■--キャプテンの所見と総括--■ ▲TOPページへ戻る
―Part1:破天荒で熱血―
暦は4月に移り、学校の春休みも明日で終わる。
朝もやの消えつつある、まだ薄暗い早朝練習の集合。
青道高校、硬式野球部のグラウンドに漂う厳粛な空気に、水を差す男の声が響いた。
よく通る甲高い、嬉々とした声が。
「あ〜〜〜!こいつ遅刻したのに、列に紛れ込もうとしてるぞ〜〜〜〜!」
今月より3年生となる結城哲也は眉間に深いシワを刻んだ。直立の姿勢で、両腕を後ろに組んだまま。
そこに居並ぶ者の誰もが、声の方向へ視線を向ける。
“・・・あの馬鹿・・・!”
この声の主を結城はよく知っている。
自身の眉間に深い縦ジワをつくらせ、“馬鹿”呼ばわりせざるを得ない出来事には、往々にして
この声の男が絡んでいる。その男とは自分の一つ下の後輩、2年生になる御幸一也だった。
そして彼の左隣りに立ち並ぶ、同じく3年生の伊佐敷純が口をとがらせ、こめかみをピクピクと
動かした様子すら見なくとも分かっていた。眉も目も、普段に増して吊り上がっていることだろう。
「あのヤロォ、あとで根性叩き直してやるぁ・・・!」
結城の言いたいことを最近では伊佐敷が、感情を込めて表情豊かに代弁してくれるので
本人はあまり声に出して後輩を叱ったことは無い。
今朝、御幸がまたしても部活の早朝練習に遅刻してきたことが明白に分かった。
それも体の不調による理由が原因ではなく、くだらないTV番組やビデオ鑑賞による夜更かしが
原因に違いないことも。
そして伊佐敷言うところの御幸の“根性”とは、“他人の失敗を暴露して自分の失敗を隠蔽(いんぺい)する”
姑息で卑怯きわまりない性分を指す。
本人曰く、自らを策士と称して全く悪びれない。
事実、御幸一也はシューズの音を立てず、どこからダッシュしてきたのか器用に部員達の列に紛れ込み、
何事も無かったかのように装っていた。
そして今、御幸の策略に見事はめられ、監督を始めとする部員たち全員の前で、哀れにもさらし者にされた
新入生部員がいた。皆の視線を一身に浴び、一歩も動けないまま石のように固まった男。
茫然自失の相貌に、たちまち恐怖の色が浮かんでくる。
監督・片岡のいわゆる“ドスの効いた声”が、その新入生の心臓をわしづかみにする。
ここ青道高校の野球部で、練習にさえ遅刻など絶対にあってはならない。
その決まり事を破った新入生と御幸には、然るべき処罰が片岡監督より下るだろう。
従えないなら、この青道野球部には在籍できない。いくら野球に熱い情熱を抱いていても。
「入部する前に、終わった・・・な」
居並ぶ3年生の誰もが、小声でつぶやく。
こうして新1年生の“初日に遅刻男”沢村栄純は、御幸にたぶらかされ最悪の形で波乱の高校野球生活を
スタートさせてしまった。
―――――――――――
「あっ!!・・・ちょっ!・・純さんっ、待っ・・・イテっ!!で〜〜〜っ!!」
「このドアホがぁー!!また遅刻しやがってコラぁー!!」
野球部の更衣室に伊佐敷の怒鳴り声と、御幸の悲鳴が響く。
若干名の笑い声も。
伊佐敷の「公開処刑」こと「電気あんまの刑」をくらわされ、苦悶の汗を流して悲鳴をあげる御幸の
そばに2年生になる倉持洋一がしゃがみこむ。
「純さん!コイツにゃスパイクはいて、やってやりましょうよ」
ヒャハハと笑い声をあげて御幸を指さした瞬間に、伊佐敷のゲンコツが脳天に見舞われた。
「お前も新入りの面倒くらい見ろやぁー!馬鹿もんがぁー!」
痛ぇ痛ぇと、御幸と倉持のうめき声が更衣室の床をはう。
それぞれ着替えを終えた部員達が、結城を囲んで輪をつくり始めた。
「純、もういいから集まれ。二人ともこっちに来い」
結城の低い、よく通る落ち着いた声が有無をいわせぬ空気をつくり出している。
今期より、この青道高校の野球部主将を任されたゆえだけではない。
元来、親の厳しい躾により礼儀・道徳・清貧をわきまえて然り。
17の歳まで一度も道を踏み外すことなく、何事にも真剣に向き合って生きている
昔の武士道精神のお手本のような男が、この結城哲也なのである。
「ったく!哲の顔にドロ塗りやがって・・・!」
結城が合戦の総大将なら、さしずめ伊佐敷は結城の懐刀だろうか。
にらみつけて、抱えていた御幸の両足を放り投げる。
悶絶の刑罰から解放された御幸も眼鏡をかけ直して、ふらふらと起き上がる。
伊佐敷の後に続き、前屈みの御幸と倉持が集合の輪に加わるとコピーした用紙が配られ始めた。
「明後日入学式を迎え、新入部員がそろったら名簿が配られるが・・・」
それまでお互いの顔と名前を覚えていこう、と部の規則や連絡事項のやり取りを簡潔に説明しながら
結城は、特に1年生たちの顔に目をむけた。
短く切り込んだ黒髪、まっすぐな太い眉に、目尻の切れ上がったするどい双眸。
しかし、その瞳に冷徹さはみじんも無く、勝負世界の情熱にあふれた、若く真っ直ぐな眼差しだった。
何事も無かったかのように、よどみなく喋る結城を前にして1年生の誰もが姿勢を伸ばしたまま
微動だに動けない。それほど新入生に緊張を強いる貫禄は、この先始まる厳しい部活動の試練を予想させた。
沢村栄純も結城の顔をじっと見つめ、こぶしを堅く握りしめて全身に力をこめた。
“やっぱ名門校のキャプテンはひと味違うぜ・・・!”
早朝練習に打ち込む同士たちの横を延々と罰のランニングに徹し、心身ともに疲労していたが
結城の熱い眼差しに魅入られて武者震いしていた。
卑劣な策で自分をはめた御幸への怒りは静まったのだが、これがかえって結城に迷惑をかける
ことになるとは、露ほども気が付かない。
―――――――――――
結城は今日の出来事を朝から順を追って思い出そうとしていた。
帰宅の途にある間、ただ一人の部員の名前を反すうする。
“―――沢村栄純、さわむらえいじゅん―――”
昨年の秋、部内見学のため一度だけ青道のグラウンドに入ってきたヤツ。
ドラフト候補に指名されていた3年生のスラッガー・東と口論になり、マウンドでいきなりの
対決を果たしたが――。そんなこともあり、青道にやってくるとは思えなかった。
練習に遅刻してランニングの処罰を与えられ、その上監督に謝罪しなかったせいで不興を買い、
能力テストの遠投で大口を叩いて挑んだ大ばくちの結果、無惨な敗北を喫した新1年生。
しかも本人の希望ポジションが「投手」であるだけに、よけい始末が悪い。
ましてやあいつは何と言っていた?
“―――エース―――!”
今の結城に声をかけられる者など、事情を知る関係者ですら一人もいるはずはない。
しかし戦力として参加した昨年の夏、「あと一歩」の無念な結果に悔し涙をのむ。
“我がチームの敗因は・・・!”
キャプテンを始めみんなで議論を繰り返すが、敗因の決定打は「投手の力不足」に終決する。
敵チームの攻撃を叩く為に不可欠な全ての要素、技量や力量、それを上回る
メンタル面の粘り強さと強靱さが、誰にも足らなかった。
エースたるに相応しい器の投手がこの数年間、青道に不在であることを知らしめる。
―――なぜなのか。
チームを背負って戦う、絶対的な信頼とカリスマ性が、なぜ青道に育たないのか。
エースの逸材、恵まれた才能をもった男は、他校の野球部の何に惹かれて導かれていくのか。
結城には答えを見いだせないまま、月日が流れた。
ついこの前、頼みの綱である我らがエース、最も経験者である技巧派にして努力家の丹波が
故障をうったえチーム全体が大きくゆらいだ。
そして新たにやって来る新入生に、否が応でも大きな期待を抱かざるを得ない。
そんな時期、まだ春休みの練習日程だが、結城にとって今日の沢村の件には失念を隠せなかった。
明日、沢村には一番に声をかけておこうと思う。
――しかし何と言ったものか。
結城にとっては珍しく逡巡する心境だった。
とにかく目が離せない。色々な意味で。
長野よりやって来た無名中学出身の、経験の浅いあの男に。
おそらく本人の希望するポジションを獲得することは、生半可な努力では難しいだろう。
少なくとも1年生である内は。まして、部員として在籍できるかすら怪しい。
部の厳しさ、教え、心構え。
そんなものより、やはりエースを希望するのであるなら、何があっても折れて欲しくないと思う。
もし今の青道に絶対的なエースたる男が一人でも誕生するなら、引き替えに自分は何万回、何十万回でも
バットを振り、血と汗を流すことをいとわない。
だから誰であっても、その希望をつかむことを簡単に諦めて欲しくない。
沢村の破天荒なキャラクターが、このまま歪まず、強く真っ直ぐ育ってくれるといい。
様々な可能性が、人と人とのぶつかり合いの中で新たな可能性を生んでいくのだから。
結城は曇天の夜空の下、星の輝きを求めていた。
―――――――――――
翌朝一番に野球部の寮に立ち寄り、結城は沢村の姿を探す。
普段自宅から通っているので、寮生活を送る部員達の動向はなかなか把握できない。
1年生の数人が身支度をするため、次々と洗面所を使っている。
早く済ませないと今にも2年生たちが起き出して後ろからハッパをかけたり、場所を横取りしてしまうため
朝から必死だった。しかし沢村の姿は洗面所にも、寮室にも無かった。
“あいつ、まさか・・・”
まさかの想いが頭をかすめる。
昨日の遠投が失敗に終わり、自暴自棄になって部を辞める気になってしまったか。
野球部の更衣室へと駆け込む。
そう言えば1年生にロッカーへの名前の貼り出しを指示していなかった。
周囲を見回しながら自分の至らなさを身に染みて感じ、絶望を予感する。
だが、その期待は裏切られ、結城の顔に安堵が広がった。
今、更衣室のドアを開けて入ってくる男の姿を目にし、思わず笑みがうかぶ。
「沢村・・・!」
すでに汗を流し、大きく息をはずませながら、紅潮した顔の沢村が立っていた。
「――はよぅざいぁっス!!」
誰よりも早く起き出して走り、汗だくになっている事の意味を。
結城は沢村の目を捉えたまま、深くうなずいた。
明日はせめてグラウンドに出る前に一声かけろ、と伝えたが。
“こいつ、お調子者の馬鹿と思っていたが、熱血さは間違いなく持っているな・・・”
次の朝。またもや沢村が勝手に一人でグラウンドに飛び出し、汗を流しているのを見つけ
監督に弁明さぜるを得ないとわかった時も、本人には何も言わなかった。
原因はどうであれ、失敗は、真摯な努力と前向きな熱血さでしかカバー出来ない。
この先、何度しくじって挫けようが、この気構えを持つならいくらでも立ち直って成長するだろう。
結城の胸中の選手名簿に、一筋の光明が差していた。
―Part2:天然で豪腕―
入学式の当日、野球部の部室ドアを叩く新1年生は一気に数十名を超えた。
記入についての説明を行っていた。
中学時代の成績や、希望のポジション、連絡先など細かな指定のある用紙で
保護者の承諾を記入する欄もある。
練習着のサイズを書き込む約一名に目が止まり、手元の用紙をのぞき込む。
出身中学校名と、連絡先住所は「北海道」の文字で始まっていた。
氏名は――「降谷暁」。
イスに腰掛けて座っていても、他の1年生と比べて身長の高さが分かるほど、降谷は上背があった。
結城は無意識に、ペンを握る降谷の右手を見つめる。
指が長く、大きな甲をしていて投手向きの手だと直感する。
指先を見ると、思いの外きれいな形の爪をしており、清潔に保ってあることが分かる。
ふと降谷が顔を上げ、目と目が合ったので結城は「見せてくれ」と用紙を促す。
直感の告げた通り、希望ポジションの欄は――「投手」。
誰の推薦でもない一般入試を受けて入学してきた他県出身者。
用紙を降谷に返し、なぜ青道を選んだのか訪ねようとしたその時、後ろから声をかけられた。
「あの、結城センパイ・・・!」
声の主に振り向くと見違えるほど身長が伸び、成長した体躯のかつての後輩たちが立っている。
「ああ、来たか」
懐かしい顔ぶれに思わず口元がゆるみ、丁寧に会釈をする後輩たちの腹をそれぞれ軽く叩く。
お前らデカクなったな・・・と新たな戦力を想像し、気持ちが高揚する瞬間だった。
「松方の東条もここにって聞いて・・、オレこの前あいつに電話したんですよ」
「ああ、入ってきたな」
全国を相手に戦ったリトルシニアの有名投手の名前で、しばし会話がはずむ。
今年の青道がどこまでいけるか。新たな戦力を迎え入れるこのひとときは、上級生も笑顔を隠せない。
エースの丹波が部室に入ってくると、彼を囲んで投手希望の1年生たちが輪をつくり、会話を交わす。
関東地区で野球を続けてきた少年たち、見知った顔同士の、ごく狭い世界の風景だった。
誰も知る者のなく知人もいない降谷は、ひとり記入を終えて副部長に用紙を手渡し、部室を後にしていた。
―――――――――――
その数日後、春の都大会、準々決勝の日。
試合を終え、帰りのバスに乗り込む顔ぶれを見ながら、結城は1年生の中に沢村と降谷の姿が見えないと思った。
伊佐敷をつかまえて1年部員の全員が見学に来ていたのかを聞くと、さぁ知らねぇと答えが返る。
後続のバスの1年生をつかまえて聞くと、誰もが沢村と降谷の姿は見なかったと答えた。
よほど体調が悪いのでなければ、公式試合の見学は勉強と思って義務に感じて貰いたい。
では沢村は、やはり一人で延々とランニングをしているのか。
今日の試合、勝ちはしたものの大きな課題をいくつも抱える内容だった。
丹波の投球内容に監督は厳しい評価を下し、エース降格。守備は二桁の失点。
打線の力ワザに任せて打ち勝ったムラの多い攻撃。チーム打率は、前々回から記録を更新していない。
早急に投手陣に立て直しを行う必要がある。
この非常事態に、1年生部員の投手希望者の二人が、統率の輪からはみ出している。
なかなかに頭の痛い事態だった。
まだ練習に参加できるレベルじゃないと謙虚に出た沢村はともかく、降谷は一体・・・?
一人自分勝手な性格の、もしかすると適当にさぼり癖のついた要領いいタイプのヤツなのだろうか?
最初の能力テストで降谷の抜きん出た成績を見ていただけに、その人格が疑わしくなる。
一軍の者たちがウェイトトレーニングを行っていた間、降谷はその宣言を裏付けする実力を
御幸の目の前で証明してみせた。たったの一投で監督に一軍への昇格を認めさせたわけだ。
前日の晩、寮生たちの食事中に、降谷が練習試合に臨んで「ここにいる誰にも打たせる気はない」と
宣言した件を結城は、3年生部員から聞いている。
なかなかに傲慢で大胆不敵な男だと思う反面、今の丹波にもそれほどの気負いがあれば、とも思う。
「で、その後、自分は出番ないから自主練を始めていいかってベンチを立ったんですよ」
御幸が見てきたことをありのままに報告してくれていた。
確かに結城たちがグラウンドを通りかかった時、降谷は一人ベンチの外にいて違和感をつくっていた。
5回の裏で、あの点差をそれぞれ1年生がどう立ち向かう気持ちだったのか見ておきたかったので、
結城は降谷のことは御幸に任せたまま沢村を観察していた。
沢村の熱い気持ちに引っ張られて1年生たちの心が一つになる瞬間を感じ、再びその投球を
自分の目で確認する。
左投げのムービングボールを自覚の無いまま自分のものにする沢村。
自他共に認める飛び抜けた豪速球を持つ、降谷。
喜怒哀楽の感情の激しい熱血漢と、マイペースで寡黙な一匹狼。
選手として対照的なタイプのこの二人だが、間違いなくどちらも大胆不敵で、破天荒であるという
共通点を結城は認識した。そしてどちらも経験の浅い、孤独な他県出身者であった。
「どうだ?孤立するタイプか?」
結城は御幸に対して問いかける。
5月の大型連休も終わり、春の関東大会を翌週に控えてのミーティング後。
この数日間、御幸には、沢村と降谷の二人を普段の生活態度からチェックするよう指示していた。
「そうっすね。まぁ、いつも口数は少ないけど・・・
あいつ、言いたいことはハッキリ言うヤツですよ」
結城は御幸の才能の一つ、選手データの分析力を高く買っている。
御幸の最も尊敬する、昨年の夏まで一軍レギュラーであった滝川クリスに学び、そして誰を相手にしても
器用に会話を引き出させ、その人物の性格や個性を見抜く才能を。
100人近く部員を抱えるこの野球部で、結城には一人ずつの性格や個性までは掴めない。
監督からは、お前のプレーで引っ張って行けばいいと言われていた。
だが頭を寄せて知恵を出し合い、少しでも何か良い方法が生まれるなら、自分はいつでも誰とでも
話しをしたいと思っていた。
御幸はこの数日間、沢村と降谷のそばにいて気が付いたことがある。
分かりやすい性格で、すぐ顔に出し、言葉にするのに何のためらいもない沢村と違い、降谷に対しては
特に深く観察していた。あの食堂での宣言以来、何かと突っ張った発言の多い降谷だが、
御幸にとっては取り立てて珍しいキャラクターではなかった。
野球少年の人口が圧倒的に多いこの関東地区で、リトルからシニア、公式試合を通じて様々なタイプの
人間を見知っている。人は鏡のように、やはり人を映すもので、遠慮ない口のきき方をする御幸には
当然、遠慮のない態度に出る者も少なくなかった。
逆に、御幸の男っぷりと買っての大げさな態度や思わせぶりな言葉使いもある。
だがあの上級生対1年生の試合の夜、降谷から発せられた言葉には、思わずダイヤの原石を
感じさせてしまう何かがあった。
“がっかりさせないで下さいよ――”
なんだよ。オレが思ってるより、ずっと肝の太ぇヤツじゃんか!
嬉しくなって防具も付けないまま、何球も降谷に投げさせた。
外角、内角、高低差、細かい位置をミットで示し、そのつど駄目出しを行う。
どれだけ生意気な態度と集中力がもつか、徹底的に叩いて、試してやるつもりだった。
全球が、馬鹿正直な全力全開のストレート。制球のスキルはからきし。
オレのリードに半分もついて来れないヤツが、偉そうな口はきけねーぞ!
猫がネズミをいたぶるように、鼻であしらい、で皮肉をこめた賛辞を贈る。
――“打ち頃のストレート”だな!――。
だが挑発されると、降谷は更に闘志を燃やす男だと御幸は思った。
単身、何の後ろ盾もなく、北海道から東京までやってきたヤツだ。
ここでの友人・知人は一人もなく、同じく道内から上京してきた同志もいない。
まして、中学時代ですら居場所も仲間も得られず、満足のいく練習環境も得られなかった。
どれほどの心の渇きを抱えていただろう。
降谷の飢えをいやす肉をちらつかせ、リードし、褒美として与えてやる快感。
どうせ怪物級の投手をリードするなら、それは猛獣で、手に負えない荒さがあればこそ自分には面白い。
“お前こそオレを楽しませてくれるんだろうな!”
そして沢村には、自分の信頼を裏切らないクリス先輩が、指導にあたる。
結城を前にして、御幸は高揚感を隠せない。
「降谷には、まだダチがいなくて一人でいることが多いけど・・・
ま、メシは1年らでかたまって食ってますから」
あいつの面倒はオレがキッチリ見ます、と念を押しておく。
いずれ一軍メンバーで合宿が行われる。
御幸は、“いっちょ降谷に将棋の相手でもやらせましょう・・・”と呟いた。
―――――――――――
伊佐敷と増子が部屋に入るなり、うなり声を立てて畳に寝そべった。
「あ〜、揚げモンがきっちーな!」伊佐敷がこぼす。
早くも倉持はテレビとゲーム機の電源を入れ、コントローラーを中田に向かって投げつける。
「ひゃはっはー!今日もオレ様に勝てるかぁー!?」
結城は、誰に何の断りもなく畳に将棋盤を置き、一人で駒を並べ始める。
御幸は冷えたペットボトルを数本抱え、寮の部屋のドアを開けた。
“これだよ・・・ 全く・・・!オレを差し置いて・・・”
それぞれ自由勝手に御幸の寮室に上がり込み、何の断りもなく各自がくつろぎ始めている。
3年の先輩たちはしょうがないとして、同じ2年の倉持や中田たちまで、無断でテレビをジャックしていた。
定例の地獄の合宿が始まったのだ。つかの間の息抜き、部活以外の大事な交流の時間なのだが。
“あー、あいつら早く来ねぇかな〜!”
しかし今夜ばかりは、内心ワクワクしながら先輩たちの団らんの相手をつとめる。
降谷に続き、同じ一軍メンバーに加わった沢村も合宿に参加しているのに、きつい練習メニューで
絞られても相変わらず自分のエゴ丸出しで、ぎゃーぎゃーとやかましい。
ここにあの二人を呼んで、自分の代わりにコキ使って貰う魂胆だった。
今、伊佐敷がこぼす愚痴を結城は相づちを打ちながら聞いている。視線は駒から動かないが。
「東さん、カノジョと教習所行ってたってぇ・・・」 ちっと舌打ちをする。
「お前にもそのうち春がくるさ」増子が仰向けに横たわる。
「オレは女には理想が高ぇーんだよ!」
結城は手元の駒を見つめ、「まぁ、卒業するまでは諦めろ・・・」と呟いた。
この言葉には、無事高校を卒業するまで軽率な行動は慎め、というキツい戒めを感じさせる。
しかも、自分たちにとっての「甲子園出場」という悲願を果たすまで、野球に操(みさお)を立てろと
暗にほのめかすことも度々あった。
“哲さんの、そういうストイックなとこ、カッコいーけどな・・・”
御幸は、将棋の盤に向かう結城の横顔を見おろす。
まっすぐな額の下に、どれをとっても男らしい顔のパーツが並ぶ。
目尻の切れ上がった澄んだ眼差し。口元はいつも凛々しく引き締まり、およそ欠点が見つからない。
御幸同様に結城も多くの異性からもて、今年のバレンタインには部室までやってくる女子が多かった。
しかし「有り難いが、自分には何も返すことが出来ない」と、全ての贈り物を断ろうとする。
それでもいいんです・・・!必死になって手渡そうとする女子生徒たち。
そこまでの気持ちを伝えられ、男なら一度や二度の交際を経験していないはずが無い。
そう思っていたのだが。
「哲さん。悲願達成したら、誰とつき合うんですか?」
御幸はずばり核心を突いてみた。
しかし返ってきた答えは――。
「いつかそんな日がきたら、ちゃんとお前にも紹介するさ」
照れも、にやけもせず淡々と切り替えされた。いつか、だって?そんな日――だって?
一本取られたような。あっさりさばかれたような・・・。難攻不落の男だ。
将棋では、結城を相手に決して負ける気はしないのに。
「じゃ、理想のタイプで言うと、どんなですか?」
この男が惚れる女性ってどんなタイプだろう。
伊佐敷が、クラスの女子の名前を口にする。
「○○とか大人しくて、良くないか?・・・ヤマトナデシコってやつじゃね?」
結城は顔を上げて、何かを思い出すように空を見つめる。伊佐敷に視線を合わせ、
「純、お前が去年から気になると言ってたやつじゃないか?」
会話を聞いていた全員が横倒しに、前のめりに倒れる。
自分が惚れている女子の名前を出し、うっかり地雷を踏んで、伊佐敷も玉砕してしまった。
そんな会話の間、沢村と降谷は手早く風呂を済ませ、御幸の指示通り彼らの寮室へやって来た。
ドアをノックする音に御幸は振り向く。
部屋の中に促して、まずは沢村を結城の将棋の相手にあてがう。
悪いが今夜は、お前らに任せちゃうからな♪
うつ伏せた伊佐敷の足元に正座させられ、ふくらはぎを揉み始める降谷。
沢村は投球を受けて貰えると期待していた御幸がそそくさと逃げてしまい、怒り心頭だが
降谷は従順に先輩への奉仕に没頭した。
「こんなんありかよ〜!もぉ帰りてぇ!またアイツに騙された〜!」
夜も更けたが、二人連れだって先輩たちの飲み物を調達する。
降谷は自動販売機のボタンを押す沢村を横から見つめ、「騙されたって?」とたずねる。
沢村の指を遮り、「キャプテンは烏龍茶だよ」と口出しする。
なんでお前、嬉しそうなんだよ〜!と突っ込まれると、降谷は“そういえば先輩のお使いなんて
何年ぶりだろう・・・”と呟いた。
買ってきたペットボトルを手渡し、礼を言われて目があった瞬間、降谷は思わず神妙に見つめ返した。
「降谷、オレはお前に期待してもいいか?」
もう後がない3年生の、主将である結城の重い一言だったが、全身全霊に響き、心はふるえた。
そして結城が自分に対し、初めて穏やかな表情をつくっていることに。
自分の中に新しい扉が開いた瞬間だった。
口では何とでも言えるのに、降谷は「任せてください」とか「頑張ります」とも言わず、主将を見つめ短くうなずく。
今まで気が付かないまま心が欲していたその言葉は、胸の奥深くへ入り込み、
ダイヤモンドのようにキラキラと小さく光り始めた。
この言葉に応えたい・・・。力がふつふつとわいてくる。
沢村もまた、伊佐敷と倉持から卍固めをかけられ、渇を入れられていた。
しかし降谷の目には、今、一人の男しか映らない。
結城も満足気に短くうなずいた。

かくして御幸の立ち回りは、今回も上手く功を奏した。
本人はその頃、ちゃっかり下階の寮室へ避難を果たし、小湊春市が首をかしげている二段ベッドの上で
既に大の字になって、キモチ良く寝息をたてていたが・・・。
―――END―――