![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ピカソ美術館
![]() ピカソが心酔したベラスケスの「官女たち」
![]() バレンシアの市場
![]() ![]() ![]() クエンカ・宙吊りの家
![]() クエンカ・中吊りの家
![]() マドリード・スペイン広場
![]() ![]() ![]() プラド美術館
![]() ![]() 裸のマハ
![]() ![]() ![]() 美術館前のゴヤの像
![]() ![]() ![]() ![]() トレドの路地〜カテドラル ![]() ![]() ラマンチャにて
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ローマ橋を隔ててコルドバ市を望む
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スペインの最初の地バルセロナの街の明かりが眼下に見えたのが、日本を発って飛行15時間後の現地時間21:25分だった。 海岸沿いのプラット空港に着陸態勢をとると、眼下にバルセロナの夜景が広がった。 一夜で飛行の疲れを癒し、朝食でスタミナを付けた。 ホテルの朝食はバイキング形式で、出されていた各種ハムとヨーグルトを一通り賞味し、 野菜不足は果物で補った。 ここバルセロナを州都とするカタルーニャ地方は、スペイン第一の工業地帯としての豊かな経済力と独自 の文化をもち、自主独立の精神に満ち、スペインで最も活気のある都市と言われている。 市内観光後、サクラダ・ファミリア聖堂(聖家族教会)を見学した。 聖堂は、1882年に着工後、予定されている18本の鐘楼のうちガウディが4本完成させ、 現在8本完成し、日本人彫刻家の手で継続されているとのこと。工事現場を見て気の永さに驚嘆した。 同じくガウディの世界遺産グエル公園は、市街を見下ろす山の手にイギリス風の芸術的な住宅街を構想してとりあえず建てられた 2戸の住宅は、子供が喜びそうなお伽の国の家ようで、住宅街は実現しなかったが、1軒は管理人の家、 1軒は博物館になっているのがほほえましい。 次のピカソ美術館は、画集等でもほとんど見ない作品ばかりで、ピカソの子供時代から青年期・晩年まで、作品を通じて心の動きが 分かる様で、感動した。 ピカソは余りにも早熟で、10代で絵画技術をマスターし、生涯にわたって新たな挑戦を続けたが、 死の直前に、ベラスケスの「官女たち」の構図を基に、何枚もデッサンをした挙句にあの様な絵を残したことは、(写真が撮れなくて 残念でした)師と仰いだベラケスを超える絵は描けないと絶望したのではなかろうか。 昼食のフィデワは、素朴な料理とは言えメインとして皿に豆だけをいっぱい出されて驚いた。 午後はバスでバレンシアに向い、夕食はパエーリャ(バレンシア地方で生まれた炊き込みご飯)は、アムール貝と小エビなどを入れて 炊き込んだ大鍋から皿に盛ってくれた。 2日目、バレンシア市内観光で中央市場を散策した。ブタのももが何十本も吊り下げられているのに驚嘆した。 果物が豊富で、量り売り一個売りもされて親しみを感じた。 昼食は、米のサラダとトマトノスープとトルティーリャ(ジャガイモとタマネギの入った卵料理〜スペイン風オムレツ)だった。 カテドラル(大聖堂)を見学後、ミゲレラの塔に205段登って、市内の展望を楽しんだ。写真は一眼レフで撮ったので、掲載は割愛します。 午後はクエンカの巨大な断崖の上の要塞都市、文化遺産の旧市街と「宙づりの家」を散策。 バスを降りて、ウエカル川沿いに20分ほど異様な絶壁を見上げながら登ると、全身に子供にかえった冒険心の様なものが湧いてきた。 やがて対岸の絶壁の上に「宙吊りの家」〜正確には崖の上に突き出した家か〜が見えて、吊り橋を渡ってカテドラルをめざして マヨール広場に入って散策した。 帰りは「宙吊りの家」の下を紅葉をめでながら下った。 夕食のメインは、はマドリッドの代表的料理コシード・マドリレーニョ(肉と豆、野菜の煮込み)だった。 3日目は、マドリッドの市内観光の中でスペイン広場に立ち寄った。 その後、待望のプラド美術館でベラスケ、ゴヤ、グレコなどの名作の数々を堪能した。 昼食はタバス料理(つまみ〜魚介の揚げ物)は、オニオンスープのあと、きのこのトルテーリャ、マッシュルームの ニンニクオイル炒め、とり肉のニンニク風味焼き、ローマ風イカのフライ、エビのビネガーソース、 ホウレン草とチョリソのトルティーリャなどだった。 午後はこれまた待望の世界遺産「トレド」観光である。 ホタ川を隔てて眺めるトレドの全景は絵画で幾度も観ていたが、現地を観るのは圧巻である。 この古い街では、イスラム教徒とキリスト教とユダヤ人が共に生活していると言う。 詳しい歴史を知りたいものである。 夕食は、米のスープでおかわりをしておいた。豚の丸焼きと言うことだったが、蒸してあんかけにした様で臭くて食べられなかった。 料理を造ってくれた人のことを思って、だされた料理を残したことはなかったが、生涯に初めて手を付けただけで残してしまった。 マドリッドに連泊して4日目は、コルドバへ向かい、途中ラ・マンチャ地方の風車を見学したが、今は数も減りほとんど使われなく なって観光用に残されているという。 ラ・マンチャはアラビヤ語で「乾燥した土地」という意味とのこと。 このあたりからポルトガルまでは、午後の3日間、バスで時速80キロ程度で、地平線まで家もほとんどなく、 延々と続く赤茶けた土地とオリ−ブとブドウ畑には驚嘆させられた。 この途方もなく広大な丘を、誰がどの様に管理し、収穫するのか、その人達は今の季節どこにいて何をしているのか想像も出来なかった。 スペインは初めてだったので、まずグローバルに知りたいとこのツアーに決めたのだが、いつ果てるとも分からないオリーブの波に いささか閉口した。 昼食はソパディアホ(ニンニクのスープ)と豚ロース肉の牛乳煮だった。 車窓にオリーブの丘が波打って続く中、時折小高いところに白い街が目に入る。 ローマ橋を守るために造られた要塞カラオーラの塔など、中世の古都といった感じである。 グアダルキビル川を隔てて眺めるコルドバの街は、メスキータをはじめ、コロンブスが王に謁見した宮殿は、異端審問の宗教裁判所 でもあったという。 コルドバでは、785年に建設がはじめられたモスクは、街の発展に合わせて3回拡張され、2万5000人の信者が祈ることが出来たと言う。 スペイン各地で見られる様に、モスクはを教会に改造して、それぞれの文化をのこしていることは興味深い。 夕食は中華料理だった。 |