はパイプ椅子に腰掛ける。
 アスカは明らかに非友好的そうな目つきで、招かれざる訪問者を
 眺めまわし、「意外と早かったのね。」とぶっきらぼうに呟いた。


「おはよう、惣流君。」
 老人の返答も、短かかった。

  彼がちらりと見た窓の外は、相変わらず降り止まぬ雨。
 大きいが個性に乏しい花束をベッドの側のテーブルに載せた後、
 “ともあれ、よく生きていてくれた。これが私の正直な感想だ”と、
 冬月はこれまた個性に乏しい言葉を少女に投げかけた。
 即座にアスカは“今更何を言うのよ”と、棘のある調子でそれに応じる。
 苛立ちを隠そうともしない少女の返答にも、冬月は努めて穏やかな表情を
 崩さなかった。その横で、マヤは黙ってうつむいている。
 青葉だけが、その場で唯一人、平静に情勢を見守っていた‥‥。

「さっそくだけど、私が寝てる間に起こったこととか、分かったこととかを
 教えてくれる?入院してる間、私『ストレスはいけない』とか何とか言われて、
 誰もあんまり教えてくれなかったのよ。テレビのニュースなんて、どーせ
 でっち上げだらけなんでしょ?今日は、本当に全部いいわよね?」

  耐えきれなくなったアスカが、先に本題を切り出した。
 促されるように冬月は頷くと、マヤと青葉に退室するよう命じた。
 そして、重い口を開いた。


「まず、ドイツにいらっしゃる
 君のお義母さまがについてだが‥現在も、行方不明だ。
「お義母さまは、ドイツ第三支部の付属病院にあの日も出勤していた。
 ゼーレによる占拠の際に巻きこまれた可能性が高い」

「…そうでしょうね。そんな気はしてたわ。」

  アスカはそれほどショックを受けていない様子で、むしろ平然と
 冬月の目を覗き込んでいる。
 内心、冬月は驚いたが、素早くそれを大人の表情でかき消した。

“そうだったな、この娘は‥‥”

「ねえ、さっさと続けなさいよ。」

  苛立ちをあらわにした声に促され、老人は話を再開した。

 それは、アスカにとっても、冬月にとっても長い話だった。


 ネルフの事。
 碇司令や赤木博士の事。
 ゼーレの補完計画のこと。

 どれも、少女にとってはある意味‘遠い世界’の出来事だった。
 無表情で冬月の話を聞き続けるアスカ。


 だが、それも束の間のこと。

 アスカに関係のある事柄や人物が、
 じわりじわりとだが話題にのぼってくる。


 ‥‥やがて。

 いつの間にか老人と少女はお互いに正反対の方向を向き合っていた。

  冬月は、まるでテープレコーダーのように、機械的に事実を話し続けた。
 少なくとも、アスカにはそう思えた。

  エヴァ弐号機の秘密とその本来の使命、そしてシンジとエヴァ初号機による
 人類補完計画の頓挫。
 本当の母親の事。
 ミサトがシンジを守って戦死したことも、話題にのぼった。
 ミサトの死が告げられた瞬間、少女の肩が一瞬ビクリと震えたものの、
 結局彼女は黙ったままだった。

  さらに、レイが秘密裏に処刑された事が明かされる。
 レイとアスカの不仲を知っていた冬月には意外だったことに、
 事実を告げられた刹那、アスカの小さな悲鳴が病室に響いた。

  そして、シンジがこの病院に入院していて、
 急速に快方に向かっている事が最後に告げられた。
 この時も、アスカは黙ったままだった。

  一気に話し終え、冬月は大きく息をついた。
 病室は空調によって常に二十度に保たれているにも関わらず、額には汗が
 滲んでいた。何時間も拷問にかけられていたような気分に、思わず彼は
 腕時計に目をやったが、針は十五分しか動いていなかった。

  話題の最後に唯一明るい話題を持ってはきたが、結局その事が彼の救いに
 なることはなかった。では、アスカにとっては‥どうだったのだろうか?
 冬月には、それは判らなかった。
 また、判ることにどことなく恐さも感じていた。


 いつのまにか真っ白な壁に向き合っている体を意識してベッドの方に向け、
 冬月はアスカの様子をそっと盗み見た。


 アスカは枕に顔を埋めて身体を震わせていた。

「用が済んだなら、さっさと出ていって!!」
 それはほとんど叫びに近い声だった。


“すまない”

 老人は、その言葉に素直に従った。


  冬月は逃げるように病室を出ると、静かにドアを閉めた。
 意識して少しゆっくりと廊下を歩き、エレベーター前のロビーを目指す。
 そこで担当医と立ち話をしていた青葉と伊吹を見つけ、事情を話すと、
 “時間がおしているから失礼するよ、後はよろしく頼む”と言って
 彼はエレベーターに乗り込んだ。


「‥‥私は、かくも醜い老人だったのか」

  ゆっくりと一階に向かう無人のエレベーターの中、冬月はそう呟いた。








 私の胸に飛び込んできたのは、死と破壊、死、死、死。

 ネルフの壊滅。
 エヴァの破壊。
 知っている人達の死。

 気に入らないやつが死んでせいせいするわ、なんて思ったら大間違い。
 ミサトがもう戻ってこない事にすら、私は泣きたくなった。
 それでも、私なりには最後まで逃げなかったつもりよ。
 耳を塞がず聞き続けて、最後まで泣くのを我慢しようと思ってたけど、
 それは何とか達成できた。事実から、逃げなかった。

 でも、最後のやつには勝てなかった。
 あいつ、まだ生きててくれたんだ。やっぱり生きててくれたんだ。

 もう我慢できない。
 誰も見てないよね。


『うっううっっ…』


 止めたくても喉の奥から、色々な気持ちがこみ上げてきた。
 体の震えが止まらない。

 枕を抱いて、私は泣いた。



 たくさんの悲しみと、死んでいった人達。
 ミサトが死んでしまうなんて。
 ファーストが処刑されたなんて。


 でも、私を守ってくれた人が、一人だけ生きててくれた。

 それは、シンジ。

 (泣かないで、アスカ。まだあの子が生きてるじゃない)

 誰かの声かはわからないけど、心の中からそう聞こえてくるような気がする。




   *        *        *




 どれくらい私は泣いていたのだろうか。

 静かな雨の音で、私は我に返った。

 顔を起こしてみると、青葉さんとマヤさんがすぐ側に立っている。

 いつか私が気づかないうちから、ずっと見ていたみたいね。


 急いで私は指で自分の涙をふき取って、つくりものの笑顔を作る。


「もう、大丈夫?」

「うん。大丈夫よ。」


「よかった。アスカは強いものね」

 そんなことないわ。本当はとっても弱いの。
 いつも誰かにすがっていたいの。
 いつも、それを表に出すことができなかっただけ、赦されなかっただけ。
 でも、口では『そうよ』とだけ答え、その場の笑顔を私は繕った。


「ああ、アスカ、」

「なぁに?」

「これからシンジ君のところへ行かないか?彼と約束しているんだけど」
 青葉さんが、私の方に手を差し出している。

 「うん…。」

 たぶん真っ赤な目を枕でゴシゴシこすって、私はベッドから起き上がった。

 

to be continued




 こんばんは、読んで下さっている皆さん。匿名希望です。

 ここまで我慢して読んで下さった方、本当にありがとうございます。
 m(__)m

 御陰様で、や〜〜〜っとお話が動き始めました。
 嗚呼、あしゅか‥‥‥。(逝)

 よろしければ、また読んでやって下さい。
                          では。

 2004年注:文章の痛さや下手さは、まあ、しようがないでしょう。個人の能力の
 限界ってものがありますし、2004年改修は、save your life以外は小規模に
 留めようと割り切ってますから。

 しかし、このあとがきは何だ!? “嗚呼、あしゅか(逝)”だと!?
 死んでまえっ!死ねっ!死ねぇ〜っ!
 若気の至りとはいえ、なんという事を...。
 あなたには、あなたには恥じらいってもんが無いのですか!





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