・ブロードバンド通信とデジタル地上波が共存する時代を想像してみたくなった

 2003年から、いよいよ地上波デジタル放送が開始されることになる。高い画質・複数のアングルの同時表示&放送・双方向サービスの実現などなどを謳われたこのサービスが実現すれば、既存のパソコンユーザーだけでなくもっと広い範囲の人達が双方向サービスを享受する“機会”に直面することになるだろう。果たして、ブロードバンド通信(インターネット)側がデジタル放送を飲み込む形になるのか、デジタル放送側がブロードバンド通信側を飲み込むのか?それは私には分からないし興味のないところだが、両者が棲み分け・融合・競合のドラマを繰り広げていくという事だけは間違いないと思う。どちらがどちらのシェアを獲得するのかはともかく、未来のユーザーは“今よりもネットに近い感じのテレビコンテンツ”と“デジタル地上波存在下のインターネット”に遭遇することになるのだろう。

 このテキストは、ブロードバンド通信と地上波デジタル放送が当たり前のように存在するようになった未来を予測してみようという、気まぐれなテキストである。おおよそ10年後ぐらいを念頭に書いてみようと思う。素人の荒唐無稽な妄想ですが、宜しければおつきあい下さい。(そして10年後の私がこのテキストを苦笑しながら読むのを想像するのが楽しみ)




・未来予測の前の大前提

 さぁボクと一緒に未来を想像してみよう!
 でもその前に、忘れてはならない条件づけをしておきたい。未来を予測すると言っても、歴史の世界ではアクシデントがつきもの。大地震をはじめとする突発的アクシデントに伴い、日本経済や日本社会が激変してしまう可能性はゼロとは言い切れない。もし、地上波デジタル放送に資金を投入するのが遅れるほどの“破局”があれば、未来は相当違った展開を迎えるだろう。よって、今回の未来予想はあくまで“2016年頃までは日本と日本を取り巻く情勢が比較的平穏”という条件のもとで想像してみる事にする。具体的には、以下のような感じだろうか。

・第二関東大震災が発生しない。富士山も噴火しない。
・多少の原油価格値上がりこそあれ、オイル・ショックも発生しない
・東アジア情勢・中東情勢で破滅的事態は発生しない
・大恐慌も発生しない
・よって、環境問題がじり貧ではあっても、一応世界経済はまだ回り続けている
・たいていの家庭に地上波デジタル放送が普及

 これらの条件が整っているという“ルール”で、10年程度の未来における、デジタルコンテンツを巡る予測を行っていこうと思う。なお、

・ブロードバンド通信側とデジタル地上波側のどちらが“勝つ”かはともかく、コンテンツ・サービスの相互乗り入れと交流が活発化する

 という事も、前提としておきたい。ホントにそう上手くいくのかは、実際のところまだ分からないが、それが一応上手くいくという前提で考えていきたい。



【荒唐無稽な予測1】水戸黄門の瞬間視聴率が跳ね上がる

 十分な帯域が確保され、テレビの側にデータ量を制限する機能が搭載され、しかも放送局側が許せばの話だが、大きな画面でNHKの大河ドラマを眺めながら、サッカーの中継とバラエティ番組のサムネイル放送を小さな窓で映し続ける事が出来るようになる筈。そうなったら視聴者は複数の番組を複眼的に眺め、それぞれの放送のおいしいところだけを閲覧出来るようになるだろう。こうなると、『勧善懲悪モノ』や『サッカー中継』などが典型になるだろうが、劇的な瞬間的に視聴率が跳ね上がる現象が今まで以上にはっきりする事になるだろう。視聴者は、だらだらとバラエティ番組を眺めながら、サブウィンドウにサッカー中継と時代劇を待機させる事が出来る。そしてサッカー中継と時代劇の劇的瞬間だけを、切り取って享受することが出来るようになる。音声を放送できないサムネイル放送に文字放送までつけてやれば、いっそう効果的か。

 現在でも、『水戸黄門』の視聴率は20:40頃から印籠が出されるまでがピークになっているというが、未来においてはもっと極端な形になるに違いない。『水戸黄門』『スポーツ中継』の平均視聴率がどうなるかはともかく、瞬間視聴率は今までよりも跳ね上がる可能性が高くなるんじゃないかと僕は推測している。



【荒唐無稽な予測2】欲望爆弾なCM

 それにしても、上の予測1のような状態になってしまったらテレビCMはどうなってしまうのか?もし、CMの間に(サムネイル表示中の)裏番組でちょっと面白そうなものがやっていた時、メインウィンドウはすぐに裏番組に占拠されてしまい、CMを大画面で見てもらえなくなってしまうかもしれない。ひどい場合、サムネイル表示すらCMカット機能によって消去されてしまうかもしれない。また、CM同士がぶつかり合う時間(今で言えばPM8:49分ぐらい?)においては、CM同士が“おもしろさで視聴率を奪い合うような”事態が起こるかもしれない。これではCM屋さんは商売あがったりだろう。

 それともいっそ諦めて、メインの番組とCMを同時放送してしまうか、メインの番組のなかにCMを組み込んでしまうか?例えばドラマ中で登場した衣服や飲食物をクリック注文が可能なシステムにする、という手もある。魅力的な番組はそのまま魅力的なCMを兼ねることになるか。

例:人気俳優がウイスキーを飲み干すシーンの時、画面下にワイルドターキーのバナーが表示される
例:火曜サスペンスで火事で家が焼け落ちるシーンで、東京海上火災のバナーが表示される
ふたりはプリキュアの放送中に、バンダイのバナーか、コミックとらのあなのバナーが表示される

 こうなってくると、もう何がCMで何がメイン番組か今まで以上に区別がつかない感じだが、案外そのほうがスポンサーも納得してくれるかもしれない。めざましテレビとか思いっきりテレビとかのように、現在でも番組そのものがCM化しているコンテンツは多いので、案外視聴者&スポンサーは抵抗感なくこうした現象を受け入れたりして。尤も、この方式だけでは、葬儀屋や製薬会社は“それっぽい番組”のスポンサーにしかなりにくくなってしまいそうである。まぁ誰かがそこら辺は何かいいアイデアを持ってくるかもしれないが。

 仮に上記のような広告スタイルになったとて、地上波デジタル放送、という事で現在のインターネットに比べればCMを出す業者というのは比較的限られてくるに違いない。“買え買え攻撃”に悪質広告が混じるリスクも現在のネット上よりは幾らか低くなる、と期待したい。とはいえやっぱり悪徳広告は混じってくるに違いないので、広告側と視聴者で色んな摩擦が発生するのは避けられない。それと、今までよりも視聴者が欲望を勃起させられる機会が増えるっぽいので、ますます消費熱は煽られることになるんじゃないかなぁ。ドラマの劇的シーンで登場したブランドものとかは、熱狂的に消費されるに違いないし、オタク向けのアニメグッズなども、“勢いで買わせる戦略”が今まで以上に有効になると予感する。高利貸しのCMなんか、今まで以上に非道い煽りになりそうな予感。



【荒唐無稽な予測3】オヤジも厨房も、みんなで実況2ちゃんねる

 2ちゃんねるには現在、実況板なるものがあり、テレビ地上波の全番組に関してスレッドが立ち、視聴しながら2ちゃんねらー同士でお喋りすることが出来る。このお喋りは、経験した事のある人はわかると思うが、一人でテレビを見ていても“仲間意識”“共感”を感じやすく、一人ぼっちである事を忘れることが出来る素敵ツールだったりする。もし2ちゃんねる実況に類するサービスが地上波デジタルでも実現することになった場合、テレビ画面を見つめたまま、視聴者同士でお喋りを楽しむ事が可能になるかもしれない。インターフェースや制度にも依るとは思うが、上手くすれば地上波デジタル放送で気軽にこうしたお喋りが楽しめるようになるかもしれない。10年後には、40代の男女でも2ch実況程度を操れる人はかなり増えているだろうし、もっと若い世代は一層多くなるだろう、しかも地上波デジタルのインターフェースが簡便であればあるほど、これまで2ch実況板に縁の無かった人達を巻き込みやすくなるので、これまで実況板の存在すら知らなかった人達も参加出来る可能性が生まれてくる。専門家、DQN、厨房、専業主婦、おじいちゃんおばあちゃん、などなど、現在の2ch実況板に比べて様々な背景と文化を持った人によって繰り広げられるお喋りは、どんなものになるのだろうか?もちろん様々な問題が多発するのは避けられないだろうが、地上波デジタル放送では、実況お喋りにおけるリテラシー啓蒙や、放送禁止用語対策などが行われるに違いない。ひょっとしたら、そんな危ないものは禁止するのかもしれない。しかし、2ch実況的コンテンツは、絶えずデジタル通信側から侵入の隙を窺うに違いない、そこにビジネスチャンスがある限り。

 この他、上手くすれば、おじいちゃんのボケ防止に役立つかもしれないとか、引きこもりの治療にも使えるかもしれないと想像してみるとなかなか楽しい。あるいは、地方局の放送と組み合わせれば、“まちBBSの実況板みたいなもの”を実現出来るかもしれないし、地方レベルのねるとん的企画が放送されるかもしれない。双方向的コンテンツ、というと政見放送の視聴率とかクイズ番組への参加に目がいきやすいし、そこら辺から双方向性は導入されていくのだろうが、もし“今の2ch実況より敷居の低いお喋りの場”がいつか提供された時、どんな楽しみと問題が起こるのか想像してみると楽しくなる。未知の殺伐が待っているのか?未知の感情共有が待っているのか?



【荒唐無稽な予測4】情け容赦ない情報格差の拡大

 ここまで夢いっぱいに僕の妄想をぶちまけてきたわけだが、これらのデジタルコンテンツがお茶の間に送り届けられた時の心配事も一つぐらいは書いてみる。思うに、地上波デジタル放送が普及すると、今まで以上に色んな意味で格差を拡大することになるんじゃないだろうか。2006年現在でも、情報・資本・文化・教育などさまざまな分野における格差が騒がれているけれども、地上波デジタル放送の普及は、個人個人に届けられる取捨選択の増加に直結し、その取捨選択の可否や優劣によって個人間の格差は大きくなりやすくなるんじゃないかと思う。

 どの番組を見て、どの広告を眺め、どのような情報と向き合うのかは、“まるで現在のインターネットのように”視聴者に対してごく単純に情報格差を生むだろうし、2006年のインターネットと異なり、それが全家庭に普及してしまう事になると予測される(勿論インターネットも全家庭に一応送り届けられるだろう)。ネット慣れしている者、判断力と順応性の高い者、これから機械を触っていく子ども世代は、素早くデジタル放送の複合的コンテンツを縦横無尽に泳ぎ回るに違いないだろうが、そうでない者は情報化に取り残されるか、不利益すら被るだろう。即ち、たいしたことのない商品でクリックしてみたり、詐欺広告や無駄遣いを煽る広告に引っかかってみたり、諸々のチャンスに関する情報を収集する度合いが少なかったり、という具合である。判断力の少ない人においては、(特に都会に住んでいる場合)情報の質・量ともに今まで以上に不利を強いられるのではないだろうか。以前はインターネットを利用できる者が相対的アドバンテージを得られる時代だったが、10年後にはインターネット・地上波デジタル放送の情報化の恩恵に浴せない人は、むしろ相対的ディスアドバンテージを被ると推定してしまう。単なる娯楽の選択だけならいいけれど、そうはいくまい――広告は目に飛び込んでくるし、都会生活は情報化を前提にどんどん改変されていくだろうし――。

 また、メンタルヘルス的にも、ちょっとした影響を与える可能性があるんじゃないかと僕は警戒する。国民一人あたりがテレビから獲得する情報取得量が増大すれば、脳にかかる負荷は単純に増大する。例えば、サムネイル画面が二つ増えて合計三つのテレビ画面をみれば、(視覚データは)脳に三倍の負荷をかけながらテレビをみることになる。実際は、脳の情報フィルタリング機構などできっちり三倍の情報が入ってくることはないとは思うが、そういうフィルタリング機構が壊れている病態(一部の統合失調症、一部の鬱病)の人にとっては、通常の三倍の情報は、神経を痛めるリスクファクターになるかもしれない。もちろん、疲れたら地上波デジタルテレビのウィンドウを一つにしてしまうか、いっそテレビを消してしまえば良いけれども、沢山のウィンドウを同時に見る癖をつけている人が、疲れを忘れて複眼的にテレビを見続けるうちに、知らず知らず神経を痛めつけることになるかもしれない。少なくとも疲れやすくなるのは間違いなく、鬱病にはならないにせよ、ただでさえ悲鳴をあげがちな現代人の脳にいっそうの情報負荷をかけることになるだろう



・おわりに

 以上、僕の荒唐無稽な未来予想図を書き殴ってみた。他にも“同人文化はどうなるか”とか、妄想したいことは色々あるけれど、またの機会にこっそりやることにしようと思う。

 デジタル地上波は、僕達の暮らしに色んな影響を与えるに違いない。ビジネス、文化、流行、政治…。政見放送への影響やクイズ番組への影響などがよく言われているけれども、もっと色んな変化があって、色んなコンテンツが登場して、色んな影響が出るんだと思う。僕の荒唐無稽な想像図がどこまで当たるかは分からないし、なんか全部大ハズレのような気もしなくもないけど、まぁ、当たるかどうかなんてどうでもいいのかもしれない。デジタル地上波が普及した時、苦労や嫌な事もあるに違いないけれど、面白い事や楽しい事もきっと沢山あると思う。専門家と違って、素人は気ままに未来を想像するという楽しみが許されているので、皆さんも気楽に空想しては如何でしょうか。妄想したり空想したり出来るのも、今のうちだし、将来は将来で色々と妄想出来るんだし。