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かまくら颱風 4

ヨーロッパの地理を念頭に置けば、フランスの食文化にピッツァやパスタの乗り入れがあっても怪しむに足りないが、ことフランス料理といえば、敷居とプライドの高さで他を圧し、格式と伝統をもって世界三大料理の一角を占める宮廷料理の子孫である。なぜ、鼻歌まじりでアルプスを越えてやってきた隣国の陽気なマカロニ坊やに店の出入りを許すのだ? その昔、飢えた民衆がムシロ旗を振り回し、パンをよこせと叫んでパリ市中を行進していると聞き及んだかの国の女王は、じゃぁパスタを食べればいいじゃない、とは言わなかった。パンがないとき、その替わりとなるのは、まず「お菓子」であって、決してパスタではなかったことは歴史の貴重な証言である。
ん。その前に、なんで食材切れ? もう、店のボケっぷりに突っ込みが間に合わない。

わたしたちと同様、フレンチの雰囲気に誘われて扉を叩き、胃袋も脳もフランス料理仕様に整えて入ってきた彼女たちは、当初、想定外の申し出に面食らっていたが、ひらひら君の物腰は丁重で真摯で平謝りで彼の真骨頂であり、不可解を布にくるんで小花に化かすくらいのマジックは十分に備わっていたので、彼女たちはほどなく快諾の意を表し、ひらひら君は安堵して再びわたしたちの前から姿を消した。

思いがけない展開を周辺住民であるわたしたちは無言で見守るしかなかったのだが、やがて、わたしたちの胸には、彼女たちのために用意されるというパスタに対する羨望が沸き上がってきた。何故なら、わたしたちが先ほど頂戴したカチコチのバゲットよりも、アルデンテに茹で上がったあつあつパスタのほうがはるかに魅力的ではないか。どんなソースを身にまとうのかも興味の対象である。イタリアの大らかな風土をひと皿に再現するのか、フランスならではの巧緻を極めるのか。いや、乾燥麺と思い込むのは性急であって、手打ちパスタという可能性も大いに期待できるだろう。

青雲の志に燃え立つ若き日のシェフが、腕試しのヨーロッパ行脚の地にあって、イタリアの片田舎で突然の雷雨に遭って飛び込んだ宿のタベルナで、何気に口にした一皿のラビオリに衝撃を受け、厨房でフライパンを振っていたじじいに片言のイタリア語で感激を伝えたところ、布袋のような好々爺と見えた人物は、実はナポリ公国の宮廷料理の流れをくむ老舗三つ星レストランで長年料理長を務め、共和国大統領のお抱え料理人として欧州会議の晩餐会を仕切ったこともある伝説のマエストロであり、余生を故郷の村に戻って美しい孫娘と二人、旅館の切り盛りで過ごしているところであって、じじいはじじいで、目つきばかりが鋭い東洋の若者の闖入にあきれると同時にその類い希な味覚に驚きを覚え、その刹那、もはや自分一代限りとあきらめていたラビオリのレシピを、この若造に託して寿命を全うすべしとの天啓を得て、粉の配合、具の仕込み、茹で上がりの見極め、秘伝のスパイスと魔法の隠し味に至るまで、料理人人生の全てを彼に伝授したのであった。じじいの孫娘との浅い恋とほろ苦い別れをお約束通りにこなしてイタリアを後にした若きシェフは、各地の有名ホテルやレストランに修行の場を移し名をなし腕を上げ、日本に戻り念願の独立を果たした。そして今、パンの在庫切れというまさかの事態収拾のために、あのレシピを、青春のビターテイストと共に封印していたラビオリを召還し、起死回生のホームランバッターとして晴舞台に送りださんと、壁の向こうの厨房で、今まさに粉まみれの跳梁と華麗な麺棒さばきの真っ盛りではないとは誰にも言い切れないではないか。

結論を先に言うと、そんな長いエピソードは存在しなかった。ひらひら君はその日何度目かの潜伏を経て姿を現し、ま白い大振りの平皿を彼女たちの前に降ろすと、にじりつつ後退し肩をすぼめて小さな声で、こちら、パンの替わりのパスタでございます、と持参の料理を紹介した。部屋中の注視がそのパスタを認め、と同時に総員が息を止めた。
それは、たしかにパスタというか、パスタではあったが、むしろパスタのみであって、パスタのほかに何もなく、茹で上がったスパゲッティーニが湯切りだけされて、皿の窪みに丸く寝そべり、ほかほかと湯気を立てているばかりであった。静かなどよめきが波動をなして空中を広がり、四方の壁で反射した後、複雑な干渉でわたしたちを包み込んだ。

あれはなんだ。スライムか。幻覚か。いや、よく見ろ、素うどんじゃないのか。ギャラリーは視認した物体を俄に受け入れることが出来ず動揺を抑えきれない。ざわざわした空気の中、彼女たちはおもむろにフォークを取り上げ、ブツの検証に取りかかろうと身構えたのだが、外連味なくメリハリなく、べた一面に広がる白い麺を前に、どこから手をつけていいのか戸惑っている様子である。

わたしたちは、フレンチレストラン史上まれにみる事故と遭遇してしまったといえるだろう。と同時にわたしたちが手に入れたのは、当事者としての知る権利である。この権利行使にあたり、遠慮がちに、しかし勇気ある行動を起こしたのは、わたしたちの席の友人の一人であった。友人は、遠くの席の彼女たちに声が届くよう口元に手を添え、ひそやかに、しかし一同の代表たる使命感をその抑揚に込めて質問を発した。もし、お嬢さん方、差し支えなくば、わたしたちにも知らせて頂きたい。その真白きスパゲッティに、はたして味付けはありや、なしや?

彼女らは、遠目に稲庭うどんのように見える白い麺を、フォークの先でつつき、かき分け、そこには存在しないモノを探す仕草で間を埋めながら質問をかみしめた。彼女らにしても、この場の異変を十分感知しており、というより、いきなり渦中の人にされて注目の的であり、今求められている質問への誠実な対応が、公共の利益に資すると理解するに十分な立場にあった。かつ、理不尽な体験は、個人で抱え込むより、広く世間と共有してさっさと負担の分散を図るのが精神衛生学的に正しい。彼女たちは快く証言台に立ち、包み隠さず真実をありのままに語ってくれた。ええ、あの、味付けはまったくといっていいほどされていません。ただ、ほんの少し粉チーズが掛かっているような気がします。
そう言うと、こらえきれなくなったのだろう、彼女たちはパスタをあやす手の動きを止めて、ぷぷ、と吹き出した。

その頃既に、わたしたちは一つの仮説のもと、現象の核心に迫ろうと論理の構築につとめていた。果てしない待ち時間、サービス係なのに姿を見せないひらひらくん、たまに出現したと思ったらテンパってるひらひらくん、そして、原始時代的な前菜と未開のパスタ。これらを統合して導き出されるのは、もう、これしかない。ここの厨房には、今、誰もいないんじゃないの?

わたしたちが最初、店の入り口付近で横顔を確認したヒゲの中年と彼の助手が、いかなる事情でどこに消えたかなんてのは、全くもって想像の領域外であるが、ばっくれた料理人たちの代わりに、馴れない料理を独り強いられたのは気の毒にもひらひらくんである。
そして、ひらひらくんの経験値を推し量るに、おそらく夜食にサッポロ一番塩ラーメンを茹でたことがある程度の、調理については完全なる門外漢である。サラダにおいては、おそらくひらひら君は生来の野菜嫌いでサラダなんかに関心がないのだろう、残り野菜を見よう見まねで盛り合わせ、冷蔵庫のトビラ裏で見つけた既製品のドレッシングを、適量を知らずに投入した。スープは鍋底に客数分の余りがあって幸いしたが、賄いに回すべき前日のフランスパンを客席に出して使い切り、またその不足に気づくや、慌てて隣のイタリア料理店に駆け込んでスパゲッティ数束の融通を願い出た。お隣も勢いに押されて咄嗟に要求を呑んだのであろうが、後々この出来事を思い出すにつけて、未来永劫首をひねり続けるに違いない。

そして、ロングパスタであれば、茹でたてをオリーブオイルと適量の塩、ガーリックと手近の香辛料を風味として、ひとすくいの茹で汁と共に手鍋で炙れば、シンプルながらそれなりの一品に変化するところ、そんなテクはひらひらくんの辞書に載っておらず、むしろ、プレーンなパンの代償として提供するパスタなのであるから、それは当然プレーンであることが望ましいとの発想にとらわれたひらひらくんであって、しかしながら、いざ現実にプレーン・パスタを目の当たりにすると、これをこのまま商品として客に提供するのは常識的でないと遅まきながら発見し、急遽、業務用パルメザンチーズをひとさじふりかけ、僅かなりとも世間の常識に近づけんとしたが、その成果にさっぱり納得できないままタイムアップとなり、ついにひらひらくんは忸怩たる思いとともに史上初となる下宿料理を彼女たちの前に披露してしまったのである。もう涙なしには語れない。

そして、これら推理を裏付ける事態が俄に出来した。黒い煙が厨房方面から沸き上がり、わたしたちの部屋に侵入してきたのである。

つづく

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