エピソード16
 「食い逃げ」


私が子供の頃には駄菓子屋と呼ばれるお店が町内に一軒やニ軒は必ずあった。子供たちの憩いの場である。小遣いをもらうとそこへ行き駄菓子やオモチャをワクワクしながら選んで買ったものだ。

ある日、坪井君と歩いているとそんななつかしい雰囲気のお店の前を通りかかった。店先に昔懐かしいオモチャや駄菓子がいろいろとならべてあるのが見える。そして入口には『お好み焼』の貼り紙が………。ちょうどお腹のすいてきた時間だったしこれを見た瞬間、二人の気持ちはグラッと動いた。「お好み食べよか?」「うん!食べよか。」店内に入っても人影は無い。奥の方には焼き台が一つあり丸イスが4脚ほど置いてある。昔はこんなお店がよくありました。夏になると『氷』って染め抜いた涼しげな水色の旗が立ててあったりして………。

「すいませ〜ん!」と大声で呼ぶと奥の方から70〜80才前後と思われるお婆さんが出てきた。「ハイハイハイ、何んだったかね?」、「お好み焼下さい。え〜と肉玉にしようかな。」と私。「ミックスは何が入っとるの?」と坪井君。「ブタ肉と玉子とイカも入ってますよ。」との返事に、「ほんなら僕はミックスでお願いします。」、「ボ、僕もミックスに変えて下さい。」てな具合いに注文し、お婆さんは準備のため奥の方へ入って行った。
暫らくするとお婆さんはお好み焼きの材料が入った二つの真鍮製のボールを持って焼き台の上に置きながら「お兄さん方、ご自分で焼きなさるか?それとも焼いてあげようか?」と聞いてくれた。「自分たちで焼くからいいです。」と答えるとお婆さんは「そうかい。」と言いながらまた奥へトボトボと去っていった。
ブタ肉、玉子、イカ、刻みキャベツ、天かすなどの材料をボールの中でグルグルとかき混ぜると熱くなった鉄板の上に「ジュワ〜ッ!」と流し込んだ。「早く焼けないかな。」

すでにお腹の虫は鳴き始めている。やがて焼きあがってきて「もういいかな?」とソースをぬるとたまらなく良いにおいがする。一口大に切ると焼きたてのアツアツをフーフーといいながら口の中へ……。至福の時である。そしてお好み焼きは瞬く間に胃袋の中へ収まった。
「よしっ、行こか!?」と立ち上がるとお金を払うために奥にいるはずのお婆さんを呼んだ。「すいませ〜ん!」「すいませ〜ん!……」と呼んでも返事が無い。二人して「すいませ〜ん!」「すいませ〜ん!」と呼べど叫べどやはり返事が無い。
「すいませ〜ん!」「すいませ〜ん!」と呼ぶ私の声は徐々に小さくなり「すいませ〜ん。」とつぶやきながら体は後ろ向きの体勢で出口の方に向かっていた。

そして小声で「おい坪井!早よ、早よう逃げるで!」 坪井君の目は一瞬迷ったようにも私には見えたがやがて彼の口から出てきた言葉は「花木、お前は悪い奴だな。あんな人の良さそうなお年寄りにそんなことして心が痛めへんか?」であった。確かにその通りでさすがの私もやはり心が痛むような気がする。
思いなおして店の奥へ戻ると二人はお好み焼きの代金を焼き台の隅に置きその店を後にした。
もしあの時、坪井君が「うん。」とうなづいていたら一生後悔の念を引きずっていたかも知れません。