・はじめに


  別に、オタク趣味が悪いと私は言いたいわけではないし、オタクと呼ばれる事が
 即ち人間のクズを意味するとも思っていない(クズも混じっているけど、それはオタク
 に限った事ではない)。さらに言えば、世の中の人達が侮蔑しようがどうしようが、
 オタクとして生きていく事がいけなかったり不正であったりする筈がない。たとい
 どれほど周囲に虐げられようと孤立しようと小馬鹿にされてオタク狩りの対象となろう
 と、他人に迷惑をかけたり刑法に触れたりしない限りは、或る個人の自由を侵す事は
 何人にも許されない、筈だ。

  公共の福祉という概念があるにはあるが、それを盾にオタク批判をする人達は
 ちょっとやりすぎだと思う。見た目がウザいから消えろという論理は、ブスやデブ→
 そんな奴死ね とか 頭の悪い奴等→みんな殺していい という論理とそう変わらない
 ような気がする。人間は酷い生き物なので案外内心そう思っている人物は沢山いる
 んじゃないかと思ってはいるが、それでも紳士淑女はそういう事を決して口にしたりは
 しないものであるし、そこそこ賢ければこのような事を言いふらしている事が自分に
 どういうメリットデメリットをもたらすか計算出来るはずである。


 前置きが長くなった。

  しかし自分自身の自由と意志のもとに、オタクと侮蔑を込めて呼ばれる状況から
 サヨナラしたいと思う人だっているのではないかと思う。そしてそういう人をターゲット
 にしたhow toが非常に存在しない事に、私は痛痒を禁じ得ない。また、私自身、
 このようなhow toを今でも希求している。

  確かにこういう分野は需要が少ないかもしれないが、(過去の私も含めた)幾ばくか
 の人間は、オタクやりながら非オタクの人からの視線に痛みを感じ、改善を願いつつ
 も打つ手が無くて困っている事だろう。或いは実際には誰とでも付き合えるように
 なったとて、内心どこかでオタクと呼ばれさげすまれた頃のコンプレックスを克服
 出来ず、オタクに妙に辛く当たったりして馬脚を顕わすリスクを背負って生きている
 事だろう。※1

  このページは、このような悩めるオタクの役に立つような情報を考察・収集・分析・
 募集する場として機能する事を目指している。そしてその一環として、管理者自身が
 考察するところの、侮蔑を込めてオタクと呼ばれうる状況を、回避する方法について
 提示してみたい。

  そんなこんなで、内容は自由意志で被差別オタクを治したいと思っている人が
 読むことを前提として書いていく事になりそうだ。治すべきだとか、治さなければなら
 ないというスタンスは好きではないし、被差別オタクである事がいけない事だとは毛頭
 思わない。何とかしたいと思っている個人だけがこの問題に取り組めばいいので
 あって、「社会全体かくあるべき・オタク全般はかくあるべき」といった全体や集団に
 対しての“should”を提示するつもりは全くない。


  私はただ、軽蔑の目を向けられる事に辛さを感じ、世間一般でいう非オタクの人達
 ともそれなりに交流を持ちたいと思っているオタクにだって、はい上がるチャンスが
 あっていいのではないかと思っているに過ぎない。もちろん、全ての人にこれが可能
 だとは思っていないが、しかし、可能な人もまだまだいるのではないかと信じたい
 ところである。

  繰り返しになるが、このサイトでは、侮蔑をこめてオタクと呼ばれる状態を脱する
 為の方法について考える。もし、あなたが軽蔑の目でオタクと言われるのがイヤ
 だったり、あるいはその事で悩んでいるなら読んでみて、内容について是非検討
 してみて欲しい。そして何か、こんな私にも得る所があるような情報やご意見などが
 あったら、こっそり教えてください。



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【※1馬脚を顕わすリスクを背負って生きている事だろう。】

  何故、オタクに辛くあたる事が自分自身がオタクである事の表明に繋がる事が
 あるのか。インターネットの中にごまんとあるオタク批判のサイトを見て回れば、
 あなたが何か気づくかもしれない。また、心理学を勉強した事のある人の中にも
 ヒントを見いだす人もいる事だろう。全てのアンチオタクがオタクであるとは言えない
 が、中にはかなりえげつなくオタク臭さを漂わせたアンチオタクサイトが存在する事は
 覚えておいたほうがいい。むろんどれだけ閲覧しても考えても気づかない人もいる
 だろうが。

  なお、私は人にものを説明する事がそれほど得意ではないから、気づかない人に
 対して上手に気づかせるだけの言葉を持ち合わせていない。