教養のためのしてはならない百箇条
村上陽一郎 著 「やりなおし教養講座」より
「美味しいもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、食物についてとやかく言わない。書かない。
「卑しいもの」とそうでないものをとをはっきり区別はするが、他人をそれで裁かない。
「イナカモノ」とそうでないものとをはっきり区別はするが、他人を「田舎者」とは言わない。
「正しい」こととそうでないこととをはっきり区別はするが、自分が正しいという主張を第一にはしない。
「美しいもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、その判断を他人に強制しない。
「優れたもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、それだけで対象を裁かない。
男と女をはっきり区別はするが、物事を「男」だから、「女」だから、で決めつけない。
社会の規範に従うことが、自分を失うことだと思い込まない。
物事を一面だけから考えない。
自分の義務と権利を秤にかけて、権利に先に錘を乗せない。
率直が美徳であるとは考えない。
流行語を使わない。
略語、たとえば「冬のソナタ」を「冬ソナ」というが如き、を使わない。
外国語も略さない。ピアノフォルテをピアノとい言うのはともかく、間違っても「ハリー・ポッター」を「ハリポタ」などとは言わない。
「ホーフマンスタル」を「ホフマンシュタール」とはいわない、書かない。
「セルバンテス」を「セルヴァンテス」とは言わない、書かない。
「イエズス会士」を「ジェスイット教徒」などと書かない。
「幕間」を「まくま」などとは言わない。
よその業界用語を使わない。
寿司屋で、「ゲソ」だの「ギョク」だのと言うのも含めて。
あからさまにものを言わない、書かない。とりわけ、性について。
大袈裟な表現は使わない。
クリシェを恥らわずに使わない。「理性と教養が邪魔をして」などというのもその一つ。
己(や)むを得ず(えず)自動車を運転するときは、自分の都合だけで後続車にブレーキを踏ませない。
自転車に乗っているとき、後ろも見ずに、駐車を避けて右に膨らまない。
左折車が並んで待っているのに、わざとゆっくり横断歩道を渡らない。
人前で煙草を喫わない。路上や駅などで、吸い殻を捨てるなどは論外。
駅で、傘や空手でゴルフ・スイングの真似などしない。
自分の通ったドアの始末を、次に来る人にさせない。
他人の読んでいる雑誌や新聞に手を出さない。
何かに寄り掛かって立たない。
満員電車で他人の背を書見台にしない。
人前で髪に手を触れない。
どんなに空いていても、電車の七人掛けのシートに、六人掛け以下のような座り方をしない。
シルバー・シートなるものには腰掛けない。
「ありがとう」「ごめんなさい」を言うのにこだわらない。
新幹線のグリーン車に乗っても、前の座席の肘掛に、靴を脱いだ足を乗せない、足代に乗せた足で貧乏揺すりをしない。前の座席の背もたれを蹴飛ばさない。
飛行機で手洗いに立つとき、前の座席の背もたれを支えにしない、蹴飛ばさない。
エスカレーターで、わざわざ広がって立たない。
頸(くび)に青筋が立つような話方をしない。
突飛な服装や身形をしない。
歩きながらものを食べない。
ナイフやフォークを使うとき、小指を張らない。
フォークの背に御飯を乗せない。
割箸を割ったあと、しごかない。スプーンやフォークを使う前に、コップの水につっこまない。
スープを音をたててすすらない、音をたててすすった人を睨まない。
もう一度煙草について。他人と同席の食卓では間違っても喫わない。
淡黄色だの薄橙色の悪い紙質でできた「漫画雑誌」には手を触れない。
ベスト・セラーは読まない、買わない。
新聞に出る「識者」のコメントなどを読んで、妄りに憤慨しない、間違っても投書などしない。
人生訓など読まない、頼らない。
古典を古典として読まない。
なりふり構わず物事をしない、なりふり構わぬ他人を軽蔑しない。
団体で写真を撮るとき、前列、中心には出ない。
音楽会で演奏が終わっても、先を争って拍手をしない。ブラボーなどと叫ばない。
演奏の批評など、妄りに隣席の友人と交わさない。
有名人がいても、目引き袖引きしない。間違ってもサインなどねだらない。
自分の身体について、健康について、病気について、妄りに吹聴しない。
自分の家族について、妄りに言わない、書かない。
お山の大将にならない。
他人の前で自己陶酔しない。
自分の最も欲しいものが、手に入るとしても、それを敢えて取らない。
衆を頼まない。
偽善者にならない、偽悪者にならない。
相手の退路を断たない、駄目押しをしない。
自分は皆とは違う、という気持ちを忘れない、結局は自分も皆と同じだという判断を忘れない。
自分とは違うものが、違うことが、あることを忘れない。
どんなときにも含羞(がんしゅう)を忘れない。
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