第13章 惜別

・さて、一通りの機能整備が済んで、あとはボディの板金でも、ぼちぼち手を入れられるレベルで安心して乗れるようになったX1/9であるが、春を間近に控えて、そろそろコイツの次のオーナー探しをしなくちゃいけない時期になったように思う。

もともと、共同所有するにあたり、同僚氏とは、1年の限定で、という約束をしていた。これは、いくら気心知れているモノ同士だとしても、所有しているうちに、お互いの思惑がずれてきて、トラブルになることを避けるためであったからである。

そもそも、整備主体の当方と、ドライブ主体の同僚氏と、お互いそれはそれで楽しかったし、経済的負担はすべて折半で出来る分、楽であった。実際、1年でやっとひとまず元の性能を取り戻したばかりのコイツを、手放すに惜しいのは事実ではある。。。。

当方から、2月のある日、思い切って同僚氏に、コイツを手放す相談を持ちかけてみる。彼もやはり、惜しい気がするのだろう。もう少し持っていても、と一旦は主張したが、翌日、私の提案を気持ちよく受け入れてくれた。

さあ、次期オーナー探しだ。

とはいえ、このディープなクルマを、一般の個人売買情報誌などに流しても、まずは欲しがる人はいるまい。そもそも、高価に売るつもりなど全く無く、むしろ購入希望者と面接でもして、コイツを引き受けられるだけの熱意とX1/9に対する情熱があれば、値段は2の次であると思った。

自分が入手したときは、X1/9そのものでさえ、歌手の八神純子が昔新車で手に入れたという程度の知識しかなかったのに、アレだけ手こずらせてくれて解体屋にでも売り飛ばそうと思った分、私自身もコイツには未練が出てきたのだと思う。

実は、プレッソを入手した前オーナーは、同じくX1/9に乗る、とあるマニア氏である。この方とは、同じ頃の年式に乗るよしみで、いろいろとアドバイスをいただいたりした。

そんな有名人の彼に、誰かX1/9に乗りたいマニアが居ないかどうかを問い合わせてみると、一人X1/9に乗りたい人が居ることを教えてもらうことが出来た。

早速、コンタクトを取ってみると、群馬の学生さんであった。まずは電話での感じでは、さほど車いじりの経験は多くなさそうなものの、X1/9への思いをいろいろ感じさせてくれる雰囲気がある。早速同僚氏とも相談し、具体的に彼に譲渡すべく、意思を決定する。

さあ、納車までにちょっとは綺麗にしてやるか。ワックスかけたり、ちょっと化粧してやったりする。さんざんてこずらせてくれた分、いざコイツを手放すとなると、もったいない気持ちもあるが、ここまで仕上げたので、つぎはあなたに任せます、という気分にもなる。

引渡しは春先の夜、東京は八重洲地下駐車場である。
名残惜しみながら、交換した部品のリストや、一部ストックしているパーツの説明、へインズのマニュアルから、個人輸入に関する資料、名義変更にかかわる資料などを、新オーナーに渡す。

いよいよ自走して新オーナーが、駐車場から出て行った。

なんともいえない気持がよぎり、同僚氏と、いつもの六本木のラーメン屋で祝杯をあげ、1年にわたる共同所有プロジェクトは、ついに終焉を迎えた。

あー、こんな贅沢な楽しみ方って、一生できないかもしらんなぁ。思いっきりやっておいて良かった。何しろ、その数年後にはバブルがはじけて、いまでは円安もいいところ。あんなにふんだんに、個人輸入なんて出来ッこない。

私の心に、またいつか乗ってみたい、と思うクルマが1台増えた。実現することはありえないだろうけど。クルマもきっと幸せに余生を過ごせることだろう。

なお、X1/9のその後は、新オーナーが大阪へ就職した後、しばらくは現役で活躍していたものの、彼の生活の変化とともに、現在では彼の実家である群馬県にある。そして我々の期待通り、いつの日かの復活を夢見て、長い冬眠に入っているのだという。いつの日か、その日が現実に来ることを、切に祈るのみである。

(終わり)