2002年11月30日(土) お留守番 |
昼間は買い物に行って帰宅後、昼食を済ませしばらくすると嫁が出勤。いわゆる準夜勤の日なのである。と言うわけで今夜は子供の世話をせなあかんと言うことでお留守番オヤジとなった為に練習はお休みさせてもらった。アシスタントがなんなりとやっていることだろう。
練習そのものが休みだったこの前の水曜もそうだが、毎度練習に出かけるので水曜と土曜のゴールデンタイムの番組はほとんど見る機会が無い。一体どんなのがあっているのか?折々にふと思うことであった。(例えば「サタスマ」が「デリスマ」に変わっているのを知ったのも今日のことである)ま、時間にして6時から9時過ぎくらいまでの間の事だが、今日こうして観ている時分が妙に嬉しいのは何なんだろう?(反面今頃みんな練習やっているんだろな?と思ってしまう自分が哀しくもあるが)
今日はそんな一日だったので明日のシティバンドフェスティバルの練習で吹く楽譜を台紙に貼ったり、途中急にかかってきた契約者からの車両入れ替え手続きをしたり(仕事ですな・・)、久しぶりに「こらむ」を更新したり、パソコンの前でそのまま寝かけてあぐらかき座りの椅子から転げ落ちかけて「びびったぁ〜!」ってな思いをしたり、ととりとめのない一日でありました。
明日は早朝から練習会場の福岡南部の大牟田に出かけねばならん。
久しぶりに合奏で吹けるのは楽しみだが、朝が早えなぁ〜・・・・・(-_-;
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| 2002年11月29日(金) ゲルギエフの春祭 |
長崎の繁華街浜の町のとある雑貨店でそこの社長と久しぶりに歓談。
どこででもそうと思うがここでも店員教育に四苦八苦しておられる。
今の若者は決まったことはきちんと出来るが、それ以上の店の経営に関することや運営的なことを任せようとしても全く役に立たずで頭を抱えているのだ。例えば仕入れを任せようとする。さすればどれだけ仕入れ、それをそこまでの期間で売りさばくか、在庫が残ってしまった場合どのように対処するか。また仕入れ段階で仕入れ単価をどこまで下げられるか、いつまでに納入させるか、そもそも今の流行の物=売れ筋は何か?時期に流行りそうな物=売れそうな物はどういう物か?・・・そんな事を考えつつ決めなければならんし、その為には同業店へ出向いたり、“人”を見て回ったりとマーケティングも必要だろう。
そんなやるべき事を経て「どうすべきか」を決めることになるのだが、そんな能動的な仕事はどうも不得手な様子なのだ。結局若い店員達はパートやアルバイトの延長程度にしか考えていないのろう。そもそも店の諸数字を教えてくれたり、仕入れ作業をやらせてくれたりとここの社長は教えた勝手いるのだから商売を学ぶのであればこんな幸運な環境はありがたい筈なのである。しかもこの店は地元ではそこそこ名前が知られている所で、いわば看板は既に出来があり実績もあるのだから、工夫次第でいろんな展開が計れ、おもしろいはずなのだが、若い店員達にはあまり興味は無さそう。実に勿体ない話だと思う。
さてBSの音楽番組でロシアのスター指揮者ワレリー・ゲルギエフがNHK交響楽団に客演した演奏会の放送があったのでしばし見入った。
プログラムはチャイコフスキーの第3交響曲とストラヴィンスキーの「春の祭典」
両方とも実に良い演奏。
チャイコの方は普段聴く機会の少ないこの曲を雰囲気目一杯に奏でる姿が実に印象深い。
目玉は「春祭」だが、普段お目にかかる事の多い機能的な演奏とチョイと異なり、肌触りがざらりとしたいわゆるごつい演奏。速い箇所ではいっそう速めのテンポで嵐のような音楽を打ちまくるのである。聴いていて実にスリリングなことこの上ない。とりわけ金管群の原色的かつ強烈な色彩感の和音が聴き手にガンガン突き刺さってくる。タダモノではない指揮者だ。
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2002年11月28日(木) 美味い店発見! |
僕のもう一つの趣味に食い道楽と言うのがある。
特に美味いラーメン屋があれば絶対に行かなければ気が済まない。
今日の動いた先でどこかで聞いた様な名前のラーメン屋を発見。よく思い出すと飲み屋街のど真ん中にあったあるラーメン屋と同じ店名で、「こりゃもしかして?」と思いとっさの感に従い入店してみた。
店の名前は「まるよし」・・・間違いない!
以前から名前だけはチェックしていた先である。移転して新装オープンしたらしい。
まずは一口目でスープを飲む。。。。。
美味い!
典型的な豚骨スープの濃厚な味わいがたまらん!
間違いなく市内でもトップクラスのラーメンと言える。
ところでここのマスターというのがどっかで見た気がしてならん。
そう夜中に嫁とよく行く某店のマスターとそっくりなので、きいてみると兄弟なのだそうだ。
その夜中によく行く店というのは「かんしゃく魂」という店でこれがまた濃厚な上手さを誇る超お気に入りなのだが、実は凄腕のラーメン兄弟だったわけだ。
美味いラーメン屋と出くわした時の喜びは何物にも代え難い。こんなことを書いているまた食いたくなってくるのでこの辺で・・・
長崎の人のために簡単に書き加えておく。
「まるよし」・・・思案橋電停手前の左側の沿いで、浜屋デパートの数件先。
「かんしゃく魂」・・・浜口バス停前の国道沿い
自信を持ってオススメできる2店であります。ちなみに「まるよし」が兄貴だそうです。
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2002年11月27日(水) 初見合奏 |
先日配布された次の演奏会の楽譜を譜読みかたがたほとんど初見で合わせてみる。
まずはワーグナーの楽劇「パルジファル」からの「聖金曜日の音楽」
このようなテンポの遅い曲を初見で吹かせるといろんな欠点がそのまんま露呈する。音を持続出来ない、休みを数え切れない、基本的な表現法が体得できてない、音域によってピッチをコントロール出来ない等々次から次にでてくる。
後半は「オセロ」
こちらについてはもはや何も書けることも無し。アハハハ・・(^_^;
とにかく眠いのでここまで。
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2002年11月26日(火) そんなのありか!? |
たまには僕の仕事に関係する話題を。
今新聞で報じられているちょっと気になる(ホントはちょっとどころじゃない)件が、生保会社の破綻前の予定利率引き下げ可能な法案審議の件である。
生命保険には予定利率というものがる。これは保険会社が最低限補償する利率で、契約者が支払う掛け金はこの利率分を割り引いた金額となる。例えば掛け金が総額1000円とする。予定利率が5%だと掛け金の内の5%分50円を差し引いた950円を支払えば良いこととなる。これが予定利率の持つ意味。ところが現実には2%でしか運用できなかったとすると、3%分の30円の不足が出てくるのだが、もともと5%というのは保険会社が契約上補償しているのだから穴埋めしないといけなくなる。これが俗に言う「逆ザヤ」である。今の生保会社はこの「逆ザヤ」で苦しんでいるわけだ。報じられている件は、保険会社が破綻する前でも既契約分の予定利率を途中で引き下げることを認めようと言う法案なのである。
上記の5%の予定利率の保険契約も、途中で2%に引き下げることをOKとしよういうわけだ。
そうなれば前述の通り掛け金が途中で上がることになるし、解約時の返戻金も減らされる。死亡時の保険金だって減額の可能性が高くなってくる。しかもそれを恐れて解約しようとしても一定期間制限しようとさえ言っている。(この法案を提出し認定される期間の間は解約をさせないということを言っているのだ)
そもそも生命保険契約と言うのは極めて長い期間を前提としている。それなのにバブル景気時の状況に踊らされて保険会社が売り気から付けた高利率が要因なのだからいわゆる経営ミスと言うべきなのだが、それを結局は契約者に押しつけようと言う行為に見えるのは決して僕だけじゃないだろう。新契約分なら解るが、もともと契約で約定した利率を途中で変更するのを認めようと言うのだからおかしな話だ。詐欺といわれても文句は言えまい。まぁ、国民年金だって言ってみれば詐欺行為のような給付内容変更をしてきている事を考えれば国がこの様なことを考え出しても不思議はないだろうけど・・・
こんな話が出れば解約しようかと考えがちいなるのは分かり切っていることなので、ただでさえ解約の多さに参っている保険会社側は猛反対をしている。保険会社というのは公的な意味合いが極めて大きい民間企業であることをよく認識すべきなのである。
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2002年11月25日(月) 本来の目的は・・・・? |
NPO・・・・非営利特定法人を指す略語である。
法人の大原則は「利潤追求」なのだが、社会貢献やボランティア活動を主目的とする団体の社会的地位向上の策として法的に制定された法人格制度だ。
となれば当然ながら多くの場合寄付金が大きな助けになるはず。しかし日本では寄付金は非課税ではない(ボランティア大国アメリカの場合はそうではない)。そこでNPO法人に対しては援助的な緩和策として、認可を受けた特定のNPO法人は寄付金への課税免除が認められている。それは行政では手の届かない社会福祉的な活動や、生涯学習の支援策として存在する制度のはずである。
しかし、存在するNPO法人の数8000団体の内、寄付金の税免除の認可を受けた団体はたったの9団体だけらしい。幾ら難でも少なすぎる。要因は、認可の基準にあるらしい。その内容はともかくとして、基準を厳しくしているのは、脱税や暴力団資金の防止にあるらしいのだそうだ。だが、その為に本来の目的を見失ってしまっては何の意味もないのではないか?それでなくとも日本の行政は文化団体や奉仕団体に対して少々冷たい。別の物事の防止のために本来の目的が損なわれてしまっては本末転倒もいいところだ。防止策は必要であろうがもっと別の手段があるはずだ。これではこの国は利潤追求のみが“主”となりやしないだろうか?
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2002年11月24日(日) 演奏会〜問題点 |
本日は演奏会本番。 9時前に集合後、準備とウォームアップを済ませた後に10時半からリハーサル開始となる。ここでは準備運動がわりの1曲をこなした後に、ヴォーカルの入るナンバーと寸劇の入るナンバーの最終確認を行い早めに切り上げる。 僕は本番当日は細かいことは一切行わない。 そんな事をやるよりも、限度のある金管楽器奏者の唇への負担と、維持の方が大切だと思っているからだ。
予定よりも長目の昼食休憩を済ませた後いよいよ本番開始。 前半はクラシカル・プログラム。(本当はこの前半もクラシカルではなく、何らかの意図の下で聴き易い内容にしたいと次回に向けて思ったりする)
後半のステージは「宇宙」をイメージした企画物。

バルタン星人が出てきてみたり・・・・
 きれいどころ(?)のお歌があったり・・・
しかし最後は「木星」と言う難物で締めるところが笑えたりして。。。。
ところで演奏内容に関する雑感だが、少々「事故」が多かった。 しかし本番での事故についてはある意味しかたのないことで、それよりも気にすべきは日頃の稽古で集中力が不足している事が事故の要因になることにもっと気付いて欲しい。 本番で上手くいく特効薬など無い。本番で落ち着いた室の高いプレイをしたければ、日頃の練習で集中力の高い稽古を積んで下地を作るしか手は無い。一部のパートでは互いのあり方を多少厳しく律している様子なのだが、これを全体の稽古の中で実践する必要があるかもしれん。もちろんそうなれば練習時の僕のもそれなりにつり上がり気味になるのだろうが、それも致し方無しか・・・? 客入りも前回に比べれば悪くはなかった。企画物も盛況だった。打ち上げでは9割以上が出席の大盛況でもあった。しかし内心問題点が次々と見えてしまった感が拭えない。
もちろんこんな事を考えているうちが“花”なのだろうが・・・・・
打ち上げ集合前に時間があったのでCDショップにフラリと寄ってみた。 その際に以前から買いそびれていたサントラCDをGET。 1976年公開の西部劇「ミズーリ・ブレイク」のサントラがそう。ジャック・ニコルスンとーロン・ブランと言う超個性派二人が共演した一風変わったウエスタンである。 その前年に「ジョーズ」でオスカーを獲り有名になり始めた頃のジョン・ウイリアムズの手がけた作品である。今の様な純クラシカル風の芸風よりも、ジャジーな味わいが70年代の彼の作品には漂っていてとても好きだ。今の彼には求められないだけに尚更。
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2002年11月23日(土) 本番前日 |
明日の演奏会本番を控え、最後の追い込みの練習となった。
1時から場所を開放し、その間にパート練習や個人練習に使ってもらった後の3時から合奏開始。
問題を抱えている曲を順次稽古していくが、そもそも本番前日ではそんなに細かい事をやれるわけではない。そこで口で言うよりも実技で示す方が解り良いだろうと思い、久しぶりに愛器のフルートを持参し、吹き示しながら稽古を進めてみた。演奏の注文は演奏で示すのがやはり気をひくのか、いつもと違う眼差しでこちらを見る団員が多かったように思った。
彼らに解って欲しかったのは、音楽はマウスピースや管のくだでやっていたのでは、とてもじゃないが相手に“ぶつける”ことなど叶わないということ。僕は演奏するときには体中の細胞で音を出す感覚と化す。小手先では音楽など出来ないのである。
休憩後の7時半からは通し稽古(いわゆるゲネプロ)。
台本通りにつつがなく進めていく。
今回は各学校にも宣伝に赴いたりした企画グループの頑張りのお陰で客入りに楽しみをもっている。明日も天気は申し分なさそうなので期待しつつ休もうと思う。
聴きに来られる方はお楽しみに・・・
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2002年11月22日(金) 北北西に進路を取れ |
BSの映画番組で久しぶりに「北北西に進路を取れ」を観た。 スパイに間違えられた男がやたら災難にある話で、ラストのラッシュモア山での鬼ごっこまで見所満載で息もつかせないサスペンスの名作中の名作である。
しかし何度も観ていて結末はばっちり解っている。 そんな意味では映画そものものはどうでもよく、”聴く”方にあらかたの気持ちを寄っていた。 それほどこの映画のバーナード・ハーマンの音楽は素晴らしい。
主題曲となっているナンバーはスペインのファンダンゴなる舞曲を用いた曲で、これにより映画のスピード感とスリル感はかたちどられていると言っても大袈裟ではない。特にラッシュモア山でのフィナーレがそうで、あそこで一旦音声を消して観てみるとよく解るのだが、効果音も特に無いあのシーンは荒涼とした中での下手をすると間延びした感じが無くもないのだが、素晴らしい音楽が追う者追われる者のスリルを一気に音楽が表現しているのがよく解る。 ハーマンほど映像に貢献する音楽を書いた作曲家はいないと思う。 ただただ感嘆。。。。。
ちなみに僕が考える映画音楽作曲家BEST5は、 1・バーナード・ハーマン 2・ジェリー・ゴールドスミス 3・ジョン・ウイリアムズ 4・ミクロス・ローザ 5・モーリス・ジャール となっておりますです。
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2002年11月21日(木) 痛! |
マラソンの高橋尚子が疲労骨折で東京国際女子マラソンを欠場した事は大々的に報道されていたが、アホなことに似たような事が己のみに起こってしまった。実は火曜の事だったのだが。
僕は少々喘息っぽいところがあってひどく咳き込むときがある。(フルートを吹く上では実に面倒な体質になってしまったと思うが)それはひどく咳き込んだ一発目のこと。左の背中に近い脇腹辺りでバキッというかブチッというかそんな実に妙な不気味な音がした瞬間ブチ切れそうな痛みが全身を走りしばし動けなくなってしまったほどだった。
明くる朝嫁にうながされ整形外科に赴いてレントゲンをとってみると折れてはいないものの微妙なヒビがみられる。診断結果は「疲労骨折」
患部は一番下の助骨だった。
そもそも咳やくしゃみというのは普段使っている呼吸筋肉が瞬間的に収縮するのだが、その分繋がって支えている骨には大きい負担がかかる。結局この時の瞬間的な加重負担が骨に損傷を与えてしまうわけだ。
今は軽い咳でもひどく痛むし、左半身の筋肉を使う動きをしても痛い。上下の振動も妙に痛みを誘う。
演奏会前だってのに散々な体なこと・・・・・・(T_T)
前述の高橋尚子も似たような話で、彼女の場合は高地での極めてハードなトレーニングにより、激しい呼吸による横隔膜の運動が肋骨に過大な負担をかけてしまうことになり骨折にいたったわけだ。ちなみに横隔膜というのは一種の呼吸筋肉でもある。
そう言えば保険の仕事に就いて間もない頃、咳であばら骨が折れたお客さんがいた。早速傷害保険の請求をあげたのだが、外的要因によるものではないので、ケガとは言えないとのことで支払い案件にならなかったことがあったっけ。
参考までに・・・・
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2002年11月20日(水) モーツァルトの難しさ |
今回の演奏会の曲の中で最も多くの難題を示す曲。それは「後宮からの誘拐」序曲だろう。 モーツァルトがオペラの為に書いた5分程度の短い簡潔な序曲だが、その中には実に多くの、そして高度な音楽が充満している。その分、演奏する側には実に多くの課題を課してくる。 例えば曲の中間部に出てくるANDANTE部分。これ以上無いくらいの簡潔単純な音楽である。 しかしタッチや音色の妙が求められる実に高度な音楽でもある。いくら上手く演奏してもきりがないくらい難しい。こんな音楽を前にすると己の無力さが嫌と言うほど解らされる。今まで練習してきてただの一度でも、いやただの一瞬でもOKと思える演奏は聴けた試しがない。本番も恐らくダメだろう。 演奏に全力を尽くすにはまずもって己の無力さを知る必要がある。モーツァルトの音楽はそんな意味では最も効果的だ。モーツァルトの音楽に対して心から「難しい」と思える人は心ある人だと思う。 今日の練習はそんな事をあらためて思わされた練習だった。
もう一つがっかりしたのは、いまだにゆっくり練習していなかったという点。 速い音楽を演奏するに一番の近道は遅いテンポでさらうことだ。一音一音をしっかり確かめながらさらうことこそ、能力を高め、確実に身につけることが出来る。そんな基本的な事を彼らは未だ理解出来ていないのが実にがっかりだ。 残る練習は土曜日のみ。再度初心に戻ってチェックを入れた方が良さそうだ。
俳優のジェームズ・コバーンが亡くなったそうだ。 「大脱走」「荒野の7人」「電撃フリント」等々のアクション演技で印象的な役者さんだ。 近年では「ユー・スピーク・ラーク?」のタバコのCMでご記憶の人も多いと思う。 最近の作品では恰幅の良い役が多かったが、僕には往年のスリムな姿が忘れがたい。 ちょいとクールな個性が印象深い本物のスターが又一人逝ってしまった。 合掌。
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| 2002年11月18日(月) 懐かしき音 |
昨年近畿大学吹奏楽部の学生指揮者の先輩であるOBの方が亡くなった。
今年の2月になってその先輩を偲ぶ追悼演奏会が、縁の高校・大学他の奏者達の出演による合同BANDで行われたのは知ってはいたが、ある先輩からこの時のライブCDが送られて来たのでじっくり聴き通してみた。
ジャケットに載っているメンバー表を見ると半分近くが近大のOBで、しかも結構昔の人ばかり(と言っても僕らの世代も今となっては昔の人達の枠内だろう)
CDから聴けるサウンドは少々粗っぽいながらも紛れもなく近大のサウンドがそこかしこから聞こえてくる。アンサンブルもかなり危ないし、表現のバラツキもある。しかし聴いていて胸が熱くなる。今の近大は物凄く上手いが聴き手をノックアウトするようなパワーは消滅している。この演奏に参加しているOB諸氏は紛れもない全盛期のパワーを誇っていた時代のOBである。
無性に吹きたい
無性に振ってみたい
そんな気になる自分をどうしても抑えきれなくなりそうなCDを貰ってしまった。
あまり聴かない方が良いのだろうか?
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2002年11月17日(日) 疲労ボケ |
はっきり言って前日の疲労でボケた一日であった。
従ってこれと言ってネタになるような物事は無し。
昨夜は夜勤明けで帰宅した嫁とどういうわけかほとんど夜通しでくっちゃべり就寝は朝方近く。当然起床は極めてゆっくりとなった。朝食後預けていたガキ共を迎えに嫁の実家に赴き、しばし歓談した後そそくさ帰宅。嫁とガキ共はバタンgoooo。
僕は書きかけの楽譜書きに専念。
夕方前にボチボチと夕食予定のハッシュドビーフを作り出す。
後は、入浴→食事のお決まりメニューでのんびりしておる。
何ともおもしろくもおかしくない平々凡々な一日であった。
ところで新聞の社説でちょと気になるものがあった。
非営利特定法人(NPO)への寄付金規制に関する内容である(掲載は11/17付の朝日新聞)
アメリカの様なボランティア先進国では寄付金は非課税だが、我が日本ではそうではない。その為に例えばプロのオーケストラなどは、公的補助があるわけでもなく、寄付金でまかなわれるものでもない。一方で福祉・文化の方面でのNPOの貢献は高く欠かせない存在となっている。しかしNPOへの寄付金に対する税免除は非常にバーが高く、現在で認可を受けている団体はなんと9団体だけ。要するに脱税や暴力団資金のガードが理由なのだが、一体どちらが目的なのか?そもそもこの制度は本気で作ったものなのか?
だいたいにおいて日本という国は無償で動く団体や文化団体にとても冷ややかな国だ。自分達の役にたっていると解っても「彼は好きでやってるんだろうから」と言う空気が如実に感じられる。しかしどこの行政もが財政難で行き詰まっている現状ではNPOに期待される物は決して小さくない。今後益々期待されるべき本来の目的が旧態依然とした妙な思惑で抑えられていいものだろうか?
某地方オケの平均給与は一般企業の大卒初任給と変わらないと言う実に気の毒な話がある。NPOや文化団体は私達の生活にとって大切な存在であることをもっと認識されるべきではなかろうか?
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2002年11月16日(土) 疲れた一日 |
保険代理店の協会主催によるレクリエーションに参加するため早起き。なんと休日に6時起き。 車で1時間半ほどの山茶花高原なる場所に10時集合のためである。嫁は夕方から夜勤のため奏と共に 実家におくり、それから向かう。到着後早速クリスマスリース作成の体験教室に 参加。伶は作れるわけないので僕と彩がせっせと作る。彩はこういう作業が大好きである。のり代わりの蝋(ろう)を上手に使い頑張っておった。
しかし出来上がりを見れば解るとおり、お世辞にもセンスのある代物とは言えん。 その後はお待ちかねの昼食。 リース作りには微塵の興味も示さなかった伶だが、食い物が目前に出ると例によって豹変する。他の大人達が「ちょっと量が多すぎやしないか」の声などどこ吹く風の如くきれいさっぱり平らげる。 (他の子供が小食のようにしか思えんのだが・・・・)
食うだけ食ったら次は遊ぶ! ブランコ、滑り台、アスレチック何でも乗り、登り、滑り、ぶらさがる。 燃料満タンの伶は鉄砲玉と化すので目が離せん。 実に疲れる・・・・・・(^_^;
最後は海岸沿いのカキ小屋で思い切りカキを食らう(もちろん海のカキのこと) ガキ共はさすがにあまり食わないので、私が暴走。小食の年輩者を置き去りに食いまくる。
夕方に解散後、義姉のところに二人を預けそのまんま練習に向かう。
今夜は「アルヴァマー」序曲とリードの小組曲を稽古。 どちらも荒削りだがよく響きだし始めているのは今後の良き兆候と言えなくもない。演奏会終了後はじっくりと腰を据えて基礎練習に取り組みたい。但し、テンポの変化と言うか、指揮者のドライブ行為についていけるほど柔軟ではない。
練習終了後は団長宅で役員会議。 0時に終了。
さすがに疲れた・・・・・・
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2002年11月15日(金) ガタイの弱さ |
マラソンの高橋尚子選手が東京国際マラソンに出るか否かでてんやわんやしているらしい。
彼女は練習の中で疲労骨折の憂き目にあっているのだが、結局のところしっかりとした体が出来ていないところに過酷な練習を行ったのが原因らしいのだが、今の若者はたしかにその点で“ガタイが弱い”
これは楽器を吹く若手を見ていても如実に感じられる点だ。
まずもって音が弱い。
息にスピード感が乏しいし、ブレスそのものが貧弱だし、表現そのものも貧弱な奏法であるが故の起伏に乏しい無味なものに終始する。一見音が小ぎれいで指もまわる子はいくらでも見かけるのだが、音楽そのものを飛ばしまくる様な子はほとんどお目にかかれない。たいていの場合はタンギングの破裂にアタックを頼り、音符をなぞり間違えないようにする演奏が多いのだ。
ガタイの弱さをどうしても感じてしまう。
その点、ガタイの強い人の演奏は、音に芯があるので音が安定しており聴いていて安心出来る。そんな点で余裕があるので表現的にも当然ながらいろんな事を試みてくる。どんな表現であれ聴いていて次の瞬間を期待させてくれるのだ。
しかし考えてみればそれは致し方のないことなのだ。
部活で楽器を吹く以外、昔の我々は外で遊びまくり走りまくり暴れまくっていたが、今の若い子達は楽器をしまいこんだその足で塾に通う。休みの日も勉強、若しくは部屋でゲームや携帯に勤しむ。これでは貧弱なガタイになるのもしかたない。
健全な身体に、豪快な音楽は宿る。
おもしろい生活を送っていない奏者からおもしろい音楽は奏でられないと思う。
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2002年11月14日(木) 基礎練習再考 |
先日の渡部先生のレッスンは皆にとって良い刺激を与えたが、他ならぬ僕自身にもいろいろな事を改めて考えさせてくれるに至っている。特に基礎練習について多くのことを今になってあれこれと考えさせられている。
ユニゾンを合わせるとは如何なる意味なのか?
そもそも音を合わすとは如何なる意味なのか?
ハーモニーを合わすとは如何なる意味なのか?
響きを作り出すとは如何なる物事なのか?
音を響かせる“息”とは如何にあるべきものなのか?
音楽をする“ハート”とはどうあるべきものなのか?
そして、
団員達にとっての指揮者として僕はどう存在すべきか?
今改めてとある基礎練習の教材を前にいろんな事を考えながら眺めている。実に良い刺激剤となった先生のレッスンのお陰で、やるべき事がいろいろと明確に見え始めてきている。本当にありがたい話である。僕は節目々でこの様な音楽家に出くわし、忘れがたい刺激を与えてもらってきている。思えば何とも幸運な男だと思う。
さて今後の基礎練習だが、根本的な部分から徹底的に手を打っていこうと思っている。新たに目覚めた新鮮な視点で外科手術を行おうという感じだろうか?いろんなやるべき事が見えていると言うことは、様々な結果がおぼろげに見えてもいると言うこと。実に楽しみだ。本当にそう思う。
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2002年11月13日(水) 自然な音楽 |
私達が教わった中には自然な音楽進行に少々反することが無くもない。
例えば打楽器の新入団員が大太鼓を叩くことになったときに僕から言われる「左手で止めるのをやめなさい」と言われるのもそうだ。せっかくの楽器本来の響き(=共鳴)をわざわざ手で止めてしまうのは不自然極まりない行為。
また、高音域に達したときに妙にセーブしてしまう行為も同じかも知れない。高い音と言うのは元来高いエネルギーや緊張感、解放感を有しているものだ。例えばトランペットの高音域がそうだ。同じ音域でセーブした物事を欲しているのであれば、同じ音域をもっと楽に吹ける楽器、例えばE♭管クラリネットやピッコロにあてがうはずである。トランペットに高音域が出てくる場合は、五線から上のトランペット特有の高い解放感に溢れた華々しい音を求めているのである。そこでわざわざ抑えさせて、他の楽器にブレンドさせようとすると、それは即ちトランペットの持ち味そのものを殺しかねない。そこでは妙に抑えることより楽器本来の響きを大切に吹くことの方が大切なのである。
最も、そうなれば本来の響きで鳴り出すのだからそれなりに目立つ・・・となれば責任のあるミスを許さないプレイをしなければならないのだが。
今の楽団にはそんな事を注文しているので実によく鳴る。しかしミスを己で容認してしまう癖がなかなか抜けない。今後の一番の課題はそこだろう。これからの僕に求められるのは“厳しさ”なのだろう。
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| 2002年11月11日(月) 新シリーズ |
トレッキーらしくたまには「スタートレック」ネタで。 昨年からアメリカ本国で放送が開始されていた新シリーズ「スタートレック・エンタープライズ」オープニングの1&2話が遂に放送されワクワクしつつ見入った。(と言っても日記更新後の昨夜の話だが)
今度のシリーズは今までと異なり過去に遡った舞台設定となっており、最初のシリーズよりもさらに以前、ゼフラム・コクレーンが初のワープ飛行を実現して100年後の22世紀となっている。このシリーズは人類初のワープ5の航行が可能なエンタープライズ号で初めて地球を飛び出る冒険話である。 今の今まで観てきたエンタープライズに比べれば当然ながら脆弱な船だが、その分何やら人間くさい雰囲気がおもしろい。
肝心の艦長だが、前シリーズ「ヴォイジャー」の女性艦長から今回かは男性に戻りフロンティア精神と包容力を備えたアーチャー艦長が登場する。 物語のしょっぱなから敵陣に単身乗り込んでいくあたりは、血気盛んなこの艦長のキャラクターが垣間見られる。
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| 2002年11月10日(日) 日曜練習 |
昨夜の懇親会→二次会から帰っての日記更新は実は明け方近い時間帯の事だった。寝ようかとし出した頃は既に夜から朝になりかかけていた時間帯。布団に身を投げ出して次に気が付くと既に10時。4時間近く寝ていたことになるのだが、頭の中では5分くらいしか経過していない雰囲気。ちょっとだけもう一寝入りとなっての次の瞬間は12時になっており、1時からの日曜練習があるのでイソイソと身支度をし出かけるまでのこの間、家族は嫁の実家に泊まっており全くのシングル状態。独りになるといい加減なものだ。
1時集合→ウォーミングアップ誤1:30より合奏開始。まずは昨日の先生の施した呼吸法トレーニングで体を暖めてからチューニング。終了後まずはウルトラマン・メドレーからSTART。コントが入るのだがこれが初お披露目でしばし楽しみながら合わせた後、難題の「木星」に取りかかる。正直言って市吹の今のレベルを考えると少々無理がある曲なのだが、団員の企画による曲なので指揮者としてはなんとかやっつけたい。
曲が難しいこの様な場合、妙にごまかそうとしたところで策に溺れるのがオチというもので、真正面からぶつかっていくしかない。快楽の神を表現するこの曲では常に上行型の動機が重要な役割を果たしている。上行の動きにかかるエネルギーがこの曲のバイタリティーなのである。そうなると演奏側としてはそのエネルギーを込めて演奏できるか否かが課題となる。そんな場面で妙な手抜きで楽をしようとすると得てしてミスを誘発する。こんな曲に対しては求められているエネルギーを躊躇することなく注ぎ込むような演奏こそが大切だし、それこそ真正面からぶつかっていく演奏というものだ。
もちろんそこで消費する体力は膨大なもので、約2時間に渡って格闘した後はまさにヘトヘトだった。しかし最も懸念していた「木星」に目処が立ったのは嬉しいというかホッとする。
その後は疲労困憊の金管に気づかって「後宮からの誘拐」の序曲を少しばかりさらって日曜練習は終了。本番まで3回+GPの練習となったが悪くない今の雰囲気をなんとかもう一歩ヒートアップさせたい。
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| 2002年11月 9日(土) 渡部謙一先生来崎 |
本日は元ヤマハ浜松吹奏楽団指揮者でユーフォニアム奏者の渡部謙一先生がいらっしゃった。 ネットを通じて以前から交流のあった先生が所用で九州に来られたのを利用してこの度うちの楽団への指導にお越し頂いた次第。
まずは5時から2時間に渡って金管セクションのみの分奏レッスン。 ここでは以前から課題となってもいた呼吸法、及び音出しについてみっちりしごいてもらう。しかし要点としてはブレスが小さければ出る音も出ない。音の支え、アンブシュアの支え、いずれかに支障があれば音は揺れる。 そんな至極当たり前の事なのだが、結局はこの様な基本的な事柄が最も大切なのである。
夜は合奏に形を変え、リードの「小組曲」を材料にしての第2ラウンド。こちらで強く指摘されたのは個々の主張と楽器そのものを鳴らし切るということ。 そして楽器吹き、音楽をたしなむ上で最も大切な事。それは即ち全力で音楽にぶつかり、周りの音と向き合い、時には互いで切磋琢磨し合い、音ミスに対して妥協しないこと等々。僕自身も解っていつつも長くやっている間に緩味になっていたような思いをさせられた。知らぬ間に抜けかけていた大切な物を改めて注入 してもらったような気分だ。実にありがたい。
練習後先生を囲んでの懇親会。 某女性団員の実家の焼き肉屋さんで開かれた会には予想を超えて十数人以上が参加。大いに盛り上がる。 その後はカラオケ二次会に流れ込み、結局3時過ぎまで騒ぎまくったという絶好調ぶり。翌日は大分で講習会の先生もなかなかタフである。 重ね重ね感謝。
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2002年11月 8日(金) 抜歯! |
と言っても僕のことではなく娘の彩の事である。
以前から気になっていた虫歯がとうとうぐらつき出し歯医者に行く羽目になったのである。(ま、キチンとは磨きをさせていなかった僕らも悪いと言えなくもないのだが・・・・)
麻酔をうち抜歯までやったのだが、歯医者と聞くと以前あれほど恐れおののいておった彩が驚く無かれ涙一つ流すことなく我慢氏通すではないか!はっきり言って肩透かしだ。
しかし3000円以上払う羽目になり彩は痛がらずともこっちが痛い目にあった。
夜は楽団のフルートの女性団員を呼び鍋をつつく。
一人暮らしをしとる奴なのでたまに呼び寄せ大勢での夕食を味あわせるのである。フルートの腕前はこの際別として、パートのまとめ役として長く頑張ってくれているのでたまにはこういうこともあって良いはずだと思う。
何日か前に書いた「ベルカントモード」についての虎の巻に関して「ご希望の方はどうぞ」と書いてしまったのだが、それに対し早速と言うかホントに「欲しい」とおっしゃる方からのmailが来てしまった。あくまでも練習の為の一資料として作っているので「こんなのをホンマにええんかな?」と思いつつ、ちょっと嬉しいも気もしなくもない。
(mail下さった方。しばし忘れてお待ち下さいね)
大した代物ではじぇ〜んじぇんございませんが欲しい方が万が一にもいたらご一報下さい。
PS;明日は元ヤマハ浜松吹奏楽団指揮者の渡部謙一先生が長崎にいらっしゃる。
終日接待DAYだ。
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2002年11月 7日(木) 交響残象 |
朝一番の契約アポでそそくさ出動。問題なく済ませついでにテニス保険までもらい終了。しかしこの日は久しぶりに早く出動したせいか終日ねむ〜く過ごすことになった。サラリーマンをしている頃は7時前に起き8時半までには出社していた事を思うとたるんでしまった自分が嘆かわしい。
一方、嫁は昼間の勤務から帰宅後、深夜勤が控えているので晩ご飯を急いで作りにかかる。今夜は手っ取り早く皿うどんをこさえガキ共にも急ぎ食べさせ9時前には(僕以外)布団に入る。と言っても嫁は11時に起こされ職場の病院に行かねばならん。
どうです?良い夫でしょう?!(^0^)> 自画自賛・・
さてこの晩のFMで先だって行われた日本音楽コンクール作曲部門本選会のライブ放送が流れた。
以前にも書いたとおり3位に入賞した中橋愛生君は昨年僕に献呈され初演指揮した「遮光の反映」の作曲者である。受賞したのはオーケストラ作品「交響残像」である。今だから言うが作曲中の途中までの総譜を見せて貰っていたので、実際の演奏をまだ聴けずにいたのでこの日が楽しみだったのである。順番で言えばこの作品が一旦完成された後に「遮光の反映」が作曲され、その後改訂が施されもしているので、実は「遮光の反映」との近親性があるのではなかろうかと思ったりもしてたのだ。
さて梅田俊明指揮の東京フィルによる演奏は見事に中橋世界を聴かせてくれていたと思う。
響きの集散や突き進もうとする推進力は中橋作品の個性だと僕は思っている。「遮光」での実体験から感じるのだが、中橋君は既に立派な己のスタイルを有している作曲家である。スタイルの違いこそあれいっぺん聴けば「あ、あの人の曲だな」と感じさせてくれる個性派大切だと思う。やはり彼はタダモノではないのだ。それにしてもこんな作曲家と交流を持ちその作品を初演できた事が改めて鼻高々に思い起こされる。
今度はテレビ放送を楽しみにしよっと。
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2002年11月 6日(水) 怒! |
保険会社から誘われるように勉強会に出席する。
予想したとおり代理店を集めてまで行う程の内容でもなく結局睡魔と付き合うひとときになってしまう。いつも思うのだが自主的に勉強しない代理店など保険会社は見放せば良いのだ。規定集もろくすっぽ読まない代理店など代理店ではないといつも思う。
夜は「木星」の合奏。
今のうちのBANDには過分とも思える負担大の曲である。だからこそ十分な個人練習の時間を持って貰うために、本格的な稽古を後に回し今日を迎えた・・・・はずだった。。。
ところが蓋を開けてみれば十分に準備をしたとはお世辞にも言えない状態が目の前にあった。
ろくすっぽ吹けない箇所、テンポにはめきれていない箇所、音程も音色も吹っ飛んでいる箇所、ダイナミックもテンポも無視された箇所、、、準備するというのを一体どの様に考えているのだろうか?とりあえず音だけなぞれるだけなぞり、後は指揮者任せとでも考えているのか?
運指を整え、音程をとり、テンポとダイナミックスを守り、吹くべき音のイメージを膨らます。ここまで個人で準備した上で合奏で指揮者がまとめるのではないだろうか?
彼らに悪気など無いのは百も承知している。それよりも奏者としてあまりにも幼稚な点に腹が立つ。
もういい加減独り立ちした集団になって欲しい。
(そう思って一体何年過ごしているだろう・・・・)
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2002年11月 5日(火) 虎の巻作成 |
一般BANDの泣き所の一つに毎回全員が練習に揃わない点がある。
先だってから書いている「ベルカントモード」修得の件について一番問題になりそうなのがその点で、個々人に一対一で教えるのであればそう苦にはならないと思うのだが、これを合奏形態で教えるとなると、複数の人間に如何に伝えるか、毎回揃わない団員達全員に如何に的確に浸透させるか、これが最も頭を悩ます。
そこで「ベルカントモード」について簡単に解るようなある種の“虎の巻”を作ろうと思い立ったのだが、少ない紙面にこれをまとめるにはそもそもが対象をきちんと理解していないと書くにも書けない。本当は細かい点まで知らないといけない点があるにはあるのだが、その辺は直接の指導に頼った方が良いのかも知れない。そんな事を考えながら7割方が仕上がった。
出来上がったら結構それなりの出来映えになりそうだ。
(欲しい人いますか?いたらメールしてみて下さいな。ハハハハ・・・)
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| 2002年11月 4日(月) 祝日練習 |
11/2の日記で「地声MODE」と「歌声MODE」に関して触れたが、これは呼吸法から改めて、イタリア伝統の歌唱法「ベルカント唱法」を用いようとするものだ。従来の下っ腹を膨らまし力んで支える従来の腹式呼吸は、何の根拠もなく今まで続けてきたのだから、別のやり方への転換は許して貰っても良いだろう。
実際今日の練習でもそうだが、「ベルカントMODE」に少しでも近づくスタイルで吹かれる音は、それ以前と比べても耳障りの少ない実にスムーズな音と化す。しっかりマスターしさえすればとりわけ金管楽器は、負担のかからない自然な響きを得られるだろう。
合奏の中でこれを浸透させるにはフレーズの変化と演奏中の体の状態の変化をきちんと理解させることが要るようだ。
さてこの日の休日練習は「後宮からの逃走」序曲、アルヴァマー、海を越える握手の3曲。
共通して求めるのは、口元で発音・響きをとるいわゆる「地声MODE」の耳障りな音を徹底的に指摘し矯正すること。
どんな音楽であろうと美しい音で奏する事が大基本である。
また、「海を越える握手」(スーサの古典的行進曲)では打楽器にどうしても注文が向いてしまう。この楽譜で校訂を施しているのが巨匠フレデリック・フェネル先生だ。マエストロ・フェネルは僕が吹いた指揮者の中で最も絶大な影響を与えた大指揮者。先生と出会っていなければこれほど指揮者に執着していない。
だからこそこのようなマーチを振るときの僕はいやが上にも先生のスタイルを用いることにしている。先生の演奏スタイルが用いられ事はなかなか見かけないのだが、あの偉大なマーチ演奏スタイルが広く残っていかないのはとても惜しい。
こんなことを書くと笑われるかもしれんが、僕はフェネル先生のマーチスタイルを継承して演奏することを学生時代から心に決めて今に至っている。これからもそれを変えるつもりはない。偉大なスタイルは誰かが引き継がねばならない。
僕のような考えの指揮者はどこかにも必ず居ると信じているのだが。。。。
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| 2002年11月 3日(日) コシ・ファン・トゥッテ |
実に久しぶりにオペラ鑑賞に嫁と出かけた。 地元オペラ協会による定例のコンサートなのだが、主要なスタッフを中央から招聘しており、それなりのクオリティが実現されている公演であった。
肝心な演目はモーツァルトの名作「コシ・ファン・トゥッテ(女はみんなこうしたもの)」。 各々の恋人である姉妹の貞操を自慢する若い士官が、老哲学者にそそのかされて彼女達の貞操についての24時間制限の賭けにのるお話で、士官が別人に変装し互いの恋人を入れ替えて熱いアプローチをして求愛にのるか否かを試す次第。 (少々脳天気なお話である)
モーツァルトは実に広いジャンルに渡って名曲を残した人だが、彼が最も本領を発揮した分野こそがオペラである。そもそもモーツァルトの夢はオペラでヒットを飛ばす売れっ子作曲家である。器楽の為の曲には時としてやっつけで書いた作品があったりするが(それでも名曲を書けたところが尋常ではない)オペラとなると気合いの入れ方が違うのか、残された作品はいずれも名品。
「コシ・ファン・トゥッテ」は「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」でもコンビを組んだダ・ポンテの台本に晩年のモーツァルト(と言っても34才なのでこういう言い方は彼に対してはあまり意味無しか?)が書いたもので、そのほとんどが複数の歌手によるアンサンブルが締める少々特種な作りのオペラである。
上演する側からすればほとんどがアンサンブルである点が難しい作品でもある。要するに歌手の粒が揃っていなければ、見劣りする歌手が浮き気味になりかねない。 残念ながら今日の上演の歌手でもそれが出てしまっていた。それぞれ頑張って歌っているのは解るのだが、いかんせん作品が手強い。今回の公演では小間使いのデスピーナを演じる歌手のピカイチの存在感が他の歌手を逆に薄めてしまっていた。 しかし一番残念だったのは演出。主役の姉妹役は単純な乙女として座っているばかりの扱いで、これでは男の賭けの材料の単なるバカ女の様に見えなくもない。女性の地位向上がより強く叫ばれる現代であるならばそれなりの主張がこの役にあっても良いのではなかっただろうか?それとも地方の公演と言う点を考慮すれば求めるのが酷なのか?
全体は淡々と進行する案配だったので、久しぶりにオペラを観れたと言うことで満足。
ところでオーケストラだが、聞くところでは地元の音大出の人に高レベルのアマチュアが加わった編成で、聴いていてハラハラさせられる事はほとんど無い健闘もの。室内オケサイズの小編成だが、奏者がしっかりしていさえすれば、下手な大編成などよりも遙かに聴ける。このオケで単独の演奏会をやらかしたらおもしろかろうとさえ思える。
この次は新年明けにポーランドのオペラ団がやってきてプッチーニの「トゥーランドット」とやるそうだ。ほんの少し以前まではオペラ上演など一大イベント扱いだった事を思うと、長崎でも少しばかり頻繁にオペラが聴けるようになった。一つ聴き逃したところで少なくとも後悔することが激減である。
よかことたい!
PS;今週末の全国大会。ヤマハ浜松が銀だったそうな。驚いた。
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| 2002年11月 2日(土) 歌声MODEと地声MODE |
3〜4年ほど前からずっと考え続けている課題があった。音色と呼吸法についてである。
僕はバンドディレクター、トレーナーと言った意味での存在には全く興味がなく、あくまでも音楽作りを行う“指揮者”にしかなりたくなかった。トレーナー的な仕事は学生時代に散々やらされたからだ。しかしBANDのサウンド作り、手直し等を行おうと思えばそうはいかなくなるのも仕方のないことと言える。
現在指揮している楽団の最大の欠点がそのサウンドにあり、その根本である個々人の音色(響き)に要因があることは解ってはいた。指揮者としてはその与えられた素材でいかなる音楽作りが可能かが自分に与えられた課題とも考えていた。しかしそんな事をやっていても結局はそのサウンドの修正・矯正に着手せざる得なくなるものだ。
楽器というのは息を吹き込んで初めて音が出る。その為には先だって息を吸わなければならぬ。となれば呼吸そのものが大切な発音要素となってくる。こう書けば当たり前のこの様に思えるが、その当たり前の事に私達は少々無抵抗過ぎやしないだろか?私達が教わり信じてきた腹式呼吸なるものは本当に適切なのか?そんな疑問が何年もの間駆け巡っていたわけだ。
最近になってそんな問題に対する大きなヒントとなるサイト・及び書籍を見つけた事から考え事にゴールが見えてきた。しばらくはトレーナー的な接し方で浸透させようと決めている。
そんな物事で一番重要なポイントが体の状態である。
普通にしゃべる時と同じ状態か、美しい歌を歌う時の状態か、これに気を付けるだけでも音が大きく異なってくる。しかし不思議なのはちょっと指摘の手綱を緩めると途端に「地声MODE」に戻ってしまう。同じ息を出して発奏すると言う意味では声楽と同じなのに、息を吹き出す段になって途端に“器楽的”な状態になってしまうのだ。
この晩の合奏では、息の使い方と「地声MODE、歌声MODE」の意識付けに終始した。
これから少しづつでも広め・修得させこのBANDのサウンドを転換してあげたい。
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| 2002年11月 1日(金) リダクションの効用 |
今フィナーレで打ち込んでいる楽譜はアレンジで作業ではなく、単なるリダクション・・平たく言えば写譜である。次回コンクール用に仕込んだ総譜があまりに状態が悪く見難いのでその気になれず、それならと言うことでフィナーレで再製作している次第。
考えるに書き写す(パソコンでだが)と言う行為は最も理解の早い勉強方法だ。(例えに使うにははばかるが)大作曲家の多くが写譜や編曲で勉強を重ねた人は多い。例えばワーグナーがベートーヴェンの第9の写譜で多くを学んだというのは有名な話だ。
たしかに写譜というのは手間がかかるし面倒だ。しかし書き写すということは各パートの各音全てに確実に目を通す。作業を進めるうちに作品の中身が透いて見えてくる。しっかり頭の中に曲の姿が具体的なフォームで描き出されてくる。
今回は必要に迫られてやっているが、この様な地道な取り組みを続けた作品が「レパートリー」と呼べるものなのかもしれないな。
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