第8話:save your life



 目を醒ますと、私は病院のベッドに寝ていた。

 いつの間にか点滴を受けていることに気づいた。
 いったい何の為なのか、私にはわからないけど。


 「おはよう、レイ君」
 「おはよう、レイ」

 冬月さんと伊吹さんがすぐ脇の椅子に座っている。


 「おはようございます」


 私の寝ているベッドのすぐ側の窓からは、朝靄のかかった第二新東京の街並みが
 見える。

 朝の白い光がまだ目に眩しい。


 「今、何時ですか?」
 「9時だ。もうすぐ、担当の河田先生がいらっしゃる。それからだ。」
 「はい」
 「何か、誰かに伝えたい事、残っていない?」
 「いえ、もう、いいです。」
 「本当に、これで良かったんだね」


 私はこれで本当に良かったのだろうか?

 少し怪しいけど、“私は、これで満足です”と答えていた。


 ちょっと経って、担当の河田先生がやって来た。

 「おはようございます、綾波さん。」
 「おはようございます、先生。」

 「では、いいですか」
 「はい」

 私は隣の狭い控え室に一人で入り、先生に渡された水色のパジャマのような
 服に着替えはじめる。

 床に脱ぎ捨てられた、いつもの制服。
 どうしてかは分からないけど、私はそれを綺麗にたたみたくなった。

 あんまり上手じゃないけど、それらをたたみ、パジャマが入っていた
 ビニール袋にしまって、私は冬月さんや伊吹さんの待つ部屋に戻った。

 いつの間にか、部屋には機械だらけの移動式ベッドが運び込まれていた。
 冬月さんと伊吹さん、それからさっきのお医者さん、そのほかに三人の
 看護師さんが来ていた。


 「では、まずはこのベッドに横になって。」
 お医者さんがそう言った。

 私はいわれるままにベッドに体を横たえた。

 ベッドの周りには今、冬月さんと伊吹さん、それからお医者さんの三人がいる。

 「これから麻酔を使います。もし、最後に何か言いたいこと、伝えたいことが
  あったら、おっしゃって下さい。」

 「いえ、特にありません」

 「……そうですか、分かりました。」

 お医者さんは、傍らにあるトレーから大きな注射器のようなものを取り出し、
 私に“うつ伏せになって下さい”と言った。

 私は、言われるままにうつ伏せになって、パジャマをまくりあげた。
 そして、背中にやってくる痛みに備えて、目をつぶった。


 痛みはいつになっても来なかった。
 不思議に思い、目を開けて周りを見てみる。


 冬月さんが心配そうな顔で私を見ていた。
 お医者さんも、看護師の人達も。
 伊吹さんはハンカチで目を押さえて泣いていた。


「どうしたんですか?」
 口に出してみて、気づいた。

 私は、震えていたのだ。
 やがて、歯もカチカチとなりだした。

 誰も私をじっと見つめたまま、一言も喋ろうとしなかった。



『ねえ、どうして?
 もう決めたんでしょ?
 碇君の中で生きるんでしょ?
 大好きな碇君に残った命をあげるんでしょ?
 もう諦めなさい!

『ううん、本当は死にたくないの。
 やっぱり死んでしまうのが恐いの。
 碇くんの中から消えてしまうから、
 みんなの中から消えてしまうから。

『何言ってるの?
 あなたには何もないじゃない。
 誰もあなたを知らないじゃない。
 そう、あなたには、何も、ないじゃない。

『そんなことはない!
 私には心があるわ!
 今は誰も私を知らないかもしれないけど、これから知ってもらえるわ。
 碇くん、それからその周りの人達、
 冬月さんに伊吹さん‥みんな、これからなの。

「死ぬのは、イヤ」

 何をつぶやいているの、私?

「死ぬのは、イヤ」

 もう後戻り出来ないわ。
 周りの人を困らせてはいけないわ。

「死ぬのは、イヤ!!」

 大きな声で叫んでしまってから、私は我に返った。

 冬月さんはうなだれていた。
 伊吹さんが凄い勢いで泣いている。
 まわりの看護婦やお医者さんも俯いたまま黙っている。


「ごめんなさい、ごめんなさい。 続けて下さい」

 誰ひとり、動こうともしない。

 そうしているうちに、また体が震えてきた。
 もう心が、壊れそう。

「お願いします、始めてください。」
 やっぱり声は震えていた。

 伊吹さんの激しい嗚咽だけが聞こえてくる。


 だめ!もう我慢できない!

「もう始めて!!私、はやく楽になりたい!!!!」
「はやく楽にして!!」
「もうこんなつらいのは嫌!もう嫌!!」


「先生!」
 誰かの叫び声をきっかけに、景色は再び動き出した。

 あわただしく指示を出すお医者さん。
 私は二人の看護婦さんにしっかり体を押さえられ、背中に注射の針を
 突き立てられた。

 涙があふれだしたのは激しい背中の痛みのせいなのかしら。

 止まらない涙のせいで、世界が歪んで見えた。

 いえ、きっと薬が効いてきたのね。

 「私、もう、死ぬのね。

 「ありがとう、冬月さん。

 「それから碇司令。

 「碇君。

 「好きだったの。

 「みんな。

 「一緒にいたかった

 もうだめ。口が動かない。
 考えるのもだめ。

 ああ、碇君、碇君!

 さよなら、みんな

 さよなら‥

                      to be continued



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