雨の音

−松澤 俊郎 −


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 数日来、庭のオオデマリの木の花びらが、ハラハラと降るように散っていた。枝をたわませていた重そうな花球は、すっかり小さくなり、その分、木の下の地面は、まっ白な花びらを敷きつめたようになっている。何日かすると、この白い花びらのじゅうたんも、茶色に変色し、土に帰っていくだろう。

 オオデマリの木の下にある紫陽花にしても、雨にぬれたそのうす紫の花は楚々として美しいが、それもやがて茶色味をおびていく。くりかえされる毎年の晩春から初夏の、少しわびしい光景である。

 

 協一郎は、今夜もひとりだった。妻は、実家の祖母が高齢で弱って看病を頼まれ、子供を連れての里帰りで、すでに三日ほど留守にしていた。

 休日の前夜は、早く寝ると何か惜しいようで、協一郎は夜ふかしをする。医者という仕事がら、書物は多く読む協一郎だが、こんな日は、仕事とはなるべく関係のないものを読むことにしている。今夜も、簡単な夕食をすませたあと、ある哲学の書を読んでいた。

 日の暮れる頃から、庭で猫のさかりの声がもつれあっていた。時折、ガタガタッと、駆けぬける音がして声が消えるが、またしばらくすると、うめくような、おどすような、それでいて呼び寄せているような、声のからみあいが戻ってくる。窓からのぞいた協一郎の目に、見なれた近所の白い飼い猫と、野良猫らしい黒っぽい寸胴の猫が、紫陽花のしげみをはさんで、にらみあっているのが見えた。  さして気にならない時もあるが、昼間の疲労が尾を引いて気持に余裕のない時などは、このうなり声がひどく耳にさわり、我慢がならなくなれば、窓をあけて「シッ、シッ」と追う。しかし、さかりが本物になってくると、そんなことではもう猫は逃げない。時には裏戸をあけ、声のするあたりの暗がりへ、協一郎は石を投げたりした。

 妻はいつも、およしなさいよ、と言う、生命の誘いに導かれての行動なのだから、仕方がないでしょ、と言う。うるさいんだよ、とこぼすと、それはたしかにうるさいけど、でも、じっと聞いていると、その声の抑揚や、声音の微妙な変化の中に、ふたりの感情が徐々に変化していくのがわかるようで、面白くもあるわよ、と言うのだった。

 何かしら、人間の恋愛感情の流れにからめて言っているようで、妙なところでうがったことを言う人だと、協一郎は感心もするが、一方で、医者である自分と、看護婦である彼女との間で育てた恋愛のプロセスは、もっと精神的なものだったはずだ、猫のさかりと一緒にされてはたまらないと、少し腹を立てもするのだった。

 

 しかし気がつけば、自分も三十を幾つか過ぎて、二十歳の頃の、「純粋」というか、極端に突っぱって、精神、精神という言い方はしなくなってきている。

 仕事の上では、ある場面においては、人間の肉体を「精神」とか「心」とかいうものからあえて切り離し、「物体」とは言わなくとも、「生理的機関」として、いわばその「メカニズム」を考えて対処するということをしている。そうしなければ、仕事の多くの部分で自分は託されていることを冷静に処理できないだろうし、ある意味では、クールになり切れてこそ、自分の外科医としてのメスは冴えてくるのだと思ってもいる。

 

 そういう自分が選んだ妻は、あまり「看護婦」くさくない人だった。

 世間では、医者と看護婦との、異性としての愛情の距離をはかり違えている。その距離は、決して近くはないのだ。

「白衣の天使」と言う。「天使」であるからには、そこに人間の生くささがあまり濃厚にあっては困るだろう。看護婦は、情は深くても情に流されてはいけないのだと、協一郎は考えていた。

 白衣に身を包んで働いている彼女たちを、凛々しいと思い、頼もしいと思い、時には清楚で美しいと思っても、それは白衣を身にまとっている看護婦としての彼女たちに対する同志的好感であって、白衣をぬいで私服になった時の彼女たちに心が動かされるということはあまりなかった。

 そんな時、彼女たちはむしろ、普通の女性たち以上に平凡で、生彩を欠いているように見えた。何かしら重く疲れて、もの憂い表情をしていることが多かった。

 そういう、疲れた、もの憂い表情というのは、協一郎の妻にしてもあった。ただ、彼女には、仕事の最中も、プロに徹していない、あるいは、そうであることを意識的に拒んでいるようなふうがあった。喜怒哀楽の感情も自然に示したし、そばで見ていると破綻が予感されてハラハラするような、人間に対する思い入れと、その反動として訪れる倦んだような気持も隠さなかった。人間への思いの振幅に、振り子のように揺れている彼女を協一郎は見ており、そんな、良くも悪くも自分らしさを隠さない彼女に惹かれたのだった。

 派手な恋愛ではなかった。自然な交際をへて、自然な道筋として結ばれて一緒になった。それから五年の歳月が過ぎ、女の子にめぐまれ、その子も三歳になっている。平凡と言うべき夫婦の歳月だったかもしれない。

 けれども、協一郎は彼女によって満たされていた。精神的には、たがいの小さな違いをむしろ新鮮な発見として喜び、肉体的には、気どらず自然の求めるものに身をゆだね、おぼれ、歓びを歓びとして表現してくれる素直な彼女のあり方をうれしく思っていた。

 

 ふと気がつくと、猫のうなり声が消えていた。雨の強まる気配があった。

 猫が静かになったことを喜ぶよりも、彼らがどこへ行ったのか、どういう「顛末」になったのかが、協一郎には妙に気にかかった。

 

 妻は子供を生んでから仕事をやめ、協一郎ひとりが車で病院へ通えばよいことになり、職住接近の息苦しさから解放されたくて、県都の勤務先から車で二十分ほど走った所の農村部に、家を借りて暮らしてきていたが、このあたりは、飼い猫も野良猫も多く、毎年、二、三回は猫のさかりの時節があり、その時だけは、夜の静寂が破られた。それが気にならない時もあれば、今夜のように耳にさわり、変に胸の中をかきまわされるようで落ちつかなくなる時もあった。

 協一郎は、タバコに火をつけた。

 職場ではタバコを吸わない。仕事上のたて前というよりも、あまり吸いたいという欲求が強くないのである。家に帰っての夜のくつろぎの時でも、一本も吸わない時もある。体質的にあまり合わないのかもしれない。

 妻も、昔、一度は吸った時期があるというが、協一郎が知るようになってからは、吸ったのを見たことがない。白い、きれいな歯をしている。何でやめたのかと聞いたことがあったが、彼女は、別に何でというほどのことはないわ、ただ、タバコで自分の心を曇らせているような気がしていやになったのよ、でも、そんなこと、言葉にすれば、きざっぽいわね、と言った。

 心を曇らせると言えば、たしかに重く聞こえる。しかし、人は、さまざまな形で心のうっ屈をまぎらせ、気分を転換して生きている。その小さな媒体が、タバコであったり、アルコールであったりするのだ。妻にしても、そうしたことを別に批判などはしていない。ただ、自分のことを、語ったにすぎないのだ。夫婦水入らずの生活のためもあっただろうが、彼女は、結婚してからもずっと、自分の感情や感覚に素直であり続けた。無意識的にいろいろのものを内面で抑圧して生きてきている協一郎は、そんな妻のありように、いつも小さな新鮮な驚きを覚えた。

 

 猫はどうしたのだろう、と協一郎の考えは戻る。

 そもそも、さかりの猫の、あの表現しがたいうなり声は何なのだろうか。

 さかりが、一方的にオスの方にだけ来るわけではあるまい。メスにもまた、妻の言い方を借りれば「生命の誘い」は訪れるはずである。求めあうのはおたがいのはずである。それなのに、なぜあのように、ほとんど憎しみのようにしか聞こえない暗いうなり声を上げ続けるのだろうか。オスの求めがいやならば、さっさと逃げだせばいい。それを、逃げだすわけでもなく、許すわけでもなく、三十分でも、一時間でも、時にはほとんど一晩中でも、執拗にうなりあっている。これは何なのだろうか。

「拒み」と、「求め」の混在、……と、協一郎はつぶやくように思った。

 結局は結ばれるものであるならば、さっさと結ばれたらいいではないかと思うのは、人間の勝手な考えで、猫にとっては、その混沌の時が、最高の愉悦の時なのかもしれない。 人間にだって、「恋のかけひき」という言葉があるではないか。……いや、自分たちには、あまりそういう「かけひき」めいたものはなかったな、と協一郎は思った。

 

 今夜、私と会ってくれますか、と協一郎は廊下ですれ違いながら、彼女に言った。彼女は、一瞬、目を大きく見開いて協一郎を見つめ、それから素直に、はい、と言った。時刻と場所を書いたメモを渡すと、彼女はスッと胸のポケットにそれを入れて歩み去った。そのあまりの素直さに、逆に協一郎の方が不安になったが、彼女は、きっちりと、その時刻にその場所に来た。

 タクシーの運転手に、病院からは街の反対側になる方角を言って、どこかそのあたりで静かに飲める場所がありませんかと言ったら、ああ、と言葉少なに答えて運んでくれたのは、市街をほとんどはずれた東側の湖のほとりにあるホテルの前だった。

 二階が、深夜まで営業のレストランになっていた。室内はほどよく照明を落としており、窓ぎわの席からは、夜の湖面に立つさざ波と葦のそよぎが見えた。客は二、三組しかいず、BGMの音の中に、それぞれの会話は溶けこんで消えていた。

 あの時はね、こんな話をしたのよと、のちに彼女は言ったが、協一郎自身は、ある告白のことをのぞいては、ただとりとめなく話していたことしか覚えていない。ただ、そのとりとめのない時が、イージー・リスニングのBGMそのもののように、身がまえのいらない、くつろいだ時であったことは覚えている。 それは、その場所の雰囲気にもよったのだろうが、もちろん根本は、協一郎に向かいあった彼女の心のやわらかさ、彼女の受容と信頼のあたたかさのためだったと、協一郎は思っている。

 

「拒み」と「求め」、……と、協一郎はまた考えた。

 協一郎が、初めて妻を求めた夜、彼女はそれをすでに予期し、心に受容していたと思う。「私は、一度、人を愛したことがあります」と、その湖畔のレストランでの最初の時に、すでに彼女は告白していた。「愛」と表現されながらも、それはなぜか、精神の歴史として語られたという気がしなかった。

 協一郎にしても、彼女が初めての女性ではなかった。しかし、立場として「五分五分」だから許せるというようなものではない。その告白を運んだ言葉の中に感じられた、突きぬけた微妙な軽さが、彼女にとって、その「過去」はまさにもう過去となっているのだということを示していた。

 からめとられ、理屈にならない部分で引きずられて、ドロドロとはまりこんでいった愛ではなかったということであり、その終わりもまた、終わりにいたった事情は何であったにせよ、彼女自身の決断において終わったのだと、協一郎は感じた。

 それが、精神に刻まれた歴史として語られたら、協一郎もその過去を重苦しく引きずらなければならなかったかもしれない。彼女は、私、手術を受けたことがあるのよ、と言って小さな傷跡を見せるというような感じでそれを言った。傷跡は、ある。けれども、もう傷は痛んではいなかった。

 ふたりの初めての夜、彼女はやはり小さなためらいと、はじらいを示しつつ、協一郎に自分を開いた。その一瞬には、小さく抵抗するような動作を見せた。けれども、それは無意識の動作で、のちになって協一郎が寝物語りにそんなことを言うと、彼女は、はずかしそうに、ぜんぜん覚えていないわ、私もまた、求めていたのよ、と協一郎の胸に顔を埋めて言った。そうだね、私も、それを本当の抗いとは感じなかった、と協一郎は言った。

 

 雨に少し風がまじってきて、雨音がサッとガラス窓をはいていく。

 猫たちは、どこへ行ったのだろう。彼らの「恋」はこの瞬間、成就しているのだろうか。

 妻は、この動物たちの「さかり」を、「生命の誘い」と表現した。なるほど、と協一郎は思う。「本能」と普通に言うよりは、妻の表現、妻の受けとり方の方が自然で、よくわかる気がする。

 彼らには、自分がある時期になると、なぜもの狂おしく「つがう」ことを求めるのかは、理屈としてはわからないだろう。しかし、彼らにも、自分が内なる何かにつき動かされていること、ほとんどその内なる力にひっつかまえられていることは感じられているだろう。人間は、その「生命の誘い」に理屈をつけざるをえない。倫理とか、道徳とかの観念のほかに、そうやって「つがう」ことが招く社会的責任というようなものまでも考える。

 人間にとって、「つがう」ことは単にそのひと時「つがう」ことでは終わらない。それはまさに「つがい」となって生きること――伴侶として認めあい、選びあって生きることの始まりとなる。

 子をなすことが、その瞬間に、どこまで意識化されているかは疑問だけれども、「つがい」となって生きることの選択の中には、この、子をなすという「生命の連鎖」をまで含んでの選択があり、覚悟があるはずである。そうやって、自分たちの「つがう」行為が、否応なく社会的意味を持ち、社会への新しい参画の契機となっていくことであると、漠然とであれ知っている、あるいは予感しているはずである。

 

 人間にとっての「性」の重さは、性そのものの内包する重さのほかに、外から付与された多くのものにもよっているが、ある種の人々は、性の重さなどからは「解放」されているように見える。けれども、どんなに性を軽く考える人々であっても、この「つがう」行為のあとに訪れる疲労と、かすかににじむ哀しみのようなものから逃れることはできない。 その疲労と哀しみのよってくる根源を、単純に生理的なものと考えて、泥のように眠ったとしても、性は、性自身として、その託された意味を顕現化していく。言ってみれば、人間が眠ったところから、本当の「生命の営み」は静かに始まっていくのだ。

 

 哀しみとは、何だろうか。

 それは、結局自分が自分の主体性と呼んで依拠してきたものとは違うものにひっつかまえられて、ある行為へと駆り立てられていったことを自覚しての屈辱だろうか。

 その行為を自分の意志で選び、自分の熱情で行ってきたはずなのに、今、自分の肉体が萎えていくその過程において、結局は自分が自分の意志と呼ぶもの以外の力によってつき動かされていたのだと知る、その口惜しさだろうか。

 愛する人の示した歓び、……その瞬間には、まさにこの自分がこの人に歓びを与ええていると思い、自分の生命の意味が信じられ、そのうれしさに自らも昂揚していく、……その至福の思いが静かに潮が引くように薄れていく中で、この人の歓びとは本当に、唯一、絶対の、この自分からでなければえられないものだったのだろうかと、ふと思うことがあるそのかすかな疎外感だろうか。

 どんなにひしと、噛みつきあわんばかりに抱きしめあっても、ついに合することを妨げるこの「皮膚」を持った肉体であり、再び離れなければならない時のくる、その淋しさなのだろうか。

 性における哀しみは、こうして、人間の自我を打ち砕きつつ、多くのことを問うているのだった。

 

 疲労は、……あって当然だった。

 性は、人間によってどんなに多くの意味を外から付与されたとしても、その本来的に内包した意味を決して失いはしない。新しい生命を生みだし、幾世紀、幾十世紀にわたって紡ぎ継がれてきた生命の糸を、今、この時に紡ぎ渡そうとする、その根源的な意味を失いはしない。

 ひとつの生命はこうして、無量のものの継承であると同時に、無量のものの新しい出発である。

「人身遇いがたし」と、仏法では言う。「得がたき人身」とも言う。その、得がたく、遇いがたき生命を生みだす営為が、何の疲労もなくやすやすと行われうるはずはないのだ。

 県北の郷里の町の河にさかのぼってくる鮭たちの生命の営みを、映像で幾度も見て、協一郎は昔から胸を打たれてきていた。

 自らの肉体をボロボロにしながらひたむきに河をさかのぼり、最後の力で川底の小砂利を跳ねのけて産屋を作り、オスの誘いの接触に一気に産卵し、オスもまた、まったく同時に精を放つ、その瞬間の、裂けんばかりにカッと開口する鮭たちには、歓喜とも、苦痛とも言えない、不思議な表情があった。

 産卵し、放精した彼らは、力つきて、かすかにあえぎながら流されていく。河口には、その鮭たちを食すべく、スズキやカモメたちが待ちかまえている。

 こうして鮭たちは、最後にその肉体を、生き残るものたちへの「布施」として与えて、滅んでいくのだった。

 

 人間は、性の行為のたびに死にはしない。けれども本当は、その刹那、刹那に、やはりひとつの死を死んでいるのかもしれない。性の行為において、歓喜と死とは、なおかつ始原的に同時に存在していると思う。

 性の根源性に人間はついに支配され続けると言えば、性はあたかも人間の「尊厳」をおかすもののように聞こえる。そうではない。人間の尊厳もまた、猫や、犬や、鳥をふくめての、すべての生命の尊厳から離れては存在しえないのだ。人間の生命の根をおろす大地は、彼ら、ほかの生命たちの根をおろす大地と異ならない。

 

「拒み」と「求め」、……それは、人間においては、時に何かしら一種の愛の術策めいたものとなってしまっている。あるいはそれは、倦怠に対する、スパイスのようなものになってしまっている。

 だが、愛において、倦怠とは何だろうか。自分たちの夫婦生活は、まだ五年とも言えるし、もう五年とも言える。経済的にはまあまあだし、子供にもめぐまれて、三人ともに健康でいる。平穏な日々が過ぎており、その平穏はたぶん明日も続くかもしれない。

 もちろん人生は無常だし、人の生は、はかなく、もろい。けれども、自分にしても、妻にしても、その無常も、はかなさも、心の奥深くで知って覚悟していて、その上で、今あるこの生活を愛しんで生きていると思う。生と死を、身近に見て生きる仕事をしてきて、ふたりともにこのひと時がある意味では「奇跡的な」ひと時であるということを知っている。

 自分たちふたりのめぐり会いが、「定め」であったなどという気張った気持もないが、また、まったくの偶然であったとも思っていない。出会いは偶然であったかもしれないが、沢山の偶然の中から、たがいにたがいを選びとりあったのは、くじ引きとは違う自分の意志での選択、偶然を必然と化す選択だったのだと思っている。

 たがいに選択しあったことの不思議を思い、たがいの肉体と精神の、異質性と同質性を発見しあいながら、自分たちはむつみあって生きてきた。

 与えあい、受けとりあえるものと、そうできないもののあることを知りながら、分かちあえるものをこそ歓びとして大切に思い続け、分かちあえないものの上に自分の自我の城を築くようなことはしてこなかった。

 この「皮膚」によって隔絶され続けるおたがいの孤独の部分を、愛する者の直感によって思いやりあいながら生きてきた。

 これから重ねていく歳月の中で、よりいっそうのたがいの接近と融合がなされていくだろうが、それが、倦怠を生むというのだろうか。気負った考え方を少しずつ変えていくとしても、それは堕落とは違うはずだし、ふたりの生活がより静謐なものとなっていくとしても、それは倦怠とは違うもののはずである。 自分が人間に、そして世界に興味を失わず、倦んでも、疲れても、また新しい朝を新しく与えられた「奇跡の時」として迎える心を失わない限り、そして彼女もまたそうであってくれる限り、たがいに生きる日々の時の中で見いだす小さな真実を喜びをもって収穫し、たがいに寄りそう夜の時の中で、その日その日の小さな発見を語りあいながら、たがいの世界でのその収穫を、分かちあい、共有できるはずである。

 

「天の下に新しきものなし」……とんでもない、と協一郎は思う。天の下には、古きものこそがないのだ。

 すべてが、昨日とは違う今日である。私の身体を構成している原子は、一ケ月後にはほとんど新しいものに置きかわっているだろう。その刹那、刹那の死と新生を認識することができないのは、人間の認識の限界だ。

 

「自己の発露」と言う。

 しかし、自己とは何だろうか。自我とはどう違うのだろうか。自己が発露されていない、抑圧されていると言う時、人は、そのどこまでが発露されるべき自己であり、どこからが抑制されるべき自我であるとわかっているだろうか。

 人は、自己を破砕し、自己を失いながら、この世界に自己を浸透させていくのだとも言える。

 すべての価値は相対的なものとしてしかありえないと考えた時期が、自分にもあった。けれども、価値と呼ぶべきものが、ア・プリオリ(先験的)にこの人の世のあり方とかかわりなく存在するというのも間違いだろうし、時代・風土によっていかようにも変わるいわば習俗的なものだというのも間違いだろう。今、ここでの価値というものを、自己と置きかえてみても、同じことが言える気がするのだ。

 あるいはまた、「個性」とも簡単に言う。しかし、まったく個性というものを持たない原子が、感情とは関係のない純粋に中立的な物理・化学的な法則に従って分子を構成し、その多種多様な分子が、初めは偶然のように、しかし、ある時点からは、明確に目的意識を持ったかのように有機体を形成していく。

 そしてそのプロセスのある時点から、「それ」はヒトとなり、男となり、女となり、私となり、彼女となってきたのだ。

「彼我」の峻別は自明のものの如くに日々、刻々になされている。しかし、個体を、個体として支えているものは、普遍的なものである。その個体が、どんなにユニークな外形を有し、どんなにユニークな言辞を弄していようとも、それをそのような個体としてあらしめているのは、普遍的な物質であり、普遍的な原理なのだ。それを認めない限り、自分のかかわっている医療など成り立ちようもない。普遍的原理を見すえながら、個としての生命に対して個としてかかわっていく、それが自分の仕事だ。

 無数の個が、無数の個の営みをなしている。絶対的に、自分は自分だと思っている。しかし、そのもっとも絶対的に個別なものであるはずの、たとえば性の営みにおいて、人の取りうる「形」は、悲しいまでに類型的であり、非独創的である。個々の鮭の、カッと開口する瞬間の表情に、今、生をまっとうしたという歓喜と苦痛の叫びを聞き取るとしても、次々に産卵し、放精する鮭たちの表情は、まさに類似的なのである。

 しかし、それを「悲しい」と思った自分は、いつのまにか、それでいいのだと思うようになってきていた。いつの頃からか、人々の生命と根源において結ばれている自分の生命、という認識が、桎梏としてではなく、何かしら安らぎに似たものとして感じられるようになった。

 

「拒み」と「求め」、……と、協一郎はもう一度考える。

 あの猫の圧迫するような声に自分が聞き取っていた「拒み」は、本当は、ある種の「怯え」だったのかもしれない、と思う。自分でどうすることもできないオスの生命の衝動に対して、それに連動してつき動かされるメスもまたどうしようもないのだ。その、生と性の圧倒的な力によって引き寄せられながらの、怯えだったのではないか、と。

 妻が、初めての夜に見せた無意識の抗いもまた、小さな認識の怯えであったのかもしれない。誘っているのは、個別の異性である。その個別の異性に好意を持ち、愛情の高まりの中で身を開きたいとすでに情念としては熟している自分がある。けれども、その先にあるものは、常に、「創造と死」であるという性の普遍的法則は、すべての生命の歓喜であるとともに、怯えでもあり、ためらいでもあるのだ。

 彼女が示した小さな抗いの中に、……そして、今夜のあの猫たちのもの狂おしい鳴き声の中に、自分が見なければならなかったのは、その生命の、意識されない葛藤であったのだと、協一郎は思った。

 

 雨が激しく窓を打っていた。

 

 妻の里は、越後湯沢の先の県境の村だった。縁がなければ、めぐり会うこともなく、たがいに違う人と添い、違う生活を営んでいたことだろう。

 しかし今、自分たちはおたがいに、茫洋たる人間の海の中から、おたがいを見いだし、おたがいを自分の寄る辺、自分の島として、そこに自分をつなぎ、生きようとしている。自分の生と性を、成就させてくれる人として、おたがいを信じあい、託しあっている。

 

 協一郎は、胸を打たれたりするとびっくりするほど大きく見開かれる妻の黒い瞳を思った。その人の、白くやわらかい身体を思った。美人という人ではない。けれども、自分の差しのべる手と心に、素直に、はずむように応えてくれる妻の生命を、あらためて愛しく、恋しいと思った。

 

(私たちの生命が、託されたものを成就することができますように。……そしてまた、すべての生命あるものが、それぞれの意味を成就することができますように。……)

 

 早く帰ってきておくれ、と協一郎は心でつぶやいた。

 

                                 (了)

         (1996.4.4)             
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