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 日本食文化C

の宿命

 インゲン大豆などのタネは、中の「はい芽」をしっかり守りながら、頭を出して土を押しのけ出て来る。
 そして
「はいにゅう」が二つに別れて開くと、中の「はい芽」が芽を出し、ぐんぐんと成長して若い葉を伸ばして行く。「はいにゅう」は、その初々しい青葉を、見上げながら一番下で手を開いて支えるようにして、自らのでんぷんや養分をに分け与えて立派な実を付けるまで、見守るかのようである。
 そして、立派に育った
を見届けながら、だんだんとしなびて使命を終えていく
 
「田口シマ」の人生も、この種が教えてくれるように自然のまま、宿命の道を歩んで来たのであった。「シマ」は、この二枚の「はいにゅう」のうちの片方(夫)を亡くしたあと、残った一枚で何とかを大きくして立派に育てて乗り越えて生きてきたのであった。

 

の宿命 

 一方、は、湿った狭い土床の上に播かれ、直接、種もみの中からを出して来る。そして、集団の中にまぎれこんで平均的なに集まって成長して行く。
 だが、
田植えの時期が来ると、一束ずつわらのひもで束ねられ、あちこちの広い田んぼの世界に、部隊のように分けて投げ出される。そして、しばらくすると、その苗の束は紐を解かれ、数本ずつ、「整然と行進する兵士」のように、泥水の中に植えていかれる。
 そして、その
泥水の中に植えられたか細い苗は、泥水の中豊かな養分だけを吸収しながら、次第に根付き青々とした葉を茂らせて勢いよく成長して行く。
 真夏の
太陽を日差しをいっぱい浴びながら、いつしか豊かな稲穂をたくさん実らせる。やがて水が引いていくと同時に、地面がひびが入り、黄金のように稲穂が光るようになる時、秋の刈り入れの時が来る。農家の人たちは、を研いでたわわに実った稲の茎を掴み、刈り取っていく。しばらく日に干された後、脱穀され、蔵に納められていく。そして、もみがらは、野で焼かれてしまう。又、天候不良で不作の時は、藁(わら)のように燃やされてしまう。
 
「まこと」は、自分の人生を振り返ると、こののように生きて来たことに気が付くのである。「稲作は、日本文化の中で大事な意味を含んでいる。」とよく表現するが、これは、稲作の中に、将来日本人が辿るべき道を予告した、「天の予言」が隠されているからではないだろうか?。
 これは、世の終わりの日に訪れる、
「神の裁きの業」がどんなものであるか?。を推理できる内容が隠されていることにもなる。

稲の絵本より(農文協)

稲を水田で育てる理由

詳しい資料

 

 日本人は、お彼岸めでたいことが起こると、を炊いたり、おはぎぼた餅を作って祝う。「何故そうするのか?。」今まで、その深い意味を考えた人はいるだろうか?。
 この、
もち米豆(あずき)の二つを組み合わせる意味とは何であろうか?。
 この普段は、別々である二つの物が
混ぜ合わさってあずきの色赤く染まったりあんこモチ米包む時に、大変めでたい喜ばしきことが訪れることを象徴しているのではないだろうか?。

 日本人が食べる、普通のおかず。だが、そのおかずは、ほとんど、(納豆、豆腐、醤油、味噌汁、おから、)から作られたものが多い。
 これは、日本人は普段から、
ご飯を、両方とも別々に交互に意識しないで食べていることになる。ところが、何故か、目出度い時だけ、そのもち米になり、が入って仄かに染まったご飯になる。主体の立場のが、対象の立場から、仄かに味と色を受けて染まり包まれるようになるのだ。
 
白いご飯あずき豆から、何かを吸収して行く時、何か喜ばしきことが始まる。
 そして
重箱に詰められ、恩ある人に届けられる。そして、二本の朱塗りで食べ、口の中に導く時、人は目出度い日が来たことを舌で味わい心から祝うようになるのだ。

省 略

 「今井まこと」は、「シマ」に出逢い、「田口」の名前を名乗る許可をもらいに来た時、偶然にも、「シマ」の自叙伝の小冊子を渡されて、田口家の辿って来た「光を求める道」を見い出した。
 
「シマ」の抱えて来た課題は、「まこと」の抱えて来た課題と一つになることを直感した。「まこと」はこの課題を解決するために、田口家の過去の歴史の中に、深く入り込んで行くことを自ら選んでいくのである。
 
「シマ」は、の中でも小さい小粒の「あずき」であり、「まこと」は、米の中でも粘り強い「もち米」をそれぞれ象徴しているのかも知れない。

 日本人は、有史以来、あたかも「信仰条件」のように伝統的に続けられて来たこの稲作で作ったを食べ続けて来た。ところが、ここに来て、初めて国産米外米とブレンドされて食べられるようになった。これは何を意味しているのだろうか?。
 これは、やがて
日本世界の中に溶け合って、(和の精神)でおいしく炊きあげ、包んでいく時代がやって来たことを、前もって示す「世界平和の雛型」ではないだろうか?。

ご飯の使命 白米=味を中和させる役割

箸の使命は迷える民族(ひつじ)を導く牧羊犬の働きをする。

お椀に盛られたあたたかいご飯。味のついたおかずを食べたあと
ひとかたまりのご飯粒を二本の箸ではさんで神の口に持っていく
この行為は何を表しているのでしょうか?

神の右手に握られる二本(日本)の箸(はし)でタイミングを計りながら適宜に口の中に運ばれていく。無意識に箸を運ぶ行為は大変な内容をもっている。箸の使命は、神と一体となって正確な時を計りながら、口の中の味の不足と過剰とを感知して、みごとに中和して、必要な味の調和をする働きをする。 神の国に導く道具

牧羊犬の使命は 世界の民族に対しては主人の手足の代わりになって、時には預言者となり、こぼさないように二本の箸で優しく包んであげて導いてあげる大切な役割を果たしていくことにある。

聖書の記述にはが出てくる

異邦人をあらわすと言われる
サマリヤの女の信仰をイエス様が褒められたとある。

その内容を見てみよう。 子供達が食べる食卓の下で落ちたパンくずを犬が食べている様子をご覧になり、「犬にパンをあげるのは良くない」と注意をされたときの、女の返事であった。

「主よ、食卓の下の犬でもこぼれたパンは食べます。」と答えるとイエスは「女よ、そなたは見上げた信仰である。」 と褒められたとある。

イスラエル選民以外の異邦人(犬)などに神の使命のパンを分け与えて食べさせるのは良くない。と言われた言葉に対しての女の驚くべき見上げた答えであった。
イスラエルが命のパンであるイエスを受け入れることを失敗したときには、選民が使命が異邦人に移ることもあると答えたのであった。

 

人を幸せな気分にする

出来立てのフワフワ
 

結婚式・葬式饅頭

ふっくらおいしい饅頭も、外側の米と、中の小豆(あずきあんこ)の組合せである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

箸の使命は預言者の働き
 
 

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