第3話:天使は人にあらず



 “これは!?”

 一枚の書類に、男はペンの動きを止めた。

  第二新東京市、特務機関ネルフ臨時指揮所・第一執務室は、
 『サードインパクト未遂事件』後も、連日遅くまで明かりが灯っている。
 その日の冬月もまた、怒濤のように押し寄せる書類の決裁に忙殺されるまま、
 翌日の午前0時を迎えようとしていた。
  いつものように斜め読みで書類を読み流し、内容を瞬間的に吟味したうえで
 自分の名前をサインするという、単純だが脳を酷使する作業がここ数日の彼を
 束縛し続けていたのだが、つい先程秘書が持ち込んだ、何の変哲もない
 B4サイズの薄い書類の決済には、とても時間がかかるように冬月には思えた。





【ファーストチルドレンの処分に関する詳細(極秘)】       




 無個性な明朝体で、書類の表題にはそう書かれていた。


“天使は人にあらず‥か‥”

 冬月の漏らす溜息も、自ずと深いものにならざるを得ない。


 『都合が悪くなったら消してしまうのか?』
 『自らの手で創っておいて、要らなくなったら殺してしまうのか?』
 『それが人としての体を、心を持っていても、消してしまうのか?』

  自分が、この処分に対して署名・捺印しなければならないという現実。
 そして今、“彼女”の処分に葛藤しているその自分自身が、かつて
 “彼女”の誕生に深く関与していたという事実。
 これらが冬月の良心を深くえぐり、さらにその痛みそのものが偽善的なもの
 ではないか、という認識が二重三重にと彼の心を痛めつけた。彼が
 ネルフに関わり始めた動機には、全く個人的なものも無くは無いだけに、
 いっそう、心に沈殿する業の意識は深いものとなるのであった。


  続いて、理性と呼ばれる醜悪な怪物が首をもたげたはじめた。

 『あのようなものの存在が、後世に与える影響を考えるべきである。』

 『レイがゼーレ残党に利用されるリスクを考えろ!』

 『全人類の安寧のために、ここは目をつむるべきだ』


  冬月以外には執務室には人はいない。
 だが、たとえ誰かがいたとしても、決定を他人に委ね、自らは思考を停止させる
 という贅沢は、冬月には許されないのだ。
 それが冬月という男の、現在の立場である。


  理想的な出口のない、果てしなきジレンマに、男は孤独な苦悩を続けた。






  ‥30分後。

  熟慮の上で――冬月は、その書類に自分の名前を署名した。

to be continued



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