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夢見の猫

熊五郎は猫である。
名前は適当である。
今年の盆が明けた頃、早朝隣家の奥さんの声に呼ばれて表に出ると、門柱の陰に鼻筋の通った端整な顔立ちの子猫がうずくまっていた。額に触れようと手を伸ばすと自らすすんで身を寄せ、抱き上げると腕の中でころころと喉を鳴らした。赤いリボンが頸にかかっていたので、どこか近所で可愛がられている家猫らしいと観察された。早くおうちにお帰り、でないとお母さんが心配するよと諭して子猫を道に放し、隣人と2〜3言葉を交わして私は仕事に出かけた。
後に熊五郎を名乗る子猫は、しかし、いっこう帰路につかず、半日あまりを周辺の徘徊に費やしたらしい。見かねたお向かい宅の小学生にいったん拾われたものの、彼女の母上がアレルギーのため猫と一つ屋根の下に住むことが適わず、小さな交渉人に連れられて子猫は向こう三軒両隣を渡り歩くことになった。しかし、いずれの縁談もまとまらず、当日の宵方、子猫は当初の発見地点たる私の家に舞い戻ってきた。玄関灯の淡い光の中で再び対面する子猫は、半べそのお嬢さんに抱かれて眠りこけ、その背後には、かれら両名の後見人のごとく、三軒両隣の奥さん方が付き添っていた。子猫を抱き取ったその手に、重ねるように載せられたモンプチ2缶を受け取って、その夜、子猫は我が家の猫となった。

生家で余程大事にされのだろう。子猫は無条件で人を信じた。目が合えば喉を鳴らしてだっこをせがみ、乳を求めるそぶりに指先を貸し与えると、睡魔に引き入れられても離そうとしなかった。孤独を厭い、家の中をどこまでも人に付き従う。テレビが好きで、掃除機を恐れず、喉を潤すのに蛇口の水を好んだ。砂箱と爪研ぎ板の用途はあらかじめよく理解しており、大いにこれを活用した。
先住猫のカリカリを分け与えられ、家中の探索をくまなく済ませ安堵を得て昏睡する子猫の額を慰撫しつつ、想像されるのは彼を失った側の家族の痛手であった。彼をこのまま居着かせてよいものか、公序良俗を重んじる小市民として、しばし逡巡する必要があった。一週間悩もう。そう決めた。

悩みはたちまちのうちに挫折した。二晩子猫と共に過ごし、朝飯を食らい、茶をすすり終わると、私は積もった思惑を盆ごと運んで窓から投げ捨て、子猫の首から赤いリボンを取り外した。先住猫のお古の首輪に付け替え、熊のぬいぐるみに面差しが似ていることから「熊五郎」と安直に命名し、カゴに放り込み、財布を握って近所の獣医師のもとに担ぎ込んだ。
懇意の獣医師は、問診の途中で一度怪訝な表情を見せ、それは他家の猫ではないのですかと私と同じ危惧を口にした。しかし彼が半日以上鳴きながら近所をさまよい歩いていたという情報に気持ちばかりの誇張を加え経緯全般を説明すると、獣医師は黙って熊五郎の上唇をめくり歯茎の色つやを確かめカルテに何事かを書き込んで、そして体温計を尻に突っ込んだ。
その後ワクチン接種、タマ抜き手術と、私はたたみかけるように熊五郎への資本投下を行った。トイレを新調し、カリカリの注文を増量し、猫じゃらしを買い与え、既成事実の蓄積を急いだ。いつ熊五郎の実家が判明して親権を争う事態に至ったとしても抗弁が成り立つようにとの周到な下準備である。

熊五郎の旺盛な食欲は我が家の月間猫砂消費量をも倍増させた。好奇心の豊かなことは言うに及ばず目につく物全てが興味の対象で、満たされると四肢を満開にしてあられもない寝姿を披露した。当初緊張ぎみであった先住猫たちとの力関係も平衡状態に落ち着き、熊五郎は自己の天下を着々と築いた。折々お向かいの大恩人と三軒両隣の奥さん方の慰問を受け、そのたびに熊五郎は大歓待と愛嬌で恩義に報いた。
気になる迷い猫の張り紙は町内にみつからず、そのような風聞も届かず、しかし人の猫を掠めて育てている後ろ暗さはぬぐいきれず、三ヶ月あまりが推移した。

昨晩、夢に出てきたのは熊五郎の兄を名乗る三毛猫だった。ますむらひろしの猫のように二本足で直立歩行し、人語を解し、帽子の鍔をつまんで挨拶の仕草とした。三毛猫なのにお兄さんとは希有なことであったが、夢の中の事とて現世との整合性はあまり期待できない。私は三毛猫に招待されて未だ見ぬ熊五郎の生家を訪れることになった。それは同じ町内にあり、徒歩数分と離れていないと三毛猫は告げた。道中特に会話はなかった。見知った表通りから細い路地へ入り、数回角を曲がるとそこは板塀が続く未知の家並みで、その先の木戸をくぐるようにと三毛猫に促されて敷地内に踏み入れた。
ただ、それだけである。夢の続きはあったのかもしれないが記憶に残っていない。その家の主と挨拶を交わすこともなかった。

夢に意味があるとすれば、熊五郎の身元に関する屈託を脳が整理したがっているということだろう。お前はどこから来たのだと空しくも繰り返される問いかけに飽き飽きした無意識が、三毛猫や板塀の仮の答えを見せ、気持ちの切り替えを迫ったのだ。
本来、生家の人々が楽しむべき熊五郎との生活を、代わりに享受する後ろめたさは、熊五郎の生涯と共に消えないとしても、それもまた熊五郎と一体をなす逸話のひとつである以上、粛々と受け入れるべきなのだろう。

ねがわくば、熊五郎もまた、紋付袴に身を包んで生家の主人の夢枕に赴き、私は健在ですと報告してほしいものだ。

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