【いい歳してオタク界隈を調べることへの困難(愚痴)】(2005.05/17)


  私はこのサイトで、オタクの社会適応を中心的なテーマとしながら、(一応)人間が
 社会的状況により上手く適応するための方法論や問題点について議論を続けよう
 とあがいている。テキストの出来はともかくとして、あがき続けてはいる。しかし
 最近それが危うくなりつつあり、危機感を募らせているので愚痴っている次第だ。
 このままではオタクの研究を続けることが出来なくなるかもしれない…まだ、核心
 として触れるべき諸問題を論じてもいない段階で、私はオタクについて十分に論議
 出来なくなってしまうのではないか。何とかしなければ!だが、いったいどうすれば
 いいのか。そうこうしているうちにも、時間は刻一刻と流れていく。貴重な時間が。

  貴重で変化に富んだ私の二十代も、遂に終わってしまった。こんな私でも既に
 仕事を始めて七年経っており、生活に占める重要性は益々高まってきている。
 こういった社会人としての要請から、ゲームや趣味・オタク研究に手間暇をかける
 為の時間が根本的に足りなくなりつつあるわけだが、万が一にも今後家庭を持つ
 ような日が来れば、この傾向は決定的なものになるだろう。そもそもが、現役として
 この職業をある程度きちんと行いながら、それなりのオタク的研鑽と“オタクとしての
 差別をこうむる事の無いような”適応技術を鼎立させる事が可能なのだろうか?
 私の廻りで、このような鼎立を達成した同業者を見かけることは無い(一人、可能性
 のある人物がいたが、転勤に伴っていなくなってしまった)。いずれかが欠けた者、
 一つしか達成していない者ならごまんと見かけるのだが…。職業人として粗末な
 仕事をするわけにはいかない以上、こういったリアル世界からの侵襲は避ける事の
 出来ない試練であり、私はこういう状況に負けずにオタクであり続け、オタクを
 看つづけなければならないわけである――もし、自分でも納得のいくのオタ研究を
 続けたいならば。果たしてそれが可能なのだろうか?

  仕事のみならず、私はオタクワールドと非オタクワールドの棲み分けを行わ
 なければならないという課題を抱えている。つまり、オタク趣味とは全く無縁の
 人達ともオタク達ともある程度のコミュニケーションをとっている状態を維持しな
 ければならない状況にある。なぜなら、どちらか一方だけからオタク研究をやっても、
 偏りが生まれるのではないかという懸念を常に持っているからである。確かに、
 精神医学・心理学の観点から(良きにつけ悪しきにつけ)専門的な議論を行うことも
 オタク・非オタクどちらか片方から批判的な(或いは的はずれな)議論を行うのも
 魅力的ではある――それぞれの立場や能力に特化した議論が可能だという事は、
 それはそれで面白く、生産的だという事は認めたい。が、そんな研究・検討は既に
 優れたものがあちこちに散在しているわけで、改めてわざわざ書くこともない。
 例えば斉藤環Dr.やや東浩紀の書籍をリファレンスしたり、ネット上の優れた意見を
 眺めて回るだけでも、それぞれの視点に特化した様々な立場を眺めてまわる事が
 出来るのだから。それら様々な立場の中間地点から、それぞれの考えを出来る
 限り採り入れられるように努力してみるという、大それたことを私が理想に据えて
 いる以上、いずれの世界ともある程度の接点を持ち続けなければなるまい。
 なんせ、どれもある程度づつ知っておかないと、他の視点の問題点や粗に
 気づかずに論を進めてしまうリスクが高まってしまう事は避けられない。本当は
 どれか一方に特化したほうが日常生活は楽になるに違いない。だが、今の
 私が理想とする立場がちゃんと保てるのかは甚だ疑問である。

  だからと言って、オタク領域と非オタク領域をウロウロしていればそれで良いかと
 言えばそんな事もない。どちらもあまりに中途半端では、一体何をやっているのか
 分からない事になってしまう。それこそ、どっちの領域もさっぱり分からない人が
 不満をぶちまけるような事をしてしまうようでは、中間的な立ち位置を志向している
 メリットが全くなくなってしまう。例えば私の場合、オタク分野においては、シュー
 ティングゲームを主柱に据えた最低限のオタクとして、さらに非オタク分野に
 おいても、様々な人種との接触と交流が可能な最低限の水準を維持しなければ
 いわば“どっちも何も分からない人”という烙印を押されてしまう事になるだろう
 (し、そんな奴はそういう烙印を押されてしまうべきである。いや、既に俺危ない!)
 このサイトでオタク関連テキストをまとめていくなら、やはり、どちらの領域に
 おいても最低限の造詣が私には求められ続ける筈だ。半端者として中途半端な
 立ち位置から議論を行うんであっても、出来る限りオタク/非オタク領域について
 知識と経験を集積させていく事が、議論を議論として続けていくうえでの最低限の
 (知の集積、という試みに対する)誠意なのではないかと個人的には考えている。
 私はあまり頭も体も強いほうではない。仕事を行いながらも、両方の領域で或る
 程度の研鑽を重ねていく事が果たして可能なのなのか?能力豊かな諸氏において
 はともかく、私には荷が勝ちすぎるのではないか?自信が揺らぎつつある今日
 この頃である。限られた時間で最高の効率で学習・マスターしたとて、どれぐらい
 各専門オタク諸氏やオタク分野を知らない人達にcatch upできるのか...。

  さらに、私の住む地域はオタク領域としても非オタク領域としても辺境であり、
 首都圏や関西といった中央に比べると後進的で、知識や経験の集積にコストを
 要するというハンディを背負っている。特にオタク分野におけるオタクコンテンツ
 の取捨選択は、近所に至適なお店・地域が無いという田舎のハンディをモロに受けて
 しまい、なかなかオタクコンテンツを手にとってみる機会が無い。2chのレビューや
 Amazonだけじゃ駄目なのだ!やはり、手にとって確かめてみなければどうも実感が
 沸かない。店に行って、パッケージを手に取ってみるか否かは、やはり大きい。
 埼玉や東京、名古屋や関西に住んでいれば“そういうお店”が比較的あちこちに
 存在するし、最悪、秋葉原・日本橋・大須に出てしまえばそれでオーケーだ。
 しかし、いかんせん田舎には“そういうお店”があまりにも少なすぎる。うちの
 県なんて、70km離れた街まで行かなければ、オタショップのひとつも無い有様だ。
 もちろんこういった問題はオタク分野に限ったものではなく、非オタク分野において
 も当てはまる。地方と中央の間には、ファッションにしても趣味にしても交際の形式
 にしても、幾らかの違いがあるような気がしてならないのだ。単に服屋さんが多いか
 少ないかといった問題ではない何かを、感じ取らずにはいられないのだ。
 田舎は自然に恵まれていて、都会よりは暮らしやすいは暮らしやすいが、オタク/
 非オタク分野の文化や風俗を観察するにはあまり適していないっぽい。特に、
 優れたオタク症例の抽出や、オタク仲間をゲットするには決定的に不向きだ。
 私にとって掛け替えのないオタク仲間達は、実際、その過半が首都圏に集中して
 いる。もし彼らが近所にいるならば、オタク研究も大幅にしやすくなるのだろうが…。
 このような地理的要因も、私のこの研究の足を引っ張っているように思える。
 この観点だけからみれば、首都圏のオタク研究家達がちょっと羨ましい。

  このほか、加齢に伴う脳の硬化やヒーローヒロインに憧れる心理の後退など、
 様々な要素が私のオタク研究を阻害する因子として想定されるだろう。ともあれ、
 こんなテキストを愚痴愚痴書いている暇があったら、何でもいいから自分の研究を
 助けることをやるってもんなのだろう。様々な分野をウロウロしてまわるなら、
 寸暇を惜しんであれもこれも経験するに越したことはない。一時間あれば、一時間
 で出来ることがある。二時間あれば、二時間で出来ることがある。限られた時間の
 なかで、出来ることをやるってのが今の私に出来る精一杯なのだろうから、ならば
 とにかくベストを尽くすしかあるまい。

  …さて、東方シリーズでも探しに行くか…


  →一つ前のページにもどる