資料1:「21.日本語の起源」

 *以下の文章は「倭言葉」(このHPでは「倭言」)で書いた文章をふつうの漢字仮名まじり文に書きかえたものです。

21.日本語の起源
 ここまでの長い
考察によって、琉球語の「ティダ」(「太陽」の)は日本語内地方言の「お天道様」と同根であり、それはまたオーストロネシア祖語の*t'ina(「光」)につながっていることを知りました。そしてそのその対応は言葉と言葉の対応といったことにとどまらずに、前鼻音化現象前接辞*pi-/*mi-、連濁連声、また撥音を生み出した鼻母音波照間方言語末鼻音ng・助詞ノや助動詞ムといったものまでもがオーストロネシア祖語と深くつながっていることを知りました。このように多くの対応日本語とオーストロネシア祖語とのあいだにみられる事がわかれば、日本語は「接辞助詞語幹形成素の類をオーストロネシア語族から全てを受け継いで」(崎山氏の言葉(崎山 平成2 p119)のもじり:原文は「・・・接辞、助詞、語幹形成素の類を北方の言語からのみならず、オーストロネシア語族からも受け継いで日本語が形成されたとするならば、・・・」)いると考えることができます。
 ところでそれらの
対応の一つである前鼻音化現象については、次のようなことがいわれています。(崎山 1978 p115)

「…前鼻音化現象というのは、現在のインドネシア諸語の接辞法からも明らかなように、音韻的現象のみならずある機能的働きがそこに伴う文法的現象でもあり、単なる音韻現象だけの比較を越えて、このような現象が言語間に認められれば、より一層強固に親族関係の証明をすることになる。オセアニア諸語にもこの現象は痕跡としてではあるが残る。・・・(のち省略)」

 上の言葉からわかるように、日本語とオーストロネシア祖語前鼻音化現象対応がみられること、また他の対応も「オーストロネシア語族から全てを受けついで」いると考えれば、日本語の起源をアルタイ諸語に求めたり、アルタイ諸語との混合言語と考えること(崎山 平成2 p119-120、村山 1993 p14)は誤りといわざるをえません。つまり日本祖語はアルタイ諸語との混合言語などではなく、オーストロネシア祖語同源であり、同じ源から生まれ、大きく育ちわかれてきた姉妹語一方であると考えるべきです。
 *上の考察はべつのHP(「
日本語の起源」のなかの「ティダの語源を探る」のページ)にのせています。 

22.あとがき

 このたびは琉球方言に見られる「ティダ」(「太陽」)の語源探求をすることによって、日本語の源がオーストロネシア祖語にたどりつくことを述べました。ところでこの説明を終えるにあたり、このたび漢語外来語をできるかぎり使わずに書いてきたことについて、少し説明しておきます。
 『
漢語を使わずには論文は書けない。』といった思慮分別を欠く考えが今もなお私達日本人の頭の中に占めています。漢語は神と仰ぐすばらしい言葉、外来語今流行のカッコイイ言葉であると自ら思い、私達の母なる日本語を貶しめて生きることは悲しいことです。この入りくんだ現代に生きる私達の思いの数々、また心のありよう表現するために、漢語外来語に託さず自らの母語である方言を使っていきたいという望みを私達はもう持ってもよいのではないでしょうか。漢語外来語を用いればその望みが叶えられ、私達の母なる日本語ではそれが叶えられないというのは何ゆえなのでしょうか。「ティダ」の語源探求をする道すがらそういう思いが芽生えてきたので、『日本語はオーストロネシア祖語同源である』ということを説明するために、新しい日本語を作りそれを用いてみました。そのため馴染みのない新語意味をとり違えたり、思いが伝わらなかったりするおそれがあり、[ ]の中にいつも使っている漢語外来語を書いておきました。
 『願えば叶う』という諺があります。「やさしい
日本語で述べる」ことを願えば、その願いも叶うものと思います。日本祖語がオーストロネシア祖語同源とわかった今、私達の話し書くこの日本語の成立についてもだんだんと解明させていくことができることでしょう。そしてその解明成果現代日本語にさし戻し、現代を生きる私達の言葉として新しい日本語を作りあげることができれば、こんなに嬉しいことはありません。

 *上の文章はもと「倭言葉」(このHPでは「倭言」)で書いてあったものです。しかしその文章は私のつくった新造語が多くあるため理解不能になるおそれがあり、造語した倭言葉のすぐあとの[ ]内に普通に使われている漢語や外来語を補足しておいたものです。ただし、今回このホームページに掲載するために原文(倭言葉)にはほとんど手をくわえずにリンク機能をつけて、「倭言葉」と「普通の漢字仮名まじり文」のそれぞれを対照できるようにあらためたものです。

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