【自分自身が志向する省察の方向について】
ちょこっとづつではあるが、私は色々な人の本を読んでいる。
ニーチェ、デカルト、ショーペンハウエル、サルトル、etc...。
そして、私の読書の特徴として、病跡学及び精神医学系の本も重視されている。
自身の職業的立場や、自分自身の気質、生活上の要請、能力上の要請から、
私の志向する一番大切な省察は以下のようなものとなるであろう。
・私の省察は、ある種の哲学のような観念上の完璧性や透徹性を必ずしも
重視しない。それよりも、実際上の要請や生きた人間に関して何らかの
恩恵が期待出来る実践的・実際的なものでなければならない。
・私の省察は、生物学的背景を無視しない。例えばこれまでの哲学の大半は
人間が動物である事を無視しているか、二十一世紀レベルの生物学・遺伝学を
取り込んでいないが、私はそれらが報告するところの生物学的限界を重視する。
また私の省察は、心理学的成果を無視しない。これに、認知機能に関する
研究が将来盛り込まれる可能性がある。
・私の省察は、私の気質や能力から、演繹的方法よりも帰納的方法を重視する。
また数学的能力に乏しい事や私の視野直感力の限界性からも、私の省察は
世界の偉人達や現在の哲学者達の生み出す省察に遠く及ばない出来映えと
なるだろう。ただし、演繹的方法は放棄されるものではない。なぜなら、
演繹的な方法論でなければ生まれてこない成果というものもあるからである。
・私の省察は、呼び名が何であるかにこだわらない。自身の処世術に役立ち、
世界の解読とそれに伴う応用に役に立つならば、それで良い。
・私の省察は、相当に不完全に世界を俯瞰したものとなるであろう。ゆえに
第三者にとってこの省察が価値あるもの・通読し吸収するに値するもので
ある事を保証しない。
この省察は、私の価値観・私の立場・私の生きる時代・地域・世代において
最大の効果を発揮する事を念頭に制作される。
・私の省察は、相当に不完全に世界を俯瞰したものとなるであろう。しかし
その事が私個人にとってこの省察が無価値である事を意味しない。
・それでも私の省察は、私の能力の及ぶ限り世界を俯瞰しようと欲する。
かつての賢人達の知識を吸収し尽くす事も推敲する事も能力及ばぬが、出来る
範囲でそれを行う事にこそ、省察の価値があると信ずる。
このような理由と要請から、私は私自身の考察を試みる。ただし、
この考察は年齢と経験によってバージョンアップを繰り返すものであると
推測される。
※あくまで、これは僅か一経験から導いた私の考えです。根拠に乏しい
個人の経験に過ぎない点に留意してください。