移植手術が終わり、シンジの闘病生活もいよいよ大詰めに。


 シンジがクリーンルームに入ってからの二週間が、
 なんだかんだ言って、とても恐かったのを覚えている。

 ドラマとかでやってるガラス張りの部屋を想像してたのに、
 ウチの大学病院のクリーンルームときたら‥‥ただの壁だもんね。

 だから、中のシンジの様子を知る手段は、伝聞に頼るほかはなかった。


 顔を見ることができないっていうのは、バカにならないものね。
 すぐに心配になるから、会えなくても毎日病院に通っては
 先生や看護師さん達を困らせる日々が続く。

 それでも先生は、素人の私の質問にもちゃんと答えてくれたし‥‥。
 何より、カルテのデータと医学生用の教科書を使って、
 私が疑問を持たずに済むような論理的な説明を用意してくれた。

 だから、先生の、
 『シンジ君は、確実に良くなっています。懸念されていた拒絶反応や不整脈は、
  ほとんど見られません』
 という言葉にも、安心してもたれ掛かることができた。


 そうして二週間が経ち‥‥
 シンジがあの802号室に戻ってきた。




  Episode-34【夢、叶って】


 手術後初めて会ったとき、彼の坊主頭にびっくりさせられた。

「ネルフのクリーンルームとかと違って、髪、全部切っちゃうんだから」
 そう弁解するシンジは、少し恥ずかしそうだった。


 そんなに恥ずかしがらないで、シンジ。
 坊主だから嫌いとか好きってわけじゃないんだからね。
 もちろん、元の髪型が一番好きだからさ、早く生えてきて欲しいけど。


 つるつるの頭をなでてながら、“がんばったね”を私は繰り返した。

 うん。
 髪なんて、切ってもまた生えてくるもんね‥‥



 それから約2カ月。

 シンジが退院した後、私達は(どちらが最初に言い出したのかは覚えていないけど)
 同棲を始める準備を始めた。

 旧松本市街と第二新東京市街の中間くらいの場所の3LDKが、新しい住まい。
 大学生二人で住むには大きいと思ったけど、思い切って借りた。

 ヒカリやケンスケ、青葉さん達にも意見を聞いて回った。
 中学生の頃と違って、反対する人はもう誰もいなかった。


 実際に暮らし始めたのは、新学期に入ってから。
 何もかも順調にいくと思っていたけど、全然甘かった。
 想像していたよりもずっと沢山のいさかいや争いが、私達を待っていた。

 お互い、4年間別々に暮らしてる間に違った習慣が
 イロイロと身に付いていたのが原因かも。
 それとも、良くも悪くもお互い、全然遠慮しなくなったからかな?


 大喧嘩の挙げ句、パジャマ姿のまま家を飛び出して、
 ヒカリのアパートにかけ込んだ事もある。

 その後、心配そうな顔したシンジが向かいに来た時、
 ヒカリに無茶苦茶おこられたのを、よく覚えている。

 今ではそれも、大切な思い出だけどね。



 それでも‥‥そんな毎日でも、私達は幸せだったと思う。

 朝、一緒に起きて学校へ行き、夕方、帰ってきて一緒に御飯の用意。
 何もかもが、昔とおんなじだった。

 そんな、退屈といえば退屈な日常の繰り返しがずっと続いていたけど。
 けど、それがたまらなく嬉しかった、暖かかったの。

 休日には二人で遊びに行ったり、ケンスケやナオミ、ヒカリと遊んだり。

 もちろん、シンジと別々に過ごすこともあったけど、昔みたいにそれが
 私の苦しみの種になる事は、もうなかった。


 心臓を移植したとは言え、今でもシンジが突然死んでしまう
 可能性がないわけじゃない。

 でも、そんな事さえ関係がないように思えてならない。


 毎日毎日を、私は、シンジは、精いっぱい大事にしているから。
 二人の時間、二人の青春を、精いっぱい愛しているから。


 そうして、幸福のうちに時は過ぎて。

 2年、3年。
 かけがえのない時間は、あまりに短い。


 気がつけば、もう大学を卒業する時。


 私は、語学の能力とドイツで在学していた頃の実績を買われて、
 院にも行ってないのに第二東大の教養部の助手に推薦された。
 私は就職活動を経験することなく、その仕事を引き受ける事にした。

 で、シンジのほうだけど‥‥プーなのよねぇ、要領悪いんだから。
 4月からは、家の近くのローソンでバイトをするって言ってた。

 でも、いいと思う。

 お金だけはいっぱいあるんだし、私達。
 ママやシンジの両親を失ったこと、エヴァに乗せられた事と引き替えに貰った、
 たくさんの賠償金が。

 それにさ、シンジは体が弱いんだから。
 いつか私の“お婿さん”にしてあげるから、主夫やってたらいいのよ。

 ‥‥まあ、まだちょっと早いと思うし、シンジが働きたいっていうなら、
   その時は私が仕事やめてもいいし。




 二人の対照的な一年が終わり、卒論も仕上がったその年の3月、
 私達は卒業旅行へ行ってきた。

 私とシンジ、ヒカリとトウジ、それからケンスケとナオミの6人で。
 学生時代の最後の瞬間ってやつを、広いオーストラリアで過ごしてきた。

 写真をいっぱい撮った。
 おみやげもいっぱい買った。

 どこの大学生でもやるような、ありふれた観光旅行だったかもしれない。

 でも考えようによっては、どこの誰にも真似出来ない、
 私達だけの、何者にも代えられない価値を持った旅行だった。

 第二新東京国際空港で、3つのカップルに別れたとき、
 私達はこれからもずっと一緒だと誓い合った。

 ずっと友達だと。
 ずっと仲間だと。

 そして、その誓いは‥‥生涯守られる事になる。





 4月。

 いよいよ仕事が始まる。

 結構面倒なこともあったけど、教授や助教授から与えられる課題や仕事は、
 どれも私の能力を下回るものばかりだった。

 なんだかルーティンワークみたいで退屈な仕事だけど、それでも
 5時にはいつも家に帰れる。
 そうやって、夕方にはシンジに会えるという事が、ただ嬉しかった。


 やって来た初めての給料日。
 大金というには、あまりに少ない金額。
 賠償金から手に入るお金よりも、少ない。

 でも、バイトをする暇もなかった私にとっては、それは初めての自分で稼いだお金。
 お金の大切さを、私は初めて知った。


 その後もギクシャクしつつも幸福な同棲生活は続き‥‥。



 忘れもしない、23回目の12月4日、金曜日の事。

 その年のシンジからのプレゼントは、指輪だった。

 指輪を渡した後、もごもごと私に話しかけるシンジの姿を、
 私は一生忘れないだろう。


        “僕は、ろくに仕事もできない人間だし”

  “河田先生が前に言ってたみたいに、突然死んでしまうかもしれない”

 “欠点もいっぱいあるし、実際、アスカを怒らせたり泣かせたりしてばかりだ”

   “でも、それでも、僕は、アスカと一緒にいたいんだ、これからも。”

     “好きとか嫌いとかと、これって、別物かもしれない。”

           “でも、それでも僕は‥‥”


 私の鼓動、高まる。

 そして‥‥‥




         “アスカ、結婚して欲しい。僕と”

        “そう思って、この指輪を貰って欲しい”





 高校時代からずっと夢に思っていた言葉に、私の世界が揺れた。


 シンジには何も言わずに、ただ婚約指輪を薬指に。

 お世辞にも大きいとは言えないダイヤをしつらったそれは、
 驚くほどぴたりと私の指におさまった。

“もっといいのを、買ってあげたかったけど”というシンジ。

 私は、“こんなにいい指輪なんて、どこ探してもないわよ”と答え、
 思いっきりシンジに抱きついた。



 その日、私達は初めて朝まで抱き合った。

 本当のことを言うと、いつも抱かれるのはあんまり好きじゃなかった。

 けど。
 その日は平気だった。

 生まれて初めて、シンジと心も体もひとつになった事を私は実感した。



                   to be continued







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