エピソード9
 「幽霊騒ぎ」


夏の日の事、タ食を終えて自宅でくつろいでいると一宮から坪井君が訪ねて来た。確か寺沢とかいう名前だったと思うが一宮に住んでいる坪井君の友人も一緒だった。
「どうしたの?こんな時間に。」と私が聞くと、「実はな…、森林公園の近くの山道に女性の幽霊が夜な夜な出るらしい。今から見に行くから誘いに来たんや。」との事。私も暇だったし幽霊なんか出るはず無いと思いつつも興味半分で同行することにした。森林公園は愛知県内にあるもののもうほとんど岐阜県に近い。けっこう距離もあるし時間もかかる。坪井君が助手席、私は後部座席、運転は寺沢君である。車は市街地を走り抜けやがて真っ暗な山道に入って行く。

前方を照らすへッドライト以外に光源はない。僅かな月の光が静まりかえった森の輪郭だけをぼんやりと浮き上がらせている。闇と静寂の世界である。聞こえてくるのはシュルシュルと回るタイヤの音だけ……。

御膳立てはすべて整った。おもむろに坪井君の語り口調が変わり始めた。「いいか、よ〜く聞けよ…。この幽霊はな……」とまるで人に聞かれてはまずいと言わんばかりに密やかに語り始めた。
要点はこの女性が森林公園近くの山中のドライブウェイで交通事故に遭い亡くなったが、それ以来、夜な夜な幽霊となって出現し、ドライバーの前をトボトボと横切るのだそうだ。それは、つボイノリオ流の脚色によって肉付けされ、あたかもその事故現場に居合わせまたその幽霊を実際に見たことがあるかの様な口ぶりである。

回りの情景ともあいまってズルズルとその雰囲気の中へ引きずり込まれ、本当に幽霊が出ても不思議じゃないと思えてきてしまう。とその時、坪井君は急に話すのをやめじっとルームミラーを凝視している。後部座席にいる私からはルームミラーに薄暗く映っている坪井君の両目だけが見える。そして「お、おい花木、出たぞ。後、花木の後ろから女性が覗いているぞ!」 私はまた始まったと思いつつも後を振り返って見るが当然何も見えない。
「またまた冗談を!そういう冗談は私には通じ〜へんで!」と言いながらも私の脳裏には上から逆さまになった態勢で後部のガラス窓に顔をぴったりとつけるように車内を覗き込んでいる女性の姿が妙にリアルに浮かんでいた。白装束で細面。顔の血色はなく青い。口からは血を流し髪は長く乱れ顔の前にまで垂れ下がりヒラヒラと風に舞っていた。何かを訴えかける様な異様な目をしてまるであの世に誘っているかのようである。何かゾッとするような雰囲気を味わっているうちに車は幽霊が出るといわれる現場の近くまで来ていた。あたりは一面の闇である。

いかにも何か出そうな不気味さが漂う中で恐怖心が絶頂に達したのかいつしか3人とも無口になっていた。すると前方が妙にざわめいている。更に近づいてみると人・人・人。車・車・車。「何だこれは!お祭りでもあるのか!?」、「こんな山奥にしかもこの深夜にこの群集は!?何事だ!」と思っているとパトカーが来た。
そしてお巡りさんの声が拡声器を通して響き渡った。「みなさ〜ん!早く帰りなさ〜い!幽霊なんて出ません!近隣の迷惑になりますから早く帰りなさ〜い!」
ひょっとしたらあの群集の中で「私、私、私が幽霊よ!」とその幽霊が叫んでいたかもしれないがあの人ごみの中では目立たない。我々3人は、アホらしくなってすぐ帰った。

帰りの車中「日本人の悪い癖だ。群集心理というか野次馬根性と言うか、まあ世の中、暇な奴がずいぶんいるものだ!」呟きながらも我々がその『暇な奴』の典型であることにその頃はまったく気づいていない3人であった。翌日は睡眠不足でのアルバイトとなった。