■--コートよりの使者--■
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―Part1:来訪者―
“今日も空気が、重いよ・・・”
湿った空気が重いのは、まだ明けない梅雨のせい。
いや、それだけが原因ではなかった。
小湊春市は、部活の午後練習のため、本日何度目かの着替えを始める。
“湿度が高いくらいなら、ケガが少なくていいんだけどねー”
となりに立つチームメイトの二人を眺める。
沢村栄純と、降谷暁。
今日はこの1年生投手の二人に、いつもの活気がさっぱり見られない。
“あ、二人とも、プレッシャーかかってるよ・・・”
そう。色々な重圧がかかっているのだ。 沢村にも、降谷にも。
一軍メンバーの控え投手としての責任をバリバリに意識して、重圧と闘う毎日なのだ。
経験の浅い二人に付きっきりで基礎トレを指示し、守備の知識を叩き込む鬼コーチが
真面目で厳しい3年生の滝川クリスとあっては、特に。
春市は脱いだ服を丁寧にたたみながら、どう声をかけようかと思う。
日々悩める感情型“ド根性”投手の沢村と、悩みごとに不慣れなマイペース型“全力全開”投手の降谷。
二人の頭は単純指向性回路(ハッキリ言ってしまえば単細胞人間)なので、
自分のかける言葉一つで、この二人の感情は瞬間的に左右される。
春市は、練習用ユニフォームを身につける前に、バッグのポケットから
デオドラント・ボディペーパーのパックを取り出した。
パック包装から一枚取り出して、冷たいアイスメントールの心地よい刺激を肌にこすり着ける。
首の周りをふき、脇下、胸、二の腕・・・揮発(きはつ)性の制汗剤と香料を優雅に身にまとっていく。
特に汗をかいているわけでは無かったが、着替える前にコレをやるのと、やらないのとでは
気分が大きく違う。
「やっぱスプレーよかさ、ペーパーの方が気持ちイイよね!」
それとなく独り言のように、しかし、沢村と降谷に聞こえるようにハッキリと言った。
「んっ!?」
「・・・!?」
心ここに在らずといった、呆け顔の二人だったが、春市の声で同時に振り向く。
実は迫り来る期末テストに向けての重圧ものしかかり、二人の頭の中はパンパンだった。
春市は二人に向けてボディペーパーのパックを差し出す。
「使う?」
どんよりと無口で、虚ろな目つきの沢村と降谷。
差し出されたものを手にして、順番にペーパーを引き出した。
二人同時に首筋をふきながら、ふーと深いため息をつく。
「二人とも、シャキっとしなよ♪」
士気を高めようと、春市は叱咤激励する。
こっちまで気が滅入るじゃん。
その一言は、口に出さなかった。 滅入るなんて、今のデリケートな時期には禁句だ。
「だぁー!キモチいぃぃーーー!」
メントールの強い刺激がじわじわ効いてくる爽快感に、沢村はうっとり目を閉じる。
閉じた両目に、ひんやりと湿ったペーパーを押しつけたまま、固まってしまった。
ぷっと吹き出した春市は、場の空気を盛り上げるべく笑顔で指摘する。
「はははっ!栄純くん、止めてよ・・・っ、今のちょっと、オヤジくさかったよ・・・!」
はっ、と目を見開いた沢村は、いつものデカイ口の笑顔になった。
「おしぼりで顔ふくタイプ・・・」
降谷が沢村を見下ろし、つぶやく。
「・・・るせッ! そーいうお前も、耳ん中までふいてんじゃねーよ!」
“出たよ!この、かけ合い♪漫才投手・・・!”
やっぱ、この二人はこうでなくちゃね!
1年生しかいない更衣室に、じめじめを吹き飛ばす甲高い笑い声が響いた。
朝練で片づけた用具類を再び酷使するため、グラウンドの所定の位置へと運ぶ。
曇り空の下、整地されたグラウンドの土が、今日は特に湿り気を帯びている。
春市たち1年生部員が、練習の準備作業を終えようとした頃だった。
硬式野球部の部室手前で、見慣れない男子生徒たちの姿が目に入った。
青道の夏の制服を着たまま、ネクタイをきっちり絞めた男子生徒が3名。
うち2名は180センチを優に超える長身で、短い黒髪と、短い茶髪。
背筋が伸びて、姿勢が良い。広い肩幅に、逆三角形のシルエット。
“あの二人、腕が長いな・・・”
春市は、その者たちを見つめた。
残る一人も身長こそ他の二人には及ばないが、鍛えられた細身で姿勢が良い。
長めの茶髪にパーマ・ブローが完璧にキマっていた。
その横顔は、三人とも上級生の落ち着きと貫禄をかもし出している。
体格と雰囲気で、運動部の部員たちと分かる。どこの部だろう。
“・・・うち(野球部)に何の用かな?”
しかし、勘の良い春市には、彼らの正体と来訪の目的が直ぐさま“ピン”と来た。
今から、あの場で“起こること”が、何となく予想できる。
ネクタイ三人組を前にして、ぶっきらぼうに言い放つ3年生の伊佐敷純の姿が見えた。
「あー・・・ 何の用だってぇー?」
口を尖らせ、低気圧で不機嫌な、ガラの悪い男・・・野球のユニフォームを着ていなかったら、
不機嫌な顔つきの伊佐敷は、まるっきり“街のチンピラ系”に見えてしまう。
「イヤ、伊佐敷ぃー、お前じゃなくてサ。結城と話したいんだけどさぁー」
「哲は忙しーんだよ!オレが聞くっつってんのに、文句あんのか、コラ?」
伊佐敷のとなりには、同じく3年生の増子透が腕を組んで立つ。
二人とも、歓迎の表情とは程遠い。目がすわっている。
先日、大事な仲間である3年生投手を見舞った急なアクシデントにより、虫の居所が悪かった。
「ふー、仕方ないな・・・」
「んー、まずは・・・ コレ!」
黒髪の男は、茶髪ブロー男から大きな手提げ袋を受け取り、伊佐敷に差し出す。
「つまんないモンですが、どーぞ・・・」
手提げ袋を受け取り、中をのぞく伊佐敷の表情は、低気圧に何ら変化が見えない。
「オレの好みを分かっちゃいねーな・・・」
「まま、まー、まー・・・」
「・・・・でぇ?」
伊佐敷は袋を増子に手渡す。
語尾の「ぇ?」には、しゃべり慣れたガラっぱちな口調がにじんでいた。
こんな伊佐敷だが、実は少女漫画をこよなく愛読している事は、部員たちの間でよく知られた事実だった。
寮部屋の本棚に並ぶ所持品は、“売上げ100万部超”の話題作から、古い文庫本まで幅広いと春市は聞く。
情報源は、他ならぬ「パシリ」(買い出し&情報収集)に行かされる御幸と倉持だった。
しかし、伊佐敷に面と向かって「どんな漫画が好きなんですか?」と、気安く尋ねられる機会は
とてもじゃないが1年生部員たちには無い。
3年部員の中でも指折りのガラ悪で、一軍主力メンバーにして、強面の副将なのだから。
そして男たちは、その伊佐敷を前にして、同時に“気をつけ”の姿勢をとった。
三人、声を合わせて、
「おたくの降谷君をオレたちに下さい!!」
大きく声を合わせ、同時に腰を曲げて、深く頭を下げた。
“あーあ、こうなっちゃったか・・・”
春市は、頭を下げている三人組の頭上で“低気圧チンピラ”から、“高気圧・怒りの大魔神”の
形相に変化する伊佐敷を眺めた。
「ぶぁぁぁーっかぬかしてんじゃねーーっ!!お前らぁー!!!」
伊佐敷の怒鳴り声が周囲に響き渡り、その声を耳にした部員たちはビクっと肩をふるわせた。
誰もが動作を止め、一斉に静まりかえったその場に、不穏な空気がただよい始める。
野球部の太田部長がネット裏から下腹をゆらし、急いで走ってやってくるのが見えた。
“あーあ・・・”
春市は、となりに立つ降谷を無言でにらむ。
降谷には、前髪で隠された春市の目つきと真意が見えていない。
二人の間で交差する視線、そして沈黙。
沢村は、「こいつが・・・?何だって・・・?」と両者を交互に見つめてオロオロする。
春市と降谷は、昨日の出来事の記憶をたどる。
昨日の午後、体育の授業で予定されていた水泳が中止になってしまった。
屋内プールの設備に支障があり、外は雨が降り出して、仕方なく生徒たちは体育館へと移動した。
春市たちのクラスは、2時限ぶっ通しでバレーボールを行うことになったのだった。
―Part2:アタックNo.1・・・?―
2つのコートのポールに重いネットを張りだし、周りをぐるぐるとランニングして準備運動をする。
用具室から出した年季の入ったボールを二人一組で、皆かったるそうに不満をこめて叩き始めた。
梅雨のこの時期、プールで泳いでサッパリしたかった。 それなのに・・・。
春から散々やらされた球技の基礎練習を気だるげに終えると、バレーボール部員が指名され
2セットマッチで試合形式のゲームが始まった。男女別れて、それぞれのコートへと散ってゆく。
春市のクラスに、二人いる男子バレーボール部員。
体育教師が審判を務めるコートと、残りコートに部員たちが審判、ラインジャッジを抜擢される。
今までと同じ光景だった。
「なー、フルヤぁー」
ラインジャッジに立つ男子生徒は、降谷の全身を眺めながら言う。
「お前、筋肉ついてきたなー」
「・・・・・・」
そう言われると降谷は内心、嬉しくてしょうがない。
無表情だったが、その男から誇らしげなオーラが立ち上るのが非常に良く分かる。
この数ヶ月の部活練習と食事と睡眠で、大事に育て上げた自分の骨と筋肉。
実家から持ってきた中古のジーンズを先日、久しぶりに穿いてみると両ヒザも尻もきつくて驚いた。
地元の古着屋で見つけて気に入り、多少散財して今まで一度も洗濯せずに大事にしていたが。
男子バレーボール部の同級生は、降谷の部活での鍛え方に勝るとも劣らない努力をしていた。
お互い下半身のバネの強化に、めざましい発達が見られていた。
しかし降谷は、自分がほめられても、相手をほめ返す気遣いがさっぱり無い。
「フルヤ、今日はお前、サーブでホームラン打つなよなー?」
ニヤニヤ顔で微妙な皮肉を言われ、それがかえって降谷にヤル気を起こさせた。
それを耳にした春市はクスっと笑う。
“サーブ・・・”
降谷は中学の授業でバレーボールをやった時も、いつも力任せが過ぎてサーブボールがコートのエンドラインを
ぶっちぎりで超え、はるか彼方へと飛んでいく。そんなボールを誰も拾いに行く気にならない。
降谷がサーブを打つ順番になると、クラスメートたちは腕を下げてダラリと立つ。
この男のノーコンサーブは、本人のヤル気なさと、周囲への無関心を高校生になっても反映させていた。
天井サーブを上げてみろと言われ、正確に相手コートの中央に落ちるよう注意を払って打ち上げると、
それは体育館の照明設備を直撃し、積もり積もったホコリが舞い降りてきて大ひんしゅくを買った。
降谷と春市は別チームに別れて、コートに立つ。
ゲームが始まると、それなりにヤル気の出てきた男たちの中で、降谷にもエンジンがかかった。
タイミング良くつないで回してくれたトスを後列からの降谷のバックアタックがキレイに決まり、
誰もが積極的にかけ声をかけて、降谷へとトスを回す。
“あれ?今日はなんか、アタックも正確に決めてるじゃん”
春市は、降谷がしだいに白熱してえらく派手な音を立てるのに気が付く。
この男は、またフラストレーションをためているらしい。
最近の部活で、満足のいく投球練習をさせてもらっていないと見た。
ネット上空の攻防となると、長身に任せた降谷のジャンプの打点には誰も届かない。
“降谷君、4月から何センチ伸びてんだろ?”
ネットをはさんでお互い前列に立つと、春市は両腕を組んで片足をパタパタさせながら
野球部のチームメートを見つめる。
降谷が打つスパイクを飛んでブロックする気なんか、サラサラ無かった。
しかし自陣の仲間が、必死で勢いを殺したレシーブをトスに見せかけて、春市は俊敏な
腕の振りで相手コートへ叩き込む。
「おっ、コミナトがツーで返したぞ!」
タイミングを読まず、ダラリと立ったままの男たちは、ボールがコートに落ちるのを為す術もなく見る。
春市は降谷に向かってニヤリと口角を上げて見せた。
降谷もまた春市を見つめ返し、右ひじを曲げて肩をぶんぶん回し始める。
次に放たれた降谷のアタックをローテーションで後列に回った春市が、器用に受け止めたので
誰もが感嘆の声を上げた。
「おおーっ!あの超スパイクを拾ったぞ!!」
勢いを殺した正確な春市のレシーブに、「っしゃー!任せろー!」と活気づいたクラスメートが
トスを上げようと身構える。
「オレにくれるかな!」
春市が声をかけるが、瞬時にその右手は“君が打て”のサインを前列の者に向かって出していた。
サインの意味を理解した者は、春市の飛ぶタイミングに合わせながら、高速トスに食らい付く。
時間差攻撃で仕掛けられたアタックが、降谷たちコートのぽっかりと開いた穴へ決まった。
「ナーイスアタック!」
「グッジョブ、グッジョブ♪」
春市たちのハイタッチを眺め、降谷らは更に燃え立つ。
しかし、サーブの順番が回ってきた春市は、器用にも相手コートのラインぎりぎり内側を狙ってみせ、
更に点差を開けてみせた。
「今の、いちおー狙ってみたんだけどね♪」
ラインジャッジに立っていたバレーボール部の男子が、体育教師に向かって懇願する。
「先生っ!オレを入らせて下さい!」
「んっ?、交代するのか・・・?」
春市チームに対して、沸き上がる気持ちを押さえきれなくなった彼は、どうしても!と懇願して
降谷たちチームのコートに立った。
「フルヤ!オレが指示出してトス回すから、お前が打ってくれるよな?」
有無を言わさぬ表情で、降谷を見つめる。
「???・・・えーと」
「“ハマグチ”だよ、オ・レ・!名前、おぼえてくれよー!」
もーガッカリさせてくれるー、とブツブツ言いながら、浜口は降谷の背中をバンバン叩いた。
「出席番号順で、オレはお前の、すぐ前だっつーのに!」
ついさっき筋肉をほめてくれたクラスメートは、ふだん自分の席のすぐ前に座っているのだ。
無関心にも、ほどがある・・・。
現役バレーボール部員の華麗なトスワークが、次々と降谷に対して上げられた。
打点の高い降谷に合わせて、更にスピードの乗った高いトスが上がる。
充分な腕のテークバックで、ムチのようにしなりの効いた降谷の豪快なスパイクが炸裂する。
“なんか・・・、ボールから金属音がしてるよ・・・”
春市は降谷の馬鹿力に、今更ながら呆れてしまう。
全力全開の豪腕にまかせた降谷のスーパースパイクが、次々にコートに轟音を響かせた。
「えー!!フルヤ君、ちょうスゴぉぉーーーー※※※!!!」
興奮して語尾の聞き取りにくい女子たちの、黄色い声援が飛び交い始めた。
降谷たちのチームが25点を先取して勝ちとなり、今度は出席番号の奇数・偶数別にバラけて
2セット目のゲームが開始される。
今度は、同じチームメンバーとなる春市と降谷。
降谷にサーブの順番が回ってくると、降谷はボールを手にして、どんどん後ろへ下がっていく。
「えっ、そんなに下がんの・・・?」
降谷がどんどんコートから離れてしまい、ついには体育館の壁にかかとが触れてしまった。
“いくらサーブがホームランになっちゃうからって・・・下がり過ぎだよ”
ゲームルールには反しているが、体育の授業では“仕方なし”とOKされた。
春市は頭の中で、このサーブが成功する確率をはじき出してみる。その値は低い。
しかし降谷が猛ダッシュでジャンプし、オーバーハンドで打ち放ったサーブは、大きな弧を描き
正確に相手コートへ吸い込まれた。 スピードの乗った華麗なスパイクサーブだ。
レシーブに挑戦したクラスメートの腕を弾いて、その球は大きくわきへと逸れていった。
「おおーーー!!」
自陣メンバーと女子たちから、拍手がわき起こる。
続いて放たれたネットぎりぎりのサーブも、誰も手が出せずに派手な音を立ててコートにささった。
「フルヤ!お前、サーブも上手くなったじゃんよ!」
ネットの向こう側に立つ前列の浜口が、両手を腰に当てて感心しながらうなずく。
「チェック終わりー!次は止めさせてもらう!」
人差し指を降谷に向け、不遜な笑みを浮かべて浜口は楽しそうだ。
女子側コートの審判を務めていたもう一人の男子バレーボール部員が、首を回して真剣に降谷を見つめている。
女子たちのコートはゲームの流れがくずれ、ボールを追う者と、男子を見学する者とに別れていた。
クラスの女子人気が、今日いきなり降谷にむけられる。
春市には、自分への人気票を握っている女子の数は、降谷よりは多いと確信があった。
その票数が今、逆転するのだろうか。
女子人気はさして気になるわけでは無かったが、運動能力の評価を野球の部活以外で、
クラスメートたちから貰うとしたら・・・ 降谷には負けたくない。
連続3打目のスパイクサーブが放たれた瞬間、浜口は叫んだ。
「アウト!アウトぉー!」
確かな選球眼だった。敵陣の誰もが足を止め、エンドラインをわずかに超えて着地するボールを見つめる。
春市なら積極的に受け止め、上げて攻撃に繋ぐつもりの軌道だったが、“見切り能力”を磨いている浜口に
そのスキルを披露されてしまった。
「惜しかったね、今の」
春市は降谷に、ひとこと声をかけておく。
目と目が合った瞬間、めずらしく降谷が相づちを打って“ありがと”と、短く答えた。
めったに無いことだが、降谷の瞳は大きく輝き、キリっと上がった眉が“上機嫌の証し”を示していた。
“へぇ、ずいぶん気分良さげ・・・”
その証拠に、敵コートから飛んでくるサーブを猫のような俊敏さで反応してダイレクトに向こうに打ち返す。
浜口のこん身の超スパイクが、降谷の顔面めがけて打ち下ろされても平然とブロックし、器用に上につないでいた。
クラスメートの拍手が増してくる。
女子たちは、今はもう全員が男子側コートの観戦へとシフトしている。
降谷の人生で、まだ数少ない拍手喝采を浴びる場面だ。沢村がこれを見たら、嫉妬の炎がメラメラだろう。
ローテーションでどこに立ってもトスを要求する浜口の超アタックは、えげつない程キレがあり、スピードに乗って重い。
春市は流石に、受けるたびバランスを崩してしまう。
それでも、勢いに乗っている降谷はどんなボールにも食らいつき、アタックを決めるため飛び上がる。
これほど“ノリまくり”の降谷を見ながら、春市は実家の近所を仕切っているボス猫を思い出した。
トカゲだの、瀕死のハトだのを執拗に追いかけ回し、鋭い爪で何度もいたぶるオス猫。
“降谷君てば、運動センス云々ってゆーか・・・ うん、天然の野生児みたいだよ・・・”
頭で考えるよりも、動物的な勘で、自分の暴れたい衝動に忠実な猪突猛進。
パワータイプってか、こういうコト・・・。
春市はやっと降谷の本性を見たような気がした。これなら無愛想なのもうなずける。
周囲の人間に気を遣ってゴマをすったり、おべんちゃらを言う才覚なんてあるわけない。
将来、間違っても会社務めのサラリーマンなどはやっていけないだろう。
これは確かに、降谷をコントロールするバッテリーの相方が大変だと思う。
汗をキラキラ光らせて機嫌のいい降谷に、春市は投手としての“ダイヤの原石”を想像してみた。
もし、この男が原石だったとしても、それをコツコツと地道に研磨し、光り輝かせる職人ワザを持った
人間の努力・才能・根気の方が、よほど凄いことだと思えた。
降谷や沢村を導こうとする滝川クリスや、御幸一也をあらためて、尊敬してしまう。
浜口のこん身の攻撃技と、専門的な指導が功を奏し、大差をつけられて春市たちは敗れた。
しかし、暴れたいだけ暴れまくった降谷はストレスを発散させ、スッキリした顔だ。
クラスの女子人気も獲得したし、満足のいくひとときだったろう。
ダウンのストレッチ運動を行い、用具の後片付けを始めた時、降谷の周りに若干の人数が集まった。
最初の数人は、その運動能力をほめて立ち去っただけ。 だったのだが・・・。
―Part3:言うなれば、それは、私情。―
「フルヤぁ、お前さぁ、うちの部に来ないー?」
浜口と並び立つ、もう一人のクラスメート。同じく男子バレーボール部の工藤。
春市は手を止め、降谷たちの声の方を眺める。
あはは、勧誘されちゃってるよ。
「うちの部・・・って?」
浜口と工藤と一緒になり、外したネットを三人がかりで畳みながら降谷は問う。
男子バレー部の男は、二人がかりで熱心に降谷を口説き始めた。
「フルヤ!お前はスーパースパイクを打つために生まれてきた男だ!!」
「そんなことナイ・・・」
チヤホヤされて機嫌の良かった降谷の表情が、次第にくもり始めた。
「俺たちと一緒にインターハイのコートで飛ぼう!」
「飛ばナイ・・・」
ごぎゅるるるる〜〜〜〜。
降谷の腹から空腹の音が鳴る。昼メシで補った燃料が、早々と切れてきた。
燃費の悪いパワータイプの大きな外国車。
「うちのバレー部さぁ、マネージャーさん、超カワイーよ!」
「うちのマネさんたちも、カワイイよ・・・」
腹が減って思考回路がろくに働かなくなった降谷は、男相手にしゃべるのが面倒臭い。
春市は笑いをこらえるのが苦しい。それじゃダメだよ。もっと、ちゃんと断らないと・・・。
降谷には、借りがある。二つも。
ここは助け船を出して借りを返し、さらっと恩に着せておこうかな。
「ねえ、横から口出しちゃうけど。降谷クンは、うちの野球部の大事な投手だからね?」
春市は、浜口と工藤の二人を前にして、降谷の肩をなでてみせた。
二人とも、真顔になっている。男子バレー部って、ヒト足りないのかな。
「イイ素材って、いつも野球部にガッツリ持ってかれるって・・・」
「ああ、先輩たちがゆってたな・・・」
降谷の腹の虫が再び盛大に鳴った。図体のデカイ男が、春市を見下ろして悲しげな子犬の目をしている。
いや、子犬なんかじゃないんだけど。この男の本性はいつだって、“餓えた狼”なんだけどさ。
「イイ素材だってさ!良かったね、降谷クン!はるばる北海道から入学しに来た甲斐あったね」
このセリフには、浜口も工藤も驚きに上半身をゆらした。 北海道・・・!!?
降谷の打点の高いアタック、腕の長さや、その豪腕っぷりが、特別なセレブのステータスをイメージさせた。
知識の浅い、二人の頭によぎるキーワード。
道産子(どさんこ)・・・
特待生・・・ ツンデレ・・・ 未知との遭遇・・・
固まってしまった二人を尻目に、春市と降谷は連れだってコートを後にした。
―――そんなやり取りがあった昨日の午後を思い出す。
それが今、春市たちの目の前でよもや野球部と排球部の、上級生同士を巻き込んでの事態に展開するとは。
ここまでコトが及ぶと、張本人の降谷は一体どんな責任を問われるのだろうか。
一軍メンバーだろうと関係なく、上級生の不興を買った罰で見限られ、二軍へ降格させられるのか。
監督の片岡鉄心は、まだグラウンドにその姿を見せない。
バレー部・上級生たち三人組の、懇願の言葉は続く。
「伊佐敷・・・ 俺たちは今年のインターハイ、出られないんだ・・・」
「登録メンバーこぞって、不慮の事故でな・・・」
「アキレス腱と、疲労骨折とな・・・」
「痔と、椎間板ヘルニアと、失恋でな・・・」
この悔しさ、お前にも分かるだろと、真顔でうったえる男たちに対し、伊佐敷も増子もなんら同情の
そぶりすら見えない。それどころか伊佐敷は、塩もってこいと、1年生に向かって低く呟いていた。
「野球部は、余るほど部員いるじゃねーか。 なっ?この通り!・・・主将として頼むっ!」
「副将として頼むっ!」
「マネージャーとして頼むっ!」
威厳あるはずの三人が再び同時に頭を下げる。春市たち1年生もいる傍で、とても見られた光景じゃない。
“ マネージャー、可愛いって・・・ 男じゃん・・・ ”
春市の同情まで買い始めた。
「知ったことかぁー!!!阿呆ぬかしてねーで、さっさと帰ぇーれっ!!」
本当に食堂から持ったきた食塩の袋を受け取り、ぶちまけようとする伊佐敷を
増子だけは体を張って阻止した。
「止めろ!グラウンドに塩なんか撒くな!」
「おととい来やがれっ!!!」
こんなセリフを吐けるのは唯一、この男くらいだろう。
太田部長は終始、何も言い出せずにコトの成り行きを見つめるだけだった。
後ろから増子に羽交い締めにされたまま、足を振り上げて蹴りを入れようとする伊佐敷を
三人組はガックリとうなだれて見つめ、ため息を吐きながら去って行った。
「ふるやぁぁぁ・・・・・」
そして上目遣いの三白眼は、今やっと張本人に向けられる。
人差し指を地面に向かって乱暴に突きつけ、“ここに来い”と示す。
びくっと上半身を震わせて、口をへの字に結んだ降谷は、おずおずと伊佐敷を見つめ返した。
「ナニやってんだー、 ハぁ? てめぇは・・・」
「・・・・・・・」 (さっさと逃げればヨカッタ・・・・)
「何しに、ココに来てんだ・・・ なぁ?」
「・・・・・・・」 (野球です・・・)
周囲の誰もが静まりかえって口をはさめない。それどころか、誰一人身じろぎすら出来ず、石になっていた。
眉を八の字に下げ、まつげを伏せたまま降谷は、伊佐敷を見下ろす形で説教を受けている。
離れた場所から春市も沢村も、ただ静かに見守るしかなかった。
「そんなにバレェェーがしたけりゃ、退部届け書くかぁ?」
「・・・・・・・」 (野球だけしたいです・・・!)
主将の結城がこの場に居ないだけで、まさかここまで副将が高気圧を発生させるとは・・・。
三人組の当初のもくろみ通り、結城だけに持ちかけられた話だったら「すまんが諦めてくれ」の一言で
すんなりとお引き取り願い、いとも簡単にコトが終わったはず。
「1年の中で、いの一番に水揚げしてもらった責任を感じてねーのか コラぁ!」
「・・・・・・・」 (ミズアゲ・・・???)※
「さんざん、目ぇかけてやった恩を忘れやがって・・・!!」
「・・・・・・・」
「あれほど、オレの足もませてやった恩も忘れて・・・!!」
「・・・・・・・」 (それ、僕が恩に着るコトじゃない・・・!)
伊佐敷の怒りが静まるまで黙って見守ろうとしていた太田部長が、がっくりと肩を落とした。
やれやれ・・・ ご機嫌ナナメなのは、降谷を気に入ってのコトか・・・。
降谷が少しでも気が利いて、口が回り、「すみませんでした、先輩」の一言でも言ってくれれば片付く問題だ。
太田部長からしてみれば、経験の浅い1年生で、大人しい性格のイメージだったが、
どっこい降谷は、心臓に毛の生えた、太い頑丈な神経の厚かましいマイペース一匹狼だ。
「遅いぞ!!降谷、沢村!!」
突如、よく通るキーの高い、大人の男性の声が響いた。
はっとした降谷と、沢村は声の方へ振り向く。
伊佐敷たち3年生や、固まっていた1、2年生たちの呪縛が解け、同じ方向を見つめる。
「二人とも、今すぐブルペンへ来い!」
本当に怒らせるとコワイ人物が、グラウンドの土を踏みしめて立っていた。
滝川クリス・・・!
こんな大きな声を出している時は、限りなくマジモードで ・・・怖い。
その場の空気や、伊佐敷たちの表情もお構いなしに、クリスは親指を立てて後ろへ反らせる。
「お前らには時間がないと、あれほど言ってるだろう!」
「・・・は、はいっ! ・・クリっす 先輩っ・・・!」
急に叱られ、どっと脂汗が流れ始めた沢村が、弾かれたようにクリスへと走り寄る。
春市は、これまた機嫌悪そうなクリスを見つめ、降谷へと視線を移した。
降谷はやっと帽子を取り、伊佐敷に対して頭を下げてみせる。
「あの・・・ すみません」
それだけ言うと、助かったとばかりに沢村を追いかけてクリスの方へ走り寄る。
クリスが二人の襟首をむんずと掴み、引きずるようにして方向転換させた。
“うわぁ・・・ クリス先輩、めちゃくちゃ怒ってるよ・・・”
春市は思わず伊佐敷の表情を確かめようとする。ふだん怖いヒトと、怒らせたら更に怖いヒトの形相の違いを。
しかし、伊佐敷の機嫌も収まらず、
「いちねん・・・コミナトぉ〜〜〜〜・・・」
新たな怒りのぶつけ相手に指名されてしまった。
“えええええ・・・・・!! 代替、オレぇぇぇぇぇ・・・????”
伊佐敷の両目がまっすぐに春市を捕らえている。
クリスに首根っこを捕まれたまま引きずられていく降谷を振り返る。
オレが降谷君の代わりに叱られんの・・・!?
お互いうんざりした顔で、「ゴメンネ」の片手を挙げたポーズの降谷はブルペンネットへと消えた。
“これは、ちょっと高い貸しになるよ?降谷クン”

クリス隊長の特別メニューによる今日の特訓が終わり、何も知らない御幸が疲労しまくった表情の
降谷を見て、首をかしげた。
“まだ合宿の疲れが取れてないのか?”
日が落ちて、のろのろと汚れた練習着を脱ぎ始めたルーキーズトリオを眺める。
「降谷君、今日この後、買い物行くの?」と、春市。
「行くならついでに、コレ買ってきてくれる?」
残り少なくなったデオドラント・ボディペーパーのパックを降谷に差し出した。
「・・・・分かった」
春市が降谷をさらっとパシリに使っている。
すなおに春市の要望を聞いている降谷を見ながら、御幸は自分勝手な想像をふくらませた。
あの二人、“頭の出来”で優劣ついちゃうんだろな・・・。
教室の机に座る降谷のかたわらに立つ春市。
機転が利き、頭も良い、冷静な春市が降谷の勉強の面倒を見ている。
“先生って呼んでくれるかな♪ 降谷クン?”
御幸は、そんな春市を想像しながら独りニヤニヤした。
可哀相なフルヤ・・・♪ははっ。
地区予選の熾烈な戦いは、もうそこまで迫って来ている。
お前には、大いなる試練が待ちかまえているぞ。頑張れよー!
―――END―――
余談:「同じクラスなら、あのバカをきっちり教育しとけや!」と純さんに叱られた春っちですが、太田部長に途中で助けられました。
亮介兄貴は、途中から最後までニコニコ見守ってました。 ふー。 こんな日常だったら、春っちは色々と強いんじゃないかと・・・。
降谷は春市の指示であらためて純さんへわびを入れ、足マッサージのご指名を独占する立場に。そのうち少女漫画でも借りるとイイさ。
※「水揚げ」・・・遊郭の世界の古い言葉です。純さんは漫画の影響で、色んな言い回しを知ってるのでは・・・(笑)