もくじ 

猫屋敷クロニクル 2

VIII
再度、よたろうの話に戻る。
男盛りを迎えると、よたろうは、たびたび派手な傷をつけて外から帰ってきた。負け戦と分かっていて参加する計算低さは雄猫ゆえの浅はかさか。彼は、逆立った被毛の隙間から血のにじんだ幾筋もの傷口を見せて、落ち武者同然の姿で外から駆け戻ってきた。桜色の鼻の頭から湯気を立て、おっぴろげた鼻腔からスコスコと呼吸音を漏らして、そして飼い主に執拗にまとわりついた。死闘をくぐり抜けたばかりの興奮を鎮めるために、ことさら飼い主に甘えている様子だった。血の気は多いが、あとがだらしない奴だと家中の者から笑われた。

自然治癒力に恵まれた猫だったので、家にある赤チンキや抗生物質でその時々の処置は間に合った。しかし、目の上に大きな裂傷をこさえて帰ってきた時は、さすがに近所の獣医師に担ぎ込んだ。獣医師は、傷を診終わって苦笑いした。「歯医者の猫にやられたんですわ」と飼い主が申告するところの、ずたぼろの患者が朝から三匹ほど続けて来院しているという。
私は、デコに大きな絆創膏を貼り付けて、しょげかえっているよたろうを抱き上げ、赤くなったり青くなったりした。

IX 
かくして、猫との縁が切れぬ限り、獣医さんとの縁も切れるわけはなく、幾たびかは、危うい、はかない命を瀬戸際で救っていただいた。
けれども、時には、このような昔の出来事も思い出さずにいられない。

幼いよたろうを家の前の側溝で見つけたとき、姉か妹か、雌の子猫が一緒に鳴いていた。二匹とも溝から引っ張り上げて連れ帰ったが、雌の仔猫の毛並みは無秩序な模様とも言えない模様を描いており、混沌とした図柄は、全身くまなく顔面まで覆っていたので、この猫が本来どのような目鼻立ちなのか想像が難しかった。とりあえず「お岩」と名付けて育てることにした。

お岩は一年ほど、よたろうとじゃれ合って暮らし、成猫になる直前に避妊手術を受けた。前日に少し観察していれば、彼女の健康状態について何か気づくところがあったかもしれない。家に戻り、麻酔が覚めて歩けるようになると、お岩は床に黄色い胃液を吐いた。再び、お岩を抱いて獣医を訪れた。
獣医師は診療室に大きなテレビを備え付けて、診療中も、ときどき番組に注意を奪われていた。私がお岩の症状を説明するのを終わりまで聞かずに、獣医はお岩に虫下しのクスリを与えた。猫の口をこじ開ける奇妙な道具を使って、大きな錠剤をお岩の食道に押し込んだ。昨日開腹手術をしたばかりの猫に、殺虫薬を飲ませることに不安を感じたが、口に出せずに見ていた。私は、腹に包帯を巻いたままの、生気のないお岩を家に連れ帰った。
その数時間後、お岩は家の中から姿を消した。慌てて探しに飛び出したが、猫の行方は漠然として見つけようがなかった。

彼女は、半日後、日が暮れてから自力で戻ってきた。私が二階の部屋にいると、がたがたと物音を立てて庇づたいに2階の窓に飛び上がってきた。
我が家で暮らした代々の猫たちは、皆そうやって私の部屋の窓を普段の出入り口に使っていた。しかし庇づたいとはいいながら、地面から数メートルを垂直に駆け上がることは、弱ったお岩の体力では辛かったことだろう。
慌ててガラス戸を開けて抱き寄せると、体温の下がり方が尋常でなかった。お岩はその日の深夜、死んでしまった。さすがに凹んだ。
後で思えば、お岩の病気は伝染性の腸炎だったと思う。手術にしろ、虫下しの錠剤にしろ、不注意でほんとうに酷いことをしてしまった。

この日を境に、私は猫という猫に頭が上がらなくなってしまった。


ながら族の獣医師のところへは、それ以来行くことをやめたが、折良く、近所に新しい犬猫病院が開院した。そこの獣医師は篤実で、よたろうを始め、実にお世話になった。

よたろうは、壮年期になって、生活習慣病を患った。当時はまだ直截に成人病と言った。栄養過多による腎臓病で、医師は低たんぱく食を指導した。しかし、よたろうは食事制限など遵守する猫ではない。カボチャやキュウリや大根は、いくら大量に食べると言っても、あくまで副食で、よたろうの生き甲斐は肉と魚である。しかし、先生によると、唐揚げなどは言語道断、市販のドライ・フード(いわゆる「かりかり」)も控えるようにとのことだった。困った顔をすると、こんな物があるから試したらどうかと、成人病の猫用に調整された缶詰のキャットフードを勧められた。一缶あたりの値段は忘れたが、相当高価だったのを覚えている。
ともかく、一つ買って帰って、よたろうの昼ご飯にした。出された物を拒んだことのないよたろうが、臭いを嗅ぐなり、前足で床を3度引っ掻いて憤然と外へ出て行った。まもなく、外出先から雀をくわえて帰ったよたろうは、手つかずのキャットフードの皿の脇でこれ見よがしに高タンパク食をばりばり噛み砕いた。脱力とともに、食事制限の無意味を悟らざるを得なかった。

X
猫と同居していると、スズメ、カエル、ヤモリ、セミなどの死骸と無縁ではいられない。気の毒な犠牲者には手を合わせ、猫の罪を詫びて手厚く葬ったが、犯人たる猫どもをどれほど叱りつけたところで、あの三角形の大きな耳朶は道義だの理非だのを受け付けないので埒があかない。猫の聞き分けを引き出す説教を編みだせたら、私は特許を取って、そこそこの財をなすだろう。
猫は、獲物を適度に弱らせ、動きを半分奪ってから家の中に持ち込み、その後、本格的にいたぶろうとする。その前に取り上げて、逃がせるものは逃がすのだが、彼らはすでに重傷を負っているので、一旦難を逃れても、その後、命を長らえる者は希だろうと思われた。人が介入することの意味に疑問を感じつつ、私は救難活動に忙しかった。

哀れ絶命した犠牲者の亡骸は、拾い集めて、裏庭の柿の木の根元を掘って埋めた。獲物を横取りされて不平を鳴らす猫を追い払いながら、スコップで土に穴をあけ、遺骸を底に横たえる。スズメやカエルの死に顔に直接土をかけるのは忍びないので、埋葬はいつも周辺で適当な落ち葉を探して彼らの骸を覆ってから行った。

その日は、スズメの葬式だった。穴を掘ってから、いつものように適当な大きさの柿の葉を見繕っていた。ガードが甘くなったほんのわずかの隙に、よたろうが走り寄ってきて、こともあろうに墓穴で用を足し、その後、懸命に土かきして、穴を埋めてしまった。

XII
家の中では「あかんたれ」「ぐーたら」の烙印を押されたよたろうだったが、外では我々人の知らない別の顔があった。

その日、私は学校を昼前に終えて、日盛りの中、帰宅の道をたどっていた。緩い坂道を登り切って、消失点まで一望できる直線道路にさしかかると、無人のアスファルトの上、遙か彼方に点々があり、それが一列にならんでこちらに向かっているのが見て取れた。私は歩き続けた。互いの距離が近づくと、それが、隊列を組んで整然と行進する5〜6頭の猫であることが分かった。
猫の行列なんざ、聞くのも見るのも初めてだった。
しかも、先導しているのは、よたろうだった。

私は口を開けて立ち止まって行進を見守った。世界を、現実を、空気のように滅却して粛々と歩みを進める猫の一団は、白日夢の光景だった。
しかも、よたろうは、こともあろうに、飼い主様まで滅却して行き過ぎようとする。あまりの水くささに、私は「よたろう」と呼びかけた。呼びかけることよってこの異次元空間は亀裂を生じ、弾けて現実に回帰するかと思われたが、彼は横顔に非常に複雑な表情を七色に滲ませ、しかし脇見することなく、巡航速度を保ったまま、パレードを引率して路地を左折して姿を消した。
私の猫体験で、未だにこれを超える摩訶不思議はない。

そして夕方、よたろうは何事もなかったように、腹がへったとわめきながら帰宅した。夕飯の席で私の膝の上に陣取り、小鉢の中身を半分横取りして、満足すると浜に打ち上げられたシャチのようにのっぺりした腹を見せて寝転がる、いつも通りのよたろうだった。

XIII
よたろうの、その無防備で純白の腹が、後に円形に脱毛し、痛々しいミミズ腫れで覆われるに至った事情を説明するには、まだ数キロバイトの文字列を要する。我々は、チビくろの登場を待たねばならない。

チビくろは、我が家で育った他の多くの猫と同様に、生まれて間もなく捨て子にされ、拾われた。ただ、その捨てられ方は、他のどの猫とも異なっていた。
当時、自宅の隣は広い空き地だった。前夜から子猫の鳴き声が耳について眠れず、夜明けを待って探しに出かけた。空き地の草むらで厳重に梱包された段ボール箱を見つけ、ガムテープと荷造りひもの二重の封をほどくと、中から黒猫の赤ん坊が現れた。夜半から鳴き続けて声が塩がれていたが、抱き上げると強い力でつかみ返してきた。
たとえ捨てるにしても、サバイバルの余地を残すのが猫への情けというものだろうに、ずいぶんな不法投棄だった。
が、彼を連れ帰って数日を過ぎないうちに、前任者が何故あれほどの封印をこの猫に施したのか、おぼろげに察せられた。

XIV
チビくろは、登場直後からすさまじいやんちゃぶりを発揮した。爪と牙で対象を確保して心ゆくまで猫キック。爪をピッケル代わりに背中登攀、さらに肩口を橋頭堡に爪牙攻撃。理由なく唸り、牙をむき、周囲を恫喝する。こちらに落ち度があるなら、ご立腹もそれなりに甘受しないではないが、時に、しばしば、かなりの頻度で、なぜ、彼が怒りに駆られているのか理解に苦しんだ。満腹、満足して膝の上で熟睡する、その寝顔に触れようとしただけで、チビは、真っ赤な口を開いて、シャーと威嚇し、あらん限りの攻撃をふるった。

彼は運動能力に優れ、よたろうに伍する食欲と消化力を備えていた。見つけたとき可愛かったので「チビ」と名付けたのはかえすがえすも安直だった。わずか半年で奴の肉体は爆発的に進化し、北斗の拳に出てくる極悪人のようになってしまった。母は、精悍でどう猛で気の短いこの黒猫を真剣に恐れて、当時、関西地方を震撼させた暴力団抗争の一方の陣営の団体名をとって、彼を「イチワーカイ」と呼び、なるべく視線を合わさないようにしていた。
その彼が、唯一、心を開き、攻撃対象から除外した同胞がいた。
よたろうである。

つづく

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