エピソード12
 「参考書」


物の無かった戦前に生まれた人は物を大切にし浪費を嫌う傾向が強いが私の母も例にもれず倹約型の人間であった。しかし教育に関わる出費に対しては比較的寛容で参考書など欲しいと言えば惜しみ無く与えてくれるありがたい母親であった。しっかり勉強してくれと私の将来を思えばこその親心である。

しかしその頃の私は親の心子知らずの典型で何とかして小遣いを貰おうとあの手この手を試行錯誤していた。そして一つの方策を思いついた。幸いなことに(?)あまり勉強もしないので購入した参考書はほとんど新品の状態にある。以前買った参考書を母に見せ「これ買ったからお金<れる?」とまたまたお金をもらうのである。さっそく実行に移すと結果は大成功!そのおかげで何とか金欠状態をしのぐ事ができた。「よかった。よかった。」(?)
味をしめた私はその手を二度三度と使ったがやがて母はその不正に気付いたらしい。いつものように本を見せると母は「どれどれこの本かい?」と言いながらおもむろに印鑑を取り出し「はい、これは支払い済みね。」と裏表紙に押印したのである。「ああっ!これでもうこの手は使えない!」私は愕然とした。

なぜこのような話をしたのかというとこの話には後日談があるからである。後日談といってもそれから30年もの長い年月が流れた1999年元旦の事である。
かつて私がチェリッシュのメンバーであった事から坪井君は私をCBCラジオのお正月番組にゲストの一人として招いてくれた。
長時間番組だったので当日私が家を出る時にはすでに番組は始まっていたが私は途中から出演させて頂く段取りだったのでCBCに到着してもしばらくの間ロビーでソフアーに腰掛けながら館内に流れる放送を聞きながら出番を待っていた。やがてチェリッシュの二枚目のシングル曲「だからわたしは北国へ」のイントロが流れ坪井君の紹介の声に促されてスタジオに入った。スタジオはレインボースタジオとかいうガラス張りの外からまる見えのスタジオで大勢の人達がガラス越しに見学に来ていた。久し振りに味わう放送局の雰囲気であるが元旦という事もありスタジオ内には穴ゴタツが用意され皆その中に入って升酒を呑みながらのリラックスムードであった。話題はチェリッシュ時代の話から学生時代の坪井君との思い出話へと移っていった。この中で例の参考書の話が出てきた。

私はもうすっかり忘れかけていたのだが坪井君に言われて「そういえばそんな事もあったな……。」と思い出したのだがよく考えてみるとどうして坪井君がそれを知っているのか私には不思議だった。その事を話した記憶もないし、坪井君があの時あの場にいたとも思えないからやっぱり私が話したのだろうけどそれを話す坪井君の身振り手振り口振りが母そっくりでまるで母がそこにいるかのようであった。
しかし30年も前の私と母のやりとりをこんなにも詳細に覚えていている記憶力にも感心したが、この出来事を実にうまくまとめ、しかもオチまでつけて一つの小話のように仕上げてしまう坪井君の素晴らしい話術と才能を再認識する出来事でした。