Episode-10【今日も、彼女は、ヒトリ、だった。】
「おい、碇、だったよな。」
「あ、うん。」
一時間目が終わって最初の休み時間。
隣の席に座っていた背の高い人が声をかけてきた。
確か、木村っていう名前だったっけ。
「木村君、だよね」
「ああ、木村でいいよ。これからもよろしくな。
ところでお前、何処から引っ越してきたんだ?」
『エヴァに乗ってた事、第三新東京にいた事、私の知り合いだって事、
みんな隠して!!』
僕の脳裏に、玄関のポストにさしてあった、
汚い字のメモの一節が浮かんだ。
それと、さっきのメールの内容、電話のときの言葉も。
アスカが何を訴えたいのか、まだはっきりしない所もあるけど、アスカの
言うとおりにしたほうがいいような気がする‥‥。
「あ、えっと、諏訪から」
とりあえず、長年先生達と暮らしていた場所を答えておいた。
「そうか、諏訪からかぁ。結構遠いな。」
木村君は全く疑う素振りも見せずに、腕を組んでうんうんとしきりに頷いている。
「うん。御殿場に引っ越してきたのは一昨日なんだ。これから、よろしく。」
「こちらこそよろしく。ってぇ事は、やっぱり、あいつの噂も知らないんだな。」
あいつの噂。
それがアスカを指しているような気はするけど‥‥
これも僕は心当たりがないふりをした。
「‥‥ほら、あの外人女だよ。」
やっぱりね。
やっぱりアスカだ。
何か、聞けるかもしれない。
「あの娘がどうしたの?綺麗な娘だけど。」
「お前、エヴァってしってるだろ?ほら、あのネルフの決戦兵器。」
「うん。名前くらいは‥」
木村君の声が急に低く小さくなる。
「あいつ、そのパイロットだったらしいんだ」
「あの、ニュースでやってたロボットの?でも、中学生が?
そんなの信じられない。」
「ああ。普通はそうだよな。だけど‥‥。」
「なに?」
「ここ御殿場でさ、戦自の第二師団が駐屯してるから、親が戦自って奴
多いんだよ。で、ウチのクラスに戦自の諜報部に親が勤めてる
澤村って奴いてな、そいつがバレないように親のコンピュータ覗いたんだ。
で、あいつの写真と名前がトップシークレットの欄に載っていて
びっくりってわけよ。ほら、俺のノートにもファイルがコピーしてある。
見て見ろよ‥‥な、本当だろ?」
「ほ、本当だ‥。でも、中学生が?嘘みたいだ。」
僕は心底驚いた。
そこに入っていたアスカのデータは、昔ミサトさんの
ノートPCで見たものと寸分違わないものだったからだ。
どうやってこんなものを‥。
でも、それだけでアスカがいじめられるのはおかしい。
むしろ、あの頃のアスカみたいに、クラスの人気者になることはあっても、
いじめられるなんて、どこか変じゃないか。
その答えは、木村君がすぐ教えてくれて、そして僕は苦い納得をすることになる。
「何でもさ、エヴァって、中学生しか乗れないらしいんだよ。
しっかし、あの事件がなけりゃ惣流って女、きっと今頃クラスのヒーロー
なんだろうけど。」
「どういうこと?あの事件って、まさか‥あれ?」
「この前の第三新東京のサードインパクト未遂事件はもちろん知ってるよな。
使徒とかいう名前の、よくわからん化け物のせいでネルフが壊滅して、
戦自が出動して退治したって報道されている、あれ。」
それがテレビで放映された“事件の真相”だった。
僕が初めて出会った使徒を使った合成画像を放送していたのを、
病院のテレビで何度も見た。
このクラスの人間は実際に起こった事、知っているのかな。
でも、まさか!?
「これもウチのクラスの奴が仕入れてきた情報なんだけどさ。実際は
ネルフと戦自がやり合っていたらしいんだ。そいで、あいつの乗ったエヴァが
戦自の人達を殺しまくっていたっていうんだ。証拠のビデオクリップもあるぜ。」
まさか、ここまで知られているなんて。
戦自の人達は、あれを本気で隠そうと思っていないのかな?
むしろじわじわと世間に知らせることを目的にしているのか。
僕にはわからない。
TVにも載るかもしれないな、このままだと。
そしたら、アスカも僕も‥‥また、普通に中学生に戻れなくなってしまうと思う。
そんなのイヤだ。
「そ、そんなの信じられないよ」
「いや、間違いない。俺もにわかには信じられなかったけどな。
大体さ、使徒とか言う変な怪獣が襲ってくるっていう話よりは、よっぽど
信じられるだろ?他の基地の中学生とメール交換しても、やっぱり同じ
答えが帰ってきてるから、たぶん、間違いないよ。」
「うーん。」
なまじそれが本当だと分かっているだけに、僕は何も言うことが出来ない。
正直、いろんな意味で大変な事になっているというのは間違いない。
「ほら、窓際の席でマンガ読んでる奴いるだろ?
あいつの親父さんは、今も病院で寝込んでるんだ。
このクラスだけでもあの騒ぎで父親亡くした死んで奴、3人いるからなぁ。
あの女が本当に悪いかどうかはおいといて、あいつはもう、卒業するまで
この学校一の悪者だろうな。」
「で、でも…戦自の人達も…」
僕がそう言いかけた時、木村君は僕の口を手のひらで塞いだ。
そして、一段と小さな声で僕の耳元にささやく。
「ああ、俺だってそう思うさ。あの女だって、きっと死にたくなかったんだろうな。
でも、それがクラスの大勢なんだ。クラスしきってる奴の父親が戦死したことも
あってさ、多分、みんなの考えは変わらないと思うよ。
だから、おおっぴらにそれを言わない方がいいし、あの女に
構わない方がいいだろうな。何かと面倒だから。」
「そ、それもそうだね。ありがとう、いろいろと教えてくれて。」
最初に知り合ったのが木村君だったのは、本当に運のいいことだったようだ。
アスカにはっきりと敵意を持った人間だったら、面倒なことになっていた
かもしれない。
「おっと、次は体育だったなぁ。碇、行こうぜ」
「うん」
そうして僕らは運動場に向かった。
* * *
今日の体育のメニューは、短距離走だった。
乾いたトラックを、何度も何度も繰り返し走る。
何も頭を使わない、ただ走るだけの授業は、自然、僕に考え事を促した。
“‥アスカ、一体どうしているんだろう。”と。
結局そのことが気になって仕方がないな。
昨日から、こればっかりだな‥僕。
こんなにアスカが気になるって‥‥自分の事じゃない筈なのに。
他人の事を気にしたって、今はどうにもならないのに。
それでも周囲の目を気にしながら、
僕はちらちらと女子の集まっている方に視線を流していた。
黒い髪の大きな集団の少し外に、栗色の髪がぽつんと小さく見える。
ここからでは、彼女がどんな表情をしているのかは分からない。
でも、ニコニコしてるわけじゃないのだけは、確かだと思う。
辛そうだな、アスカ‥‥。
「おい、何見てるんだ?碇?」
「あ、いや、その‥」
急に木村君が話しかけてきた。
どうやら、僕が女子の方を見ていたことを知っていたみたいだ。
「次、お前の番だぞ」
「あ、そうだね。ありがとう」
その後もアスカの方を何度となく窺ったけど、結局アスカ達がいる場所が
遠すぎて何も分からなかった。
不安な気持ちが膨らんだだけ、ってとこかな。
でも、アスカの素性がバレるくらいだから、僕も遅かれ早かれシカトと
いじめの対象になるかもしれない。
それはともかく。
いずれにしても、これじゃアスカがあんまりだ。
どうしよう‥。今夜、青葉さんか伊吹さんに電話で相談してみよう。