【適切なテレビの虫 ほか】(2004.09/24)



 ・適切なテレビの虫

  まず、テレビをつけましょう。
  そしてただ眺めましょう。
  テレビで放送された通りに考えましょう。
  テレビで放送された通りに怒ったり笑ったり泣いたりしましょう。
  音楽が流れた時は、音楽の調子を的確にキャッチしましょう。
  視覚情報だけでなく、聴覚情報も大切にするのが良いテレビ視聴者です。

  民放のゴールデンアワーのバラエティ番組などは、練習として好適です。
  例えば涙を流さなければならない場面では、必ずそれっぽい音楽が
  流れる筈です。ここぞとばかり思いっきり涙腺をゆるめるべきです。
  笑い声が聞こえてきたら、一緒に笑いましょう。
  そこは、可笑しい所です。笑うべきです。声をあげて笑いましょう。
  真剣で深刻な議論は、正座してご覧になるのを奨めます。
  コメンテーターの真剣な口調に、あなたも真摯に耳を傾けましょう。
  もちろん、彼らの意見や批判を、己のものに出来れば合格です。
  それと、健康食品や健康の秘訣は高齢化社会に必須と言えるでしょう。
  健康についての情報が手に入ったら、大急ぎでスーパーに行きましょう。
  同じように情報を手に入れた、他のライバル主婦達に負けてはいけません。
  もちろん、健康食品や健康の秘訣についてはテレビが新しい情報を次々に
  伝えてくれますから、あなたはそれに乗り遅れてはいけません。
  一週間前や二週間前の健康食品はもう古い。
  古い方法はうち捨てて、最新の健康情報に注目すべきです。

  テレビで放送されている流行は、みんなが共有するものです。
  要チェック!と言われたものは、お金と時間が許す限り追い求めましょう。
  最新の流行を求めるのは、みんなやってる当たり前の事です。
  テレビや雑誌が伝える現代ムーブメントを、的確に吸収すべきです。
  お金が足りないとか時間が足りないとかいうのは言い訳に過ぎません。
  へこたれては駄目です。
  テレビはみんな見ていますし、みんなテレビの通りに考えているんですから、
  あなた一人がそこからはみ出すと仲間はずれになってしまいます。
  みんなと同じように考える為にも、適切なテレビ視聴トレーニングが必要です。
  毎日数時間はテレビや雑誌に目を通して、スピードの速さに慣れましょう。

  そうそう、テレビで放送されている以上の事は考えるのはNGです。
  批判精神、懐疑主義、皮肉――いけません、いけません。
  疑ったり距離をとったりするよりも、出来るだけメディアに密着して、
  より善く利用することをお奨めします。知識人の意見、国民の大多数の
  意見がテレビには反映されていますから、あなたが批判したところで
  かないっこありませんよ。
  もしテレビが間違っていると感じた時も、テレビが間違っていることは
  まずありません。殆どの場合、あなたが間違っているに過ぎないのです。
  真実に近いのは、あなたよりもテレビだという事を頭にたたき込んで下さい。
  民放各社や各メディアも、モラルには万全を期して適切な放送を心がけて
  いますから、安心です。テレビや雑誌に対する批判や疑いは意味が無いことを
  肝に銘じておきましょう。

  もし、適切な番組と適切なお付き合いが出来れば、心が豊かで適切な知識と
  教養を身につけた、正しい現代人になることがきっと出来るはずです。
  時代に乗り遅れないように、正しいテレビとの付き合い方を身につけましょう。
  さらに、インターネッツについての適切な利用法を身につければ、盤石の
  体勢が整ったといえるでしょう。新しいメディアの新しい適切な利用法を
  マスターすることで、あなたも情報化社会の最先端をゆくことができます。
  隣の席の女の子に時代遅れと言われないためにも、新しい情報化の波に
  適切に対処することをお奨めします。


  『適切なテレビの虫』――以上(2004.09/23)




 ・マスメディアはそれ単体では決して個人を啓蒙しない。マスメディア以外の
 プラスアルファ(実際のコミュニケーションでも、修養でも、成書研究でも)の
 要素を加えなければ、ただ右の耳から左の耳に全ては通り過ぎていってしまう。

 ・マスメディアは大衆を根本から変えたりはしない。もちろん、大波小波を
 送り込むことで大衆の表面的な姿を塗り替えることは出来る。それを変化と
 呼びたいのならば、確かにマスメディアは大衆を変化させると言うことは出来る。

 ・大衆の本質が、中世や近代に比べて現代のほうが「進化を遂げた」だって?
  大衆を取り囲む環境が「君の言うところの進化を遂げた」んじゃなくて?

 ・大衆の本質は、もしかすると進化生物学的な知見や文化人類学的な知見を
  一ミリグラムも越えないものなのではないか?と思うことがある。
  文化や文明、宗教や科学の薄皮の向こう側に、我々はいったい何を視るのか。

 ・マスメディアについて最も豊富に(必ずしも、真剣に、ではない)考察している
 人々や、実際にマスメディアに深く関わっている人達の間では、啓蒙などという
 言葉は既に死語になっているように見受けられる。勿論、彼らはそんなそぶりを
 滅多に見せたがらない。ごく稀に見せる時も、えらく気取ったポーズをとった
 うえで「啓蒙の存在しない時代だね」と語るのだから、たまらない。

 ・【友人P氏からの助言】
 あまりマスメディアの悪口をおおっぴらに触れ回らないほうがいいよ。
 マスメディアはみんな信じている教会みたいなものだからね。
 信仰を深いレベルで理解している信徒が少ないっていう意味でも教会そっくり
 だから、偉い人に扇動された群衆に火あぶりにされちゃうよ。

 ・【友人P氏からさらに】
 そういう僕等だって、ほら、マスメディアのネックレスを首にぶら下げてるじゃないか。

 ・【友人P氏に答えて】
 ネックレスというよりも焼き印のほうがしっくり来ないか?

 ・俗悪な装いを回避し、大衆やマスメディアについてエレガントに言及するのは
  困難な作業らしい。それに成功した人間を見かけることは非常に稀である。

 ・さらに言えば、大衆やマスメディアと密接に関連のある諸分野について
  エレガントに言及するのも、やはり非常に困難な作業のように思える。

 ・尤も、何かにつけてもエレガントに言及する事自体が既に困難な作業なのだが。

 ・おっと、こう書いてはみたけれど、エレガントとは何かと問われたら俺は
  何と人々に答えるつもりなのだろう?啓蒙、道徳についても然り。

 ・テレビやラジオは、餌を見つけた蟻が分泌するホルモンのような作用を
  人々に与える。或いはミツバチの8の字ダンスのような効果を人々に与える。
  人々はそれを見ると、何かを欲しくなったり何かをやりたくなったり、特定の
  思想や概念を獲得したりする――それも、次の信号が与えられるまでだけ!

   このクリアカットな作用を地底人が見た時、もしかすると彼らはテレビや
  ラジオからホルモンなどの生理的物質が垂れ流されていると誤解するかも
  しれない。もちろんこの場合、テレビやラジオの信号を的確にキャッチしても
  作用を受けにくい個体は、出来損ないとみなされるわけである。

 ・マスメディアは人々に何かを欲しがらせることは得意だ。何かを嫌悪させる
  ことも得意だ。何かを諦めさせるのもぎりぎり出来なくはない。だが、マス
  メディアは人々に我慢させることだけはどうにも不得手のようである。


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