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店主雑記
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古書須雅屋からのお知らせや、近況などあれこれと書いております。

私小説的山本文庫−Sの場合
それは今から十年前のこと、開店して二年のSは知識も経験も資金もなく、ただ若いというだけの古本屋だったが、時代はまだ未来に夢を抱くのを許しているかにみえた。
前年に自家目録を発行し味をしめた彼は、二匹目の泥鰌をねらって品集めに動いていた。そんな或る日、彼はある先輩業者の店を訪れた。そこは地方都市の古書店が概ねそうであるように何でも置いている店だったが、その総てが何でも高かった。高齢なその店主は、年齢にしては進んでいたというべきか、まだ急騰する前の澁澤本にまで手を出せないイイ値段をつけていた。
それでも数冊を包装してもらい、雑談をしながらふと目をとめた棚になにかしらSを引き寄せる匂いがあった。 ツツッと近づいて手にした可愛らしい文庫本二冊。ケッセル 『ソグープ大尉のお茶』とロレンス 『新しいイブ と古いアダム』。 現物を目にするのは初めてだった。「おおっ!!これがあの山本文庫か!」とにわかに胸の 鼓動が高まるの を覚えたが 、この店ならきっと例によってイイ値にちがいないと気を鎮め、恐る恐る裏表紙をめくって売価を見てみた。そのあと三日程、彼は幸福な気分で過ごせた。

さて自家目録第二号を製作するにあたり、この二冊にどういう価格をつけるかが問題になった。ケッセルの方は参考価格がすぐに見つかったが、ロレンスの方は難渋した。山本文庫の相場形成に大きな役割を果たしたと思われるZ書店目録にもこの本が登場していないのを確認したSは、「もしかして、これって珍しいんでないかい?俺ってラッキー?」とほくそ笑んだ。
「あっ、そう云えば」とちょうどその当時『古書通信』誌上に<叢書物のキキメ>なる連載があったのを思い出し、覗いてみると山本文庫も載っており、それは辰雄、中也、道造などの万本の脇に、数千円クラスの物として分類されていた。「アレレ、意外に安いんでないかい」と少々落胆しつつも、検討の末、売価を決定し次のように目録に記載した。
「No,33『 新しいイブと古いアダム』山本文庫57 ロレンス原百代訳昭11・11・20再販9.000」

独立してまだ日も浅く、以前に店員として厄介になっていた店にも一冊1万円以上という本はほとんどなく、文庫一冊に9.000円という値段をつけるのにもSにはかなりの度胸が必要であった。
目録発行後、客筋が若いせいもあってか、すぐに動いたのは澁澤龍彦で、数日後その時分『古通』などに頻繁に探求書を出していたA氏からロレンス本に注文が来て、Sはささやかな満足を覚えた。
それから後、やや遅れて目録を送付した同業者たちから何冊かの本に集中して注文が入りはじめた。
電話が鳴り受話器を取ると「33番はありますか?」。声が明るく弾んでいた。外国文学語学書専門のX書店だ。売切の旨答えると途端に声が沈痛なトーンに変わった。
受話器を置くや否やY書店から電話。競い立つような切迫した調子で「33番ある?」。また売切の旨答えると「エエッ?そんな…この目録は一体いつ出たの?」とにわかに声が気色ばみ、答えようによってはタダでは済まさないそぶり。「実はこれだけ持ってないのよ、山本文庫。あと一冊で全部揃うのよね。ああ、売ってくれたら3万でも5万でも出したのにねぇ、3万でも5万でも」。耳元で甘く囁かれる「3万でも5万でも」という数字のリフレインにSの心はぐらりと傾きかけたが、当時、漫画『男組』の影響下にあり、<信義>を重んじる古本屋を目指していた彼は「これでいいんですよね、流の兄貴(『男組』の高潔にして清廉なる主人公、流全次郎)」と自らに云いきかせた。なにしろかの本はまだ発送しておらず、手元にあることはあったのだから。
ひと息つく間もなく、また電話が鳴った。「東京のZ書店ですが33番はありますか?」。その本は自分に買われるために存在している、それがその本の幸福なのだという信念が伝わってくるような自信に満ちた声。売切の旨答えると「もう送っちゃった?」と納得しかねるという様子。「まっ、いいけどねー。これ、市場に出たの二度目じゃないかな」。
ことここに至って、一般のお客ではなく、同業者から三人の注文が重なるという事態は、その付け値があきらかにソートー安かったのだとようやくSは気づいた。

数年後に刊行された八木福次郎『古本便利帖』には<叢書物のキキメ>も収録され、山本文庫の部分は改稿されて次のように変わっていた。「『新しいイブと古いアダム』は特に少ない。一冊しかないともいわれ、ほとんど市場に現れたことがない。」
それからまた数年、あれから十年近くが過ぎ、相変わらず資金もなく、すでに若くもなく、未来に夢もない男となったSは、『男組』を処分し、『ミナミの帝王』『ナニワ金融道』を愛読するようになっていた。「世ノ中銭ヤ」。
今でも目録に山本文庫を見いだすと思い出す。あの本はその後、市場に現れただろうか。そしてY氏のコレクションは完成したのだろうか、と。
(『彷書月刊』1999年1月号掲載)


王様と八十と酩酊船
−「古本屋思い出の本三冊」のアンケートに寄せて−
開店まもなく懇意になったお客様。北海道には珍しい文学書のコレクターA氏。なかでも鏡花と百閧ノはリキを入れている由。ある時、名前のみは知っていた内田百閨u王様の背中」(楽浪書院・昭9・普及版)が市場に出、A氏向きにと落札。谷中安規の木版画三葉入りの見て触って楽しい本。先輩のNさんから「やられた!これからはスガ君マークしよっと」と声をかけられ、気分よし。A氏に見せるとめでたくお買い上げいただける運びに。ただし半分は現金で、残り半分は本で払うから家に遊びに来ないかとのお誘い。先日仕入れた本がもう売れる、おまけに善い本がまた入る、とんとん拍子、俺はついている、と約束日にはいそいそとA氏宅へ。ほぼ仕入れ金額に等しいお金をもらい、出されたお神酒でスッカリいい気持ちになり書棚を拝見。どれもこれも欲しい本ばかり。まあ、今日のところは、西脇の順ちゃんを数冊いただき旅人帰るべしと手を伸ばすと「これなんかどう?」と差し出されたパラフィン紙に包まれた一冊。「西條八十詩集」(第一書房・昭2)、総革装天金の美装本。断る理由もなく、意気揚揚と帰宅する。
数年後、この本はデパート展目録でようやく売れて行き、やれやれホッとしている所へ、函は壊れ、表紙が取れた状態で戻ってきた。函に補修、本文に乱丁ある由。ああ、新米古本屋は入手した本をよく検めるという基本さえ覚えていなかったのだ。自宅書架に八十さん、今も眠っている。
また同じ頃、ある市場でランボオ・小林秀雄訳「酩酊船」(白水社・昭6)を落札。入手した本には、端端が糊付けされた澁い装幀のカバが付いており、本体を見られない。関川左木夫氏の本は読んでいたが、何しろ経験も資料も不足、カバ付と記載し、書影生写真の附録付で目録を発行した。市内のお客様Bさんが未知の書誌的発見を求めて来店。本を篤と検分され、「酩酊船」には元よりカバはなく、これは旧蔵者による保存用カバであること、今購入することを云われ、カバを破りはずされた。目に飛び込んだ純白の表紙、まさに新刊のような超極美本。真の姿を拝めたのは僅か数分であったが、Bさんに喜んでいただき、これは楽しい思い出となっている。
(日本古書通信 2001(平成13)年6月号)

古本屋・“魔の永久運動”
−『彩色ある夢』のエピソード−

思うに本屋とは、<魔の永久運動>ではないだろうか。蒐めては散じのそれは繰り返しであり、その運動内で書物との、人との出会いもあるのだろう。
Yと会ったのも火事で焼けて今はない古書店Bにおいてだった。Yは30をとうに過ぎても定職に着かず、風俗雑誌に不釣合いな掌編を書き散らしてその日暮らし、まさに「白昼見」そのままの日常であった。本は良く読んでいたが、中でも稲垣足穂にはやたら詳しかった。稀覯書の類を除いて入手出来得る本は揃えていたし、また足穂が掲載された雑誌−足穂作品には様々なヴァリアントがあるのだが、それを究明するためか、またこれも経済上の理由でか実に丹念に蒐めていた。
そんなYが探求を依頼してきた一冊の本。それを求めて彼は東京中の古本屋を歩きまわったという。書名は『彩色のある夢』、著者は石野重道、大正末に自費出版された限定300部の散文詩集。私には知る由もなかったが、石野重道は「未来派のアプローチ」、「鉛の銃弾」等に登場する足穂初期の文学的盟友であり、この『彩色のある夢』はファンや研究者にとってもいわくつきの本となっているらしい。だが文学史にも出て来ない無名作家の私刊本をどう探したものか。Yの手前、送られて来る古書目録に目を通し一応探すフリをしてはいたが、札幌ではムリと端から諦めていた。
ある正月のこと、雪の舞う中、Yを誘って知人の家へ遊びに行き、飲んでいた。しばらくしてもう一人、玄関でコートの雪を払いつつ、スーツケース片手にぬうっと客が入って来た。とりとめのない書物談義が続き、酔眼朦朧となった宴たけなわの頃、「20年前に東京で」とスーツケースからヒョイと一冊取り出してみせた。摩訶不思議。装丁・稲垣足穂、序文・佐藤春夫、四六判のカバーも箱もないその本こそ『彩色のある夢』にちがいなかった。Yの狂喜したことは言うまでもない。何のはずみか、この本はその場でセリにかけられ、半ばYからの強制もあった私が、これは稀本逃すまじと酔った勢いで落札した。(後に知ったところによれば、その落札価はさる高名な古書目録に掲げられた売価の倍であった。)
必ず買うからと受け合ったYだが、何年先になるのか見当もつかなかった。仕舞いには、コピーするから貸してくれ言い出して私の耳を疑わせた。結局、Yとは別なことがキッカケで疎遠になってしまった。
この本は拙い目録第一号に唯一の目玉として掲載されたが売れ残り、長い間わが書架に眠っていた。背表紙を眺めては仕入値を思い出して後悔し、頁を繰ってはキネマの月巷に昇る大正末の詩人たちに想いを巡らせ、時にはYの消息を気にもしてみた。その半ば重荷となっていた本も、先頃ようやくにして私の手元をはなれ、闇に消えていった。ホッとしたのも束の間、何か心に空虚を感じるこの頃、もう一度あの本を探してみたくなった。どうやら永久運動から逃げられそうもない。
(「彷書月間」1989年10月号掲載)

須雅屋遍歴
古書須雅屋。
北海道有珠郡伊達市の貧しく平凡な家庭に生まれたという。鳶が鷹かと期待を集めて入学した田舎の進学校で朔太郎、中也と出会い不純な成長を遂げ首都へ出奔、放浪すること数年の後、仏蘭西は華の都巴里へ夢想のうちに遊学を果たし、モンパルナスにボウドレイルの墓を訪ねようやく帰郷、一家はすでに離散しており、鷹ならぬ鳶職ほか数種の職業遍歴の果て北の都は札幌で古書の道に入り17年、有為転変の末、現在に到ったという。たとえ世紀が移り、どんなに方法は新しくなろうとも、この男の方針に変わりはない。これからも本と酒にただ生きるのみ。天涯孤独の古書須雅屋、まだ見ぬ本を求めて、今日もまたあてどない旅がつづく。
(「日本古書通信」2000年1月号掲載)

ご挨拶
北海道は札幌の古本屋、古書須雅屋と申します。
この度、旧知の叱咤激励助力のおかげを持ちましてホームページ開設の運びとなりました。これから内外の文学を中心に、さまざまな本をご案内して行きたく思っております。
皆様のお役に立てますよう蒐書に努めてまいりますので、ご愛顧のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。