■死とは何か?生とは何か?■

10才の、あの夏の日

 

夏休みに入ったばかりで、うきうきしてた。

めずらしく、お母さんが兄弟5人を連れて映画を見に連れてってくれた。

 

題名は忘れてしまったけど、戦争を題材にしたものだった。

青い目の女の子が、戦時中の日本で辛い生活を送っているもの。

長崎ならではの映画だった気がする…

 

映画館を出ると、雨が降り出していた。

ポツポツと大粒の雨は、あっという間に本降りになった。

 

空は真っ暗で、まだ3時頃だというのに、夜のようだった。

 

* * * 

 

数時間後、大雨洪水警報が、出された。

 

窓から見る外は、バケツをひっくり返したような大雨。

道路の水かさが、みるみるうちに、増えていく…。

 

その頃、お店を営んでいた父は、店舗の浸水を心配し、母と一緒に出掛けていった。

帰ってきた母の話では、すでにひざまで水が上がっていたという。

お店の前で、路面電車に雷が落ちたそうだ。

 

* * *

 

風は大きなうねり声をあげて、窓の隙間から入り込んできた。

雨と雷が不吉な予感を運んでくる。

 

けたたましい、電話の音で、目が覚めた。

何時頃だったのか、覚えていない。

停電して、部屋の中は真っ暗だった。

 

父と母が、身支度をしている。

「ちょっと、出掛けてくるから。」

 

残された兄弟5人は、身体を寄せ合って、ただ窓の外を見つめていた。

雷鳴の音が、豪雨にかき消されるかのような、ものすごい嵐…

稲妻が暗闇を割るように、縦横無尽に走り回っていた。

こんなに、きれいな、稲妻を見たのは、これが最初で最後かもしれない。

 

* * *

 

それから、どれくらい経ったのか。

実際ここだけ記憶がとんだかのように、無いのだ。

 

町中は、まるでワガママな子供のオモチャ箱のように、ぐちゃぐちゃだった。

 

友達が、先生が、沢山の人達が、死んだ。

 

母の妹と、もうすぐ1才になる従妹も、土砂崩れの下敷きになった。

いろんなところで、生き埋めになった人々がいて、遺体は、何日も見つからなかった。

 

親戚のオバサンが、仏壇に手をあわせながら、言った。

「Kちゃんが、水が冷たい…早く見つけてって…言ってる。」

 

叔母と、幼い従妹は、湧き水のそばで見つかった。

母は、私達兄弟に、遺体を見ないで、と言った。

どうか、キレイなままで記憶に残していてあげて、と。

 

葬式の日も、棺は閉じられていた。

それなのに、わざわざ開けて見るオトナたちがいた。

「やめてください」と私は思わず言った。

身体も、声も、そして心もふるえた。

とても、悲しくて、悔しかった…。

 

* * *

 

人の命は、はかないのだ。

 

どんなに元気でも、シアワセでも、人間っていつか死ぬのだ。

運命で、いつまで生きていられるか決まっているのだ。

 

子供心にそう思った。

 

「死」について、深く考えるようになったのは、その頃からだ。

 

なぜ、人は死ぬのだろう?

なぜ、人は生きるのだろう?

なぜ、なぜ、なぜ…。

 

きっと、答えは、ひとつではないのだろう。

 

* * *

 

いつからか、輪廻転生を信じるようになった。

それは、幼くして命を失わなければならなかった、従妹が、

この世に生まれてきた意味を、自分なりに考えたからかもしれない。

 

人は永遠に生きているのだ。

この世界で、死ぬだけだ。

 

そう、思ったからだ。

 

だから、

死ぬときまで、今を、大切に生きようと思う。

すぐ足下に落ちているシアワセを、ひとつずつ、拾い集めて、

少しずつ積み重ねながら、生きていきたい。

…いつも前を向いて。

'01.8.29(WED)



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