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ナマケモノの耳に論語 3

まず、白川大人曰く「學」の冠部分は、両側の破風にそれぞれ乂の字状の装飾を持つ屋根の形であり、その下に「子」があるのは、屋根の下の建物がメンズ・ハウスであることを意味するという。甲骨文、金文あたりの古代文明から由来を解き起こしているというのに、いきなり横文字? というのもさりながら、メンズ・ハウスの正体がまず知れない。よもや流行の先端的紳士服専門店やファッション雑誌の類ではあるまいなと首をひねり、探究心の端っこに種火でも灯そうものなら、それすなわち心理的油断であり、因縁に絡め取られたも同然の痛恨の事態である。踝あたりまで泥に拘束され、ずぶずぶと異世界に沈みゆく足下に気づいても、もう遅いのである。

ナマケモノの調査によると、メンズ・ハウスとは、歴史・民俗学の分野における学術用語で、「男子集会所」と言い直すと多少通りがよいかもしれない。地理の東西、歴史の新旧を問わず、部族規模の小国家で広く見られる風習で、おおむね、男子のみで構成される秘密結社がその活動を行う拠点をメンズ・ハウスというらしい。途端に息苦しくなってくるではないか、どうしてくれようこの空気を、である。そこで行われるのは、政治や宗教儀式をメインとして、社会人教育や職業訓練であったり、年頃の構成員に施す通過儀礼であったり、はたまた呪術の秘儀であったりして、それは部族の文明と経済の程度によって、広場など開放的な環境で執行される場合もあるが、しばしば彼らは奇怪な装飾を施したそれ専用の壮大な舎屋を所有し、女人の立ち入りを厳格に排除して諸々の行事を執り行ったという。そんな秘密の儀式でいったい誰を呪ったのやら、もしくは調伏の必要があったのやら。それ以前に、学校の学の字の起源が、よもや、そんな妖しい儀式の場だったとは。
というわけで、ナマケモノにとって「學」のイメージ映像は、未来永劫、暗くて重くて呪詛の音律が行き渡る、おっさん満載のメンズ・ハウスである。たまさかの探究心に駆られた果てのこの結果とは、いささか悲惨すぎやしないか。

片や「習」は、一般的な漢和辞典ではその意味を、繰り返し真似て技能を身につけることとして、その由来を、ひな鳥が繰り返し羽ばたいて飛ぶための稽古をする様と解いている。
翻って、字通においては、ここが白川大人が切り開いた学問の白眉であるらしいが、羽を取り除いた下半分の「白」の形は「曰」であり、「曰」は、従来の説のように太陽の形ではなく、物言う人の口の形でもなく、神に捧げる祝詞を納めるための器を形取ったものであるという。さらにいうなら、その器のふたを開けて中をのぞき見、詞の内容をほかに告げる意味であると看破されている。
羽は、ほかの漢和辞典の解釈と同じく、鳥の羽の形を源とするが、曰の字と合わさることで、羽で器を摺って呪いの力を呼び起こす所作を表すという。アラジンと魔法のランプみたいなものか。そういえば、ひな鳥の巣立ちの訓練をその起源とする説では、「曰」の解釈が曖昧で、むしろ触れられずに終わっていた。となると、羽の下に在るのは怪しげな文書と聖なる函であるとする説の方が腑に落ちてくる。さらに白川大人は、聖なる函もあまり過剰に撫でると神意を弄ぶことにつながり、馴れ馴れしいの意味ともなるという。「習」の字には、繰り返す、続けるとともに、手慣れる、ひいては軽んずるの意味もしばしば含まれると字通に記されており、そのくだりから、羽箒で無闇矢鱈に器の頭を撫でさすり、ついには神の不興や周囲の顰蹙を買ったお調子者の存在が窺われておかしい。
というわけで、明るく楽しく希望に満ちた未来を築く礎である「學」と「習」には、いずれも裏側に「呪」の一文字がへっぱりついて剥がしようもないと見つけたところで、ナマケモノはいささか疲労して字通を閉じたのであった。

斯くの如く、ナマケモノは寄り道ばかり繰り返し、肝心の論語を読み進める気配が一向にみられない。恩師の落胆ぶりはいかばかりか、推し量るに謝罪の言葉もないのであるが、数ある弟子の内の最もヘボなのであるからと、格別なるご寛恕をお願いする次第である。馬の耳に念仏と意味を同じくする成句に、兎に祭文、牛に経文というのがあるらしい。「ナマケモノに論語」もそのうち系列に加わるだろうか。

おしまい

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