La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 après le 1er juin 2007

Top!






藤本美貴ドキュメント2007
《ミキ受難曲》





De profundis clamavi ad te Domine
Domine exaudi vocem meam.




 2007年6月1日、不本意な形でモーニング娘。を去った藤本美貴のために綴った文章の数々。藤本美貴のモーニング娘。「脱退」を巡って、考え続けたこと。書き続けたこと。それらをまとめておく。
 徹底的に、かつ断固として、「モーニング娘。藤本美貴」を擁護するために。
 そして、2007年6月1日を永久に記憶にとどめるために。

cross_decoration

2007.05.25(金)■藤本美貴様『FRIDAY』に御出演、の巻
2007.05.26(土)■ミキサマミキサマオシオキキボンヌ
2007.05.27(日)■藤本美貴に惚れ直し
2007.05.27(日)■藤本美貴さんに今捧げる歌
2007.06.01(金)■藤本美貴、モーニング娘。を「脱退」
2007.06.01(金)■『モーニング娘。』リーダー「藤本美貴」についての重要なお知らせ
2007.06.02(土)■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘T
2007.06.03(日)■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘U
2007.06.04(月)■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘V 《モーニング娘。の死んだ日》
2007.06.05(火)■ミキ受難曲 Mikius-Passion (抜粋)
2007.06.06(水)■2007.06.05「ムーブ!」 モーニング娘。の掟
2007.06.07(木)■サイト名変更(マイナーチェンジ) ■about大幅に修正
2007.06.07(木)■救いの2つの言葉、藤本美貴@GAM大阪公演06.02、高橋愛@ヤンタン06.02
2007.06.21(木)■藤本美貴をあきらめない
2007.06.22(金)■藤本美貴の「ドキ☆みきnight」2007.06.18より
2007.06.22(金)■2人のツンデレ女
2007.06.24(日)■アイドルファンにとって「愛」とは何か・フラグメント(素描)
2007.07.06(金)■「アイドル」を創る者の危機感と抵抗
2007.08.12(日)■藤本美貴を干す
2007.10.02(火)■藤本美貴を干すU 《歴史修正主義に抗して》
2007.10.04(木)■「女の子の全身全霊の決意」とは何か 〜つんく♂発言を再読する〜
2007.10.15(月)■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 (前半)
2007.10.16(火)■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 (後半)
2007.10.22(月)■オーガさんとの共闘:藤本美貴の「子供性」を擁護する
2007.10.27(土)■アンジェラスさんとの共闘:娘。の歴史上もっとも悔しい出来事
2007.10.28(日)■中澤裕子の抵抗:「モーニング娘。をアイドルと思ったことはない」という嘘
2007.11.09(金)■つんく♂さんの抵抗:擁護としての創作〜「女に幸あれ」「みかん」に込めた思い〜
2007.11.22(木)■道重さゆみの抵抗、亀井絵里の抵抗(ぽけぽけぷぅな)
2007.11.23(金)■モーニング娘。の立たされた絶対的矛盾状況
2007.12.12(水)■だいちょさんの熱い魂
2008.01.01(火)■迎春待帝
2008.01.25(金)■REMEMBER FUJIMOTO MIKI! 2008.1.10、CBC『今夜もうさちゃんピース』、2008.1.14、CBC『Guts10☆ガッタス!!』
2008.02.14(木)■藤本美貴再ソロデビューっ!!
2008.02.15(金)■反古になった誕生日メッセージ
2008.02.26(火)■藤本美貴ちゃんへの23歳のバースディメッセージ
2008.03.24(月)■■『ミキ受難曲』最終更新 「反古となった断片集」

cross_decoration

2007.05.25(金)
■藤本美貴様『FRIDAY』に御出演、の巻

 昨日、最初に「モ娘(狼)」で、「藤本美貴」と「フライデー」という2つの単語を同時に見た時は、軽く「え?」と思っただけで、べつにショックとか、裏切られた、とか、信じられない、という思いはなかった。なかったけれども、だんだんと効いてきますね。ボディーブローのように。
 アイドルも人の子。22歳の女の子が恋愛しないほうが不自然。だから、それはいいのだけれど、凹む理由は、男の趣味が納得できないということ。それと、出来れば、フライデーとかブブカとかにお世話にならないように、パパラッチの餌食にならないように、クレバーに、慎重に、行動してほしかったな、と言うこと。
 電撃結婚、妊娠まで行っちゃうと、堂々と開き直って公表するしかないし、周りとしても祝福するしかないと思うけれど、「通い愛」程度だと、逆にぶちぶちと文句を言いたくもなってくる。
 ひとつ思うのは、藤本さんはモーニング娘。加入前から色々とネガティブな噂が雑誌に出てしまうタイプの人だったので、ファンは打たれ強い、こんな程度ではへこたれないだろうということ。鍛えなくてすめばそれに越したことはない部分を鍛えて来た感はある。なので、僕個人としては、美貴様の2推しの地位はいささかも揺るがない。

从VvV从<ちっ。なんだよ、2推しかよ。
ノノ*^ー^)<2推しゆえの余裕発言ですよ?

 だが、問題は、辻ちゃんのことも同じだけれど、ハロプロのタレントにお金(CM出演料など)を払うスポンサー企業のご機嫌を損ねる、ということ。事務所が仕事を取りづらくなれば結局タレント自身の活動に響いてくる。それと、年少の後輩タレントに対する、事務所的には迷惑千万な悪影響。特に、美貴様は辻ちゃんと違って、現モーニング娘。リーダーというハロプロのマザーシップ、屋台骨を支える重要な役どころを担っている人だということ。
 なので、僕個人の本音としては、この程度の記事はシカトを決め込んで、あくまでもノーコメントを貫いてくれればいいと思うのだけれど、色々な影響を考えると、事務所としては、まったくお咎めなし済ますことも出来ないのではないか、という気もする。なので、凹む。
 みきちゃんは、絶対に自分から「辞めます」とか言わないでほしい。しぶとく生き続けて欲しい。そうしてくれると信じます。それを切望してます。
 事務所(&つんく♂さん)からの、今回のことに対するペナルティは、「どんなに世間やファンからぼろくそに批判されても絶対にリーダーを辞めさせないし卒業も許さない真っ正面で罵詈雑言を受け止め続けなさいの刑」ということで手を打ってほしいと思います。なんたる名案!

从VvV从<うええ、うざー。みきちゃん、タリィから辞めちゃっていい?
ノノ*^ー^)<だめだめっ! 美貴様、絶対やめさせませんよ

 てゆうか、この程度のことは、笑い話で済ませるぐらいの度量が欲しいですね、本人にも、事務所にも、スポンサー企業にも、芸能マスコミにも、ファンにも、世間にも。
 なので、この暗く淀みがちになる気分を、笑いで乗り越えようということで、替歌を作ってみました。ネタの性質上、多少失礼な部分がありますが、あくまでネタなので庄司智春君(31歳)は怒らないでね。みきちゃんもね。笑って許してね。

『声』(藤本美貴ヴァージョン)

<都合により一部抹消>

ノノ*^ー^)<これをヤン土にも送ったそうですよ
从VvV从<失礼にもほどがあるって話ですよね
ノノ*^ー^)<ま 自業自得ですよね
从VvV从<そういう亀ちゃんは大丈夫なワケ?
ノノ*^ー^)<う。 ……え、あ? なんの話でしたっけ。今一瞬意識が

cross_decoration

2007.05.26(土)
■ミキサマミキサマオシオキキボンヌ

从VvV从< 「美貴様の オシオキ受けて 嬉しいっしょ?」

ノノ*^ー^)<まー確かに過去最大級のオシオキですよね

cross_decoration

2007.05.27(日)
■藤本美貴に惚れ直し

 『FRIDAY』の写真。パパラッチのおかげで、普段みることのできない美貴様の私服姿をみることが出来ました。超可愛い。かっこかわいい。
 庄司君も、悔しいが、かっこいい。けど、それはあくまで見た目の話で。記者に「藤本美貴との交際について」訊かれた時のうろたえぶりは、かっこ悪いぞ。かっこ悪いけど、「事務所に訊いて」とはぐらかしたのは大正解だ。「真剣に交際してます」とか言われなくてよかった。命拾い。
 この記事が出た、というだけで、ヲタをやめるとか、サイトを閉鎖するとか、もうね、アホかと、バカかと。
 22歳の水もしたたるいい女ですよ、浮いた話の一つや二つは、華やかさを増すための小道具ってなもんですよ。逆に、中澤裕子さん34歳(もうすぐ)も、少し盛り上げてやってくれよFRIDAY、ぐらいの勢いで。
 仮に交際が事実としても、愛する女性に恋敵がいたら諦めるのかと嫌いになるのかと逆に轟然と燃えあがるのが恋の炎というものじゃないのかと。あんな女性らしい、可愛い、おしゃれな私服姿見ちゃったら、惚れ直すしかないでしょ。

 こんな記事が出ても、みきちゃんはGAMコンをやり切った。偉い。
 MCでは、記事のことには触れず、トークはあやちゃんにかなり助けてもらったみたいだけれど、それで正解。
 気違いヲタは、本気で白いタンクトップを着て最前に入ったりしなかっただろうな? そういうことをするふざけた輩は豆腐の角に頭をぶつけて今すぐ死んでください。

 みきちゃんは、きっちり「ヤンタン」にも出演。一切仕事を落とさず、逃げず、やり切った。そんな美貴様に惚れ直し。心からリスペクト。みきちゃん、男の中の男だよ。

从VvV从<いやいや女ですから

 「ヤンタン」のなかでは、岩盤浴、食事、遊びに行った、ということは認めて、お騒がせしたことに謝罪していた美貴様。
 それ以外は一切認めない、という方向を貫き通してほしい。
 モーニング娘。を辞める辞めないなんて話は考えるのも止めてほしい。
 グループ内での美貴様の立場は厳しくなるかもしれないが、そこを耐えるのが大人。そしてみきちゃんはそれが出来るはず。
 なんでもないことだった、ということにして、小さなファンには忘れてもらい、大の大人のファンには、ネタとして楽しませるぐらいでいいよ。

从VvV从<お前ら、ちゃんとしろよ!
ノノ*^ー^)<美貴様ぁ、岩盤浴♪
从VvV从<ぁ。すいませんすいませんすいません(←出川のモノマネ)

 的なネタにしちゃえばいいじゃん。←ヤケクソ?
 これからまた事務所側やつんく♂さんとも話し合いを持つらしいけれど、前向きに、モーニング娘。を続けていく方向で検討してほしい。
 これしきのことで負けるなミキティ。
 記事になってしまったことで、交際は終了とせざるをえないかもしれないけど。そこは事務所としても譲れないかもしれない。
 それは美貴様的には不本意かもしれないけど。
 女の子としてのみきちゃんの気持ちを考えると可哀想でもある。
 アイドルなんかやってるせいで、自由に恋愛もできないなんて切ない話だよ。
 でもまあ、みきちゃんは、しっかりしてるから。
 仕事や支えてくれるファンの気持ちと、男との交際を秤に掛けて、後者を優先するような、
 矢口真里みたいな大馬鹿者
 とは、ミキちゃんは違うと信じてます。

 (2007.10.04注記:削除線を付けた上記表現は、現時点では撤回する必要がある。その理由については
10.04付の記述を参照のこと。)

ノノ*^ー^)<イタさん、通常の更新ができない、ってボヤいてた
从VvV从<知るかよ。こんな記事華麗にスルーするのが大人ってもんじゃん

cross_decoration

2007.05.27(日)no.2
■藤本美貴さんに今捧げる歌

 矢野顕子は、その音楽的戦友ともいうべき忌野清志郎が喉頭癌になって入院した時に、彼を励ますための曲を作って歌いました。
 重たい内容の歌なので、今回のようなささいな出来事で、この曲をひっぱりだすのはちょっとやりすぎですが。なんとなく思い出してしまったのでご紹介。

この手をはなさない
はしてはいけない
ことばはいらない
Everything is gonna be alright
We'll do anything to end this fight
矢野顕子作詞作曲『きよしちゃん』より引用

 今日明日にも、藤本美貴と事務所首脳との間で話し合いが行われ、今後の彼女の処遇が決まろうとしている今この時、例え、万が一、みきちゃん本人が「もうメンドウだからモーニング娘。やめちゃってもいいや」と考えたとしても、ファンだけは、彼女の小さな手を離してはいけないと思う。今のモーニング娘。には藤本美貴が絶対に必要だという思いを伝えなければいけないと思うのです。
 大丈夫。
 きっと何もかもうまくいく。
 Everything is gonna be alright

从VvV从<わかったからやめないからその脂ぎった手を離して

 4年前にモーニング娘。に加入した時は「まあ楽しめればいいかな」と氷のように冷え切った発言でファンを楽しませてくれた彼女も、その後、長い時間を経て、モーニング娘。のメンバーとして、まわりともなじみ、ファンから愛され、牽引役としての責任を果たしても来た。
 だが、中澤裕子さんのように、新垣里沙さんのように、なんの留保もなく「モーニング娘。を愛しています」と言って済ましてはおけないような緊張感が、藤本美貴とモーニング娘。の間にはあって、その関係性のねじれが、彼女の持っている大きな「萌え要素」の一つだと、おいらは思っています。
 なので。
 上記のような、感動的すぎる名曲を捧げて話を終わりにしたくないんですねー。
 おいらが去年作った、サイテーな替歌を、こんなピリピリとした時期に敢えて再掲示して、藤本美貴さんを辛口のネタでいじって励まそうと思います。
 元ネタは、中澤裕子さんが卒業のときに歌った感動の名曲『恋の記憶』です。それをみきちゃんに置き換えて、みきちゃんが卒業する、って内容でお届けします。現実には、絶対、卒業とか脱退とかするなよ、って気持ちを込めつつ。

『美貴の記憶』

<都合により一部抹消>

ノノ*^ー^)<空気嫁
从VvV从<やっぱソロに戻ろうかな

 数えてみたら、こんこんをネタにした替歌は4曲、藤本さんをネタにした替歌は3曲作ってました。
 どんだけみきちゃんのことを愛してるんでしょうか?

从VvV从<愛してるってかネタにしやすいんでしょ
ノノ*^ー^)<てゆうか てゆうか てゆうかさあ なんでわたしの替歌がないわけ?

cross_decoration

2007.06.01(金)
■藤本美貴、モーニング娘。を「脱退」

 今日だけは、泣いてもいいですか。

モー娘藤本美貴、熱愛発覚でグループ脱退

 モーニング娘。の藤本美貴(22)が、同グループから脱退することが1日、分かった。この日、所属事務所が発表した。藤本は先日、人気お笑いコンビ品川庄司の庄司智春(31)との交際が写真週刊誌の報道で発覚したばかり。藤本が「リーダーである自分自身へのケジメとして、モーニング娘を辞めさせて欲しい」と申し入れ、事務所も承諾した。

 藤本は「モー娘の約束を破るようなことになってしまい、重く責任を感じています」とコメント。モー娘の後任のリーダーは高橋愛、サブリーダーは新垣里沙が務める。

[2007年6月1日17時36分]
ニッカンスポーツ2007年6月1日より

 そして、前日には、こんなニュースも入っていた。

テレ東社長「モー娘は処女性保って」

 テレビ東京の菅谷定彦社長(68)は31日、社長として最後の定例会見を行い、2011年の地上波デジタル完全移行までに静岡、仙台、広島に系列局を開設する計画を発表した。京都、神戸にも電波を届ける意向。

 また、モーニング娘。らを輩出した番組「ASAYAN」を持っていただけに、辻希美のできちゃった婚など一連のハロプロ騒動に「ガックリ。モーニング娘。のメンバーでいる以上は処女性を保ってほしい」と要望していた。
デイリースポーツonline5月31日より

 この菅谷社長の鶴の一声が、UFAと藤本美貴の最後の意思決定の引き金を引いたのかもしれないですね。
 モーニング娘。「脱退」が、事務所側の意向ではなく、本人の決断だと言う形をとったのは、武士の情けで、本人の名誉を重んじたということなのでしょう。
 そんな冷静ぶった話をしている場合ではない。
 悪夢としか言いようのない、予想しうる最悪の事態になってしまった。
 その結論だけは回避したいと思い、のたうちまわってきた。
 しかし、まったく力が及ばなかった。
 ファンの世論形成に、わずかばかりの影響を与えることすら出来ず、自らの無能と無力を呪うばかりだ。
 所詮、ファンがいくら声を挙げたところで、権力者による決定に抗うことなど出来はしないのか。
 いや、もっともっと出来ることがあったはずなのだ。
 失笑を浴びる覚悟で、泥臭く嘆願署名を集めればよかったのだ。
 全力を尽くせなかった自分が恨めしい。
 We'll do anything to end this fightなんて、歌詞を掲げておきながら、何もできなかった自分が恥ずかしい。
 メールが読まれて浮かれていた自分が情けない。
 涙を流す資格などありはしない。

 大好きなメンバーを、また一人、失ってしまった。
 もう、みきえりもみられない。

从VvV从<

 いつも書く笑えないオチも、今日は書けない。

cross_decoration

2007.06.01(金)no.2
■『モーニング娘。』リーダー「藤本美貴」についての重要なお知らせ

『モーニング娘。』リーダー「藤本美貴」についての重要なお知らせ
平成19年6月1日
いつも『Hello!Project』を応援して下さってありがとうございます。
本日は『モーニング娘。』について大事なお知らせがあります。

「藤本美貴」は、平成19年6月1日(金)をもって『モーニング娘。』を辞めることになりました。

 平成19年5月25日(金)発売の写真週刊誌「FRIDAY」誌面に藤本美貴に関する報道がされました。このことについて、藤本美貴本人と事実関係の確認等をし、本日に至るまで話し合いを複数回行いました。この話し合いの中で、多数の未成年者が属するグループの一員としてのあり方を話し合い、藤本美貴より「モーニング娘。のリーダーである自分自身へのケジメとして『モーニング娘。』を辞めさせて欲しい。」との申し入れがありました。弊社は、この藤本美貴からの申し出を了承する事と致しました。

 現時点で『藤本美貴』の今後の活動としては、先週末(5/26)から行われている松浦亜弥とのユニット、『GAM』のツアーへは予定通り出演致します。また、7月に行われるコンサート「Hello! Project 2007 Summer 10thアニバーサリー大感謝祭 〜ハロ☆プロ夏祭り〜」へは、出演致しません。ご了承下さい。尚、モーニング娘。の後任のリーダーは、現在サブリーダーである「高橋愛」が務め、サブリーダーは「新垣里沙」が務めます。

今後とも『Hello!Project』をよろしく御願いします。

株式会社アップフロントエージェンシー



藤本美貴コメント

「いつも応援してくれるファンの皆さんへ。
私は、モーニング娘。のリーダーとして、他のメンバーを引っぱって行かなくてはならない立場にありながら、モーニング娘。としての約束を破るような事になってしまい、重く責任を感じています。私のとった行動で、メンバー全員に迷惑をかける結果になってしまったことはとても申し訳なく、そのままモーニング娘。のリーダーとして活動を続ける事は、自分の中では決して出来ることではありませんでした。自分自身へのケジメとして、モーニング娘。を辞めることになりました。
これまで応援してくれたファンの皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にごめんなさい。これからは『藤本美貴』として頑張って行きますので、よろしくおねがいします。」

cross_decoration

2007.06.02(土)
■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘T

犬が一匹、腸詰を
パクリとひとつやったので
肉屋は大鉈ふりあげた
あわれな犬はこまぎれに

それを見ていたほかの犬
せっせ、せっせと、墓づくり
白木づくりの十字架に
目につくようにこう書いた

犬が一匹、腸詰を
パクリとひとつやったので
……(以下延々と繰り返す)……
サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』安堂信也・高橋康也共訳、白水社「ベケット戯曲全集1」p108より引用

 (注釈)
 :狂犬フジモトミキ
 腸詰:ソーセージ、某お笑い芸人の持ち物
 肉屋:テレビ東京スガヤ社長
 ほかの犬:UFA、モーニング娘。という名の保守反動化したアイドルユニット
 目につくように:何故十字架にあえて死亡の原因を書くのか、おお、無論、愚かな犬の後に続こうとする者へのみせしめのためである
 犬は犬である。犬である以上、人間としての権利や自由を主張することなどありえないのだ。そもそも飼犬は自由意思など持つべきでもなく、飼主の意思に絶対的に服従すべきであり、従えないのなら、細切れにされ、あるいは保健所に送られ屠殺処分を受けることになる。今や最初から去勢手術を施しておくのが賢い飼主の義務であるとさえ言えるだろう。
 この上なく魅力的な一人の女性と思っていた存在は実に犬であった。一匹の哀れな牝犬であった。その哀れな犬を愛していた僕も、自分を人間だと思っているのは錯覚に過ぎなくて、本当は一匹の哀れな犬であるに違いない。
 痩せ細った哀れな二匹の犬、ミキティーとイテーは、貧相な木が一本あるきりの寒々しい舞台装置の上で、うずくまり、意味のない言葉を呟き続けながら、ずっとゴドーがやってくるのを待ち続ける。なんのために、来る日も来る日もゴドーを待ち続けているのか、そもそもゴドーとは何者なのか、それすらもう分からない。もしかしたら、ゴドーがやってきて、お前たちは人間だと認めてくれるのだったろうか、それとも人間にしてくれるのだったろうか。
 しかし、むろん、ゴドーはいつまで待ったところで決して二人の前に姿をあらわしはしないのだ。

cross_decoration

2007.06.03(日)
■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘U

 2007年6月1日。「モーニング娘。としての藤本美貴」は非業の死を遂げた。享年22歳。モーニング娘。在籍期間は約4年。リーダー在任期間は僅か一ヶ月足らずであった。5代目リーダーは歴代最短の在任期間更新という不名誉な記録とともに──むしろその記録のみにより──後世に語り継がれることになるだろう。

 社葬(盛大な卒業公演)は行われず、「偲ぶ会」もなく、近親者(モーニング娘。メンバー)のみによる密葬すら行われるかどうか定かではない。
 「モーニング娘。としての藤本美貴」の屍は、墓掘り人夫たちが無造作に掘った墓穴に無造作に放り込まれ、手早く土を被せられ──まるで違法投棄する産廃業者なみの手際よさ──埋葬されてしまう。まるで「非業の死」そのものがなかったかのように骸は隠蔽されてしまう。
 彼女を襲った運命に抗おうとする者たちの気持ちなどお構いなしに、その死にまつわる事務処理手続きは見る間に完了してしまう。

 しかし心ある者たちは、割り切れない思いを、与えられた運命を拒絶せんとする激しい思いを、拭い去ることが出来ない。
 それらの、悲しみと、怒りと、嘆きに満ちた言葉こそ、「モーニング娘。藤本美貴」の墓碑銘として、墓石に刻みこむ言葉に相応しい。

とにかく、私にとっていえるのは、もしこれがアイドルという職業のたどる道であるとするならば、アイドルとはなんとも非人間的な職業だなあ、ということである。
女王陛下の07(feodorさん)
はかないものを愛でること、我々にはもうできないのだろうか。「アイドル」ひとつも守れないなんて、人間性の凋落に違いないと嘆くのは、ヲタの戯言に過ぎないでしょうかね。
ヲタで卒論 〜解釈と操作のヲタ視線〜 - ハロー警報(斧屋さん)
心に圧力を加えれば、表面上は従順な「いい子」になる。しかしその心は歪んでしまう。
子供を育てたことはないが、自分自身がいつまで経っても子供であるせいか、容易に想像できる。
お前らそれくらいの想像もできないのか。というか、お前らの中に子供を育てたことのある奴はいないのか。お前らは自分の子供もそうやって育てるのか。育てたのか。

あの子たちは、俺たちが思っている以上に子供なんだ。
そして俺たちは大人なんだ。少なくとも「大人」をやらなきゃいけないんだ。
罰を与えるだけが大人のすることか? 大人のルールに従うことを強制して、従わなかったら排除して、それで「私は大人でございます」と胸を張れるのか? それは幼稚っていうんじゃないのかね。
ハロプロをなんでも肯定する・裏(オーガさん)
また類概念に個人が殺された。
「アイドル」を呪う。
「アイドルとヲタの関係」一般を呪う。
女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ(青木ヨーマさん)

 「アイドルという制度」「処女性という装置」は、今日も精密機械のような厳格さで動作し続けている。

 「モーニング娘。藤本美貴」の悲劇とは、彼女が自分に正直に、その責任や地位に思いを馳せることなく、感情の赴くままに行動したことにあるのではない。
 とうの昔に死滅したはずの「アイドルという制度」が、誰知らぬうちに復活していたこと、そして我々の予想を遥かに超えて、強力に機能し続けていたことにある。
 「アイドルという幻想」(制度)とは、すなわち、アイドルは処女性の象徴であり、異性に恋心など抱かず、彼氏を作らず、品行方正で、綺麗で正しい言葉遣いで話し、性格は明朗快活で、チョコレートパフェとクレープとタルトを好物とし、うんこもおならもせず、口臭などあろうはずもなく、掻く汗は爽やかなミントの香りがし、蒸れた靴下ですら芳しい薔薇の香りがし、とにかくありとあらゆる理想の属性のみで出来上がった奇跡の存在であるということ。つまり「アイドル」とは嘘で塗り固められた存在であることを、決して見破られぬよう、完璧に大衆を騙しきり、虚構の人間性を完璧に演じきることを求められる存在なのである。
 そのような不自然極まる「アイドル幻想」は、「アイドル冬の時代」にはほぼ死滅(まさに冬眠)していたはずだった。嘘が嘘にすぎないことは、1990年代には国民的了解事項だったはずなのだ。しかし、その「アイドル幻想」という化物は、千年もの間、地下で眠り続けていたのだ死んではおらず、密かに復活のときを息を詰めて窺っていたのだ。
 それを地中から掘り起こし、蘇生させたのは、皮肉にも、モーニング娘。だった。
 しかし、モーニング娘。は、「アイドル幻想」を脱構築していたはずだった。そう僕は考えていた。
 ところが、とうに乗り越えられたはずの旧態依然たる「アイドル幻想」は、モーニング娘。のメジャー化とともに、何食わぬ顔で復活していた。
 その「アイドル幻想」が、今、モーニング娘。を縛る。
 パンドラの箱を開けたのはモーニング娘。自身だった。

 テレビ東京とUFAは、「モーニング娘。の藤本美貴」という具体的個人(とその魅力)よりも、「アイドル幻想という制度」を温存することを選んだ。そのほうが経済的合理性があると判断した。こうして「アイドルという制度」が「モーニング娘。藤本美貴」を抹殺する。

 かくして装置は魯鈍なまでの正確さで動作し続け、制度は、その存続を危うくする個人を、真実を露見させかねない危険な存在を、未来永劫、抹殺し続けることになるのだ。
 その結果、誰一人信じていない「アイドル幻想」という建前が、生きた人間を生贄として犠牲に供することによって、維持される。
 真実などという贅沢品は、装置には不要なのだ。むしろ邪魔でしかない。建前が建前として機能してさえくれればそれでいい。建前が建前としてスムーズに流通しさえすれば、それが利益を生み、アイドルを商うものとアイドルを購う者の双方を幸福にすることが出来るのだから。申し分なく順調に機能している経済合理性を前にして、一文にもならない真実を露呈させることで、装置の動作に狂いを生じさせかねぬ愚かで危険な人間が抹殺されたとしても、何の不思議があろう。それはあまりに当然の話ではないか。
 「擬似恋愛」という楽しみを享受することを望む「アイドル消費者」のニーズに誠心誠意お答えすること。そのために、「アイドルという生身の人間」などという野蛮な存在の奔放に生長しようとする人間性とやらは、躊躇いなく切り取り、大胆に刈り揃えて、一定の規格に押し込み、メーカー保証書をお付けして、誰もが安心してご購入いただける高品質な商品としてお届けする。それこそが、「アイドルを売る商人」の商業道徳でなくてなんであろう。
 完璧に合法な人身売買が成立している以上、その両者の間で、生身のアイドルが、人間であることから降りることを強要されるとしても、そこに何の問題があろう。
 完璧な商品になること、「アイドル」になることを望んだのは、アイドル自身ではないか。

モーニング娘。としての約束って何?
彼氏が出来たらやめろって誰が決めたの?
ファンはそれを望んでるの?
恋をしていない女の子が、どうして恋の歌を歌えるの?
じゃあ、彼氏が出来たらあの子もあの子もみんなやめちゃうの?
そんな不安定なグループ誰が応援するの?
AKY(やうこさん)

 ファンへの裏切りとは、藤本美貴が恋愛をしたことでもなければ、それがマスコミに報じられたことでもない。
 くだらない幻想の延命のために自分を殺し、モーニング娘。を去るという事実そのものがファンへの裏切りである。
 そのことを藤本美貴自身は分かっていると思う。少なくとも、彼女のものとされるコメントを読んだかぎりではそう信じることが出来る。
 モーニング娘。を辞めることになりました。
 「しました」ではなく「なりました」。
 藤本美貴が主体的に判断決定したのではなく、ただ、日本的な風習に従って誰が主体であるかも曖昧なままに判断決定がなされたということ。そのような告発が、この5文字からなる文末に込められているのではないのか。
 すくなくとも、「しました」と書かれなかったことで、その可能性に賭けることが出来る。
 今回の「脱退」決定に、藤本美貴自身も煮え切らない思いを抱いているという可能性、納得してはいないという可能性、その僅かな可能性の中にのみ、私の最後の希望はある。
 私のこの煮えたぎる思いを彼女自身も共有してくれているはずだ、という一縷の可能性の中に。

cross_decoration

2007.06.04(月)
■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘V 《モーニング娘。の死んだ日》

 ■モーニング娘。の終わりの終わり
 「モーニング娘。藤本美貴」に死刑が宣告され即日執行された2007.06.01。その日は、僕にとってのモーニング娘。が死んだ日でもあった。
 気づかないうちに着々と迫っていた終焉が、ついにヴェールを脱いだ日。
 それはモーニング娘。の終わりの終わりだった。
 僕にとってのモーニング娘。とは、革命性に満ち、日々力づくで脱構築を実践して既成のアイドル概念を刷新し打ち破り鍛え直す、奇跡としか思えない魅力に溢れるグループだった。
 そうであるはずだった。少なくとも僕はそう感じていた。
 しかし、モーニング娘。は、いつのまにか、旧態依然たる「アイドル」に逆戻りしていた。
 そのことが明らかになったのが、2007.06.01。
 モーニング娘。は、反革命の徒、保守反動的集団に成り下がっていた。
 他の誰でもない「ファン」という名の愚かな大衆──賢い消費者と呼ぶべきか──がそれを望み、そうしてモーニング娘。自身が、その期待に答えて来た、これはその結果なのだ。

 ■モーニング娘。とは誰か
 ここで言う「モーニング娘。」とは、現メンバー全員のことではない。また、中澤裕子からジュンジュン、リンリンに至る歴代メンバーの総体でもない。彼女らの誰一人として、モーニング娘。の意思を決定する権限を持たないのだから。
 彼女らに、プロデューサーつんく♂を加えても、まだ「モーニング娘。」とは言えない。つんく♂の意思決定権も極めて限定されたものであろうと思われるからだ。彼に決定できることは、おそらく、どんな歌を歌わせ、どんなステージパフォーマンスを演出するか、という、モーニング娘。の歌手=アーティストとしての側面に限られているのではないか。彼に藤本美貴を慰留する権限はなかっただろう。
 つまり、モーニング娘。メンバーとは、現場作業員であり、リーダーとは作業員の班長であり、つんく♂は現場監督にすぎないのだ。
 おそらく、テレビ東京、レコード会社、事務所、その他様々な関連企業やメディア、それら、モーニング娘。を制作販売することで、収益を上げ、あるいは、そのプロジェクトに関わることで生計を立てるありとあらゆる人々、利害関係者(ステークホルダー)の総体が「モーニング娘。」なのだ、とでも言っておく他はないと思われる。
 そこには、明確な意思決定の責任主体は存在しない。
 「お偉いさん」たちが額を寄せ合って、腹の内を探り合う中で、誰の意向かも曖昧なまま、いつのまにか意思決定がなされているような、あまりにも日本的な組織、それが「モーニング娘。」なのだろう。
 おそらくモーニング娘。とは、最初から、そういう組織だったのかもしれない。

 ■メンバーの意思表明手段
 メンバーは、モーニング娘。の意思を決定できない。
 メンバーに出来る唯一の意思決定、組織の決定に対して、個人が抵抗を表明する唯一の手段、それは、モーニング娘。を辞めることである。
 「理想のアイドル像」を守り続け、「アイドルという制度」に順応してコンサバティブに生き延びるか、さもなければ自爆テロか。メンバーに許されているのは、このような極限的な二者択一のみであり、その中間で、アイドルをやりながら人間的に主体的に自由に生きることは絶対的に禁止される。そのことが明確になったのが、2007.06.01。
 (実は、もう一つだけ、メンバーからの異義申し立ての方法がある。
 それは「太ること」だ。これは、ある意味で、ゲリラ的なレジスタンス活動だ。ただ、実効性が明らかでないこと、組織への内側からの攻撃として機能する以前に、自分の人気だけが落ちて終ってしまう危険を孕んでいること、反抗の意思表明なのかそれとも単に食欲に負けてだらしなく太っちゃっただけなのか判然としないことに、困難を抱えている方法だと言える。)

 ■それでも、今後のモーニング娘。に期待する
 「モーニング娘。」という組織が、そのように硬直した、息の詰まる「アイドルユニット」であることが明らかになったとしても、それでも、絶望しているわけではない。
 つんく♂さんは、これからも、私たちをアッと言わせ続けてくれるだろうし、名曲を──打率は下がり、力点は他のユニットに移ったとしても──届け続けてくれるだろうし、メンバー達は、今後もメディアを通じて、愛や、勇気や、笑いや、萌えや、その他あらゆる喜びを私たちに伝えてくれると信じている。
 ただ、今まで同然に、「やっぱりモーニング娘。は最高だな!」と単純には言えなくなった、というだけだ。
 どうしても、つんく♂さんやメンバー達と、「モーニング娘。という組織」の間にある緊張関係というものに対して、意識的であらざるをえなくなった、というだけのことである。
 5代目リーダー「モーニング娘。藤本美貴」が、その臨終に際して、今際の際の言葉として「これからもモーニング娘。を応援し続けてください」と言ったにせよ言わなかったにせよ、彼女が身を挺して救おうとしたのが「モーニング娘。」であったにせよ、モーニング娘。自体の性質がここまで変質してしまった──あるいは本性をあらわにしてしまった──以上は、いままでと同じ気持ちでの応援を続けるなどという、無神経な振舞いは私には出来ない、という、ただそれだけの話である。

 ■喪失
 藤本美貴は、これからもソロ歌手として、あるいは『GAM』のメンバーとして、今まで以上に精力的に活動を続けるだろう。また、バラエティタレントとしての、女優としての活動の機会も増えるかもしれない。
 藤本美貴という魅力的な女性が好きだし、彼女の歌は最高だと思っている。音符の一つ一つにまで、自分の個性を刻み込み、魅力を溢れさせるアイドル歌手としての実力は他の追随を許さない。
 もちろん、これからも、そんな彼女のことを応援していきたい。
 でも、僕を本気で熱くさせ、夢中にさせてくれたのは「モーニング娘。としての藤本美貴」だったんだよ。
 飯田圭織に一言注意されたら三倍言い返していた藤本美貴。
 嬉しいことがあったら、一人で喜ぶより、仲間と一緒に喜んだほうがもっと嬉しいと気付くことができた藤本美貴。
 集団でのパフォーマンスを縦横無尽に楽しんだ藤本美貴。
 二つのラジオ番組をおもちゃにして道重さゆみと対等にじゃれあっていた藤本美貴。
 みきえり。
 そんな「モーニング娘。藤本美貴」は、終ってしまった。もう再び見ることは出来ない。
 この喪失を埋め合わせることが出来る者は、誰もいない。
 Everything that has beginning has an end.
 始まったものには終わりがある。
 それは、その通りなのだけれど。
 その言葉を呪文のように繰り返したところで何の慰めにもなりはしない。

ノノ*^ー^)<「モーニング娘。に藤本美貴(GAM)」ってどうですかね?
从VvV从<なぁいないないない!
(・e・)<それがやれたら本気で「つんく♂さんは神!」ですけど
从VvV从<つーか、土下座されてもイヤだね

cross_decoration

2007.06.05(火)
■ミキ受難曲 Mikius-Passion (抜粋)

第45a曲 レシタティーヴ
(福音史家)
(注1) さて、祭(注2)のたびごとに、総督は群集が願い出る囚人ひとりを解放してやる慣例になっていた。ときにバージニティ(処女性)という有名な囚人がいた。そこで、集まった民衆の前で、ピラトは言った。
(ピラト)(注3) おまえたちは、だれを許してほしいのか。バージニティか、それともモーニング娘。の救世主と呼ばれたイエスか。
(福音史家) なぜなら、ピラトはよく理解していたからである。彼らがイエスを引き渡したのは、ねたみ(注4)のためであることを。
(中略)
(福音史家) しかし、祭司長、長老たち(注5)は、群集をそそのかし、バージニティを救わせ、イエスを殺させるようにと仕向けた。総督は彼らに向かって言った。
(ピラト) ふたりのうち、どちらを救ってほしいのか。
(福音史家) 彼らは言った。
(合唱)(注6) バージニティを!
(福音史家) ピラトは言った。
(ピラト) それではモーニング娘。の救世主といわれるイエスは、どうしたらよいか。
(福音史家) 民衆全員が一斉に言った。

第45b曲 合唱
十字架につけよ!

第46曲 コラール
なんと奇妙であることか、この処罰は!
善き牧者(イエス)が、その羊(注7)のために苦しみを受けている、
正義の主が、僕(しもべ)たちのために
その罪を贖っておられるのだ。

第47曲 レチタティーヴ
(福音史家) ピラトは言った。
(ピラト) あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか。

第48曲 レチタティーヴ(ソプラノ)
彼は、われらすべてに、善き行いをしてくださった。
モーヲタに光を与え、
乞う者に鮭トバ(ハラスに限る)の美味なるを伝道し、
われらに母なる女神の御気持(ミキモチ)を語り、
オシオキをキボンヌする者の願いを叶え、
嘆く者をその万能の美声で慰め、
キショヲタまでも受け入れてくだされた。
そのような善き事の他、わがイエスは何もしていない。

第49曲 アリア(ソプラノ)
愛のゆえに、わが主は死を望まれる。
ただ一つの罪すら、主は御存じないというのに。
永遠の亡びと、
裁きによる罰とを、
わが魂に留めずにすむようにと。

第50a曲 レチタティーヴ
(福音史家) すると彼らはいっそう激しく叫んで言った。

第50b曲 合唱
十字架につけよ!

第50c曲 レチタティーヴ
(福音史家) ピラトは手のつけようがなく、騒乱が一層激しくなるのを見て、水を取り寄せ、群集の前で手を洗い清め、そして言った。
(ピラト) この義なる人の血について、わたしは責任を負わぬ。彼を見るがよい!
(福音史家) すると民衆全体が答えて言った。

第50d曲 合唱
その血の責任は、我らと我らの子孫が負う。(注8)

第50e曲 レチタティーヴ
(福音史家) そこで、ピラトはバージニティを開放してやり、イエスを鞭打ったのち、十字架につけるために引き渡した。

第51曲 レチタティーヴ(アルト)
神よ、あわれみたまえ。我らが救世主は、縛られたまま、ここに立っておられる。
おお、鞭打ち、おお、殴打、おお、傷!
鞭打ち役人よ、その手を止めよ!
この痛ましい姿を見てもあなたがたの心は痛まないのか。
ああ、もちろん! あなたがたにも心はある。
だがその心は、拷問台の如く冷酷だ、いやそれよりもさらに冷酷だ。
哀れと思いて、その手を止めよ。

ネタ元:J・S・バッハ作曲『マタイ受難曲』全音楽譜出版社(対訳皆川達夫)より。また、ERATO WPCC5268-70の加藤常昭による歌詞訳を参照した。なお、ネタとして改変する他にも、適宜訳語を修正した。

注1:語り部のこと。
注2:ヲタ界隈を揺るがす大事件は、周知の通り、しばしばと言われる。
注3:総督は、裁定し、刑罰を科す世俗権力の代表者である。
注4:ねたみは「モーニング娘。は処女性を保つべき」という言葉で規範化される。いかにもそれらしい言葉だが、しかし、その実質は「てめえ俺達ヲタがさんざん貢いでやったお陰で年収ン千万も稼いでアイドルなんて美味しい仕事してるくせに、その裏ではマッチョ芸人の腹にまたがって毎晩毎晩あんあん喘いでやがったのかよ、ふざけんな、金返せ」という、さもしくも愚かな嫉妬を肯定することに他ならない。
注5:UFA、テレビ東京などの「お偉いさん」達を表わす。
注6:合唱は群集を表わす。この場合は、マスコミや、芸能界のご意見番を自称する者ら含む、世間一般の風潮を表わす。だがしかし、そこにモーヲタが含まれていないとは言えない。
注7:羊たちは口々に、「責任をわきまえろ」「アイドルは恋愛ご法度が当然」「処分は妥当だった」「今後のためにいい教訓になった」と満足げに鳴き交わしている。
注8:民衆(ことにモーヲタ)は、このとき、その責任の真の意味を理解しえなかった。

 《解釈》

 ピラトは権力者として罪人を裁き、処罰を与える。しかし彼は、民衆の声を代弁するにすぎない。民衆全体の声が、彼の権力行使を正当化する根拠となる。

 世間の一般人ばかりではなく、主イエス(善き牧人)の行いにより救われて来たはずのモーヲタ(か弱き羊たち)までもが、「処分は妥当」「必要悪だ」「アイドルである以上、一定のルールに従う必要がある」などと、賢しらにも述べたてている。
 そのように語る者たちは、やがて自らの最愛の推しメンが、同じような災難に遭遇し、モーニング娘。を追われ、十字架に掛けられることになるその時、再び、同じ言葉を口にすることになるであろう。推しメンに裏切られたと叫び、失望したと嘆き、善良な消費者への背任行為を糾弾しつつ、その推しメンを十字架へと追い立てるのであろう。わたしには今からその様がありありと目に浮かぶ。そのような「推し」が「推し」と呼ぶに値するのかどうか。
 それとも、彼らは、「自分の推しメンだけは、そんな裏切り行為はしない」と、おめでたくも信じ切り、安心しているのか。

 これは、「アイドルの処女性」といった虚構を、虚構であると踏まえたうえで、あえてその虚構性を楽しむという態度とはまるで違う。そのように虚構性そのものを信じるフリを楽しむのであれば、嘘が嘘であることが露見したときにも、「まあまあ、最初から虚構であることは分かっていたのだから、大騒ぎするなよ」という余裕のある態度が取れるはずだ。しかし、世間の態度には(一部のヲタにさえ!)、そのような余裕は見られない。本心では誰も真実であるなどとは信じていないはずの安物の虚構が、虚構であることが明らかになってしまうぐらいなら、愛すべきアイドルをその地位から引きずり下ろすほうを選ぶというのである。なんと愚かな!

 責任の引受け。民衆(モーヲタ)は、その責任の真の意味を理解しえなかったがゆえに、易々と、その責任を未来永劫引受けると請け合った。責任を引受けろと叫んだ者、それを傍観した者、そしてそれを命と代えてでも拒絶しえなかった者。民衆のうち誰一人として、引受けてしまったこの責任を逃れられる者はいない。生きて血を流す人間を「アイドルの処女性」という抽象概念のために犠牲の羊(スケープゴート)として屠ること。それは、国家という抽象概念のために一億玉砕を叫ぶ翼賛的思想へとまっすぐに通じている。

 イエスは、われらモーヲタが引受けるべき罰を、身代わりとなって引受けられた。たとえ、それを望まなかったにせよ、処罰を傍観することによって、われら全員がイエスを見殺しにしたのだ。本来、その全身に受けられた鞭打ちの傷は、我らの体と心の上に永久に刻印されるべきものである。

 われら、罪深きモーヲタは、イエスの死を忘却することにより、永久にイエスを鞭打ち続ける。
 すでに、我々は忘れはじめているのではないか。
 まるで、主の非業の死など、なかったかのように、界隈のモーヲタたちは、新たな話題に群がり、日常の賑わいを取り戻しているようだ。
 あるものは写真集に熱狂し、あるものはライブに救いを求め、あるものは、新体制への期待を明るい口調で語る。
 まるで、犠牲者に思いを馳せるよりも、モーヲタとしての日常的な快楽を、ルーティンとして着実に消費し続けることのほうがより一層重要である、と言わんばかりである。
 そのようにしてイエスの死が忘却の淵へと沈んでいく。我々の忘却が、イエスと、その死を永久に鞭打ち続ける。
 去る者は日々に疎し。
 それが避けられない真実であるとしても、いくらなんでも喪が明けるには早すぎるのではないのか。

 一人のアイドル歌手である藤本美貴、可愛らしく、美しく、力強い美声を持つ藤本美貴は、GAMのコンサートで、ファンの前に元気な姿を見せてくれているようである。盟友松浦亜弥が隣に立ち、大勢のファンが目の前で声援を送ってくれれば、アイドル藤本美貴はこれからも、元気一杯に、活躍し続けてくれることと思う。
 せめて、GAMだけは、彼女の小さな手からもぎ取られることがないようにと、切に願う。

 しかし、「モーニング娘。藤本美貴」という姿を借りて、我らモーヲタの頭上高く降臨した主イエスは、民衆のために、葬られてしまった。我々が主イエスを殺し、葬ったのである。

 主イエスが、いずれ、何らかの形をとって復活する時、その時こそは、最後の審判の時であるかもしれない。
 その時、我々全モーヲタが、裁きの場に立たされる。

ノノ*^ー^)<あれ?GAMってたしかグレートあやや&みっちげ、でしたっけ?
从VvV从<……
ノノ*^ー^)<あっあっ! 間違い! グレートあやや&ミッツィ〜、でしたよね♪
从VvV从<……亀ちゃん、いっぺん殺してもいい?
ノノ*^ー^)<あっ違う違う! えーと、グレート…グレート? …あれっ? なんでグレートなんだろう?? てゆうか絵里なんでこんな冷や汗かいてるんだろう?

cross_decoration

2007.06.06(水)no.2
■2007.06.05「ムーブ!」 モーニング娘。の掟

 最近、藤本美貴が「モーニング娘。としての約束」という表現を口にしたし、石黒彩が出演したTV番組でも「モーニング娘。の掟」という表現が使われていた。
 そんなものが、本当に存在していたのかどうか怪しいものだが、この「ムーブ!」という芸能情報番組(?)では、具体的に4箇条がフリップにまとめられていた。

 モーニング娘。の掟1:「恋愛禁止!」
 モーニング娘。の掟2:「20歳を越えても禁酒禁煙」
 モーニング娘。の掟3:「バラエティー番組での下ネタ禁止」
 モーニング娘。の掟4:「私服での過剰な露出禁止」

 だそうである。
 1は、まあ、アイドルだから、そういう指導は事務所からなされていることでしょう。「掟」にしては簡単に破られているような気もするが。
 2は、あからさまな嘘または間違い。中澤裕子さんがビールをぐいぐい飲むステキなお姿は、「アイドルをさがせDVD」にしっかり収録されているし、お正月ハワイ特番の収録の時、飛行機のなかで飲み過ぎて、へろへろな状態で収録を乗り切った、ということは本人が(後に?)暴露していたし、矢口真里も成人になったとたんに「お酒が飲めるようになりました」と報告していた。保田圭や矢口真里は堂々と「飲酒アイドル」であることをカミングアウトしていた。最近では吉澤ひとみも、むろん藤本美貴も。
 3は、まあどうでもいい掟だけれど。モーニング娘。がANNに初登場した時の話題ってそういう話題じゃなかったのかな? 聞いてないので確かなことは言えないけれど。それに、最近の「うたばん」での、田中れいなの「夜とか」「絡む」「舌を」発言は、何故事務所NGじゃないのか?
 4も、まあ、気持ちは分かるが、じゃあモーニング娘。は家族と海外旅行してビーチで水着になるのも禁止なのか、と。
 まあ、どういう根拠があって、こういう「掟」がある、と言っているのか不明ですが、この時期にこういう話題が出てくることには、なんらかの作為、意図を感じる。
 藤本美貴処分の正当化工作?
 現メンバーへの、締めつけ工作?
 まあ、事務所としては、これ以上現メンバーを立て続けに「脱退」させることになるのは何としても避けたいでしょうし。
 6代目リーダーが、5代目リーダーの最短記録をさらに更新しないという保証だってどこにもないですからね←ひどすぎ
 「はろぶろ。」のいぬいぬさんは、UFAは襟を正そうとしているから、却って叩かれやすい、襟を正せば正すほどきつくなるのが芸能界、というようなことを書いていましたね。たしかに、そういうドロドロに腐り切った芸能界事情、メディア業界事情というものもあるのかもしれませんね。
 ま、「掟」はともかくとして、ハロプロとそのメンバーとスタッフは、どうか、プロ意識を持って、写真を撮られないための方法論と技術を向上させ、見つかってもシラを切り通す態度を養い、情報は出る前に握り潰す力を貯えて欲しいですね、その為に裏社会の実力者にお金を渡さないといけないとか、そういうことがあるのはイヤなんですけど……って、こういうことを書くのがイヤだったから上記(↑)の記事を、自戒のために書いたのだった。全然守れてないし。
 (僕の気持ちを、平たく言えば、僕自身が、聖人君子でもなんでもない弱い人間なので、ハロプロメンバーにそれを要求することは出来ないし、するつもりもない、ってことなんですけども。
 でも、アイドルはアイドルであるがゆえに「子供たちの夢を壊すな」という錦の御旗の元、それを要求されてしまうんですよね。最初から無理があるんじゃないの、それは?
 そのような不自然な理想的存在が実在するかのように大人全体が嘘をつき通そうとすれば、嘘が嘘であることが分かった時に子供が人間不信に陥る可能性はより高まると、僕は思いますけどね。
 僕は、純粋な心をもった子供なんてそもそも信じないし、早く魂を穢して薄汚れた大人になるほうが健全だと思っているし、それが教育の正しいあり方だと思うので(さすがにひどいと書いてても思うぞ)、大人の汚い面、嘘の面も早いうちから見せて免疫を付けさせるべきだと思います。ただし、それはあくまで褒められたことではないよ、と、いけないことはいけないこととして、恥じらいをもってコソコソやりなさいよ、って感じでしょうか。無論、違法行為、犯罪はダメですけどね)

cross_decoration

2007.06.07(木)
■サイト名変更(マイナーチェンジ)
■about大幅に修正

ノノ*^ー^)<で、殿下! まさかアレを?
从VvV从<今変えずに、いつ変えるのだ?

 と言う訳で、サイト名を、マイナーチェンジ。
 2007年6月1日に、藤本美貴さんがモーニング娘。を「脱退」することになったことを未来永劫記憶するために、サイト名を、
 La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 après le 1er juin 2007
 に変更しました。「après le 1er juin 2007」は「2007年6月1日以後」という意味です。
 さらに、タイトル欄に、アドルノの有名な言葉を引用。
 "...nach Auschwitz ein Gedicht zu schreiben, ist barbarisch..." --- Theodor W. Adorno
 日本語に訳すと「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」となります。
 青木ヨーマさんのブログタイトルと、思いっきりカブってますけどもね、僕としては、この語句を、2007年6月1日という日付とともに記憶しておきたいのです。

 タイトル変更は、目立たない程度ですが、気持ち的には相当な変化があります。以前から書き継いできた文章の続きを、一体どうやって書き続けたらいいのか、いまだに見当がつかない。

 さらに、この機会に、
about 説明も大幅に書き直し。

cross_decoration

2007.06.07(木)no.2
■救いの2つの言葉、藤本美貴@GAM大阪公演06.02、高橋愛@ヤンタン06.02

 新旧二人のリーダーの言葉が、わたしにとって救いとなる可能性を持っている。
 まずは、モーニング娘。「脱退」を発表した翌日(06.02)に行われた、GAMコンサート大阪公演での藤本美貴のコメント。
 藤本美貴「藤本美貴です!」(ファンの声援)
 藤本美貴「えー、新聞や、」(ファンどよめく)
 藤本美貴「ホームページなどで発表されて、もうご存じの方もいらっしゃると思いますが、わたくし、藤本美貴、モーニング娘。を辞めることになりました。」(ファン「ええええ?」悲痛な声が混じる)
 藤本美貴「えー、これまで、ほんとに、すごくすごく、応援してくださっていたファンの皆さんには、ほんとに申し訳ないなと思っています。ほんとにごめんなさい」(声援と拍手)
 藤本美貴「これからは、藤本美貴として頑張っていきます」(大きな声援)
 藤本美貴「そして、今日は、GAMコンサートということで」(感極まったのか、ここで、声が裏返り、泣くのを堪えているようでもある)
 藤本美貴「張り切っていきたいと思います、よろしくお願いします!」(大歓声)
 松浦亜弥「まあ若干声裏返ってますけども、二人仲良くGAMとして頑張っていきますので、どうぞ皆様よろしくお願いします!」
 藤本美貴「お願いします!」
 藤本美貴は、公式サイトのコメントでも、ラジオでの発言でも、コンサートのMCでも、一貫して、辞めることになりましたと表現している。そこに、「しました」ではない、ということへの、強いこだわりが感じられる。その違いを曖昧にはしたくない、との意思を感じる。
 藤本美貴は、ファンに対して何を謝っているのか。フライデーされたことをか、深夜に遊び歩くという未成年者のいるグループのリーダーとして不適切な行動をしたことか、それとも、結果的にモーニング娘。を辞めることになってしまったことをか。
 それについて藤本美貴は何も語らない。
 語らない、という行動に、プロとしての意地があるのかもしれない。
 また、語らない、という態度の中に、立場上決して口に出しては言えない事務所への思い、「アイドルというシステム」に対する憤りの感情が込められているように思える。少なくとも、そう思う余地を藤本美貴は残してくれた。それが、わたしにとっての救いである。

 次に、同日放送のMBSヤングタウン土曜日における、新リーダー就任直後の高橋愛の言葉。
 藤本美貴の「脱退」が決まったことについて、明石家さんまに、お前が会社にかけあって、会長やめてください、とか、僕たちが守りますから(藤本美貴を)というようなやりとりはなかったのか、と訊かれて、消え入るような小さな声で、「……はい」(ありませんでした)と答えた高橋愛。モーニング娘。のメンバーという立場から、そういうことが到底言えないだろうことは当然。
 こういう形でリーダーに就任するのも気持ち悪い感じやな、と訊かれても、「うーん……」と曖昧に言葉を濁す。当然、こんな形でリーダーになるのはイヤだとも言えないし、ましてや「しめしめです、棚からぼた餅で」などと言う訳もない。
 そこで、明石家さんまから、副リーダーのままでどうや、リーダーの座は空席にして、と提案。「リーダーは藤本が必ず帰って来ますから」と言ったらかっこいいで、と問いかけられて、高橋愛は、はっきりと、かっこいいですねと答えた。
 藤本美貴のリーダーの座を空けて、彼女の復帰を待てたら、かっこいい。そのような形で、藤本美貴が見舞われた不運への態度を表明できたら、かっこいい。つまり、出来うることならそうしたいのだが、しかし、「アイドルであるモーニング娘。」としては、それを口にすることは出来ない、という気持ちの現れではないだろうか。
 少なくとも、高橋愛には、藤本美貴が取ってしまった行動とその結果の「脱退」という問題で、藤本美貴を責めたり、否定したりする気持ちはないのだと、感じられる。藤本美貴の処遇は彼女ひとりの問題ではない、決して他人事ではない。それは自分自身にもまっすぐに返ってくる問題なのだという意識が感じられる。
 かっこいいですねという発言は、事務所への批判という程のものではない。立場上、批判など出来ようはずもない。しかし、藤本美貴の座を空けてその復帰を待つ、という話を否定しないこと、かっこいいですねと肯定することで、モーニング娘。の藤本美貴という存在をも肯定してみせること。そこに、高橋愛に可能だった、ぎりぎりの抵抗を読み取ることが可能だ。
 そう読み取った時に、この表現は、わたしにとって救いとなりうる。

 また、同ラジオのレギュラーの座から藤本美貴が降りることになったが、藤本美貴は、「一旦お休みをもらう」「いつか必ず帰ってきたい」「帰ってきます!」と力強く宣言していた。
 こんなことではへこたれないぞ、という強い気持ちを藤本美貴が持っていること、それが、もちろん、わたしにとっての最大の救いだ。

cross_decoration

2007.06.21(木)
■藤本美貴をあきらめない

あなたをあきらめない
あなたの小さな手を離さない
あなたを信じることが あなたの希望となるのであれば
あなたの希望が ふたたびわたしたちを照らすことを
わたしたちは信じなければならない
わたしたちは信じることができる
わたしたちは信じる

嘲笑と 失望と 軽蔑と
愛のない関心と 愛のない無関心に取り囲まれ
その翼をもぎとり地に引きずり下ろそうとする冷酷な力に
思わず膝を屈し 地に臥してしまっても
あなたは立ちあがらねばならない
あなたは立ちあがることができる
あなたは立ちあがる

モーニング娘。を奪われ ガッタスを奪われ
GAMさえも奪われてしまったとしても
その小さな顔に吹きつける砂塵混じりの逆風の強さに
思わず顔を背けてしまっても
ふたたび 毅然として 真正面を向いて
あなたは歌わなければならない
あなたは歌うことができる
あなたは歌う

あなたが人を幸せにすると同時に 自分も幸せになることは
許されないことなのか 不可能なことなのか
いや違う それは簡単なことだ
あなたを「アイドル」という概念の処刑台に磔にする
定義付けという暴力から 身を引き剥がし 逃れればいい
あなたは自由になる

「アイドル」に「処女性」が求められるというなら
そんな安っぽい称号など 熨斗をつけて丁重に叩き返せばいい
「アイドル」という狭苦しく不自由な檻を抜けだし
広大な大地を自由に駆ける野生の獣に 美しいヒョウになればいい
あなたは荒野に生きる自由と 過酷とを手に入れる その過酷に
あなたは立ち向かわねばならない
あなたは立ち向かうことができる
あなたは立ち向かう

数々の輝かしい奇跡の瞬間
あなたはモーニング娘。そのものであり
あなたこそモーニング娘。だった
あなたがアイドル失格ならば モーニング娘。も失格であっていい
しかし あなたがモーニング娘。の歴史に刻み込んだ数々の奇跡を
その功績を 歴史から抹消し
その記憶を 消去することは
誰にも許されない 誰にもできない

わたしたちは待ち続けなければならない
わたしたちは待ち続けることができる
わたしたちは待ち続ける
あなたが心から笑う日が ふたたび来ることを
腹の底から沸き起こる喜びと幸せに
大きく口を開けて
目を見開いて
鼻の穴を広げて
あなたは笑う

cross_decoration

2007.06.22(金)
■藤本美貴の「ドキ☆みきnight」2007.06.18より

 美貴「そうですね、わたしも、GAMライブのあと、どういう形で、歌を歌っていけるのか、お仕事が出来るのか、まだ分からないんですけども、あの、精一杯頑張っていくので、これからも応援よろしくお願いします」
 仕事の予定が分からない。
 デビュー以来初めての、空白のスケジュールが待っているのだろうか。
 だとすれば、それは、みきちゃん本人にとって恐怖かもしれない。
 もし、万が一、本当に予定が空白になったとしても、絶望など不要だ。
 絶望ほど藤本美貴に似合わないものはない。
 まだ22歳。
 中澤裕子は、まだデビューすらしていなかった。ぼんやりと将来への夢と不安を抱いていた頃。
 まだまだ、これから。
 お楽しみはこれからだ。
 『ガラスの仮面』で言えば、ようやく北島マヤが芸能界から追放されるあたり。その辛い経験を乗り越えて、北島マヤは「アイドル女優」から脱皮し、本当の舞台女優へと成長を遂げる。
 漫画と現実は違うけれど、これだけは確信している。
 藤本美貴は過去の人などではない。
 藤本美貴は、これからの人だ、と。

ノノ*^ー^)<まだまだですよ! ガラスの仮面だって、まだ完結してないしー!
从*~ー~从<何十年続いてるん、って話よね
从VvV从<それは作者が行き詰まってるだけですよね

cross_decoration

2007.06.22(金)no.2
■2人のツンデレ女

 さて、藤本美貴といえばハロプロ随一のツンデレ女として夙に有名である。
 ツンデレ女と聞いて、わたしが思い出すもう一人の女性が居る。
 日本文学史上屈指の名作、谷崎潤一郎の『春琴抄』の春琴こと本名鵙屋琴こそその人である。
 琴は、生まれつき容姿端麗にして高雅であったが、幼くして視力を失い盲人となる。彼女は、琴三味線を極めてその道の師匠として身を立てる。
 その彼女を恋い慕う佐助という男。
 春琴の弟子となって、何くれとなく身の回りの世話をするが、春琴は決して、佐助の思いに応えようとはしない。今で言うアッシー君メッシー君(死語?)の地位に甘んじる佐助。それでも、彼は誠心誠意春琴に尽くし、彼女を愛し続ける。
 これこそ、アイドルとファンの理想の関係なのかもしれない。
 春琴は、その驕慢な性格ゆえ周囲から恨みを買い、ある夜、何者かに、顔面に熱湯をまともに浴びせられ、その美貌を失う。それ以後、春琴は誰にもその顔を見せることはない。無論、佐助にも。
 春琴の美貌が二度とは戻らぬと悟った佐助、春琴の醜い姿を見られたくないという思いを受け止めた佐助は、己の両目を針で差して潰し、自らも盲人となる。
 そうして、春琴と佐助は、過去の美しい思い出を抱いて余生を過ごす。
 ここには確かに、崇高な愛の形が刻まれている。
 しかし、佐助の行為が正当化できるのは、二人にはもう、未来はないという事情、過去とともに生きるしかないのだ、という事情がある限りにおいてであろう。
 そこに輝く未来という可能性が、わずかでもあるのであれば、佐助はその実現を我が目でしかと見届けるために、その両目を見開いて、現実を、春琴を襲った不幸を、そして彼女がこれから乗り越えねばならない苦難を見つめ続けるべきであった。
 その可能性がない、ということ。それが、春琴と佐助の悲劇であった。
 しかし、わたしたちには、わたしたちのツンデレ女には、まだ無限の可能性がある。
 なんと幸せなことであろうか。
 わたしたちは、未来の可能性に胸を膨らませながら、藤本美貴の悲惨と、彼女がこれから辿るであろう苦難の道程を、しかと見つめ続けねばならない。

cross_decoration

2007.06.24(日)
■アイドルファンにとって「愛」とは何か・フラグメント(素描)

 藤本美貴を巡る騒動の過程で出てきた論題として、「アイドルの恋愛は是か非か」が議論されている。しかし、それは問題ではない。

 藤本美貴が、私生活で恋愛をしようと、ひきこもっていようと、プライバシーの範疇であり、それが自由なのは当然のことであり、問題にするに足りない。

 「アイドルの恋愛事情」がスキャンダルとなってしまうような、「アイドル−ファン関係」のあり方こそが真の主題でなければならない。

 本筋に入る前に。
 そもそも、我々が、アイドルの恋愛事情を知りうるのは、「芸能人のプライバシーは侵害しても構わない」という、芸能マスコミの恐ろしい感覚と、それに基づく人権侵害行為があるからである。我々は、芸能人が、本来保護されるべき私生活上の秘密、プライバシーを侵害されるのを漫然と座視しつつ、しかも、その反倫理的な行為の結果として知りえた情報を元にして、「やれアイドルの恋愛は職業倫理に背く」などと言い立てるのである。
 我々は、本来知らずにいるべきことをマスコミの売上至上主義的な狂った行為の結果知らされてしまう。その事実にこそ、怒りを向けるべきであるように思われる。

 アイドルの恋愛の是非は問題ではない。問題は何か。

 ファンの「愛」のあり方こそが問題とされるべきだ。
 一般に、男女間に恋愛関係が成立する前提として、「清純なイメージを維持する」すなわち「処女性」を女性に求める感性は、女性蔑視的であり、時代錯誤であって、まったく論外と言うべきだ。
 もし現実に、恋愛した女性が、たまたま非処女だったら、彼は「裏切られた」と感じるべきだろうか。
 彼は、相手が処女でないと安心できないという己の童貞的感性をこそ問題視すべきなのではないか。

 「反=対価性」としての愛。
 アイドルの「清純なイメージを維持する」という義務の履行に対して、その対価として、ファンの応援(CD、写真集等の購入、ライブ参加)がある、という考え方は恋愛とは何の関係もない。
 そのような対価的、互恵的関係は、単純な経済的取引関係に他ならない。

 見返りを求めることは愛ではない。
 愛は、一切の対価性を否定し、見返りを求めない。無償性こそが、愛の基本条件だ。裏切られても、振り向いて貰えなくても、ひたすらに愛し続ける、愚かさ、狂気に似た感情こそが愛の名に値する。

 例:『痴人の愛』『春琴抄』

 そのような絶対的無償性としての愛をアイドルに捧げるファンはどれほどいるのか。「恋愛」という名の下に、「処女性」と「応援」を等価交換する経済活動に勤しむ者が、過半数を占めるのではないのか(「過半数」は極めて控え目な表現である)。

 アイドルとファンの絶対的非対称性。
 一人のアイドルに対して万単位のファンがいる。その絶対的非対称性こそが、「アイドル−ファン関係」の基礎的条件である。
 この「非対称性」の規模をある程度の規模に保てない存在はそもそも「アイドル」として、経済的に成立しえない。
 いいかえれば、「アイドル」とは、本質的に、マス(大衆)メディア現象なのだということ。

 一人のアイドルに対して数十人しかファンがいない、というような、いわゆる「地下アイドル」の場合、その非対称性は相対的に小さなものとなる。「地下アイドル−地下アイドルファン関係」は、ほとんど普通の友人関係に近いことすらあるかもしれない。

 推測になるが、地下アイドルファンはメジャーなアイドルとの関係における絶対的非対称性の苦しみと、虚しさに耐え切れず、地下アイドルへと移行していくのかもしれない。
 しかし、地下アイドルといえども、地下に甘んじることなくメジャーを志向する以上は、その非対称性を拡大することを望む。
 地下アイドルファンもまた、地下アイドルを「応援」する以上、非対称性の拡大に尽力することを求められよう。非対称性を避けて地下に潜っても、そこでも非対称性の拡大に荷担し、己の意に反して自らの存在の重みを小さくしていくことを求められる矛盾を抱えた存在、それが地下アイドルファンなのではないか。

 アイドルとの「本気の恋愛」志向。
 「擬似恋愛」ではなく、「本物の恋愛」を志向するファンの存在。
 一対一の恋愛関係はあり得るか。
 あり得ると考えるのは、ほぼ現実逃避に等しい妄想ではないのか。
 それを実行に移そうとすれば、限りなくストーカー行為に近づかざるをえないのが、アイドルとファンの関係ではないのか。

 アイドルに恋人が発覚すれば、アイドルは「アイドル」ではいられないという現実──意気消沈すべき、情けない現実──がある。そうでありながら、アイドルを「自分だけの女」にしようとすることは、すなわちアイドルに廃業を迫ることと同義であろう。

 ファンが、具体的な一人の「アイドル」に対して、「アイドルを辞めて、自分だけの女性になってください」とプロポーズすることは、可能性としてはありうることだろう。しかし、それは同時に、アイドルの否定そのものでもある。

 このようにアイドルとの「一対一」の関係を過剰に夢想することもまた、「アイドル−ファン関係」の基礎的条件である絶対的非対称性に耐えられない脆弱性の現れなのではないか。愛の脆弱性。

 万人の崇拝と憧れの対象であるアイドルを自分だけが独占しようとすることの自己中心性。それはおそらく「恋愛」の名の下に正当化されるのであろう。惜しみなく愛は奪う。恋愛という大義。

 その昔の「親衛隊」や「グルーピー」と言った存在は、そのような抜け駆け行為を自らに固く禁じる倫理性を保持していた。たとえば、「3人以上集まらなければ憧れの対象に会いに行かない」などの「鉄の掟」として、それが表現されることもあった。
 そこには「アイドルはみんなのための存在」という公共意識があった。今、アイドルを自分だけの女性として独占することを夢見るファンには、そのような公共性はない。ただ、身勝手な自己中心性があるばかりだ。

 愛とは過酷な倫理的実践である。
 しかし、アイドルファンの多くにとって、「アイドル」はエンタテインメント=娯楽にすぎないだろう。アイドルを愛することで、苦しみ、悩み、神経を擦り減らしながら、その愛の過酷さに耐え続けようとするものは少数派であろうと思われる。

 ファンがアイドルに支払う幾許かの「金銭」。その「金銭」という言葉の響きは、声援や、ファンレターや、その他の行為を伴うことで、「応援」と呼ばれる美しい響きへと昇華される。それに対して、アイドルは対価として「水着グラビア」や「歌」や「ライブパフォーマンス」や「笑顔」や「清純なイメージ」や「処女性という幻想」を対価として提供する。

 多くのアイドル消費者が求めているのは、そのようなお手軽な等価交換による娯楽にすぎないであろう。
 ファンがアイドルに抱く恋愛感情は、多くの場合、その娯楽をより魅力的にするスパイスとして機能するにすぎないものであろう。
 恋愛感情が介在することで、金銭とサービスを交換することの虚しさが、糊塗され、魅力的なニュアンスが付加される。
 それが、多くの「ファン」が、「アイドル」に対して抱く「恋愛感情」の実態であろう。

 そうでないとするなら、何故、相手に恋敵がいると分かった時点で、恋から醒めたりできるのか。

 「わたしがアイドルに抱く感情は、そんな安っぽいお飾りとは、断固として違う」
 そう断言する者を、わたしは同志と呼びたい。
 振り向いて貰えなくても、見返りなど何もなくても、絶対的非対称性に耐えながら、アイドルを愛し続ける苦しさを、共有できる存在を。

 モーニング娘。達はしばしばファンに対して「皆さんの愛を感じる」と語りかける。
 モーニング娘。はファンが支払う金銭のことを「愛」と言い換えているのか。
 断じて違う、モーニング娘。は本当にわたしたちの「愛」を受け止めているのだ、と断言しよう。
 そして、わたしたちは、金銭とは交換も換算もできない「愛」を、彼女たちに捧げていると言えるのか、自問しつづけよう。
 ファンが「アイドルを愛する」という、厳しく倫理的な実践として。

cross_decoration

2007.07.06(金)
■「アイドル」を創る者の危機感と抵抗

 「アイドル」を売って商売にしようとする者のソロバン勘定はさておき。生身の少女たちとともに汗をかいて「アイドル」を創り出していく者たちは、もう少し彼女らの本音や、本来の姿や、その抱えている矛盾に対して共感し、悩みを共有してもいるようだ。
 ℃-ute達は舞台『寝る子は℃-ute』(2007.6.16開幕)で『わたしがオバサンになっても』を歌った。「アイドル」も生身の人間だという事実を歌う、森高千里によって産み出された抵抗の歌が、今この時、改めて呼び起こされる。
 また、両角誠ひきいるSSMが作る「歌ドキッ!」では、石川梨華が歌う(2007.7.05)。

恋をするにはするけど スキャンダルならノーサンキュー
 小泉今日子『なんてったってアイドル』(1985年、作詞:秋元康)

 一部ヲタからは「アイドルは処女性を保ってほしい」という幻想の最後の砦とも目されている彼女に、あえて、アイドルだって恋愛をするんだ、でもスキャンダルはごめんだ、という気持ちを歌わせる。
 芸術家が、金を握っている権力に対して正面切って楯突くことは難しい。
 そこで、芸術家は芸術の内容で抵抗を示す。
 スターリン体制下で、ショスタコーヴィチが、政治的言論によってではなく、音楽作品そのものによって、作品の姿を異形のものとすることによって、体制を批判したように。
 現代の作曲家たちが不愉快な騒音やノイズで作品を埋めつくすように。
 画家たちが美しく心地よい形態や色彩を画面から追放していくように。

 「アイドル」という制度や概念よりも、そこから必然的にはみ出していく生身の少女たちそのものを擁護すること。そのための抵抗。その抵抗を今しなければ、アイドル文化は再び亡んでしまう。という危機感が、その抵抗の基底にはある。
 作り手が発信する危機感を、受け止め、共有したい。

 (補遺)
 「歌ドキッ!」では、石川の前日(7.04)に、松浦亜弥が歌っている。

心配ないからね 君の想いが
誰かにとどく明日がきっとある
どんなに困難でくじけそうでも
信じることを決してやめないで
『愛は勝つ』(作詞:KAN)

 松浦亜弥は、GAMの片割れであり盟友であり親友である藤本美貴に向けてこれを歌ったのだ、と考えるのは、穿ちすぎであろうか。そうは思わない。この歌を、今、松浦亜弥から贈られるにもっともふさわしい人が、彼女の隣にはいるのだから。
 少なくとも、わたしは、もともと好きではなかったこの曲を、初めて、深い共感を抱きつつ聴くことができた。

从VvV从<ってか、1月に放送したヤツの再放送だけどね。
ノノ*^ー^)<ってか、再放送リクエストしたの美貴様ですもん♪
从VvV从<やーだー。恥ずかしいから、バラさないで。

cross_decoration

2007.08.12(日)
■藤本美貴を干す

 6月25日放送の「ドキみき」で、藤本美貴は「ガッタスで情熱を爆発させている藤本美貴」と自分のことを表現したのだった。その声はまるで、他に情熱を爆発させるものがなく、自分を持て余しているかのようだった。
 翌週7月2日の放送では、一番大好きなアーティストだというクリスティーナ・アギレラ──将来は彼女のようになりたい、彼女のような歌を歌いたい──のコンサートを6月21日に観にいったと近況を報告した。「毛穴が見えるぐらい前で」とお願いしていたら、最前列で観ることができた、と。すごい興奮した、と。ファンの人の気持ちが改めて分かった、と。グッズとかもTシャツとか買ったりした、と。楽しかった、と。しかし、彼女は、その後にこう付け加えた。「なんか…これで、…ちょっと元気に生きていけそう、って感じ(笑)」
 一番好きな歌手を、最前列で観ても「ちょっと元気に」しかなることがない藤本美貴。「(笑)どんだけー? ですけどね」この言葉は、「普段、どんだけ元気ないんだよ、自分?」としか聞こえなかった。

 そして、5月26日からスタートしていた、盟友松浦亜弥とのユニットGAMの、初の全国ツアー『GAM 1stコンサートツアー2007初夏 〜グレイト亜弥&美貴〜』は、7月3日で、全19公演を終了した。

 彼女には、ガッタスと、「ドキみき」しかなくなった。フットサルとラジオ。そこに歌はなかった。
 6月19日には、紺野あさ美のガッタスへの復帰が発表されていた。卒業メンバーのハロー!プロジェクト復帰は史上初の異例な事態。
 それだけでなく、ガッタスは同時にボーカルユニットとしてCDデビューすることも告知された(音楽ガッタス)。ゴレイロへの未練からガッタスへの復帰を望んでいた紺野あさ美は、瓢箪から駒で、歌手としても再デビューを果たすことになった。
 このユニットには是永美紀も加入した。ハロプロ加入以来、フットサル一筋でガッタスに貢献してきたことが認められ、彼女は晴れて、キラ星のようなアイドルたちと同じステージに立ち、歌い踊るという栄誉を与えられた。
 しかし、そこにも藤本美貴の名はなかった。勇猛果敢なプレーでフィールドを熱くした藤本美貴は、ガッタスの歌手デビューから外されていた。ガッタス、いやハロプロ随一の歌唱力を誇る藤本美貴なのに。

 そして、6月1日に、藤本美貴の「脱退」が正式に発表された際に、同時に告知された通り、ハロコンへの出場もなかった。
 公式サイトのコンサート日程表には、御丁寧に、こう注意書きされていた。

※藤本美貴の出演はございません

 これは単なる親切な注意書ではなく、明らかに、「われわれUFGは藤本美貴を干す」という意思表示でもある。
 ハロー!のメンバーが一堂に会するハロプロのお祭り、ハロコン。そこに、主力アーティストがさしたる理由もなく欠場するということの異例さ。藤本美貴にとっても、これはデビュー以来初の事態ではないか。

 もはや、意図的に「干している」としか考えられない事態。
 そして「干される」理由は、写真週刊誌にスクープ報道されたという事実以上に、そのことへの対応を巡って彼女が事務所と対立したことにあるのではないだろうか、と思われてくる。
 もしそうとすれば、本サイトの如く藤本美貴を擁護してきた言説は、却って藤本美貴の活動継続に対して逆効果として作用してしまった虞すらある。ただし、それは決して事務所の態度が正しいということを意味しない。正論が通用しない場が芸能界であり、芸能事務所なのだ、ということでしかない。
 今回の騒動の過程で、事務所側は取材に答えて「所属タレントの恋愛を禁じているわけではない」とし、モーニング娘。脱退の理由は「真夜中にふらふらと街に出て遊んでいたことが、未成年者を多数抱えるグループのリーダーとしてふさわしくない」ということであるとしている。苦しまぎれの言い逃れ。未成年者を多数指導する学校教師は、夜遊びしてはいけないと言っているようなものだ。藤本美貴は成人女性だ。中澤裕子を、保田圭を、キラ星の如き飲酒アイドルの歴史を、思い出してみるがよい。

 ともあれ、言葉として語られる「脱退」の理由がどのようなものであるにせよ、明らかになったことは、事務所の方針に唯々諾々と従わないタレントに対しては「干す」という事実上の報復行動によって、懲戒を加えるという事務所の姿だ。

 そして、今回のハロコン(ハロプロ夏祭り)の事務所側にとっての意義は、出演させないというあからさまな懲戒措置を通じて「反抗的で使いづらい藤本美貴などいなくても我々は十分やっていけるのだ」という態度表明をすることであった。

 そこに、のこのこと帰ってきた紺野あさ美。
 彼女は、一流大学入学という大きな手土産を持って、ハロプロに復帰し、面白おかしく騒ぎ立てる芸能マスコミによってイメージを傷つけられたハロプロに、「久々の明るいニュース」を提供し、夏のお祭りに大きな華を添え、集客力を高め、結果的には、上記の如き、UFGの意思表明に、深く加担することになってしまった。

 無論、彼女自身を非難することはできない。また、彼女の復帰を心から喜び、現場で声援を送ったファンの心情に水を差すべきでもないだろう。彼女にとっても、芸能界復帰の是非は、自分の人生を決める大事な選択であったろうし、今回の誘いをもし断れば、自身の芸能界復帰そのものが難しくなるのかもしれなかった。いずれにせよ、彼女の決断は決断として尊重しなければならない。
 しかし、紺野あさ美自身は、自らの復帰という「ハロプロにとって久々の明るいニュース」が、藤本排除という事務所の意思表明のための、一つの補助材料として、いいように利用されることについて自覚的であっただろうか。
 自覚していてもなお、復帰以外に採るべき選択肢はなかったのかもしれない。
 しかし、そのことに思い及ぶことなく、うかうかと事務所の懇願に応じてしまったのだとするなら、私は今回の復帰劇を、彼女自身のため、そして、「こんみき」の友情の歴史のために惜しむ。

 そして、追加ゲストとしてモーニング娘。OGを加えて一段と豪華さを増し、紺野あさ美が「愛を下さい」と、自らのデビュー曲を歌って再デビューを印象づけ、亀井絵里が寒いギャグをすべらせてファンを涼ませたハロコンは、7月29日、さいたまスーパーアリーナで幕を閉じた。
 そのとき、藤本美貴は、どこで何をしていたのであろうか。


 そして、藤本美貴を欠く不自然な夏祭りは、巨大な会場を埋めることができず、空席が目立ったという。
 ファンという名の大衆(世間)の残酷さを思う。
 結局、大衆は、心地よい夢の中に漂いつづけ、騙され続けていたいのだ。
 その大衆の夢を忠実に実現し、大衆を相手に商売を成立させ続けねばならないUFGにとって、藤本美貴を干すという選択は本当に正しかったのであろうか。唯一の道だったのであろうか。藤本美貴を活かす形で別の夢を紡ぎだす可能性はないのであろうか。

cross_decoration

2007.10.02(火)
■藤本美貴を干すU 《歴史修正主義に抗して》

 CBCラジオ「ドキみきnight」が9月で終了した。美貴ちゃんのデビューから間もなくして始まり5年の永きにわたり続いてきた番組としてはあまりにあっけない幕切れだった。
 その終わり方や、最終回の内容については、後日改めて触れたい。
 ともあれ、この終了によって、地方の在宅ファンにとって藤本美貴はまったく不可視の存在になった。

 そして昨日は、ハロプロの公式サイトから、2008冬のハロプロコンサートについて告知があった。

Hello! Project 2008 Winter 欠席メンバーのお知らせ

以下のメンバーがHello! Project 2008 Winterを欠席します。
・飯田圭織 ・後藤真希 ・辻希美 ・藤本美貴

欠席理由:
・飯田圭織は、妊娠・出産による休業のため参加しません。
・後藤真希は、スケジュールの都合により参加できません。
・辻 希美は、妊娠・出産による休業のため参加しません。
・藤本美貴は、都合により参加しません。

お楽しみにしていた皆様には申し訳ありませんが、ご了承ください。
ハロー!プロジェクト
ハロー!プロジェクト公式サイトより引用

 他の欠席メンバーについては、その「都合」の内容を明記してるのに、藤本美貴は単に「都合により」。「都合」の内容は、明かすことが出来ない怪しいものだということだろうか。
 理由がはっきり示せないという時点で、「見せしめ」という捉えられ方をされてもしかたがないし、むしろ、UFAは、そう取られることを意識して敢えてこういう書き方をしているのでは、とすら思えてくる。
 この発表を受けて、掲示板をいつも訪れてくださるKAKIさんが、以下のコメントを寄せてくれた(一部を引用)。

 でもこんな懲罰的人事を受け入れて、ステージ上で誠意の無い謝罪をしたり、最初から藤本がいなかったかのように振舞った時点で、他のメンバーの魅力が無くなっちゃうよ。
 だって昨日まで肩を組んで、声を重ねて、尻を触りあって…もとい触られて、一緒に笑ったり、泣いたりしてきた仲間。
 それがこんな目に遭ってるのを、内心はどうあれ、受け入れている段階で、色褪せてしまう。
 疑ってしまう。
 今現在、ステージの上で繰り広げられている交歓の光景も嘘じゃないかって。
 事務所の命令だから、本当は好きでもないけど、抱き合ったり、キスをしたりしてるだけじゃないかって。
 そんなお人形さんが歌ったり、踊ったりしてるのを見ても、面白くない。
KAKIさん、2007.10.01

 同じ疑問は、今年の夏のハローコンサートでも感じられた。
 出場するメンバー達は、一体、どのような思いを抱えて、この藤本美貴の出場しないコンサートの舞台に立っているのか、と。
 MCで藤本美貴の件にまったく触れないで済ませることで、その存在を間接的に抹殺することの痛みを自覚しているのだろうか、と。
 これは、ハロプロメンバー間の信頼関係を疑わしめるに足る事態なのだと思う。
 ハロプロを彩る物語の一つに「ハロプロは家族」というものがある。この「ハロプロ=家族主義」にはわたしは賛同しないし、それは一種の同化圧力を伴う暴力的なイデオロギーですらあると思う。だが「ハロプロ=家族」ではなくとも、同じステージに立つ仲間としての、同僚としての、ライバルとしての、同志としての信頼関係や絆というものが、ハロプロメンバーの間にはあるはずだと思う。そのような絆までも、表面的で、簡単に見失われてしまうような脆いものだったのか、と疑わせるような、今回の藤本美貴の処遇を巡る一連の事態の推移というものがある。

 しかしわたしのなかのマヂヲタの部分は、こう叫んでいる。メンバー達もまた、悲痛な思いや怒りを内に秘めながら、藤本美貴に辛い思いをさせているものに対して、いずれ自分たちにも跳ね返ってくるであろうものにたいして、無言で戦っているのだ、と。
 無論、この思いを根拠付ける証拠は何一つない。
 メンバー達は、立場上、この話題に積極的に触れることはできないだろうし、おそらく藤本美貴の名を出すことすらしないように釘を刺されているのではないか、とも感じる。無論のこと、事務所批判など出来ようはずもない。
 UFAによる、見せしめ=恐怖政治は見事に功を奏し、メンバーたちは歌って踊れる「お人形さん」になり、羊飼いの鞭に脅える群畜的動物になり、将軍様の暴政に唯々諾々と従う奴隷と化すように見える。その光景が、あくまでも表面上のものであることを、わたしは信じたい。彼女らの内面には、反抗の気概がマグマのようにフツフツと煮えたぎっていると信じたい。

 群畜的行動の例。(ただし、これは2chへの書込み情報なので、わたしには真偽を確かめる術がない。そのようなものとして考えてください
 先日行われた「モー10トークショー」にて。中澤裕子が、モーニング娘。10年の歴史を振返る話をした。おそらくは、事務所の用意した進行台本を読んだものと思われる。
 飯田圭織卒業の後、「うちの矢口が御迷惑をお掛けしました」という話で笑いを取り。そのあと、中澤裕子は「吉澤ひとみ卒業、女に幸あれ、そして高橋愛がリーダーに」と、モーニング娘。の歴史を要約したというのだ。
 これは、事務所の用意した原稿としてもひどすぎる。
 これは、「アウシュビッツはなかった」どころか、そもそもユダヤ人などいなかったというに等しい最悪の歴史修正主義ではないのか。
 中澤裕子は、何故、こんなものを言われるがままに読んでしまったのか。(いや、中澤裕子は事務所や番組の都合に従い、どんな無理難題にも応じてきた、だからこそ、彼女の今日があるのであってみれば、彼女──そしてもちろん他のハロプロメンバーすべてに対しても──に命がけの反抗を期待することなど、出来る相談ではないのだ)
 そのあまりにむごたらしい藤本美貴の黒歴史化に対して、詰めかけたファンが疑念の呻き声をあげて、そこでようやく中澤裕子は「そこでひっかかるか、しゃあないなあ、藤本美貴がリーダーになってご迷惑をお掛けしました」と、それを笑い話にして見せたのだという。
 たしかに、笑いに紛らわす以外にその場の雰囲気を保つ方法はなかったのであろうし、中澤裕子の関西人としての反射神経がそうさせたということもあるのだろう。
 だが、この件で藤本美貴が負った傷は、笑いに紛らすには、まだまだ生々しすぎる。生乾きどころか、赤い鮮血が吹き出しているのだ、彼女の心から、我々の心から。

 そんな中、道重さゆみが、ラジオで神懸かり的な発言を。
 先週のCBC「今夜もうさちゃんピース」のなかで、「さかさまパニック」のコーナーに送られてきたネタに対して「早口言葉ですね。藤本さんのほうに送ってください」と言ったのだ。既に終了した「ドキみき」に送れ、と。
 この状況下で藤本美貴の名前を出すだけではなく、「ドキみき」が終わってなどいないかのように発言すること。思わず喝采を叫びそうになる。
 事実は、収録の段階では「ドキみき」の放送終了を知らされていなかっただけなのかもしれないのだが。
 しかし、この瞬間的な発言は事務所のチェックをすり抜けて、編集カットされることもなく、オンエアされた。
 そこに、一種のゲリラ的な反UFA活動の気概を感じ、歴史修正主義への英雄的抵抗の姿を見るのは、おそらく6期ヲタ的ミキヲタ的妄想にすぎないのだろうけれど。

 もう一つだけ、6期ヲタ的ミキヲタ的妄想を。
 亀井絵里がガキカメで四面楚歌と言い出したのは5月の終り頃で、6月23日放送分(6月中旬に収録)では、道重さゆみに四面楚歌という言葉をメールで何度も送りつけたと発言していたのだった。絵里の強力な四面楚歌推しは8月頃まで継続している。
 しかし、これは、本当に、単に覚えた四字熟語を意味もなく使っていたのか。それとも自虐的に使っていたのか。実際には、亀ちゃんはそのポケポケなキャラクターを愛されていて、四面楚歌的状況など感じたことはないだろう。
 6月中旬、その言葉が誰よりも似合う存在は、やはり藤本美貴だったとしか思えない。
 とすれば、この異様なまでの四面楚歌推しは、みきえり宣言でもあり、藤本美貴の置かれた境遇を自分の身に置き換えて発言していたのではなかったか、と思われるのである。

cross_decoration

2007.10.04(木)
■「女の子の全身全霊の決意」とは何か 〜つんく♂発言を再読する〜

 藤本美貴のモーニング娘。「脱退」直後、6月4日に発表された、つんく♂Pのメッセージを再読してみる。

2007年6月4日/月曜日
GAM&美勇伝のコンサートが東京で行われました。
皆様ももう報道等でご存知とは思いますが、
藤本美貴がモーニング娘。の脱退を決意し、受け入れることにしました。
リーダーとして、いろいろ感慨深い気持ちもあるようですが、女の子の全身全霊の決意。
皆様も多大なる暖かいお気持ちで応援してあげてほしいと思います。

 この発表が出た当時は、頭が混乱していたせいもあり、状況が見とおせなかったこともあって、この発言の真意は見えていなかった。
 「女の子の全身全霊の決意」とは、「リーダーを退き、モーニング娘。を辞める決意」を大袈裟に語った空疎な表現、程度に考えていた。
 今再読してみると、別の可能性に気付かざるをえない。
 「受け入れることにしました。」という表現は、主語が曖昧で、「つんく♂自身が藤本美貴の脱退を了承する」という意味にも捉えられるが、しかし、読みようによっては「藤本美貴が『脱退』を受け入れた」とも読みうる。
 少なくとも、つんく♂は主語を曖昧にするという手法を用いて、そう読まれる可能性を残したとは言えるだろう。
 「女の子の全身全霊の決意」という表現も、今思えば、ただごとではない表現だし、決して空虚な美辞麗句ではないと感じる。(優れた作詞家でもあるつんく♂が言葉を粗末に扱うわけがないのだ)
 むしろこれは「モーニング娘。を辞めることの決意」ではなく、「恋愛は悪ではない。自分は間違ったことはしていない。だから、絶対に、別れろという指示には従わないし、それで干されるならそれでもかまわない」という方向性の──頑なな──決意だったのではないか、という気がしてくるのである。
 「ケジメをつけるためにモーニング娘。を辞めて、しばらく大人しくしていて、矢口真里のように何食わぬ感じで復帰」という絵を描いていたのなら、それを「女の子の全身全霊の決意」と呼ぶのはあまりに大袈裟に過ぎよう。
 しかし、その意図が、事務所との円滑な関係も、アイドルとしてのキャリアも、未来も、何もかも放擲して、ただひたすら恋愛に生きることを選ぶ…という事だとしたら、それこそが「女の子の全身全霊の決意」という言葉として相応しいように思えるのである。
 この想像がもしあたっているとしたら──ファンとしては恐ろしいことだが──藤本美貴のアーティストとしての復帰は、非常に困難なものになるかもしれない。それが正当なことだというのではなく、事実として。
 しかし、このことについて、「モ娘(狼)」のとあるスレッドで、一人の匿名氏が、こう書いていた。「美貴ちゃんは恋愛をつらぬき通したのでエライのではないか」
 もしそうだとすれば。
 「女の子の全身全霊の決意」が、「恋愛を貫き通す決意」を意味するのならば、涙を飲んでその決意を受け入れるのが自分の取るべき態度であるようにも思える。

 従って、すべての発端となったスクープ記事の直後に書いた、以下の記述はもはや維持できない。

   でもまあ、みきちゃんは、しっかりしてるから。
 仕事や支えてくれるファンの気持ちと、男との交際を秤に掛けて、後者を優先するような、
 矢口真里みたいな大馬鹿者
 とは、ミキちゃんは違うと信じてます。

(5.27付の記述より)

 これを書いた5月27日の時点では、まさか本当に藤本美貴がモーニング娘。を「脱退」することになるとは露ほども思っていなかった。
 そこで、そのような悲しい結末を是が非でも回避してほしいという願いから、こういう書きかたをしたのだった。

 矢口真里が「脱退」した当時は、このサイトを休止中だったので、それについては、私は何も語っていなかった。とはいえ、あの時は正直言って、彼女の辞め方に違和感を拭い切れなかった。
 当時は、まるで、スクープが出たことを理由にして、リーダー職を放り出して、モーニング娘。を逃げ出したようにみえたのだった。
 しかし、矢口真里は、モーニング娘。を愛するがゆえに、モーニング娘。に傷をつけないために辞めたのだ、という解釈を一応は支持しなければならない。一応という理由は、その解釈を正当と認めることは、アイドルの恋愛を否定することそのものだからである。
 その意味では、「モーニング娘。を守るためにモーニング娘。を辞めること」もまた批判されなければならないのだ。これは、決して[反矢口][アンチ矢口]的言説ではないことを、念のため注記しておく。藤本美貴の恋愛を肯定する以上、矢口真里の恋愛も肯定するべきであり、同時に、二人が「脱退」を受け入れたことをこそ批判すべきである。二人の違いは、ただ一点、矢口真里は「脱退」をすんなりと受け入れ、藤本美貴はそれに対して抵抗した(らしい)ということにあるが、その意味は大きい。
 ともあれ、矢口真里の「脱退」も事務所との話し合いの中で決まったことであろうし、おそらく「脱退」以外に彼女に取りうる選択肢はなかったのであろうから、そのことで矢口真里本人を責めることは無論出来ないし、したいとも思わない。責められるべきは、そのようにして「アイドルの処女性」を墨守し、異形の怪物だったはずのモーニング娘。を、薄っぺらでつまらない只のアイドルとして飼い馴らそうと目論む事務所の方針、モーニング娘。独自の価値への悲しいまでの無理解であろう。

 つんく♂さんが、「女の子の全身全霊の決意」と表現した、藤本美貴の決意が、事務所の意向と真っ向から対立するものであったろうことの、一つの傍証をあげておく。
 スクープ記事発表と、UFA側の対応の時間的関係について。
 ・やぐ「脱退」とフライデー。
 2005.04.14 矢口真里モーニング娘。脱退を表明。
 2005.04.15 矢口真里、講談社の写真週刊誌「フライデー」に小栗旬との熱愛写真が載る。
 ・加護ちゃん謹慎とフライデー。
 2006.2.9 所属事務所から、加護亜依の謹慎処分が発表された。
 2006.2.10 『FRIDAY』2006.2.24号の発売日。加護亜依の喫煙現場を捉えた写真が掲載され、スキャンダルとなる。
 ・加護ちゃんの契約解除と「週刊現代」。
 2007.03.26 講談社の「週間現代」に加護亜依のスクープ記事が掲載される。
 2007.03.27 UFAが加護亜依と契約解除。
 ・そして、藤本美貴「脱退」とフライデー。
 2007.5.25(金) 藤本美貴、講談社の写真週刊誌「フライデー」にて庄司智春との熱愛を報じられる。
 2007.5.26 MBS「ヤングタウン」での藤本美貴の発言「まだ何も決まっていない」「モーニング娘。をどうするのかこれから決まる」「わたしは罰を受ける」など。
 2007.5.31 テレビ東京の菅谷定彦社長(68)が31日の定例会見にて、「モーニング娘。のメンバーでいる以上は処女性を保ってほしい」と要望。
 2007.06.01 藤本美貴、モーニング娘。「脱退」、リーダーを退く。
 2007.06.02 GAMの大阪公演にて藤本美貴、ファンに謝罪コメント。
 ……上記の日程関係から明らかなように、通常のUFAの危機対策の常道に従えば、藤本美貴の処遇は、5.24か5.26の時点で決まっているはず。それが、6.01と遅れたのは、やはり、話し合いが難航したからだと考えられる。
 つまり、藤本美貴は自己主張をしたのだ。唯々諾々と処分に従うのではなく。
 たとえ言い分が通らないと分かっていても、言うべきことは言う、そんな姿勢に美貴ちゃんらしさを感じる。
 藤本美貴が藤本美貴であることを諦め、そのあまりにも独自で圧倒的な個性と魅力を放棄し、只の、普通の、牙を抜かれたアイドル歌手として生き延びることよりも、たとえ芸能人でいられなくなる恐れがあるとしても尚、藤本美貴が野性的な生命力と鋭い瞳の輝きとを持つ藤本美貴であり続けられることをこそ、私たちは支持しなければならないだろう。涙ながらに。
 そして、そのような真の個性を活かすことのできない芸能界とは、アイドルとは、一体なんなのか、真摯に考え続ける必要がある。

cross_decoration

2007.10.15(月)
■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 (前半)

 約5年もの間続いてきた「ドキみきnight」が9月24日で終了したとき、それが最終回であるという告知は、わずか二日前になされた。当然、最終回の収録は、この告知のなされる前に終わっていたであろう。長年聞いてきたリスナーが、メールやハガキで感謝の気持ちを伝える間もなかった。そのような機会は与えられなかった。そのことを多くのファンが惜しみ、また口惜しさに唇を噛み締めたはずだ。
 唐突な中断。番組の終了とは、打切りとは、通常そういうものなのかもしれない。しかし、これを藤本美貴の現在の境遇と重ね合わせたとき、そこにある遣り切れなさを感じるのは自然というよりむしろ不可避的なことだ。
 そこに、番組の終りを感動的に演出はさせない、という何者かの意図すら感じられなくもない。終りが予告され、終りを惜しむメールが集まれば、その「終り」は感動的な事件として、特別な出来事として記憶されてしまう。歴史に残ってしまう。
 そうさせないように、あくまでも、静寂のうちに退場させること。退場があったことすら気付かれないように。抹消の痕跡すら抹消するかのように。
 もし、上記の推測が当を得ているとすれば、ドキみき最終回は、この陰険な意図に対する、ささやかな、最後の抵抗として構成されたのではないか。そして、そのような性格を指摘できるとすれば、そのことが陰険な意図の存在を裏書すると言えるのではないか。

 「最後の抵抗」と取りうる、一番はっきりとした徴は、番組全部を「しゃべパラ特集」にしたことだった。
 ゲームやクイズの企画で時間を消費するのではなく、なるべく多くのファンの声を紹介し、美貴ちゃんの普段の生活の様子や考え方を伝えながら、ファンと心の交流を楽しみ、番組の最後を締めくくったこと。
 番組はGAMハワイツアーの報告とお礼からはじまった。メールへのコメント:「ああいうイベントとかになると、ほんとに個性の強い方が、こう間近で見れて、こちらも楽しませていただきました。ありがとうございます!」個性が強い」これは、美貴ちゃんとしては、最大限真綿で包んだ表現だと思われる。この発言の真意を推し量れば、これは相当なぶっちゃけ発言ではなかろうか。むろん、ファンを揶揄するような表現は使わないものの、ラインぎりぎりいっぱいまでぶっちゃけてくるスリルとサスペンスこそ、藤本美貴の身上。だからこそ、「逆つっこミキティ」のような、ラジオを通じたファンとの熱いコミュニケーションも成立しえた。それが美しいラジオだった。からかったり、茶化したりしあうことで、アイドルとファンが心からいちゃつきあうことが出来るラジオ。
 この点、ガキカメではどうだろうか。亀井絵里は比較的、そういう方向性を目指しているように聞こえる。ラジオネームにツッ込んだり、リスナーの投稿に対して、できるだけ強めに茶化そうとして──藤本美貴の手慣れたファンいぢりにはまだまだ到底及ばないものの──彼女なりに頑張っている。しかし新垣里沙にとってそれは最初から不可能なことなのだ。彼女は「ありがたいねぇー」という言葉に象徴されるように「お客様は神様です」という立場から、一歩も抜け出すことができない。なぜなら彼女はファンというものの恐ろしさを心底味わいつくした人間だからだ。ファンは普段は応援してくれるありがたい存在だが、同時に、いつ何時こちらに対して牙を向いてくるかもしれない恐ろしい存在だということを身に沁みて理解しているのだ。「お客様は神様です」ということは「触らぬ神に祟りなし」ということでもある。神とは、人間を守ってくれるよりも、むしろその祟りを恐れねばならない存在なのだ。
 しかし、藤本美貴は強い。彼女には恐れる気持ちがない。まさに神をも恐れぬ藤本美貴。彼女は、高い崖の上から海に飛び込むような勇気を持って、ファンの中に飛び込み、身を任せる。ファンという海は、わたしを柔らかく受け止めてくれる、包んでくれる、と確信しているのだ。おそらく、今もなお。恋人が発覚したぐらいで、わたしのファンは、わたしを見捨てたりしない、と。どこまでも自分を曝け出し、こちらに身を委ねてくることで、「本当の自分を受け入れて」と彼女は迫る。そして、ファンとアイドルとの関係のありかたについて、根源的な価値の転換を要求するのである。

 最終回の1曲目は、藤本美貴のデビュー曲『会えない長い日曜日』だった。「リクエスト来ています。名古屋市の『気弱なファン』さん。『「会えない長い日曜日」をお願いします。あの時のPVを観ました。ミキティ、プリップリのピチピチでしたよ! それが今じゃあ…』…ってどういうことでしょう? 今はー、も、プリップリではなくなりましたけれども、ま、ピチピチでもないかな(笑)、年相応! 年相応だよ。このいちゃつきぶり。ファンがアイドルに「老けたね」と言うことが、いちゃつきとして成立するほどの、気安い空気感、深い信頼関係、そんなものを藤本美貴以外の誰が作り上げられるというのだろうか。
 そして『会えない長い日曜日』が流れる。この選曲は、これから我々は会えない長い日曜日に突入するのだ、という番組冒頭での宣告に他ならないだろう。そして、その退屈で淋しくて憂鬱な日曜日がどんなに長かろうとも、日曜日のあとには、必ず月曜日が、また会える日が来るのだという宣言

 次のメールは「ハワイの臨時ハロショに藤本美貴デザインのTシャツを着て行ったら絵が可愛い、センスがいいと褒められた」という内容。「藤本さんの絵は時代を先取りしていて海外でのほうが先に評価されるかも」というファンの褒め殺し的ツッコミに対して、ミキティは、「ま、だからピカソですから(笑)あの、分かる人にしか分からない私の絵のよさっていうのが、きっとあるんじゃないのかな、と。でもね多分、ハロショの、ハワイのね、人も『あ。あれミキティデザインだ』って多分知ってる気がする(笑)あえて言ってくれたって気もしないでもないですけど」と、大人びた冷静なぶっちゃけを。そして、ハワイでミキTを着てくれていた人に、握手会などでお礼を言いつつ、「恥ずかしくないですか?」と訊いたら「あ。もう馴れました」と答えてくれた、とのエピソードを紹介。「馴れなんだなー人間(笑)って思いましたね。この先もどんどん着続けてほしいと思います」
 そのあとも、「またハワイに連れて行ってください」というメール。「ハワイ通のミキティ」というメールに対して「わたしはホテルとショッピングセンターとライブ会場ぐらいしか知らない」と、これまた身も蓋もないぶっちゃけ。
 次に、『新美少女日記イタリア編』に関するエピソードを教えてください、というメール。ミキティの最初期の仕事を回顧。本場イタリアで食べた伸び切ったソーメンのようなパスタの思い出など。
 秋になると食べたいものは? というメール。梨と、柿を食べたい。柿は中が「ドゥルドゥルなのが好きなので、ドゥルドゥルになってから食べます」と、おやじっぽい味覚を披露。鮭トバといい、レバ刺し五人前といい。
 「声のトーンが高いですね。高い声を響かせるコツを教えてください」というメール。自分では声がいいという自覚がない。「腹筋を使って歌っていただければ」と無難なアドバイス。天才的野球選手長島茂雄が自分のプレーを理論的に説明出来ないのと同じように、天才的ボーカリスト藤本美貴は、自分が上手く歌える理由を理解してもいないし、説明など出来ない、ということ。
 次に、「あだ名で呼ばれるミキティが羨ましい」というメール。自分も学生時代は「藤本」とか「美貴」とか呼ばれていた。あだ名はなかった。「欲しければ自分でつけちゃえばどうでしょう?」と、自分でミキティという愛称を提案し自力で普及させた美貴ちゃんらしいアグレッシブなアドバイス。
 そして、最終回の2曲目は『大切』。この歌詞は、今の状況において痛切に響く。

「もしもし?」
大切にしまってた
あなたの写真
決心ついたの
さよなら 淡い思い出

大切にしていました
懐かしい曲たち
ああ 寂しい時
助けてくれて
ありがとう

好きな人が 出来ました AH
この人となら
あなたとの事
忘れられそう

見た目じゃないのよ
楽しく時間が経つの
いつの間にかな
好きになってた…
もう 心配はいらない

藤本美貴「大切」1番 作詞:つんく

 この曲の内容は「新しい恋人が出来たことで、昔別れた恋人の記憶から自由になれそう」というものである。この歌詞は、「好きな人」(庄司君)が出来たから、「あなた」(ファン)との「事」(アイドルとしての活動すべて)を忘れられそう。だから、活動がなくても「もう 心配はいらない」ということを指し示すのだろうか。しかし、詞の一部の引用とは、その詞全体の意味するところを引用することでもある。この曲の最後では、「じゃぁね。/…だったら良いのにな。。」というセリフが語られる。「じゃぁね。」とファンに明るく別れを告げることが出来るだろうか。「…だったら良いのにな。。」という独白は、それが出来ない自分を意味する。これは、恋人が出来ても、昔好きだったあなたのことは忘れられない、その記憶を消すことは出来ないという曲なのだ。「わたしは今もその記憶に囚われているのだ」というメッセージを発すること、アイドルとしての活動に思いを残しているのだと伝えること、身勝手な深読み──この文章すべてがそうだとも言えるが──を続けるならば、自分から嫌気が差して仕事をボイコットしているわけではない、という事情を言外に匂わせて伝えることこそが、この曲が3曲のうちの1曲に選ばれた理由なのだと考えることも出来るだろう。

(以下、後半に続く)

cross_decoration

2007.10.16(火)
■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 (後半)

 「大切」にしていた「淡い思い出」とは自分を愛してくれたファンへの想いでもあり、「大切」にしていた「懐かしい曲たち」とはモーニング娘。として歌った曲の数々に他ならない、と感じられる、2曲目の「大切」を挿み、最終回は後半へ続いていく。
 引き続きリスナーからのメール──「コーナー以外の普通のお便り」──が紹介されていく。
 GAMライブのDVDを発売当日に買いました、というメール。
 「『……とにかく歌を歌っているミキティは生き生きとしていて、どんな歌を歌っていても感情が届いてくるので、感動しっぱなしです。これからもミキティの歌を聞いて、僕自身も仕事頑張ります。ミキティはがばい最高です!』ということで、ありがとうございます。あのー、そうですね、あの、こないだもハワイで握手会をして、ま、一人一人から、握手して、言葉を貰ったんですけども、すごいあの、そのなんですか、歌がすごい好きだからこれからも歌い続けてください、っていう人が多かったりとかして、なんかもうそういうのがスゴイ力になるなーと思いながら、ありがたいなーと思いながら、こっちも、そうですね、握手しながら元気を貰いました! まあ、これからも出来る限り歌いつづけて、行きたいので、よろしくお願いします。その言葉を信じる。藤本美貴はどんな苦境に立たされても歌を諦めないのだと、藤本美貴の歌を愛しているファンの気持ちに応えてくれるのだ、と。
 もう1通、GAMのDVDを買いました、というメール。「二人目の子供の出産予定日と重なりライブに行けなかった」というファンに対し、「2ndツアーがあれば是非来てほしいな、と。ね。あのー、これからも続いていけば、その時は是非、二人目、生まれた子供も見に来てくれればと思うので、ぜひぜひ見に来てください」この言葉からは、歌を続けたい思いは強いが、GAMの今後の予定について、歌手藤本美貴の直近の予定については、何もはっきりしたことが言えないという彼女の苦悩が聞こえてくる。
 次は、世界陸上を見に行ったときに「茶目っ気を出し、藤本さんのデザインしたTシャツを着て行きました」というメール。ミキTの可愛らしさをTVを通じて世界に伝えようというファンの気持ちに、美貴ちゃんも、ちょっと苦笑気味ながら、ありがとうございます、と感謝。「そうですね、わたし、これからは、海外で、こう絵を描いてファッヒャッヒャ(笑)願望としては。そうですね、日本よりは海外のほうが私の絵を受け入れてくれる気が、ちょっとずつ。まー、さっきもお便りありましたけれども、海外進出のほうが先なんじゃないかと。そうですね(笑)これからも、なんかね、ナニぃ、メンバーとかに、すごい迷惑に、Tシャツとか作って着せてみようかと思います。」強烈な個性を発する藤本美貴の絵は日本では理解されないという意識、それは、絵ばかりの話ではないだろう、藤本美貴の個性がつまっている彼女の絵は、藤本美貴自身の個性の象徴でもある。自分自身の真の個性が認められていない、という忸怩たる思いが言葉から滲む。そして、彼女は「メンバー」と言った。モーニング娘。を「脱退」となってから3ヶ月以上経っても、彼女の中で、モーニング娘。のメンバー達は「メンバー」なのだということ。決して「モーニング娘。さん達」などという醒めた距離感は持っていないということが、言葉から伝わる。「『藤本さん、これ、いらないです!』ってシゲさんとかに言われそうだけど、シゲさんはでも意外と喜んで着てくれそうな気がするんで、あのー、これからも迷惑ながら描いていきたいと思います(笑)」ここで、道重さゆみの名前が挙がったことも決して偶然ではないだろう。2007.6.1の「脱退」以後も、たびたび「今夜もうさちゃんピース」の中で藤本美貴の名を出し、彼女を風化させまいとしてきた道重さゆみの同志愛への、これは返礼なのではないか。
 そして、ついに藤本美貴の口から、告知がなされる。「ところで、今日は、『おしゃべりパラダイス特集』をやってまいりましたが、みなさん、いつもたくさんのメールやお葉書、そしてお手紙にFAX、と色々送ってくれてありがとうございます。そんなみなさんに、ここで大切なお知らせが、あります。『藤本美貴のドキみきnight』今日で終了することになりました。ありがとうございます。」すがすがしいほどに、あっさりとした挨拶。気丈に振る舞うことこそが藤本美貴の負けん気の現れなのだろう。「地域によっては、途中番組が途切れていたところもあるのですが、実質、ハイパーナイトの前の枠から数えて、今日で、260回、5年ぐらいですね、ハイ、やってきた番組なんですけども、終るといっても自分自身まだ実感が湧かないんですけども、あのー、そうですね、デビューして2曲目ぐらいからこのラジオが始まって、ほとんどわたしの芸能生活と同じぐらいの、あの、ラジオ番組なので、すごい、なんだろ、あの、思い入れがあったりとか、あの、『浮かれネーム』ってのが、リスナーさんが『どう?』って言ってくれたりとか、『オヤスミキティ』もね、最初は『オヤスミキティ』って普通に言ってたのが、最近はもう、普通の『オヤスミキティ』がなくて、ほとんどなくて、こう、モノマネとか、やったこともないモノマネをやれって言われたりとか(笑)そういうのとかあったりとかして、あのー、すごいですねー、リスナーのみなさんとホントに一緒に作っているラジオだなっていうのをすごい感じてライブだったりとか、握手会だったりとか、どっかファンの人に会うと『オヤスミキティって言ってください!』とか、あのー、なんか、『バイバイミキティ』とかも、たまに地方の人とか言ってくれたりとか、そうあのー、オヤスミキティ…じゃなくてあのドキみき聞いてます、とか嬉しいミキモチとか、すごい言ってくれて、このラジオを通して、すごく、なんですかね、ファンの人と近くに感じたりとか。そう! あとねー、こう『浮かれネーム誰々さん誰々さん』って言ってるのを、それを握手会とかになると『誰々です』って来るとぉ、『お前かぁー!?』みたいな(笑)、とかあってぇ、そういう感動とかもあってですね、すごい、あの、ファンの人と会う楽しみがまた増えたんですけども、まー、約5年、ホントにありがとうございました。わたしの『殴りますよ』という発言にも期待してくれるリスナーさんが居、『殴りますよと言われたい』とか、なんかここでわたしのキャラクターも出来上がったような気がしますけれども。まあね、『メンタルクリニックの藤本先生』はいまだどこかへ行ったきりだし、ま『いろはがるた』…そうだよ! 結局商品化されず! ウッハッハ(笑)今隠れました、人が。(笑)そう、あとね、クイズの成績は、ご褒美19回罰ゲーム19回ということで決着がつかない感じで、なんか、いいぶんに答えてたのかな、っていう感じですけども。ほんとにですね、わたしの5年間がここでつまっているなという感じがあるので、ホントにありがとうございました。これからもですね、あのー、わたくし頑張って行きますので、えー、応援よろしくお願いします。そして、これからも、あの、このリスナーのみなさんのね、名前を覚えて、握手会とかで『マボです!』とかー、『??です!』とか、そういうのを言われたら、『あー!』って言う、すごいあの、嬉しいので、覚えておくので、ぜひ皆さん声掛けてほしいと思います!藤本美貴の口から溢れる言葉の奔流はとどまるところをしらない。ラジオを通じて築き上げたファンとの温かい信頼関係、その記憶が果てることもなく語られ続ける。もしファンからの別れを惜しむメールがこの場に届いていたら、この場面はどんなに感動的だったろうと想像する。おそらくお別れ特番を三回やっても時間が足りないほど、感動的な思い出や笑えるエピソードが番組に寄せられたことだろうと思う。藤本美貴は、リスナーの名前をこれからも忘れない、覚えておく、と言った。その思い出をこれからも『大切』にしていく、と。ドキみきを通じて出会えたファンを忘れない、と藤本美貴が言っているときに、ファンは藤本美貴を忘れられるだろうか。
 そして、ドキみき最後の曲が流れる。「ということで、最後の曲、聴いてほしいなと思います。ま、最後の曲は、ま、この曲を選ばさしていただきました。名古屋市の『にしわきさとし』さん。『リクエスト曲、ロマンティック浮かれモード。ミキティ、ロマンティック浮かれモード掛けてください。この歌をドライブに行くときに必ず掛けています。聴いていると不思議と元気が出てきて、楽しくなり、浮かれモードになり、大好きな歌です。この歌だけ繰り返し聴いて、2時間掛けて目的地に着くこともあります。』ということで。ありがとうございます。では聴いてください。藤本美貴で『ロマンティック浮かれモード』!」藤本美貴の代表作であり、紛うかたなき名曲であり、聴くと元気になる曲が流れる。それは、ラジオを通して声を届けることは出来なくなるけど、しばしのお別れだけど、元気出せよ、美貴も負けないよ、というメッセージに聞こえる。この曲の内容は、これから「史上最大の恋がはじまりそう」という、幸福感と、ワクワクドキドキに溢れたもの。この「史上最大の恋」とは、藤本美貴と庄司君の恋だろうか。その恋が藤本美貴の歌手生命を賭けたものであるなら、それは「史上最大の」という形容に恥じることはないだろう。と、同時に、その恋は「藤本美貴とファンの間にある精神的な恋」であってはいけないだろうか。恋は障害が大きいほど燃える、とも言われる。藤本美貴とそのファンとの恋愛は、このラジオの終了により、史上最大の障害に阻まれた、劇的なロマンティックラブという局面を迎えるのだ、と言えるのではないか。この二つの「恋」は両立できないものなのだろうか。なぜ、その両立は、ヒステリックに拒絶されねばならないのだろうか。
 そして、ドキみき最終回はエンディングへ突入する。『浮かれ番長』2名が紹介され、「そして、藤本美貴情報はですね、あのー、ま、これからも頑張っていくってことです。フッハッハ(笑)軽いですね。ハハッ(笑)」具体的なスケジュールは何もない、ということを、軽やかに笑い飛ばす美貴ちゃん、その声が明るければ明るいほど、痩せ我慢が胸に響いてくる。そして、来週からは、後番組として「音楽ガッタスによる新番組『Guts10ガッタス』が始まる」という告知。GATASによる、ではない、藤本美貴を排除して成立した音楽ガッタスによる新番組。「ガッツ溢れる10人組による新番組。ガッツ10…ちょっと寒い感じですけども(笑)」個人的な遺恨を響かせることも、逆に卑屈になることもなく、普段通りにぶっちゃけたツッコミキティ、そこに彼女の強さ、すがすがしい爽やかさを感じる。
 「それでは、ドキみきnight、このへんでお別れです。えーー、また、オヤスミキティ、最後、来ております。行きますよ。あっ。先に読みますね。愛知県の『気弱なファン』さん。『この前テレビで、『裸の大将』をやっていました。そこで、僕は思いました。絵が超上手い山下清のモノマネを絵が超下手なミキティがやったらどうなるのか。似てるのか、似てないのか。ミキティ、これは実験です。お願いします』」この、どう考えても、最終回などまるで想定していない、藤本美貴とリスナーのいちゃつきぶりを象徴するような投稿で、番組は締めくくられる。「ということで。やってみます。ハイ(笑)では、行きますよ。またいつか一緒にドキドキしようね。お相手は藤本美貴でした。『ぅわ、わたしは、ゃやや焼肉が、す、好きなんだなぁ。ハ鼻水が垂れたら、オお母さんに、フ拭くように、イ言われたんだな。お、オヤスミキティ。終り。』フッハッハッハッハ!! オヤスミキティー! バイバーイ!
 「鼻水を拭け」これは、ファンへの「泣くな、涙をこらえろ、鼻水を拭け」というメッセージだ。そして、最後に、高らかな、鮮やかな、笑い声を響かせて、北海道の真ん中ら辺からやってきた焼肉屋の娘、人前での平気で鼻がかめるアイドル藤本美貴のラジオは終わった。一滴の涙もこぼすことなく、声に悔しさを露すこともなく。あくまでも、サバサバと藤本美貴らしく。しかし、そのニヒリスティックなまでに乾いた笑い声の反響の中に、どれほどの遣り切れなさと悔しさが隠されているか、ファンの耳が聞き漏らすことはない。

 こうして、2007.6.1のモーニング娘。「脱退」から、じわじわと、着実に進行してきた藤本美貴の漸進的撤退は一応完了したと見てよい。それは、アイドルという概念、アイドルの処女性という虚構の価値を守ると称して行われた、一人の歌手の社会的抹殺に他ならない。それは、かのアドルフ・ヒトラーによって遂行された歴史的大虐殺、アーリア人種の血の純潔という虚構の価値を守ると称して行われた、国民たるユダヤ人の殲滅、ホロコーストと構造的にいささかも異なるものではない。
 たしかに、藤本美貴には、フットサルという活動の場だけは残されている。しかし何故、残されているのか、その意味をどう評価すべきかは、難しい問題である。もちろん、それを積極的に評価することも可能だが、しかし考えうる可能性のほとんどは、藤本美貴がガッタスに残留している理由、目的、事情、機能といった要因が、結局は、「大人の事情」という考えるだに意気消沈せざるをえない要素へと収斂していくものであろう、と言わざるをえないものである。
 アドルノは書いた。アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である、と。それと、まったく同様に、藤本美貴のモーニング娘。「脱退」以後──ドキみき終了以後はさらに──「アイドル」をうかうかと賞賛することは野蛮以外のなにものでもない。一体、アイドル概念とは何なのか、その虚妄性、イデオロギー性を突き詰め、徹底して内在的に批判すること、それを通じてしか、野蛮に陥ることなく、真に肯定しうるアイドル文化を生き延びさせる道筋は存在しない。

2007.10.17(水)
■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 追加

 ネタにまぎらせながらも、美貴ちゃんは「鼻水が垂れて、お母さんに、拭くように言われた」と私たちに告白した。
 美貴ちゃんは、お母さんの前で、泣いたのだろうか。

cross_decoration

2007.10.22(月)
■オーガさんとの共闘:藤本美貴の「子供性」を擁護する

 2008新春のハロコンに藤本美貴が出演しないことについて、ハロプロ公式サイトは「藤本美貴は、都合により出演しません」と告知──それらしい都合の中身をでっちあげて体裁を繕うことすら放棄して──したのだった。その「都合」とは、いったい何か。オーガさんは、「いけ!いけ!ぼくらの藤本美貴!!」──『ハロプロをなんでも肯定する・裏』で、いみじくも、それは大人の都合だと表現した。それは禅問答における一休さんのトンチを思わせる冴えた解答だ。そしてオーガさんは続ける、藤本美貴はその「大人の事情」を受け入れていないのではないか、と。
 以下に、オーガさんの感動的な文章を、尊敬をこめて引用させていただく。

恐らく、藤本美貴はツッパっている。夢を閉ざされる危険を承知で。
夢と引き換えにできるものは何だろう、と考えると、僕には一つしか思い浮かばない。

誇り。

自分自身に誇れる自分であるために、折れることをしない。そんな風に想像する。
子供じみているのかもしれない。「エッグの子たちの方がよっぽど大人だぜ」と思われているかもしれない。

(中略)

歌もトークもさることながら、僕は藤本美貴の「人間くささ」を非常に気に入っている。ということには最近気づいたわけだが、であるから、もしかしたら彼女が水面下で繰り広げているかもしれない「人としてのたたかい」を、それが存在するのなら陰ながら応援したいと思う今日この頃。

道は険しいだろう。秩序からはみ出そうとする者は、秩序の構築者にとっては脅威であろうから。
オーガさん「いけ!いけ!ぼくらの藤本美貴!!」−−『ハロプロをなんでも肯定する・裏』より引用

 藤本美貴は、たしかに、聞き分けのない子供、手に負えない子供であるかもしれない。しかし、その子供性は、人間としての成長の過程で乗り越えられるべき欠如としての負の特性では断じてない。その子供性はあくまでも肯定さるべき彼女の個性、人間性の真理の発露として擁護されねばならないものだ。
 藤本美貴の子供性に対比されるべき大人性とは、この息苦しく欺瞞に満ちた世界を統制し管理する制度や権力に対し、ひたすら恭順であろうとする態度、風見鶏のように空気を読み、決して逆らわず、大樹の陰に寄り、打たれる出る杭にならず、学生気分の青臭い理想を語らず、社畜精神と奴隷根性を完全に内面化すべく己をしつけ、その結果として、この虚妄に満ちた社会のイデオロギーを容認するばかりか、それによって人間性の最後の瞬きまでも踏みにじろうとする現体制の維持強化に加担する態度に他ならない。それは自由に息づく人間性を放棄する代償として、社会の一隅に居場所を与えられるための永久に続く通過儀礼であり、その居住許可者登録証には「つまらない大人」という刻印が記されているのである。
 その唾棄すべき登録証を踏みにじり、一文の得にもならない子供性という真実を握りしめて手放さない者こそ、真の意味で芸術家と呼ばれるべき存在だ。真の芸術家において、生きること(労働)と芸術(遊び)とは別のものではなく、ともに自由な人間性の発露として一体をなす。
 藤本美貴は、女の子の全身全霊の決意で、自分の本当の気持ちという一文にもならない真実を死守することを選んだのだろう。その真実を、「処女性を維持できないアイドルはモーニング娘。にはいられない」という”アイドル神話”や「モーニング娘。としての約束」という名の事後的に捏造された偽金と換金するために手放すことを、藤本美貴は拒絶したのだろう。世界中から子供じみていると揶揄されようとも、薄汚い現実の前に膝を屈しないことこそが、藤本美貴の誇りであるだろう。
 しかしこの全面的に虚偽に覆い尽くされた世界で、真実だけを武器に戦うことは、ほとんど必然的に敗北することに他ならず、悲劇的な結末が待っていることは不可避的だとも思える。大衆の意識を操作する力を持つメディアという権力が、いまなお処女性と言う金のなる木を手放す気がない芸能事務所と固く結託し、それら金と力の源泉である胴元たちに逆らう気など更々ない賢く世渡りする芸能人やマスコミ関係者が歩調を合わせて、口々に「モーニング娘。は処女性を堅持せよ」「”アイドル”のイメージを守れ」「モーニング娘。の掟を破るな」と朗々たる大合唱を響き渡らせる。その大音響の中で、真実のか細い声は掻き消される他はないのだろう。
 その真実の声が掻き消されないためには、藤本美貴擁護の声を結集しなければならない。藤本美貴が藤本美貴らしくあることを擁護するために共闘が組織されねばならない。わたしはそれを藤本美貴解放戦線と呼びたい。そして、この戦線を、お互いに孤立しつつ孤独に戦い続けている戦士たちは、少数とはいえ、決して皆無ではない。
 現状では、勝利の影すら見える気配のない苦しい戦いではあっても、この戦いから希望の火が消えることはない。藤本美貴のファンは、確信している。藤本美貴が、決して装われたものではないほんものの魅力である子供らしさを保って彼女らしく生き続けながら、同時に、ファンに愛されファンに愛を届ける真のアイドルであることが許されない世界など、まがいものの世界にすぎないのだ、と。

cross_decoration

2007.10.27(土)
■アンジェラスさんとの共闘:娘。の歴史上もっとも悔しい出来事

 《ミキ受難曲》の文章を綴り、藤本美貴擁護の声を挙げ続けるようになってから、掲示板やメールで何人もの美貴ちゃんファンと、美貴ちゃんへの愛に溢れる言葉のやりとりをさせていただけるようになった。その面では、現在、当サイトは、間違いなく藤本美貴推しのサイトとなっている。
 美貴ちゃんを愛し、応援し、彼女の選んだ道を、それぞれに苦しみながらも認めていこうとする多くの声に接するたびに、そこからとても大きな勇気を分け与えられている。
 なかでも、とある熱狂的美貴ちゃんファンから教えていただいて、アンジェラス様のブログ
狂熱の娘団。の、美貴ちゃんへの愛、そして娘。メンバー全員への深い愛情に貫かれた文章を知ることが出来たのは、この数ヶ月でもっとも大きな喜びだった。

 アンジェラスさんは、実践的にも、文章執筆においても、私などと比較するのも憚られるほど充実した活動を展開していらっしゃる、モーニング娘。結成当時からのファン=サポーターなのだが、特に、そのモーニング娘。歴代メンバー全員への深い愛、真に倫理的な意味での博愛主義としてのDD(誰でも大好き)を表明していらっしゃる点に、深い尊敬を抱く。
 痛井ッ亭。の如き、DDにもなりきれない中途半端で、ヘタレなライトヲタが、こうしてアンジェラスさんのことを語ること自体が、おこがましいとさえ感じる。
 ところが、そのようなファンとしての天と地ほどのエネルギーの差があるにも関わらず、こと藤本美貴の「脱退」や、現在置かれた状況に対する思いという点では、ほぼ完全に同じ思い、同じ憤りを共有していると思われて、そのことに深く勇気づけられた。
 殊に、モーニング娘。結成から、10年にわたって娘。を応援し続けてきた氏が、美貴ちゃんの娘。脱退は、私の美貴ちゃんファン生活の中ではもちろん、娘。ファン生活の中でも最も悔しかった出来事でした。と語ってくれていることが、何にも増して私の励みになっている。
 「モーニング娘。はもともと藤本美貴にふさわしくなかった」「ソロ(元の居場所)に戻っただけ」「モーニング娘。を抜けて正解」というような薄情な意見も多いファン界隈にあって、モーニング娘。にも、藤本美貴にも、等しく深い愛を注ぐアンジェラスさんの存在は、とても貴重だと感じる。

 そこで、アンジェラスさんの文章から引用しつつ、コメントを付けさせていただこうと考えたのだが、引用すべき文章を整理しただけでも膨大な量になってしまった。幸い、アンジェラスさんご自身が、関連する文章についてのリンク集をまとめてくださっているので、まだ未読だという方は、どうか是非、直接リンク先の文章の全てをお読みいただきたい。
 護られなかったもの──狂熱の娘団。
 ここで、アンジェラスさんと同じ思いを共有していると感じる、美貴ちゃんをめぐる問題についての基本的な考え方を、簡略に整理しておきたい。

 ・批判されるに値しないプライベートでの恋愛を不祥事のように騒ぎたてることで、美貴ちゃんは「脱退」に追いやられてしまった。
 ・彼女を追い詰めたものの本質は、『アイドル原理主義』という概念。つまり、アイドルの恋愛を否定し、処女性の保持を要求するような時代錯誤の価値観である。
 ・藤本美貴を追い詰めた問題は、他のメンバーにとっても決して他人事や対岸の火事ではないということ。
 ・「アイドルは恋愛禁止」などと言う太古の昔の冗談の様な歪んだ価値観が世の中に未だ存在するのであれば、モーニング娘。たちを「アイドル」と呼ぶことを拒絶したい。(痛井ッ亭。としては、「アイドル概念」の女性蔑視的イデオロギー性を問題化しつつ、モーニング娘。は「アイドル」でありながら「アイドル」を批判する存在でもある、と、理論構成したいと考えている。モーニング娘。はアイドルとして内在的に「アイドル概念」と戦うことで、アイドルを脱構築する)
 ・ファンがアイドルを擬似恋愛の対象とみることは構わないが、そのような楽しみ方を絶対視して、彼女たちの私生活まで監視し、拘束するのは問題だ。
 ・アイドルが私生活で恋愛しても、それは当事者間の個人的な問題であり、ファンが口出しすべきではない。
 ・藤本美貴を「脱退」させて、何を護ろうとしたのか。それは本当の意味で、モーニング娘。たちを護ることであるだろうか。“恋愛発覚→即脱退”の原則を生き延びさせることには同意できない。
 ・「モーニング娘。の藤本美貴」が大好きだった、そして、五代目リーダー藤本美貴にとても期待していた。
 ・スクープ記事ごときは、強気な美貴ちゃんで堂々と乗り切ってほしかった。無視してほしかった。そして、モーニング娘。を取り巻く状況を変えてほしかった。
 ・青春の輝かしい4年間をモーニング娘。に捧げてきた藤本美貴が、後々まるで彼女が“不名誉除隊”のような扱われ方をすることは承知できない。
 ・藤本美貴を応援し続ける。アーティストとしての藤本美貴を、私たちファンの元に取り返すその日まで

 アンジェラスさんの、力強い応援に比べ、痛井ッ亭。に出来ることは微々たることにすぎないけれども、せめて、その熱い思いを共有し、ともに、藤本美貴を悲しませている諸々の力に対して、批判の声を挙げ続けて、藤本美貴のために共闘していきたいと願う。
 この思いを、怒りと悲しみを、もっともっと多くの藤本美貴ファン、そしてモーニング娘。ファンと共有したいと切望する。

 最後に、誰のためでもなく、自分のために、アンジェラスさんの、深い愛情に溢れる文章を、ここに引用させていただく。深い尊敬とともに。

 アンジェラスさんの、モーニング娘。への思い。

私は、時代錯誤の歪んだ価値観を求めてモーニング娘。や藤本美貴さんのファンをやってきたのでは無いし、(偶像としての)アイドル等と言う下らない物を追い求めて10年もファンをやってきたのでは無い!
モーニング娘。とは、生まれながらにして親から類稀なる才能を受け継いだ人でも何不自由無い裕福な環境の中で英才教育を受けた訳でもない、何処にでも居る普通の女の子たちが何処にでも居る普通の人たちのために愛の歌、平和の歌、希望の歌を歌い、縁も所縁も無かった娘たちが時代を超え世代を超え故郷の違いを超えて“血を超えた血脈”で結びつき、ほんの一瞬の眩い光を放つ青春の物語なのだ。
決して綺麗事でも安っぽい物語でも無い。
時に他人を羨み妬み、憧れ恋して愛して慈しむ、血の通った人間たちのドラマであって、お人形さんたちの虚構なんかじゃ無かったはずだ!

 そして、氏の最愛の推しメンである裕ちゃんと、美貴ちゃんとが二重写しになる場面。

そして美貴ちゃんが激しい口調で後輩たちを叱咤する姿に、“我が最愛の人”初代リーダーのかつての姿を重ね合わせていました。
元より団体行動が苦手だった人が、年下の仲間たちと接し続ける日々の中で、少しずつ優しいお姉さんに変わって行く姿に、若き日の裕ちゃんの残像を重ねていました。
豪放磊落に見えて実は繊細で、強気のように見えても実は気が弱かったり、自分の気持ちを素直に伝えられないところにもね。
 (中略)
何で私が“モーニング娘。の中での美貴ちゃん”にずっと拘り続けているのか、今まで幾つかの理由を申し上げてきましたが、本当の理由はね、美貴ちゃんのモーニング娘。リーダー就任が、長い間抱いていた私の夢だったからなんです。
そして、そんな私の夢を奪った人たちの中に、娘。のファンを自任する人たちが少なからず含まれていた事が、私を深い心の闇の中に突き落としてしまったのです。
モーニング娘。のアイデンティティーを失わずに、新しいモーニング娘。のスタイルを確立させた よっすぃ〜の後を引き継いで、“モーニング娘。の原点”を今に伝える事の出来る唯一の人が、美貴ちゃんだったから。
それがこれから先のモーニング娘。にとって、大切な事なのだと信じていたから。
美貴ちゃんにとっても、貴重な経験になるはずだったから。
美貴ちゃんのファンの皆さんは彼女の事を理解してくれていると思いますが、もう一方のモーニング娘。ファンの皆さんにも、ほんの少しくらい美貴ちゃんを理解してあげてほしかったのですけどね。

 アンジェラスさんがみた、美貴ちゃんという人。

彼女は見た目は活発で天邪鬼で口は少々悪くて甘えたさんだけど、後輩を思いやり仲間を思いやり、先輩に気を使いファンに心を配り、ステージの上から目にした一部のファンの姿に孤独を感じ、辛いときや悲しいときでも声を殺して泣くような、繊細で寂しがりやの女の子でした。

 そんな繊細な女の子から、活動の場を奪い、不当な汚名を浴びせかけるような「アイドル」という存在のありかた、メディアの世界、芸能界、もっと言えば、我々自身が構成しているこの世界そのものが、