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001 アップ・ダウンは不条理とともに  

私はそのビルの5階のエレベーターホールで下りのボタンを押して待っていました。周囲に人影は無く、エレベーター待ちをしているのは私一人でした。扉の上部に横一列に並んだ数字のランプが、10、9、8と順に点灯するのを数えながら、リフトの到着を待っていました。
やがて、ぽーんとチャイムが鳴り、扉が左右に開くと、先客は女性が一人であり、彼女は入り口脇に直立して、何故か非常に不機嫌な表情でフロアを見回します。そして私の存在に気づくと、軽くあごを引いて,眉を寄せるという謎のリアクションを示したのです。
が、謎のリアクションの原因に心当たりなく、私はとりたてて警戒心を呼び起こすこともなく、すたすたとエレベーターに乗り込みました。
ところが、女性の不興の矛先は、やはり何故か私であったのです。彼女の視線は私を捕捉して離さず、閉ざされた空間に乗員2名という気詰まりな関係に配慮してエレベータ内での適当な立ち位置を見繕う私を、口をへの字に曲げて凝視しつづけるのです。
おっといけない、と気づいた時はすでに遅く、もはやUターンして脱出するなど願うべくもないほど、女性の視線に絡め取られていました。

しかしながら、私が、いつ、いったい、どのようにして、彼女の不興を買ったのでしょうか。いえ、買う余地があったというのでしょうか。

どうしたもんかなーと思い悩む私に、女性はこのように問いかけました。
「ちょっと、ここ、何階?」
わざわざ聞くまでもなく、あなたの傍らの昇降パネルに5の数字が光っているではありませんか。
「え、5階です」
と私が答えると、彼女は次のように言って怒りの真相を明らかにしました。

「私は1階を押したのにっ」

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