『両親の後ろ姿(信仰即生活)』      発行日:平成17年12月14日

今日、家庭での子供の育成が強く叫ばれていますが、家庭教育の具体的なあり方として、「景仰」の中の一節を紹介します。

 「父(明主様)は、私たち子供のことでは、大体放任主義でした。しかし、口では言わなくても、父親としての暖かい気持ちを持っておられたことは、よくわかっていました。私は小さい時から、人一倍感じやすい性質でしたから、父がどんな気持ちでいるか、すぐわかるのです。親の権威でおさえつけるということはなく、子供には子供の気持ちがあるのだから仕方ないと、こちらの言い分や意見を尊重してくれました。(中略)父の生活上の折り目、けじめは、こちらが固苦しく感じるほどは厳しくありませんが、自然にきちんとしなければならないように仕向けられます。だいたい父と子供たちは離れて住んでおりましたから、時には私など挨拶しないことがあります。すると会った時、父は、挨拶だけはしなさいと叱りました。だから、出来るだけ挨拶はするようにしておりました。父は、表面では放任しているようですが、蔭では、やはり子供の起居動作を見ておりました。へんな押しつけた躾はしませんでしたが、筋の通らないことは厳しく叱りました」

 このように、明主様ご自身の家庭教育のあり方に私たちが学ぶべき点は数多くあるはずです。み教えには、「親が木の幹であるとすれば、子はその枝である。故に幹の方を閑却しておいて、枝が腐朽するのを止めようと骨を折るのだから、ナンセンス以外の何物でもない。子供の不良化の原因は親にある事を充分知る事こそ、問題解決の根本条件である。我等は先ず霊的方面から解剖してみよう。いつも言う通り、親と子は霊線によって繋がられている。故に親の霊が曇っていれば霊線を通じて子の霊も曇る。これが子供の不良化の原因である。(中略)処がその理を知らないから親は間違った考えを抱き、意識するとせざるとに拘わらず罪を犯すので、それが曇りとなり子に写すので、どうしても親たる者は常に善を想い、正を行い、自己品性の陶冶に充分心掛くべきであって、それ以外決して効果ある方法はないのである」とあり、人間が生まれて初めて接するのが親であり、子供はそこで親の姿を見て、その姿を真似ながら成長するのですから、親がしっかりとした正しい信仰を持って子供の教育に当たるならば何も問題はありません。

 その意味で、家庭における子供の育成とは、親が善徳を積み、自らの霊性を高めていくということが、最も重要であると言えます。


                         

                      『世界に拡大する原点を求めて』    発行日:平成17年9月15日

昭和25年に日本で入信した一婦人が、ハワイに帰ってから浄霊を取り次いだところ、次々と病が癒され、入信を希望する人々がたくさん生まれたという手紙が本部に届き、文通による指導とお守りを空輸するという方法で2030名の信者が生まれました。
 そして、さらに入信希望者が現れ、手紙では間に合わなくなり、明主様は2名の教師をハワイに派遣することにしました。しかし当時は入国制限が厳しく、新宗教に対して規制する方針を取っていたため、なかなか入国許可が得られませんでした。
 このことについて明主様は、「それはやはり霊的に何かが邪魔しているんですよ。初めて西洋の霊界に本当の光が出ることになる大変化なので、邪神界の反対は大変だからね。しかし神様の方ではもう決まっているんだから心配することはない。きっと年が明けて立春を過ぎないと駄目なんだろう。立春というのは大きな変わり目だからね」と述べられました。時を経て、明主様の言葉通り、昭和28年2月11日、2名の教師はハワイに出発しました。ハワイに渡った後の教線の伸びは目覚しく、同年8月にハワイ州政府から法人組織の認可を得ることができ、一年後の2月には、1000人収容の殿堂が完成、1500名が入信しました。

 明主様は、「世界の文明の中の緯の文明、物質文明の代表としてはアメリカで、精神文明の代表者としては日本で、要するに緯の文明の親玉がアメリカで、経の文明の親玉が日本で、この経と緯を結んで本当の文明が生まれるのだ。そうするとアメリカと日本の文明を結ぶという事が一番肝腎な事です」と述べられ、世界の国々の中からまずアメリカを選び、同国への布教に並々ならぬ情熱を燃やし、その構想を具体化したのは、このような深い霊的な意義に基づくものでした。
 また、明主様は「西に生まれ 東に移りし文明を 浄めて復す時となりける」というお歌を詠まれておりますが、私たちがこのスカウト活動に明主様の示された救いの事業を、主体的なプログラムとして矛盾なく取り入れ展開することが、スカウト活動に魂を入れて、浄めて帰すことに繋がるのではないでしょうか。
 ハワイを拠点として拡がる東西文明の融合とイギリスから生まれたスカウト運動が明主様の思想哲学の入ったスカウト運動へと転換していくこととの深い繋がりを感じずにはおれません。

                         

                  「感謝について」       発行日:平成17年6月20日

「感謝」ということについて、私たちは、明主様より「人間は想念次第」をはじめ、数多くのご論文やご講話、あるいはお歌を通してみ教えいただいており、日々の生活において心がけるべき大切なみ教えとして、先達の時代から多くの方が学び、実践に心がけてきました。
 今、何故「感謝」なのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、み教えに求める中で、このテーマは私たち個人の幸不幸はもとより、明主様の「救いと建設」のご神業の根底に関わる、重要な意味を有していることが分かります。明主様が示された神霊科学という視点から、「感謝」ということを見ていくと、「感謝を心がける」ということが、単なる徳目としての受け止めを越えて、霊科学に基づく仕組みに則って、私どもの幸不幸に決定的に作用するということが見えてきます。
さらに、私たちは「美しき家庭」の建設、すなわち個と家の完成と拡大ということを、明主様が示された「救いと建設」の基本計画として受け止めて取り組んでいますが、その元となる個と家の完成を図るには、どのようなことに心がけていけばいいのかということが、「感謝」というテーマを追求する中で、一層明らかになってきます。
 神より使命をいただいた私たち一人ひとりが、己を虚しくして人のために力を尽くすという崇高な精神を高めていくことは、重要なことでありますが、ともすれば一人よがりになってしまい、社会や家族から離れてしまうこともあります。そのためにもう一度、明主様が私たち一人ひとりや家族に何を願われたのかということを、生活全般を視野に入れて、み教えに求めていくことが必要であります。
 このような視点からみ教えを求めていくと、の幸せを願う家庭であると共に、神より賜った恵みを楽しみ、思いやりのある天国的な家庭が築かれることを願われていることが見えてきます。そして、そのような家庭の天国化に向かう上での最も基本的な営みとして、明主様が「感謝」ということを位置づけて下さっていると考えます。

【参考】B−Pの一つの考え方
ベーデン・パウエルは、人間には、神から与えられた贈り物(使命)があり、一人ひとりの贈り物(使命)の中身は、スカウト教育法を通して見つけ、伸ばしていくことができるとした。さらに、成人になった時、今度は贈り物(使命)を、他の人の役立つために使うようにすることが、神のために役立つことであるとしていた。そして、その目的を次のように示している。「この運動の目的としているのは、若者に無私の善意と協力の精神を持ち、それを日々の生活の中で実践するよう導くことで、地上に神の国をもたらすのを、私たちのやり方で助けることである

                      

                 「信頼関係と忠誠心」        発行日:平成17年3月14日

ハチは、大正12年秋田県大館で生まれた、純粋な秋田犬で大正13年、正月早々から近代農業土木の祖と言われる、上野英三郎氏に飼われることになりました。上野氏には、子供が無かったこともあり、大変可愛がられ、ハチも上野氏の温情を一心に受け止めていました。しかし、上野氏は、ハチが2才になる前に突然、亡くなってしまい、ハチと上野氏の付き合いは、わずか17ヶ月間でありました。その時ハチは上野氏が亡くなったことを、全く知らなかった様子であったそうです。その後も上野氏が帰ってくるのを雨の日も風の日も、毎日約10年間、渋谷駅前で待ち続けていました。
 上野氏を慕うハチの一途な姿は、人々に深い感銘を与え、忠犬ハチ公と呼ばれるようになり、当時の朝日新聞が取り上げ、一躍有名な忠犬の代名詞になりました。

 昭和10(1935)年3月8日午前6時過ぎ、ハチはその幸うすい一生を終えました。享年13歳でした。ハチ公の胃の中には細長いヤキトリの串が数本突き刺さっていました。弱ったハチには、もう肉を取り外す力もなかったのでしょう。ハチは、普段行かなかった駅の反対側、それも駅から離れた稲荷橋付近、滝沢酒店北側路地入り口でひっそりと死んでいたそうです。ハチは死ぬ前に、懐かしい思い出のある町の人たちに、いちいちお別れの挨拶をすませて旅立ちました。

 ハチの亡骸は、上野科学博物館へ寄贈され、本田晋さんの手によって剥製として永くその姿を残すこととなり、骨肉は懐かしい主人、上野博士の眠る青山墓地へと埋葬されることになりました。

 銅像となっても先生を渋谷駅で10年間待ち続けたハチ公に、第2の死が近づきます。昭和19(1944)年になり太平洋戦争が苦しくなってくると、民間の金属回収運動が始まり、とうとうハチ公も戦列につらなる日が到来しました。ハチ公像は主に全国の小中学生からの募金でつくられており、しかも交戦国の非戦闘員であるアメリカの子供たちの募金も入っていました。それは純粋で小さなたくさんの心を踏みにじりました。

 絶対にしてはいけなかったハチ公銅像の溶解は、やがて来るこの国の無条件降伏を暗示していたのかも知れません。のちに、ハチ公像は再建されたのが、昭和23(1948)年の夏でした。ハチ公が有名になった時、国定教科書の修身(現在でいう道徳)の小学2年生用の巻に「恩を忘れるな」と題して、教材に選ばれました。死ぬまで渋谷駅を懐かしんで、毎日のように通っていたハチ公の姿が「恩を忘れない」という話になったのです。

 ご主人が注がれた17ヶ月間という短い期間に注がれた愛情は、ハチにとっては、信頼関係を生み、それが忠誠という形で10年間続けられたのかもしれません。もしかしたら、ハチにだけは、ご主人の姿が見えていたのかも……。

 3月8日は「ハチ公」の命日。昭和111936)年4月8日に「慰霊祭」が始まり、今年で70回目を迎えます。




                      

                 「スカウト教育を取り上げた理由とは」    発行日:平成16年12月21日

宗教や信仰が、人間にとって一体何であるかを子どもたちに伝えることは、現在の世相の中では難しいことです。ましてや聖職者や指導者の信仰姿勢や日常生活の後ろ姿を見てもらいながら伝えていくとするならば、一層難しいものです。ペスタロッチは、「宗教は人間陶冶の根本」と述べ、マルクスは「宗教は民衆の阿片」と言いましたが、神仏と子どもたちの中間に介在する聖職者や指導者によって、どっちに転がせてしまうか判らない極めて重いものです。
フォイエルバッハは、「人間は宗教の起点、中点、終点である」と述べていますが、本来人間の精神は信仰を必要とするようにできています。また、何らかの形で善事をなしたいと願う気持ちは、神様が与えられた人間の本質であります。この本質を何とか自然の形で引出し、実践できる段階まで磨きをかけていくのが、心ある大人の役目です。これは、大人の意識と努力次第で可能なことであります。

日本には、数多くの信仰団体がありますが、私たちはさまざまな信仰や宗教を勉強・体験する自由が許されています。その中から本当の宗教・生きた宗教を見いだし、子どもたちに伝えていく重大な使命があります。しかし、最初から決めつけ、押し付けていくばかりでは、かえって背むかせてしまうかもしれません。従って私たちは、広い視野に立った宗教指導を続けなければなりません。
特に女性の場合には将来どんな宗教を信奉している家庭に入ることになる(その逆もありえますが)かわかりません。自分の培ってきた信仰と嫁ぎ先の信仰とが融和し、理解しあえるものでなければなりません。しかし、幅広い宗教教育や信仰心の醸成への取り組みの中でも、明主様のみ教えを研鑚し、真に理解することはもちろんではありますが、むやみに「唯我独尊」に凝り固まったり、他宗教を蔑視したり、排斥したりする愚行を避けなければなりません。
このような視点に立った時に、寛大で融和の心に富んだスカウトの信仰指導が浮かび上がりました。そして、その理論や実践が明主様のみ教えと、あまりにも多くの共通点があり、子どもの成長過程に沿いながら子どもの本質に見合う形で組み込まれていることに取り上げた理由がありました。また、青少年教育の母体として、一つの中核的な糾合団体であったこと、青少年の自主性を引き出せる活動や組織の確立を目指してきた教団の実状からしても、相応しい活動と判断されました。「世界救世教章を作ることがきっかけで救世スカウトが生まれた」 
世界救世教章取得者数は、11月末現在、今年度取得者数は「0」であります。宗教章制度は、昭和37年「仏教章」に始まり、昭和38年に「キリスト教章」、昭和42年に「神道章」、そして昭和52年から「世界救世教章」と「金光教章」が加わりましたが、当時の宗教章は教宗派ごとに取得の承認ができるわけではなかったそうです。
 世界救世教章は、昭和5211月5日にボーイスカウト日本連盟より新規承認され、新しく宗教章として追加されました。これ以降、かなりの数の教宗派が承認されておりますが、新規承認ではなく、いずれかの宗教章の中に属しています。実は、新制度(教宗派ごとの承認で宗教章が取得できる制度)になってからは、世界救世教章は新規承認という形であるため、新しく加盟した団体のように見えますが、現在52教宗派の加盟の中で5番目に古い団体であります。(S42.7.13/神社本庁、S52.4/天台宗、S52.4/浄土真宗本願寺派、S52.6/浜田山キリスト教会の次にあたります)
宗教章として新規承認を得るため、また救世スカウトとして全国発団に至るまでには、昭和42年から救世スカウトの先達の皆様は、教団に対して働きかけ、また日本連盟に対しても働きかけてきました。そして10年ごしの努力が認められたのです。どうか、この価値ある世界救世教章を、一人でも多くのスカウトが取得できるよう、指導者・団委員皆様の支援とご協力で許されるよう、よろしくお願いします。



                      


                「最近はやりのストラップ」
        発行日:平成16年9月17日

日本では、韓国映画ブームによって、韓国がかなり身近にやってきたと言う感じがします。この映画のブームによって、さまざまなものが日本にやってきています。その一つに韓国雑貨が今、すごく人気があり、その代表的なものが、「携帯ストラップ」です。韓国映画に代表されるように、世界的にも東洋のファッションや暮らし方が見直されている中、台湾を中心に発展した中国結び(チャイニーズノット)や、韓国の飾り結び(ノリケ)が人気を集めています。これらの装飾結びは、古くに中国大陸から東アジアへと広まり、日本でも飾り結びや花結びとして受け継がれ、現在では、「携帯ストラップ」にも活用され、携帯電話につけられているのです。

 この「飾り結び」とは、一本の紐を手で結び、
花や蝶・紋などを表現する伝統技法で、古くから大切に伝えられてきました。小板に結んだ玉結びは、結婚の諾否を表わす文字の代わりにつとめて心を結び、また髪や帯、装束、家具調度品、鎧、兜、刀剣に至るまで、様々な飾り結びが施されてきました。古代人は、結び目には神の御心が宿るものとして、信仰の対象として尊ばれました。それは、縄や結びに対して感謝の祈りを捧げ、その気持ちが高じて信仰となり結び目に神が宿ると信じられていたからです。そういう意味からも結びの語源は「産霊(むすび)」であったのかも知れません。
 また、結びは単に信仰や縁起との結び付きだけでなく、その機能が追求されながら人々の生活に大きな役割を担ってきました。現在でも香道、茶道の袋結び、神社仏閣、僧侶の袈裟、お祭の山鉾、能装束の飾りなどの結びに伝統の流れをみることが出来ます。ことに結びは女性の奥妙機知に富んだ教養として発達し、今日まで受け継がれてきたものです。実は「飾り結び」の技術だけが、中国大陸から東アジアに広がったわけではなく、いわれまでも、一緒に広がったのです。それぞれの国で文化の違いはありますが、同じように考えられてきた訳です。最近では、「飾り結び」の作り方として、本も出ていますし、「飾り結び」の材料と作り方の説明が入ったものも販売されています。昔の人が「神宿るもの」として作った「飾り結び」です。この世に生を受け継いだ私たちも「産霊(むすび)」として、「飾り結び」を作ってみませんか。


                      


                       「スカウツオウンとは」    発行日:平成16年6月15日

ボーイスカウトでは、今年の8月に関東周辺でベンチャースカウトを対象とした第6回ベンチャースカウト大会が開催されます。救世スカウトで奉仕される指導者の皆さんもたくさんいらっしゃることと思います。

今大会は、今までのように前半と後半を各基地と主会場とで分かれて実施するのではなく、最初から自分が選んだプログラムに基づいて、各基地で最終日まで活動を行います。そのため、主会場で行われていた行事はなくなり、特に私たちに関係あるものの一つである「宗教儀礼」が基地ごとに検討することになりました。世界救世教では、スカウト数や拠点数から考えても各基地で実施することは不可能であります。そこで、日々の信仰奨励という意味も込めて、「スカウツオウン」を実施するよう、参加されるスカウトに指導をお願いします。
スカウツオウンとは、教導職を中心に行う宗教儀礼ではなく、スカウト活動の中で、スカウトがスカウト自身で進める宗教儀礼または信仰心を高めるための礼拝のことです。「スカウツオウンはスカウト各自の信仰心を高揚するために行われ、それは「ちかい」と「おきて」の実践をより深めるものである」と規定にもあるように、明確な信仰を持つことへの糸口を求める活動です。
スカウツオウンは、いつ行ってもよく、隊集会、キャンプやハイキングの時等、どんな場所でも行われる、スカウトのためのスカウトによる活動です。昔から人は、何かを始める時に神に祈りを捧げてきました。準備は完璧に、気持ちも引き締まり、やれることは全てやった中で、あとは神のみ心のままにという真摯な態度で自分の計画や行動をもう一度振り返っていました。スカウツオウンにもこんな意味がこもっていれば、意義深いものになります。ここで、救世スカウトの一員として「どのように実施すればよいか」ボーイスカウトで行うスカウツオウンの一例を掲載します。

◇スカウツオウンの一例(ボーイスカウト)
@お歌斉唱(一首〜三首)(代表がお歌を読み上げ、続いて全員が同じお歌を読む)※お歌の例
(すこ)やかに (ひと)(つ)とめを(は)たすこそ (かみ)(め)ぐみに (むく)ゆなりけり
大自然(だいしぜん)の (うつく)しさこそ(ほか)になき (とうと)無言(むごん)(おし)(え)なりけれ
(まこと)とは 嘘伴(うそいつわ)りのなき(ひと)の (むね)(はぐ)くむ (たから)にぞある
A「景仰」拝読(けいぎょうはいどく)※景仰の例
『時間を守らぬ人は相手にするな』
 「晩年の明主様は、時間の概念が、とくにやかましかったようですが、これはお若い時からでした。
ですから、相手の人と何か約束されましても、先方がそれを履行しませんと、『ああいう人はだめだ。相手と約束して、それを違えるようなのは人間のクズだ。そういう人とは、あまり熱心にお付き合いしない方がいい』とよく言っておられました」
『困っている人を助ける』
 「明主様は、若い時から人に迷惑をかけることが大きらいでした。それで、いつもおっしゃっていたことは、『自分がいまに出世したならば、私はどんどん困っている人を助け、社会に迷惑をかける人をなくしたい。私はいつでもそのことが頭にあるんだ』ということでした。まだお若く、ひとり者の時でも、また世帯を持ってからでも、『われよしがいけない。自分ひとりいいっていうのはいけない。よくなったら困っている人を助けるのが、ほんとうの人間の道だ』と、それはそれはよく言われておりました」
Bおきて唱和
C善行の発表(個人・グループ等)
※この内容は、「6NVスカウツオウンの手引き」に掲載予定です。



                      

                           「特色ある団を目指して」     発行日:平成16年3月14日 

先日、日本連盟事務局ニュースに、「20万人を突破しました」という話題が掲載されていました。今年は、20万人は切るだろうという予測の中で、何とかしのぐことができたようです。皆さんも、ご存知だと思いますが、一番加盟員数が多いときは、ビーバースカウトもなく、女子加入もなかった時で、約32万人いました。それから22年ほど経過した中で、12万人の加盟員数が低下したことになります。そして、この数ほとんどが、指導者や団委員の数ではなく、スカウト数なのです。
よく話の中で「少子化の問題、クラブ活動、塾、スポーツ少年団等々、環境による要因が大きい」と聞きます。子供達の活動が多様化している中で、この環境による要因に、スカウト活動が存在しないのは何故でしょうか。スカウト活動は、どれも選ぶことができない子供達だけが活動しているのでしょうか。皆さんの団の中にも、クラブ活動をやりながら、塾に行きながら、アルバイトをしながらというスカウトもいるはずです。何故、辞めないで続けているのでしょうか。指導者とスカウトとの信頼関係の上で、続いているスカウトは少なくないはずです。ところが、ビーバー、カブまたはボーイの初期の頃は、プログラムの内容と保護者との関係が強い年代であり、これから本格的なスカウト活動に入る前に辞めてしまうスカウト達が多いという統計もでています。

「スカウト活動は何をするの」と、理念よりも活動内容でスカウト活動そのものを見てしまう傾向があります。さらには、何をやっているのかよくわからないという声を聞きます。スカウト活動を続けることによって、立派な成人になると話しをしても、初めて聞く人には、「よくわからない」で終わってしまい、スカウト活動をよく理解していないので、活動が面白くない(人によってとらえ方が違うのですが)という子供の言い分で、保護者が辞めさせてしまうということもあります。もっとスカウト活動を分かりやすくするためには、それぞれの団の特色が必要になってきます。よくジャンボリーで鼓隊やトランペット隊、旗を持って行進しているスカウトを見かける機会があります。あのスカウト達の団は、例えばトランペット隊を全面に出して活動している団であり、活動も何をしているか分かりやすいです。ここで言いたいことは、何もトランペットをやろうといっているのではなく、「このことに関しては、○○団に勝てない」と言われるような内容が、人を引き寄せるということです。同じことをやっている団が近隣にあった場合、地域で活動を進めていれば、当然、地域団に入る可能性は高くなります。また、スカウト活動が盛んではない地域では、先程のように、「何をやっているかわからない」という理由でスカウト活動に入らないということもあります。
 ですから、救世スカウトで言えば「茶道の免許が取得できる」とか「農業について知識と実践力が身につく」とか「看護や医療について専門知識が身につく」とか「海外派遣の機会が多い」とか「環境教育が進んでいる」等々何かアピールする材料が必要ではないかと思うのです。そして、スカウトの募集の時には、堂々と「私達の団は、○○を中心に活動し、○○を身につけることが出来ます。」という、団の活動と理念が分りやすく説明され、実際に体験することができれば、指導者も団委員も保護者もスカウト達も、具体的方向性が見え、分りやすくスカウト活動が理解されるはずです。あとは、信頼関係が年月を経て構築されていけば、良き指導者の後ろ姿を通して、スカウトは成長し続けることでしょう。ただ外れていけないことは。B^Pの理念であり、救世スカウトとしては、明主様の教えであることを忘れないでください。


                      


               「どうしたら宗教章とれますか…?」        発行日:平成15年12月12日

宗教章というとボーイスカウトだけと思う人がいますが、宗教章の項目を履修することで、ガールスカウトのレンジャー部門の「ガールスカウトバッジ」や「レンジャーバッジ」に関連している部分がありますので、ぜひ取り組んでもらえればと思います。今回の号では、世界救世教章の内容を少し掘り下げてみます。

1.登録完了のボーイ1級以上のスカウトであること。
 1級スカウトは、ボーイスカウト活動の中心として、スカウト技能は単独でほとんどのものが実施でき、初級・2級スカウトの指導も充分にできる資質をもっているスカウトです。つまり、自分のことは責任を持って自分で出来、他のスカウトの模範になるスカウトととらえても良いと思います。ですから、ベンチャー部門(15才以上20才未満)のスカウトは、ボーイ1級以上のスカウトとみなされていますから、当然1級スカウトより以上の責任と模範になるスカウトであります。

2.東方之光(上巻・下巻)を拝読し、明主様の生涯と歴史および教えを知ること。
 スカウトが、東方之光(上巻・下巻)を読むか、専従者または団関係者、指導者等々から話しを聞く中で、次のことを知ります。そして、その内容をレポートにしましょう。
 @明主様はどんなことをなされてきたか。
 A教団は、どんな活動をしてきたか。
 B明主様の願いを知り、そのために人間は何をしなければならないか。
 C教団は、何を目指し、そのために何をしていくのか、さらに根幹となる教えを知る。

3.立教祭(立教記念祭)、地上天国祭、御降誕祭(御生誕祭)の意義について知ること。
 それぞれ3つの祭典が何故行なわれるようになったか、何故行なわれているのか、その意図について調べます。それぞれの内容は、東方之光(下巻)に掲載されていますので、その内容をレポートにしましょう。

4.善言讃詞の奏上と作法ができること。
 「祈りの栞」を見て奏上してもよいです。また、この基準は、専従者、団委員、隊指導者、保護者のいずれかが、認めて下さい。自己申告により認めることも可能です。

5.御讃歌の奉唱と作法ができること。
 4.と同じ。

6.紫微宮(祖霊舎)における作法ができること。
 4.と同じ。

7.地域社会のために奉仕し、記録を提出すること。
 ・真の健康づくり(浄霊の実践または浄霊の体験)
 ・自然食運動
 ・花による天国化運動
 3つの活動の中から一つを選んでいただき、その中で自分自身が家庭以外で実践したこと、または行事のことを指します。家庭以外で実践したことであれば、少なくとも1ヶ月間の内容とし、いつ(年月日)、どこで(場所)、何をどのように(内容)、感想を記録として提出します。行事についても、約一ヶ月間の内容(準備から終了まで)を上記の点について、記録し、提出します。

8.自分の生活の中で教えをどのように実践しているか1ヶ月以上にわたっての記録を提出すること。
 ・真の健康づくり(浄霊の実践または浄霊の体験)
 ・自然食運動
 ・花による天国化運動
 3つの実践から一つを選んでいただき、その中で自分自身が家庭内で実践したことを指します。そして、次のことを明確にします。
 @取り組みに際しての願い
 A取り組み課題
 B拠り所とする教え
 C実践の状況(実践記録)
 D実践を通していただいた証(自分の心の変化、家庭内の変化、一人ひとりの変化等々)
 E取り組んだ感想と今後の決意


                      


              「宗教章を取得することは大切なこと‥?」       発行日:平成15年6月20日

明主様は、私たち人間の存在の意味とその使命について、次のように説かれています。「抑々、世界の創造主たる主の大神(エホバ)は、この地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行わせ給いつつある事を吾等は信ずるのである。これに対して人間を神の代行者とされ給うと共に、一切万有は人間の為に造られたものである」
「人間が現世に生まれるという事は神の命によるのである。生命の命は命令の命と同一であるのもその意味であろう。誰しも思う事は、人間は何が故に生まれたかという事である。この事を真に把握せざる限り正しい行動も安心立命も得られないのみか、空虚な酔生夢死的人生に終る惧れがある。然らば神の意図とは何ぞやといえば、この地上をして理想世界言変えれば地上天国を建設する事である」
人間は神の代行者であり、その使命は地上天国建設にあることを明言されました。本来、人間は神の命によって現世に生まれた存在である以上、神の実在を認識する以外、人間として正しい人生を歩むことは出来ません。
 ボーイスカウト日本連盟では、活動の指針とそれに関わる組織運営について示された「教育規定」に「本連盟はすべての加盟員が、それぞれ明確な信仰を持つことを奨励する」ことを掲げ、その一つの施策として「宗教章」を設定しています。そして、信仰には、極めて初歩的な段階から、明確な信仰に達するまでの一連のプロセスがあり、その歩みを助け励ますことが宗教章設定の目的とされています。
 明主様は、「教育の目的」について、次のように説かれました。
教育の真目的は、立派な人間を作ることである。勿論、立派な人間とは正義を信条とし、社会の福祉を増進するに努め、文化向上に貢献する人間を作ることこそ、真の教育である」当然、この「宗教章」取得を目指すことによって、神の代行者として、社会全体の幸福に貢献できる人間になる第一歩となります。


                      


                   「明確な信仰への道‥?」                    発行日:平成15年09月29日

スカウト活動は、自らの自発活動をもってこそ、さまざまな訓育制度を通して、明確な信仰を身につけることができます。明主様は、「即ち善人とは『見えざるものを信ずる』人であり、悪人とは『見えざるものは信ぜざる』人である。従って『見えざるものは信ずる』人とは、神仏の実在を信ずる、所謂唯心主義者であり、『見えざるものは信じない』という人は唯物主義者であり、無神論者である」と説かれています。スカウト活動を通して、神仏の実在を認識し、真の善人に向かうものでなければ、本来のスカウトの精神から外れることになります。
 また、B−P卿は、「神を信じ、神のおきてに従わなければ、決して良い人とは言えない。それゆえ、どのスカウトもみんな宗教を持つべきである」「神のチームの良き一員となれ」「神に対するつとめを行うことは、決して神を忘れないこと、そして、何をする時でも、神のことを忘れないことである」と、確固たる神への信仰を基盤とし、神への愛の実践と感謝を通し、人間としての完成の道を歩み続けることを訴え続けています。
また、「神のチームの一員になれ」というB−P卿の言葉によっても明らかなように、スカウト活動と信仰は切っても切れない関係にあります。本来、スカウトの登録と同時に、指導者まで全ての人たちが、「明確な信仰の把握と維持」への努力を意識的に開始しなければならないということを明示していますが、スカウトを取り巻く人たち(スカウトの家族、支援にあたる方々=育成会員)もその努力が必要なのかもしれません。
 現在、ボーイスカウト日本連盟では、「宗教章」としては、「世界救世教章」のほかには、「神道章」「仏教章」「キリスト教章」「金光教章」を設定していますが、教育規定では、1級スカウト以上にならないと、取得申請はできないことに規定されています。しかしただ単に「宗教章」を上辺だけ、知識として取得するためだけの挑戦であっては意味をなしません。
世界救世教章取得を目指すスカウトは、明主様のみ教え実践が基本原則であり、それによって、明主様のご神格を魂で覚り、深めていくことができれば、それは明確な信仰の確立に繋がり、宗教章取得の本来の願いに叶うのです。