これは、旧約聖書詩篇139篇の中からとったものです。作者は、紀元前1000年に生きていたダビデ

というイスラエルの王様です。詩篇は全世界の最も美しい文学史の一つとして知られています。聖書を

記録した人達が、神様の事をどのように考えていたかをあらわす、代表的なものです。

テキスト ボックス: 1 主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。2 あなたこそは私のすわるのも、立つのも知
っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。3 あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。4 ことばが私の下にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとくしっておられます。5 あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。                                      


 

 


 権力も権威もある人、すなわち、ダビデ王は、「御手を私の上に置かれました」というふうに、神様

の事をへりくだって言われています。

テキスト ボックス: 7 私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。8 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。9 私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、       


 


  

 これは、非常に変わった表現です。「よみ」というのは、暗闇の事ですが、もともとは、地獄という

意味です。これは人生の辛い経験を表している言葉です。人生には、苦しみ・悲しみがあり、困難・苦

難もあります。私達の人生にも、場合によって、辛い経験がやってきます。ダビデ王も、さんざん苦し

みを経験しました。死んだ方がましと思うほど辛い事が何度もありました。私たちにも、真っ暗な所に

落ちてしまったようなつらさ、地獄に落ちてしまったような苦しみがあるものです。こんな苦しみ・辛

いときでも、ダビデ王は、どういうふうに表現をしているのか、10節をご覧ください。

テキスト ボックス: ・10 そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。         


 

 


  ここまで考えてみますと、ダビデ王は、決して宗教的な本を作ろうと思って、これを書いたのではあ

りませんし、又、わざわざ美しい文学を作ろうと思って書いたのでもありません。むしろ、神様が生き

ているという実感の中から、これを書いたに違いないと確信しています。

テキスト ボックス: 13 それはあなたが私の内蔵を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。14 私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。15 私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れはいませんでした。16 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために造られた日々が、しかも、その一日もないうちに。


 


※ どうぞ、この所を覚えていて下さい。当日、お二人の挙式の時に、一言だけですがこれに触れてみ

  たいと思います。つまり、私達が生まれる前からも、神様は、一人一人の将来を見ておられます

  母の胎内に骨組みが、出来上がる前からも、神様は、一人一人の為に素晴らしい計画をそなえてい

※ らっしゃいます

テキスト ボックス: 17 神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。18 それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。私が目覚めるとき、私はなおも、あなたとともにいます。23 神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。24私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。


 


  最後に、この権威のある、大金持ちの王様は、「主よ、私の心を知って下さい」といいます。又、と

 こしえの道というのは、「永遠の命」のことです。私達もそれを求めているのではないでしょうか。