あなたは「オタッキー」という言葉が存在していたことをご存じだろうか。この、かつてはそれなりに使われていた言葉を、今、どれぐらいの人が覚えているだろうか。この「オタッキー」、1990年の流行語大賞に選ばれるぐらいには流行していたようだが、今では耳にすることも稀だ。このテキストでは、「オタッキー」の現在のネット上での生き残り状況を確認したうえで、「オタク」「おたく」「ヲタク」といった言葉の使用頻度とニュアンスの経時的変化を、私自身の個人的経験を交えながら振り返ってみたいと思う。



 【おたく、オタッキーという言葉の出自】

 おたく・オタッキー・おたく族、などなどの言葉の出所を辿っていくと、どうしても1980年代という時代に辿り着かざるをえない。1980年代というと、(東浩紀さんの分類で言う)おたく第一世代が活躍し、今日のオタクカルチャーの土台部分が創られた時代だ。「新人類」vs「おたく」といった文化圏間の対立を孕みつつも、そして宮崎勤死刑囚による事件に関連したおたくバッシングを背景にしつつも、現代のオタクコンテンツの造りの原型が、比較的少数の「おたく」達によって開拓された時代といえる。

 このうち「おたく」という言葉の起源については、コラムニスト中森昭夫が『漫画ブリッコ』のなかでアニメ・漫画愛好家達を揶揄する言葉として紹介したのが始まりとされている。当初は広範囲で使われる言葉ではなかったが、宮崎勤による幼児連続誘拐殺人事件のメディア報道を通して全国に普及したとされる※1。この「おたく」という言葉は、90年代後半以降、次第にカタカナ表記の「オタク」へと置き換えられていったわけだが、ひらがな表記は現在でも少なからず使われているし、カタカナ表記の場合であっても、音読する際の発音は同じ「おたく」のままである。
 
 一方、「オタッキー」という言葉のほうは、「おたく」とは少し異なったニュアンスを込めて登場したようだ。日本俗語辞典によれば、「オタッキー」という言葉は1989年にみうらじゅんが提唱した言葉で、当初は、“オタクのなかでもDCブランドを選ぶようなファッショナブルな人物”“明るい人物”というニュアンスだったのだという。1990年には流行語にも選ばれた。「おたく」という言葉が否定的なニュアンスを帯びている状況下において、むしろ肯定的なニュアンスをもった例外的存在、という意味合いで「オタッキー」という言葉が登場したというのは興味深い。



【各単語の、2008年現在の使用状況】
 
 では、「おたく」「オタク」「オタッキー」という言葉の使用状況は、今現在どうなっているのか?これを確かめるべく、大手ポータルサイトの検索にどれぐらいの数が引っかかっているのかを比較してみた。調査の対象には、「おたく」「オタッキー」「オタク」そして「ヲタク」を選択した。

 その結果を一覧表にしたのが、以下のものである。



GoogleYahoo!MSN
おたく56300009600000700000
オタッキー23100058700030500
オタク21000000399000001100000
ヲタク51000007390000114000
(2008年9月21日に調査)

 このように、インターネット上においてはカタカナ表記の「オタク」が圧倒的に普及していることが確認出来た。かつてオタクを指し示す際の正式な記法と看做されていた、ひらがな表記の「おたく」は、既にカタカナ表記の1/2〜1/4の頻度しか占めていない。とはいえ、まだまだ死語というほどではない。だが、かつては流行語にまでなっていた「オタッキー」のほうは、見る影も無いほど使われなくなっている
 
 使用頻度という観点からみる限り、「オタク」が優勢で「おたく」がそれに続き、「オタッキー」は殆ど死語になっている、というのが2008年現在の状況と考えて差し支えなさそうだ。。




 【田舎出身の一人のオタクからみた、個々の単語のニュアンス・頻度の経時的変化】

 続いて、これらの単語が実際にどのように用いられてきたのかを、田舎育ちの1970年代生まれのオタクの一人として振り返ってみたいと思う。ただし、あくまで田舎住まいの一人のオタクによる経験であって、首都圏で同時代にオタクをやっていた人達のものとはかなり異なっているであろうことは断っておく。
 
 
 ・ひらがな表記の「おたく」

 私がひらがな表記の「おたく」という言葉を意識するようになったのは、1988〜89年の、宮崎勤死刑囚による幼女連続誘拐殺人事件以後のことだったと記憶している。事件以前、田舎育ちでまだ十代前半だった私は、もちろん漫画『ブリッコ』のコラムには目を通していなかったし、クラスメートの口から「おたく」という言葉を聞く事も無かった。都会で「筋金入りのおたくをやっている人達」においてはこの限りではなかったのかもしれないが、田舎でアニメやゲームをただ愛好しているだけの中高生の場合は、宮崎努死刑囚事件以前に「おたく」という言葉を認知する確率はかなり少なかったのではないかと思う。
 
 ところが、宮崎勤事件の報道から半年ほど経った頃には、もう、クラスメートの女子生徒達が侮蔑の言葉として使いこなす程度には「おたく」という言葉は普及していた。アニメやゲームにしか能が無く、コミュニケーションや身だしなみを疎かにしている男子生徒や、美少女戦士セーラームーンなどを楽しみにしている男子生徒は、特にこの言葉のターゲットにされやすかった※2。テレビや雑誌に登場した「おたくバッシング」が、学校生活や日常生活のあちこちで縮小再生産され、「おたく=宮崎勤的な何か」「おたく=コミュニケーション困難で、後ろ暗いことをしている奴」という空気が非常に濃厚だった。私に限らず、この時代に思春期の前半を迎えていた世代(1970〜80年代ぐらいの世代)のオタクにおいては「自分がオタクであることを後ろめたく感じる」「オタクな自分を自嘲的な語り口で語る」傾向がとりわけ強いが、これは、「おたく=悪いもの」というイメージが最も強烈だった時代に思春期を過ごし、そのイメージを否応無く内面化せずにはいられなかったからなのかもしれない。
 
 一方で、世間的には「おたく」がバッシングされまくった時代ではあっても(あるいはだからこそ)「おたく」を続けていくうえで、コミュニケーションや人脈が大切だと実感する機会はかなり多かった。現在では、ボタン一つでインストール可能なパソコンゲームなども、当時はゲームを起動させるたびに設定変更する必要があったし、シューティングゲームやアクションゲームも今より遥かに理不尽なつくりのものがおおかった。もちろん当時は、攻略サイトやまとめサイトなんてものは無く、情報媒体としてのゲーム雑誌・攻略本の類はいちおう入手可能だったけれども、提灯記事も多かった。結局、アタリかハズレかを判断し、攻略情報を交換する最良の手段は仲間の同士や周囲のオタク同士との口コミ情報だった。宮崎勤の孤独なイメージとは裏腹に、同好の士との情報交換が無視できず、スタンドアロンな趣味没頭が今に比べて必ずしも易しくない状況のなかで「おたく」をやっていたなぁと思い返される。


 ・カタカナ表記の「オタク」

 では、カタカナ表記の「オタク」はどうか。私が見知っている範囲では、カタカナ表記の「オタク」を高頻度でみかけるようになったのは90年代後半以降だったと思う。とはいえ、20世紀の間はまだ、ひらがな表記の「おたく」もかなりの頻度で用いられていた気がするし、平仮名表記のほうがフォーマルな形式だと意識している人も結構いたと思う。しかし21世紀に入ると、ひらがながフォーマルという意識を持った人もいよいよ少なくなり、テレビや新聞でも、カタカナ表記の「オタク」優勢になってきたと思う。

 表記がひらがな表記の「おたく」からカタカナ表記の「オタク」へと移行するのと時期的に重なる形で、オタクを取り囲む環境は大きく様変わりした。windowsやインターネットが普及し、まとめサイトや2ちゃんねるに依存可能な状況下で「オタク」をやっている限りは、オタク的な人脈も嗅覚も、もはや必須事項ではなくなった。特にAmazon.comをはじめとするネット販売網が整備されて以降は、PCの前でスタンドアロンな活動に終始するだけで、ありとあらゆるコンテンツを、ほぼ最大効率で入手できるようになった。また、オタクバッシングが無いわけではないとはいえ、90年代前半のような猛烈なバッシングは過去のものとなり、「オタク」は今では一つの文化クラスタとしてある程度までは社会的認知まで獲得するに至っている。

 こうした背景があるためか、かつての「おたく」という言葉と現在の「オタク」という言葉の間には、若干のニュアンスの違いがあるように見受けられる。こちらの記事や『オタクはすでに死んでいる(岡田斗司夫、新潮社、2008)』に示されているように、カタカナ「オタク」にはオタク文化の消費者というニュアンスが強い。そして、ひらがな「おたく」時代にあったような、文化領域の開拓者としてのニュアンス・技能集団としてのニュアンスは殆ど含まれていない。尤も、大人向けのアニメやゲームが、一部少数の「おたく」の占有物から、ポピュラーな消費文化となった事を考えれば、こうしたニュアンスの変化は当然といえば当然なのかもしれないが。ともあれ、「オタク」という語彙は、かつての「おたく」に比べて遥かにポピュラーでライトな層もひっくるめた、アニメ・ゲーム・コミックなどの主要消費者全体を指し示すに至っている、と考えて差し支えないだろう。
 
 
 ・死語になった「オタッキー」

 そして「オタッキー」。「オタッキー」は、語彙がつくられた段階では「女の子ともコミュニケーションが出来るおたく」というポジティブな含意があったらしいが、少なくとも私は、実際にそのようなポジティブなニュアンスで使われている所をみた記憶が無い。「オタッキー」を耳にするようになった初期段階から、「オタッキー」は既に侮蔑の言葉になっていた。例えば「○○君って、オタッキーだよね」と言った場合、「○○君が女の子ともコミュニケーションが出来るおたく」というニュアンスではなく、「○○君は、オタクっぽくね?」に近いニュアンスで用いられていた。もちろん、ここでいうオタクっぽさには、悪いニュアンスを込められていた。
 
 また、「オタッキー」という言葉は、名詞よりもむしろ形容詞として用いられることが多かったと記憶している。[オタッキー=オタク的な、オタクっぽい]というわけだ。当時、アニメやゲームに造詣の深い人達だけではなく、アニメやゲームに無縁の女子大生も、形容詞として「オタッキー」という言葉を使っていたし、地元を離れた場所や初期のホームページ上でも全く同じ用法がみられていたことを思い出すにつけても、一時期は形容詞としてかなり広範囲で用いられていたと推定する。
 
 しかし、形容詞「オタッキー」は時代が進むにつれ耳にしなくなり、現在では殆ど見かけなくなった。そのかわりに見かけるようになったのは、「オタ」という言葉だ。「オタ」は便利だが捉えどころのない言葉で、肯定的なニュアンスか否定的なニュアンスは、前後の文脈に殆ど依存している(オタッキーという言葉が、それ自体が否定的なニュアンスを含んでしまっていたのとは対照的に)。また、形容詞としてだけではなく、接頭語や接尾語としても使いやすいし、感嘆詞として用いられることさえある。「おたく」が「オタク」に置換されていったより遙かに徹底した形で、「オタッキー」という言葉は、より汎用性の高い「オタ」に置き換えられていったわけで、このことから察するに、「オタッキー」という言葉が再び日の目をみることは無いだろうとも推定される。


 ・ついでに「ヲタク」「ヲタ」について考える

 ついでの機会なので、「ヲタク」についても考えてみる。この言葉が「おたく」「オタク」を打ち負かして主流の座を占めたことは一度も無い。しかし、21世紀に入ってもしつこく使われ続け、「オタッキー」の滅亡をよそに現在でも一定の頻度で目にする。

 「を」から始まる単語というのも随分イレギュラーなわけだが、まさにこのイレギュラーさが示すように、「ヲタク」という言葉は当初から屈折したニュアンスを含んでいた。「ヲタク」という表記を私がみかけるようになったのは、90年代後半以降のPC通信やインターネット上でだったが、わざわざ「ヲタク」という表現が用いられる際には、それが他者に言及する場合であれ自己言及する場合であれ、必ずと言って良いほど、オタクとしての他者・オタクである自分自身に対して屈折や屈託のニュアンスを込めているように見受けられた。「おたく」や「オタク」という単語の場合、時には肯定的なニュアンスやオタ仲間同士の連帯意識を表すこともあったけれども、こと「ヲタク」に関しては、ネガティブな用法の占める割合がダントツに多かったように思える。

 また、私の見知っている限りでは、「ヲタク」という表現を選ぶのは、殆どの場合、その人自身がオタクであるか、嫌な思いをしてオタク趣味を途中で否定した人間だったと思う。オタクである自分自身、またはかつてオタクであった自分自身に対して屈折や屈託やコンプレックスを抱いている人間が、他のオタクを近親憎悪的に侮蔑してみせる際や、自己分析してみせる際に、「ヲタク」という単語が選ぶ----少なくとも、もとからオタク趣味とは無縁の生活をしている人達が、わざわざこんな単語を選ぶということは殆どゼロに近かった。「ああことをやっちゃうのが、ヲタクなんですよね」という一文や、「私のヲとしてのサガがそうさせるんです」という一文のように、オタクというものに複雑な心境を抱いている人が、オタクというものに屈折やコンプレックスを意識せざるを得ない際に「ヲタク」という単語がわざわざ選択していたように思う。「おたく」とも「オタク」とも書かずに、わざわざ「ヲタク」という表現を選んで自己言及・オタク言及する人の心情は、推して知るべし、である。
 
 『電車男』やメイド喫茶ブームを経て、オタクというものに屈折やコンプレックスを持っている人は以前より減ってきているような気がするが、ネットを見渡している限り、まだまだ数としては少なくなさそうだ。なので、「ヲタク」という単語の需要は、もうしばらくはなくならないだろう。




【おわりに】

 以上、オタッキーという単語の死語化を中心軸に、「おたく」「オタク」「ヲタク」も含めて、オタク界隈の言葉の用法や使用頻度について回想してみた。“生きた言葉”というのは、時を経る毎に用法やニュアンスが微妙に変化していくというが、今回挙げたいずれの単語も、20世紀から21世紀にかけて着実に変化しているなぁと改めて実感した次第である。

 現在の主流となっている「オタク」という言葉も、これから先どうなっていくのか全く分からない。もしかすると、「オタッキー」のように死語になっていくのかもしれない。未来のことは誰にも分からない。だが、こうやって、過去を振り返り、現在を書き留めて未来の自分達に託すことならば出来る。オタク界隈の状況変化の参照項として・オタク文化圏の栄枯盛衰を振り返るアーカイブとして、このテキストを書き残しておくことにした。五年後・十年後、このテキストを振り返って、また色々と考えてみたいなと思う。
 






【※1全国に普及した】

 この辺りの経緯については、オタク第一世代でいらっしゃる竹熊さんの文章が詳しい。こちらを参照のこと。



 【※2この言葉のターゲットにされやすかった。】

幸い、「おたく」であることが原因で烈しい「いじめ」に発展するような事例は私の周りには無かった。けれども、いわゆる「いじり」のターゲットになって半年ほど苦労していた人ならば、みかけることがあった。このような「いじり」にあたっては、もちろん美少女アニメ趣味などが揶揄の対象になることもあったが、むしろ、「臭い」「汚い」「ボソボソと喋っている」といった、宮崎勤死刑囚から連想されるような(あるいは宅八郎のパフォーマンスから連想されるような)コミュニケーション上の諸問題に対して「おたくっぽい」という侮蔑の言葉が投げかけられるケースが多かった。もちろんこうした侮蔑の言葉としての「おたく」は、「きもい」という言葉とワンセットで使われることもしばしばだった。

 つまり、田舎育ちの私の周囲でみかけた「あいつはおたくだ」という時のニュアンスは、殆どの場合、今でいう「キモオタ」と殆ど同義だった、と言える。