第5話:理解と納得、そして‥‥



  第二内科の樫村教授の部屋に、河田は直談判に来ていた。

  つい先ほど助教授を通じて、医師としてとても容認できそうにない
 指示を受けたからである。
 河田が教授から指示された内容は、『全く健康な人間をドナーとした、
 おそらくは世界で最初の、そして最後の多臓器移植の内科的なサポート』
 というものだった。
 医師としての常識的な倫理観を持つ者であれば、誰もが躊躇う内容だ。

  対する樫村教授のほうもまた、花崗岩の如き意志で河田に相対している。
 この症例の手術には、アメリカ留学で臓器移植に関する内科的技術を
 学んだ河田以外には、どうしても実行できない手技が必要とされ、そして、
 代わりになる人物は第二内科には一人もいなかった。しかも、二日ほど
 前から病院長はもとより、各省庁やネルフといった外部からの有形無形の
 圧力に樫村教授は曝され続けていた。そういった外圧のなかには、第二内科の
 医局やジッツを浸食しかねないような脅迫めいた内容の文書も混じっており、
 普段は穏和でモラリッシュな樫村教授も、自分自身や医局員達の保身の為に
 心を鬼にせざるを得ないという事情があった。


 「‥‥やはり、私にはできません!」

 「病院長の方からも、内密にやってくれと言われている。ネルフの上層部は
  もとより、どういうわけか、この件に関しては厚生省や公安からも圧力が
  かかっている。私達にノーを選ぶ権利はないのだよ」

 「ですが教授、人倫上、問題が大きすぎます。」

 「ドナーはこのままではあと2日で処刑される。何より、本人の強い要望が‥」

 「それが何だと言うんですか!生きているんですよ!脳死ではない!
  植物人間ですらない!
  これは、人殺しと同じですよ!我々医師は、いついかなる時でも健常人を
  死に至らしめるような行為はしてはならないと教えられましたが?」

 「君のその認識は、とても健康的で貴重なものだと私も思っている。」

 「そうお考えなら!」

 「だが、この方法だけがあの子を救う道だということもわかっておろう。
  担当医の君自身が、その点は一番よく知っているだろう?
  女の子のほうのQ.O.L.のという観点から見ても、むしろ最適の選択だ。
  患者を救うためだと思って、この症例のダーティーな部分には、敢えて
  目をつむって欲しい。
  もちろん、この件で君の経歴に傷がつくことはない。」

 バン!

  思わず河田は、思いっきり机に書類を叩き付けていた。
 彼は本当に怒っていた。
 経歴など、まだ若い河田にはどうでもいい事に思えたし、だからこそ
 この手の論法は彼の最も毛嫌いする説得法であった。

 「そのために健常人を殺害するわけですよ!死刑の確定した人間とはいえ、
  このような事例は前代未聞です!将来に禍根が残りますよ!」

 「そうだ。確かにそうだ。これは健常人の殺害行為といわれれば
  まさにその通りだ。この移植が公になれば、将来に禍根を残す事に
  なるだろう。だが、今回、我々の後ろにはネルフがついている。
  他の省庁も、全力で事態を隠蔽してくれることを確約している。
  さっき説明した通り、少女を脳死患者として外来に搬送する手筈も整っている。
  細心の注意を払えば、隠し通せる!
  だから、あの少年少女の為にも、どうか主治医としての勤めを続けて欲しい」

 「樫村先生!」

  堂々巡りの話し合いは、これで二周目を終えて、再び振り出しに戻った。
 いったん途絶えた会話を埋めるように、卓上置き時計のカツカツという
 神経質な音が室内に響き割っている。


  数秒経って、もう一度教授が再び口を開いた。
 今度は半ば諦めたような、半ば懇願するような口調で、同じ内容を繰り返す。

 「君の言いたいことは痛いほどわかっている。だが、どうしようもないだろう!
  先にも言ったが、我々は上から強い圧力をかけられている。
 「繰り返すが、私達にノーはないのだ!
  たとえ、それがどれほど倫理を無視したものであってもな。
  ああ、確かにこの忌まわしい移植が外部に漏れれば、90年の歴史を誇る
  この医局もおしまいさ。
  だが、やるしかないのだよ。
  手術を担当する、第一外科の先生方も、そこの所は諦めていらっしゃる。
  いい加減、君も諦めてくれたまえ。」

 「‥‥」

 「繰り返すが、我々にノーは無いんだ。
  そして、実行せざるを得ない以上、やはり君に最も重要な役割を担当して
  貰いたい。第一外科の先生方には話をつけてある。
  君にしかできない、君になら出来るope.のサポートだ。
  いつもと変わらず、しっかりやって欲しい。」

  教授の一存ではこの件はどうにもならない、その事は河田にもわかる。
 だからといって、それを唯々諾々と受けとめることは、彼にはなかなか
 難しかった。

  ややあって、河田が返答した。

 「私は、自分の最善は尽くしますし、教授の方針には反対しません。
  ですが、納得しかねる部分は依然として残っている事は、
  覚えておいて下さい。」

 「河田先生の言わんとしているニュアンスは、私も理解しているつもりだよ」

 「では、失礼します、先生。」

  話の最後、受諾する際の河田の口調は、非礼なまでに無機的なものだった。
 それは、樫村にとって腹立たしいというよりは悲しいことだったが、
 しかし、教授というポストには必ずついてまわる辛さゆえ、我慢できる
 範疇のものでもあった。

  若い医師が退出した後、教授室には樫村だけが残された。

  苦々しく彼は回想する。
 二十年前の自分だったら、どうしていただろうか?
 やはり、河田Dr.と同じような剣幕で談判にやってきただろう、と。
 少し先を見ることが出来る者なら、この移植が明らかになった時、
 将来の医学界にどのような悪影響を及ぼすか、容易に想像できる。

 “河田は間違ってはいない。”

 “子供達の命を救いたいのは解るが、倫理を犯し、隠蔽工作を行うのは
  どう考えてもおかしな事だ。”

 “もし間違っているとするなら、それはやはり、私達だ‥‥。”

  これらの認識がもたらす呵責の念からは、いかに老練な樫村といえども
 逃れることは難しい。彼のもまた、医師として当然の倫理観と、厳しい現実の
 狭間で苦悩を続ける当事者の一人であった。






 【作者のひとこと】
 以上、おそまつさまでした。(^^;

 2004年注:あるならあるで困るパートで、無いなら無いで困るパート。
 1997年7月の俺は、なんでこんな厄介な構成にしたんだ!?と
 とことん問いつめてやりたい。



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