『世界杯』

2002年6月1日(土)午前11時15分。

いよいよ、今世紀初・アジア初・二カ国共同開催初・のW杯の日本第一戦が開催される新潟市の新潟駅に到着。

駅の構内では、サッカー観戦らしい日本人達を見るだけで、アイルランド人やカメルーン人など見ることが出来なかった。

『日本人ばっかりで、外国の人はあまり来ていないのかな?』と考えながら、万代口から駅を出ると「いるいる〜いるじゃん」

駅前のバスロータリーには、日本海の真夏のような日差しを浴びてカラフルなグリーンとオレンジの色の花が咲いている。

そこには陽気なアイルランド人たち200人位がビール片手に集まってタムロっていた。

『W杯を本当に観に来たんだ』という不思議な感覚に包まれながら、新潟名物《へぎそば》を食べに行こうと、繁華街の方へ歩いていくと

あちらこちらにアイルランドカラーに包まれたアイルランド(以後””)応援団が歩き回っている。

『なんかハロウィンみたいだな』と思いながら、コンビニやパン屋などで買い物している応援団を見物しながら歩く。

ふと気が付くとサポーターたち半分以上は缶ビールを持っている。

『今日は暑いからビール飲んでるのか? 待てよ駅前でタムロっていた連中もほとんどビール飲んでたぞ』

『こいつらお国柄なのかビール大好き人間なんだ。これも経済効果かな?』なんてことを考えながら、蕎麦屋へ到着。

日本人も負けるわけいかないと、ビールを早速注文。テンプラ付の蕎麦食べ放題を続けて注文。

ビールを飲んで一息ついたところで、店内に陽気な外国語が聞こえてきた。(以下、応援団は英語で話しているが、感覚訳で表現)

「開いてる?店開けてるのか?」とのおっちゃんたち三人が入ってきた。ここは国際親善だと「オッケーオッケー。開いてるぜ」と教えてあげる。

何故おせっかいに親切にするかと言うと、小生自身がアイルランド代表チームがキャンプを行う千葉の幕張(美浜区)に在住であり、

その縁で千葉アイルランドサポートクラブに入会してしまったし、500円の寄付ピンバッジも購入していた。

つまり小生自身がアイルランドを応援しなければならない条件にあり、運良く入手できたチケットはアイルランド戦のものであった。

『天は私にアイルランドを応援せよとお望みなのだ』

ケント紙で作成した伝統兜にアイルランド国旗色を塗った物をのおっちゃんに見せて「おれは、を応援するんだぜ。

おまえのとこのチームはおいらの近所でキャンプやるし、今日は一緒に頑張ろうぜ」という事をのおっちゃんに言った。

言ってることはわかったらしくのおっちゃんはとても喜んでいた。

調子に乗った小生は、『せっかく蕎麦屋に居るんだから、日本の食文化にも触れてもらわなければいかん。』と思い、

テンプラを見せ「これはテンプラという日本の食べ物だぜ。遠慮しないで食ってみないか。」と言ってみたが、

「中味は何だ」と訊いただけで食べるとは言わなかった。勿論、素材について教えてあげたが、得体の知れないものは好きでないらしい。

こちらはこちらで盛り上がっていると、先ほどののおっちゃんがこちらへキスのテンプラが食べてみたいとやってきた。

箸が使えないので、フォークが欲しいと言ったが、蕎麦屋にはフォークが無く、小生が食べさせてあげた。

「うまいうまい。テンプーラという食い物はなかなかいけるじゃないか」なんて事を言っていたみたいであった。

しかし、蕎麦は食べたくないようで「いらん」と言われた。

その後我々が、食べ放題の蕎麦に突撃していたところへ、先程のおっちゃんがメニュー片手にまたやって来て、

「さっき食ったやつを食いたい、頼んでくれ」と言ってきた。(どうやらビールばかりに飽きたみたいで、何かを食べたいけどメニューは

何がなんだかわからないし、さっき食べた魚のフライは食えると判断したらしい)

「三人前頼むのか?おまえら食えんのか?」と聞いたら、「三人前でいいぜ。問題なしだ」なんてことを言ったようだった。

もう一度三人前で良いのか確認してから注文してあげたが、蕎麦は、やっぱり遠慮するとのこと。

我々は、新潟のオフィシャルショップに行く予定があったので、蕎麦で膨れた腹を持ち上げ店を出たのであった。

もちろん、のおっちゃんに「スタジアムでまた会おうぜ」と声をかけて。

その後の、テンプラとのおっちゃんたちの関係展開は今でも気がかりである。

ダイエーのある繁華街は、たくさんの応援団が集まっていた。特にファーストフード店はかなりの人気ぶりだった。

駅に1時前に戻り、シャトルバス待ちの列の最後部に並ぶ。待ち時間40分走行時間15分の表示。

入場チェックで60分掛かるとすると3時に座席につく計算になりギリギリかと思ったが、意外とバスの並びが順調に進み、

2時前にはスタジアムへ到着。ゲートを通過するのにどのくらい時間がかかるかと気懸かりであったが、

身分照会のチェックもなくすんなり通過、所持品検査も簡単なもので空港のチェックのほうが数段に厳しいと思われた。

(しかし、十徳ナイフを差し押さえられた観客とかいるようであった)

そこに、カメルーン応援団を発見!(以後””) 民族衣装を身に纏い、民族楽器を携えた15名程が日本人に囲まれていた。

我々も、記念に写真を撮ろうと、ダンサーの女の子に「一緒に写真とりませんか」声を掛け、パチリと一枚記念撮影。

「サンキューベリーマッチ」とお礼を言って、座席の確認の為、会場内を急ぐ。

『場内は殺気立った雰囲気もなく、意外とのんびりした感じだな』と思いながら。

夏のような日差しの中に、我々の席があり『こりゃたまらんぜ。でも雨が降るよりましか。最前列から2列目だし、よかよか』と

『しかし、応援団がいないな。日本人ばっかりじゃないか』 同行した仲間の説明によると、

「アイルランドのホーム試合形式になるので、応援団はホームゴール裏になり、こちらは、応援団側になる」ということらしい。『納得』。

と、そのとき、後から歓声があがり独特の太鼓の音が聞こえてきた。先ほどの応援団が後ろの席で踊りと太鼓で

試合前の盛り上げを始めたのだ。わっと日本人が集まって、写真撮影やビデオ撮影が始まり、二重三重の人垣が出来た。

撮影の為、ビールをこぼして服をびちょびちょにする人が出るくらいの賑わいであった。その後ビールを買いに行く途中の階段で、

人男性と目が合い「どうだい調子は?」と聞くと、指を二本出して、「絶好調!カメルーン頑張る。」みたいな事を言ったようだった。

普通のVサインではなく、手の甲をこちらに見せるVサインでアフリカ式の頑張ると言うサインなのかと思っていたけど、

後から何回か言葉を交わした結果、どうやら「2−0」で勝つという意味だったらしい。

応援団は、テンションの高いパフォーマンスを見せており『この調子で試合終了まで持つんか?』と心配になったが、

以前お笑い番組で平原に住むアフリカ人は祭りと称しては一日中踊っているというのを見たので、2時間ぐらいは平気で踊れるのであろうかと

思ったが、実際はそうでもなかった。終盤は試合の流れの為か、それとも疲れてしまったのか、静かになってしまった。

逆に、日本に来ている外国サポーターの中で一番人数が多いらしい応援団の終盤の盛り上がりは、スタジアムを揺るがすほどすごかった。  

【試合経過は割愛】

白熱した試合が終了し、記念モードへ突入。応援団の中の美しい女性と(ローラいう名前の学生:取材されていた内容を聞いていて知った)

記念撮影。そのあと、一般の人女性の二人組にシャッターを押すのを頼まれ(何故か小生は他人に道を聞かれたり、

何か頼まれたりすることが多い。人の良さそうな顔しているとは思えないのだが)ついでにみんなで記念撮影。

スタジアム外で応援団の親子とまたまた記念撮影。

夕方6時くらいになり一路、新潟駅へ徒歩の行軍を開始した。通りの各酒屋の前ではビール大好き応援団30〜50人位が

ビール片手に宴会を行っていたり、自販機では必ず何人かが飲み物を買っていたり、コンビニにビールが売ってなくてがっかりして

出て来る応援団がいたりしていた。『よっぽど暑かったんだろうけど、ビール無しじゃ生きられないのだろうな。

酒屋が経済効果が一番高いんじゃないか』と思いながら、道行く応援団とチョコチョコ言葉を交わしながら駅へと向かった。

駅の手前の最後の酒屋を過ぎ次の交差点のところで、応援団の一人が脇道から小生に走ってきて

「ビールはどこで売ってるんだ?」と訊いてきた。(本当によく道を聞かれる)

ほんの10m向こうで愛応援団が酒屋の前で宴会してるのに気付かなかったらしい。

『おまえどこ目をつけてんだよ』と思いながら、「ほら、あそこで仲間が盛り上がってるぜ。でもギネスはないと思うけどな」と

教えるとそのグループは「センキュー」と嬉しそうに一目散に走っていった。

駅前でも午前中と同じようにビール片手にたくさんの応援団が楽しそうに盛り上がっている。

しかし、日本の物価は高い為か飲んでいるのは発泡酒ばかりであった。

 

アイルランド人の顔は、ケルト系民族の顔というべきなのか、スラブ系やゲルマン系とは違う顔立ちで

ちょうど映画”ロードオブザリング”に出て来る”ホビット”みたいな顔の人が多い。

ビール大好き陽気なアイリッシュ。ビールだけじゃなく、米どころ新潟の銘酒も飲んでもらいたいと

思いながら新潟駅に別れを告げたのであった。