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006 最後の晩餐

アメリカ合衆国内の法の下で裁きを受けた死刑囚は、彼が拘束されている州の別にもよるが、死刑執行の直前の食事に、食べたいものをリクエストする権利を与えられているという。この制度の存在は日本でも案外知られており、実際に囚人たちが選んだメニューを調査した著作(そのタイトルは、かの有名な新約の事跡と同一である。)の出版とともに、事実というよりむしろ都市伝説のような囁かれ方で巷間に広まった。私もこの邦訳本を直接手にしたことはなく、死刑囚たちの最後の食事の風景は、そういう本があるという噂として知った。
どういう形であれ、知った以上誰しもが考える。自分ならばと。何をしでかして極刑を待つ身分に至ったのかはさておいて、自分ならば、この局面、何をもって人生最後の食事としたいか。東京ミシュラン三つ星の名店から一皿を厳選するか、デリバリーのピッツァ(あの、耳にチーズとかウィンナーとかが入ってるやつ。正直、一回食ってみたい。)を頼むか、あるいは、煎り豆腐と甘い卵焼きに回帰するか。
実をいうと私は、子供の頃に親しんだある絵本の挿絵がいまだ忘れがたく、そこに登場するケーキを一度は味わってみたいと切望している。潤沢な栄養と洗練された美味がありふれている時代にあって、なんであのケーキが、あれほど輝いて見えたのか。私と同様の感想を抱き、大人になっても同じ憧れを抱き続ける人は世界に広く分布すると想像する。
すなわち、互いの諍いに熱中するあまり、やがて身が溶け熱帯樹の下で黄色いバターに昇華した3頭のベンガルトラの物語の結末には、トラ達の悲劇性を忘却して誰も顧みないほど魅惑がある。黄金色に輝く虎のバターをたっぷり使って焼いたパンケーキ(サンボのママは、バター採取の際、トラジマの名残の黒い筋をきちんと除けてくれただろうか? あそこはトラの二番バターとして、野菜炒めにでも使っていただきたい。)は私にとって至上の美味である。そう、私の最後の晩餐には、是非にトラのバターのパンケーキを所望したいと思うのである。

さて、刑の執行者である当該州の当局は、私のたっての希望を聞き入れるだろうか。私は、薄力粉のメーカーと卵の生産者にこだわりはないが、バターは雪印でも小岩井でもエシレでもなく、あくまで純正トラバターに固執する。その原料はホルスタインの乳などではあってはならない。物語の原作に忠実に、インド産のトラでなくてはならない。私の人生を締めくくる晩餐なのであるからして、一切の妥協はない。トラがバターに変化する決定的瞬間の証拠ビデオはもちろん必要である。事ここに及んで食品偽装が許されるわけがない。

あ、さて。トラのバターのパンケーキ実現のために当局が時間を費やしている間、刑の執行は延期されよう。そして、ついに刑務所長以下三役がそろって頭を下げるときがくる。残念ながら、あなたの最後の晩餐に関する第一次希望は叶えることはできませんでした。ついては第二次希望をお聞かせ願いたいと。

なんと答えよう。
そうだ、あごまにしようか。


005 チャゲ

J-popに対する関心と造詣は、世間の平均をかなり下回る私だが、チャゲ&飛鳥が世に出てまもなくヒット曲を連発していた頃、歌番組で彼らのステージを見たことがある。飛鳥という人のパフォーマンスは、ひたすら歌唱しギターを弾くというフォークシンガーの王道スタイルだったが、その隣に立つ彼の相棒は、丸顔グラサンひげバンダナに加えて、マイクスタンドに向かう身振り手振りと、短い啖呵を切り続けるような熱唱が未だに強く印象に残っている。彼らがメディア展開に成功し、常に第一線で活躍し続けていることは、格別彼らに注目しなくても、世間というものが空気に乗せてその動向を伝えてくれた。ただ、彼らは、私なんぞが日頃好んで視聴するバラエティー番組やワイドショーで露出する機会があまりなく、その後、私は彼らについて、というよりは、チャゲについて、詳しく認知する機会に恵まれなかった。

その彼らが、ウィキの記述を借りるなら、「2009年 …中略…-1月30日、ソロ活動を充実させるべく、CHAGE and ASKAとしての活動を無期限休止にすることを正式発表した」らしい。その影響かどうか、つい最近、偶然ながらチャゲ氏のテレビ出演場面を目にすることができた。それは昨今の身辺の騒がしさや、その原因をほじくろうとした世知辛い企画ではなく、和やかな雰囲気の中、彼がインタビューに答えている様だった。あるいは、彼はトークの技術を生かして軽いリポーターの役をこなしていたのかもしれない。なにせ、あ、チャゲ、と気づいたときには、彼の出演コーナーが終わってしまっていたので曖昧にしか覚えていない。が、唯一、鮮烈に残ったイメージがあった。若かりし頃のかつての彼が、ステージ上で見せていた身振りと手振りと、連続する短い啖呵のような口調が、何も変わらず熟年の彼の中に温存されていたのだった。

で、思った。

あ。「チャゲ」って、ちゃげちゃげしてるから「チャゲ」なんだ。

そう、「チャゲ」とは、彼のニックネームや芸名である前に、彼の印象を表す擬態語だったのだ。

では、ジェロはいかがか。きっと、おばあちゃんを慕ってやまない孫息子のとても感心な様を言語音化したものなのだろう。

 


004 オバマさんの車

オバマ さんが米大統領就任式の日に乗っていた車の強度について、3つの報道番組が、てんでばらばらの基準で説明していた。

A ミサイルが直撃しても大丈夫
B 地雷を踏んでも大丈夫
C 小惑星がぶつかっても大丈夫

あ、さて。問題点はふたつ。

いったいどれが本当なんだよ。ってか、ニュースソースたるホワイトハウスの広報は、そもそも、なんつってたんだよ。そいつが日本に伝わってから、ぶれるに事欠いてなんで3つに分裂するんだよ。報道機関同士で伝言ゲームでもしたのかよ。

車内が絶対安全無事これ幸いでも、周りが地獄絵図ってビジュアルをなんとかしてよ。


付記 
物理的外圧に対するたくましさをアピールする名キャッチコピーは、かつて日本にもあった。

D ゾウが踏んでも壊れない。

いやははは。また、わけぇ奴らにわかんない話をしちゃったよ。

 


003 沈黙の厨房

ラーメンが食べたくなって駅前商店街の行きつけ宝○軒に行ったらば、扉の取っ手に「只今静かに支度中」との札がかかっている。

単に「只今支度中」であれば、ああなるほど、開店前であるらしいので、後刻出直すことにしようとの客の判断を促し、外世界に発信される情報として誠に当を得て有益であると理解できるが、はて「静かに」という状況まで世間に通知せねばならぬ店主のココロとは。

あなたが、いま、当店の門前で耳を澄ませ、内部の様子を伺っても、あたかも無人のごとく、あなたに察知できる気配は何一つないはずです。しかし、今私はこの瞬間にも、静寂と静謐のただ中にあって、粉骨砕身うまいラーメン作りに捧げているのです。いや、ほんとだってばよ。信じてよ、お客さん。

文脈にそぐわない不用な一語は、もとより不自然きわまりなく、その不自然を押してまで何故その文脈上に配されたのか、世間の興味をそそり深読みの対象となる。

店主よ、静けさと支度は相容れまい。さてはサボって静かに昼寝か。

 


002 恋文

父の遺品を整理していた時のことだ。
遺品の整理といっても、故人を偲んで粛々とといった態ではなく、新しく買い入れる仏壇の場所を確保するための大掃除である。先々週、本葬と略式の初七日を済ませたばかりだったが、母は休日のその日を指定し、自らの子とその配偶者たち及び孫ら全員に招集をかけて、さあ、片づけちまいなと夫が長年かけて積み上げたらくたを一掃すべく陣頭指揮に立ったのだった。

それを見つけたのは兄だった。本棚の奥の列にあったひび割れた皮表紙の字引に興味をひかれ、頁を繰っていたら、四つ折りの薄紙が出てきたのだ。開くと、それは崩し気味の流れる書体で綴られた恋文だった。兄は本棚の陰から周囲を窺った。母は台所でケーキを餌に沈滞気味の孫たちの労働意欲を鼓舞している。兄は、傍らで戸棚整理の担当をしていた私の尻をかかとで小突いた。兄の目配せに従って便箋の文字を追った私は1枚目を読み切ると仕分け担当の姉と兄嫁に目配せを送った。玄関先で煙草を吸っていた姉の夫も加わって、大人の事情を理解する5人の子供たちが回覧し吟味するに、昭和の日付けの褪色した青インクで記された書簡は、時候の挨拶や庭先でほころび始めた連翹の話や幼い息子の入学祝いに運動靴を送ってもらった礼などの後に、再びの逢瀬をねだっていた。

幼い息子? 運動靴? 逢瀬?

台所の母は年長の孫娘に手伝わせて紅茶の準備に忙しい。

まだ見ぬ我々の兄弟出現の可能性であろうか。
じじぃ、出てきて釈明しろと言いたいところだが、あの世に旅立った直後で引き返されるのも困る。
ととととりあえず、差出人の特定をと、数枚あった便箋の裏も表も返して名前と住所を探したが、いずれもみあたらない。ただ、最後の1枚の裏側に父の字でこんなことが書き留めてあった。
「過日古書店で買い求めた書籍に挟み込まれていたが捨てるに忍びないのでここに取り置く」

じじぃ、紛らわしいものを本棚の奥なんぞに突っ込んどくもんじゃねえ。

 


001 もう、行かない 1

去年、職場の近くに鳥鍋と和風創作料理の店ができた。「鳥鍋と和風創作料理」のキーワードで検索して、その店の名前がまったく見あたらないので、安心して以下をレポートする次第である。

その店は、以前、骨董商であった木造店舗を改装した古民家風の外観で、内装も什器備品も食器も和風の落ち着いた雰囲気で統一されている。グルメ雑誌に写真が載っていたら、まちがいなく「ええかんじ」である。開店前に配られたチラシには、○○産直地鶏、国産大豆と天然にがりの寄せ豆腐が自慢とあり、2階は小座敷で宴会や接待にも利用可であるらしい。さらに、1000円前後でランチもありとなれば、近所の住人として、一度は訪ねて手頃な高級感を味わってみるべきではないか。

日頃、うまい店探索に余念がない職場の上司が、開店当日、この店で親子丼を頼んで撃沈した。なんでも「紙が入っていた」らしい。なんと異物混入である。飲食業の失態として、これを下回るのは「毒が入っていました」くらいしかない低レベルである。しかし、事が起きたのは開店当日ではないか。従業員の緊張と混乱の中で生じた失態であれば、経験の蓄積と共に改善される余地があるのではないか。

1週間後、初期不良も落ち着いたと思われる頃をみはからって、私は店を訪れた。
案内されてテーブル席につくと古風な体裁の店の造りがなかなかに心地よい。が、注文伺いと同時に出されたグラスの水が先制パンチを繰り出した。生臭い。トリを捌いた手をすすいだ水をそのまま飲まされているわけ……ではあるまいな。さらに、注文後、ランチタイムにあるまじき数十分の放置。繁盛しているのなら10分15分の待ち時間は苦にならないが、店内に私と初老の男性客の二人きりというのがいらだちを募らせる。その紳士も私と同じく待ちぼうけを食らっているのだから、さては厨房の中ではよほど凝った料理を、とポジティブシンキングに切り替えてみたが、運ばれてきた膳を見て萎えた。「本日の小鉢です」と紹介されたのは茶碗になみなみ張られたただの豆乳、親子丼の卵とじは加熱不足で白身が透明だ。ご飯の余熱でほどよく火を通すつもりにしてもレアすぎるよな、と内心毒づきながら一口食べると、飯が冷めてて常温。

もう、行かない。

 

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