Y. 大霊・宇宙の根源意識である「創造」

 

◆「神」とは「意識企業」の大ボス的存在

◆「神」は情に厚いか?

◆人間にテーマを与える究極の存在=「創造」

◆「創造」を知るには自分を知れ

◆人間自身が「創造」の分身である、という自覚が大切

◆「他と違って見える」からこそ「この世」の意味がある

◆あなたの周囲の存在は、あなたの意識状態を見る鏡

◆「精神世界」オタク

◆「あの世」のことはあの世の住人に任せなさい!

 

 

◆「神」とは「意識企業」の大ボス的存在

 

社長に肩を並べるくらいの実力を蓄えた意識には、「のれん分け」が待っています。

地球以外のどこか別の惑星意識の進化を見守ることになるのです。

この会社レベルの巨大な意識を、「創造神」の意識と仮に呼んでおきます。

彼らには銀河系や惑星系を創造して観察の対象としている意識から、地球のような惑星の創造に参加した意識まで、さまざまなレベルや系統があるようです。

特に日本神話に登場する神々は、地球の創世に重要な役割を果たしていました。

日本神話とギリシア神話との間に類似点が多いことは知られていますが、神々とは、地球の集合意識を構成する「意識の系統」と考えて良いでしょう。

非常に大きなレベルでの微妙なエネルギーバランスを保っており、配下の意識体たちに働きかけ、あるいは彼らの働き振りを見て調整しながら、大きなウェーブ(波)を作っていきます。

周囲の人々を良く観察してみると、いくつかのタイプに分類できるように、意識の集合体にもいくつかのタイプがあるのです。

この「神」企業体の保有する、一定数の作業ロボット=「肉体」を操縦して最前線で活躍する企業戦士が、すなわち私たち個々の人間の意識体なのです。

 

 

◆「神」は情に厚いか?

 

こうしてみると、宗教で崇拝の対象となっている慈悲深く、時には厳しい神とは程遠いイメージが浮かびます。

例えば人間Aがある宗教を熱心に信仰し、その教えに従って善行を積み、多くの人間の尊敬を集めていたとします。

人間Bは、権力者としてAを徹底的に弾圧し、Aを今にも処刑しようとしています。

この時、その宗教の神は、奇跡を起こしてAを助けることが期待されていますが、このような状況で善人ばかり助ける慈悲深さを、さまざまな宗教の神は常に示してきたでしょうか?

 

実は、奇跡を起こすかどうかはA自身の問題です。

正確には、AとB、およびその周囲の観衆(の肉体)を背後で操る意識体たちが、その処刑場面をどういう「学び」として利用するかによって、奇跡を起こすかどうかが決まるわけです。

刑が執行されるにしても、奇跡が起こるにしても、どっちみち筋書き通りなのです。

遥かに高い次元にある「神」の立場としては、自分の分身たちの織り成す興味深いドラマとして、その成り行きを見守っているだけです。

極端な話、たとえある惑星で、集合レベルの人間の意識が暴走し、核爆発で星ごと粉々になったとしても、銀河系の「神」は、そこに至るまでいろいろな働きかけはしたにせよ、己の実験的創造活動の一側面がそのような結末を迎えた一部始終を、多面的に、淡々と観察しているのです。

企業戦士たる配下の意識体の成長を、とてつもなく長い年月をかけて辛抱強く見守っている、非常に懐の深い存在といえます。

 

 

◆人間にテーマを与える究極の存在=「創造」

 

さて、この企業クラスの「神」意識をさらにいくつも統括する「財閥クラスの意識」もあります。

そしてその頂点には「財閥の大ボス」であり、「財界の黒幕」とも言える「宇宙規模の大いなる意識」が存在しています。

「すべての根源」「ありとあらゆるものを包括するもの」「完全にして無限なるもの」と表現することもできます。

この究極の存在は、あらゆるものを産み出した根源であり、同時にあらゆるものを包含し、そのすべてに進化・創造するエネルギーを与え続けている存在であるため、ここでは「創造」と呼ぶことにします。

 

「創造」とはいったいどのようなものでしょうか?

それをイメージするのは容易ではありません。

例えば、特定の宗教でいう「唯一絶対なる神」も、「創造」の一側面しか捉えていません。

人格神的なイメージから脱皮できていない上、「神はすべての人の心に宿る」としながらも、天罰や恩恵を人間に下す「神聖にして畏れ多い存在」として祭り上げ、分離する矛盾に陥っています。

神を奉ることで、かえって人間自身の持つ神性を否定しているのです。

 

 

◆「創造」を知るには自分を知れ

 

結論から言えば、「創造」が何ものであるかを知るには、人間としての「自分は何ものか」を徹底して知り尽くすこと以外に方法がありません。

なぜなら、「創造」とは何ものか、というのは「創造」自身のテーマなのですから。

 

つまりこういうことです。

・「すべてである」ということは、「創造」でないものなど無いのだから、

 「創造」は自分を確認しようにもできない。

・「全知全能」も同様で、「創造」は知らないこともできないことも無いのだから、

 全知全能を確認するすべが無い。

 

要するに、「外国に行ってみて初めて日本の良さが見える」というのと同じで、自己確認するためには「反対のもの」が必要なのです。

そこで「創造」は、自らの分身を創造し、その成り行きを観察することにしました。

自分の姿を見るには、鏡に映った分身を見るしかないのと同じです。

分身を観察することで、「創造」は自分の本質を知ろうとしたのです。

無限である「創造」は、自分の無限性を知るために、限りある(有限)世界、いずれ消えてしまう「波動」の世界・・・意識の世界を作りました。

水面に複数の石を落とせば波紋が広がります。

そしてそれらは相互に干渉して複雑な模様を描き、消えていきます。

これと同様に、さまざまな波動が干渉することにより何が新たに創造され、どのような変化が生じていくのかを「創造」は観察しているのです。

自分にとっての「他者」をたくさん創造し、そこから返ってくるデータを収集しながら、自らの本当の姿、可能性を追求しているのです。

 

 

◆人間自身が「創造」の分身である、という自覚が大切

 

「創造」は分身を創造し、これを鏡として自己観察しています。

同じように、分身はさらにその分身を創造し、これを鏡として観察し、自己確認しています。

こうやって、さまざまに細かく枝分かれした意識の終着点に、人間の意識体があります。

人間の意識体は、「この世」というゲーム会場でお互いのロボット(肉体)を操作し、特定の「テーマ」のもと、さまざまな体験をします。

人間の意識体は、肉体を通じた次のようなサイクルの成り行きを見守ることで自己確認し、自分の可能性を模索しているのです。

 

発信する(行動する/与える)

→受信する(反作用としての刺激・結果が返ってくる/与えられる)

→ 統合する(テーマの解消)→次の行動の下地

  or 反応する(分析・照合・評価・対策)→再発信

 

・・・この繰り返しです。

自ら放ったエネルギーは必ず何らかの形で返ってきます。

このやりとりを通じて「自分」のありようを絶えず確認しているわけです。

 

「創造」と、その分身である人間の意識体のやっていることは、まったく同じなのです。

言いかえれば、根源意識「創造」の願う「自分の真の姿を知る」という欲求を最終局面でかなえているのは、肉体を持った私たち人間だったのです。

ですから、人間が自分自身について深く知れば知るほど、「創造」は自分の何たるかを知ることができるわけです。

人間が人間としてこの世に生まれる意味、宇宙の奥義はまさにここにあります。

 

 

◆「他と違って見える」からこそ「この世」の意味がある

 

「創造」の願う「自分とは何か?」という謎に答えるのに、物質世界である「この世」ほどふさわしい場は他にありません。

「この世」は、制限だらけの非常に密度の濃い世界であり、物事が現実化するのにもかなりの時間が必要です。

意識の世界(あの世)の住人にとっては不自由極まりない世界なのです。

あなたが英雄になった自分やプリンセスになった自分を、自由に空想できることから判るように、意識の世界は、変幻自在であり、何でも思いのまま、たちどころに現実化する世界だからです。

その上、「この世」で人間として生きることは、しばしば辛さや多くの困難を伴います。

「あの世」に憧れを抱く、現実逃避者は少なくありません。

 

しかしまさにこの不自由で困難である点こそに、「この世」が存在する意味があります。

「創造」は自己確認のために、他者を創造しました。

他者との比較なくして、自分を知ることはできないからです。

この意味で、「この世」という物質世界ほど、自−他の「違い」に満ち満ちた世界はありません。

「この世」にはさまざまな違い・・・善−悪、優−劣、損−得、貧−富、表−裏、大−小などの、二極の対立に溢れています。

「この世」で出会う友人知人(仲の良い人・対立する人)やその他の縁のない人々、住環境や自然、動植物達など、あらゆるものが、自分とは違うもの、つまり「他者」として意識されます。

どう見ても違うものとしてか感じられない存在との無数の出会いや摩擦を通じて、自分の真の姿に気付いていくことに、この世で生きる意味があります。

 

 

◆あなたの周囲の存在は、あなたの意識状態を見る鏡

 

自分の肉体を見るには鏡が必要です。

同様に、自分の意識状態を知るには「他者」が必要です。

「相手は自分の鏡である」とは真理です。

なぜなら万物の根源である「創造」が、そうなるように「他者」を自分から生み出したのが、原点だからです。

自分の周囲にいる家族、親しい友人知人、対立する上司、気に入らない同僚や腹に据えかねる近所の住人、自分そっくりのペット・・・これらがすべて、意識の面で「似たもの同士」であり、良くも悪くもあなたの鏡となっているのです。

この自覚をもって行動するだけで、今の地球の混乱のほとんどはたちまち解消するはずです。

相手に映った自分の姿を観察しながら、自分は何ものであるのかを確認すること・・・この目的にかなう最もふさわしい舞台として、「この世」のあなたの環境が設定されているのです。

 

 

◆「精神世界」オタク

 

「宗教かぶれ」はもちろん、いわゆる「精神世界」探求者や、霊界、UFO、超常現象に関心の高い人の中には、次のような人がいます。

 

・知識追求派

「見えない世界」に関する情報に精通することに生き甲斐を感じており、周囲にそれを教化しなければならないと思っている人。たいていは相手にされず、それを彼らの無知のせいにしている。

・高揚感追及派

神の像や光・フラッシュが見えると言ってははしゃぎ、あるいはそうなろうとして日夜、瞑想や特殊な修行に励んでいる人。やはり、周囲からは変人扱いされている。

・パワー追求派

お守り、エネルギーの出る絵や図形、水晶その他のパワーストーンといったグッズやアクセサリー類を買いあさり、自分の周囲にそれらを山ほど並べている人。たいていは、精神世界の理論に精通しているが、「グッズ類がなければ自分は無力である」と信じている事実には気付いておらず、同類である自覚もないまま偶像崇拝者を馬鹿にしたりする。

 

彼らは、概して自分が周囲から敬遠されていると感じていますが、その「自分がそう感じている」事実にもっと目を向けるべきなのです。

周囲の人は鏡です。

自分がギャップを設けている周囲の「下々の人」が、鏡となって、あなたを敬遠しているにすぎません。

神や「創造」に関心を持つ振りをしながら、実際にはそこから最も遠いところに自分がいることを、よくよく認識すべきです。

「あの世」という捉えどころの無い、あやふやな世界に逃避するのでなく、「この世」で生を受けていることに感謝すること、また、せっかく得た知識や情報を、地に足をつけた生活の中で体現していくことが何にも増して求められます。

 

 

◆「あの世」のことはあの世の住人に任せなさい!

 

「あの世」の管理職クラスの意識は、「この世」の私たちの預かり知らぬところで、さまざまな仕事をしています。

「この世」の流れを変えるような事件をお膳立てしたり、意識改革に繋がるような「流行」現象を生み出したりしています。

私たちが、たった一人の人間と出会う際にも、無数の意識が準備に関わっています。

部課長クラスの意識であれば、管轄する領域も広くなり、より高度な仕事(エネルギーバランスの調整)を任されることになります。

しかし、平社員のノルマであれ、部長命令であれ、それをこなすのは肉体を持った意識体です。

肉体はたった一つしかありません。

部課長クラスの意識も、先端の肉体の活動から得られた成果を元に、次の「出来事」を準備しています。

上司と部下は、それぞれバラバラに動いているのではありません。

部下である肉体の活動を見ながら、上司は絶えず方向修正を行なっているのです。

ですから「この世」で肉体を持つ平社員の私たちがやるべきことは、

あの世のお膳立てにしたがって、精一杯反応することなのです。

「あの世」でやるべきことは、「あの世」の住人に任せておけば良いのです。

 

「あの世」に関心を持つのも結構ですが、逃避したり陶酔の世界をさ迷ったりすべきではありません。

「この世」で今、目の前につきつけられているテーマから目をそらさず、真剣に取り組むことが求められているのです。

「この世」での数え切れない「違い」との出会いの中で、「根本が同じであること」、逆に創造の立場からすると「この世界の意識の多様さ(創造性や可能性)」を学んでいくシステムなのです。

 

私たち一人一人の周囲に展開されている日常世界が、この宇宙の壮大な営みの一端を担っているという自覚を忘れないで下さい。