こんばんは、匿名希望です。

 昔話です。アスカの昔の記憶みたいな感じ、って。

 単品では、全然価値無しって感じです。

 お急ぎの方は、19話へ一応飛ばし読みスキップ可能です。

 でも、できれば読んでいただきたいです。では。





Episode-18【セカンドチルドレンの追憶】


 私は、セカンドインパクトが起きて間もない、絶望の時代に生を受けた。

 継母の話が本当ならば、もうその頃からママとパパは不仲だったらしい。

 それが、ママの研究とパパの浮気症に端を発したものだって事は、
 今の私にはなんとなく想像できる。

 典型的な、『冷め切った家庭』って奴ね。
 で、私は、そんな家庭の中では存在感の少ない子だった‥ママは私を
 心配してくれてたみたいだけど、実際に一緒にいてくれる時間は、
 とても短かったと思う。

 自分を悲劇のヒロイン扱いするわけじゃないけど‥‥
 でも、私にとって、それは長い不幸な時代の始まりに過ぎなかったのよね‥‥。

 物心つきはじめた5歳の頃、まずママが発狂して、私から離れていった。

 病院の白いベッドの中で、私を模して作ったお人形さんと向き合って
 毎日ブツブツと喋っていた光景は、いつまでも忘れることが出来ないと思う。

 エヴァ弐号機の中に本当のママがサルベージされていたという事実を知ったのは、
 その十年後――ママと一緒に戦った、最期の戦いの時だった。
 ホント、ひどい話ね。

 あの頃、ママが壊れてからというもの‥‥パパは寂しがる私にいろんな物を
 買ってくれたと思う。
 ひょっとしたら、それがパパなりの精いっぱいの愛情表現だったのかもしれない。
 でもね、勿論、そんなものでは私の冷えきった心は暖まるはずもなかった。

 だって‥欲しかったのは、おもちゃでもぬいぐるみでもなかったもん。
 ただ、少しでも多く一緒にいて欲しかっただけだもん。

 最後まで、パパはその事に気づいてくれなかった。

 そして、セカンドチルドレンの採用が決定したあの日、抜け殻だけのママは
 私の目の前で自殺し、そのすぐ後にたった一人の肉親―――パパもあっけなく
 この世を去っていった。

 一緒にいてくれることの少ない両親だった。
 でも、そんな両親でも、私の親だったのに‥‥。

 やがて、代わりにというわけじゃないけど、パパが死ぬ直前に連れてきた
 新しいママが、戸籍上の母親として私を引き取りにやってきた。
 その綺麗で若い女性は、やっぱりというか、私を大事にしてくれるのは
 本当に表向きだけの、そんな冷たい感じの人だった。

 『わたし、ままにすかれるいいこになる、だからままをやめないで』

 新しいママ。
 血なんて繋がってなくていいから、それでも欲しかったママ。

 その願いは最後まで叶わなかったように思えてならない。



 ‥そういえば、私が入っていたゲヒルンの施設には、誕生日になると
 新しいママの名で大きなアップルパイが必ず届けられていたわよね。

 でも、手作りって事は一度だってなかった事を覚えている。

 ケーキ屋さんのラッピングがしてあるそれを、
 同年代の友達のいなかった私は毎年一人で食べるしかなかった。

 そうやって、誕生日はいつも寂しい気持ちで過ごしていたように思う‥‥‥。


 やがて時が流れ‥‥私の気持ちを無視するかのように、セカンドチルドレン
 としての厳しい訓練と教育が始まった。
 泣かないとか言ってても、そのあまりの過酷さに最初の頃は毎日泣いて
 ばかりだったのを覚えてる。


 『誰より 強くなろう』
 『一人ぼっちでも生きていけるようになろう』
 『私は泣かない、私は自分で考えるの』

 いつの頃からだったかな?

 そう思うようになってから、私はどんな辛い訓練や命令にも
 耐えられるようになった。

 気づいた時には、私は本当に泣かない女の子になっていた。それにつれて、
 少なくとも表面的には継母とも上手くやっていけるようになっていった。



 “強く”なれたのよ。

 “強く”なるしかなかったから。

 誰も、大事にしてくれなかったから。
 守ってもくれないし、一緒にもいてくれなかったから。

 ‥‥私を、誰も愛してくれなかったから。

 今年になって、それが表面だけの偽物だったと感じるまで、私はその
 “強さ”をひたすらに信じ続けていた。

 いつしか、『誰にでもわかる有能さ』や『客観的な素晴らしさ』を
 誇示して他人に評価されることが、私が私らしく生きていける根拠だと
 本気で私は思いこむようになっていった。

 いい子として褒められる為の能力を、いびつなまでに身につけていく私。
 無類のエリートとして、セカンドチルドレンとして評価される私。
 沢山の人に、継母に、ネルフの人達にチヤホヤされる私。
 そうでなきゃ、私は私でいられない。
 そうでなきゃ、私はみんなに見捨てられる。
 だからいつも必死だった。
 ぎりぎりだった。

 ――そんな所に幸せはないと、本当は心の奥底で気づきながら。


 それから数年経って‥私の前にはミサトが来た‥加持さんが来た‥。
 EVA計画の事で、これから私に深く関わってくる二人。

 でも、この二人が来たからと言って、結局私は何も変わらなかったような気がする。

 時々は、二人に慰められることも結構あったわ。

 でも、本当に一緒にいて欲しいときや頼りたいときには、決まって
 ミサトも加持さんも“仕事の人間”として振る舞ったように思えるもん。

 そういえば、私が聞いたミサトの最期の言葉‥‥忘れられない。

 確かに、あの時ミサトに何もできなかった事、頭ではわかってる。

 でも、それでも‥‥‥『その場で死ね』とも取れるあの言葉を、
 私は今でも赦すことができないし、これからも赦せるか自信がない。

 私が壊れかけていた時も‥‥シンジばっかりで私には‥‥。

 上官として、チルドレンとしての私の面倒は見てくれたけど、最後まで
 あのひとは本当の私に気づいてくれなかったような、大事に思って
 くれなかったような、そんな気持ちが今も胸には渦巻いている。

 ‥‥もちろん、私が飢えきっていて余裕なかったっていうのもあるかも
 しれないから、あまりミサトを悪し様に思っちゃいけないのかもね。


 だから、せめて加持さんについてだけでも感謝しなきゃ。

 私が服を脱いでも、何もしてくれなかった、加持さん。
 私に妙に邪険なところもあった、加持さん。

 あの時は、ひどいなぁって思っていたけど、加持さんはミサトのことを
 愛していたんだとしたら‥‥むしろ、それは当然だったんだと思う。
 曖昧な優しさは、きっと私をもっと深く傷つけていたはずだし。
 だから、今は、決して加持さんが冷たかったりひどかったりしたわけじ
 ゃないって思える。

 ミサトのことも‥‥いつか赦せる日が来るといいな‥‥。


 それはともかくとして‥ドイツにいた頃の私は、寂しさを心の奥に
 抱えながらも、他人の前では強い自分と価値ある自分を見せて、
 褒められるのを待ってるような女の子を続けていた。
 そして、それはずっと永遠に続くもののような錯覚さえ抱いていた。

 でも、去年。
 ゆっくりとだけど、私の変化が始まったのよね。

 エヴァパイロットとして、日本にやってきて。
 シンジや鈴原、ケンスケとの初の対面があった。
 それから、私に生まれて始めて『本当の友達』と呼べる友達ができた。

 洞木 ヒカリっていう名の、強さと優しさを持った女の子だった。

 転校してきたばかりの私に、委員長という肩書きを手にして彼女は
 あれこれと構ってきた。
 最初はそんなヒカリがうっとうしく思えたけど、気づいたときには、
 いつのまにか私の一番の親友になってたんだから、びっくりよ。

 彼女には、私、素直になれた。
 プライドをまとった‘強さ’なんてものも、彼女の前では要らなかった。
 彼女と一緒に話していると、不思議と心の緊張が緩んで気楽でいられた。


 ああ、忘れられないあの日々。

 彼女との、みんなとの楽しい学校生活。

 私にとって生まれて始めての、同い年の子供達ばかりの、純粋で眩しい世界。

 当時、使徒と戦いながらも、『バカ』シンジ、ケンスケ、鈴原、ヒカリと、
 そしてファーストと過ごした楽しい毎日だった。

 紆余曲折はいっぱいあったし、喧嘩ばっかりしてたけど‥それでも楽しかった。


 だから、だから“今年こそは”と、
 そんな淡い夢を抱きながら、私は12月4日を待った。


 でも、だめだったの。

 大切な友人達は11月にやってきた第13使徒によって‘壊され’。

 そしてその日に、凄まじい強さの14番目の使徒はやってきた。

 結局、私にとって14回目の12月4日も、セカンドチルドレンとして、
 エヴァのパイロットとして過ごさなければならなかったの。

 揺らぎかけていたプライドを賭けた、必死の戦いだった。
 結果、私は気が狂いそうな苦痛と屈辱を味わった。



 あれから一年。

 もっといろんな事があった。

 使徒に心を犯され、それを嫌いぬいていたファーストに助けられ‥‥‥
 たび重なる惨めな戦いの中、私の唯一の支えだったプライドはずたずたにされ、
 私は“自分には他人に褒められる価値がない”という思いにとうとう直面した。

 たった一つの方法に処世術を求め続けていた私に‥術はなかった。


 ただ、逃げた。
 他人から、自分から。

 もう死のうって思って、家を飛び出した。

 みんなに捨てられるより、自分を捨てるほうが怖くなかったから。


 でも、結局何からも逃げ切れないまま、私は廃人のレッテルを貼られて
 病院に閉じ込められ、薬を使って無理矢理眠らされた。

 薬が切れ、目覚めたのは弐号機の中だった。
 その後のママとの一瞬の再会、そして私の再生の記憶。


 そこは戦場だった。
 沢山の大人達が、私を、ママを殺そうとしていた。


 生きるのに、ただ必死だった。

 だからいっぱい殺した。



 ‥‥そして、地獄。

 もう、思い出したくない。



 でも、あの二人が死にかけていた私を、世界を救ってくれた。

 あの時、シンジは体を張って瀕死の私を守ってくれた。
 でっかくなったファーストも、あいつらを相手に戦った。

 あの時私は、生まれて初めて心の底から“ありがとう”って思ったような
 気がする。安直な思いこみかもしれない、と思っていたけど、今は違う。
 だからキスしたんだと思う。

 はじめて、シンジを‥‥人を‥‥信じるきっかけを掴んだ。


 そして、それからさらに半年。

 結局、私は他人に頼ること、それと他人に感謝すること、
 他人を大事にすることをやっと知ったのよね、この1年で。

 あと‥自分が情けない女だって、やり方は違っても、
 あの頃のシンジと同じ、ずるくて卑怯な女だって気づいた。

 そう、偽りでもいいから幸せが欲しかったくせに、その裏側に
 いつも潜む本当の不幸せが恐くて、棘とぬかるみがいっぱいの
 自分の心から目をそらしてごまかしてたのよね。


             『幸せになりたい』


 そればっかりを心の底で願い続けるだけで、他の人に幸せを持ってきて
 もらうことばかりを期待して。
 そのくせ周りの人達の心から逃げて、ごまかして、目をつむって、
 ひたすら能力ばかりを誇示していた。

 ‥‥一歩を踏み出す事が、どうしても出来なかった14歳のアスカ。


 今の私はどうなんだろう?
 ううん、それは今もまだ同じなのかもしれない。

 何とかシンジと付き合い始めた私だけど‥‥もう二度とあんなに
 心を開けるか、自信がない。

 ごめんね、シンジ。
 ごめんね、ヒカリ、トウジ、ケンスケ‥‥青葉さん、マヤさん、
 それからクラスのみんな。

 私、変わったけど、まだどこかで逃げてる所があるの。
 

 だから。
 「私、もっとみんなが一緒にいても嫌じゃない子になります。」
 「がんばります。」
 「だから、これからも私を見てね。」
 「私、もっとみんなの事を解ろうと、努力します。」


 こう思うのって、やっぱり間違い?それとも正しい?
 でも、いいや。

 今の私は、これで正しいと思う。
 そうよね、シンジ。


 こんな私も、いよいよ明日には15歳‥‥ね。

 みんなが私をお祝いしてくれるって。
 なんて今の私は幸せ者なんだろう。

 あの頃‘死にたい’って思っていたのが、どれほど馬鹿な事だったかを
 今、私は痛感してる。

 生きていれば、やっぱりいい事もあるものなのね。



 さって、私ももう寝ようっと。
 シンジはとうに寝ちゃってるし。

 一晩経てば、すぐに楽しい12月4日がやってくるんだし。

 じゃ、おやすみなさい。 シンジ。
                            to be continued



 まあ、こんな感じです、今現在のウチの所のアスカは。
 次は‥‥誕生日です。

 もうしばらく、萌え萌えを‥‥。

 では、失礼します。

 2004年注:2004年版のほうが、読者に真理を伝えやすくリメイクできたような
 気がするけど、文章がそのせいで少々堅くなってしまった。でも、ここら辺の
 アスカというキャラクターの病理性はきっちり書いておきたいし、だからこそ
 彼女は過去の私の「生き写し」として私のSSに登場したのでしょう。

  open my heartという一見するとダサい題名の由来は、他でもない、
 俺アスカを描くことが(1997年当時の)私を描くことに繋がるためであり、
 俺アスカをどうにかすることが(1997年当時の)自分の心の振る舞い方に
 ひとつの道を示すものだったからだったりします。
 このSSもまた、(他の私の全てのテクスト同様、)第一義的には私個人の為の
 カスタマイズテクストなのです。
 第三者から評価を頂く事を二の次としている“openシリーズ”と
 “生きててよかったシリーズ”が、未だにネット上でミームとして
 生き残っていた事は、だからこそ大変な驚きです。




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